ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

‘アッシーママ人生’の終了

2007-06-30 | こどものこと
私は 長いこと、子ども達の送り迎えを 車でしてきた。

黄色い軽自動車をママ専用に買ったのは
娘が幼稚園に入園した時の 送迎用だった。

その前に 娘が3歳の時から 音楽教室へ通うのに 送り迎えをした。

いや その前に 娘が スイミング・スクールに通う時にも 送り迎えをした。

あれは まだ娘のお誕生前、ベビー・スイミングのクラスが
比較的近くにあったので
頑張って 1500ccの亭主の初代のクルマで通ったのだった。

不思議と 亭主は 子どものことなら OKを出してくれて
経済的には辛かったけれど
文句を言わずに 通わせてくれた。






名前を忘れた小さな葉っぱの植物。玄関脇に地植えにしたら花が咲いてびっくり。





間もなく妊娠して
小さい子のクラスと マタニティー・スイミングを 同時に開いてくれたので
一緒にプールに入った。

出産前に 娘は 保育園に バスで通うようになったけれど
私は 身体も温まるし 腰痛にもいいので 
せっせとマタニティーのクラスに通って
クロールができるようになったんだっけ。

息子が生まれてからは 息子のベビー・スイミングで 一緒にプールに入った。

音楽教室には 必ず息子を連れて行った。

亭主は その頃は 毎日家に居たけれど
決して 送り迎えはしてくれなかったし

なにしろ 私は
子どもの送り迎えがなければ 家から出してもらえなかったから
どちらか(たいていは息子)が 熱を出したり お腹をこわしたりして
お教室をお休みすることが続くと
家の中に 食べるものがなくたった。

亭主は お教室でも 買い物でも
決して 子どもを見ていてやるから 行って来い、とは言わなかった。






去年 ギンナンを蒔いた。
最初の葉っぱが スカートをはいたのがメスで ズボンがオス、と聞いたが
葉っぱは全て裂けていて オスばかり、という結果に。
形から メスと思えたギンナンも 葉っぱは裂けていた。





娘の塾通いが始まったのは 諸般の事情から(涙)比較的早かった。

算数と国語。

中学になると 数学と 国語と 英語。

部活の時には 練習試合の会場まで
地図を頼りに 送って行ったりもした。

中学3年になると模擬試験会場まで乗せて行くようになった。

部活の試合も 模擬試験も 休日ばかりだったから 大変だった。



高校受験の頃には 娘自身が高望みをしていたせいもあって
毎晩 遅くまで 塾に居た。

娘は 家では 勉強できない体質だったので。

(これは 現在も続いている体質(?)のよう。)

これには 亭主も協力してくれたが 亭主はいつも居るとは限らなかった。

なにしろ11時近くまで塾に居るので
迎えに行く時間になると 私は眠くて死にそうだった。

毎日 毎日 寝不足で
毎日 毎日 お昼寝をして
夜のお迎えのパワーを残しておくのだった。






お願い、アゲハさん、このレモンと パセリにだけは 卵を産み付けないで。





娘の高校入学と同時に 息子が中学に。

今度は 
同じくらい遠くの学校へ通うふたりを 朝 送っていくために
早起きするようになった。

遅くまで寝ている亭主が 朝の送りをやってくれていたのは
私が退院してからの わずかの期間だった。

娘が高校を卒業してラクになると
息子の高校卒業まで、もう少し、もう少し、
と思いながら 頑張ってきた。



息子が免許を取得して
そんなこんなの アッシー・ママとしての存在が 終わりを告げる。






お願い、アゲハさん、あっちにある柚子の木は もう大きいから、
あっちなら 卵も幼虫も そのままにしておいてあげられるから。





娘は ときどき帰ってくる。

何の用があるのか?という時もある。

昔の友達と飲み明かす、とか しゃべりまくる、とか
それなりに大事な用件があるんだろうと想像している。

そんな時に 免許を取ったばかりの息子と出かけて来たりして
私が勤めようと思っていた「慣らし運転」を 
娘がさっさと引き受けてしまった。



ある日 駅に向かう娘を 息子が送っていった。

「帰りは、初めての ひとりでの運転だな。。」
と独り言を呟いてた息子。

帰って来たときは 往復に要したのと同じくらいの時間を 車庫入れに使い、
なんとか こすらずに バックで入れていた(汗)。

さすが、切り替えしを4回やって 卒検を一度 落ちただけの事はある。

オーケー、オーケー。

卒業検定と違って、何回やっても 大丈夫だからね!(笑)。


亜硫酸塩

2007-06-28 | 食生活
ワインの添加物の話が出たので、ついでに。

『新・食べるな、危険!』
(子若順一・食品と暮らしの安全基金 著、
 講談社、2005年9月9日、1400円)
によると、

ワインの酸化防止剤としては
亜硫酸塩というのが よく使われているようだ。

(あら、前に『食べるな、危険!』を記事にしたのも
6月の終わりごろだったんだわ。)





私はとうとう、
輸入物(おフランス)の高級そうな赤ワインの残りの、
最後の3センチを 捨ててしまった。

もっぱらお料理用だとしても(いや、ホント)
飲めないような薬臭いワインを使うのは
気持ちが悪い、と受け入れられなかったので。

(と、いうことは、やっぱり、飲んでるってこと?)

だから、ようやく、次回、お料理に使うときには(シツコイ?)
この【COOP】ブランドのワインを開ける。






先日 Sさんが持って来てくれた、トウモロコシ。Sさん、大好き!(爆)
これは、最近の品種、白いトウモロコシ。
あ、息子が齧り残した物の画像で、ごめんなさい。



亜硫酸塩の入ったワインを飲むと 悪酔いする、と 著者は書いている。

それは私にはわからないが、添加されているものは不味いと思う。

亜硫酸塩は ヨーロッパでも使われているが
著者は ヨーロッパで飲んでもなんともないんだそうだ。

私はヨーロッパには渡ったことがないので これもわからない。

極東の島国まで輸出する時には
輸送中に変質してしまわないよう、多めに使われるらしい。

亜硫酸塩でアレルギーを起こす人もいるそうだから、
敏感な人は やはりCOOPワインにしよう!(笑)



ワインには 合成保存料のソルビン酸が使われているものもあるそうだ。

こちらの方が発ガンの可能性もあって ワルモノのようだ。

著者は この保存料を含むワインの方が悪酔いするそうだが
私は悪酔いするほど お酒をいただいたことがないので 
やはり よくわからない(ホントだってば!)。






なんでも、Sさんは 今までトウモロコシは 皮を剥いて ラップして
3分間 レンジでチンしてたんだそうだ。
でも、天地を落として 最後の皮を一枚だけ残して剥いて 
ラップなしでレンジで2分でいいんだって。



なんでも、「定温輸送」と書かれたものなら よさそう、とのことだ。

店に並んで1、2ヶ月のものがいい、とも書かれている。

無添加のワインは
ねじ式のキャップで機密性を保っても 品質の劣化があるので
品質保持期限は1~2年。

なんと、「亜硫酸塩を添加されたワイン」と「無添加ワイン」とは
まったく別のものと考えた方がいい、とのこと。

ズシンとくるねえ。。






いただいたのは、白いのが2本と ふつうのが3本。
「ふつう」っておっしゃってたけど、つまり、味来かな?
私は 2分加熱したあとで もう1分 チンした。なんとなく。。





え?

