ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

神鳥ガルーダ

2009-05-23 | なんとなく民俗学?
「戦隊モノ」と呼ばれる番組を、見ていた時期がある。

子供と一緒にテレビを見ていたり
録画して見たり
台所でそれを聞いていたりしていた。

その頃の戦隊モノに
鳥人戦隊ジェットマン」というのがあった。

子供たちは忘れているに違いないが、
私はまだ主題歌も歌える!(笑)






  タイ王国の紋章:神鳥ガルーダ







そのジェットマンに 神鳥のガルーダが出ていた!

懐かしい番組を検索してみたら
「ジェットガルーダ」という名前だった。

鳥の顔をした、空を飛ぶロボットだ。

もしかしたら 息子が(ジジ・ババに買ってもらって)
おもちゃ(こんなの→ジェットイカロスと合体!?
を持っていたかもしれない。



ガルーダとは、
インドや東南アジアに伝わるガルダ(garuda)のこと。






  ガルーダ インドネシア航空機(笑)






昔々のインド哲学の授業の中で、
インドでは‘黒’という色を
‘良い色’、‘美しい色’と考えていた、
と聞いた覚えがある。

それは もしかしたら「古代インド」かもしれず、
「現代におけるインドでも同様」かもしれないが
(なんとも曖昧な学習をしてしまった。。。)、

肌の黒い民族が優位だった時代に
‘黒’は 正義の色であり、
美しい色であった、
という話だった。

‘黒’が美しいのであれば、
漆黒のカラスは 
‘もっとも美しい鳥’と評価されていたのではなかろうか?





  

我が家には 以前 亭主が買って来たガルーダの置物がある。

変わった趣味のオトコだ、と思ったものだったが
今 見ると なかなか味がある。

キッチンスケールで量ってみたら
わずか65グラム!

木製らしい。

高さは全長22cm、頭部までの高さは15cm。

カラスを連想させる黒だ。






『広説仏教語大辞典』の‘天狗’の項(下巻p1212)にある
「その姿は インド・東南アジアに伝わるガルダ
(サンスクリット・garuda)鳥と よく似ている。
 その姿の成立のためには、流星(サンスクリット・Ulka)と
 フクロウ(サンスクリット・Uluka)との原語が似ているために、
 両者が混じて考えられたこともあったであろう。」

とある。



両者が混同されてしまったことは頷けるが、
混同されたら どうしてこの姿になるのか???






  


ともあれ、我が家の‘神鳥ガルーダ’は 美しく、可愛い、
ような気がする(笑)。



天狗(5)

2009-05-21 | なんとなく民俗学?
私は日本人だ。

純粋な日本人だ、と思っている。

顔だって、どう見ても、間違いなく、
純粋日本人、の顔だ。

純粋日本人、ということは、
いろいろな血が混じってる、ということだ。







もう終わってしまった、この春の花々。これはシンビジウム。






むかし、日本列島は 大陸と繋がっていた。

分離してからも 大陸や半島とは

切っても切れないつながりがあった。

土器の形や製法も、埋葬の仕方も
たくさんの工芸技術も
そのつながりを通って 日本に伝わった。

それから なんと結核まで
大陸から半島を通って 伝わってきたことが
遺跡から発掘される骨でわかったと
最近の新聞記事にあった。






セッコク



古くから 日本の文化は 大陸を真似てきた。

今の私たちが 欧米の文物に憧れるように憧れてきた。

そして 秀吉がたくさんの陶工を連れてくる前から
日本には たくさんの政治家や文化人や
それから 僧侶たちが やって来ている。

そういった優秀な人たちの血を、
私たち 現代の日本人も 何パーセントかは 
受け継いでいるのだ。(はずだ。)



