ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

新宿高層ビル病院

2007-05-31 | こどものこと
息子の入院先は新宿、
新宿からの行き方は 大学の人に聞いて
落ち着いて出かけた。

何しろ、先日
行きは 娘のワゴンRに搭乗して、
帰りは それを運転して
イバラキと当地を往復した時に読めなかった
『北方水滸』と『カオス・レギオン』、

これをバッグに詰めて 出かけて
存分に読書を楽しみ、
で、思ったよりもずっと早く病院に着いた。




パンジーやビオラやチューリップが終われば、ユリの季節。
今年一番に咲いたユリ。





新宿、高層ビル街。

昔懐かしいのが そのまま建ってる。

見たことのないのも 高さを競っている。

損害保険会社のビルは
会社の名称が変わったので ビルの名称も変わった。

そんな中を歩いて行って病院へ。



息子は 処置室を暗くした その薄暗がりの中に
横たわって 点滴を受けながらウンウンうなっていた。

ありゃりゃ、これを連れて帰るのは 容易じゃないなあ。



アンチャンかと思うような若い医師が
テキパキと説明をしてくれる。

息子は 強い頭痛と 強い吐き気を 訴えていたので
頭部のMRIも撮ったという。

これでは異常は見つからなかったという。



なんでも、息子は 目、特に左目の奥が痛むんだそうだ。

「こういうのは、初めてですか?」

「ハイ、目が痛い、というのは 今までありません。」

父が脳梗塞、姉がくも膜下出血、なんていう話は
聞かれなかったので 言わなかったが

なんだか変だぞ、

思っていたいつもの風邪の症状とは どこか違うぞ、

診療所や病院の対応が大げさなのではなくて、

これは本当に 少々 心配の必要がありそうだぞ、

と だんだん恐くなる私だった。

とりあえずは 脳の血管系の病気ではなさそう、とのことなので
かなりほっとした。




ヤマボウシ、我が家のは枝垂れ。
最近 少し 枝垂れらしくなってきた。





では、息子のこの症状は いったい何なのか?

医師によると 
息子は吐き気も強くて
飲んだ薬を吐いてしまったせいもあるが

点滴による治療をしていても 
いっこうに症状が軽減する様子がないとのこと。

血管系の線は消えたので
次に疑わしいのは 脳炎と 髄膜炎だとのこと。

検査によって 脳に炎症はないらしいとのこと。

残るは、髄膜炎の可能性。

頭の中を するりとすべって どこかへ消えて行ってしまいそうな話を
一生懸命に 記憶のひだに留めておこうと努力する。




カッコウが鳴き始めた。ジギタリスが咲く。



入院を薦められ、緊急入院ということになった。

息子はストレッチャーに乗せられて
私とは会話もできないまま

(でも 医師や看護士の質問には 時おり答えてる;苦笑)

病室へ向かう。

病棟はなんと、15階。

窓の外には たぶん有名な、私は泊まった事のない高層ホテル。

ケータイは使えないし、
デジカメを持ってくるんだったなあ。。。(笑)



今、息子は 元気に大学に・・・行ってない、
はしかの騒ぎで閉鎖中(笑)、
でもご心配なく。

                             つづく

息子の頭痛

2007-05-30 | こどものこと
毎年4月は 8、9、10、11日と 忙しい日が続く我が家。

子どもたちはほったらかしになる。

だから ひと息つける頃になると
子どもたちは小さいころから
何かしら問題行動を起こした。







小さい頃には熱を出した。

もう少し大きくなってからは 登園拒否。

もっと大きくなってからも 必ず、
どちらかが 何かしら 問題を起こした。



息子も大学生になったことだし、
もうないだろうと思って 安心していた 11日の昼前。

私は 午後には 来客の予定があるから その前に、と思って
掃除をしていた。

なんと、シンジラレナイことに、
大学から電話があった! 








「息子さんが 頭痛を訴えて 診療所に来ています。」

ああ、大学では保健室って言わないんだ?

息子は ここのところ ずっと咳をしていて
風邪っぽかったのに
夜更かしのクセが抜けなくて

それでいて 朝は早く起きて 大学に行ってたから
とうとう熱を出したか。



こういう時、息子は頭痛に出る。

中学・高校に入ってからも
風邪気味のときに不摂生を重ねていると
ときたまこういうことがあって

「迎えに来てください。」と呼び出しがかかることがあった。

何故かいつも亭主が居る時の呼び出しで、
亭主に迎えに行ってもらっていた。

今ならナビがついているから 息子の高校に私も行けると思うが
それ以前の私では 
電車とタクシーでの迎えになっただろう、

車で行くとなると 何時間かかることやら?という感じ、

遠くの学校に出したことを ちょっぴり後悔することになる。



・・・・・・遠くの大学に、迎え?

「早くても3時頃になりそうです。」

「救急車で 病院へ行ってもらいますので
 なるべく早く 病院の方へ来てください。」

あら、まあ。

大げさな。

でも、まあ、こんな時の息子はいつも
思いっきり具合が悪くなるので
自分では動けないかも?



その電話の最中に 突然の来客、
これがまた 手間がかかる苦手な用件、

亭主は出張でいない、

いないのに午後には 予定が入っていて
私は忙しい、

こちらは ひとりで慌ててバタバタしてるのに
娘は まだ寝てるので腹が立つ、

二階に向かって大声で怒鳴って娘を起こし、
「お前に病院まで行ってもらうから!」と言って
お客さまに対応。



面倒な用件をどうにか済ませて戻ると
寝ぼけマナコの娘は

「ママ、慌てすぎ。」だって。

悔しい(涙)。

確かに 私はパニックしてた、
珍しいくらいに。

深呼吸して、
どうするのが一番いいか?と 落ち着いて考えてみて、

午後の用事を娘に託して
私が病院へ行くことにする。




先日 出かける寸前に 家の中にスズメを発見。
外に出そうとしたら スズメもあせって? 窓ガラスに激突。
窓の外(雨戸のレールの上)に出して、
せっかくだから写真に撮って、出かけた(笑)。
脳震盪?から目覚めたけれど まだ意識朦朧といったところ。
廊下には フンが。。(涙)



