ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

5つめの夏の汗

2007-08-31 | 更年期
きょうで8月は終わる。

でも きょうで 涼しいのも終わりなんだって?

もう暑い日が来るのは、やだよー。。。



2002年12月に手術をした。

2003,2004、2005,2006。

数えてみたら 今年で 術後迎えた夏は 5度目になる。

しかも、猛暑! 酷暑! 爆暑!

汗をかく。







亭主の実家に咲いていた、フヨウ。






汗をかく。

しかも、尋常でない汗をかく。

これが 女性ホルモンの分泌を抑えたことによる
あるいは
しっかりその年齢に達したことによる
更年期の症状だとわかってはいても

そうとう汗をかくので 腹が立つ!

不便だし。






顔だけ 死にそうに暑くなることは、なくなった。

(プラセンタの注射は あれからもうやってない。)

けれど全身で暑くなる。

(「熱くなる」、と書きたい所だけど。。。)

暑くなると、汗をかく。

玉の汗。

というか、おびただしい汗。



この汗をかいた衣類を取り替えると、
生き返ったような気分になる。

生き返ったように 深呼吸をして
昔の事を思い出す。

勤めていた頃、
駅からアパートに帰宅するまで歩く間に 
しっかり汗みずくになって

部屋の玄関でストッキングを脱いだ時の、
開放感!!!

(あの頃は 「ナマ足」なんて、ありえなかった!)

それから 
これも汗でぐっしょりになったブラをはずした時の、
爽快感!!!



しかも、信じがたいことに、

あの頃は 職場に着いた時点で、
いや、その前に、
アパートから駅に着いた時点で汗びっしょりで、

仕事では ほとんど汗はかかなかったと思うけど
お昼休みに汗をかいたりしても

そのまま 同じブラ、同じストッキングを 着用し続けていたのだ!

毎日家に居るからこその、全身総取替え!

気持ちイイ!!!

けれど今は
その胸の爽快感は 約半分だ。



「静かに降り積もるもの」に書いたように、
放射線治療を受けたので
私の術側の胸は汗をかかない。

だからブラもぐっしょりにならない。

ブラをはずしても 取り替えても 爽やかさを感じない。



けれど
触ってみると、からりとそこだけ乾いていて
不快感を感じない、と言えば 言える。

放射線治療で 体毛もまったくないし、
それはそれで からりと快感!なのだった。

そのことに気が付いたのは 今年の夏。

汗をかかない、ということにも 
少しだけ、いいこともある、か。

おかげで ブラを取り替えても パッドを取り替える必要はない。

(普段は、比較的厚めの スポンジのようなパッドを
 術側の胸にだけ 挟んでいる。)

(スポンジみたいなパッドだけど、
 柔らかさは 決して本物にはかなわない。)

(あれ? 女ざかりのころのおっぱいは 
 もっとハリがあって硬かったのかしら?)







フヨウの周りにも 木々があって 影を落としている。






「腕の汗」で 
術側(左)の胸に汗をかかない分、左腕に汗をかくようになったらしい、
と書いたが

5年目のこの夏、
どうやら 私の全身の汗腺は
左胸に汗をかかないのが普通、という感覚に近づいてきたらしく、

腕の汗の左右差が減っている。



なにしろ 
運動して あるいは 暑さによる体温調節で 汗をかくのではなく、
なんだか知らないけど、とにかく、突然、汗が吹き出るのだから

腕がムズムズするので
「ま、まさか、虫?!」と思って見たら 
汗が流れ落ちているところ、
という感じ。

その左右差が ほとんどないのは
汗を拭きながら腕を見る私の精神のためには
とても望ましいこと。



さて、もう書いたけど、きょうは涼しい。

いつも オッチャンみたいに 首にタオルを掛けておいて
汗をかくと 
顔を ぐるん、ぐるんと拭いて
腕を拭いて、肩を拭いて、していたが

使い続けていると
タオルが湿ってきたり 臭ってきたりするので 取り替える。

一日に3本は使っていたね。

上半身、Tシャツは 5枚くらい取り替えてたし。

あんな暑さは、もう、来ないよね? 

ね?




秋の訪れ

2007-08-30 | なんでもないこと
先日の記事に書き入れるのを忘れたが
3日前は 旧暦のお盆。

お盆って、秋の行事だったんだなあ、と感じた日だった。



急に涼しくなって クーラーが要らない。

熱中症で倒れる人が続出した日々が 嘘のようだ。







亭主の実家の前の道。実家はこの道の左側、数メートル上にある。






水の事故というのは 暑さに比例するように発生する。

それに土・日・祭日に集中している。

親や本人が 仕事を休んで遊びに行って起きることが多いためだろう。

海や川で働く人が 簡単に事故に遭わないのは 当然かもしれないが 

レジャーでやって来る人たちも
最低限のことはわきまえていないと とんでもないことになる。

今年も 哀れな事故が相次いだ。







この道の右側は かなり急な崖になっている。
だから、この竹やぶには入って行けない。






蚊が多くて 
「プ~~ン」という羽音を聞くだけで 
怖くて家に入ってしまう。

草むしりができない(泣)・・・・・・イイワケ?



今年のホオズキは キレイに色づいたのは一本しかなかった。

来年は もうちょっときちんと面倒を見て
しっかりした苗を育てたい。





暑い頃は 毎日の水遣りだけで精一杯だった。

お願いだから、残暑は今年はナシにして!

ナシといえば 美味しい季節になった(笑)。

ことしも食べるぞ!






追記:書こうと思ってたのに 忘れてたので。

過日の テレビの地方の情報では
千葉県では 今年はお盆を過ぎても暑い日が続いて
蓮が咲き続けているとか。

一方、埼玉県では オニバスが 暑さのせいで?
花をつけてくれない、と先日の夕刊にあった。

これらの花は 一気に逆転したのだろうか?