「普通のワインでも 開栓後に30分ほど空気に触れさせて
亜硫酸塩を酸化させてしまえば 悪酔いしないって?

あ。。。

あの、最後の、3センチ。。。

でも いくらなんでも、もう とっくに酸化していたはずだから。。。

味がねえ。。。

やっぱ、ワインは無添加でしょう!(笑)



で、Sさんには 電子レンジは、波動が・・・という話は、しなかった(汗)。

ブランド

2007-06-27 | なんでもないこと
「この前食べた、ママのヨーグルトのドレッシングって、
 どうやって作るの?」

「ヨーグルトに、マヨネーズに、塩・コショウ。

 それに、白ワイン。

 あとはパセリとか、テキトウ。」

「う~ん。ワインかぁ。。。」





「ワインを買うなら、生協のが美味しいからね!」

「買わないかも。。。置いとく場所がないもん。」




COOPワイン。「酸化防止剤無添加」と書かれている。
無添加なら、他のワインでも もちろん美味しいと思う。





白ワインは やや甘口、 赤ワインは やや辛口が 私の好み。

そして 酸化防止剤が入っていないもの。

カタログ・ギフトで 薀蓄が語られていた赤ワインを 選んだことがある。

渋みはステキだったが 酸化防止剤が添加されており、
何故か私は この添加物を舌で感じてしまうのだ。

不味い!



以前 姉夫婦に勧められた井筒ワイン(→これかな?)は美味しかった。

「高いげど、旨いどお~。」
 
(お姉ちゃんたち、どうやら 高いのを買って飲んでたんだ!)

美味しいワインは、
お肉やチーズが どんどん食べられちゃうのが 困りもの(苦笑)。



生協のワインは やはり 酸化防止剤無添加で、
ググッとお値打ちで、そこそこ美味しいよ~。

ものにもよるが、私にとって、【COOP】は、ブランド!(笑)



だから、食べたことのある冷凍コロッケが
テレビのニュースに写って、すごくがっかり! なのだ。


埼玉都民

2007-06-26 | こどものこと
「埼玉都民」という言葉がある。

埼玉県に住んでいながら、
勤務先や通学先など 意識は都内にあり、

都民であるかのような感覚を持っている人たちが
埼玉県の南部には多いそうだ。

いつだったか テレビで
何人もの人にインタビューしているところを見た。

「どちらにお住まいですか?」

「東京です。」

「東京のどこですか?」

「え~と、いや、埼玉県の・・・。」

ウソツキ!(笑)










この春 娘が「埼玉都民」になった。

京浜東北線の沿線に住む。

大学まで 時間は多少かかるが 一本で通える。

本当は ホンモノの都民にするつもりだったが
予算が許さなかった・・・(涙)。



娘の高校の同級生、
塾のアルバイトも一緒のところでやっていた Nちゃん、

そのNちゃんが借りているロフト付きのアパート。

そんなのに憧れていて
そして無断外泊が増えていた娘のために
同じ会社から 同じようなタイプの部屋を借りることにしたのだ。

家賃・光熱費、全額前払い!(タメイキ)

途中で娘が挫折したら 息子が使えばいいし。

(本当は美術館通いに ママが借りたいところだけど。)






夜中に帰って来た娘。翌朝の玄関でそれと知れる。



普段は ママは息子に甘い、と言っているふたりなのに、
亭主も 娘には甘く、娘もそれに甘んじる。

亭主の命令で 私はアパートを一緒に探すことになった。

ちょっと離れた町のアパート会社の支店まで出かける。

ちょっと車に乗っただけなのに、
山の形が変わり、ずいっと近づいて見えた。



いつくか出してもらった候補を プリント・アウトしてもらい、
自宅でじっくり考える。

予想していたよりも ずっと家賃が高い(汗)。

いくらくらいまでなら 可能か?

どのくらいが贅沢か?

是非ともほしい設備は何か?

立地はどうか?

防犯対策はどうか?

そんな中、これは!?と思える物件があるのが、
埼玉県 南部だった。

(都内、大江戸線沿線の物件は 亭主が
 「家から遠すぎる!」と反対;爆!)

そうしてピックアップしたいくつかへ
地図をたよりに実際に行ってみた。

予想と 実際とは 違うものだ。。。



そのアパートは、駅から 遠くない。
 
寂しい道を通らない。

駅からの道々に スーパーがあり、
近所に弁当屋がある!

(この弁当屋は 大きなポイントを稼いだのだったが、
 その後 不味い事が判明;涙)

当然、コンビニはいくつかある。

設備もまずまず。

インターネットに接続。

そして 私が一番気に入ったのは、部屋の向き。

南向きで、南側の建物との間には 空間があり、
ちゃんと陽が当たりそう。

すぐ西には建物があって 夏の西日を適当に遮りそう。

これはいい!と直感し、実際に足を運んで確認した。

別の日の別の時間に 娘だけで再確認。

日当たり、良好!







玄関まで行く前に、ダイニングの娘の椅子の周りを見れば、
帰って来たと すぐわかる(苦笑)。



このアパートへの引っ越し作業中、

ロフトの北側にも窓があり、
こちらを開けると かなり風が涼しい、と聞いて

ここにして良かった!と 私は嬉しかった。

部屋の広さは 20㎡弱。

トイレとお風呂が、一応、別。

家具・家電付き。

(少し、贅沢過ぎたかもしれない。。)



寝るのは、ロフトの上になる。

「ほら、ロフトも広いんだよ~、見て見て!

 私はいつも Nちゃんとこに泊まる時は
 ロフトに一緒に寝るんだよ。

 ママが泊まりに来たら、ここで一緒に寝ようね。」

ご免こうむる。

ロフトは 確かに広いが 幅はない。

今さら こんなにデカクなった娘と 抱き合うように寝る気にはならない。

オマケに 朝方トイレに行くときは あのハシゴを降りなければならない。

ネボケて落ちたらどうする!





日当たりの悪い木賃アパートで 
うっとおしい思いをしながら何年も過ごしてきた私には
明るいアパートは憧れだった。

これは 私のリベンジ?にもなる。

私が通う整体師の治療室は 
賃貸しマンションを これまで4回 移っているが
いずれも 日当たりがよく、風通しがいい。

冬は サッシを閉めておけばポカポカと暖かく、
夏場は 涼しすぎるくらいに 風が入る。

そうすると 冷暖房費もかなり抑えられるに違いない。

風水には詳しくはないが、
日当たりと風通し、
これは 絶対、いい方がいい!

