ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

この春からの子どもたち

2007-10-31 | こどものこと
息子が大学生になった。

入院騒ぎやら 
履修届け騒ぎやら 
はしかによる休校騒ぎやら
いろいろあったけど、
とりあえず 本物の大学生になった。

朝ごはんは 今まで通りかしら?と思っていた。







真っ赤な、可愛い、パプリカ。
もう最近は赤くなってくれないので 緑のまま食べてしまう。






そうしたら、なんとか車の免許を取って
これまで娘が運転していたワゴンRを運転するようになり、

今までのように 車の中でおにぎりをパクパク、がしずらくなった。



それから 
大学生になってまで 
ママが毎朝おにぎりを作ってあげるのもどうかなあ、
などと 怠け者ママは思っていた。

けれど 座って朝食を食べる習慣のない息子は
朝食抜きを決め込んでしまった。

作ってあげても 食卓につかないで 出かけてしまう。

授業が午後からの時も ギリギリまで寝ていて飛び出してゆく。

そう、娘の時と同じ(苦笑)。

当然、予想される帰結ではあった。



早朝の朝ごはんの用意をしなくていい。

こりゃあ、ラクだ!

ママは、嬉しいぞ!

これで 家を空けていい就業状況で
好きにお金を使っていい経済状況だったら。。。(タメイキ)

そんなわけにもいかないから、
他は 今までどおりの私。

亭主は 今まで通り、 
ほとんど家にいない。








今年植えつけたばかりの酔芙蓉。
虫に食われて レース状の葉っぱになりながらも けなげにもつぼみをつけ、
咲かせた花を 酔ったように色を変えてくれた。
今はもう 最後の花も終わってしまった。






娘は あこがれのアパート暮らしが始まり、
4月中は 行ったり来たりをしていたが
5月の連休明けからは ぱったり来なくなった。

大学も忙しいし
(だから、単位をとっとけ!って言ったのに!
 今頃忙しいだなんて!)
週末にはアルバイトを入れてしまった。

たまに帰ってくると 
息子のものになってしまっているワゴンRを駆って
どこかへ行ってしまい、

友人と旧交を温めたりしているらしく、
帰宅も真夜中になる。

そんなこんなで、
娘を交えて家族がゆっくりしたのは
参院選で帰省した時くらい。






食卓にて。

「そんなにパパが家にいなくて、
 ママは大丈夫なの?
 Y(弟)はちゃんとやってんの?」

「とんでもない!
 
 家に帰ってくると 真っ直ぐ自分の部屋へ行って
 降りてこないし。

 それで、部屋で ちょっとの間に寝ちゃってるらしくて。

 Yが帰って来たから、すぐにご飯にしようと思って準備して、
 ママがご飯よ~って声をかけても 
 返事もしないのよ。

 ママがひとりでご飯をたべる、なんてことが、
 何度もあったんだから!」

「ダメじゃん!」



娘も大声を出したが 
亭主がもっとビックリした顔をしていた(苦笑)。

亭主が帰宅した時に
食卓の上に 息子の分だけ晩ご飯の用意がしてあって
息子は2階で寝たまま、ということも2度ほどあったが

そんなにしょっちゅうだとは思っていなかったみたい。



気持ちの強さ

2007-10-30 | なんでもないこと
「久さんのサッカーへのまなざし」という一文のなかで

元東京ヴェルディDF、日本代表キャプテンの
久さんこと 加藤久氏が述べている。

「今、全国各地には 日本代表を目指して
 練習に励んでいる子供たちが たくさんいるはずですが、
 日本代表のサバイバルレースに勝つために不可欠な要素があります。

 技術や戦術眼はもちろん成功するために重要な要素ですが、
 
 私は、最後に試されるのは
 体の強さと気持ちの強さではないかと思っています。」
              (ヨミスポ 2007年10月号 p17)






10月に入って涼しくなって いっそうイキイキとしてきた表の庭は
今年のテーマカラーの白(の、グラデーション)。
冬の庭に模様替えするには これを引っこ抜かなければならない。
さて、いつ、引っこ抜く?