牛乳神話(2)

2007-08-27 | 食生活
私が定期購読する雑誌は 廃刊になることが多い気がする。

ようやく 購読にリズムがついてきたところで廃刊になった雑誌に
『日常茶飯事』(~食生活と健康を考える人のために~)
というのがあった。

うすっぺらで、軽くて、
片手に持って電車の中で読むにも適していたのに。

乳がんの術後で
「食生活と健康」に非常に興味があったら私だったから
読み始めたらどの記事も面白く、
バックナンバーも残っているものは全部取り寄せて
ひとつひとつ 読んでいたのに。






チャイニーズハット。
珍しい花木だったので、去年の衝動買い。






師匠が関係というか主催している
「フーズアンドヘルス研究所」(→コチラ)から出版されていた
『日常茶飯事』というのがそれ。

「牛乳神話」というタイトルも その中の記事から拝借した。

2003年の11号、「特集 牛乳神話を考える」がそれ。

(フーズ&ヘルス研究所、2003年10月20日、600円)

新谷弘実氏(→氏の公式サイトがあったよ!)の著作、
『胃腸は語る』(参考:2004年6月25日の記事)に言及したページもある。

確か、購読開始のあとに 購入したバックナンバーにあったものだ。

ショックを受けた記事の数々(汗)。







真ん中の膨らんでいるのが、つぼみ。
インド・ヒマラヤ原産の常緑小低木。
でも、去年の冬 屋外に置いておいたら 当地では葉が落ちた。






たとえば。

・牛乳はカルシウム摂取源として 有利な食品ではない。

・生理学的にも 牛乳は日本人に合わない。

・牛乳摂取の問題点:心の偏り。異常行動。犯罪。非行。それらの低年齢化。

・アテローム硬化、 がん、糖尿病、リウマチなどは 牛乳を飲むことによって
 かかりやすくなる。
 やめれば減っていく。







つぼみが開くと、こうなる。
耐寒性はない。去年の冬はあったかかったからなあ。






上にあった、「アテローム硬化」というのは。

人間の体内(37度)では
牛の体温(39~43度)で溶けていたものも固まってしまう。

そのことによって引き起こされる、
動脈の内側に堆積物がたまり、動脈内壁が狭くなること。

結果、血液の流れが悪くなる。

   臓器への酸素の供給が悪くなる。

   血管がつまって 脳梗塞・心筋梗塞の原因になる。

   乳管がつまって母乳が出なくなる。

のだそうだ。

大変だ!



その他、とにかく ≪ビックリ仰天!≫な話ばかりで、驚いた。





花が落ちたあとは、こんなふう。
これは、ガクなんだね。思わず、「ナス科だ!」と思ってしまった。
本当は、クマツヅラ科。





「牛に願いを」と頑張っている酪農家の方々には 
大変申し訳ない記事になってしまったが

日本人はやはり あまり牛乳や乳製品を摂り過ぎるのは
良くないと思える。

しつこいけれど これからも「牛乳神話」は
ボチボチと 書き続けるつもり。



前述の フーズアンドヘルス研究所のHPには
こんなコラムも見られる
 →「「牛乳神話」崩壊に期待する―ドクター新谷頑張れ!!」

ちなみに コラムの中に見られる「公開質問状」というのは
(→コチラ、ぜひご覧いただきたい)、
私が今年の新年に新聞紙上で見た記憶のある記事と同じようだ。
(あら、年末に見たのだったかしら。)

師匠の指摘にあったが
この質問状を見ると ますます牛乳が怖くなる(苦笑)。

昨日発見したばかりだが 
師匠のブログ(→コチラ)は 献立の参考になる。


テレビを見てて

2007-08-26 | なんでもないこと
だっしゅ村を見た。(→番組のHP

水不足で 用水路から田んぼに水を入れるのに
足踏み水車を使う、という話だった。

あ、あれだ!と思った。

小さい頃 母や近所のオバチャンたちが使っていた、
足でペダルを踏むように
水車の羽根(とは言わない?)を回す。






この夏 いただいた ミニトマトたち。






でも・・・あれ?

ずいぶん小さい。

確か、直径1・8メートルと言ってた気がする。

イバラキの県南の辺りで昔使っていたのも 
そのくらいだったと思う。。

でも 人が立つ場所が 随分 地面に近い。

私の記憶では すご~~く高いところに登っていた気がする。

小さな子どもだったから そう感じたのかなあ。。












CMの時間になって

○○○○ハイムの若いオジサン・オバサンが
畑で美味しそうなトマトを作っていた。

子供たちがあらわれて トマトをいただいて
お礼を言って立ち去る時に

ツゲで作った まあるい輪を 
ひょいひょいとくぐって 帰っていった。

あれ、いいなあ。

あの、丸いヤツ。

ツゲを買ってきて植えて 作ってみようか?













タバコのマナーのCM。

「マナーも携帯しよう。」とのことで、
携帯用の 灰皿というか 吸殻入れを持ち歩こう、と
呼びかけている。

吸殻をポイ捨てするのは マナー違反だから 止めよう! 
というわけ。

それはいい。

でも 灰や吸殻をポイ捨てしなければ
それでOK、とは 思わないでほしい。

場所によっては タバコに火をつけること、
それ自体が とても迷惑なのだから。



というか、
「百害あって一利なし」のタバコを
どうして わざわざ 吸うの?

(特に、ウチの亭主!)



世の喫煙家の皆さん、
私はタバコを吸いたくないのよ。

だから アンタが吸うのはかまわないけど、
私に吸わせないで。

歩道や横断歩道を歩いていて
タバコの煙(と、あの、臭い!)を
無理矢理吸わせられる身になって!



タバコを持つ手を振って歩かないで!

小さな子どもを連れていると
ちょうど顔の辺りに 振った手が来る。

オソロシイ!!!



吸いたいのなら 吸殻入れのある場所で
しっかり止まって 
しっかり吸って 
吐き出さないで!!!







亭主の実家の玄関前にある ヤブコウジ?の群生!






