ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

わたしの窓

2004-10-30 | なんでもないこと
これが、みなさんが訪れて下さっている、わたしの窓です。
すぐそとは隣地との境界で、ブロック塀が立っています。
出窓の向こうには 木造の古い倉庫、
掃きだし窓の向こうは プレハブの倉庫。
日当たりも風通しも イマイチだけど、
一応、東向き。
ブロック塀にそって ボーダー花壇を作ろうと 画策中。

壁にかかった絵は、私の二十歳のときの作品。
今年の私の誕生日に、亭主が額を買って、入れてくれました。
実家の近くの風景です。

丈夫な体を作る基本食

2004-10-29 | 食生活
2003年6月の日曜日、
「丈夫な体を作る基本食」と題した講演会を聞きに出かけた。
『粗食のすすめ』の著者、幕内秀夫氏の講演は、
子供の給食について考える、若いお母さん達の会が
中心になっていたようだった。
自然食品の店に出かけた時に おいてあるチラシを見て、
その店で前売り券を買ったのだ。
初めて見る幕内氏は、
髪を茶髪に染め、ダンゴ鼻に眼鏡をかけた、
茨城訛りのオジサンだった。

現代日本人の 食生活の誤りが、
わかりやすく語られて、私も忘れていた事を
いろいろ思い出した。
輸入小麦の怖さ、
日本の牛乳の危うさ、
狂った食生活による、病気や 不調の数々。
私が「マイッタ!」と思ったのは、
「乳がんの女性の子供には、アトピーの子が多い。」
という発言だった。

娘はアトピーがある。
テレビドラマになった、きたがわ翔原作の漫画、
『ホットマン』の エンゾこと降矢円造のように、
私が若い頃食べてきた食品添加物の数々が、
娘のアトピーになって 出てきているように感じていた。
娘を妊娠した後は、少しは食べ物に気を遣ってきた。
そしてそれは 息子の出産まで続いた。
息子の肌は、羨ましいくらい、すべすべで、アトピーはない。
なんか、それを言い当てられただけで、
投了、参りました、って感じで、帰依できてしまった。



休憩の後は 学校給食に関する話題に 
重点が移るようだったので、
思いきって席を立って、帰ろうとした。
階段を下りたら、出口の前の喫煙所で、
師は 煙草を吸っていた。

それまでの人生、消極的とかは言われても、
積極的とは言われた事のない私が、
これは 神仏の与えたもうたチャンス、と思い、
ドキドキしながら 話しかけた。
しょっちゅう講演にあちこち出かけている師のこと、
そんなことは 日常茶飯事かとも思うが、
私にとっては 初めてのこと、
あわててしまって、失礼もあったかもしれない。

交わした言葉では とても聞き足りなかった。
私も少し遠慮というものがあり、
なるべく早く 話を切り上げようと思っていたし。
「先生の栄養指導を受けるには、どうすればいいですか?」
と言う質問を切り出した。
師が栄養指導をしている二つの病院で
予約をすればよいらしい。
乳がんである事を話すと、
乳がんというのは、癌の中でも一番、
食生活が影響するんです、
と力説。
今は玄米を食べてます、と言うと、
これからの暑い季節は、玄米は食べにくくなるので、
分搗き米がいいでしょう、という話だった。

息子が留守番している家に 早く帰らなきゃ、
と思って途中で出てきたのだが、
なんだか せっかく家をでてきたのに、と 
もったいないような気がしてきて、
イトーヨーカドーで買い物をしてから 帰った。
自分が意外にも積極的な行動をとれたことで、
興奮してしまったようだった。
嬉しくもあった。



家に帰ってからも、メモを見ながら、
何度もいろいろな内容を思い返した。
師のおっしゃる事には、
「あれ?それは あなたの好みでは?」とか
「少なくとも、ウチの亭主はそうはならないよ。」と
思うこともあった。
第一、煙草を吸うなんて、全面的には 尊敬はできない。

それでも 大本のところで、師の論理は納得がいくので、
やはり これからも きちんとした 食生活をしていかねば、
と決意を新たにした。
そして、大事なのは、続けることだ、と言うことも
心に深く刻んだ。



面白いと思ったのは、
人間、よくない事を、
なにかしら 最低一つは せずにはおれないらしい、
という説。
煙草を吸う。
酒を飲む。
そのどちらもやらない人は、まんじゅう。
甘いものを止められると、賭け事か、オンナ遊びだそうだ。

私は 玄米食を始めてから、
あんこの入ったおまんじゅうが 美味しくて、
毎日食べるようになった。
生クリームや バター、その他の食用油の使用を
抑えるようにもなったので
カロリー的には むしろだいぶ 少なくなっていると思うが、
それほど好きではなかった、おまんじゅう。
師の話に、思わず納得してしまう。

あんまり科学的には思えない話だが、
世界各地のフィールドワークの結果であり、
世界中どこへいっても これは真実だ、と語っていた。
酒の飲めないウチの亭主、
煙草をやめたら、どちらへゆくのか。

玄米食

2004-10-27 | 食生活
横森理香というエッセイストがいる。
軽く読める文章を書く人で、嫌いじゃなかった。
その人の本に、玄米食で痩せた、とあった。
しかも、健康的に痩せたらしい。
そして食べ過ぎたり ジャンク・フードを続けて摂っても、
玄米食に戻すと すぐにベスト体重に戻ると言う。
詳しくは、『地味めしダイエット』(光文社・知恵の森文庫、2001年6月15日、590円)
に書いた、というので、買って読んだ。
以前に炊いた玄米ご飯は、はっきり言って、美味しくなかったのに、
「おいしい」と書いてあったので。
2002年、夏。
がんとわかる前だった。

結構うなづける話が多かった。
そこに書いてあった 玄米ご飯の炊き方は。
1、 玄米をタッパーウェアに入れて 軽く洗う。
2、 水をひたひたにして 蓋をし、24時間以上 放置する。
   (暑い時や 冬でもマンション住まいの人は 部屋が暑く
    腐りやすいので、冷蔵庫に入れる。)
3、 こうやって発芽させた玄米を お釜に移し、
   一割ほどの五穀を加え。また軽く洗う。
   2合なら3合分、3合なら4合分のお水を入れて、
   海の塩をひとつまみ入れ、普通に炊く。
   蒸らし時間は多めに。



私は雑穀を混ぜるなんて忘れていたし、
塩ひとつまみなんてのも 思い出しても入れないのだが、
こうして 24時間水に浸す、ということを忘れなければ、
美味しい発芽玄米ご飯が炊ける。

プチプチした食感がある。
甘みがある。
私はご飯の炊ける匂いが苦手で、
妊娠中などは 逃げていたほど。
でも 発芽玄米ご飯を炊くときは、あま~い、いい匂いがする。

プチプチするのは、
薄い茶色の外側の部分から 噛むと白い部分が出てくるから。
玄米を水につけておいてから炊くと、
炊き上がりにはもう 外皮が破れている。
自然食品の店で 無農薬の玄米を買うとき、この玄米の様子を、
「セミの幼虫の背中が割れて、
 成虫が羽化して 出てくるみたいよね。」
と言ったら、
「そんなふうに言った人は、初めてです。
 ああ、なるほどね、
 そうですね。」
と、あきれた表情をされてしまった。



この発芽玄米ご飯、亭主と娘には 評判がひどく悪い。
亭主は ご飯はまっ白じゃないと めしとして認めない主義。
娘も ご飯好きだが、やはり 白くないと嫌がる。
私と息子は たま~に 小さくなって
おいしい発芽玄米ご飯を 食べる程度だった。

