こんなタイトルで 何か文章を書く事になるとは 思っていなかった。
けれど 増える一方の乳がん患者のひとりとして、
これは 書かずには いられない、と 思うようになった。
私と亭主との間の ベッドルームの中でのことが
他の人の 何か参考になるという 確信があるわけではないが、
参考にならないと言う確信が あるわけではないので、
思い切って 今日書いてみる事にする。
私の場合は 温存手術であったので、
胸筋温存乳房切除術、あるいは 胸筋合併乳房切除術であった人とは
かなり違いがあるのかもしれないが、
私には私自身の事しかわからないので、
私の場合を なるべく素直に 書いてみる。
退院して しばらくの間、
私は セックスに関して 最も穏やかな日々を過ごした。
年末ということもあり、亭主は 毎日 疲れてへとへとだったし、
ちょっかいを出すそぶりもなかったから。
私の中には 寂しさがいつも強くあったから、
初めは 疲れた亭主に遠慮していたが、
徐々に ワガママぶりを発揮して、
無理矢理 亭主のてのひらを ひっぱってきて、
冷えて痛む ひじや手首を暖めてもらいながら 眠った。
亭主はいつも バタン、キュ~で眠っていた。
そのうちずうずうしさを発揮して、
亭主の布団に入っていって、
からだ丸ごと 暖めてもらうようになった。
先に風呂から出て 布団に入っていた亭主は あったかくて、
甘えたくて、ひっついていった。
亭主は 何も言わないで 私の体を 引き寄せてくれていた。
こういう関係が、前から好きだった。
それ以上何もしないのが よかった。
いつもだったら、 亭主のベッドに 私から入っていったら、
亭主は 何か勘違いをして、
心静かに 安らいでは いられなくなるのだ。
私は 心の中に 悲しみが 固まりになって
冷え冷えと そこにあるので、
悲しい、悲しいと 胸の中でつぶやきながら
亭主の腕や肩や胸に すがっていた。
泣きたい気持ちもあったけれど、
さめざめと泣いたら きっと 慰めてもらえたろうけれど、
涙が出なかったので、
そうやって 体と心の両方を あっためてもらっていた。
じっとしていて、気が済むと、
あるいは 同じ姿勢に疲れると、
または 眠くなると、
自分のベッドへ行って眠る。
ほとんどは、ホットフラッシュがきて、
暑い、暑いと 逃げ出すのだ。
亭主は ホッとしていたかもしれないが、
ちょいと残念そうにしてくれていた。
もっと ずうずうしくなると、
私は 直接亭主のベッドに行くようになる。
相変わらず眠い亭主が ベッドで 本を読んでいる所へ、
風呂上りの ほてりの取れた私が まっすぐ向かい、
上に乗っかって 読書の邪魔をするのだ。
「本読んでていいよ。」
といつも言うのに、亭主は 本を閉じて、
掛け布団ごしに 私を抱きしめてくれた。
嬉しかった。
背中を撫でてくれた。
気持ちの良いものだ。
そのうち その姿勢に疲れるか、眠くなるか、
寒くなるか、または 暑くなるかして、
私が 自分のベッドに入ると、
また 本の続きを読み出すのだ。
この儀式は 結構長く続いた。
亭主は 布団の上でなく、中に入るように
いつも 言ってくれていた。
そうして 布団の中に入っていったのが いつだったのか、
それはまったく覚えていない。
日記にも書いていない。
その晩、亭主は とても優しくしてくれた。
優しくすると 決めてあったようだった。
亭主は とにかく気を遣う。
使わなくて良い所まで気を遣う。
そして 優しく気を遣ってくれているとき、
私は 気を遣わせてあげているのだ。
実に久しぶりの セックスの後、
亭主は お前は何も変わっていない、
前と同じだ、と 言葉に出して伝えてくれた。
そう言って慰めたいと 前々から思っていたのではないだろうか。
それでも その時の私は
冷え冷えとしたものが 胸にあったので、
半分しらけて聞いていたのだが、
気を遣うタイプの男でよかったかな、という安心感を覚えた。
そして、それを 言葉にして伝えてくれた事が、
何より嬉しかった。
そうしていても 私の心の中には、
悲しみの塊、淋しさの塊があって、
寒かった。