週末に。

あんなふうな。
 
後ろが山で 前がたんぼで。

茅葺き屋根の。

囲炉裏と 土間と カマドのある家。

田んぼでは 合鴨が稲を育てる手伝いをしている。

採れたもち米で 餅つきをして。

巣箱で日本ミツバチを飼って。

蜜蝋を採って ロウソクを作って。

足りないものは 手作りして。

なんていう生活に
とっても 今 憧れている。



・・・・・・・・・こんなに田舎に住んでいるのにね(笑)。



ごじゃらっぺ

2007-08-24 | いろんな人
書きます、と宣言した記事も(いくつも)あり、
書きたいと思う記事はもっとあるけれど
書き始めたついでなので、義父のことを少し続けたい。

義父には不整脈の持病がある、と以前書いた。

医者は嫌いだけど、検診は好き、とも書いた。

義父は今年も 心臓の検査を 例年のように受けた。







イチジクのワイン煮。
近所からいただいたイチジクを鍋に並べ、
ほとんど1本の(COOPの)赤ワインをそそぎ、4時間近く煮詰める。
他のものは 砂糖はもちろん、一切何も入れない。
(これが、牛乳やヨーグルトとよく合うんだ!;苦笑)





義父の下血騒ぎが静まった後、
義父は心臓の検査を 近くのホームドクターで受けた。

本当は 筑波の方の病院で検診を受けているのだが
この検査は 
機械を装着したり 24時間後にそれをはずしたり、で
頻繁に病院を訪れる必要がある。

ホームドクターの所ならば 義父が自分で車を運転して行くが
筑波まではちょっと遠いので タクシーになる。

それで 近くのホームドクターに依頼している。

筑波の方の病院とは 同系列?らしい。



それが今年は いつもの不整脈と違って
ちょっと気になる不整脈があるから、
検査の結果を持って
筑波の主治医の方に行ってくれ、と言われてしまった。

義弟と亭主で協議した結果、
義父がひとりで筑波に行くことになった。

どちらも仕事を休めなかったのだ。



その結果、義父は
筑波の主治医から新たな薬をもらってきて飲み始めた。

飲み始めて間もなく 義弟が週末に 実家に行った。

たぶんいつもの土曜日だったろう。

そうしたら、
義父はすごく顔色が悪かった、
と 義弟から電話があった。

(この時は 亭主が家にいて 電話を受けた。)

顔色が悪いだけじゃない、
本人が すごくだるくて 辛いらしい、とのこと。

そのうえ 足がひどくむくんでいる、と
たいそう心配した電話だったらしい。



亭主が電話で聞いてみると
義父は ホームドクターを気に入っていて
筑波の主治医を悪しざまに言っている。

ならば ホームドクターのところへ行って薬を見せて
飲むと具合が悪くなるので 
別の薬にしてほしい、と
「医者に」言うように、と指示。



けれど ホームドクターは その決断を下してはくれず、
もう一度筑波に行って 主治医に相談を、と言う。

「筑波の主治医に電話で聞いてみなよ、
 オレが電話しようか?」
と亭主が言うと
「いや、自分でやるよ。」
と義父。

「でも きょうは○曜日だから、先生は居ない日だ。」とも。

大学病院などでは
「○○先生は △曜日でなければ こちらへは いらっしゃいません。」
ということがよくある。

そういうことか、と 次の診療予約日まで待つことに。



待ちながら 時々 亭主が実家に電話して
「薬ちゃんと飲んでっか?」と聞くと

義父の薬は 納豆を食べると 効かなくなるとか?
(効きすぎる、の間違いではないのか?)

「きょうは 
 納豆みたいな菜っ葉(モロヘイヤのこと)を食べたから、
 飲まなかった。」
との返事。

「だ~めだよ、そんじゃあ!」





こんなんじゃダメだ、と
予約日には 義弟が無理して仕事を休んで付き添って行くことに。

問診の合間に判明してくる、
義父の「ごじゃらっぺ」の数々。

2週間分のお薬、義父が飲んだのは5日分だったこと。

そのせいで、
薬を飲んで その効き目を 検査して判別したいのに、
検査ができなかったこと。
(このことは義父は全く認識していなかった。)

薬を服用していて 具合が悪くなるとか
聞きたいことがあったら いつでもすぐに電話してください、
と言っておいたのですが、と医師に言われたこと。

医師は 診察日でなくても 
週日は毎日病院に来ていたこと。   

義父が不満に思っているのがなぜなのか不思議なほど、
医師はきちんとした医師で?
説明もちゃんとしてくれること。     などなど。



義父は まだ 判断力が鈍ったということはないのだが
(決断力がないのは 若い頃から?)、
どうやら医師の説明が ちゃんと聞き取れなくて
テキトウに判断して 
こうだろう、という想像で話を作り上げていたらしい。

それもこれも、耳が遠くなったから。

補聴器はいくつか持ってはいるが
これなら!という補聴器は・・・。

あれは、難しいものらしい。

で、
2週間分の薬と 検査は ムダになった。





その後 なんとか検査ができたのだが
義父の不整脈は やはり あまりタチのいいものではないらしい。

場所が心臓というと 義父に不安もあるに違いない。

近々 10日間くらい 入院して 
ペースメーカーを埋め込む必要があるかどうかを
詳しく調べるらしい。



一方、足のむくみは 改善してきているが
これは 血栓ができている可能性が高いとのこと。

血液サラサラの薬は これまでも飲んでいたが
血液もっとサラサラ、あるいは
血液もっともっとサラサラ、の薬に 変更していくようだ。

だから、出血しないように気をつけるように、と言われてすぐに
指にホチキスの針を刺した、と義弟が憤慨している(苦笑)。





「ごじゃらっぺ」とか「ごじゃっぺ」というのは、イバラキ弁で
「いい加減」とか「ムチャクチャ」とかの 
よくない意味で使う言葉。

「おてもやん」にも出てくる言葉だが 同じかなあ?

方言には 面白い言葉があるよね!