退院して、自分で炊事が出来るようになって、
堂々と 玄米食を始めた。
息子と二人で。
朝 発芽玄米を炊き、夜は 白いご飯。
亭主の体調不良のあとに 朝 雑穀ご飯を食べていた習慣は、
いつのまにか 跡形もなく 消えており、
朝は亭主は ご飯を食べなかったので。



体重が大きく変わる事はなかったが、
体がしっかりしてきて、
便秘はかなり良くなった。
実家の姉に話すと、姉も便秘で悩んでおり、
成人した姪も ひどい便秘症が まだ治っていないという。
興味を示した姉がさっそく試してみると、
「てきめん」だったと言う。
加えて姪も 発芽玄米食愛好家になった。

姉は 鬱のあと、料理は出来るようになったが、
後片付けと 明日のお米を研いで 炊飯器にセットするのは 
今は義兄の役目だそうだ。
発芽玄米ご飯は 白いご飯よりおいしいと、
義兄も認めてくれたらしい。
同時に、お米を研ぐ手間が ほとんどないので、
その点でも 義兄に喜ばれたらしい。

よく「発芽玄米」として 真空パックになった玄米が
スーパーで売られているが、
金額を考えると、毎日食べるのは もったいない気がする。
お米屋さんで 玄米を買えば 
搗く手間がなくていいし、
搗かないのだから、酸化しない。
何より、美味しい。
いい事ずくめだ。
亭主と娘が嫌っている事を除けば。



この頃やっと よくかんで食べられるようになってきた。
発芽させた玄米だと、
普通に噛んで飲み込んでしまえるのだ。
子供を育て始めた頃は、もう少しゆっくり食べていたと思うが、
いつのまにか 早食いの癖が付いてしまって、直らない。
そんなお母さんは 世の中、多いと思う。

学校給食のおかげもあって、
お母さんに限らず、早食いの人は多い。
ゆっくり噛めば、唾液の作用で
肥満予防にも 癌の予防にもなるし、
脳を刺激して 頭は良くなる、ボケは防げる、
いいことだらけなのに。

とは言っても、
箸を下に置き、
背筋をしゃんと伸ばして
最低50回は もぐもぐ、
なんてゆう 禁欲的な食事は したいと思わない。
長渕剛主演のドラマで、長渕が妹に炊かせた玄米を
妹の恋人と一緒に 禁欲的に食べていた場面を 思い出す。

しゃべったり、相槌を打ったり、笑ったり、
我が家のお母さんは 食事しながらも 忙しい。

更年期とピンク色

2004-10-25 | 更年期
退院してきて しばらくすると 私は ピンク色が好きになった。
いや、もともと好きだったのだけれど。
女の赤ちゃんが身につけるような、薄い、ベビー・ピンク。

ピンク系の口紅が多かった、若い頃から。
それが 30代半ばを過ぎてから、
どうも 口紅のピンク色が 不自然に浮いて、気になるようになった。
だんだん くすんだピンクじゃないと 顔色に合わなくなった。
そうか、これが 姉の言っていた「くすみ」というやつか、
とわかったのは、40代になってから。
くすんだピンクのほかに、くすんだオレンジ系の色も 使うようになった。

口紅と同時に、衣服の色も、顔に合わなくなったりしている気がした。
どうしていいか わからないで 数年が過ぎていた。

それが、とにかく、ピンク色のものに目がいく。
そして、身につけたいと思う。
今までの事を考えると、それは 奇妙なくらいだった。



自分なりに考えてみると、
主治医に渡したメモの中の 1項目、
「月経がなくなったことによる、女でなくなったような 悲しみ」
に起因しているかな、と思えた。
ピンクと言う色は このごろは 似合う男の子もいるようだけど、
私の年代では、決して男の子には 着せない色。
ピンクを身につけるということは 私はまだ女よ、
と必死でアピールしたがっていた 私の心境だったかもしれない。

寒い冬には 花咲く春を待つ気分。
暖かな春には よりいっそうの 華やぎを。
そんな気持ちが ピンク色を求めさせていたかもしれない。



部屋の色は、暖色系と寒色系とでは 
体感温度が 3度以上違ってくると言う話。
壁を ピンクに塗り替えることで、
体罰や鎮静剤でしか 沈める事が出来なかった凶暴な囚人達の、
暴力的・攻撃的な行動を 激減させることができたという、
1970~80年代の アメリカの 刑務所の話。
また、最近増えている、病院の ピンク色の制服。

これらは アドレナリンの分泌をスローダウンして
心や 筋肉の働きを リラックスさせる ピンクの効果の証明、
と書かれた切抜きを 大事に持っている。
(オリーブ倶楽部 2003年3月号、21ページ)

「ピンクの服を着て、
 部屋にピンクのものを たくさん置いていた人は、
 肉体的・精神的に10歳若返った」
と言うデータもある、とまで書いてある。

ピンクは 女性ホルモンの分泌を促し、
若さと健康を保つ色とも言われているとか。
やっぱりね。
ピンクの服や インテリアが苦手な人は、
「ピンクの呼吸法」を試してみよう。



   《ピンクの呼吸法》

① 目を閉じて ピンク色のものを 思い浮かべる。

② ピンク色の 空気を吸い込むイメージで
  鼻から息を吸い、
  いったん息を止めて 
  なりたい自分の状況を思い描きながら  
  ゆっくり 息を吐き出す。

③ この深呼吸を 4~5回 繰り返す。

* 毎日同じ時間に行うのが 効果的。



今夜からでも、寝る前に ベッドの中で 
この呼吸をやってみようかと考えたが、
バタン・キュウの 今の私には、
無理かもしれない。

がん関係の書籍を買う

2004-10-24 | 乳がん
朝 新聞を広げる。
毎日 「がん」の二文字が 紙面に載らない事はない。
特集番組や 雑誌広告の特集記事、
アガリクスの広告、フコイダンの広告・・・。
不安を抱える身としては、いろんな情報を仕入れておきたい。
仕入れてどうするか。
どうもしないけど、いろいろ知ってた方が、
より安心するのだから、ほっといて。

がん専門の情報誌が いろいろ出てきた。
一般誌では すでに知っている事が羅列されているのみで、
食い足りない事が多い。
健康雑誌ががんを特集すると、結構読み応えがあったりもする。
そんな雑誌や本を、どこで買うか。

『乳がん全書』は がんセンター近くの 駅前の書店で買った、
『がん治療最前線』(八峰出版)の、確か創刊号は、別の駅の駅ビル内の書店で買った。
なるべく 地元では買わないようにしている。

行き付けの地元の書店は、10キロ近く離れているとは言え、
近所の人が その場にいるやも知れず、
モロ“がん”と言う本や雑誌を買うところを見られたくない。

その日は そんな緊張が緩んだのか、
次に外界に出かけるまで 待てないような気がしたのか、
カウンターに2冊 本を持っていった。
がんの本と、更年期の本。
いつものように さっとバーコードを読み取って、金額を言い、
「カバーをお付けしますか?」
と聞いてくると思った。

ところが アルバイトの店員が、
本を2冊、両手にもったまま 固まってしまった。
じっと本を見ているその間が、私には長~く思えた。
彼女は いったい 何を思ったのだろうか。
店の正社員なら 普段 ありえないことだった。
もし彼女の身内に がんの人がいて、がんの本を前にして
思わず固まってしまった、というのなら、
お気の毒、というほかはない。

近所の人には 会わなかったと思うが、
それ以来きっぱりと がんの本は
よそで買う。



恵比寿の整体師のところへ行けば、
アトレという駅ビルに 有隣堂書店がある。
亭主は 専門書の棚を見て、
「イマイチだ、足らない。」
と言っていたが、私の趣味に合う本は 充分すぎるほど。

こんどは 武蔵小杉に行くようになったので、
これも駅の中にある、SAGA書店。
ここは小さい割には 頑張っている。
マンガ『ダーリンは外国人』(小栗左多里著、メディァファクトリー、
第一巻:2002年12月28日、880円、第二巻:2004年3月30日、950円)
も ここで買った。