ちっとも役に立たないくせに
図体だけは家中で一番でかい息子、

なんとか叱咤激励して 電車に載せて 連れて帰らなくちゃ。

病院は 新宿にあるらしい。

                          つづく

息子の大学入学式

2007-05-22 | こどものこと
入学式は4月上旬、千代田区で行われた。



寒さが戻って 思いのほか 桜の時期が長かったので
まだまだ見ごろだった、千代田区の桜。





息子の晴れの日、入学式には 私が一緒に出かけた。

息子は別段 嬉しそうではなかったが
一緒に行くことを拒否させるつもりも こちらにはなかった(笑)。

行ってみると 多い。

母と新入生のペア。

もちろん、オトコノコも。



息子は 先日 イトーヨーカドーで購入したスーツ。

周りを見回せば 皆 似たような黒っぽいスーツのパレード。

電車が駅に着く前から それとわかる親子が山ほど。

茶髪もいる。

息子は 黒髪。(小さいころは茶色かったのにね。)



さて、入学式会場には
ひとりにつきひとりの保護者、と プリントに書かれていたにもかかわらず、

地方から飛行機でやってきたという ジジさま・ババさまもいらっしゃって
人生の一大イベントなのだと実感。

マンモス大学って、こんななんだ~と、母はきょろきょろ。

新入生とは別の席なので となりに座ったお母さまとおしゃべり(笑)。



お昼過ぎに終了・解散、
あらかじめ決めてあったサンドイッチ屋さんで待ち合わせ&お昼。

それから母は 大学の教室で
学部ごとに説明会がある。

息子は あこがれの神田の古本屋外を歩いて来る、と。







こちらはお堀端の桜。





無事に説明会も終了して 上野の駅で待ち合わせ。

ブックガーデンそばで 無事に会えた。

ケータイがあるから、こんな時はやっぱり便利!



この2回の待ち合わせと 息子の時間の使い方について
前の晩は 深夜まで 家族4人で
あーでもない、こーでもないと 大論争(笑)。

息子は東京へは受験以外では出かけたことがないし、
何しろ、方向音痴。

私も 方向音痴気味であることと 何しろ疲れやすい。

息子はまだ 何かにつけて 私に頼ろうとするところがあり、
亭主が
「お前がママを守るんだよ!」と。。。(爆)

信頼されてない母って、結構、カナシイ(笑)。






ようやく 4月の内容になった、
テンプレートは、そろそろ変えよう(苦笑)

いきなりの午前さま

2007-05-21 | こどものこと
自己紹介欄の子ども達についての説明を 先月 書き換えた。

高校生だった息子が 大学生になった。



4月早々の入学式の大学もあると聞き、
「ずいぶん早いなあ。」と思っていたが

息子の大学では 入学式前にガイダンスなどが続き、
結局同じみたい。

こうして さまざまなことに慣れてから入学、というのも
悪くないと思った。




本日の画像はTシャツシリーズ。全部息子の(笑)。



ウチの息子は
けっこう 緊張するタイプ。

というか、もう、必要以上に緊張して
神経が疲労困憊してしまうタイプ。

毎日 必死で通っていたと思う。

通学にも 今までとは段違いに時間がかかるし。

電車はこの時期、異常なまでに混むし。

新宿までず~~っと立ってた、
と 腹を立てて帰って来た日もあった(苦笑)。





決して、オックスフォードや東大に入学したわけではない。
って、言わなくてもわかるよね。





毎日 ガイダンスや 健康診断などがあって
毎日 大学へ行ってたわけだけど

大学の新年度と言えば、‘勧誘’。

さまざまな部やサークルが そこここに陣取って
「是非、我が○○サークルへ!」とやる、あれ。



息子は入学して間もなく
高校の先輩が所属しているサークルに誘われた。

知っている人がいる、というだけで
嬉しかったのに違いない。

少々変わったサークルでもあり、
息子は入部しないつもりのようだが

入部しない代わりに? 勧誘を手伝うことになったらしい。??



毎日 ガイダンスの合間に 声を枯らして?勧誘を。

そして ある日 ついにその日が来た!

新入生歓迎コンパ!

入部しないって言ってるのに(笑)。

てか、まだ入学してないってのに(爆)。



「だから ちょっときょうは遅くなる。」

朝 駅へ向かう車の中で
息子は
すこ~し嬉しそう、すこ~しエラソウ、でもさりげなさそうに(笑)
そう言って車を降りた。

(教習所へは通っているのだけれど
 例の必修逃れのために
 卒業式までの空いた日々を
 世界史の補習授業で潰されて
 その間に教習所は目一杯混んじゃって
 せっかく卒業しても教習を受けられなくて
 自動車免許の取得に関しては
 予想・予定よりも ぐぐぐぐっと、遅くなっている。)

私は
「電車があるうちに帰って来いよ。」
と送り出した。




ゲバラかと思った、ミュージシャンらしいけど、誰?




さて、その夜。

終電を逃さなければ、とは思っていたけれど
そういえば近年 
通勤・通学客が こんな田舎からも増えたらしく 
終電が以前より遅くなっている。

息子が駅に到着したのは
なんと、夜中の零時半ごろ。

迎えに行ったのは亭主。



息子は 車に乗るなり、
「すいません。」「すいません。」と小さくなっていたそうだ。

確かに、時間を逆算して考えると
まだ一次会の真っ最中、と思える一番楽しい時間に
抜け出してこなければならない。

亭主も あまり小言を言わずに済ませたらしい。

可哀想とも思うけど
いきなり、御前さまじゃあねえ。。。

とりあえず それからは コンパに参加していないので
<いい子>で真っ直ぐ帰って来ている。




バッハって、こんなスペル?


それにしても、見たかったなあ。

いつも生意気で 尊大な態度の息子が、
小さくなってるところ(笑)。

子育ては‘どんどこ踊り’

2007-05-17 | こどものこと
吉村作治氏が 先日のお話の中(5月14日の記事)で

「子供に夢中になるものを見つけさせ、
 興味を持続させるにはどうすればいいか?」

との質問に答えて

「まず 子どもが夢を見なければいけない、
 そのためには 子供にいろいろなことを体験させること」

と言っている。






ご近所散策の折の、ジャーマンアイリス?
アヤメやカキツバタでは、ないよね。





親がいいと思ったものがいいとは限らない、

何をやってもいいんだと
(ただし公序良俗に反するもの、
 人に迷惑をかけること、
 自分を木津つけること以外は)
親が価値観を変えなければならない、

ちょっとやって ダメだとあきらめた時には 
また探せばいい、
持続性がないと勝手に判断しない、

などなどが書いてある。

そして
「親として つかず離れず 見ていること」が大切、と言う。



そのあとに
「それは 花の栽培にも似ていますね。
 
 水をやり過ぎれば 腐ってしまいますし、

 やらなければ枯れてしまう。」

という言葉があった。

これは 意外とたくさんの人が実感しているのではないだろうか?