歯周病と生活習慣病

2007-08-21 | 健康オタク
ムラの ハルちゃんというお婆さんの具合が悪いらしい、
と聞いたのは去年のことだった。

その後 
さすが日本女性? 
元気になって歩いているハルちゃんに会った。

糖尿病だったのだという。

美食には程遠そうな?年寄りが糖尿病と聞いて 
「えっ!?」と思った。

それより ハルちゃんの口の中に 
歯が数えるほどしか残っていないことには
もっとびっくりした。

そういえば 近年
歯周病と糖尿病に 関連性がある、と聞く。

痛くもないのに次々に歯が抜けたんだよ、というハルちゃんは 
歯医者が大嫌いだったのだそうだ。






亭主の実家の 洗濯物を干す場所の東側は、竹やぶ。
いつも竹の子を送ってもらっていたので 実家の竹やぶだと思っていたら、
地主は別の家だとか。






以前には考えられなかったことだが、
歯周病は 口の中だけの病気じゃないらしい。

歯周病菌に感染すると
病気は歯周病のみではない、ということ。

歯周病菌は 毒素を出すんだとか。

毒素によって、歯ぐきや歯槽骨を破壊。

これは、わかる。



歯と歯ぐきが健康であることによって 初めて
「噛む」という動作が充分にできる。

「噛む」ことで 脳に刺激を送り、認知症を防ぐ。

(血管の老化も防いでくれるらしい。)

それも、わかった。



それ以外にも、
歯周病菌に感染すると 脳卒中や心筋梗塞を起こしやすくなる、
という研究結果が出ているそうだ。

なんでも、歯周病菌が出す酵素(毒素?)は
血管に入ると 
血液を固めやすくするのだそうだ。

動脈硬化を促進させ、
血栓をできやすくし、
脳梗塞や心臓病まで引き起こす。

全身の健康に関係するどころか、
命にまで影響するのだ。

(脳梗塞を患った父は 奥歯がメタメタで
 我慢できずに歯医者に行く時には
 かならず抜いてもらっていた。。。) 

「肥満」や「たばこ」と同じように
歯周病は 危険因子のひとつなのだ。



ところが、この歯周病、
きちんと治療すれば
なんと 血管まで若返るらしい。

半年後には 血管が柔軟性を増して 上手く広がるようになるのだという。

ならば、治さなくては!

(歯ぐきのポケットは 器具を使って測定しなくてはならないようだ。

 歯医者を怖がってて行かないようでは、ダメ!)

(美容院や理髪店には月に1回くらい出かけるのに
 どうして歯のケアのために歯医者に行きたがらないのか?
 と書かれていたけど、ホントだね!)

(女性は閉経後 骨粗しょう症になると 歯周病になる人が多いとか。

 ホルモン療法で閉経させてしまった人も 気をつけたほうがいい?)

(タバコを吸う人は 歯周病になりやすい。

 世の中から、タバコよ、なくなれ!)

(読売新聞朝刊 2007年7月29日 28~29面、
 第13回 口腔保健シンポジウム「よくかんで 歯から健康」による。)





ところが、
電話で話していたら(お盆前のこと)、
義父は 歯痛があるという。

「右に虫歯があって、
 右の歯が痛くて、
 左でばっかり噛んでいたら、

 左が痛くなっちゃったんだよ。」

ダメじゃん!!!



私は 電話で

「お義父さん! 

 歯は、大事なんです!

 歯でものが噛めないと、本来、動物は生きていけなくなるんです。

 噛むことで 刺激が脳に行って
 脳も健康でいられるし 
 
 身体を作る食べ物も 歯で噛むことで 栄養が得られるんです。」



「お義父さん、歯医者に毎日行って下さいね!

 虫歯がなくても、週に一回くらいは歯医者に行って
 きれいに掃除してもらうと、気持ちいいですよ!」

などと ナマイキに説教した記憶が。。



義父は穏やかな人だから

「そうだね~。」

「そうかい。」

などと 相槌を打って聞いてくれた。

それから

「そうだね~。

 おばあちゃんも、ものがちゃんと噛めなくなったら
 あっという間だったっけねえ。」

「そうか。

 そんなふうに歯医者に行くことは 考えた事がなかったよ。」

などとも言ってくれていた。



今回 お盆中に 娘が電話をくれた時、

「おじいちゃんは 今 歯を磨いてる。」

と言ったのは、夜だった。

弟に 晩ご飯の洗い物をさせながら 私に電話をしてきたのだった。



なんでも 義父は 夜 歯を磨くことにしたら 気持ちがよくて
磨いた後は 寝る前には 何も食べたくなくなって

「クセになるねえ。」

と言いながら 毎晩 歯磨きをしている、ということだった。

ナマイキな嫁が
「お義父さん、歯磨きは、夜! 夜ですよ!」
とでも 言ったのだろうか・・・(冷や汗)

送り盆

2007-08-20 | なんとなく民俗学?
例年通り 我が家は17日に亭主の実家へ。

娘と息子は 数日前から送り込んである。

義父にとっては 心強いか はたまた いい迷惑か?(笑)






亭主の実家の、立派な、立派な、銀木犀。






義弟も自分のところと行ったり来たりで忙しかったと思うが
今回は 久々に 義弟の声にハリがあり、
かなり うつは回復している様子。

「治った!」と思ってから半年は 通院と服薬を続けるのだそうで、
その辺は もう 職場がそれだけの治療を
義務にしているというか 
続けていないと働かせない、という態度なので
まったくもってうらやましい。

一般企業も できたら見習ってもらいたい。






亭主と私がいなかったけれど 
彼らでお盆さまを 迎えて 過ごして 送ってもらってある。

私たちが行ったところで、後片付けをする。

亭主の実家の盆棚の 四隅に立てた4本の笹には
七夕の五色の短冊の紙に
亭主と私を除いた全員で お願い事を書いて
結び付けてあった。

青黄赤白黒(しょう・こう・せき・びゃく・こく)、
色とりどりでキレイ。

(参照:→2006年8月8日の記事2005年8月7日の記事


 
結界のための 笹にぐるりとまわした縄にも
五色のピラピラをぶら下げてあり、これもキレイ。

これらは 亭主の実家周辺の習慣、というより
私たちが 当地の習慣と 子ども達の楽しみを合体させた
いい加減流の盆棚だ。

なかなかいい、と気に入っている。

義父も あまり細かいことは言わない。

言いたくても 言い出しにくいのか?(苦笑)



それら盆棚をすべて崩して 不要なものは裏の焼却炉で お焚き上げ(笑)。

紙に 笹に 縄、どれも ダイオキシンの心配はなさそう。

盆棚、提灯、灯篭などなどを片付けて
また来年、と ひもでくくって物置まで運ぶ。

クリーナーをかけて 日常の生活に戻る。





仙台の七夕、青森のネブタ、弘前のネプタ、秋田の竿灯。

みんな みんな お盆迎えの行事だね。

一方、送り盆の行事は 
万灯祭など終戦記念の行事と混ざったりもしている。

ウチの日めくりには「京都大文字送り火」と書かれている五山の送り火は

壮大な盆の送り火だ。






きのうは、旧暦の七夕。

娘は 一昨日 アパートに帰った。

授業で使うから、と デジカメを持っていかれた(涙)。

画像はこれからケチケチと使うことにする(タメイキ)。


牛乳神話(1)

2007-08-16 | 食生活
3度目の電話の時、義父に言った。

「お義父さん、試しに、牛乳を飲むのを止めてみてください。」

義父はびっくりしていた。







デュランタが咲いている。






日本人は、(と 枕に置いていいのだろうか?)

