ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

ベビーシッター

2015-09-07 | こどものこと
新聞に ベビーシッターの費用を所得控除する、
という記事を見つけた。

昨日の朝刊だ。



「内閣府は、
 
 会社員のベビーシッター代の一部を
 所得控除できる仕組みを

 2016年度税制改革改正要望に

 盛り込んだ。


ベビーシッター代の一定額を
所得から差し引き、
課税対象額を少なくする。

ベビーシッターを利用しやすくすることで、
少子化対策につなげるとともに・・・(略)」(9月6日朝刊第4面)






確かに、ベビーシッターを利用できるのだったら、
私は 理想の「4人の子供」生活に進むかどうか、
悩んだかもしれない。

そして、結局 ふたりしか産まなかっただろう。



ベビーシッターを利用するなんて、贅沢だ、
という思い込みがある。

実際に 高額な場合が多い、と 上の記事にある。

払えなかった。

若い頃の私たちには。

どんなに 私の体の具合が悪くても。

なんとかしていた。

そんなものだと思っていた。



保育園に通わせるようになると、
朝が遅い私たちと
朝が早い(実は、それが普通)保育園との
時間のギャップは辛かった。

ようやく送り出して ホッとしていると
「お熱が〇〇度ありますから、
 迎えに来てください」
という電話をいただいた時の、ガッカリ感!




テレビで 『37.5度の涙』というのが始まった時、
そんなこんなを思い出していた。



やはり、子供に仕事の足を引っ張られる、
と感じる人は まだ多いだろうと思う。

そして、そのほとんどは、女性なのだろうと思う。



そんな中、
ベビーシッターの利用に
所得控除が利用できるようになったとして、
働く女性達は
どの程度 ラクになるのだろうか?

私は 熱があっても預かってくれる保育園、
休日でも普通にやっている保育園が欲しかった。





今 転勤で関西に住む娘に 子供ができたとしたら
産休明けから 子供を預けて
働き続ける事ができるだろうか?

彼女の勤務先は 平日が休みだ。

何を考えたのか、土・日は休めない仕事に就いている。

そして 御多聞にもれず、
共働きでなくては、やっていけない。



「女性活躍促進」を受けて
娘が職場でも輝き続けてくれる事を願っている。

けれど 
彼女が 自宅に帰った時に
輝きを失って くたびれ果てている様子は
想像したくない。

まして
子供や夫が 疲れて機嫌の悪いママに
失望したり げんなりしたり 気を使っている様子なんて。



家庭は 女性が輝いていてこそ、楽しいものになる。

主婦が イキイキ家事をこなしているからこそ、
そこは至福の憩の場所になる。

オンナが人生を楽しんでいるからこそ、
オトコは自己実現を目指す事ができる。

世界を輝かせるもの、それこそは オンナなのだ。



と思っている(思いたい)私を、
ベビーシッターの記事は
「う~~~ん」
と唸らせた。

「う~~~ん」である。



女性は、子供が嫌いな人を除いて、
子供を産み、育てる楽しみを
味わってみてもいい、と思っているに違いない。

ぜひ、いっぱい産みたい!
と思っている女性だって、いると思うのだ。

彼女たちを躊躇させているもの、
それって、
もっと単純なのではないかな、とは
感じているのだが、
言葉としては出てこない。



ま、産んだら産んだで、なんとかなるよ!(笑)



巣立ち・その後

2010-08-29 | こどものこと
何を考えているのか、
子供たちの引っ越しは 
少しずつ、少しずつ進んだ。

娘のアパートからは いらなくなった物が戻ってきた。

使いやすそうな片手なべも
「IH (ほら、設備が新しいから) には使えないから。」
と戻ってきたが、
私も要らない。

かと言って、捨てられない。。。






   暑い時期に 暑苦しいほど元気なサルスベリ。






娘は 行ったり来たりして 
私の車を使って 少しずつ荷物を運んだ。

何回も、何回も。

ガソリン代や 事故を心配する母の苦労を考えたら
引っ越し屋を使った方が、絶対 安いと思うんだけど!