私もそうだった。








いろんな色のこの花を見たことがあるが
複雑な色のものは 不思議と減った気がする。








どうやら子どもは こちらの思い通りになるのではないらしい、
と思い知った後も

思い通りにならない自分の身体と
困ったことばかりしてくれる娘とに疲れ果てていた頃。

家から出ることは たとえ買い物でも自由にならなくて
毎日 毎日 毎日 毎日 家にいて
(あ、これは 今でも ほとんど同じか!)

それで 出かけることをあきらめた時に
開き直って始めたのが ガーデニングだった。

これは、(腰は痛くなるけど、)楽しかった!

そのうち ふと 気づく。

花は 子どもたちと一緒だと。

花は 子供たちなんだ、
子供たちは 花なんだと。



氏が言うように

水をやらなければ枯れてしまうし、

やり過ぎれば腐ってしまう。

肥料をやらなければ 育ちが悪いし

やり過ぎれば やはり枯れてしまうのだ。



植え替えも 水も 肥料も 適切な‘時’がある。

‘時’をはずしても
愛情が足らなくても
手をかけすぎても 
花は思い通りに咲いてはくれない。



根が詰まれば成長しない。

植え替えが遅れると
根が詰まって ひねこびてしまう。

ちょうどいい大きさの鉢に植えた時のほうが具合が良さそうだ。

根を上手く張れた苗は 多少の風雨でどうにかなるものではないが
張れなかったものは・・・無残な姿をさらけ出す。



一方、植え替えた途端、2、30分もすると
グン!と音を立てたように 一回りほども大きくなる苗に
目を見張ったことがある人も多いことだろう。

必要な時期に 必要な手間をかけてあげられたことの、
安堵と喜び。

それにも増して、
植物の生育の旺盛さ、生命力の強さと美しさ。



これは 私が育てているのではない、
植物が自分で育っていくのだ!

私は それにちょっと手助けをしてあげているだけ。

子育ても同じかと思う。

子どもは 放っておいても 勝手に学び、育っていく。

しかし手助けは必要だ。

だから 子育てというものは

トトロが 
夜の庭の 土に埋めたどんぐりの前で

♪どんどこ、どんどこ、どんどこ、どっと♬

と踊りながら
 
芽を出せ、目を出せ、
大きくなれ、大きくなれ!

と念じていた(と私には見えた) 
あの‘どんどこ踊り’と同じようなものなのだ、と思える。

トトロも 精一杯パワーを出して
一生懸命に念じていたではないか。

人をひとり育てるということは
この‘どんどこ踊り’と一緒で
単なる手助けであり、
そして・・・パワーの要るものなのだ。





「みんな違って みんないい」は この花のためにある言葉?





私はいったい子どもたちに何を求めているんだろう?

旺盛に根を張って 風雨にまけない 葉色も美しい丈夫な苗が
人生にみごとな花を咲かせてくれることではないのか?

立派な実を 実らせることではないのか?



そのためには
手をかける‘時’を間違えてはいけない。

愛情という肥料を注がなくてはいけない。

手間をかけなくてはいけないが 
愛情も肥料も 
かけすぎては 
足りないよりももっと 取り返しのつかないことになる。



水が足りなくて萎れたものは
あわてて水をやれば丈夫なものは元気を取り戻すけれど
水をやりすぎて腐ったものは
水遣りを止めても 腐るのを止める事はできない。

肥料が足らなくてひ弱な苗には 
肥料を足せば大きくなることもあるが
やりすぎて枯れてきた苗を 蘇らせることはできない。



植え替え時期に植え替えるように
世界を広げてあげなくては。

根っこを充分に張れるように
空気をいっぱい吸い込めるように
自由にさせてあげなくては。

手かせ・足かせをつけてはいけない。






今年はいったい どれほどの実をつけるつもりなのか?
満開の柚子の花。





私は それはもう いろんな事を 植物に学ばせてもらった。

最初に蒔いた種は、いきなり、パンジー(爆)。

パンジーのおかげで(笑)
子どもたちは(今でも 多々問題はあるけれど;涙)
なんとかここまで大きくなった。

花に学んでからは
「今 これが どうしても必要か?」
「今 一番必要なのは何か?」
「今 どうしてやることが一番この子にとっていいのか?」
「将来 これが この子の役に立つのか?」
などと考えて 子どもたちに対処できるようになった。

どうもそれまでは
私自身の「こうあってほしい」型に 当てはめたくて
無理をしていたようだ。

無理をして 型に押し込んでは 反発されて 
がっかりしたり 怒ったり。

これは、かつての 実家の母や姉と 同じ苦しみ・哀しみだ。

けれどウチは
反発してくれる子どもたちでよかった!(いや、ホント!)





さて、それでは ウチの子たちは
どんなに素晴らしい苗、いや 子どもたちに育ったか?

う~~~ん。。。(汗)(汗)(汗)(汗)(汗)(汗)

亭主も娘も 私が息子には甘すぎる、と責めるんだけどねえ。

あの子、言うこと聞かないのよ。

それに、娘よ、
私は 相当 お前にも 甘くしてるつもりなんだけど(苦笑)。

パパ、あんたにもね(爆)。

廃棄野菜

2007-05-16 | 明るい農村
シャクヤクのおばあさんの家から戻る時は
行きとは別の道を通った。

ヨウちゃんちの方から帰る。

ちょうど ヨウちゃんは
種を蒔いた畑に
ビニールのトンネルを掛けているところだった。


先週のヨウちゃんちの畑で撮影。
キャベツの花盛りだった。



こんにちは、と声をかけ、
「犬の散歩かい。」
と返してもらった。

周りを見渡すと キャベツ畑は
すっかり‘かんまして(かきまぜて)’あった。

かんました畑の写真は撮らなかった。






春菊の花。





昨日の朝刊に
「余った野菜の廃棄減らせ」
「飼料、肥料に 素早く転用」
「引き取り業者 事前登録」
という見出しの記事が載った(2面)。

目的は、
豊作で値下がりした野菜を畑で潰す「産地廃棄」を減らすこと。

農林水産省が 
取れすぎた野菜を 飼料や肥料の原料などとして
あらかじめ登録した加工業者に優先的に活用してもらう新制度を
導入した。

「野菜需給調整協議会」というものを作るんだそうだ。

これで 農家が毎年張っていた博打が
少しは堅実なものになるのかな?