今回のテーマは
「サッカー日本代表選手の資質として大切なもの」であり、

U-22(対ベトナム)、
U-17のワールドカップ(対ナイジェリア)、
それにA代表の親善試合(対カメルーン)、

この3つの日本代表のサッカーの試合が
8月22日に行われた話から始まっている。



毎年高校サッカーを 暮れの忙しい時に楽しみにしているが
キラリと光るダイヤの原石のような少年がたくさん見られるのに、

数年後のJリーグや日本代表に残っている選手は 
それほど多くはないような気がする。

彼らが 将来の日本サッカーを担い、
将来のフル代表として生き残るには
身体の強さと気持ちの強さが必要、と 加藤氏は言う。

(ちなみに、その裏は  
 見開きのカレンダーになってる GK川口能活の顔!;笑)





私は 運動選手が登場しておしゃべりしてくれるトーク番組が好きだが
あるレベルに到達した“アスリート”と呼ばれる人たちは
みな 一様に
“気持ちの強さ”を持っているように感じている。

“気が強い”、“負けん気が強い”、“負けず嫌い”、
そう言い換えてもいい。

サッカー選手でも 
可愛い顔をしていたり きれいな顔をしていて
闘志がみなぎる表情でなくても
そのプレイから 
「お、コイツ、相当 気が強いな!」
と思うことは多い。





野球選手でも同様のようだ。

楽天のマー君も 気持ちの強さを
(多分、意識して)前面に出して闘っていた。

10勝をあげた投手は 彼が球団初、というのが笑えた。

息子と同じ年だよ。



沢村賞を獲得したダルビッシュも
(顔立ちが恐いだけでなく;笑)
気持ちは強いみたい。

気迫がこもっていて 恐いね!(笑)

日本シリーズは 一勝一敗、さて、これからどうなるか?



メンテナンス(2)

2007-10-27 | いろんな人
これは 私の 夏の間の定番靴。

去年新調したもの。

                       





この夏のある日 
玄関で 私がこれを履いて出かける時に

そこに亭主がいたから

「私、この靴、色違いでもう一足買おうかしら。」と言った。

先制攻撃というか 事前承諾というか 事前の心構えというか。

だって、この靴、高いんだもん(涙)。



そしたら、帰って来た言葉は。

「カタチはともかく、履いてラクそうだね。」

「うん。私、特に、五本指ソックスを履くからね。」



そしたら、

「俺、前から思ってたんだけど、
 お前、どうして5本指ソックスにしたの?」

「あのね。。。」

そのまま、しばし、絶句。

だって、もう 何年もニョーボが苦しんできたのに。

伝えてあったのに。

すっかり忘れているなんて。

痛いときには 毎日 毎回 「痛い」と伝えなきゃいけないの?

私はすっかり がっかりして 脱力。



でも そこで気を取り直して しっかり伝える。

「私は、関節痛があるの。

 特に、足の親指の付け根が痛いの。

 いくらか、外反母趾気味でね。

 だから、5本指ソックスを履いてるの。

 そうすると、普通の靴では、足がきつくて、履きにくいの。」



(こんな、たいしたことでない場合には
 なんとか 亭主に訴えることができるんだよね・・・。)



乳がんの治療のためのホルモン療法による更年期症状の発現による、
とは言わなかったような気がする。

でも もう4年以上たってんだよ!(怒)

この亭主、私との関係のメンテナンスを怠ってると思わない?



夏が過ぎて 私はこのお高い靴を2足 買い足した。



ほめる子育ては本当にいいのか?

2007-10-26 | こどものこと
これは、先日の話の内容とは 
まるっきり反対の内容なんだけども・・・(汗)。



アメリカに暮らして何年、という女性同士のネット上の会話で

「アメリカでは 親が子どもを褒めてばかりいるが
 あれは良くない!」

ということで盛り上がってている場面に出くわしたことがある。

「うそ!?」と思ったよ。




ダンギク。先月の撮影。






だって、日本は 自分の子どもや身内を
人前でけなしてばかりで自信を失わせるから、
だから、良くない、って言うでしょ?

子どもを褒められない自分を
「これじゃ、良くない。」と思って反省しながらも

いつも正反対の事をしてきた私。

「子どもはほめて育てよう」「ほめる子育て」

そんなタイトルの本や雑誌の特集が 山ほどあったんじゃないかな?