真面目すぎる、と思う。

健康にいい、となったら 毎日食べようとする。

オルニチンで筋肉増強もいいけれど

食品で食べれば
もっと身体にいい成分や 身体の毒消しになる成分を
もしかしたら 一緒にたっぷり摂取することができるかもしれないのに

単独で摂って 効率化しようとする。

これこれの食品が 何々に良い、となったら
毎日 毎日 食べようとする。

日本人って、人類って、
そういうものを毎日食べて
今日まで生存してきたんだっけ?







蜜があるらしい。






実は私も 牛乳が健康にいいと信じて
何十年も!!!!!飲んできた。

ヨーグルトはもっといい、と信じて
ヨーグルトメイカーを買って 自分で作って 
家族に毎日食べさせようとしていた。

というか、食べさせていた時期があった。

もしかしたら それは 間違いだったのかもしれない、と
今は思っている。






牛乳は好きだ。

水のように、麦茶のように ガブガブ飲む。

お風呂上りに 1リットルパックをまるごと全部飲んだことも
何度かある。

カルシウムが豊富で
しかも カルシウムの吸収が良くて
値段も大衆的。

カルシウムは大切。

胎児の栄養のためにも大切。

だから 妊娠中は 毎日飲んだ。

妊娠前にも ほとんど毎日飲んでいた。

授乳中にも せっせと飲んだ。

子どもにも せっせと飲ませた。

だって、カルシウムだもん。

お医者さんだって 偉い<博士>だって
そう言ったり書いたりしてるもん。

<牛乳神話>、
ずっと信じて 生きてきた。






そしたら、
牛乳はよくない、と言い出す人たちがいたので びっくりした。

ちょうど 義父のように。

そんなことが書かれた本が売れたら、
牛乳の消費が落ち込んで 「牛乳余り」が深刻化した。

年末には 牛乳を捨てている映像が ニュースで流れたりもした。

今年の1月だったと思うが
牛乳の消費をなんとか持ち直したい団体が
新聞紙上で反論を展開していた。

その反論は 私には 理屈になってないように思えた。

やっぱり 牛乳は あまり飲まないほうがいいんじゃないのか?

「牛乳神話」のタイトルで 
私が目にした 牛乳に関する話を 
これからポツポツと書いていってみようと思う。













絶句している電話口の義父に向かって、

「もちろん 美味しくて 好きで 飲んでるんでしたら、
 これからも 飲んでもいいんですよ。

 でも、毎日飲むのは、ちょっと止めてみませんか。」

と言ったら

「いえ、ねえ。

 好きってわけではないけども、
 今まで、習慣として 飲んできたものだから。」



ああ、そうだった。

義母は 牛乳が身体に良いと信じて
毎日 自分でも飲み、
義父にも飲ませてきたのだった。

年をとってきたから、
骨のために、忘れずに飲むようにしないと、と
ビン牛乳を 毎朝配達してもらっていたんだった。

母はそのまま、
義父はレンジでチンして温めて飲んでいた。

義父は 温めないと 牛乳で下痢するタイプ。

「一日に味噌汁を三杯飲むと 塩分の摂りすぎになるんだって。」

と言いながら
お昼の味噌汁を止めて 牛乳を飲んでいたのだった。



でしゃばりな嫁が 

「とりあえず、3ヶ月。

 3ヶ月、飲むのを止めてみませんか。」

と。

あれから そろそろ 2ヶ月以上。

何か変化があっただろうか。

明日は 亭主の実家に 行く予定。

証拠写真

2007-08-15 | なんでもないこと
暑いんだってば!!!!!







本当に、暑いんだってば!!!!!!!!







今年、玄関脇に開いている ダイニングの窓に 温度計を貼り付けた。

窓ガラスの向こう側、目盛りをダイニングに向けて。

(ちょっと、曲がっちゃったんだけど。)







証拠写真。

こんなに暑くても、人類は生きている。

すごい!

(やっぱり、曲がってる。。)

撮影:午前11時15分。






蜂の巣ができた。



事務所へ続く廊下には 雨の日の洗濯物用のアルミの屋根がかかっている。

蜂の巣は その角、雨に濡れない場所にできた。

なんとかせねば。。。

直径は まだ10センチには満たない程度だが。

どのくらいまで大きくするのか 見てみたい気はするが。

毎日 生活している場所にあるというのは、不安。

盆棚

2007-08-14 | なんとなく仏教?
暑い。 

お盆だ。 

お盆は暑いと決まっている。

それにしても、暑いんだけど・・・・・・・・・。(タメイキ)






去年は盆棚をどうしたか覚えていないのだけれど
忙しい上に 義母の新盆が頭にあって
頭の中が忙しかった。

イバラキの亭主の実家に 新しい盆棚を作って飾るから
我が家のは別にいいか、
ということになったような気がする。

お位牌を作って持っているのに
そんないい加減なことでいいんだろうか?(冷や汗)



お盆には 
普段は仏壇の中に納められている仏さまやお位牌を
仏壇の外に出すのが大事、ということだ。

だから、とりあえず、仏壇のそばの出窓に出してみた(笑)。

いいんだろうか、こんないい加減で(苦笑)。








仏壇の中に納まっていた いろいろな仏さまもご一緒に(笑)。

国内の観音さまとか 東南アジアのお土産の如来さまたち。

(我が家は海外旅行は行ったことがない。

 高崎観音くらいだね。)

みなさん、どうか、仲良くね(笑)。

お茶とご飯は上げたけど
・・・ウチにはお膳がないんだった!(涙)





仏壇から出したら 次は結界だと思う。

結界にするための小さな笹くらいは 売ってるらしいから
来年は笹を4本買ってきて
四隅にガラスの空き瓶を置いて 笹を立てて

それから 縄を買ってきて 笹の周りをぐるりと取り巻いて
なんとか結界を張ってみようと思う。

・・・出窓じゃ無理か。。。



でもなんとか 四角く縄を張りたいし 

縄を張ったら そこにはピラピラと飾りを付けたい。

いい加減すぎる我が家だけれど
少しずつ それらしく
日本文化の継承を計ろうと思う。



土・日・祝祭日に忙しい我が家。

お盆休みも忙しい。

今年はお盆の前が週末で お盆の後が週末。

忙しい日が続く。

そんな中、
亭主は先日 土曜日だというのに 実家に帰った。

盆棚を 義父と一緒に組み立てて来たらしい。

忙しいって言ってるのに!