平日の午後、武蔵小杉のSAGA書店で 
マンガと 文庫本、料理、健康、インテリア、ガーデニングの棚を
ぐるっと見て歩くオバサンから
ほのかに モグサの匂いが たゆたっていたら、
それは 99%、ワタシ。

武蔵小杉の鍼灸師

2004-10-20 | 更年期
実は 初めてメルスモンを注射する前に、
鍼灸師のお世話になっている。
これが、2003年5月15日。

私の友達は 小さい頃から母親に連れられて、
いろいろな治療を受けてきている。
学生時代から お世話になっていた 整体師が急逝して 困っていて、
私が 恵比寿の整体師を 紹介したのだが、
その前に 武蔵小杉の鍼灸師のところへ 通い始めていた。
その彼女が、すご~く気持ちがいい、と 太鼓判を押していた。

武蔵小杉と言うのは 神奈川県にあって、
私のところからは 東京のさらにその向こう。
すごく気持ちがいいと聞いて、
いいなー、行きたいなーと思ってはいたが、
そんな遠くは、と諦めていた。
でもでも、よく聞いてみると、
恵比寿からは 遠くないのだ、恵比寿まで行ってしまえば!
そのうえ、初回は お試し価格、1000円だという。
乗った!

お試しとは言っても、普通にフルで 治療していただける。
私はそれでも こちらも長くお世話になる決意で、
今までの病歴(?)を レポート用紙に書き綴って持っていった。
いや~、あるは、あるは。一枚では書ききれなかった。
かなり 私は 生きにくい人間だったようだ。

その日 恵比寿で待ち合わせて、友達とふたり、
武蔵小杉で ランチをして、治療院に向かった。
駅から程近いビルの3階に その治療院はあり、
おひげの若いオジサンが ハリを打ってくれる。
友達によると、普段は ひとりずつ 治療院に入れてくれているそうで、
ベッド(というのかな、カーテンで仕切られた、あの 長いすみたいの)
はふたつあっても、
ふたりいっしょに 入る事は あまりないという。
完全予約制、当日でも 空いていればOK、
当日のキャンセルもOK、と聞いた。

脈診がとれるの、と よくわからないことを 友達は言う。
確かに、脈を何度も診る。
まず仰向けになって 何箇所かに ハリを打ち、
おへその辺りに 竹の筒みたいのに入った塩に モグサを載せて、
お灸をして、少し休む。
友達は これがとても気持ちがイイのだそうで、
カーテンの向こうで 寝息を立てていた。

これが終ると 症状にあわせて またあちこちにハリを打ち、
その後 お灸をすえる。
これは ボール紙でできた直径一センチの、モグサのはいった短いつつを
からだのあちこちに 貼り付けて 火をつけるもので、
場所によって 暖かかったり、全然感じなかったり、
あるいは 熱くなったりする。
熱くなってくると 取ってもらうので、
脂汗が流れるようなことは ない。

うつ伏せになって、もう一度、ハリとお灸とをする。
ムチ打ち症の 名残のある 私の首や肩に 効きそうだ。
終ると、 体のあちこちを 少し動かして整え、
最後に 気功を少し。
ハリと灸と 気功と、
それから チベット仏教に興味がある治療師だなんて、
彼女の紹介でなかったら 胡散臭い気がするが、
友達を信じていたので、何とも思わなかった。

千円払って、来週の予約をして、
(次回からは 四千円になる)
お互い 帰って 家事をしなくてはならないから、
友達とは 武蔵小杉で さっさと別れた。

電車に乗っての帰り道、
私は 視野が やけにすっきりしているのに 気づいた。
いつも 目やにが付いているような気がして、
このごろ 目をゴシゴシこすることが 多かったのだが、
まるで メガネの曇りが取れたようだった。
眼圧が高いというのと、何か関係があるのだろうか。

こういう 良い変化は 治療の効果の表れだと思う。
変化が表れたのは、友達は ずっと通った後だったという。
「良かったじゃな~い!」
電話の向こうで、紹介者の声も弾んでいた。



恵比寿の整体師は、はじめに「どうでした?」と聞いてくれるので、
「あそこがああで、ここがこうで、・・・。」
といろいろ 言うのだが、
治療の内容は ほとんど変わらず、しかも治療時間が 10~15分程度。
先生、もっとー!と思うことも多いのだが、
そういう治療なのだ。

こちらの鍼灸師は、ここがこうで・・・というこちらの言葉に、
いちいち 対応してくださり、
時間もかかる。
なんでも、私は 友達よりも 大変なくらいだったらしい。
初めの頃は 2時間ちょっとかかっていた。
今は 2時間弱、首・肩は かなりよくなった。
手指が痛い頃は そこにハリを打つのも痛かった。
今は 曲がりが悪いくらいなので、止めてもらった。
足指の付け根は 痛いけれど、頑張っている。

亭主は、
「お前、ハリなんて、よくそんなこと 
 する気になれるなあ。」
と言っていたが、
私は 高校生の時に やっていたことが あったから。

その時のハリとの違いの一つは、
圧痛点を聞いてくること。
膝が冷えます、足首が痛いです、と言っても、
指で押しながら、「ここ? ここ? ここ?」と聞いてくる。
私は、「どっか、その辺!」と答える事も多かった。
自分の体の具合の悪い所を「点」で 認識していなかったことに
気づかせてもらった。
自分の体は、自分がいたわってあげなくては。
お灸が効いて 足元が暖かい時は、
すごく、すごく、気持ちがイイのだ。



この時は知らなかったが、よく参考にさせていただいている
HP「乳腺の和」を運営してらっしゃる医師の勤務する病院が、
同じ駅、同じ出口にあって、武蔵小杉に親近感を持った。
サラリーマンが最も住みたい町、と評されている、
川崎フロンターレのホームタウンで、
等々力競技場行きのバスが 駅前から出ていた。
フロンターレは J1昇格を決めていて、
来期からは アントラーズとも対戦することになる。
こらからも 可能な限り、週に一度 通っていくと思う。

メルスモン注射(2)

2004-10-19 | 更年期
さて、プラセンタ・エキスの注射薬、商品名メルスモン。
これの注射を始めて、私がどうなったか。

ホット・フラッシュ。
これは、なくならない。
なくならないけど、顔が熱くならない。
あの、お湯を沸かした大鍋の、フタをとって 湯気の中につっこんだ、の
顔の熱さが、なくなった。
じゃあ、ホットフラッシュはどうなるか。
ただ、突然暑くなる。
そして、汗が どっと噴き出す。
だけど、顔が熱くならないだけで、どんなに楽になったか!
物を考える事ができるもの!
それに、暑さも いくらかは緩和された。

おりものかぶれ。
なくなった!
これは、うそのように 消えてしまった。
しばらく 注射を続けた後で、ちょっと止めてみようかな、と
実験をする気分で 
(もともと 自分の体を使った 人体実験のような気分では あった)、
止めてみたとき、
ピリピリとした痛みが 再発したので、止めるのはよした。
おりものが 硫酸に近くなったんじゃないか。
黄色っぽかったし。

耳鳴り。
まだあるけど、気にならない程度になった。
生活に支障はない。

不眠。
すぐに、ではなかったけれど、
ホット・フラッシュが 下火になって、
夜 目が覚めても そのまま また寝つけるようになった。
朝まで うつうつ 暗い事ばかり考えて、なんて、もうない。
鬱は 注射を初めてした頃は 消えていたし。
今では、早起きしてるし、夜になったらもう、起きていられない。