段々になってる。





私は 小さい頃 体が弱かったおかげ?で
姉や 横森理香氏ほどには
母の叱咤を受けずにきたようだけど

横森理香氏の言うように考えていたので
この在アメリカ女性の会話には
素直にうなずけなかった。

これも 戦後の 
「アメリカは美しい」「アメリカは正しい」
「すべてアメリカの言う通り」という
あの法則にのっとってしまったが故の
間違った「あこがれの国アメリカの正しそうな道」だったのか?







この色が、好き。






先のアメリカ在住の女性のひとりが言うには

「あなたが一番!」「あなたは世界一!」
と褒められて育った子どもが壁に突き当たって

決して自分は 世界中で一番ステキな人間で
誰よりも素晴らしいことをやり遂げる人間ってわけじゃない、

と知った時に
そういう絶望感に免疫がないからドラッグに走るのではないか、

アメリカの若者を中心に
ドラッグがこれほど蔓延している背景には
「褒めすぎる子育て」が影響しているのではないか、

ということだった。



褒めすぎもイカンのか。。。(タメイキ)

せめて「呪いの言葉」だけはかけないようにしないと(汗)。



『もっと健康、もっと幸せ!』

2007-10-20 | 読書
『地味めしダイエット』の横森理香氏の著書、
これも集英社be文庫(笑)。

(副題:愛しの筋腫ちゃんpartⅡ、2004年3月25日、600円)

著者がこの本の中で言いたいことはいろいろあるんだろうけれど。







昨日は旧暦の菊の節句、重陽だった。 これは先週の写真、昨日は満開に!





「人は マインドを変えると、

 もっと幸せ、もっと健康になれる。」

ということを言いたかった本なのだろう。

その マインドの「思い込み」に 子どもの頃の記憶が
大きな影響を与え、
成長した後も 影響し続けている、という話が 
最初に書かれている。



「人間の心の87パーセントは、
 3歳までの教育にかっかっている」(p23)

「だから残りの13パーセントで 
 人は努力して 
 自分のネガティブな心を治していかなければならない」(p24)

というヒプノセラピストの話に
私は興味を持った。



著者自身が 幼い頃 母親に

「ほら、ちゃんと足元を見て歩いて!
 
 危ないでしょう!

 すぐ転ぶんだから!」

と怒られながら育ち、 
いつも足元を見て つまづかないよう気をつけるようになったという。



結果、
姿勢が前かがみになり、

そのせいで
歩き方がヘンテコに、足の筋肉の付き方もヘンテコに。

そして ヘンテコな体型を作り出しているのは
実は 今現在の自分自身なのだ、という話だった。



著者は そこで はっきりと言っている。

「小さい頃、
 親から否定的に育てられた子は
 一生 その責め苦を 自分の心から受けることになり、

 ポジティブに育てられた子は、
 自分に自信が持て、
 素直に幸せになれる。」と。

「私たちは 決して、
 その同じあやまちをおかしてはいけないのだ。

 子供たちにしてあげられるもっとも貴重なプレゼントは、
 3歳までは とにかく
 肯定的に育てること。

 できる限り
 叱ったり、怒ったりはしないで、
 可愛がって可愛がってそだてるのだ。」 と。



ああ、もう、遅いよ!(苦笑)



そういう彼女の夫という人は、

「生まれてこのかた、
 親からも じいちゃんばあちゃんからも
 怒られたことがあまりない」

という人物。

彼女の母親というのが、また、その正反対(笑)。

いや、「普通」、と言うべきか。

母親というものは 心配のあまり
ああだ、こうだ、と 
口うるさく言うのが役割、みたいなところがある。

(ウチの亭主も 私にその役割を全うするように注文をつける。)

(だけど、もう、面倒になっちゃって;苦笑)

おまけに、ちょっと前まで(20年くらい前?爆)
学校の先生も、そういう役割をになった人たちだった。

(当然だ、とは思うんだけども。)








この季節には菊の鉢植えを飾りたい、といつも思っていた。
けれど 例年 忙しいこの時期には 買い物に行けなかった。
これが、念願の、菊の鉢植え(笑)。
今年のテーマカラーの白を探した。





私の母も、そりゃあ、もう、口うるさかった!