整体師の治療院を見て
「ああ、部屋というものは こういうものを探さなくてはいけないのだ!」
と感じていた私。

娘のアパート探しは大成功!




娘がお風呂に入っている時の洗面所。
青いのは、中学の時のジャージ、大のお気に入り。
切りっぱなしがカッコいいのだそうだ。今でもそう思ってる?





けれど一番の問題は 娘の食生活。

今の所 なんとか頑張ってはいるようだ。

が、あのせまいキッチンは お湯は沸かせるだろうけど 
調理にいそしむべき空間ではない。

あまり期待しないでおこう。



それでも娘からは時々電話がかかってくる。

「アスパラガスをもう10分くらい茹でてるんだけど、
 これってどのくらい茹でればいいの?」

「10分?!」

「うん。」

「10分!?」

「うん。。。」

「ヤケドしないように 水にさらしてから ひと口かじってみればいいんだよ!
 
 穂先が崩れたら茹ですぎだからね!

 それから、下5センチは 皮を剥かないと 硬いと思うよ。

 (庭で作った、採れたてのアスパラガスじゃ、ないもんね。)」



「この前のママの お野菜をお肉で巻いたのって、
 どうやって作るの?」

「? お野菜を 豚肉で巻いて 塩コショウして焼いただけだけど?

 最後に、ジャッと、醤油。」

「お野菜を茹でておいたりしないの?」

「(おっと、私は説明が下手だ。)

 茹でるよ。

 なるべく早く 中まで火が通るように
 ジャガイモも インゲンも ニンジンも アスパラガスも
 茹でておくよ。

 まな板の上に お肉を斜めに置いて、
 野菜を巻いていくんだよ。」

 


ご近所の 薄暗い場所にほったらかしのアガパンサス。けなげ!




さて 娘がはりきって料理を作るのは
お友達を部屋に招いた時らしい。

高校時代の仲良しとか
ボランティアに行った仲間とか
もう随分呼んだみたい。

そしたら、そろそろ 一人暮らしに飽きるんじゃないかしら?(笑)。



ひょいと 暇ができた時には
家に電話をしてきたりもする。

行ったばかりの頃には
「ひとりだと、突然、暇になる!」
と怒っていた。

「ご飯の前とか 食べた直後とか、
 突然、暇になるんだよ!」

娘よ。

それを 人は 「孤独感」と呼ぶのだよ(笑)。



先日は ひょいと電話をしてきたが
なんだか声に元気がない。

話の腰を折らずに聞いていたら
50分しゃべった。

寂しかったのに違いない。

寂しさと それ以上の自由とを手に入れたのだ。

お風呂に入る時間だって自由だ。

「早く入れ!」と怒鳴られることもない。

それに憧れていたんだろう?




娘のアパートは Nちゃんのアパートからもそれほど遠くなく、
時おり お互いの部屋を行ったり来たり、
ご飯を ご馳走したり、されたりしながら 
なんとかやっているようだ。

ひとり分のご飯というのは 作るのに一所懸命になれないから、
とか何とか言って 
お互いに助け合っているみたいだが、
さて、どれくらい続くだろう?

私の時みたいに このまま嫁に行ってくれても
私はかまわないのだが?

あ、亭主が騒ぎ立てるな。。(苦笑)


大台

2007-06-25 | なんでもないこと
大台に乗りました。

50歳になりました。

半世紀です!

自分でも、びっくらです!







子どもの頃は ノストラダムスの予言の頃に 命を失ってもいいと思っていた。

だいたいが、40歳になる自分なんて、想像できなかった。

年をとりたいとも思わなかったし 長生きしたいとも思わなかった。

もっと若いうちに 死んでしまいたかった。

(自分が がんになるとも思わなかった。)





小学校に入学した時に 東京オリンピックがあった。

日本の国旗は日の丸だと教わり、
♪「ああ、美しい、日本の旗は~」という歌を教わり、
白い紙に 赤いクレヨンで 日の丸を描いた。

最初は楽しかったけど
来る日も来る日も 日の丸を描かされた。

「みんなが あんまり上手だから、
 いっぱい描いてもらいましょう。」

描いた日の丸には 篠竹を短く切ったものを
ノリで張り合わせた。



ある日 篠竹を貼り付けた旗を持って 沿道に並び、
聖火ランナーを見送った。

聖火は消えているように見えた。

ただ ゆらゆらと 陽炎だけが 立ち昇っていた。

聖火は ギリシャからやってきて 
それを 消えないように 繋いで繋いで 
東京オリンピックの開幕の日まで
何人ものランナーが走り持っていくのだ、と聞かされていたから

「消えちゃってる!」と心配して
家に帰って 両親に報告したら 笑われた。

しばらくして あの たくさん描かされた日の丸は
いったい誰の手に 旗となって渡ったのだろう?と思った。

そんなこんなと、
赤い色だけが小さくなってしまったクレヨン。

それが 私の 東京オリンピックだった。






梅550グラム、ひとつ腐らせてしまって 約500グラム。これをすりおろす。
甜菜糖を、なんと300グラムも入れた!
普通の鍋でジャムを作ったこともあるが、梅ジャムだけはホウロウ鍋で作る。



小学校を卒業する頃に始まった、万国博覧会。

私は春休みに 小学生料金で行った。

お寺の住職をしている伯父とその友人たちのグループに
父と姉と一緒に同行させてもらった。

生まれて初めてグリーン車というのに乗り、
足置き台がラクチンなのに感激した。

多分 新幹線にも乗ったと思う。。。(汗)



アメリカ館、ソビエト館は 行列が凄くて 並ばなかった。

けれど 日本が豊かになったのを実感し
(そんなことは考えちゃいなかったが、確かに、感じた!)、

世界との繋がりを体感し、

自分の世界が 広がっていくのを感じた。

この時 
伯父の紹介で 大阪郊外の寺院の宿坊に投宿し、
宿坊料理を堪能している。







ふたビンのジャムになった。甘さはちょうどいいと思う。酸味もある。
青くて固い梅が すりおろしやすいと思う。根気が要る。
この時 たくさん作る人は ゴム手袋をつける必要がある。



大学は4年で卒業した。

就職して6年働いた。

東京人だったのは10年間。

バブルと呼ばれる時代に入っていた。

就職してからも ビンボーだったのと
飲みに行くのが好きでなかったのとで
とうとう一度もディスコに行かなかった。

こんなオンナノコは 当時 珍しかったと思う。






レモンをたっぷり絞って しっかり煮詰めたら
固めに仕上がった、ラズベリージャム。
牛乳やヨーグルトは 控えめにしている私だが
こればかりはヨーグルトに入れたい。



当地に来て 子どもを産んで。

苦労を重ねて?

