ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

M女史のその後(2)

2008-08-31 | いろんな人
「え? 何ですか?」

その時 私は 整体院で
身体はうつぶせのまま
上半身をひねって 後ろを振り返った。

いつになく 整体師の声が低くて
聞き取れなかったから。

しかし 何故か 
うつぶせのまま聞き返すことはしなかった。







整体師は たぶん 今言った事と
同じ事を口にしてくれたのだろうと思う。

「Mさんが、亡くなったのよ。」










なんと言っていいのか、わからなかった。

そう言えば 最近 お姿を拝見していなかった。

子宮や卵巣を取ってしまうと 
よほどお腹の辺りに力が入りにくくなるのか、
杖をついてはいたものの

足取りは確かで、しっかりと歩いていらしたのに。










手術後 職場に復帰してからお会いした時には
彼女はがんが再発したようで、
障害者になるかどうか、で 今 悩んでいるのよ、
と 話してくださった。

膀胱か直腸の方に 癌が行ってしまったのだ、と直感した。

その後 
もう一度休職して
抗がん剤で転移癌をやっつけて
障害者にはならずに済んで
ホッとした所までは 
整体院でお会いして お話を伺っていた。











整体師の話では
なんでも 白血球数が異常に低くなってしまっているため、
また(同じがん専門病院に)入院する、と話していた、とのこと。

じゃあ、何?

白血球が少な過ぎて、亡くなったってこと?



世界が混乱して 生き馬の目を抜く時代が来ても
しぶとく生き残ります、という占いに
喜んでいたしたM女史。

そして 誰もが その占いを信じたM女史。

癌との闘いにも 打ち勝ったのではなかったの?

こうして まさかの訃報を耳にするとは・・・・・・。



去年の7月のことだった。







土手のカヤツリグサと 水溜りの水を飲む愛犬






整体師も 長い間その事実を知らなかったそうで、
「私も つい最近 聞いたところなのよ。」
とのことだった。

ご命日は いまだにわからない。



M女史のお父さまは すでに亡くなっており、
老いたお母さまが 
「長生きしたばかりに、こんなに悲しい目に遭う。。」
と泣いていらしたとか。

職場でたまに愚痴を聞かされていた弟さんが
今ではご実家で跡をとっており、
M女史の亡骸を 引き取って 故郷に行かれたとか。

そんな話を伺いながら
その日の 私の整体の治療は 進んだのだった。






白血球が少なすぎて入院する。

そんな時に M女史は 
自分の命が儚いことを考えていらしたろうか?

生きて病院から出てこれると 
思っておいでだったのではないだろうか?



T子さんなら、これも

「そういう運命だったのよ。」

「前から決まっていたことなのよ。」

と そうおっしゃるのだろうか。




2 コメント

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ずるいよ~ (arfa)
2008-08-31 18:12:23
あんなに闊達なM女史が・・・泣いちゃうじゃないか

その一、その二があるときは こころして読ませてもらうことにします。
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ごめんなさい (ジョルジュ)
2008-08-31 19:24:12
でも これからも Mさんは 私のあこがれのハンサム・ウーマンなんです。
ありがとうございます。
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