しかも、口から出てくる言葉というのが、
全部、否定的!!!

「ほら、足元見ねえど、転ぶど。」は、当然、

「ほれ、もっと着ねえど、風邪引くど!」は年中、

「ほったこど やってっと、○○になっと!」とか

「ほれ、見ろ、おっかさんの言うとおりにしねがらだ。」とか、

なんというか、もう、娘ふたりに暗示をかけて
母の言うとおりにしていないと 不幸になる、と
見事に信じ込ませていたように思う。



ことに 姉は 
口答えはするくせに 
結局いつも 母の言う通りにしてきた。

暗示は 私よりも 姉には効果的に効いていたのではないか。

そして 私たち姉妹は 素直な良い子で(笑)、
母の言うとおりにしていないと、
本当に転んだり風邪を引いたりしていたものだ。




著者の母親という人も そうとうな方であったようで、

心配をしている、という愛情と

心配させてほしい、という欲求とで

著者のいうところの「呪いの言葉」を発するのだった。

それに対し、彼女の夫は
呆れるほど能天気に言葉を返すのだそうだ。



「能天気は、昔はアホの象徴だと思っていたが、

 いまではその素晴らしさが分かる。

 能天気な人は、幸せに生きる天才なのだ。

 この日本で 不幸の洗礼を受けてない、
 天然記念物なのである。」

と著者は言う。

そう・・・・・・・・・かも、しれない。。(苦笑)。


常磐ハワイアンセンター

2007-10-14 | 昔語り
テレビで 映画『フラガール』を見たので。
(→映画『フラガール』オフィシャルサイト

近年滅多に邦画を賛えることのなかったおすぎが、
久々に賞賛した映画としても話題となった
ということだが、

日本アカデミー賞最優秀作品賞など、5冠を達成したこの映画、
大手映画会社4社(東映、東宝、松竹、角川)以外の作品である、
ということの方が大きいのでは?

ちなみに 大手4社以外が受賞するのは
1996年の『午後の遺言状』(日本ヘラルド映画)以来
11年ぶりのことだそうだ。












常磐ハワイアンセンター。

今は「スパリゾートハワイアンズ」という名称になっている。
(→ルーツ・アンド・ヒストリーのページ
  映画をご覧になった方、ぜひ、ここの写真を!)





舞台の福島県常磐市(現・いわき市)は
福島県の南部の太平洋側にある。

少し南下すれば、イバラキ県だ。

私は南北に長いイバラキでも南部の出身なので
「隣の県は?」というと「千葉!」と思っているが
まぎれもなく福島は隣の県で、
常磐市は 茨城に近かった。



子どもの頃、電車で母の実家に行くときは
常磐線で水戸まで行き、
水郡線で水戸から郡山へ向かい、
郡山でさらに磐越西線に乗り換える。



あるいは 県境を常磐線で越えて常磐まで行って
磐越東線に乗りかえる方法もあった。

乗換駅は平だったろうか?

こちらはあまり乗らなかったが
確かにいわきのあたりを走っている。



常磐(じょうばん)ハワイアンセンター。

その、看板は車窓からよく眺めた記憶がある。

行きたかった。

看板を眺めるたびに、行きたいと思った(笑)。

でも、一度も行ったことがなかった。



昭和41年といえば 
私の記憶に残っていてもおかしくないのだが
いわきは イバラキ県南からは 当時は遠かった。

ところが、ハワイアンセンターに行った人は
近所にもどんどん増えていった。

1ドル360円時代のこと、
ハワイにいったことのある人は近所にいなかったが。 

(ついでながら、沖縄は当時はまだ外国で
 パスポートが必要だったから
 やはり行った事のある人はいなかったと思う。)



『フラガール』の映画を見る限りでは 
それほど肌を露出してるようには見えなかったが

当時としては破廉恥の部類に入っただろうか。



他に農閑期に行くべき所には
千葉県の船橋ヘルスセンター、栃木県の小山ゆうえんち、
あとは上野の動物園か。

他にもあったのかもしれないが、私は子どもだったので。。。

そして それらのどこにも 我が家は行ったことがなかった。

というか、
家族旅行というものに出掛けたことがなかった。

磐越東線とか磐越西線とかに乗るのも
家族揃って、ということは 少なかった。





思いついて亭主に聞いてみた。

「行ったよ。」

やっぱり!(笑)