ようやくラクになった時にがんとわかって。

それでもしぶとく生きている。

これからも しばらくは 生き続けるつもり(笑)。



イバラキの小さな貧しい茅葺きの寺院で
へその緒に絡まりつつ生まれた女の子が
50年生きてきた。

最近では ガーデニングの他に ブログなるものを楽しんでいて
パソコンを手放せない。

またそろそろ オフ会をしたいのだけれど
(東京駅、久々に 先日 行っちゃったしね~。)
予定が立てられなくて 断念中。

「じっと見る~~印象派から現代まで」

2007-06-23 | なんでもないこと
都内へ行く予定だった亭主の出張が
前の晩にキャンセルになった。

じゃあ、明日、あなた、家に居るんだ!

じゃあ、ワタシ、明日、遊びに行っちゃおうっかな~。

「どこへ?」

「ブリヂストン美術館(ブリジストンじゃないよ)。」

「何を見に?」

「マリー・ローランサン。」




地下鉄の恵比寿駅に この絵のポスターが貼ってあって、
いっつも気になってたんだ~。





亭主は無言で不服そう。

でも、無言ってことは、承服、ってことよね(爆)。

だって、ね。

上野のダ・ビンチだって見に行けなかったし、
それから・・・。



というわけで、木曜日、行ってきた。

ブリヂストン美術館(→コチラ)。

東京駅、八重洲中央口から 八重洲通りをまっすぐ、
昭和通方向へ 徒歩5分。

ブリヂストン本社にある。

迷子になれそうにない場所を
前夜 地図で確認(笑)。



実際、駅の外に出てみると 本社ビルなんて見えやしない。

いや、待てよ、確か ゆうべ見た地図に
「ヤンマービル」って、あったよな。

「ヤンボウ・マーボウの天気予報」の本社ビルかな?と思って見てたんだ。

間違いない、ヤンマーを真っ直ぐだ(笑)。




中央区 中央通りの交差点で 勇気を出して撮影(笑)






お目当て、マリー・ローランサンの絵の絵葉書。

小学生の頃
姉が読んでいた雑誌の表紙に使われていた。

小さい頃の私は
ある種 不気味さを感じていた。

その頃は
単純で明るい絵が好きだった。

でも 何故か 心魅かれていた。



同じように 小さい頃に見た本の挿絵で
東郷青児(→こんな感じ)の絵がある。

(東郷青児美術館にも行ったことがある。
 ゴッホの「ひまわり」は やはり素敵だった。
 あそこは 会社の名前、ビルの名前が変わったよね。)

不気味さを感じて 好きじゃないのに、
何故か 心魅かれた。

(特に、あまりに長すぎる手の小指!)

そして 今では どちらも大好き。



大好きなコローの絵もあり、


それから モネの「睡蓮」も2枚。

モネは 睡蓮を題材にした絵を いくつも描いている。

上野の西洋美術館にもある。

今まで 何枚も見てきた「睡蓮」に
光を感じさせない
(つまり 惹き込まれそうな魅力を感じさせない)
絵があるとは思わなかった。



これは、素敵な、素敵な、「睡蓮の池」。

朝焼けか。

夕焼けか。

美しい。



私がよく行っていた絵の展覧会は
絵がかけられた壁の手前に手すりがあって
人と絵とを隔てたいた。

この美術館では 
「これ以上絵に近づかないで欲しい」というラインは
床の材質の切り替えにあり、

木質の床の部分には 入り込まないように、と 札がある。

それでさえ ぐぐっと壁に近い。

彫刻や 壷や レリーフに 触ろうと思えば 触れてしまう。

ドキドキする!



一応、床の切り替え部分に立って
上半身をぐぐっと絵に近づけて 
顔がくっつきそうにして 詳細を見る。

少し下がってみる。

もう一度 近づいて見る。

今度は 部屋の後ろの方まで下がって 離れた所から見る。

近づいたり、離れたり。

空いているので こうして見ている人は 他にもいる。

だから その人とぶつからないようにしながら
絵に近づいたり離れたり。

中央の椅子に腰掛けて眺めたり。

存分に鑑賞した。

堪能した。





この絵はを書いたのは
ザオ・ウーキー(ZAO Wou-ki、1921~)と言う人。

知らない名前だったが
今回見ることができた3枚とも とてもステキだった。




ブリヂストン美術館は 去年
創設50周年を迎えたのだそうだ。

50年といえば、半世紀!

バブルの時代があったことは
ある意味では幸運なことだった。

そして こうして バブルがはじけた今でも
身近に見ることができるということは
とても幸運なことだ。



身近に絵を見て 興奮して
幸運にも興奮して

日本人による油絵黎明期の秀作や
エジプトの彫刻や
それはもう 山ほどの いろんな ステキなものを
まるで自分の書斎に持っている気分、

エライ人になった気分で
美術館を後にした。



美術品は 実際にその目で見るべきもの。

(時として 触ってみるもの、使ってみるもの。

 でも 美術館では いくら簡単に触れても触らないでね。)

「じっと見る~~印象派から現代まで」は
7月16日まで。

ゆとりのある方、是非どうぞ。

新丸ビルは 駅の反対側。

両方いかが?

クリニック

2007-06-21 | 乳がん
主治医が県立のがんセンターを定年でやめて
新しい施設に移った。

先日は 私にとって初めての ○○クリニックでの受診になった。





今年のテーマカラーは白。
表に置いたペチュニアの鉢植えは もちろん、白。






がんセンターでの最後の診察の時に
定期健診は 先生の新しい職場で受診したい旨を伝えた。

その時に渡された地図を見た私が

「せんせー、本当に、場所、いいですね!」と言うと

「でしょ~! 場所代がすごく高いのよ~!!!」

との返事だった。



大きな町の 大きな駅の より大きな側の出口の前に立つ、
大きなビル。

その最上階に クリニックはある。

乗り換え不要。

がんセンターより便利だ(爆)。





今朝は 花がらを摘もうとして うっかり 切花を作ってしまった(苦笑)。





娘が高校生の頃に
私も1、2度 入ったことのあるビル。

ファッション関係も 若いネエチャン向けのものばかりで

BGMもイマドキの音楽がやかましくて

長く居るべきビルではなかった(涙)。



このビルに 静かな場所があるとは信じられなかったが
上の方の階に行けば ファッション関係の店舗ばかりではないらしい。

そして 最上階に クリニックはあった。



エレベーターを降りると 森閑としていて 
あまりに素っ気ない。

本当にあるの?と思いながら右へ進むと
確かにそれらしき場所が。

ドアを開けると そこには
女性向けの 優しげな場所が広がっていた。




ニーレンベルギアは 白と紫色とを合わせて植え付けた。
ナス科の 小さくて可愛い花、草丈は現在15センチくらい。





久々に会う主治医、今は○○クリニックの院長。

ゴッド・ハンドで触診。

肺のレントゲン。

胸のエコー。

お腹のCT。

採血。

結果は再来週。



がんセンターでは 
「え~っと!」
「次は、○○番・・・。」
とつぶやきながら
迷子になりそうな心細さで(しかも、時々間違えながら)
広い院内を(と言っても1階だけなのだが)
うろうろと歩き回るが

ちょうどいい広さ?が 心地いい。

女性ばかりのスタッフ、
がんセンターも女性は当たりが柔らかで良かったけど
こちらもまあまあ。

まだ慣れてないような受付も女性ばかり。



せっかくだから、と聞いてみる。

バタバタしながらも ちゃんとOKが出て
カードで支払い。

やった!