生産過剰になって値崩れを起こした野菜は
出荷すればするほど 手間だけではなくて お金がかかる。

作って出荷する側からすれば、
値段が高い方が嬉しい。

さて、それでは、
今年は何の値段が‘いい’か。

それは誰にもわからない。

中には パソコンを駆使して
作付面積から推し量る百姓さんも出現してきてはいるが

なにせ収量が天候に左右されるこの世界、

どうなるかは 終わってみなければわからない。

何の種を蒔くのか、一年間の収入を賭けた‘博打’と呼ぶ所以。



これまでは 過剰に生産された野菜の引き取り先を
生産者が探していたが

業者の事前登録によって 
「速やかな対応が可能になると期待している。」
のだそうで

もしそうなれば
家畜の飼料を輸入に頼る割合も減るのではないか?



とにかく
畑が‘かんまされる’姿や
‘かんましている’お百姓さんを見たくない私には、朗報。

どこまで活用してもらえるか?




当地で流行っているイチジクの仕立て方。
もう青い芽がだいぶ伸びてきている。

曜日感覚

2007-05-15 | なんでもないこと
子どもの頃 
平日は 休みになる週末が楽しみで
週末になると退屈して 「早く月曜にならないかな。」と思っていた。

今、 土・日・祝祭日が忙しい日々が続くようになっても
週末は子どもの学校がないから朝寝坊ができて嬉しい。






以前にも記事にしたお婆さんが 今年もシャクヤクを持って来てくれた。
一幅の絵のような華やかさと とろけそうにいい匂い。





でも この春は メチャクチャに忙しくて
毎日毎日 バタバタしていた。

感覚の中では 
毎日 「土・日。 土・日。 土・日。・・・・・・」
と繰り返しているようで、
曜日感覚が狂った。






きのう 頂き物のお菓子を持って(笑)尋ねて行き、お断りを入れて写真撮影。
今年は畑の中の墓地を写真に入れないゾ!(爆)




ところで、
亭主の例の(笑)請け負い仕事先は
新しい事務所を新築・移転し、
無事に開所式を済ませた。



そしたら、今度は 近所へのお披露目を兼ねて
落成式をするんだって。

ようやく引越しが終わったところなのに、ご苦労なこった!











落成式に向けて
またまた亭主は忙しい。

実家の父親を気にしながらも
とても休むどころではない。

そして 例の(笑)思いつきでモノを言う人々に囲まれて

「君に任せる」と言われた仕事を
一生懸命 家に帰ってやり遂げて持っていくと それをたたき台にされている。

先日は
「この⑥って、何?」
「6個目の資料、ということです。」
という会話をしたらしい。

たたき台なら それもいいけどね。











で、結局、アッチの問題も コッチの問題も
亭主が最初に作った‘たたき台’の通りにされたようで(爆)。

今 亭主は 間近に迫った落成式とその後の祝賀会の準備に追われている。

私は毎日 思う存分 パソ子に向かっている(笑)。

倫理・道徳・品格・武士道(1)

2007-05-14 | 考えたこと
忠恕のこころ、と呼ぶ人もいる、
ヒトに なくてはならない、思いやりの心。

思いやりを失くしては 生きていく資格がないとする、道徳観。

あるいは、

だらけた部分とそうでない部分、
公と私、ハレとケ、表と裏に
区別をつけ、ケジメをつけ、メリハリをつける生き方。

そんなものが
なんだか 最近 どこかへ行っちゃったなあ、と 
ここんとこ数年来、ずっと思っていた。

言葉足らずになることを恐れずに 
頭の中でムジュムジュと考えていることを
文字に変換してみよう。




花が咲き出したので 家の中に入れ、
ミニ胡蝶蘭をどかして事務所の一等地に置いた 丁子草。
ここがお客さまの目の前、一番良く見える場所。



というか、最近 様々なところで
私の頭の中のムジュムジュと同じようなことを
それぞれの人が いろんな言葉で発信しているのに
出くわすことが増えた(ような気がする)。

つまりこれは
私と同じように感じている日本人がたくさんいる、
ということではないかな?

『武士道』というお札の顔になったことのあるオジチャンの
古い古い本が
ベストセラーになったり

『国家の品格』なんていう、
ちょっと前だったら絶対売れないようなタイトルの本が
昨年の年間を通じてのベストセラーになったり

これらは つまり 大勢の人が

ちょっと今の日本、おかしいゾ、
昔の方が正しかったかも知れないゾ、
進む方向が 違ってるかもしれないゾ、
今のままでは ちとヤバイゾ、

と 振り返ったり 反省したりし始めてる証拠じゃないかな?



上手くいえないから
ちょっとずるいけど 
いろんな人が言ったり書いたりしたものを
集めてみたいと思っている。

見つけたら その都度 
私の窓に掲示してみようと思う。

だから、タイトルに(1)と付けてみた。

さて、これから どうなるかな?(笑)




黄緑色の葉に 薄紫の花。はかなげだけど、思いのほか丈夫。



エジプト考古学の吉村作治氏。

「衣食足りて 礼節を知る」
という言葉があるが、
氏は
「礼節を知って、衣食が足りる」のだ、と言う。



日本がアメリカに負けたのは
精神力の敗北ではなく、モノを持たなかったから負けた、と
日本は勘違いをした、と語る。

(いや、モノがなかったから負けた、とは思うけどね。

 でも一番の原因は 
 戦争を始めてしまった指導者のモノを見る目、冷静な判断、
 戦争を止めさせられなかった人たちの指導力の欠如か?)

とにかくそれで、
日本は 
「とにかく、モノだ!」
という考えにスイッチしてしまったのだと 氏は言う。

お腹一杯 食べ物を食べたい、
いい服を着たい、
美味しいものを食べたい、
確かに 一時期 それらが幸福を運んでくれた、
とは思うけれど。



氏は 戦後 物質一辺倒でやってきたことを
今 もう一度 スイッチを切り替えるべき時期に来ている、とする。

精神のありかを問い直せ、
そして
礼節を知れ、と。(サークルアーツ 増刊103号)



精神の在処。

忘れてしまっているかも。

礼節。

失くしてしまったかも。

とにかく、面倒なことは全部
古いもの、遅れたもの、要らないもの、悪いものだとして
かなぐり捨てて 走ってきたような気がする。



その頃は 
走っていく先にあるものは明るい未来で 
楽しいことばかりがあるような気がしてたんだけど。

ラクして、面倒がなくて、楽しい。

人間関係でも、モノ作りの手間でも。

それが正しいことだと思っていたし
「アメリカ的」なことだと思っていたような気がする。

私たちは 正しくて輝かしい未来に向かって
突き進んできたはずだった。



どこで間違えたんだろう?