午後の頭痛。
不眠が解消したら、どこかへすっとんでった。

手指の関節痛。
これは、しつこい。
でも、今は痛くない。
すぐにではなかった、長くかかって、やっと。
リウマチ因子は まだ2+。
そうそうリウマチが 簡単に治るわけないか。
それでも、台所や お風呂で 平気でタオルを絞れるようになったので、これは助かった。
朝起きた時ひどくても、
すぐに動くようになってしまえば、
さほど不便ではない。
冷やしさえしなければ。
この夏、冷蔵庫から出したタッパーの糠どこを、
えいやっとかき混ぜたら、その日一日 シクシクしていた。
お風呂に入ったら、消えた。
 
足の関節痛。
これが、一番しつこい。
そして、ひと足ごとに痛むと、
くら~い気分になるのも、今も同じ。
だけど 随分痛みは和らいだ。
足先の変形が進みそうで心配だったけど、
今は変形も平気そうだし、
痛みを感じていない時間が増えた。
こんなに痛みが楽になるとは 思っていなかった。

冷え性。
残念ながら、改善されているとは 言いがたい。

シミ、シワ、美白
残念ながら、いまだ、改善されず。



これだけ 良くなったんだから、シミが消えなくても、
文句はない。
しかも、たった500円だし。
問題は、注射が痛い事。

初めのうちは、週に2~3回、2ヶ月間と 心の中で決めていた。
とこが、注射は痛いものだし、
注射したところが しこって痛むのだ。
実は、注射を始めて間もなく、
ホームドクターのところの看護婦の一人が、
私への注射の準備をしながら、
「わたしも このごろ やっているのよ。
 しこって、痛いねえ。」
と話してくれた。
私よりずっと若い看護婦と思うけど、
この話は 心強かったし、嬉しかった。

しかし 私と彼女は、注射できる腕が 一本か、二本かの
違いがある。
一応 術側の腕は 血圧を測ったり 採血・注射をしたり
しないようにしていた。
看護婦も 再々 こちらの腕でいいの?と確かめてきたが、
術側の腕に注射する勇気は、さすがにない。

それから、寝るとき。
術側を下にしては、眠れない。
しばらく横になるくらいなら できるけれど、
うっすら痛むし、
ずっと下にしていちゃ いけないかな、と思うし、
ドキドキしちゃって 安らげない。
健側を下にすると、注射したところが 痛むので、
こちらも 安らげなくなってしまった。

本の中では、副作用として、
1、注射部位の発赤、疼痛(調査症例中 5%程度、1~2日で回復)
2、注射部位の上肢のだるさ(同 0.1~5%、半日くらいで回復)
3、吐き気、全身倦怠感(ごくまれ     半日くらいで回復)
の三つが挙げられている。
また、注射当日の 入浴、運動、飲酒などは、
過度でなければ 普段どおりでかまわない、とされている。



痛いの、やだな~、の気持ちから、
だんだん足が遠のいて、週に2回になり、1回になり、
現在、週1でずっと安定している。

忙しかったりして 注射に行くのが遅くなると、
つまり 一週間以上 間をあけると、
まっさきに ホット・フラッシュが 顔に来るので、
ヤバイ! と、暇を見て ホームドクターの所へ 
駆けつける。

今年の人間ドックでは、
総コレステロールが 226と やや改善、
中性脂肪は 124と 正常範囲に入った。
これは ダイエットの効果もあるはずで、
プラセンタ・エキスの働きばかりとは言い切れない。

それから、リウマチの痛みをも 改善させるという、
「笑い」の効用、これは 免疫力に関係しており、
癌にも よいはずなので、バカにはできない。
そして さまざまなストレス、
これは リウマチにも 癌にも、そして更年期にも
悪影響を及ぼしそうだ。
ちゃらんぽらんに、いい加減に、
且つ ていねいに 生きてゆきたいものだと
願っている。

メルスモン注射(1)

2004-10-18 | 更年期
『女性の不調を解消するプラセンタ・パワー』を見てみる。
「プラセンタとは、胎盤の事です。」とある。

胎盤には、内分泌調整作用、自律神経調節作用、免疫調節作用などの、自然治癒力を高める作用のあることが わかっておるんだそうだ。
また、活性酸素除去作用もあり、そのほか、基礎代謝向上作用、強肝・解毒作用、抗炎症作用、創傷快復促進作用、肉芽形成促進作用、血行促進作用、造血作用、抗アレルギー作用、抗突然変異作用、体質改善作用などの働きを 併せ持つという。さらに、肝細胞増殖因子をはじめ、各種の成長因子が存在するのだそうだ。

プラセンタエキスというのは、出産後に 排泄された胎盤を
科学的に処理して、安全かつ効果的に 私たちの健康や美容に生かそうと工夫したものであると。
プラセンタエキスは 天然素材だけに、副作用がほとんど心配ない、と著者は言っている。

現在 厚生労働省で 認可されているのは、
更年期障害と乳汁分泌不全に適応の注射薬 “メルスモン”と、
肝障害に適応の注射薬 “ラエンネック”の 2種類。

他に 内服薬、健康食品、化粧品の形で 利用されている。
内服剤として “ビタエックス”などがある。
化粧品や 健康食品の原料は、ブタの胎盤が使用されている。

注射薬は、日本の病院で 正常分娩でうまれた人間の胎盤を原材料にしている。
胎盤中の血液やホルモンは 製造過程で 100%除去されるので、
感染などの 安全性の心配はない。
妊娠中の血液検査で 梅毒、エイズ、B型・C型肝炎などの 感染の危険のない胎盤を 選別している。

きもちわる~い、なんてことは 言ってはいられなかったのだ、私は。
だけど、初めて注射するとき、
佐藤先生が 「こんなです。」とおっしゃって、
透明ではなく、うっすら濁った アンプルを見せてくださったとき、
正直、「う。」となってしまった。
けれど そこは 鯵のヒラキナオリ、
やると決めたら、しばらくは 続けるつもり、
決心して お願いしたのだ。

著者によると、メルスモンは 厚生省(現在の厚労省)の認可を受けて45年
(じゃあ、今では47年)の歴史を持つという。
著者のクリニックでは、症状によって 漢方と併用して、
非常に良い成果を上げているという。
プラセンタは もともと漢方に「紫河車」としてあったものの応用だそうだ。

製薬メーカーの臨床データでは、
頭重、頭痛、入眠障害、浅眠、早朝覚醒、易疲労、倦怠感、不安、イライラ感、うつ気分、
のぼせ・熱感、めまい・ふらつき、発汗、ドキドキ・息切れ、冷え性、食思不振、嘔気、腹部膨満感(緊満感)、下痢、便秘、首の凝り、肩の凝り、関節痛、腰痛、頻尿、眼精疲労、
に効果があった、らしい。

また、骨粗しょう症、動脈硬化、萎縮性膣炎、子宮体がん、貧血、胃潰瘍、月経前緊張症、生理痛、子宮筋腫、子宮内膜症、乳腺症、高プロラクチン血症などにも 効果がある、とのこと。

そのほか、慢性関節リウマチ、変形性関節症、神経痛、アトピー性皮膚炎、気管支喘息、花粉症、肝炎、肝硬変にさえ 威力を発揮する、らしい。

それからなんと、シミが消える、色白になる、シワが消える、たるみを改善、ニキビやニキビ痕もキレイに、発毛促進などなど、とんでもないような効果が期待でき、そう?