でも がんセンターも今頃はカードでOKになってるかもね。

10320円也。



処方箋を持って 隣のビルの薬局へ。

聞いてみるかな。

「あの~、カードで・・・」

もちろん、OK、こちらは5360円。

もちろん、ジェネリック医薬品、タスオミン。

充分高いと思うけど いくらかでも安いと嬉しい。



この隣りビルにはデパートが入っている。

私は 大きな通りの向こうにある 別のデパートが好きだが
あちらは値段も高級で 私には買い物ができない(涙)。

こちらの方が <普通の>値段感覚に近いと思う(汗)。

あちらのデパートにも道具屋さんがはいっているが
こちらの道具屋さんも大きい。

歩き回っていると いろいろな手芸・工芸にトライしたくて
ウズウズしてくる。

棚の間を歩き回りながら 興奮してくる(笑)。

「嗚呼! こんなお店の近くに 住みたかったなあ!!!!!」(爆)




コンボルブルス スノーエンジェル、と札に書いてある、
ヒルガオ科 セイヨウヒルガオ属の 常緑低木。
札にある写真のように こんもりと育ってくれるだろうか。





クリニックは 新しくて 目にする色も柔らかくて

がんセンターと違って
エネルギーを吸い取られた後のような
ぐったりとした疲労感を覚えなかった。

けれど
どうやら キレイなデパートや道具屋さんで興奮したらしく

その晩は よく眠れなかった(笑)。




もしもし。。。一昨年のテーマカラーのメランポジウムさん?(汗)



結果は再来週、心配は全然していない。

草取り

2007-06-20 | なんでもないこと
過日は 雨上がりだったので
草は根っこから抜きやすかった。

この「草むしり」は 私は 割と好き(笑)。

ただ 頑張りすぎると 
手指の関節が痛むので ほどほどにしないと。

それが、難しい(涙)。




ユリは 切花にもして ふんだんに楽しんでいる。(義さんのおかげ。)




我が家のこの小さな庭のネックは
客土した土からはびこってしまったへび苺。

それから 
植木鉢をあちこちに移動して
そのたびに根っこが着いてしまったノウゼンカヅラ。

異常な大きさに成長してしまったすみれ。

多分 亭主の実家の庭の土から 
柚子かなんかと一緒にやって来たワラビ。
(もしかしたら ただのシダ?)

とにかく強いドクダミ。

取るより早く増えてしまうカタバミ。



それから 可愛い花が咲くので
抜くのがためらわれてしまうイモカタバミ。


こんな可愛いピンクの花、抜ける?




それから
隣の庭から 我が家の山茶花に伝い、
ムカゴを落としてしまった山芋。

つまり、手を抜くと 物凄いことになる(涙)。



山芋は 食べるのは根っこだから
これは困る。

そして悔しい。

ムカゴが落ちたのが
地面じゃなくて 私の手のひらの上だったら
ご飯に入れて炊いたのに。。。(笑)



「北海しめさば」や「厚岸マルヒロ」にも頑張ってもらって(笑)、
今、ようやく半分ほど綺麗になった。

サザンカも少し剪定してやる。

そうしたら、生き生きしてくるものがある。




うっそうとした中にあって目立たなかった、
うつむいて咲く 立性のクレマチス。





鮮やかなノウゼンカズラ。
ルージュ・宝塚という名前がついていたと思う。
サザンカから垂れ下がって、これは上向きに。




これも 藪の中だったブラックベリー。
今年は豊作かも?




ラズベリーの下の藪は まだまだこれから(涙)。
こちらも豊作。

ラズベリーの困るところは
生えて欲しくないところから
どんどん生えてきてしまうこと。

藪だらけになったら 歩けないじゃない!



最近は 晴天が続いていて 土も乾いており、
草むしりは休止中。

梅雨にや梅雨らしく 雨が続いてくれないと。

富弘美術館近くのダムなんて、
そろそろ干上がるんじゃないか?

北海しめさば!(爆)

2007-06-13 | なんでもないこと
サボりにサボっていた草むしり。

もう相当はびこっていて ジャングルと呼ばれている(涙)。

もういい加減にきれいにしなくちゃ
そろそろ蛇が怖い(!)。





私がガーデニングを楽しむようになって
トカゲが増えたような気がしている。

トカゲは怖くない。

でも 蛇は怖い。

特に この 秋明菊の辺りは 
いつ蛇が出てきてもおかしくないジャングル(汗)。

この「北海しめさば」と「厚岸マルヒロ」とは
もう ここ何年も 私の草むしりのお供。

同じような発泡スチロールの箱でも
すぐにボロになってしまうものと
こんなふうに 何年も丈夫に使えるものとがある。

今年も お供にして 草むしりを頑張ろうと思う(汗)。

まことに、頼もしい従者だ(笑)。







私の記憶では
去年は 
ツツジがきれいに咲いてくれた後
さて、サツキはどうかな?と 楽しみにしていたら
いつの間にか 花期が終わってしまっていた。

今年は 
ツツジもきれいだったが
サツキも 負けずに美しく 今 見ごろを迎えている。

とても嬉しい。







特に このサツキ、今年は見事!

西手の あまりいい場所ではない所に植わっていて
すぐ前に ドウダンがある。

今まで 数えるほどしか花をつけなかった。

私はこのドウダンを 思い切り剪定して 小さくしてしまった。

途端にサツキが息を吹き返した。

手をかけてやれば かけてやっただけ
その美しさで応えてくれる。

やはり 植物は 可愛い。






ツツジやサツキは
私たちが来る前に 和風の庭に植わっていたものばかりだが
(だって私は洋風の庭に憧れてるし)
 
こんなふうに手をかけてやって成功したものは
もう最初から私のもの、という気がして 
愛しい。

随分大きくなったし 綺麗になった。

みんな、みんな、 私の可愛い子どもたち。

ガックシ!

2007-06-12 | なんでもないこと
ガックシ!(涙)

RSSリーダーに登録しておいた 数々のブログが
またまた 突然 消滅した!

これで3度目だ!(怒!!!!)








ガックシ!(泣笑)

去年 た~~~っぷり収穫できた梅が

今年はなんと、たった550グラム、
18個しか取れなかった!(涙)

去年は梅酒をつけた、

今年は梅干を作ろうと思って 張り切っていたのに。。。

しょうがない、ちょびっとだけジャムを作ろう。

プチ*自慢 その2

2007-06-11 | なんでもないこと
先月
大学生活にも ようやく(笑)慣れつつある息子に頼まれて
一緒にブック○FFに行った。

不要になった 漫画に、ゲームソフトに、攻略本、などなどを
売りに行ったのだ。

大きなダンボール3箱分になった。

そうとう重かったようだ。

ブック○FFも商売、
買うか・買わないか、いくらで買うか、
の計算ができあがるまで

「店内でお待ちください。」
と言う。

店内で待ってたら、絶対 また別のを買っちゃうよね(苦笑)。



その日は 
息子より 私の方が 買った冊数が多かった。

彼女のマンガの単行本を見つけたんだ!










