ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

池袋の通り魔事件

2008-08-27 | 考えたこと
去年の夏
≪突然の死≫が 私の頭の辺りをぐるぐるしていたのは、
たぶん 池袋の通り魔事件のことを思い出したからだと思う。

ウィキペディア:池袋の通り魔殺人事件

そして 思い出したのは  
犯人の死刑が確定した、
というニュースに接したからだったろうと思う。







今朝は曇りがちながら、久しぶりに青い空が見えた。お散歩も4キロは久しぶり。






無限回廊;池袋の通り魔殺人事件によると、
上告が棄却されて 刑が確定したのは 去年の4月19日で、
重苦しい思いで そのニュースを聞いたことを覚えている。

それからずっと、
私は 重苦しいぐるぐるを 頭の回りに付けていたらしい。。。






池袋は 私の昔の職場から近かった。

大学時代の友人も住んでいて 
池袋から何10分も テクテク歩いて行った事もある。

(学生の時は よくやったよね。)



それから、東急ハンズが 私は好きだった(今でも、好き)。

そして、渋谷のハンズよりも、池袋の方が、
店内が見やすくて好きだった。

それは亭主も同じだった。







麦わらトンボや しおからトンボに先導されて 土手を歩いた。
そこのけ、そこのけ、と バッタを押しやりながら。






それは暑い日だったと思う。

1999年の9月8日、午前11時40分ごろ、と書かれている。

その日、その時、亭主は池袋に居た。

東急ハンズ池袋店に行った。

わずかな違いで 凶刃にあわずに済んだ。



しかも、

何度考えても、凶行のあったあの時間に、あの辺に、俺は居た、

と亭主は言うのだ。



ニュースの画面に見入りながら、

俺が歩いていた時、あの辺に 特に変わったところはなかった、

だから、俺があの辺を歩いていたのは、
事件の直後ではなく、直前だったんだ、

だから、もしかしたら、俺は、
犯人とすれ違っているかもしれない、

と、そう言うのだった。







飛び立ったのはバッタだけではなく、キジ(雌)もいたが、それは撮れなかった。






犯人とすれ違った(かもしれない)人と、
すれ違いざまに刺されて 卒然とこの世を旅立った人。

このわずかな差を 誰も埋めることはできない。

たとえ どんなに小さな差であっても 
同じ、ということには ならない。

埋められない、越えられないこの違いを
私たちは ≪運命≫と呼ぶのだろうか。

≪運命≫と片付けられたくはないが
≪運命≫だから、と 自分を納得させる以外に術がない、という事も
また 事実。







亡くなった人の魂は 蝶になって戻ってくるという言い伝えもあるらしい。






不慮の事故、という言葉があるけれども
通り魔に刺されて亡くなった人も 
交通事故や 水の事故で亡くなった人も
本当にそれは 以前から決まっていたことだったんだろうか?



栃木県鹿沼市では 
消防署が救助活動をしてくれなかった、という、
在り得ない事故で亡くなった女性もいた。

最近のニュースだと思っていたら
なんと、この事故は16日に起きたものだった。

残された人は
「それは前から決まっていたことだったのよ。」
と言われて 納得するだろうか。






「そういう運命なのよ。」

いつもは 説得力のある力強い言葉で
いきなり信じさせてしまうT子さんの 
この言葉だけは

何故か
私は すんなりと受け入れられないで 今もいる。

受け入れたくない、という気持ちが
私のどこかにあるからだろうか?