息子もまた それを真似して引っ越しをした。

新たに必要な物を 当地に来て購入し、
車で運び、
車を返しに帰ってくる、なんてマネまでしていた。

まあ、そうやって 少しずつ 新しい暮らしに入って行くって方法も
アリなのか、とは 思うが。。。







近所の白っぽいサルスベリは 涼しげな色。
今の時期には、これよりもっとピンクがかってくる。
これは7月23日の撮影。






電話は入っていない。 

今はケータイで たいていの事はケリが付く。

娘のケータイにかけて 息子の事を聞いても
様子がわからない。

息子に お姉ちゃんの事をきいても ハッキリしない。

ようやく聞き出して確認できたのは
ふたりで ひとつのアパートに暮らしていても
ふたりは ほとんど 顔を合わせていない、ということ。

そういう事も アリなのか。。。





同じころの撮影、去年からのグラジオラス。   





娘がバイトを終えて帰ってくると
「お風呂(ほら、設備が新しいから、スイッチひとつで沸くタイプね) 
 が沸いてるよ」
とか

「〇〇(料理名)ができてるよ」
と 息子が言うんだって。



「あの子、自炊してるよォ!」
 
とは、バイト先のマカナイを食べて生きてきた娘の弁。



まあ、そういうのもアリ、か(苦笑)。





8月に入って 夏休みで帰ってきたふたりを見ていて
ヒトの成長とは、かくも ゆっくりなものか、と(涙)。

お盆近くになって 子供たちだけで イバラキへ行って
普段 だれも住んでいない亭主の実家で
掃除や お盆を迎える準備などを手伝ってもらって

それでも 少しずつ ヒトは成長していくのかな、と(嬉し涙)。


まあ、あとは、自分たちで 苦労して、苦労して、
成長していってくれるんだろう、と。

巣立ちの時

2010-08-27 | こどものこと
この春 
息子は 家を出て アパート住まいになった。

息子にとっては 「初めての独り暮らし」、
とは ならず、

アパート住まいの条件は
「お姉ちゃんと一緒」 だった。






   涼しげな美女のまなざし!






私も一緒に アパートを探しに行った。

最初に行ったのは 板橋だった。

都内で 交通の便が良く、その割に安い。



亭主(と私)から出した条件は、
今現在の娘のアパートの家賃よりも安いこと。

つまり
それまでの娘のアパートは かなり家賃が高かった、ということだ。

ふたりで住む都内のアパートが 
東京手前の県の、これまでの1人分。

う~~ん(苦笑)。







4月30日撮影。





残暑厳しき折柄、暑苦しい写真でゴメンナサイ。。。






都内。

二人分だから、広さが必要。

だから、建物が多少古くても、我慢しなさいよ。

そう言って 探し始めた。



古くてもいい、となると 物件は星の数ほどあり、
でも 何故か ピッタリ! な物件はなく、

こんなに山ほどアパートがあるのに、と タメイキが出た。

それでもなんとか これなら、と思える物件が
ひとつ、ふたつ、見つかった。







絶対、毎年 クッションが2個ずつ作れると思う!