でも 忙しいのは 私じゃなくて 亭主だから。

ご勝手にどうぞ。


蜆(シジミ)(3)

2007-08-10 | 健康オタク
新聞広告の話。

「これ(サプリメント)ひと粒で、
 シジミ ○00個分の オルニチン!」

のように書かれているものがある。

つい、じっと見てしまう。

先日 端のほうまで見ていたら このサプリメント、
一日に、確か 6粒を飲むのだそうだ。

すごい。。







娘が帰省した。 ダイニング・テーブルの上は、またまた、すごいことに。。。






科学は日進月歩だ。

すっごく進歩している。

進歩してきて、何がわかったかというと、

古来言われている「身体にいい事・悪い事」には
それぞれ きちんとした理由がある、という事だ。

(と、私には思える。)



何故そうなるのか、には まだ分からない部分が多い。

ただ とにかく この食品には これこれの成分があるので
何々に良い、
それが わかった、と。

そんなの、昔から
日本人は(あるいは、世界の人が)知ってたんだよ!

でも とにかく その食品の中の 何が効くのか、がわかって、
メデタイね。



ということは 未だに分かっていない部分もたっくさん、あるわけで。

ということは、
今までの人類が 「食品」として摂取してきたものを
単独の栄養素だけ取り出して サプリメントを作って飲むと
効果が・・・まあ、あるんだろうけどサ。

でも シジミなんて、オルニチン以外にも 
何かありそうじゃない?

それと一緒に食べた方が
ずっと身体にいいかも知れないんだよね。

まだまだ、分かってないことが多いんだから。



それを、一粒で、○00個分?

オルニチンが なんだか良さそうなのはわかったよ。

でもさ、
普通、100個もシジミを食べるかなあ?

毎日 シジミを食べてた義父だって、
100個は食べなかったと思うよ。

それを一日に6粒?

何千個にもなるね。ありえないね。



こういう健康食品って、健康を害さないか 心配だよね。

身体にいいかもしれないってことは、
身体に悪いかもしれないってこと。

毎日、毒を摂取し続けると・・・・・・・・・怖いね!


くらもちふさこ

2007-08-09 | マンガ
先日 新聞に 誰かが

「くらもちふさこのマンガの中で 
 一番の傑作は
 『おしゃべり階段』だと思う。」

というようなことを書いていたので
私は「う~~ん。。」と唸ってしまった。

(でも、『いつもポケットにショパン』も捨てがたいよ。。)





物語で大切なのは エピソードだと思う。

だから 映画をテレビ放送で見る私は
カットされているのでつまらない、と思うことが多い。

『この胸いっぱいの愛を』を見ても、
「?」と思う展開があり、
しっかりストーリーを最初から追っていれば
もっと感動できたかもしれない、と
つい思ってしまう。

だから、NHKの大河ドラマの総集編は絶対見ない。

小さなエピソードがカットされることによって、
じんわりとこみ上げてくる感動が
削がれてしまって興ざめだ。

大好きなエピソードが 
物語の進行にあまりかかわらない場合、
まるごとカットされていて
がっかり!!!なんてことも、1度ならず。



その、エピソードのひとつひとつが
キラキラと輝きを失わず、
あとで大きな輝きに転ずるのが
くらもちふさこ(→ウィキペディアへ)のマンガなのだ。

なんでもない展開の中に 
じわ~~んとこみ上げてくるものがあって
抑えることができない。



『天然コケッコー』とかいうヘンテコなタイトルのマンガが
評判になっていると知ったのは 随分前だと思う。

マンガから遠ざかっていた頃で、
実際に目にすることはなかった。

そのマンガが、
実写映画になったらしい(→『天コケ』)。




「そよ風の村 パノラマ地図」(部分)、
『天然コケッコーの散歩道』(集英社、2007年7月24日、1238円)所収。



このマンガ?映画?のキーワードは
「田舎」か「方言」じゃないかと思う。



気になる。

すご~~く、気になる(笑)。


蜆(シジミ)(2)

2007-08-08 | いろんな人
新聞に広告が載っていたのだが、
蜆(シジミ)は うつに効くのだそうだ。

本当か?

シンジラレナイ・・・。

もしそうなら、多くの人が 
(シジミが嫌いでない限り)
泥沼のような苦しみから チョー簡単に!逃れられるはずなのだが。

義弟が‘うつ’だと聞いてから もう1年以上。







ジャガイモを収穫した後の小さな畑、
久々に見ると 新たにいろいろ植わっていた。






義母の四十九日を終えた直後
義弟の奥さんの父親が
癌で亡くなった。

戦後日本の高度成長を支えた ある大きめの企業に勤め、
工場長として日本中を転勤してまわりながら
日本の発展に尽くした企業戦士のひとりだった。

定年後 初めて家を建てて
しばらく勤めを続け
近年 ようやく 悠々自適の生活に入ったところだった。



母親は 主婦として 夫を支えつつ 子どもふたりを育てた。

自身も子宮ガンと闘ったが 
「お父さんを残して死ねない!」と頑張ったらしく、
今では落ち着いているようだ。

父親の‘看取り’を 家族で頑張り、
母親も充分に心を尽くしての 見送りだったはずだ。



父親が末期がんとわかってから 
義妹は 亭主の実家の方には 滅多に顔を出さなくなっていた。

その代わり 義弟は 下の娘を連れて 頻繁に義母を見舞い、
義母が亡くなってからも 自分の実家にはマメに顔を出していた。

お互いに お互いの親で大変なのだから
相手に自分の親の事で負担をかけるのは避けていたようだ。



義弟は 妻の親の葬儀に際しては
喪主でもないし、ビミョーな立場?