彼女は 私の大学の 同じ美術部の後輩。

あっさり・するんとした顔の キレイな子だった。

まだ入学したての、
ああ、あんな子がいるなあ、程度の認識だったある日、

友達と キャイキャイと騒ぎながら部室に入ってきた。

手には 彼女の自筆のマンガの原稿。

「あら、あなたが描いたの?

 見せて~。」

と言うと、
途端にし~~んと静かになって、

緊張した面持ちで オズオズと差し出した、彼女のマンガ。



登場人物の顔が可愛い。

これは、大事なこと。

主人公が魅力的で
読んだ人が 感情移入しやすい‘見てくれ’であることは、
必須条件。

パラパラとめくってみて
ストーリーはよく読まなかったけど

どの人物もみな 「あっさり・するん」とした顔で

魅力的に描けていた。



「あら~。

 このくらいに描けるんだったら、
 もう すぐにでも マンガ家になれるわよ~。」

「え~~~っ!!!

 ホントですか~!!!」

途端に、また友達と騒ぎ出す。

「うん。
 
 魅力的に描けてるからね。

 あとは、ストーリーだね。」

「・・・・・・。」

言葉を失う彼女。

あれ? 痛いトコ突いちゃったかな?(苦笑)

彼女の友達も 気づいて静まり返る。




レモンの花は その芳香で 咲いていることが知れる。 いい匂い!







「専攻は何コースだっけ?」

「○○です。。。」

依然、言葉が少ない。

彼女の専攻は 覚えていないが、
多分、文学部だったと思う。

何か、言ってあげたい。



「せっかく、この大学に入ったんだからさ、

 この大学で勉強できることを勉強して

 それをストーリー作りに生かせるようになれば?」

固まる彼女。

「・・・・・・それって、ぶっきょう・・・ですか?」

拒否反応だ。

「いや、だから、仏教もだけど、

 仏教だけじゃなくて、
 宗教とか、歴史とか、中国とか、
 他にもいろいろあるでしょう?」

「あ、あぁぁ~。」

彼女は曖昧な返事だった。

「せっかく この大学に入ったんだから、

 自分の専攻以外のものも、

 勉強できるものは勉強しといて損はないから、 

 引き出しを増やしておけるといいよね。

 印哲も面白いし、日本史も好きだったら面白いし、

 私は キリスト教は取らなかったけど 神道は取ったの。

 面白かったよ!」

「あ~、そうですよね。」



私はもう一度原稿に目を落として

「うん。

 やっぱり、絵は充分に可愛いよ。」

と再確認をして 彼女に返すと、

またまた 友達と

「キャー、うれし~!」

「よかったね~!」

と キャイキャイ(笑)。




先日咲いたレモンの花の元に 実った実は いつの間にかなくなっていた。
探したら地面に落ちていた。
柚子の木の根元には 柚子の実が たくさん落ちていた。
こんなに小さいのに 柚子は柚子、レモンはレモンなのが 可愛くて可笑しい。







その彼女が マンガ家デビューをしていたことを知ったのは
子育ても一段落したころ。

美術部時代の同級生、Yからの電話でだった。

もう単行本になっているという。

「あれ?」

気になって 我が家のマンガ文庫(笑)を見に行くと・・・

・・・あった!(爆)

なんと、知らずに読んで 蔵書として本棚に納めていた。

なんどもひっくり返して見る。

知らなかった~、
著者名は、ちゃんと彼女の本名で出ていた。

あらためて手にとって 中身を見てみると・・・

あの頃と、絵がおんなじ!(爆)



そして 舞台は中国、主人公は歴史上の人物。

あの時 私は
それほどきちんとアドバイス?したつもりでもなかったけど

私の言葉どおりになっている。

そして、
あの時 充分に可愛い、と思っていた絵の方は、
あんまり上達していない(爆)。

というか、変えなかったのだろう。

変えたくなかったのかな?

変える必要がなかったのだろう。

「あっさり・するん」な顔の絵が 持ち味でも 魅力でもある。



歴史上の有名な主人公と周囲の人物、
きちんと描き分けている。

「あっさり・するん」としていて 可愛かった。

ストーリーは面白かった。

歴史の勉強もしっかりやって描いたらしい。




先日 載せた柚子の花の画像。
この花を全部実らせたら きっと木が枯れてしまうだろう。







まさか 私のあの言葉だけで 
こうしてプロになったわけではないだろうが

私は 少し こそばゆくて

すごく嬉しくて

それから ちょっと 自慢。



2つか3つ歳下の、可愛かった彼女も
もう40代の いい歳のオバサン。

最近 活躍してる様子はないけど
それなりに元気でやっているのだろうか。

更年期障害に苦しんでないといいけど(笑)。

いままで読んでいなかった 彼女の別のマンガを手に入れて
ウキウキとブック○FFを出てきた私だった。

火石

2007-06-08 | なんとなく民俗学?
これは、化石。

断面に シダ植物らしき黒ずんだカタチが・・・見える?

私の手の 人差し指の方に。







これは 亭主がもらってきたもの。

この春 目出度く任期満了して
止めてしまった「請け負い仕事・その2」では
月に1、2度の 近場への出張があった。

近くても 行ったことのない場所というのは多いもの。

その 今まで行ったことのなかった 近場には
化石がゴロゴロしているという河があり、

案内してくれた人によると
やってきた人は皆
ハンマーで 拾った石を叩き割る。

そうすると いろいろな形の植物(まれに動物?)の化石が
石の割れた断面に張り付いているのだという。

ちょっと 細い線で囲ってみたけど、
見える?