その塊が
亭主の優しさで きっと 少しずつ あったまっていったのだ。
私は おっぱいを 「寄せて、上げて」していてもらうのが
好きだった。
術側の胸は それができない。
硬く、変形して 胸にへばりついているから。
亭主の手は しばしば 術側の胸にも行ったけれど、
決して気持ちよくないし、感じないし、
触れられると その不完全な胸の存在が はっきりするので、
悲しみの塊が 大きくなる。
冷たさが増す。
術側の胸のほうに 亭主の手が行くと、
私はいつも 払いのけた。
それでも はっきり 「いや」というまで、
亭主の手は 懲りずに伸びてきていた。
徐々にセックスが いつもの頻度になると、
新たな悩みが 出てきた。
痛むのだ。
ひりひりして、翌日いっぱい不快なのだ。
それほど頻繁ではないとは言え、我慢できない。
私は亭主に ゼリーというやつを 使って欲しいと言った。
次の機会に亭主はちゃんと ゼリーを用意していて、
初めて使った。
使う事は 苦ではなかった。
ただ、ゼリーは 思いっきり冷たかった。
よし、今夜は、ということであれば
暖めておくのだろうけれど、
私たちは そういうふうには していなかったので、
いつも 思い切り ひゃっこいゼリーを 使う事になった。
もう若くはないし、
これからは ずっと ゼリーを使うのだろうな、
と思っていたが、
術側の胸が ようやく 柔らかさを 取り戻したあと、
ゼリーなしでも 大丈夫になった。
女性ホルモンの分泌を止めていても、
どうやら ゼリーなしのセックスは 可能なようだ。
ただし、それまでに 一年半くらい かかった。
胸が柔らかくなって、感覚もだいぶ戻り、
触られても 不快でなくなり、
そうやって 段々に
術側の胸も 可愛がってもらえるようになった。
一年では 感覚は 戻らなかった。
術後間もない読者が いるとしたら、
もっと 書き連ねたいところだけれど、
もう 思いつかない。
乳房や 子宮などの病気で 摘出手術をした後は、
気を遣ってくれる亭主の方が いいのかも知れず、
気を使われると かえって傷ついてしまう女性のほうが
多いかも知れず(私もすこしは)、
人により、相手によるのだろうが、
しばし わがままを許してもらえたほうがいいと思うのは、
私だけだろうか。
女性特有の病気や 癌にかかわらず、
すぐに完治しない病気に家族がなった場合、
家族の絆が 試されるとか、
絆がいっそう深まったとか 聞く事もあるけれど、
私たち夫婦は 実は あまり 変わっていないと思う。
(ほら、もともと ラブラブだったし。)
強いて言うなら、私がいない間に 苦労をした
娘と亭主の絆は 何らかの変化があったのではないか。
息子は 少々大人になりそびれたようだ。
ただ、困難に直面した時に、
どういう態度をとるのか、
どう対処するか、
たとえば いざという時 逃げ出すか 立ち向かうか、
が はっきりすると思う。
我が家の場合は、亭主と娘は 立ち向かう派、
私と息子は なんとなくやり過ごす派、のようだ。
頑張ってくれた 亭主と子供達に、
ここでもう一度 言っておきたい。
ありがとう。
2015.09.06
この
「乳がん患者とセックス」が、どういうわけか、いつも
アクセスページのトップにある。
嬉しいような、恥かしいような。
そして 残念なような。。。
参考にしたいという方は、どうぞコメント欄も
気楽にというより、気長に(苦笑)、どうぞ。
また、「ついでに」という思いのある方は、
このブログの中で「セックス」という言葉を検索ワードに入れて
検索してみてほしい。
「もう一度セックスについて」とか、「オリモノ」についてとか、
医学書には書いてなさそうな事を書き連ねておいたから。
「セックス」と書くのが、一番恥ずかしくなかったんだよね。
今でも 少しは恥ずかしいよ、まだ。
(どんどん面の皮は厚くなってるけどね。)
乳がん患者とセックスについて 一度書いちゃったものだから、
責任なんかも感じてたりして、
一応、マジメに、できるだけ正直に書いてきたつもり。
これから書く事なんて、もうそんなにないと思うけどね(笑)。