美肌効果は どうかわからないが、
もしリウマチが 少しでも良くなったら、もうけもの。
まるまる一冊が広告の本なのだからと、眉につばをつけつつ、
話は半分にして聞きつつ、
それでも もしかしたら、リウマチも、と期待しつつ、
注射をして帰る。
500円。

このメルスモン製薬と言う会社が、最近、厚労省から 商品の回収を命ぜられた。
この小さな新聞記事を読んだのがが、悩んでいる頃の私だったら、
あきらめて 漢方薬にトライしたかもしれない。
が、とにかく、こうして プラセンタの注射をはじめた。

ホルモン療法の副作用

2004-10-18 | 更年期
ホルモン療法では、更年期障害がある場合、その症状がいっそう強くなる事があるという。
更年期障害。自律神経失調症に似た、不定愁訴症候群。

抗エストロゲン剤の副作用と LH-RHアナログの副作用とで 少し違いがあるようだが、
更年期症状は全て、副作用として現れる可能性があるのだろう。

気が重くなりそうだけれど、書き出してみる。

吐き気、おりもの、ほてり・のぼせ(ホット・フラッシュ)、
静脈血栓症、虚血性脳血管障害、
性器出血、歯茎の出血、鼻出血、貧血、青あざ、
視力低下、かすみ目、眼精疲労、
子宮体がんの発症(危険度が2~5倍)。
発熱、熱感、めまい、ふらつき、肩こり、
喉の痛み、頭痛、頭痛感、腹痛、腰痛、関節痛、骨疼痛、
足が晴れて痛む、歩くと痛みが増す、
尿酸値の上昇、頻尿、
精神的に落ち込む、鬱症状、
不眠(入眠障害、浅眠、早朝覚醒)、疲労感、
イライラ感、耳鳴り、冷え、
皮膚のかゆみ、蕁麻疹、口内炎、発汗、寝汗、
萎縮性膣炎、手足の痺れ、
動悸、息切れ、空咳、
食欲不振、腹部膨満感、
体のむくみ、体重増加、
下痢、便秘、物忘れ

血管のしなやかさが失われるので、
心疾患に注意。
肝機能に障害が出た時は、
ホルモン療法を中止する。
若年で エストロゲンが不足すると、
アルツハイマーに なりやすくなる、とも言う。

ああ。。。
きっと他にもあるに違いない。

月に一度の注射と 毎日飲む錠剤とで 作り出した
内分泌の失調状態に、
ストレスの負荷が加わって、
精神的・身体的に 機能失調を きたした状態に、
私はいるわけだ。

いろんな本や雑誌を見ていて、
更年期症状の中に、
高血圧と 低血圧の 両方があるのを見て、
私は呆れてしまった。
もう、何があっても、おかしくない。
もう、ほとんど、私に出ているみたいに思えてくる。

ただ、めまいがないのは ありがたかった。
姉は ぐるぐる 部屋中が回るようで、
気持ちが悪くなり、吐き気がしていた事があるらしい。
姉もひとつ 病気を持っているので、
「今度はいったい 何の病気か」と、悲観的になったらしいが、
検査しても異常なし、更年期とわかった。

母は以前 長い更年期があり、
多分、30歳台から 色々あったと思う。
胃下垂で 痛みがひどく、苦しんでいたことや
経済的になかなか 楽にならなかったことや
父の立場が 安定しなかったことなど
心配事も多く、
更年期症状の、デパートか総合商社。

そのうち 父が倒れ、
父の介護と 先々の金銭の不安、自分の老後の不安など、
母にとっては 幸せの種が
見つからなかったのだろう。
欝っぽい日々も長かった。

私と姉は 母からいっぱい 更年期症状を受け継いだ。



これら更年期症状に 思い切って立ち向かう決心をさせたのは、
なんと、ホット・フラッシュでも 関節痛でも 鬱でもなく、
「おりもの」だった。

ひりひりして痛い。
どうしようもなく痛い。
ウォシュレットで 「ひ~~!」と
声にならない悲鳴を上げながら洗うと
しばらくはいいのだが、
洗う時間の間隔を うっかり長めにあけてしまうと、
また「ひ~~!」だった。

自宅にいる場合は まだ良いが、
がんセンターや 恵比寿の整体師のところへ 出かける時など、
非常に辛くて耐え難く、
泣きそうになりながら 何とかしようと決心。

フラワーエッセンスは ロマンチックだけれど
そこらじゅうに お店あるわけではなく、
効くか効かぬか 信用できない気がした。
ここは プラセンタというヤツを 試してみるしかない、
佐藤先生、お願い!

佐藤先生は、自ら プラセンタについて調べてくださり、
快諾をいただいた。
プリント・アウトしたものを 私に見せてくださったりもした。
(我が家のパソコンは そのころ 具合が悪く、機能していなかった。)
副作用がないというのならいいでしょう、と
がんセンターの主治医の了解を得て、
初めてメルスモンを注射したのは、
2003年 5月 24日のことだった。

乳がん患者とセックス

2004-10-16 | 乳がん
こんなタイトルで 何か文章を書く事になるとは 思っていなかった。
けれど 増える一方の乳がん患者のひとりとして、
これは 書かずには いられない、と 思うようになった。

私と亭主との間の ベッドルームの中でのことが 
他の人の 何か参考になるという 確信があるわけではないが、
参考にならないと言う確信が あるわけではないので、
思い切って 今日書いてみる事にする。

私の場合は 温存手術であったので、
胸筋温存乳房切除術、あるいは 胸筋合併乳房切除術であった人とは
かなり違いがあるのかもしれないが、
私には私自身の事しかわからないので、
私の場合を なるべく素直に 書いてみる。



退院して しばらくの間、
私は セックスに関して 最も穏やかな日々を過ごした。
年末ということもあり、亭主は 毎日 疲れてへとへとだったし、
ちょっかいを出すそぶりもなかったから。

私の中には 寂しさがいつも強くあったから、
初めは 疲れた亭主に遠慮していたが、
徐々に ワガママぶりを発揮して、
無理矢理 亭主のてのひらを ひっぱってきて、
冷えて痛む ひじや手首を暖めてもらいながら 眠った。
亭主はいつも バタン、キュ~で眠っていた。

そのうちずうずうしさを発揮して、
亭主の布団に入っていって、
からだ丸ごと 暖めてもらうようになった。
先に風呂から出て 布団に入っていた亭主は あったかくて、
甘えたくて、ひっついていった。
亭主は 何も言わないで 私の体を 引き寄せてくれていた。
こういう関係が、前から好きだった。
それ以上何もしないのが よかった。
いつもだったら、 亭主のベッドに 私から入っていったら、
亭主は 何か勘違いをして、
心静かに 安らいでは いられなくなるのだ。

私は 心の中に 悲しみが 固まりになって 
冷え冷えと そこにあるので、
悲しい、悲しいと 胸の中でつぶやきながら
亭主の腕や肩や胸に すがっていた。
泣きたい気持ちもあったけれど、
さめざめと泣いたら きっと 慰めてもらえたろうけれど、
涙が出なかったので、
そうやって 体と心の両方を あっためてもらっていた。

じっとしていて、気が済むと、
あるいは 同じ姿勢に疲れると、
または 眠くなると、
自分のベッドへ行って眠る。
ほとんどは、ホットフラッシュがきて、
暑い、暑いと 逃げ出すのだ。
亭主は ホッとしていたかもしれないが、
ちょいと残念そうにしてくれていた。

もっと ずうずうしくなると、
私は 直接亭主のベッドに行くようになる。
相変わらず眠い亭主が ベッドで 本を読んでいる所へ、
風呂上りの ほてりの取れた私が まっすぐ向かい、
上に乗っかって 読書の邪魔をするのだ。

「本読んでていいよ。」
といつも言うのに、亭主は 本を閉じて、
掛け布団ごしに 私を抱きしめてくれた。
嬉しかった。
背中を撫でてくれた。
気持ちの良いものだ。
そのうち その姿勢に疲れるか、眠くなるか、
寒くなるか、または 暑くなるかして、
私が 自分のベッドに入ると、
また 本の続きを読み出すのだ。
この儀式は 結構長く続いた。
亭主は 布団の上でなく、中に入るように
いつも 言ってくれていた。