日本人、ということは そういうことだ。






  薄紫のクレマチス






その後 交通手段の発達に伴って
あこがれの国も移り変わり、
混じってくる血は
モンゴル系の人のものばかりでは なくなってきたが。

これは 本来 血とは 交じり合うべきもの、
だからじゃないだろうか。






モンゴル系、と言えば 南米辺りにも居るわけで。

彼らには ちゃんと蒙古斑があると聞いた。

海を渡って 遠い遠い大陸まで
人間は 旅をしていったのだなあ、と思う。

(そこで思い出したけど、
 我が家の子どもたちには 
 アカンボの頃から 蒙古斑はなかった。。。)






  赤紫のクレマチス






モンゴル系と言ったが すぐそばの大陸には
モンゴル系ではない人たちも住んでいたわけで。

そういった人達は 時化や嵐で 
意図せずに日本にやって来たりもしただろう。

そして 日本の血と 混じり合っていったこともあった事だろう。

『MASTER キートン』と『お~い!竜馬』とが
どちらも 欧米からの旅人が 日本に漂着して
その後 日本に留まって、あるいは 母国に帰って
子孫を残しているという話で
私は とても興味を引かれた。

というわけで、
しばらく‘天狗’について 調べていたのだ。










天狗(1)にも書いたように、
最初のきっかけは 『うそうそ』で、
しかも「蒼天坊」と名前までがついた天狗が登場している。

だのに、絵に描かれたものはカラス天狗ばかりで、
‘天狗’の姿が 見当たらなかった、

その カラス天狗の絵可愛くてが印象的だったので 
調べ始めたのだった↓(笑)。




『うそうそ』p.281





このぐるぐる、これで終わってくれるかしら?(笑)

いえいえ、まだまだ終わりそうにないのよ(タメイキ)。



天狗(4)

2009-05-20 | なんとなく民俗学?
『MASTERキートン』第6巻、
Chapter8「アザミの紋章」によると(笑)、
天狗はヨーロッパから漂着した西洋人であった。

漂着して後は 地元の人たちと農耕に励み、
時には差別を受けながらも 恋をし、
どうやら子孫を残したようだ。

天草神社の禰宜さんは 天狗の子孫らしい、
というオチになっていた。

  第6巻 p190






確かに、身体が大きくて 髪の毛がモジャモジャで?
眼が青くて 鼻が高かったら
鬼か天狗に見えても おかしくはない。

鬼も天狗も 漂着した西洋人だったのかもしれない?






  

我が家が(つまり、私が)大好きなマンガのひとつに
『お~い! 竜馬!」というのがある。

(原作:武田鉄也、作画:小山ゆう、
 小学館、ヤングサンデーコミックス)



この中で 竜馬は 
幼なじみの武市半平太と人切り以蔵と共に
天狗退治に向かい、
出合った天狗と仲良しになる。



  第3巻 p24






こちらの天狗はアメリカ人で
名前をジョン・エリックと言い、
後にジョン万次郎を助けるのだが、

かわいそうな事に、
気立てのいい若い女性と知り合うことはなく、

オトクサンというお婆さんに面倒を見てもらっていたのだが
オトクサンが死んでしまてから
牛馬を襲って食べたりしていた。



  第2巻 p216
ジョンが建てた、お徳ばあさんのお墓。
竜馬は オネショをしてしまい、袴を干しながら歩いている(笑)。




竜馬は 牛の肉を食べるジョンに
「やっぱり・・・・・・天狗だから・・・、
 人間とは 食べる物が違うんだ・・・。)
と納得している(笑)。(第3巻p33)













scopsさんが想像力の翼を広げる前に
すでに同じようなことを考えた人は
少なくなかったと思う。

そして
実際に 似たようなことが起きていたのではないか、
とも思うのだ。



嵐に遭えば 
人の命は 風の前の塵に同じ?

ただし 
海流に乗れば、風に飛ばされれば、

椰子の実のように どこかに漂着して
もしかしたら根付くこともあったろう。

難破した船を助ける習慣を持った海辺の町で
手当てを受けたガイジンは
案外多かったのではないか?

強健な身体と精神を持ち、
地元の民に交わっていったガイジンも
想像するよりも 多かったのではないか?