左下。

シダよ。










これは いつもご覧いただいている 我が家の表の 私の草花のスペース。

咲いているのは 3年くらい前の こぼれ種のアリッサム、
うっすらオレンジ色だったのが もっと薄くなっている。

うまい具合に 石の間からこぼれるように咲いてくれている。



この石は 一抱えもある、大きな石。

でも 私でも持てる。

この石を 「火石(かせき)」と 当地では呼んでいる。

私はずっと 「化石」かと思っていた。





これは 火山の爆発によって噴出した 
溶岩流というか火砕流というか、
それが冷え固まったもの。

だから 水には沈むけれど 軽いのだ。

川原に行くと 小さいものがいっぱいある。

最近は 川原に遊びに行くこともなくなってしまったが
子どもを連れて行って
水に浮く軽石をみつけたこともある。





火石のいいところは、
成型したものではないから 形が自然であること、

しかも軽いから 扱いがいいこと。

私でも 持ち上げることができる。

いや、もちろん、
こんなふうに 表に石を並べてくれたのは 
土建屋さんだけど。




これが、昔噴火したという、浅間山。


2005年1月4日に使った画像。

浅間山は この写真の撮影前後に 1、2度 噴火して
噴煙を上げていたので
ああ、あれが浅間山なんだ!(やっぱり!)と 
やっとわかった(苦笑)。

天明の大噴火では 溶岩流が発生した、とのことなので(→参考
(鬼押出しを形成した大噴火らしい)
この火石は その時のものだろうと聞いた。



それ以降 当地の人は どうしたか?というと

川原で火石をひろっては
庭石にしてきたらしい(笑)。

素人でも持ち上げて運べるし
奇岩怪石? いろいろな大きさ・形に冷え固まった溶岩を比べては
いいと思うものを拾って 庭を飾ったそうだ。



それから これは 土建屋の社長に聞いた話。

家を建てる時には
柱の下の基礎の部分には 穴を掘って
小さめの火石を敷き詰めた。

火石は 表面がざらざらして 滑りにくいので
これによって 土台をしっかり支えることができたという。

昔の人の智恵ですね、と 社長は言っていた。



噴火したのが昔だったから、

そして 噴火が度々あったから、

そしてそれから長いこと
川原には火石が無尽蔵かと思われるほどあったから、

火石を用いた仕事が(ある程度)発達したものと思われる。

何物も無駄にはしない人の知恵に、脱帽。



ちなみに、今でも川原にいけば 
小さいけれど 火石を拾うことができる。

特に 雨の後だと、
火石は水分を含んで黒々としているので
容易に見分けることができる。

『カオス レギオン』

2007-06-05 | 読書
主人公は
ただひとこと 
「否。」 
と返事をした。

私は噴き出した。

息子からのメールの
「諾。」
「否。」
「肯定。」
「否定。」
という チョー短い返事は、これのマネだったのか?




今年のテーマカラー、純白のアリッサムの中から 
今年の純白のビオラが こぼれ種から芽を出した。
きょうのこぼれ種シリーズは、先月始めに撮影したアリッサムを見てね。






『カオス レギオン』。

(冲方 丁(うぶかた とう、と読む)著、富士見書房、
 富士見ファンタジア文庫→こんなの

息子が貸してくれたから、これは読まなくちゃ、と思えて。

ファンタジア文庫。

そう、息子は 誰に似たのか? ファンタジーが大好き。

この本にも ピーターパンの ティンカーベルみたいなのが出てきて、
とっても可愛い。

(でも この妖精は ゲームには不向きだったようだ。)

文庫本だから、出かける時に もう一冊、と カバンに放り込める。

同じ言い回しが出てきて ひどく興ざめだったりはするが
物語の構成はまあまあで
楽しく読める。



主人公は ジーク・ヴァールハイト、
黒印騎士団(シュワルツ・リッター、と読む)と呼ばれている
赤い髪の男(の子)。

たったひとりなのに 騎士団とは、これいかに?

彼がしょっている銀色のシャベルには
彼の元同僚の騎士たちの魂が入っている(らしい)。

ジークの左手に 白熱する雷花が咲き乱れ、
にわかに迸る(ほとばしる、と読む)稲妻の奔流とともに、
辺りに風が吹き荒び、
ジークの口から 烈声が迸る。

「ジーク・ヴァールハイトが 解き放つ!」

すると 銀色のシャベルに変身?していた騎士たちの魂が
水銀のように溶けて飛び散り、
 
シャベルの中から 銀に光る剣が現れ、その柄をジークが握り締める。

飛び散った銀の輝きは 
禍々しい(まがまがしい、と読む)姿となって
凶悪な咆哮を上げる。

つまり、シャベルになっちゃった昔の仲間(凄魔;ギルドと読む)と合わせて、
「騎士団」なのだ。

まあ、笑っちゃうくらい、オドロオドロシイ雰囲気を造り上げようとしていて
それはもう ものすごく大げさというか ド派手というか ご大層というか、

もう、とにかく、た~~~いへん!なのだ(笑)。

だからなのか、
この小説が 雑誌(月刊ドラゴンマガジン)に連載開始後まもなく
カプコンがゲームにした(→こんなの

なるほど、これはゲームだ。




去年のテーマカラーのクリーム色のアリッサムにクリーム色のビオラ。
仲良しだったんだね。






たとえば、最近読了した『カオス レギオン 04――天路哀憧篇』では。

ジークが 左手を地面に叩きつける時のセリフ。

「無念の魂よ!

 海刻星(ネプトウーニ、と読む)の連なりの下、
 迅魔オウディウムとなりて 我が敵に走れ!」p93



「悲憤の魂よ!

 地刻星(アーノス、と読む)の連なりの下、
 厳魔ヘイトレッドとなりて 我が敵を払え!」p156



「水刻星の連なりの下、凄魔ギルトとなりて 我が敵に見せしめよ!」p238



そして 「山羊座の陣!(ハナエル、と読む)」、
「蠍座の陣!(バルビエル、と読む)」、
などと指令を出している(らしい)。



ゲームだよね~。

そんなことより、難しいよね~。

ジークは騎士になるために 幼い頃から訓練したというけれど
これは相当、言葉の勉強もしたねえ。。




うっすら赤紫色のアリッサム。いったい何年前のこぼれ種?



感心なことに、バトルが終了した後、(もちろん 主人公は必ず勝つ!)
ジークは必ず この銀のシャベルで 死者を埋葬するのだ。

大勢の敵を倒すけれど、

死者の魂の声を聞くことができる、という特技(?)を生かして
死者のひとりひとりの 宗教や出身地の習慣に従って
埋葬してくれるのだ。

優しい! というか、丁寧!

何百人も死んでそうなのに、あっという間に穴を掘ってしまう。

きっと 怪力で 穴を掘るのが上手で
そのうえ シャベルの機能も優れているのに違いない。

(そういえば 鳥葬・風葬・火葬は出てこなかったような気がする。

 場所は ヨーロッパの、ゲルマン系の言語の地域なんだ、きっと!;笑)



この「天路哀憧篇」には

死と苦しみに 真実を見ようとするのは 根源を見ようとする試みだ、
というセリフが出てくる。

「死は、生命がどこへ行くのかを暗示してくれる。

 死と苦しみに触れた時・・・・・・
 生命の源に・・・・・・
 一瞬だけ、手が届く気がするんだろう。」



これはジークではなくて レオニスという少年のセリフなのだが

「死」というものと「生命」というものとが

類似しているというか

延長線上にあるというか

同時には味わえないけれど、一緒、というか

「死」と「生命」とは 仲良し、というか

「死ぬこと」と「生きること」はおんなじ、
という私の感覚と共通したものを感じて

ちょっと嬉しかった。

その後の息子

2007-06-03 | こどものこと
咳は なかなかとれなかった。

夜、寝付く頃になると 
二階の息子の部屋から 苦しそうに咳き込む音が聞こえてくる。

本人によれば、熱を出した娘を迎えに
夜 亭主と一緒にイバラキへ迎えに行った、
あの辺りから風邪気味だったという。



雨上がりのアルケミラ・モリス






病院の診断は「偏頭痛」だって。

なんだか どの医師も「偏頭痛」って言葉を口にするときに
特別な響きを持って言っていた。

「偏頭痛」外来でもあるのかな?