そうして 布団の中に入っていったのが いつだったのか、
それはまったく覚えていない。
日記にも書いていない。
その晩、亭主は とても優しくしてくれた。
優しくすると 決めてあったようだった。
亭主は とにかく気を遣う。
使わなくて良い所まで気を遣う。
そして 優しく気を遣ってくれているとき、
私は 気を遣わせてあげているのだ。

実に久しぶりの セックスの後、
亭主は お前は何も変わっていない、
前と同じだ、と 言葉に出して伝えてくれた。
そう言って慰めたいと 前々から思っていたのではないだろうか。
それでも その時の私は 
冷え冷えとしたものが 胸にあったので、
半分しらけて聞いていたのだが、
気を遣うタイプの男でよかったかな、という安心感を覚えた。
そして、それを 言葉にして伝えてくれた事が、
何より嬉しかった。 

そうしていても 私の心の中には、
悲しみの塊、淋しさの塊があって、
寒かった。
その塊が
亭主の優しさで きっと 少しずつ あったまっていったのだ。




私は おっぱいを 「寄せて、上げて」していてもらうのが
好きだった。
術側の胸は それができない。
硬く、変形して 胸にへばりついているから。
亭主の手は しばしば 術側の胸にも行ったけれど、
決して気持ちよくないし、感じないし、
触れられると その不完全な胸の存在が はっきりするので、
悲しみの塊が 大きくなる。
冷たさが増す。
術側の胸のほうに 亭主の手が行くと、
私はいつも 払いのけた。
それでも はっきり 「いや」というまで、
亭主の手は 懲りずに伸びてきていた。

徐々にセックスが いつもの頻度になると、
新たな悩みが 出てきた。
痛むのだ。
ひりひりして、翌日いっぱい不快なのだ。
それほど頻繁ではないとは言え、我慢できない。
私は亭主に ゼリーというやつを 使って欲しいと言った。

次の機会に亭主はちゃんと ゼリーを用意していて、
初めて使った。
使う事は 苦ではなかった。
ただ、ゼリーは 思いっきり冷たかった。
よし、今夜は、ということであれば 
暖めておくのだろうけれど、
私たちは そういうふうには していなかったので、
いつも 思い切り ひゃっこいゼリーを 使う事になった。



もう若くはないし、
これからは ずっと ゼリーを使うのだろうな、
と思っていたが、
術側の胸が ようやく 柔らかさを 取り戻したあと、
ゼリーなしでも 大丈夫になった。
女性ホルモンの分泌を止めていても、
どうやら ゼリーなしのセックスは 可能なようだ。
ただし、それまでに 一年半くらい かかった。

胸が柔らかくなって、感覚もだいぶ戻り、
触られても 不快でなくなり、
そうやって 段々に 
術側の胸も 可愛がってもらえるようになった。
一年では 感覚は 戻らなかった。

術後間もない読者が いるとしたら、
もっと 書き連ねたいところだけれど、
もう 思いつかない。

乳房や 子宮などの病気で 摘出手術をした後は、
気を遣ってくれる亭主の方が いいのかも知れず、
気を使われると かえって傷ついてしまう女性のほうが
多いかも知れず(私もすこしは)、
人により、相手によるのだろうが、
しばし わがままを許してもらえたほうがいいと思うのは、
私だけだろうか。

女性特有の病気や 癌にかかわらず、
すぐに完治しない病気に家族がなった場合、
家族の絆が 試されるとか、
絆がいっそう深まったとか 聞く事もあるけれど、
私たち夫婦は 実は あまり 変わっていないと思う。
(ほら、もともと ラブラブだったし。)
強いて言うなら、私がいない間に 苦労をした
娘と亭主の絆は 何らかの変化があったのではないか。
息子は 少々大人になりそびれたようだ。

ただ、困難に直面した時に、
どういう態度をとるのか、
どう対処するか、
たとえば いざという時 逃げ出すか 立ち向かうか、
が はっきりすると思う。
我が家の場合は、亭主と娘は 立ち向かう派、
私と息子は なんとなくやり過ごす派、のようだ。

頑張ってくれた 亭主と子供達に、
ここでもう一度 言っておきたい。
ありがとう。






2015.09.06 
この「乳がん患者とセックス」が、どういうわけか、いつも
アクセスページのトップにある。
嬉しいような、恥かしいような。
そして 残念なような。。。

参考にしたいという方は、どうぞコメント欄も 
気楽にというより、気長に(苦笑)、どうぞ。



また、「ついでに」という思いのある方は、
このブログの中で「セックス」という言葉を検索ワードに入れて
検索してみてほしい。

「もう一度セックスについて」とか、「オリモノ」についてとか、
医学書には書いてなさそうな事を書き連ねておいたから。

「セックス」と書くのが、一番恥ずかしくなかったんだよね。

今でも 少しは恥ずかしいよ、まだ。

(どんどん面の皮は厚くなってるけどね。)

乳がん患者とセックスについて 一度書いちゃったものだから、
責任なんかも感じてたりして、
一応、マジメに、できるだけ正直に書いてきたつもり。

これから書く事なんて、もうそんなにないと思うけどね(笑)。



否定しないで

2004-10-15 | 考えたこと
美容師・アッちゃんは こうも言った。
「O型の男性は、褒めじょうずなんですよね。」
「いや、それはない!」
私は断言した。
「少なくとも、ウチの亭主の場合、それは、全くない!」
亭主がもうあとほんの少しでも 褒めじょうずだったら、
私ももう少し仕事に精を出していたはずだ。
おだてられれば、木にも屋根にも登ってあげるだろう。

それどころか、
亭主は 人を非難してばかりだ。
その言葉に傷つけられて、
私は 自分自身を心の奥に押し込めたり、
ひがんだりしながら、
次々と 仕事から 手を引いてきた。

考えてみれば、
亭主がそういった批判的な言葉で 
私たち(私と、子供達)を傷つけたのは、
忙しくて、時間がなくて、疲れていて、
亭主自身が 心理的にも肉体的にも 余裕がない、
シンドイ時だったかもしれない。

子供達が小さい頃は、
亭主もまだ独立前で、
経済的にも大変だったし、
なれない土地だったし、
気候も 茨城や東京とは かなり違ったし、
第一、女房は 寝たり起きたりだったし、
家族をひとりで背負っていた(つもりだった)亭主には、
余裕のかけらもなかったかもしれない。

それにしても ひどい言葉で 私たちを 打ちのめしてきたのだ。
ところが本人は、多分それを覚えていない。
感情的になって怒鳴った事は、
後になると 何を言ったか、忘れてしまっているのだ。
覚えていたとしても、自分の事だけを正当化してしまう。
ひとを褒めるなんて、とんでもない。

亭主は、放っておけば、仕事をしている。
仕事がないときは、探してでも している。
職住一致だし。
探しても仕事が見つからない時は、
創り出してでも 仕事をしてしまうのだ。
その 勤勉さには、頭がさがる。
しかし、ひとを褒める事は、へただ。

亭主は 要領のいいタイプではない。
いや、かなり要領が悪いタイプだ。
それでもいつも ひとの3倍は努力してきた。
だからいつも ひとの2倍は実績を上げてきた。
その精神、その努力は 尊敬している。
けれど、決して 褒めじょうずでは ない。




癌と鬱とを体験して、
私は 批判的な言葉に敏感になり、
しかも 辛くて受け止められなくなった。
退院してきて 亭主に頼んだ言葉、
それは
「子供達を怒鳴るあなたの声が 一番のストレスだから、
 私のいるところで 子供達をしからないで。」
というものだった。