それとも、最初から方角を間違えてきちゃったのかな?

礼節って、面倒で要らないモノじゃなかったのかな?

道を間違えたのなら 来た道を戻るとか
本来の道の方へ行き先を変更するとか舵をとりなおすとか

方法はきっとあるはず。

・・・・・・そうすれば 全ての人がシアワセになれるのかな?







それから、
これは 私から、
宗教教育について、ちょっとだけ。

従来、
日本において 
宗教教育というものは
道徳教育と同じく、家族が担っていた。
(おっと、近所もだね。)

それが なし崩しにされたのが 戦後日本の姿だ。

「先生、どうして、人を殺しちゃいけないんですか?」

この問いに答えられない教育者を育ててきた、

それが この 戦後日本の 宗教教育なのだ。

けれど私は この問いに 自信を持って答える自分を
想像できないでいる。

プチ*自慢 その1

2007-05-12 | なんでもないこと
むかし 
幼い息子の手を引いて
駅の近くを 音楽教室に行くために歩いていたら

一台の大きな車がすうっっっっと寄ってきて
窓がすうっっっっと開いて

顔を出した大柄な男の人が 私に道を尋ねたことがあった。

「○○ホテルは、どのへんですか?」

大手とは言えない チェーンのビジネスホテル、
ああ、あれは、もっと、あっち。。。




小さな畑に 何かが植わった。



数年前、駅舎が新築されて場所を変えたけど
駅前通りは動いていないので
駅前通りが 駅の前にない、我が家からの最寄り駅(爆)。

「あれが駅前通りですから~」

私の指差す方を見て 「!」といった様子の
運転席と助手席の、
それは、
ちょんまげを結った力士!

もちろん、ゆかた姿。

「そこは、遠いんですか?」

「いえいえ、近いですよ。」




どうやら、ジャガイモみたい。



人助けができたと ほっとして 音楽教室に向かった私は 
てっきり 
お相撲さんたちは ビジネスホテルに用があると思っていた。

そんなことも忘れた、
そう、1年近く経った頃だろうか。

件のビジネスホテルの斜向かいに、ちゃんこ料理屋ができた。

田舎らしく、駐車場もたっぷりとって。




私の好きなグラデーション・カラーのバーベナ



それからバブルがはじけて
駅前だろうが郊外だろうが
店は次々と つぶれたり買収されたりで 変わってきたけれど、

そのちゃんこ料理屋は
経営がうまくいってるかどうかは知らないが
生き残っている!

あれはきっと、あの時 私が道を教えた、
あのお相撲さんが開いたお店に違いない(笑)。

これは
一度もその店に入ったことのない私の、
ちょっとした自慢なんだよ。





私は 蛾は好きでも嫌いでもない。
(触りたくはないが。。)

でも、この蛾は・・・










グラデーション・カラーがキレイ(爆!)。

みつばちの家

2007-05-11 | なんでもないこと
今年の春は なんだか タンポポが元気だった。

いつもの年よりも いっぱい花が咲いた気がした。



今はもう 紫苑などの高い植物に隠れてしまっている。



この タンポポの野原の向こうにある家は
昔 ミツバチを飼っていたという。



あの野原の向こうの常緑樹の列植、

その列植の向こうがそのお宅の裏庭。

広い裏庭!

今ではパッとしない家庭菜園になっているが
そこで飼っていたらしい。





我が家には
どかんとひとつ、梅干を漬けるような広口ビンに
無添加と思われる
どす黒い蜂蜜がはいっているのがある。

白雪姫の継母が作ってリンゴに塗った毒ではないか?
と思うような色だ。



いつから我が家にあったろうか?

戸棚の下の段を占領して、そうとう邪魔なんだけど。

というか、その存在を たまにする掃除の時まで 忘れている。。



そのお宅のおばあさまが
「夫がもう年をとってきたから 止めますので」
と持って来て下さったのだ、と
亭主から聞いた。

「お前がそう言っていたんじゃないか。」

すっかり私は忘れていたのだけど
それを聞いてから だんだんに思い出した。

受け取ったのは、私だった(苦笑)。



当地ではわりあい有名な養蜂会社の
株をお持ちだったというご主人は
ムラの重鎮だった方。

「会社から受け取った巣箱で 
 夫と楽しみに飼っていたのですけれど。」

田舎のおばあちゃんとは思えない、
小柄で上品な老婦人の顔が目に浮かんでくる。



春ならば蓮華や菜の花があったろう。

では、夏は? 秋は?

効率を無視して 楽しみで飼っていたであろう蜂。

さすがにこの近辺では それほど蜜が集まったとは思えない。

ミツバチは 半径2キロが行動範囲だと言う。



先月15日の新聞の日曜版に
都会のビルの屋上でも(強いビル風にさえ気をつければ)、
養蜂ができる、とあった。

日本在来種みつばちの会の会長の
 藤原誠太さん(ホームページはコチラ)による。)

文京区のマンションの程近くには
上野公園や小石川植物園などがある。

最初の年から 意外なほどたくさんの蜂蜜がとれた、と

定年退職して12年、元仕事人間という 77歳のおじいさんが
面布ごしに 実に嬉しそうな笑顔を見せている。






近所の、ハクウンボク?
藤の花のような濃い香りがして 蜂が集まってきている。



「ハチは 優しくすればおとなしくなるし、
ぞんざいに扱えば荒い性格になる」
とは藤原さんのことば。

我が家のご近所の老夫婦は
長い間 優しく蜂の面倒を見ていらしたのだろう。

(日本ミツバチだったかどうかは不明。)

ご主人が先に旅立たれ、

奥さまはその後も長く 近所のお散歩をなさっていたが
残念ながら100歳未満で鬼籍に入られた。



お元気だったなら 私も見学させていただきたかったし
今なら お手伝いもさせていただきたいところだが

蜂蜜をいただいた頃は 子どもたちもまだ小さくて 
私は無我夢中の日々だった。

(15年くらい前の蜂蜜、ということになるが、
 品質に変化はなさそう。。。汗)

屋上でも飼育できるというなら
我が家はベランダでも育てられたろうに。



きのうで 当地に来て21年たった。

私たちの 当地での苦労の日々も
こうした何気ない近所の人々の善意に支えられて

そうして今がある。

介護に外国人労働者を?