普通だったら 軽く見られそうな「偏頭痛」も
きちんと受け止めてくれそうな医師団、

それと 強烈な痛みや 吐き気を伴っていたからだと思うが
あれこれと検査をしてもらった。

検査をして 疑いが晴れれば
たとえ咳をしていても 安心して聞いていられる。



一週間たっても二週間たっても 咳は止まらなかった。

ふと 炎症を抑える効果がある、と聞く
ナタマメ茶のことを思い出し、
久々に(苦笑)煮出して 作っておいた。

冷やしておけば
息子は勝手に飲む。

冷たい飲み物で のどを冷やすのは 逆効果とも思ったが
「ああ、飲んでるな。」
と思った翌日から確実に咳が減って
だいぶ良くなってきた。

これは お茶の効用?

それとも 治る時期だっただけ?










いや、そんなことより、
履修届けだ。

ちょうど締め切りを迎える時期で、
事務局の方も多忙を極めており、
私は私で混乱していた。

私は焦るのに、息子は泰然自若? 

こういうのって、
実家の母や姉が 私に向かって いつも言ってたけど、
腹が立つね(苦笑)。



それでも さすがマンモス大学?

息子の履修届けは 遅れても大丈夫なようにしてくれてあり、
さほど遅れずに 個人時間割票をいただくことができた。

できたけど、
大変だった!(笑)



それからしばらくして
生活も落ち着いてきて

サークルの勧誘活動も沈静化して(笑)
息子が 毎日の時間割の通りに帰ってくるようになった。

そしたら
息子は 自分で起きて
駅まで自転車で通うようになった。

帰りはもちろん、自転車で帰ってくる。



これは 当たり前のことのようだけれど
朝 起こされないと起きなかった我が家の子ども達にとっては
非常に画期的な出来事!!!!!

一時間目がある日には(なんと、月曜日にあるんだよ!)
私が目を覚ます6時頃には
自転車で出かける。

私が少しでも寝坊すると もう 家にいない。

自立したのかしら~?










電車通学を 息子は中学・高校と 6年間やってきた。

(だから、麻疹の予防接種を受けたのだった。)

私は その送り迎えを  重要な仕事のひとつとして
やってきた。

その仕事が (ほぼ)終わったんだなあ。。。



残るは、運転免許。

毎週、土・日に 教習所へ通う生活を続けてきたが
ここで大学は はしかによる閉鎖。

「おまえ、今週中に 免許をとれよ。」

「あぁ。」

折りよく、息子は 先週初めに卒業検定に合格。

朝寝坊して 免許センターに行けなかった日の次の日、

つまり、一昨日、
ちゃんと合格して 免許証をゲット!

オメデトウ。



あとは 実際に道路を走れるようになるまで、
数回、一緒に乗って 慣れさせるだけ。

これは 娘の時も やった。

「恐い!恐い!」と叫びながら運転していた娘。

息子は どういう運転だろう?

助手席に乗るのは、少し スリルがある(冷汗)。

髄膜炎?

2007-06-02 | こどものこと
息子は病室に移った。

今夜は連れて帰れないということだ。

医師は 脳炎の疑いは晴れたが
髄膜炎の疑いがあるという。




ハンギング仕立てのクレマチス。赤紫色は咲いた。





髄膜炎になると 首の後ろが硬くなるそうだ。

普通は 
仰向けに寝ているところで
首を後ろから前へ起こすと 首だけが前に曲がるが

息子は 首と一緒に 上半身がついてきて
起き上がりそうになる。

これは 首の後ろが硬くなり始めたのではないか。

髄膜炎の兆候ではないか。

検査のために 腰に注射針を刺して
髄液を採取させて欲しい。

母は ドキドキしながら
お願いします、と言うことしかできない。



20分ほどで終わります、と
病室から出されて
談話室から家に電話を入れる。

「髄膜炎かもしれないって。

 今、髄液を採って検査してる。」と。



髄膜炎には ウイルス性と 細菌性との2種類がある。

どっちか忘れたが 
多分 ウイルス性の方が 予後が良く、
細菌性では 後遺症が残ることがある。

この場合、後遺症が残る確率は ほぼ半々。

とは、その時 医師に聞いたような記憶もあるが
後日 「徹子の部屋」に出演していたフックンが話していたこと。

怖ろしい炎症だが
早期に発見すれば 完治が見込める。

とにかく 検査というものは
結果が出るのが楽しみと言う場合は少なく、
ドキドキ 不安になるものだ。



・・・・・・結果はシロ。

じゃあ、なんなんだ!?




八重咲きの 薄紫色のもなんとか咲いた。けれど白は咲かなかった。
花後、すぐに 植え替えた。 今まで植え替えなくて、ゴメン。





暗くなってから 家に 何度目かの電話。

娘は 私の身体の方を心配する。

「大丈夫だよ、いくらママでも、一晩くらいなんとかなるよ。」

明日は連れて帰れるつもり。

「うん、予報どおり、外はすんごい雨だしさ。

 今夜はここに泊まるよ。」



そしたら、「お家の方は 帰ってください。」とのこと。

そんな。

こんなに可哀想な様子の息子を置いて?

わかりました。

帰ります。

外はすごい雨だけど。

談話室の椅子では 私は 腰や背中が痛くなって眠れない。

ベッドの脇には
折りたたみ椅子しかないから 横にはなれないし。。。。。

面会時間が終わって 帰途に着く頃には 
雨は小降りになっていた。

歩道の脇には 夜目にも明るく 
光を宿したような 一重のヤマブキが 咲いていた。

これが、水曜日だった。




近所の、どこで撮影したか忘れた。





翌日、翌々日と 続けて通い、
息子は日に日に元気になっていった。

(『北方水滸』も『カオス・レギオン』も読み進んだ。)

頭痛と咳とは なかなかとれなくて
身体を起こしているのが辛そうだったが

ご飯を起きて食べられるようになってきた。



土・日には 仕事も忙しいので
病院には行くな、との命令が下った。

「だいたいが、ママは、息子に甘いんだよ。」

「そう、そう!」

娘と亭主が 言いたいことを言う。

でもね、病気の時って、不安なものじゃない?

それにあの子は
自分が生まれたとき以外では
最初の入院なんだよ。

おまけに、あの 緊張で頭痛になる、
緊張でぶっ倒れそうになる、
あの神経、あの性格。

可哀想じゃない?

娘や亭主を恨みつつも
何故か従う私。

そして 月曜には 亭主が病院へ向かった。



「もう退院してもいいですか?」

「そうですね、明日 退院にしましょう。」

「今日、退院してはいけませんか?」

「・・・・・・大丈夫でしょう。」

「では、今日、 退院させてください。」

半ば強引に 息子を連れて帰って来た亭主。

これは、私ではできなかったなあ。。