ロマンというよりも
科学的・現実的類推で
天狗と呼ばれた西洋人は
複数いたのではないかと 私は考える。



天狗(3)

2009-05-19 | なんとなく民俗学?
民俗学の本に入る前に、もうひとつ、
『広説仏教語大辞典』(中村元著、東京書籍、2001.6.21)
を見てみたい。

こうして、どんどん、連載が長くなっていく・・・(汗)(涙)。







もう終わってしまったけれど、今年の春の花の写真を。






『広説仏教語大辞典』(下巻p1212)によると、
前回の「天狗(2)」に書いたように、
サンスクリット(梵語)の‘Ulka’の漢訳で
流星のこと、というのが 第1番目として出てくる。

2番目には 同じく サンスクリットの
‘Ulkapata’の漢訳、という。

これは「流星」という意味ではないらしい。

では何の意味なのか???

<大日経疏第5巻>と書いてある。

それを見ればわかるかもしれない?

でも そんな気にはなれない(笑)。



それから、この辞典では
‘Ulka(流星)’と 
‘Uluka(ふくろう)’との言語が似ているため、
混同された可能性が示唆されている。

人間って、間違いやすいのよねえ。













第3の意味は どちらかというと民俗学っぽい内容で、
長々と書いてある。

「民間信仰から起こったもので、正体は時代によって相違する。」

というのだ。

また 地方によって
「狗賓(ぐひん)」とか「山人」などとも
呼ばれているという。



修験道と関係が深く、一般に深山に住み、
ヒトの形をして 鳥のクチバシと 雷眼を持ち、

(「雷眼」って何だ? ピカーっと光ってるのか?)

翼があって 自在に飛行し、
羽団扇(はうちわ)を持つ怪物と想像されている。






仏道を妨げるシナ伝来の魔性、という。

つまり、仏教の側から見れば、敵?



「愛宕山、鞍馬山、秋葉山をはじめ 
 全国に分布している。

 時には 武技に達して 
 源義経に奥義を授けたものもある。」

愛宕山ってどこの?

秋葉山って知らないゾ!




他にも ウィキペディアには 
求菩提山とか 英彦山、飯縄山 などの
聞いた事のない名前が挙がっている。

(迦葉山 は聞いた事がある。行ったことはない。行かなくちゃ!笑)



どこか適当な所で バッサリ切らないと
このまま天狗に取り付かれていたら
一生 「天狗、天狗」出終わってしまうよ(泣笑)。

それも楽しいかも(爆)。







一週間以上のご無沙汰でございました(苦笑)。

すこぶる元気にいたしております。



天狗(2)

2009-05-11 | なんとなく民俗学?
天狗(てんぐ)とは、
① 周りからちやほやされ、有頂天の気分になり、
  調子に乗ること。



「天狗」という項目は 何故か 仏教辞典にある。




歌川国芳の絵



『織田得能仏教大辞典』(p1247)によると、
元は彗星の名前で、
梵語で「Ulka(憂流迦)」と言い、
これを「天狗」と翻した。

天魔の一類、ということになっているらしい。

「行者が 慢心して 天狗になる」、と言われ、

今 私たちが使う「天狗になる」という言葉は

山で修行して 山狗のように行動できるようになった行者が 
「自分はこれだけの事ができる」と慢心した時に
鼻高々になった様子を 

そのまま使っている感じ?






天狗とは、
② 日本の民間信仰において伝承される
  神や妖怪ともいわれる 伝説上の生き物。

中国や インドの「天狗」と
日本の「天狗」とは 少し違うのかもしれない。



で、なんで、これが『仏教大辞典』に載ってるのか?

