ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

なんでもない話(2)

2010-11-22 | なんでもないこと
この週末は忙しかったので 
娘に手伝いを頼んで 来てもらった。

やっぱり娘がいると 亭主とふたりきりよりもずっと
話が弾む(笑)。

でも それは 亭主も同じで、
私にしたのと同じ話を もう一度娘に聞いてもらって
「パパ、大変だねえ」
と言ってもらって 癒されている(笑)。







愛犬の居場所はいくつかあるが、玄関脇のこの場所は
雷が鳴った時のために なくてはならない場所だった。

その雷で エアコンがオシャカになったため、
これまでなかった室外機をこの場所に置くことになり、
植物も片づけてしまった。






亭主の父親は 86歳(くらい)。

(大正14年生まれだったと思う。 

 風さんのお母さまと同じくらいのはず、
 
 風さんの記事を見て 書きたくなった(笑)。)

身体はぐぐっと 縮んだ感じ。

年寄りらしい年寄りになっている。

実際、 年寄りなんだから仕方がない(笑)。



腰痛があるし 転んだ前科があるので、
歩く時には 杖をついて歩く。

その義父の顔を 娘が携帯で撮影して
「ほら」と見せると

「年寄りみたいで、 ヤダねえ。」

とか、

「年寄りくさいから、消しちゃってくろ。」

と言うのだそうだ。

おじいちゃん、アンタは、充分、年寄りだ!(爆)







あくまでも、この場所はアタシのための場所よ! と愛犬(笑)。
でも 今月に入ってからは 布団のある場所に居る事が増えた。






自分が年寄りであることを
認めたくないのか、
忘れたいのか、
忘れているのか。



息子ふたりを 余所に出して
長い間 夫婦ふたりの生活だったから
「孫に囲まれた御隠居さん」になった事がない。

そういうふうだと、年寄りになった気がしないのかもしれない。

仕事も 自分でやりたくて ウズウズしている感じで、
それを 亭主は 鬱陶しがる(苦笑)。







若い頃の 風呂上がりの愛犬と 息子。
こんな写真が残ってた!

ストーブがある、今頃の季節だったのかもしれない。



なんでもない話

2010-11-19 | なんでもないこと
年に一度の 顧客サービスデーが 無事に終了。

ホッとした。

けど、次の大波が待っているので、
なんだか 気が抜けない。







先月20日撮影の秋明菊。 もう終わってしまった。
後ろはサザンカ。





私たちは 当地に来てから これまでに
ビッグ・イベントを 5回やっている。

3回やってて、今度が4度目かと思っていたが、

数えてみたら すでに5回もやっていて、

来月、6回目のイベントをする。

いつも 「もう2度とするもんか!」 
って言っているのに。

呆れて、ものも言えない。

(でも、記事にはできる。)







今年の火石花壇のテーマカラーは 赤だった。
あくどくならないか、心配だったが、それ程でもなかったと思う。






白鵬の連勝が63で止まった。

ガッカリしたような、ホッとしたような。。。

双葉山の連勝を69で止めた安芸ノ海の 
師匠の出羽の海親方は
意気揚々と部屋に戻った関取に
ニコリともせず、

やがて口をひらいて
「勝って騒がれる力士より、
 負けて騒がれる力士になれよ。」
と。

稀勢の里、
君にも、同じ言葉を、私から送ろう(笑)。






   
イバラキの実家に少しでも早く戻ろうと思うと 高速を使う。
3千円使うと 30分早く着く(涙)。
サービスエリアに咲く ベゴニアの花のタワー。






母の四十九日もある。

遺品の整理(ガラクタの処分)があるが、

イベントの準備に入っており
(例によって 亭主はキンキンしている)、
なかなか実家に帰れないでいる。






心配性の母にだけは 
私が乳がんであることを知られたくなかった。

母が亡くなるまで 隠し通そうと思っていた。

母が亡くなって 
もう 隠す必要がなくなったんだ、と思ったら
気が抜けた。







玄関前の寄せ植えは シックな色にした。

白い小さな花のアンゲロニア、
もっと小さくて白い花のユーフォルビア、
それに黒っぽいコリウス。

同じ大きさの 同じ苗を買って 同じように植えて
玄関の左右に置いておいたのに、
(この時は、窓口前に集合させて撮影。)
何故か 対称形にはならない。

右側のものは コリウスもユーフォルビアも枝垂れている。







その株もとに出てきたちっちゃな芽。
大事にすれば 冬越ししてくれるだろうか。




海洋深層水の話

2010-11-07 | 健康オタク
亭主が「石持ち」になって
(イシモチだったら美味しいのに!)
何が変わったか、というと、なにも変わらなかった。

亭主が変わらなければ、なんにもならない。

ただ 最初のうちは 少し痛みに懲りたようで、
まず、水を変えた。






   段菊






前にも書いたが
亭主は アノ総合病院の医師に
「海洋深層水」が良い、と言われた。

マグネシウムが豊富だから、だそうだ。



実は 私は その前から 海洋深層水に注目していて、
もしかしたら <私に>とってもいいかもしんない、
と思っていた。

根拠はなく、ただ単に なんとなく、という理由だった。

それが、医師のお墨付きを得たので
海洋深層水を 買って飲もうか、という事になった。


ちょうど 
化粧品の会社で出している海洋深層水が
キャンペーンでお安くなっている、というので
それを買うつもりでいた。

そうしたら、その前に 
亭主が店で買ってきてしまった!(怒)