「スバル360で。」

やっぱり!!!(笑)



スバル360で、行ける所は どこまでも行った、と
昔 義母が話していた。

夏休みになると
亭主と義弟を連れて
亭主の一家は毎年 家族旅行に行っていたのだそうだ。

房総の方も行ったという。

スバル360は、その名のとおり、360cc。

「よくあの車に 4人も乗り込んで
 そんな遠くまで行ったなあ。」と亭主。

「ガタボコ道でね。」と私。

いいなあ、公務員。夏休みがあって。

公務員でなくても、普通、あるのか。




話は『フラガール』に戻る。

あの言葉は イバラキ弁に近い。

福島とイバラキの言葉の中間って感じ?

俳優さんたちは よく頑張って雰囲気を出してたと思うよ。

だいたい、あんなのだよ、イバラキ弁。

お母さん役の富司純子なんか、
さすが、うまかった!

蒼井優ちゃん、かわいいね、
でもちゃんとイバラキ、いや、いわき弁(笑)。



とにかく、
よくぞ、そこまで、っていうくらい、濁音!(爆)

コメディアンがギター弾きながら歌ってたね、
「全部、濁音!」って。

それなのに、
「いばらぎ じゃなくて、いばらき」なんだからね!(笑)



方言なんかでも、いわき弁?と イバラキ弁には
共通のがあって、楽しかった。

最後に出てきた、「でれすけ」。

あれは、可笑しいね。

で、どういう意味なんだろう?(笑)

標準語で言い表すのは、難しい。



「ばか」「あほ」「マヌケ」の類の、
軽く相手を「小バカ」にするような時に言う言葉、かなあ。

茨城王の「茨城弁大辞典」によると、
だらしない、間抜けなやつ。
「ごじゃっぺ」と同じような使い方をする。
「でれ」は「でれすけ」の短縮形で、
「ごじゃっぺ」に対する「ごじゃ」のようなもの。

これで、わかる?(笑)



ちなみに、「ごじゃっぺ」または「ごじゃらっぺ」とは。

同じく「茨城弁大辞典」によると、

 いい加減、ばか、どじ、間抜け、などの
 否定的表現全般に使用。茨城弁の基本中の基本。


 例)「あすこのわけしはごじゃっぺだちけ」
   →あそこの息子は間抜けらしい

 例)あんまりごじゃっぺなごとばっかぬかしてんじゃねえよ
   →あんまりいい加減なことばっかり言うんじゃない

ということだそうだ(笑)。

(「だちけ」は、「だそうだ」という意味で、
 人づてに聞いた内容につける接尾辞だと思うんだけど?茨城王さん?)





まとまらない話だったけど、
3丁目の夕陽の頃の記憶はない私が
いろいろな記憶を呼び覚まされてしまった映画だったので。

秋の夜長の、グダグダ話(笑)。



10月はピンクリボンの月

2007-10-12 | 乳がん
10月は 乳がんのピンクリボン月間(→ウィキベディア:ピンクリボン)。

乳がん検診を受けよう!

乳がんは 早期で発見・治療できれば、完治する病気。

早期に発見し、乳がんを撲滅しよう!




私の、新しいピンクリボン。





新聞に 山田邦子さんの乳がん体験記が連載されたり
(→「もしかして私も」と思って)、

「Mayu―ココロの星」(こんな映画、予告編ムービーあり)が公開されたのも、

NHKの「ためしてガッテン」が3日の放送で
乳がんを特集していたのも(→見逃すな!乳がん最新予防術)、

決して偶然ではない。






ところで、
リレー・フォー・ライフin芦屋(コチラ)がNHKで生放送された時に
アナウンサーと一緒にいろいろしゃべったりインタビューしたりしていた
アグネス・チャン(52歳)(アグネス・チャンさん、と呼ぶべき?)が
最近乳がんで手術を受けていた、と新聞で知って
私はちょっとびっくりした(→退院会見)。

アグネスよ、あんたもか。

じゃ、なくて。



手術が10月1日だったそうだから、
RFLin芦屋の時(9月15日)には 
もう 手術日が決まってたんだなあ、って思って。

「がんでもいいじゃん!」なんていう、
えらくノーテンキなフラッグを見て
はしゃいでるように見えたアグネス・チャンは
きっとあの時 本当に元気付けられてたんだね、って思って。

そしたら、違ったよ!