やり方も違うし それなりに気を使って 大変だったと思う。

単身赴任先からは その前に戻って来ていた。

(「親の死に目に会えなかった。」と訴えたら 
 年度の途中で すぐに戻れたと言う。)

冬の 雪との格闘も不要になる。

義母が亡くなった後ではあったけれども
家族と過ごせる生活になったことを
周りはみんな歓迎し、ほっとしていた。







ビニールトンネルの隣は ゴマだな。 その左はなんだろう?






その矢先、義弟は‘うつ’と診断された。

「引越しで疲れたんだよ。」
と亭主が言うと 電話の向こうの義弟は

「いや、単身赴任している頃から、症状はあったんだよ。」



冬の寒さの厳しい地域での 家族の居ない 独りぼっちの生活。

人は 声を出さないと うつになりやすいと言う。

つまり 家族との 緊張を伴わない 他愛のないおしゃべりが
精神の安定に どれほど寄与していることか、
ということだろう。

(IP電話を駆使しても 足りなかったと見える。)



子煩悩な義弟が 
幼い娘や 受験を控えた息子と別れ

公務員として勤めを果たしつつ
実父の介護や 実母の精神的支柱になっている妻とも別れて

寒いアパートに帰る毎日。

そして 事情が許す限り 週末には家(分譲マンション)に帰り 
娘を連れて ボケてしまった母親に面会に行く。

日曜の夜に また 単身赴任先へ戻る。

考えてみれば うつにならない方が おかしいかもしれない日々。



義弟は 亭主もびっくりするくらい マメな大人になっていた。

年齢も40代の終わりだから
仕事もそれなりに責任ある地位にいる。

一番忙しい年代。

妻との共働きで 経済的には困っている様子はないが
義弟本人の 精神的なものが 
悲鳴を上げていたに違いない。



義弟夫婦は 国家公務員。

羨ましいほどに 制度が整っている。

最近まで 新聞に 
双極性のうつになった記者の手記が連載されていたが
大手新聞社の記者も 
休職など 会社の制度が整っていて
理解ある上司もいて
すんごく羨ましい環境だと思った。

義弟も 
職場、精神科医、カウンセラーなどのサポートが
制度として整っており、
至れり尽くせり。

休職から復帰した後も サポート体制を維持していて
決して無理せず
(いや本人は多分大変だったんだろうとは思うが)
このごろは調子がいい、と言うようになっていた。

(調子がいい、と言う義弟の声にはまだ張りがなく、
 決して調子がいいようには思えなかったが
 本人が「調子がいい」と言ってるんだから
 薬が弱いものに変更になっているとか何とか、
 やはり調子がいいのだろう、と亭主と話していた。)



その義弟が
義父の 大汗の 腸の検査に付き合って
どっと疲れが出たらしく、
義父の検査に これ以上 付き合うのは難しい、と言って来た。

かと言って 
亭主に イバラキに帰ることができるほどの時間が空くわけでもなく、

その後の検査は
義父がひとりで行くことになった。

私が行こうか、と申し出たりもしたが
なにしろ遠い。

そして 何故か 検査の時間が 午前9時とか9時半とかいうので
(いやいや、今度は、8時半だって!)
前の晩から行って泊まりこむか
とんでもなく早い時間に出かけることになる。

(始発電車に乗って間に合うか?ってカンジ。)

亭主は 私(と、自分自身)にかかる負担を考えて、
お爺ちゃんには それくらいはひとりでやってもらうしかない、
と 決まった。

義弟のうつは ゆるゆると回復中。






きょうは立秋。

土用というのは 立秋前の18日間を言うらしい。

土用シジミは 特にいい、と言われている。

立秋を過ぎても もう少し頻繁に食べようかな。

もちろん、お碗に少々、程度を(笑)。


『大奥』

2007-08-07 | マンガ
よしながふみ(→ウィキペディアへ)のマンガは
『西洋骨董洋菓子店』を読んで、面白かった。

この人のマンガには カッコイイ男の子がいっぱい出てきて
それぞれが違う魅力を持っている。

『西洋骨董洋菓子店』は
『アンティーク』と題したテレビドラマになったが
イケメン俳優がゾロゾロ出てきて
そのひとりひとりの俳優にファンが付いて
まさにテレビ向きの題材だったと思う。







収穫したてのトウガラシ。






よしながふみ(この作者って、オトコ?オンナ?)の『大奥』は 
書店に平積みされていて 気になっていた。

そのうちに、と思っていたら
そのうちに ブック○FFに出回っていたらしく、
(当然、100円じゃ買えない。高価!)
亭主が買ってきた(1~2巻)。

(白泉社、JETS COMICS、2005年10月4日~2006年12月4日)



読んで、びっくりした。

やはり 男の子がいっぱい出てくるマンガなのだが
大奥の男女が逆転しているのだ!

つまり、上様がオンナで、
大奥に居るはずの 大勢の女性たちが 全部オトコ、
の物語なのだ。

悲喜こもごも!




第1巻では 質素倹約を強調した吉宗公がオンナ。

(加納久通もオンナ。)

暴れん坊将軍、というわけか、気は強い(笑)。

特に美しい男の子たちを集め、居並ぶ彼らに
「そちたちのように容色のすぐれた若い男なら
 すぐに婿のもらい手がみつかる。」
と 暇を出す(笑)。



第2巻は 家光。

そもそも 男女逆転の大奥ができたのは
家光が29歳で疱瘡で死亡したため。

(ふつうの疱瘡ではなく、赤面疱瘡。

 お福が気張って 疱瘡では快癒したのにね。)

家光の隠し子の女の子が
家光として三代将軍を継ぐのだ。



家光は まだ少女だ(処女ではないが)。

僧侶から 還俗させられ、
無理矢理連れてこられた若者<お万>(当然、美形!)が
死んだ猫の墓をこしらえる。

猫の名は <若紫>。 源氏物語だねえ。



お万:「どうか <若紫>が成仏できますよう
    念仏を唱えてやって下さりませ。」

家光:「嫌だ。

    唱えたところで
    猫が生き返ってくるでなし。

    何になる。」

お万:「上様。

    弔いというのは
    残された者が
    気持ちの整理をするためにあるものだと
    私は思うております。

    念仏を唱える間 しばし心を落ち着け

    失ったものを思い出しては また念仏を唱える。

    そうするうちに 人は 
    少しずつ悲しみから立ち直ってゆくのでは
    ございますまいか。」(p189)