   
火石の花壇に飛んだ段菊。
引き抜いて お客さまに差し上げた(笑)。






なんでも 良く通る道に 
新しいドラッグストアがオープンしたとかで、

トイレ拝借ついでに寄ってみたら 期待通り?に大安売り、

そこで2リットルのペットボトルに入った海洋深層水を
箱で買って来たのだった。

それが、安い!!!!!







撮影は10月半ば。





ところが、その店のその海洋深層水が、
いつまでたっても安いのだった。

希望小売価格が1本いくらだったかは、忘れたが(苦笑)。



化粧品会社のものは 
キャンペーンで安くなった物を 相当大量に購入しても 
200円はくだらなかった。

それが、なんと、1本99円、6本で529円!



とろこが、なんと、それが、通常的にその値段で売られている。

一度は、安売りで89円だったこともある!

やっぱ、安いっしょ!






ということで、以後、海洋深層水は 
その店で購入することにしている。

では、身体の調子はどうか?っつーと、
これが、全然、わからない。

そうそう変化があるようじゃ、
かえって怖いしね(笑)。







これは、イチジク。
昔は近所のものを こっそり盗ったものだった。
今は 出荷しているご近所から 規格外れのものをいただく。





ところで、海洋深層水って、海からのものだから、
時折 うっすら しょっぱさが混じってても、
きっと そういうものだよね?

海の水だから・・・、サ。

89円でも・・・、ネ。

大丈夫・・・、だよね???



訃報

2010-11-04 | 考えたこと
七五三の着物の騒動から数日後の朝。

受話器をとったのは 亭主だった。

何やら深刻そうな顔になった。

「おばあさんが?」と言った。

電話の向こうで 義兄が 
「息をしていない。」と言ったようだった。







7月に写したコンニャク畑の写真。






亭主の顔が厳しいものになった。

ああ、母の事だ、と 私は思った。



父の時 母は 「目~、つぶっちゃった~。」と言った。

今回は 「息をしていない」だ。

何なんだ? それは。

「亡くなった」じゃないのか!?