そこんとこが イマイチ不透明だが、
修行=仏教、ということで?(苦笑)。

天狗は山に居るから、
山で神仙の修行をしている行者かもしれない。

あるいは 修験道の修行をしている行者かもしれない。

とにかく、仏教を守るために存在する、
特殊能力を持つ、変わった生き物、
そんな受け止め方でいのかも、と思う(汗)。






高尾山総合インフォメーションと同じくらい、
ウィキペディアに詳しく書いてあるので、
もっと知りたい方は どうぞそちらの方を。

やっぱり、この記事、要らないかも(泣笑)。







鳥山石燕『画図百鬼夜行』より






なにしろ、頭の中がまとまっていないから、
読んでて「ちょっと~!」と
思われる方もいらっしゃるだろうかと。。。

でも、まあ、とにかく、
せっかく調べたんだし(笑)。



仏教辞典にもあったが、
民俗学の辞典にも、もちろん「天狗」はあった。

それは 上の②の意味における「天狗」だと思う。

『うそうそ』にあったように 「天狗」が山神の使いならば、
川の(水の)神の使いは、「河童」?

川に住むのが「河童」で、山に居るのが「天狗」?



頭がこんがらがるので、続きは次回に。

出し惜しみじゃないよ(泣)。







5月9日のミニバラ。

ようやく蕾が開いてきた、と思って撮影したのだったが、

昨日・今日の陽気のせいか、一気に開花が進んできた。

ミニバラって、こんなに大きくなるものだったかしら?(笑)



天狗(1)

2009-05-04 | なんとなく民俗学?
「天狗」と聞いて 連想するのは 
飲食店?

それとも、鞍馬天狗?(古い!)

「天狗」と言えば 牛若丸の鞍馬寺だろうか。







参照:鞍馬山 その不思議をさぐる





鞍馬山には 私は行った事がないが 確か 牛若丸は 
あそこの天狗さんに修行させてもらって 
身軽な動きを見に付けたのじゃなかったかしら。

鞍馬山の天狗に鍛えてもらったからこそ、
牛若丸は 五条の大橋の上で ひょいと飛び上がる事もできたし
八艘飛びもできた、はずだった。

鞍馬天狗のオジサンも 
鞍馬の山で 修行したのに違いない?






『MASTER キートン』第6巻 p208 Chapter8「アザミの紋章」






それから 私は 『彦一とんち話』というのを思い出す。

小さい頃に 好きで 何度も読んだ本だった。

彦一が 天狗をだまして 
‘天狗の隠れみの’を手に入れる。

その蓑(みの)は あまりに古ぼけていたため、
家の人に燃やされてしまう。

彦一は その灰を身体に塗って 
再度 身を隠すことができたのだったが
最後には その灰も水に濡れて落ちてしまう。

彦一は 素っ裸だったはずだから、恥ずかしかったろうなあ、
というのが 幼い日の記憶にある。

天狗をだまして隠れ蓑を取る場面では
いつもドキドキしながら読んだものだった。




お菓子の彦一本舗さんより拝借。






それから、京王線で行く、
高尾山の 薬王院というお寺さんがあった。

あそこは都内から日帰りできるハイキングコースだったので
行ったことがある。はず。

でも もう 昔過ぎて よく覚えていない(笑)。

ご案内はコチラ
高尾山総合インフォメーション 「高尾山天狗伝説を追う」

天狗についても ていねいに解説がある。

だったら、この記事、要らないかも(苦笑)。






『うそうそ』(2009-04-01 の記事)の中に 天狗が出てくる。

怒らせると恐い、といわれる天狗が、空を飛翔して
若旦那たちを襲ってくるのだ。

天狗は 山神のお使いなんだそうだ(p。143)。



そして 本の中で 天狗の様子については

「杖を持ったその姿は、
 山伏の格好と似てはいるが、
 背に大きな羽が付いている。

 巨大な鳥のようにも見える偉丈夫。」

と書かれている。(p.222)