それがますます、敏感になった。
マイナスの評価は、耳にするだけで、辛い。

自分の事は棚に上げ、とは このことだ。
私は 自分がいつも 生意気にひとの批判ばかりしていた事を
忘れている。
一度、「あいろにかる。」と評された事がある。
家に帰って辞書を引いた。
irony;当てこすり、反語、皮肉。

私自身が ひとを批判する時、辛辣だったのだ。
そうして 人を傷つけ、
時には 友達をも 傷つけてきたのだ。
友人達は 私の毒舌に 耐えながら 一緒にいてくれた。
あるいは、耐え切れずに去っていった。
そんな私が 亭主を批判する事は、おかしいかもしれない。

しかし それでも 甘えさせてもらえるならば、
私の前で、否定的な言葉は、使わないで欲しい。
マイナスの評価を表す言葉を 聞かせないで欲しい。
私のしている事、言っている事、見ているもの、聞いているもの、
すべて、否定しないで欲しい。
聞くと、辛くなる。
暗くなる。
いやになる。
逃げ出したくなる。

たとえば、サッカー、アジア・カップ。
あの時の 日本代表の試合は、
見ていて辛くなるものだった。
中国の人たちの、日本人への態度。
審判のジャッジ。
それを観戦している娘の、
中国の人たちへの批判、審判への、文句。
それらすべてが、
私には 辛かったのだ。
(また、娘は、当世の女子高校生の口汚い言葉を 
 いつも使っていたので、なおさら。
 いま、彼女は 社会復帰を目指して?
 言葉遣いを直しているが。)



幸い私は 物事を 明るいほうへ考える事が
もともと得意で、
いまは それほど どよんと 落ち込んだりしない。
だから すべて いいほうへ、いいほうへ 考えよう。

私は、ラッキー・ウーマンなのだ。
たとえ 癌になろうとも。
少しは不満もあるけれど、
亭主との相性は、悪くないのだ。
たとえ 褒めじょうずな亭主ではなくても。

サッカー日本代表も、
たとえどんなアウェーの雰囲気の中でも
冷静に試合をし、
アジアカップを制することができた。
そしてまた ワールド・カップ一次予選、
アウェーで オマーンを下した。
すべては、偶然ではなく、必然だったのだ。
日本が強くなるために、必要な試練だったのだ。
そして 彼らは 試練に打ち勝った。
ワールド・カップへの切符を 手にするために。



しかし、私は、試練なんて 受けたくない。
あの亭主を、どうやってこれから 改造していこうか。

B型女 と O型男

2004-10-13 | なんでもないこと
先日 行きつけの美容院に行ったら、
担当してくれているアッちゃんが、
「ゆうべ、テレビ見ました?
 あの、血液型の。」
と聞いてきた。
「ああ、洗い物をしながら、
 お台所で聞いてたわ。」
と私。
「めずらしく亭主がテレビ見ながら 声出して笑ってるから、
 何って聞いたら、
 私と亭主の血液型が、一番相性がいいんだって。」
「えー、B型女と、O型男、ですか?」

アッちゃん、よく覚えてるなあ、と思ったら、
アッちゃんも B型だったんだ。
昔付き合ってたオトコが A型だったけど合わなくて、
別れる時に、こうこうだったから、腹立って・・・と、
今なら笑える、血液型にまつわる話。
番組で、B型の女性とA型の男性は 最悪の相性と 出たらしい。
でもね、アッちゃん、
A型の男性と 相性バッチリで、
うまくいってるカップルも あるらしいよ。



それでも、こんなオバサンでも 相性がいいと言われるのは
嫌な気分ではない。
テレビでは 時々 血液型によるグループ分けをした 幼稚園児で
実験のようなものをして 撮影し、放送しているが、
確かに 傾向がはっきりしていることがある。
私や娘が 面白がって見ているので、
亭主も 食事やお風呂の前後に チラチラ見ていて、
「ほんとに 血液型って、なんか あるなあ。」
なんて言い始めた。

食事とお風呂の時間を除くと、
夜も事務所で仕事をしている亭主が、
この日はめずらしくソファで テレビを見ていて、
笑っていたのだ。
お風呂上りだったのだろう。
なんだか、亭主も、すこ~し 嬉しそう。

B型とO型、相性は 確かに悪くない気がする。
ただし、ちょっとO型が可愛そう。
B型に振り回されて。
母がそうだった。
父は 典型的B型だった。
やや不幸だったのは、
振り回されている母が、
「きっちりまじめ」が好きで、
父の言動を 面白がってあげられなかった事。
もっとも、そんな余裕のある時代では なかったのは確か。
ひもじい思いも 随分したらしいし。

我が家がうまく回っているのは、
B型の私が我慢していて、周りを振り回していないからだと思う。
ただし、亭主は 
「オレばっかり 我慢して、頑張ってて、もう、大変!」
といつも言っているが。
もう少し振り回されてくれればなあ。



先月、息子の誕生日に ケーキを食べていた時。
甘いもの大好き、ケーキは特に大好きな息子が、
いつになく饒舌で ニコニコしながら、
「なんだかんだ言って、ウチのパパとママって、
 まだまだ ラブラブじゃん。」
と言った。
驚いてしまった。

ひとつには、日ごろ反抗的で ろくに口を聞かない息子が、
しかも、女子高校生みたいな言葉で、
ニコニコこんなことを言う事に。

もうひとつは、
古い日本の習慣にのっとり(?)、
子供の前で 腕を組んだり 手をつないだりさえ していないのに、
彼らの目には そう映るのか? と言うこと。

そう見えるのなら、それは ありがたい事。
ついでに 彼らの素行がもう少し 真面目になってくれたら。

人間ドック・ショック(2)

2004-10-11 | 乳がん
検診センターの医師の説明にも ショックな事があった。

ひとつは、リウマチ因子(RF)が 2プラスだったので、
リウマチ専門医を受診するよう 勧められた事。

ふたつめは、「週に2,3回の ウォーキングなんか、役に立ちませんよ。」
と医師に言われた事。
もっとしっかり 歩かなきゃならないらしい。

そしてもう一つ、胃のレントゲン写真について。
バリウムを飲むのも、
機械に全身ひっついて いろんな角度に 動かされるのも、
生まれて初めてで、
こわごわながら 楽しんではいたのだが。
胃の写真は、非常にきれいで、問題ないが、
「胃下垂ですね。
 私が今まで見た中でも、
 珍しいくらい、下垂してます。
 骨盤が写りこむ位は、まま あるんですが。」
目の前の写真には、大腿骨が 写っていた。

は~~~。
胃下垂だとは 思っていたけど。
珍しいぐらい下がってる、か。

人間ドックの成績報告書の 総合判定の所には、
「血液生化学検査において、高脂血症を認め、
 また 腹部超音波検査では 脂肪間を 認めます。
 アルコールを控え、食事(動物性脂肪等)に注意してください。」
との一文が 入っていた。
アルコール、「全く飲まないわけじゃないけど、平均すれば、ゼロです。」
って、ゆったのに。



とにかく、眼圧が高めとのことなので、
お勧め通り、眼科に行ってみた。
子供達の学校の校医を勤めてくれている眼科に。
ここでも 問診表に 正直に書いた。
すると 眼科医は 
「乳がんは 網膜に転移する事もあるんです。
 検査しておきましょうか?」
「え?」

一瞬、頭、まっしろ、
でも すぐに 戻れた。
カーテンで仕切られた 広いフロアの一角で、
カーテンの外には 次に問診や 検査を受ける患者が
並んで座っている。
癌のことは、口に出してほしくなかった。
もちろん 大きな声で聞いてきたわけではないが、
私は むっとした。