誰が作っているのか、気になる。。。






父の時には 医師が来て 人工呼吸を試みていた。

今回の母には 検死があった。

亡くなったのは前日の晩、死因は急性心筋梗塞。

診断書を書いてくれた母のかかりつけ医と
検死官の言葉は 一致して
「苦しんでるヒマぁ、ながったな~、こりゃあ。」






亭主と取り急ぎ、イバラキの実家へ向かう。

母は穏やかな寝顔で寝入っていた。

ただ、耳の色が紫だった。



テレビを点けて、炬燵に足を入れて。

父が急死だったのに、母もそんな亡くなり方だった。

それでも 人は 「うらやましい」と言った。

そんな死に方をしたい。

あやかりたい。

そのくらい 安楽な死に方を、母は した。





長い間、降圧剤を飲んでいた。

心臓肥大になったのは そのせいだ、と 母は言っていた。

不整脈が出るようになったのも、ずいぶん前からだ。

近年、糖尿も出るようになった。

心臓に水がたまってんだ、とも言うようになった。

ニトロ系の薬を持ち歩くようになった。

それでも そこそこ元気で 動き回っていた。

午前中はかかりつけ医に、午後は買い物に
自分で車を運転して 出かけていた。

なにしろ、村の女の中で 免許取って車を運転しだした、
第1号! と自慢する、オテンバ婆さんだったのだ。






一方、舌鋒鋭く人を批判・非難する人で、
母の足腰が効かなくなって 口だけ達者だったら、
どうやって その口から逃げようか?と
昔から姉と 顔を見合わせていた。

誰だって 身体の自由が効かなくなったら
イライラもつのるし、
口が効くのなら 口くらい思うように使わせろ、と思うだろう。

それにも限度があるし、
オッカサンが寝たきりになったら どうすればいいか、は
悩みの種でもあった。

その種が 突然、吹き飛んでしまった。





箱モノが流行りの時に建設された火葬場で
予想以上に大勢の人に見送られて 
母は旅立っていった。

キレイに化粧された顔は 私の祖母にそっくりだった。

私はいつも 子供たちに
「ママの25年後の顔だよ。」
と 母を指さしていた。

私の25年後の顔を見せてから 
78歳の母は 骨に変わった。



その日は 前日の冷たい雨が上がって
青い空が広がっていた。

そういえば、晴れ女だった、オッカサンは。






姉夫婦に私たち夫婦。

孫たちと 七五三をするかもしれなかった曾孫たち。

大勢が集まって、
そこに小さな子供がいて
可愛い声で 泣いたり笑ったり。

「楽しいなあ!」

私は声に出して言った。

「揃うなんて、滅多にないものねえ。」

姉も言った。

突然過ぎて、実感もないし 寂しくも 哀しくもない。

そういう葬儀も 悪いもんじゃない。






父が亡くなって だいぶ経ってから
生前の父の事が思いだされるようになって、
私はファザコンになった。

今でも時折 声に出して父を呼ぶ。

母の事も そんなふうに 呼ぶようになるのだろうか。







実家から帰ってきたら 
ケヤキの落ち葉がいっぱいで、びっくりした!

ほうき草が見事に紅葉して 
咲き初めたウィンターコスモスの花びらと 引き立て合っていた。






こちらに戻ってきてからも
なんだかイントネーションが変だし、
ことばに かなり“濁点”が増えた私(爆)。

そうそう、前日に送った七五三の着物は
私たちが到着する前に、宅配便で届いていた(笑)。



七五三騒動

2010-11-03 | なんでもないこと
9月からこっち、有難いことに仕事が忙しく、
治療院へ行くのも 予定を変更しっぱなし。

明日行くのを止めて 明後日にする、という事になると
明後日に入っている予約の後に、という事になり、
治療開始が遅くなる。

開始が遅くなると、帰りも遅くなる。

夕食は外食になる。

それは、私は歓迎なのだが(笑)。







今年もキレイに咲いた段菊。






実家の母からの電話を受けた亭主が
「帰ったら電話させますから。」
と伝えたその日も
治療が遅くなった日。

ところが それから何度も、母から電話が入り、
その都度 亭主は
「帰ったら 電話させます。」
と繰り返していたらしい(笑)。

そうして、ようやく私が帰って
亭主とふたりで 和風ファミレスで晩御飯を食べていると
またまた電話が鳴った。

(家に電話がかかると
 亭主のケータイに 転送するようにしている。)




私が電話に出ると、母は 
姪っ子の七五三の時の着物が 
私の所にあるはずだ、と言う。

姪っ子の子供、母にとっては曾孫たちが
今年 七五三だというのだ。



「あっか~?」

「わかんない。」



ウチの娘が お正月に着たのだって、15年以上も昔の話。

そんなの、覚えてないよ。



「あるはずだっぺ。」

「うん、あるとは思うけど。」

「んだら、あっぺよ。」

「わかんない。」

「わがんねって、あっか!」



怒らせてしまったようだ(汗)。



「家に帰ったら 見てみるから。」

「今、どご居んだ?」

「今、晩御飯食べてる。」



母も ここは努めて冷静になってくれて、

「んだら、あどで 見でがら、明日、電話よごせ。」

「わかった。」



ふ~~~~。(タメイキ)



で、後はひたすら、食べる私。







これは、一株だけある、ピンクの段菊。






実際に タンスの引き出しを開けて 探してみたのは、翌朝だった。

あった。

電話しよう、と思った時、母からの電話がかかって来た。



「あったが~?」

「あった!。」

「あったべ~。」

「うん。」






七五三の着物は、
今 30歳くらいになる姪っ子が幼い日に 
母が誂えたもので、
濃い紫の地に 薄いピンク色の花の柄が とても美しい。

色黒のわが娘に 似合うとは言い難かったが、
貸衣装で七五三を済ませてしまったわが娘のために 
母が送ってよこしたものだった。

「女っ子は 着物が好きなもんだから、正月に着せてやれ」
というわけだった。

私も姉も 着物を着てオシャレするのが とても好きで
お正月には 毎年 着物を着せてもらっていたのだ。



姉夫婦は 姪っ子の帯と草履のセットを 
バザーに出して 売ってしまったので、
母は 帯のセットを 娘のために わざわざ新調して 
着物と一緒に送ってくれたのだった。






「帯、あっか~?」

「帯、あった!」



「帯締め、あっか~?」

「帯締め、あった。」



「帯揚げ、あっか~?」

「帯揚げ、あった。」



「んだら、早ぐ、送ってよごせ。」

「わかった。」





「でも、草履とバッグが、ないんだよね。」

「ふ~~ん、草履と、バッグが。」

「うん。」

「草履と、バッグ、な。」



ああ、今回、母は、曾孫のために、
草履とバッグのセットを、買うな!

そう直感しつつ、受話器を下ろしたのだった。



後で 姉に電話したら
すでに母から話が行った後だった(爆)。






姪っ子に似合いそうな付け下げをひとつ 私が持っていたから
草履とバッグのセットも合わせて
そっちも送ろうか?
という質問に
姉は 姪っ子に聞いてから、と言って 話はいったん終わった。

だから、七五三の着物を送るのが
ちょっと遅めになってしまったのだった。