2007-05-09 | 考えたこと
姉達のやっている日本語教室において

先進国とは呼ばれない地域から来た人の方が
勉強熱心だ、と 

姉は評価している。




花の世界は 春から初夏へ 急速に変化している。
今朝の散歩で見つけた、白っぽいシラン。



不安はないのだろうか?と こちらが驚くほど、
日本語がまったくできない状態でやって来る、ということだった。

彼女たちのお給料は 
とにかく、びっくりする程 安いのだと聞いた。

姉が「搾取ではないのか!?」と憤りを覚える程のようだ。

もっとも、ことばの通じない人にできる(頼める)仕事とは
そもそも 給金がいいわけがないのだが。



それが、カタコトでも理解できるようになると、
これまたびっくりするほど、
お給料が上がるのだという。

もちろん それでも充分に安いのだろうが。

当然の事ながら、日本語の理解度がもっと高まると、
もっとお給料がよくなる。

読み書きができると かなりいいらしい。




これが、フツーの(と私が思っている)我が家のシラン。



彼女らは お金が欲しい。

生活がかかっている。

故郷への送金をしたい。

だから 必死で勉強する。



あの人たちは 頑張っている、と思う。

だから 教える側も熱が入る。

日本で 日本の企業のために働く彼らに対する、感謝。

そして 懸命に努力を重ねて働く彼らに対する、尊敬。

そうこうするうちに 
「心の友」といった雰囲気になることも多いらしい。



そうして、
「人として」の格は
何故か お金持ちではない彼女らの方が

遊びで日本にやって来て日本語を勉強する先進国の女性たちよりも
上であるように感じる。

そう 姉は言っていたことがある。

懸命に学ぼうとする彼らからは
与えるものよりも得たものの方が大きいとも言っていた。

おねえちゃん、
あなたのその体験は、つくづく、あたしは羨ましいよ。




この色が好き。同じく、今朝のオダマキ。



ところで、
ご記憶の方も多いと思うが
最近
東京の 区立の特別養護老人ホームで
観光ビザで入国していたフィリピン人女性を働かせていた、
としてニュースになっていた。



その施設の定員は100人。

介護保険法で決められた夜勤の人数は5人。

人手不足で この基準を満たせなくて
都から 早期改善を求められていた。



そこで 
NPO法人から ボランティアの名目で派遣されていた
フィリピン人女性を
夜勤の人数に入れてしまった。

そして 
日本人が勤務したように装って 満額の介護報酬を請求した。

推計、4000万円。

すごい金額!

(2002年4月ごろからの分とは言え。)



一方、
施設側からNPO法人へは 
賛助会費として 一人当たり 月平均18万9千円が支払われた。

そして 
ヘルパーとして働いていたフィリピン人女性には
立て替えていた渡航費やアパート代を差し引いて
6万7千円。

ん?

安くない?

こんなもの?

そう?



施設にも NPO法人にも 言い分はあるだろうが
不正は不正。

でも その中に
「フィリピンの人たちは 優しいし 技術もあるので
 評判が良かった。」
と。

そうなの?

そうなら、もう少し なんとか ならないの?




変わった色が欲しくて手に入れた、我が家のオダマキ。地味!



介護の現場における人手不足は深刻だ。

有効求人倍率は 全職業で1.02、介護関連では1.68。

最近では
せっかく勉強して資格まで取って就職した人が
給料の割りに仕事がキツイ、ということで
離職率が高いと 問題になっている。

1年以内の離職率が20.2%、これは平均より3ポイント近く高い。

人は 生きがいがなければ 生きている意味を感じられないが
生きがいだけでは 生きてはいけないのだ。

肉体的な負担が大きく、緊張も強いられるが、給料が安い。

失敗すれば 人の命にかかわるような場面もあるだろう。



社会保障会議(というのが、あるらしい)の試算では

介護が必要な人は 2014年には 
少なく見積もっても600万人に達するとか。

これは 2004年の約1.5倍。

ならば、介護職員も増やさなくてはならない。

あと、40万人。

かと言って、介護報酬の引き上げは 国民の負担が大きい!

(確かに、それは、あんまし、嬉しくない!。。。)



それならば、というワケで、
外国人労働者の受け入れというのは
現実的な選択肢として急浮上。

いろいろな意見もあるだろうけど、
なんだかんだ言って もう 足りてないんだから。



近いうちに フィリピンから受け入れる介護職員が増えるらしい。

フィリピンで介護士の資格を持つ人が
日本に来て介護施設に就労し 
4年以内に試験に合格して希望すれば
介護福祉士として日本で働き続けることができる。

グッド・アイディア!

けれど これでは ハードルが高くて 人が集まらないよ!



外国人労働者の受け入れは
国内の求人や就職にも大きな影響があるから
ガードも必要なのだろう。

厚生労働省の福祉基盤課は
「介護の分野だけを特例として
 条件を緩和させるわけにはいかない。」と。

それももっともだ。

もっとも、なんだけど。

どうかな?



労働条件がもっと良けりゃ
離職率も下がるし
みんなで介護関係に就職したがるだろうけどね。

日本に来ちゃって、
社会の中に入ってしまってから勉強する人のことも
応援してあげたいよね。


この前 載せ忘れた、ルピナス。もったいないから、載せちゃった(笑)。

宮崎ますみさん

2007-05-07 | 更年期
新聞の4月の日曜版、「一病息災」に5回の連載で
女優・宮崎ますみさん(→ブログはこちら)の記事が載っていた。

きのうからは 秋吉久美子さん。
あの、「赤ちゃんはタマゴで産みたい」と言った女優の
「看取る」の記事始まった。




散歩の初めには 雨がぱらついていたが 歩き始めたら 晴れてきた。
いつも歩いている土手を 今朝はしたから見上げて歩いた。



「宮崎ますみさん 39」と書かれていたのに
「秋吉久美子さん」と こちらは年齢がない。

宮崎ますみさんの記事に関しては
年齢が意味を持つからだと思う。




途中で道を折れて 近所にあると言うルピナス畑を見に行った。



宮崎ますみ。

きれいな女性だと思う。

こんなきれいな女性でも 乳がんになる。

宮崎ますみさんの場合は 昨年 初期で見つかり、
温存手術・放射線治療・ホルモン療法と
ごく普通に 治療方針が決まり、それに沿って治療を開始。

普通でなかったのは、ホルモン療法の副作用。



わかるわぁ。

私も本当に辛くて 毎日泣きそうだったし(泣いたこともあるし)
誰も辛さをわかってくれなかったし。

ホットフラッシュに うつに 関節痛に etc....