アグネスが自分でしこりを見つけたのは、19日なんだって(→コチラ

9月25日に宣告を受けて 10月1日に手術。

早い!

それが一番びっくり!かな。



リスペクト(尊敬)

2007-10-05 | こどものこと
「ゆきネエ」と呼ばれる人がいる。

兵藤ゆき(→こんなヒト)と言って
へんてこな頭に へんてこな服装、
ついでに言えば へんてこな顔で
音楽番組やら バラエティー番組、ラジオにもテレビにも 
一時期はずいぶん顔を出していたものだ。

そのゆきネエが ケッコンして 子持ちになって
亭主についてにゅーよーくに行ったりして

それまでも 活躍の場はどこなのか なんだかよくわかんなかったのが
以前にも増して あちこちで活躍するようになったみたい。

そういえば「マルチタレント」という言葉があったが
彼女は やはり 才女と呼ぶべきか?






この夏、亭主の実家の庭に咲く、ジンジャー? すごくいい匂い。






『青春と読書』(→2004年9月8日の記事)を読むようになってから
急に集英社の本を購読することが増えた私。

特に、値段も バッグに占める体積もお手軽な、文庫。

集英社be文庫に、
このゆきネエの著作がある。

タイトルを『ニューヨーク熱血井戸端会議』という。
(2004年7月25日、571円)

カバーには やっぱりへんてこな頭に(笑)風変わりなTシャツの
ゆきネエの写真がある。

(このTシャツも、やっぱり、きっと、手作りだね!)






とまあ、前書きが長かったけど、
この本に「リスペクト/尊敬」という文章があるわけ。

その中に、
NYにも少年ジャンプがあって、『ナルト』が連載されてて、

4ドル95セント + TAX、(635円くらい)で売っていたと書かれている。

そして、イルカ先生がナルトを思って言うセリフ、

「For him,

 I have nothing but respect.

 He’s an excellent sutudent.」

が紹介されていた。

日本版『ナルト』では
「あいつはこのオレが認めた優秀な生徒だ。」
だったセリフが

→『彼に対して尊敬以外の何ものでもない。
  彼は 優秀な生徒だ。』
 になっている。

実際、NYでは 先生が生徒に
「RESPECT/尊敬」とか「PROUD/誇りに思う」
などと言う言葉を使う場面を
よく見聞きするのだそうだ。



また、実際に 息子の前で

「We are proud of our son!」

と両親が言い、

8歳の息子が 背筋をピンと伸ばして 
満面の笑みで「サンキュー!」と言っていた、

というエピソードも紹介されている。



もうひとつ、彼女の6歳の息が幼稚園の発表会で
ピアノを演奏したら 

クラスメイト(もちろん、6歳児たち)が
握手を求めたり抱きついたりしながら

「I respect you!」

「I’m proud of you!」

と 口々に言っていた、という エピソードも。



少々うらやましくはないか?(笑)



少なくとも、
子どもに対しては
私たちももう少し こうして褒めてやることは
悪くない、と思うのだが。

私は 子どもを褒めるのが 
あまり得意ではない。

というか、はっきり言って、すごく不得意。

それとも、これは 我々(までの)世代に限ったことなのか?



そういえば『NANA』の中に

「リスペクトするギタリストは?」とナナに聞かれたシンが
間を置かずにレンの名前を告げるシーンがあった。

若い人の間では 「尊敬」と言うよりも「リスペクト」の方が
身近に感じる言葉なのだろうか。





うまくまとまらないけど、
もう少し 子どもは褒めて育てたい、という話。

そして、決して 褒めて育ててはこなかった、と
反省をしている、という話。
(ヒステリーだったんだから、無理だって!)