「網膜を調べるのに 瞳孔を開く薬をつけて、・・・」
と 医師は 検査したそう。
「瞳孔を開いちゃうと、 
 まぶしくて、車を運転して 家に帰れなくなると、
 困りますから。」
我ながら 冷静だった。
それに 転移の可能性が高いなら、
がんセンターで 診てくれるはず。
こんなデリカシーのない所で、検査なんかしなくて、良かった。
眼圧は、確かに高めだけれど、心配するほどではないので、
様子を見ることで OKとなった。



この結果は ホームドクターの所へ持って行った。
佐藤先生は、コピーをさせて欲しいと 私に許可を求めた。
これは 縮小コピーされて、私のカルテに くっついている。



もうひとつ 続きがある。
がんセンターで 主治医の検診があった時、
主治医にこのドックの結果を話すと、
「ああ、しょうがないね。
 副作用だからね。」
と言われたのだ。
「???」の私。
主治医は 私のカルテをめくり、
「手術前の コレステロールは、151だね。
 中性脂肪は、72だもの、
 これは 注射の副作用。
 しょうがないね。
 脂肪の代謝が 悪くなるから。
 気をつけて。」

知らなかった~~~。
これが 一番のショック。
あの お注射で、
151が 257に、72が 173に なったわけね。
・・・・・・腹が立つ。
ああ、腹が立つ!
これが、副作用だったなんて。
副作用なら、他にも あんなにいっぱい いろいろあるのにィ!!!

人間ドック・ショック(1)

2004-10-11 | 乳がん
退職して 当地に越してきてから 一度も検診をしてこなかった。
だから 癌が 大きくなっちゃったんだ。

一円玉より小さければ、乳がんは 95%以上(だったかな)治る、
と 聞いた事がある。
(残りの5%は 田原節子さんみたいな 炎症性乳がんだったり、
 交通事故死だったりするんだろう。)

もっと小さいうちに 見つけていれば、
おっぱいの変形も 小さかったはずなのだ。
リンパへの転移だって なかったはずなのだ。

という反省のもと、
がんセンターへの通院でみつけた 
検診センターに 予約して、早起きして 出かけた。
2003年、4月 22日。
生まれて初めての 日帰り人間ドック。

ちょっぴり どきどき、
ちょっぴり わくわく。
初めての事だらけ。
癌という 生活習慣病になったのだから、
人間ドックで なんにもひっかからないはずは、なかったのだが、
どんな結果がでるのか、楽しみでもあった。
なにしろ 初めてだったり ひさしぶりだったりなので、
オプションで 検査をふたつ 付け足してもらった。
事前に送られてきた 質問表には 正直に漏らさず 記入した。

午前中に 全ての検査が 終了し、
お昼を どこかで食べてから(はらぺこだよ~)、
希望を出しておいたので、当日結果の出たものに関して
医師の説明を受けて 帰って来た。
詳しい結果は 後日 郵送されてくる。

気になる、その結果は。

オプションの、骨量検査。
正常範囲、判定 A 。
手のひらを ぺったり器具にくっつける、骨塩測定検査だった。
閉経しているけど、ノルバデックスと言う飲み薬は
骨粗しょう症を予防する働きがあるはずだった。
測定値3.04、平均値より ちょっと上。

同じくオプション、頭部CT。
父が脳梗塞をやったので、
わけもなく不安感が強かった。
所見に曰く、「頭部CT上 頭蓋骨内に 出血、また明らかな腫瘍性病変は 認められません。
正常範囲のCT像です。」
微妙な表現に 不安になるが、判定:A なので 気にしない事にする。

体重   : めし抜きなので、すごく少ない。これが本当の体重なのね。
血圧   : 109-68。こんなもんでしょう。
心電図  : 正常範囲。
呼吸器系: 異常なし
内科   : 異常なし
聴力   : 異常なし
上部消化器官:異常なし

血液算定検査の判定は[B]。赤血球数が少し少なめ。

眼圧  : 両側高眼圧 え? 判定G?

生化学検査。
これでひっかっかった。
総コレステロール。参考値150~220のところを、257。
が~ん。
運動不足が続いていたのは 自覚してたけど。
中性脂肪。参考値35~149のところを、173。
え~っ。
コレステロールが多けりゃ、当然そうなるのか。

血清反応検査。
判定[D]。
RAが 2+。
リュウマチだ。

尿検査は なんとか判定[B]。
便検査は [A]。

超音波検査。
これは 検査の時、とっても丁寧に診てくれた。
乳がん患者とわかっているから、当然か。
でも とても嬉しかった。
結果は、ほとんどが 異常所見なし。ただし、
子宮:描出不良。
卵巣:描出不良。
前にもがんセンターでそう言われた事があった。
乳房:低エコー。?
肝臓:脂肪肝。
え~~~~っっ
脂肪肝???
つまり、食えないフォアグラ?
ショック。

あと、子宮細胞診は [A]だった。

ショック。
え~~~。
ショック。
なんとかしなきゃあ。



『グッドラック』

2004-10-09 | 読書
気になってはいたけれど、気恥ずかしさがあって、

なかなか買えない本だった。

『グッドラック』。

(アレックス・ロビラ、フェルナンド・トリアス・デ・ベス著、田内志文 訳、
 2004.6・22、ポプラ社、952円)

ページ数、行数が少なく、さらりと読めてしまう。

時間が許せば 立ち読みで 読了してしまうだろう。

これは 御伽噺だった。

成功した男が 成功しなかった男に語る、御伽噺。


とある平和な王国の宮廷魔術師が、騎士たちを集め、

手にした者に 幸運をもたらすという 魔法のクローバー探しを 提案する。

愛、仕事、富、全ての面で、

限りなき幸福をもたらすという、奇跡のクローバーを。


「魔法のクローバーは、ここから十二の丘を越えた「魅惑の森」に生えるという。

 ただし、森のどこに生えるかまでは 分からぬ。

 そなた達に、

 その魔法のクローバーを探しに行ってもらいたい。

 だれか、力を示したい者は おらぬか?」


魅惑の森の広大さを思い、

諦めて去って行く騎士たちの中で、

二人だけがのこった。


ここで、教訓、というか、キーワード。

「誰もが幸運を手にしたがるが、自ら追い求めるのは ほんの一握り。」


なるほど。

そうかも。

怠け者の私なんかも、何の努力もしてこなかった。

不平不満があっても、

では どうするか、という方向で

何かについて努力する という姿勢は とったことがない。


章ごとに キーワードが記されている。


「幸運が訪れないからには、訪れないだけの 理由がある。

 幸運をつかむためには、自ら下ごしらえを する必要がある。」


「欲するばかりでは 幸運は 手に入らない。

 幸運を 呼び込む ひとつのカギは、

 人に 手をさしのべれられる 広い心。」


「したごしらえを 先延ばしに してしまえば、

 幸運は 絶対に 訪れてはくれない。

 どんなに大変でも、今日 できることは

 今日 してしまうこと。」


「できることを すべて やったら、

 焦らず、あきらめぬこと。  

 自分には 必ず 幸運が訪れる と信じ、

 甘い言葉には 耳を貸さぬこと。」


騎士の一人が 魔法のクローバーを 手にしたとき、

騎士に、運命の神の声が聞えた。

「私は、いつもどおりの事を したまでだよ。

 幸運などというものは、

 いつだって 手の届くところにある。」


努力というのは あまり得意では ないけれど、

惨めな一生、というのは いやだ。

めちゃくちゃ幸せ、という生涯でなくてもいい、

ラッキーな人生を送りたいと 思う。


人生に 偶然というのはない、

みな 必然的に 起きている事なのだ、

という言葉に かつて 出会ってから、

そうかもしれない、そうっだたら 面白いな、と

考えている。


そうすると、

私が 癌になったのは、

どういう必然が あったのか。

いったい 私は 何のために 

癌になったのだろう。

そう ずっと考えている。