あまりにはっきりした諸症状に 本当に腹が立ったし。

でも 抗がん剤治療に切り替える勇気もなかった。




ルピナス畑には 藤の花の香りが漂っている。



宮崎ますみさんが選んだのは、
「ホルモン療法の中止」。

普通なら 私が主治医に言われたように
ここで抗がん剤治療に変更するのだろうが、中止。

これは 彼女が初期だったことにもよるだろう。

けれど 相手は癌。

勇気のいる決断だったと思う。



恐怖を振り払い、勇気を振り絞ってまで 
治療を中止する理由。

ホルモン療法によって
「私が壊れる」という恐怖があったから。

その感覚は なかなか理解してもらえないと思う。

癌が再発しなければ、
癌死が避けられるのならば
多少の?辛さは我慢するのが当然。

そう周囲は思っているのに違いないから。




私の好きなグラデーション・カラー。



私だけじゃなかったんだ~、と
新聞を読んで私は嬉しかった。

♪ひとりじゃないって~~~

 スッテキ~なことっね~~~

そんな気分になれる(笑)。



私は 彼女とは 少々?年齢も違うし、

(今の私はもう 副作用なのか年齢的なものなのか判別不能。)

癌のグレードも違うようだし、

比べられるものでもないけれど

ホルモン療法の副作用は
人によっては 本当に辛いものなのだ。

我慢できなかったら 他の方法を考えてみよう!




3枚分の畑 一面の 色とりどりのルピナス。
私だったら 色ごとに植えて 畑全体をグラデーションに染めるよ。



ホルモン療法を止めて半年、
今 彼女は ようやく元気を取り戻し、

テレビCMや 自身のブログなどで 
乳がんの早期発見を訴えたり プロ野球の試合で始球式をしたり

おっと違った、これから始球式なんだ
(→5月19日だよ~! @広島市民球場
積極的に活動している。



やはり美しい女性だ。

美しい貴女も そうでない貴女も

それから男性も

癌は早めに見つけて やっつけようね!


帰りの空。いつもより 少し?多めに歩いた。

「理解」の深度

2007-05-06 | 考えたこと
姉は もうず~~~と ボランティアで 日本語を教えている。

教え子も 随分変わってきているから
延べ数で言ったら けっこうな人数になってるかも?

女性がほとんどのようだ。



これは 姉の‘生きがい’ともいうべきもので、
ず~~~っと死ぬまで続けたい、と言っている。

決して治ることのない難病をかかえ、
くも膜下出血に倒れ、
時として後遺症に苦しみながらも

‘生きる喜び’として 続けている。

私には これがうらやましくて仕方がない。

おねえちゃん、シアワセだねえ~。




価格調整のため?出荷しなかったキャベツの
花畑になっているところもあるが
懲りずに(苦笑) またキャベツを植えている。 性!



生徒たちの中には 

中国へ遊びに行った姉を 案内してくれた女性もいたし、

強制送還された後に
すぐに名前を変えて戻ってきた、なんていう
犯罪者か?と思うような女性も。。(汗)



一時期は 姉は 日本語を教える代わりに英語を教えてほしい、と
欧米人と時間を共有していたこともあった。

日本語を教えてもらえる、ということで
東アジアや 南米からの生徒が増えてきた。

そして教室では
会話の上達に伴って

ことばを教えると共に 
背景にある文化というか ‘考え方・感じ方’について
ことば足らずではあっても 言及することになってくる。

そうした時に
「ああ、わかりました。」
と生徒が答えたとする。

その時
姉は 欧米の人たちは
ことばだけ、上っ面だけ、頭の中だけ、理屈だけの
理解だと感じるようになったという。

それに対して アジアの国々からの人たちは
ああ、本当に、魂の底の方から 理解してくれたなあ、
と感じるのだという。

これは何なのだろうか?




冬の間 ネギ畑だったところ。今度は何を作ってるんだろう?
ネギ苗だったりして(笑)。



あるいは
仏教という共通するものがあった場合。

あるいは
年長者を理屈ぬきで敬う、そういう儒教の教えが 文化の根底に
共通して流れていた場合。

そういう類似性があるからなのかなあ?
というのが 私の推測だった。

けれど 中にはイスラム教徒もいたらしい。

イスラム教徒でも アジアの人間の間には
はっきりとは言えないけれど何か、
何かが共通していて
深く理解しあえると 感じるのだという。



儒教?

「子 のたまはく」?

「三尺下がって師の影踏まず」?

「長幼の序」?

古い!

私はそう言って
古い価値観に青少年期から反発して 生きてきた。



親の世代は
価値観の転換を目の当たりにして

しかも 日本人は愚かだ、などという教育?のされ方をしてきた。

自信を持って それまでの教育を子どもにできなかった。

もちろん、父や母がそんなことを言い出すようなら
私も姉も バカにして笑い飛ばして いうことを聞かなかったろう。

けれど。



もしかしたら
人間の価値というのは
時代が変わろうと 主義・主張が変わろうと
そう大きく変わるべきものじゃないのかもしれない。

年長者を敬うことを刷り込まれていれば
電車の中で 足の長い若者の前に
つり革に手の届かない老人が立ち続けている姿は
見ずにすんだかもしれない。



「げーぶ(外聞)わりィ」
という母の言葉に 
姉も私も 充分に縛り付けられたり 傷つけられたりしてきた。

外聞。

大嫌いな言葉だ。

他人からどう見えようが 他人にどう思われようが 
かまわないじゃないか!

けれど
外聞を気にしていた時代には 
電車の中でお化粧するワカイノや 座り込むワカイノや

それから
聞いただけで「恥ずかしくないの?」と思ったり
聞いたこちらが恥ずかしくなるような
そんな犯罪は
ずっとずっと少なかったんじゃないか?



自由主義。

民主主義。

なによりも、政治に対して 勝手きままに批判することができること。

私達が 今ではもう 当たり前のこととして
享受しているありがたいものを
私は決して否定しないし

特に職場において
柔軟な考え方や対処の仕方ができない年配者が上司にいる場合の
‘老害’を憎むし

年長であるというだけで 
立場が上というだけで
不当に 目下に対して尊大な態度をとったり
蔑むように対処する人たちを恨む気持ちは
変わったりしないけど



なんだろう?これは

もしかして 倫理とか 道徳とかいうものなのかな?



私達が 発展の影で
どこかに置き忘れてきてしまった大切なものが

アジアの他の国々には ある、という事実。

それが羨ましいという 後悔に似た感情。

これは

古くから日本にあった

私が大キライだった 儒教の教えに似たものが 遠因となって
人間を人間たらしめていたことの証なのかな?

うまく言えない。

考えが あっちへ行き、こっちへ行きして とりとめもないが

理解の深度には そんなこんなが裏にあるかな、
と 考えた、きょうは 立夏の日。

言葉は 口から出て耳へ至る?