天狗さんは、蒼天坊(そうてんぼう)と名を名乗った。

なにしろ、若旦那は 荼枳尼天(だきにてん)の孫だから、
何があっても驚かない(笑)。













おそらく、天狗は 鼻が高いはずだから、
表紙の絵(↑)は天狗ではなく、カラス天狗だろう。



天狗には 大天狗と 小天狗と カラス天狗とがいる、
と記憶している。

『うそうそ』を読んでからずっと、
この‘天狗’が気になって、気になって・・・(笑)。

まだ頭の中でまとまっていないけど、
リビングに積み上げた本を 
そろそろ何とかしないといけないし、
少しずつ記事にしてみようと思う。




私のお気に入り、『しゃばけシリーズ』で挿絵を手がける柴田ゆう氏の絵は 
最近 新聞の日曜版に登場するようになって 日曜の楽しみが増えた。
上は 武田信玄公。




リウマチの話

2009-05-01 | リウマチ
関節リウマチについてベンキョウしたのは
もうだいぶ前だ。

最初の本は 術後間もなく購入している(2002年刊行)。

すごく不安だった頃だと思う。













次に 本気になった時に買ったのが
『新しいリウマチ治療――新しい薬・新しい手術』
(講談社 ブルーバックス)

(この本は 現在でも売られている。)
で、これは2004年刊行のものだが、
この2冊の間にも 治療法の変化が見て取れる、と思っていた。

今回は もっと(?)新しい(かもしれない?)知識を
市民公開講座で仕入れてきたわけだが、

知識がどうこう、ということよりも
漠然としていた知識がまとめられて 
すっきりした気分になれた。













まず、「リウマ」というのは、
「水」とか 「流れ」とかいう意味だそうだ。

女性に多く、男女比は 9:1だという。

高齢者に多いと思われがちだが、
リウマチと診断されるのは 30~50代が多い。

これは、意外。



リウマチには 関節リウマチと 悪性関節リウマチ、
それから 若年性(16歳未満)関節リウマチがある。

他にもシェーグレン症候群、変形性関節症、
全身性エリテマドーデスなどがある。

一番多いのが 関節リウマチで、全体の93%を占める。













早期診断・早期治療が大事だ。

(どこかで聞いたことがある言葉だ。)

日本における治療方法は これまで 欧米の先進諸国に比べて
10年遅れていたが

患者会や医療者たちのの努力もあって
5年遅れまで追いついてきた。

(これも、どこかで聞いたことがある言葉だ。)

欧米で使用できるのに
日本では使用できないとされる薬がある。

(これも。

 まったく、日本の旧厚生省は それまで何やってたんだ! 怒)













リウマチの治療には
疼痛治療(痛みを止める)、炎症を止める、
関節の破壊や変形を止める、
といった治療目的がある。

昔は 痛みを止める治療が主だったが
それでは 関節の変形や破壊は進んでしまい、
日常生活ができなくなってしまう病気だった。




手術やリハビリに関する講演もあったが
治療の柱は 薬による治療になる。

非ステロイド系、ステロイド系、抗リウマチ薬、と
選択肢もだいぶ増えてきているので
治療に効果が見られなければ 薬を変更する。

近年、メトトレキサート(MTX)という薬が
標準薬・基本薬として使われるようになって
効果を上げているという。

この メトトレキサートと 
生物学的製剤とを組み合わせて
併用することで
さらに効果が上がっているらしい。













そういう事もあって
「リウマチ治療のゴールは、‘寛解’である」
と 明確に発言できるようになったところ、
そういう印象を持った。

ただし、良く効く薬に 副作用はつき物。

リウマチ薬の副作用も 聞けばしり込みしたくなるほど、
恐ろしい。

また、生物学的製剤は 
感染症にかかった人には使えない、という。

また 同様に、癌の治療をした人にも。

(私、まだ、治療中なんだけど。)

免疫力が下がるような治療をした場合、の話なのだろうか?













5月になった。

花々はどれも花茎を伸ばし、
木々の緑は 色を増して 全体が膨れ上がって見える。

生命力の復活!という季節だ。



日本リウマチ学会の会員に 
思っていたよりずっと近い場所の病院の医師が
名を連ねているようだし、

今月中には 一度 リウマチ科を訪ねてみるつもりだ。