ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

感じたくない

2018-09-08 | なんでもないこと
2つの点に 顔を近づけ 焦点をぼかしていくと、
 3つに見える瞬間があります。

 その時、視線をそのまま作品に移して下さい
。」

などと書いてある、3D画像。

面白い画像だよね、と 思わず言ってしまいそうな風景。

神さまは 地面を 平坦になさりたかったのだろうか?

まりにキレイに そこいらじゅう 
土砂崩れを起こして 傷つけていて
私は ただただ 呆気にとられている。





ついこの間も
みるみるうちに 被害者数が80人を超えるのを
TVで見ていた。

同じような記憶が 過去にもある。

(同じでは 決して ないけれど。)





傷を受けた場所は 
完治したように見えても、もろい。

同じ場所に 同じような傷を受けるのは
とても痛い。

痛くて、辛い。





てんかん という病を持った人が
車で幼い命を奪った、というニュースに、
「もう やめてくれ!」
と小さく叫んだ事がある。

てんかん と闘いながら 
社会生活を頑張っている人たちがいる、
と聞いていたから。

薬の飲用を止めて 発作を起こすなんて、
してほしくなかったから。

そして、あの時
人の命が奪われる事に 
大震災直後の私が 過敏に反応していたから
だったらしい。



あの時、私の心は傷ついていて、
もう これ以上 同じ場所を傷つけてほしくなかった。

かなり 自己中心的だけど(苦笑)。





「紀伊水害」というのが あったらしい。

2011年9月の事だったらしい。

死者・行方不明者 88人。

それから7年が経った、と新聞で読んだ。

記憶にない。

私が 自分の心を守るために、アタマから削除したらしい。

私らしい。

有用な手段だ。

けれど、時として 不適切であり、危険でもある手段だ。





いつも 災害があると
「自分は被災していないのに こんな事を言って良いのか?」
とか 
「私は何もできないのに、お気楽にこんな事を書いていて良いのか?」
とか 
いつも 後ろめたさを感じていた。

今回は 知人の大事な人が 
北海道で 避難生活を強いられているらしい。

精しい事は 何もわからないし(聞けないし)、
だいたいが、その人とは 一度会っただけた。

私は やはり 当事者ではないので
なんのかんのと発言して良いのか、
との思いは消えないけれど、

苦しいけれど、
悲しいけれど、
それらを感じたくはないけれど、
アタマから消し去ろうとはせずに
チカラの限り 覚えていようと思っている。