2007-05-04 | 考えたこと
実家に帰った時の私の仕事は

まず第一に、母の愚痴を聞くこと。

ふだん滅多に電話のやりとりもしないし
一年に一度会うか会わないか、の親子。

たまに会った時くらいは
いくらでも聞いてあげよう、と思っている。







出るわ出るわ(苦笑)。

健康不安の愚痴、ご近所の愚痴、
姉の愚痴、義兄の愚痴。。。。

うん、うん。

ああ、そう。

ああ、たまらん(苦笑)。


一番多いのが姉夫婦に対する愚痴。

普通なら「ええッ!?」っと驚いて
腹を立ててしまいそうになる愚痴もある。

でも 姉たちから前もっていろいろ聞いていることが多いから

「あれ?

 でも それって おっ母さんが
 こういうことをした(言った)からだよね?」

とわかる。

反論したくなることもあるけど
なるべく反論したり諭したりせずに

「ああ、そう。。」

「うん。。。。。」

と聞く。

私も大人になったかしら?

以前はいろいろと うるさいことを
母に向かって言ってたものだけど。







母は 私が母の元を辞去して
姉夫婦と一緒に 日本語教室に向かう時に

「きょうは おめ(お前)に
 いいだいごと(言いたい事)一杯言って、さっぱりした。」

と言った。

おっ母さん、それは違うだろう!



人が 人の悪口や 愚痴を言うと
その言葉が 
自分の耳に入ってきて
余計にムカムカしたり 腹が立ったりしてくるもんじゃないだろうか?

言葉には魂が宿る、という「言霊」の考え方もある。

だとしたら よくない「言葉」には よくない「言霊」が宿って?

耳にした人の心を不快にさせるんじゃないだろうか。



少しは私の存在が 母の役にたってくれたのなら嬉しいけれど

母の耳は よくないものを
しかも 自分の口から発せられたものを 入れてしまった。

母が愚痴をこぼさずに生活できたら 嬉しいんだけれど。。。。。




今年のライラックは花付きが悪い。



そして 私は 姉夫婦のところでも
まったく同じ作業?をしてきた。

姉夫婦の一番の悩みは 母の存在なのでは?と思うくらい。

確かに 困ることは多いだろう。

でもなあ。。



おっ母さんも お姉ちゃんも
少し仏教を勉強すれば?(涙)




でも 新芽の鮮やかさ、これは美しい。この、赤味を帯びた 若緑色が好き。



人は こうありたいと思う自分と 現実の自分とのギャップに苦しむ。

それから

こうあってほしいと願う他人と 現実の他人との差に 腹を立てる。



現実は現実なのだから 受け入れようよ。

と言ったら、きっと
「絶対!受け入れらんない!!!」と返ってくるだろうなあ。

どちらからも。



ふたりが できるだけ 仲良く暮らせますように。

ふだんは一緒に居られない私だからこそ
たまに聞く愚痴ぐらいなら いくらでも耐えられる。

私は私で いつもの通り オキラクに祈るのみ。

娘の発熱

2007-05-03 | こどものこと
実家に行ったその日の夜は
姉がボランティアで 日本語を教える日だった。

公民館に 教えて欲しい人と 教えたい人とが集まってくる。

いつも姉から 
「おもしーどォ(面白いよ)」と聞かされいたし
私も語学全般に興味があるので
一度参加してみたかった。

(茨城弁をしゃべる外国人がいたら、姉たちの教え子かも?)

集まってきた人たちに「妹です」と挨拶をして
和気藹々と。



そしたらケータイに亭主から電話が。

夕方 夕食前の早い時間に実家を出て 家に向かった娘が
具合が悪くなって帰れなくなっているという。

それからはケータイで 電話とメールのやりとり。

日本語教室どころの騒ぎではない。

どうしたらいいか?

私の頭は ほとんどパニック状態。

だって、ワタシ、車がないし。

車がなけりゃ、どこへも移動できない田舎だし。


無断外泊を繰り返していた頃の 娘の足。



結局 泊まるはずだったビジネスホテルは解約。

翌日の治療院もキャンセル。



娘は せっかくM海道まで行ったのに
そこから何故かT手まで南下してしまったとか。

どうにか T手から 私たちのいる公民館の辺りまで
帰ってきてくれるというから、

その後は 私がワゴンRを運転して 家まで娘を連れて帰ることに。

けれど、家までの道が 私にはわからない。

車で行き来する距離だとは思っていないし。

疲労困憊中の亭主は 車の運転に向かない人(苦笑)。

でも となりに誰かが乗っていてくれれば大丈夫だと言う??

息子とふたりで 亭主は イバラキ県南へ向けて出発した。



結局 日本語教室が終わる頃になって
娘が公民館に到着、

そこから なんとか私でも道がわかる場所までは
姉夫婦が 車で先導してくれてた。

娘も ママの運転が心配で(?)
助手席でずっと起きていた。

イバラキ県内の大きめスーパーの広い駐車場で 亭主と落ち合って
飲み物や食べ物などを買う。

亭主と息子は 夕飯前だったのだ。

「いつもは嫌いなスポーツ系のペットボトルが、
 きょうはとってもおいしい。」
という娘は 熱が出てきているらしい。

寒気がひどいようなので これからもっと 上がるだろう。

娘は亭主の車に乗せて眠らせ、
ワゴンRには 息子が乗り込んで
そこからは 亭主の車の後をついて帰った。


亭主の足と 娘の足(爆)。



帰ってきて 娘はすぐに部屋へ上がって休み、
残りの3人は順にお風呂へ。

この日の夕方 娘からの連絡が来る前、
亭主と息子は あとで外食するつもりで 
ふたりで買い物をしていたのだが

スーツを受け取って来たばかりの息子は 少し興奮状態で、

「着てみせてよ。」

というリクエストに

グレーのワイシャツ、黒っぽいタイに
ピンストライプの黒のスーツを着て見せてくれた。

紳士服の○○系ではなく、イトーヨーカドーで購入(笑)。



翌日朝から 40度を越す熱を出した娘は
ふ~ふ~言いながら 私の看病を受けた。

やっぱり、東南アジアから 京都・奈良に 徹夜って、
無理しちゃったんだね。

ひとり暮らしが始まるなら、こんなことがないように
自己管理しなきゃね。



ところが 丸一日で熱が下がり、
やっぱり、若さと体力には脱帽!!!!!

お陰で翌日には
予約を取り直して治療に行けたママだった。