いつか 誇らしげに息子を見上げて
「あなたを誇りに思ってるわ。」
なんて言ってみたいね(タメイキ)。



『NANA』

2007-10-03 | マンガ
『NANA』、映画では『NANA 2』も公開された(→はてなダイアリー「NANAとは」

原作は 矢沢あい氏のマンガ。
(集英社、りぼんマスコットコミックス クッキー、2000・5・20~ )
(現在、18巻まで発売中。)

ハチこと小松奈々と ロック歌手の大崎ナナの 
ふたりの女の子の物語。

「何度読んでも面白いマンガ」というのは、
主人公の魅力もストーリー展開のよさも重要だけど

たいていは 脇役がイキイキしている。

このマンガもそうだと思う。

特に 奈々の親友の淳子ちゃん!(笑)






ウミブドウ。大好き。





「あひるんるん、あひるんるん」と
あふらっくのCMで歌っている 宮崎あおいちゃんを 
初めて『NANA』で見た時、

「そうか!

 そうよ!

 奈々って、こんな顔で こんな声で 
 こんな表情だったんだわ!」

と思えたのだった。



宮崎あおいちゃんが 
NHKの連ドラ「純情きらり」に出たり
大河ドラマで篤姫になったりするから
忙しくて出られなかったのか?

それとも ギャラが上がってしまって
交渉が決裂したのか?

『NANA 2』では
違う女優が奈々の役を演じている。



ドラマや映画になったら 誰が演じるか?を考える、

ファンにはそんな楽しみ方もあるだろうと思う。

まして このマンガには
カッコいいロック・ミュージシャンがゴロゴロ出てくる。

私も前回映画になった時に 
「ちょっとそれはないだろう」、
などと 画面に向かって呟いたり
「え~~! これが○○なの?」
と叫んでみたりしていた。

読者はそれぞれの思い入れをもって 
誰がどう演じるのかを見ているだろうから、
不満もやはりそれぞれあることだろう。

それも楽しみのひとつか。



『NANA』は テレビアニメにもなっている。

(のみならず、ゲームにさえなっている。
 やっぱり、あれか?
 恐怖の大魔王とのバトルを繰り広げるわけか?)

テレビの方は 一度だけ
声優の声を聞いて
あー、この声を持ってきたか~、よし、よし(笑)
とか思って見たけど

私はマンガで読めばいいので
テレビは一度だけしか見ていない。

このマンガ、
娘が 途中から あまり面白くなくなったから
もう買わない、と言っている。

わからなくもない(苦笑)。

だから ここ2冊ばかりは 私が買ってきた。



だって、この先どうなるか、すごく気になるんだもの。

それは 
各章の終わりにつづられた 
奈々 (または ナナ)の、独白のせい。




あの頃 あたしが もう少し大人で
ナナの弱さに気づいてあげていたら
今とは違う未来があったの?         (第4巻)

あの時 知らぬまに つないでいた その手を
本当は ずっと 
握りしめていたかった
いつまでもずっと              (第4巻)

ナナは あたしの憧れで
ナナのようになりたかった
ずっとそう思って生きてきたの
だからお願い
もう一度 歌って              (第5巻)

ねえ ナナ
夢が叶う事と 幸せになる事は
どうして別物なんだろう?
それは未だに分からないよ          (第6巻)

ねえナナ 
たとえば あたし達が
恋人同士なら
それは抱き合えば
埋められる程度の
隙間だったのかな
それとも こんな寂しさを
誰もが持て余しているのかな         (第7巻)

ねえ ナナ
もう がんばってなんて言わないから
好きな歌を空を見上げて歌えばいいよ     (第12巻)



ね~~っ、ね~~~っ、
この先にどんなことがあるか、すっごく気になるでしょ?(笑)

で、買っては 娘に
「ナナの最新刊、買ったよ♪」
なんてメールをしてる、バカ母なのだ、アタシわ。

誇り

2007-10-02 | 考えたこと
土建屋の社長(→2006年1月28日の記事)は 親戚にお寺さんがある。

どうやら 社長は そのことを誇りに思ってらっしゃるらしい。

私の実家がお寺だとわかった時以来、
私に話しかける時の 声色が(ハッキリと!)変わったもの(苦笑)。











この社長には いつも 金ゴマや七味をいただいているが
以前の古い家を「ぼっこわす(壊す)」時や
「火石」やコンクリートで 家の周りを整備する時などに
ずいぶんお世話になっている。