これは 私の 死者を弔う、
あるいは 追善供養をすることに対する考えと
とても似ている。

この<お万>の言葉も
充分に傷ついた家光の心には
すんなりとは 入ってはいかなかったのだが。

死んだ人は 帰らないのだ。



恨みは 晴らしたからと言って 本当に晴れるものではない。

死んだ者は 帰ってこない。

その怒りにも似た悲しみを
私たちは どうやって 克服したらよいのだろう。



念仏を唱えるもよし。

念仏でなくともよし。

泣きわめくもよし。

ただ ひたすらに 鎮魂を祈るのも
心の整理をつけるためには 有効かと思う。

それでも 
のたうちまわるような 苦しみや 悲しみや 怒りが 襲ってきたら。

そうしたら やはり 同じ事を 繰り返すしか ないのだろう。






きのうの土手に生えていたキノコ。





昨日は 原爆の日。

苦しみも 悲しみも 恨みも 祈りに替えて
私たちは 平和を希求する以外に できることはないかもしれない。

「あやまちは くりかえしませぬから。」

本当に 繰り返してはならないのだけれど。

それを 世界中の人に 伝えたいのだけれど。

恨みを忘れることを拒否する人々に
私たちは 何と言ったらいいのだろう。
    
あったことを 忘れてはならないと思うのだけれど
忘れてしまいそうな私たちは
どう生きていけばいいのだろう。


蜆(シジミ)

2007-08-06 | いろんな人
義父は 一人暮らしをしていた若い頃
(終戦後しばらくした頃かな)
肝臓が悪かったらしい。

この臓器には 蜆(シジミ)を食べるのがいい、と言われている。

そこで
亭主の実家の近所のオジサンが
毎日 川でシジミを採って 義父に持って来てくれたのだそうだ。

どんな気持ちで始めたことだったのだろう?

本当に、毎日!!! 毎朝!!!だったそうだ。

義父は毎朝!!! その蜆を味噌汁に入れて飲み、

そして 義父の肝臓は 本復したのだった!






赤くなりかけたパプリカ。ちょっと、グロテスク。






義父は 本来 医者嫌いだ。

(好きな人はいないか。。)

でも 検査はきちんとする。

地方公務員だったから その関係の医療機関に
検診も 毎年! 必ず! きちんと! 絶対! 行く。

昔 本復した肝臓はいいのだが
血圧が高め、
不整脈がある、など
定期的にチェックを続けないと不安なことが多いせいでもあるだろう。



ウチの亭主が 毎日 主張していた頃。

義弟が土曜日に 実家に帰ると
義父は
「いや~、昨夜は救急車の厄介になるかと思ったよ。」
と言ったのだという。

義父は‘ぢ主さま’でもある。

トイレで下血し、その血が止まらなかったのだそうだ。

‘血液サラサラ’の薬を飲んでいるので
一旦 出血すると 止まりにくいらしいのだが
相当量の下血があり、
救急車を呼ぼうかと考えた、と言うのだ。



この話には 息子でなくても心配するし 
心配のあまり 顔も青くなろうというもの。

なにしろ、義父は 検査には行くけど
その他のことは これがまた
まったく! 珍しいほどに! 決断力がない男!!!!!

検査以外に医者に行く、とか 
救急車を呼ぶ、とか
そういうことの決断も まわりがやいのやいの言わないと
できないかもしれない!



普段から 実家に帰ると
「きょう 行ってきたよ。」
と連絡を取り合っている義弟から 亭主に電話があったのだが

例によって例のごとく(笑)
明るいうちは 亭主は留守だから
私が受話器を取った。



「で、きょう、医者に連れてった。」

おお、義弟よ!

それでこそ、オトコだ!?

予想通り? ぢ(内痔核)による出血で、
軽い貧血はあるものの、
癌の疑いとか、そういう問題のあるような結果では なかったらしい。

とにかく、ひと安心。ほッ。



けれど 一度 大腸を見てみましょう、ということになり、
翌週に 検査の予約。

土曜日でも診察のある病院だが
内視鏡検査は 当然ながら、平日。

平日に実家に行くのは 
いつもなら亭主の担当だが そんな時間はとれない。

公務員の義弟が 仕事を休んで行ってくれることになった。



亭主は 電話で

「腸の検査はよ、
 ケツから入れっからよ、
 口から入れるのと違って ラクだからよ、
 大丈夫だよ。」

などと 義父を元気付けて?いた。

ところが! 







枝垂れヤマボウシの実の緑も くすんできている。
今年は 色づいた実を賞味できるだろうか?






「きょう、検査をしてきました。」

という義弟からの電話を取ったのも、私。

亭主は真夜中でなければ 帰ってこない。

「そしたら、腸のあちこちに ポケットがあって。」

「え?」



ポケット。 憩室のこと。

腸に 穴が開くように ポケットができると
その中に入り込んだ便は 動かずに溜まる。

腸相が悪いと できるらしい。



「下剤でキレイにしたはずなんだけど、
 お爺ちゃん、憩室がいっぱいあって、 
 苦しくて、大変だったみたい。

 医者も、大汗かいて、大変だった!」

そうか。

そんなに 憩室があったか。

それは、大変だ!



なんと 義父は昔から便秘気味なのだそうだ。

ぢも そのせいなのだろう。

それにしても、憩室がいっぱいとは。。。



その後 私も 電話で何度か義父としゃべっていたが、
3度目の電話で 思い切って言った。

「お義父さん、ポケットをそのままにしてたら

 そのうち癌になるかもしれないって言うから。。」

すると 東京生まれの人が、みごとなイバラキ弁で

「んだちけねー(そうなんだってね)。」

と(苦笑)。



「お義父さん、海草! 

 海草をいっぱい食べてね!」

とか、義父に分かりやすいような 義父でもできるような対処方法を
伝えたりしてるけど

腸相、変わるかなあ。。