つい先日 社長と事務所でおしゃべりをする機会があった。

とある筋から 私の乳がんをご存知の社長は
ここ数年、お会いすると
じっと私の顔をじっと見ながら 感無量!の面持ちで
「お元気そうで。。。」
とおっしゃるのに閉口していたら

今回は
「奥さん、もう、すっかり?」
と(笑)。

「ええ、家中で一番 元気です(笑)。」
と答えつつ 痩せた亭主を横目でちらと見る私(苦笑)。



もちろん社長は亭主に用があったのだけれど
亭主が電話などでバタバタしている間
しばし 私と歓談。

話はその親戚のお寺さんの話に。

当地からそう遠くないお寺さんで
道路から立派な建物がよく見える。

私は久しく その道を通っていないのだが
近年 本堂などを一新したのは聞いていた。

親戚、ということで
古い建物の解体や 新築の際の基礎工事などで
社長の土建会社も大活躍したのだった。



社長の話によると、
そのお寺の本堂の新築を請け負ったのが、
近在には一軒しかない宮大工。

これが相当お高いらしい。

宮大工と称するからには
それなりの技術とプライドがあるのだろうと思う。

とにかく 宮大工というのは
普通の大工と比べると 
手間賃が段違いに高い、という話はよく聞く。

まして 近在に 他に宮大工がいない、となれば。。。




社長は憤りを隠せず、だんだん声が大きくなる。

一般の人の目には留まらない
床下・天井裏などの場所で採用されていたのが
面倒がなくて 安く上がるけれど 
強度がイマイチ、な工法だったというのだ。

長年 建築の場で いろいろ見てる私にはわかるが、
あれは 
特に 神社仏閣など
永くあるべき建物で使うような工法ではない、と言うのだ。

それなのに、あんな金額を請求する、
金さえ儲かればいいって言うのか!?

いつからそんな 情けない日本人ばかりになってしまったのか?!

社長~、声が裏返ってるしィ~(汗)。



「誇り」、これがないから 
(社長の言う所の)手抜きを平気でする、
そんな社会になってきちゃったのかもしれない、

と思った話だった。

「誇り」を持って 仕事をしている日本人も
まだまだ たっくさん、いるはずだと思う。

現に、社長のところの仕事は
「間違いがない!」と言われ続けている。

(値段は 少々、高いらしいが。)

社長のように
手を抜かない仕事をする人々が
きっとまた 脚光を浴びる日がもどってくるはず、と
私は信じたい。

ゴマ

2007-10-01 | 食生活
どうも <身体にいい>食べ物というのは
新鮮で エンザイム(酵素)が豊富で 
それから 酸化しにくいもの、という
共通項があるように思う。

実家の母は 私以上に テレビ番組に影響されていて
今でも毎日 
すりゴマを味噌汁に入れて飲んでいるようだ。

去年もそうだったが 
今年 3月下旬の 母の誕生日に行った時
一袋の黒ゴマをすったものを 帰りに持たせてくれた。

5月下旬の 父の命日に行った時にも もらってきた。

いくらゴマでも すってしまっては
そう何日も置いておくと 酸化してくる。

せっせと消費に努める。






鳥ササミ肉に 母の黒ゴマをまぶして揚げたフライ。美味しいよ。






今 アンチ・エイジングというか
若々しさを保つためにゴマを、
というCMが盛ん。

抗酸化、というのは これからもキーワードである続けることだろう。

一方、鶏は 牛や豚にくらべて 体温が高いため、
他の動物食に比べても あまりよくないのだそうだ。

私は鶏肉が(も?)大好きなので これはちょっと残念。






アパート暮らしを始めた娘が 帰って来た時に
「ゴマをちょうだい。」
と言った。

父の墓参りに行って間もなくだった。

「いいよ。」
と言ってから、考えた。

「炒れる?
 
 それより、すり鉢もってたっけ?」

娘は一瞬 躊躇したようだったが 結局、遠慮なしに口にした。

「すったのを頂戴。」



わはは、と笑って 母のすった黒ゴマを渡した。

以後は いつものように
土建屋の社長にもらった金ゴマを使っている。