我が家では その日 夕方から仕事があり、
私は ふたりを残して 途中で帰宅した。

その後 ふたりで 赤羽へ行った。



いろいろな条件(通学、帰省、それから イバラキ)を考えて

「赤羽にしよう!」
と最初に言ったのは私だった。

そうして、ふたりは 赤羽で 
「これでいい! てか、これがいい!」
と思える物件に出会った。



ママとしては 
「日当たり・風通し」が 一番の条件だった。

ふたりが見つけてきたアパートは 東南の角部屋。

風通しはまあまあかもしれないが、
南側に建物があって
ガッカリするほど 日当たりが悪かった。

けれど その分 家賃が安く、

何よりも 建物が新しく、設備が新しかった。

ふたりが ニコニコしてしまうくらい、
設備が新しかった。

それまで見てきたアパートの設備が 
自分の実家のそれよりも だいぶ古かったのが
哀しかったのかもしれない。



それが 若いモンの価値観なのかもしれない。

お風呂がなくて トイレが共同、なんてアパートを
知らない人間が増えている。



ふたりがニコニコしてるんなら、それでいいか。

ということで、ふたりは 今、
赤羽駅からほど近いアパートに住んでいる。



「あんたが思ってるより、日が当らないよ。

 これまでの お前のアパートとは、全然違うよ。」

と 娘に向かって 言ってきた。

日当たりが悪い、という愚痴は 幸いにも聞いていないが
多少の「ガッカリ」は あったことだろう。

アパートを探して歩いていた時期は
毎日毎日、雨か、良くて曇りだったのだ。








おっと、こんな格好で失礼!





そうして、それが
それから 引っ越しまでの全部が

義父が転んで 
入院だ、転院だ、体験入所だ、
とやっていた真っ最中で、
家族全体に緊張感があった。

緊張感があったからこそ できたことで、
そうでなければ とてもできなかったと思う。

ともかく、あの頃に よくできたよなあ、と思う。







これじゃ、触診で 乳がん手術の予後は わかりっこない!






ドタバタの中で 息子は巣立って行った。

娘の自炊(?)

2009-01-30 | こどものこと
「あたし、ママが使ってるのと同じような鰹節を探して買ってきて、
 それ使ってるんだよ。」

ああ。。。娘よ。

あれは、「本枯れ節」じゃなかったんだよ。。。(涙)







ムラの神社は それなりに境内が広く、裏にはヒノキの林もある。
これは、拝殿。 本殿も、それなりに立派。






紙パックに入った出汁パックを見せて、
これでいいんだよ、と言うと、
返ってきた言葉は。

「ママ、手抜きしてんの?!」

だった。

「手抜きじゃないよ。。」

使っている鰹節だって、枯れ節だよ。

(偽装表示でなければね。)







長いこと履いていた息子からのお下がりのシューズ。
新年になってから御用納めをして、ようやく新調した。






アパート生活を始めてしばらくして、
娘は 自分で炊くご飯がすごく不味い、とこぼすようになった。

そりゃあ、まあ、
我が家のご飯は 米の味にうるさいパパのために、
値段も高いお米を買ってはいるけどね。


「私も、不味いご飯は食べたくなかったから、
 けっこう高い値段のお米を買ったんだよ。」

「! ?  あんた、そのお米、いつ買ったの?」

「それなのに、すっごい、不味いの。」

「そのお米、いつ買ったの?」

「え?」

「そのお米、いつ買ったの?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・4月ごろ。」




ワハハ、バレタ!

古米が古古米になっちゃったんだ!



娘は5キロ入りのお米を買ったらしいが、
それにしても、
ひとり暮らしが始まって間もなく買ったお米が
半年を過ぎてもなくならないなんて、
どんな食生活をしているか、
全部見えた!(爆)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・困った娘だ(号泣)。



娘のこと

2009-01-29 | こどものこと
「こどものこと」というカテゴリーに入れておくには
そろそろ、いくらなんでも、無理がある?(汗)

大学に入って何年経ったろう?(涙)

この就職難の時代、
年齢や経験を問わず、職探しは大変だろうが(泣)、
就職どころか、卒業もままならない娘だ(号泣)。





お正月で帰省した娘と 久々に時間が持てた。



「ママが若かった頃には 有楽町に「いとしあ」はなかったの?」

「いとしあ。 なかったなあ。」

「てか、丸井はあったの?」

「丸井・・・。有楽町に、丸井はなかったなあ。」



ママの若い頃に、プランタンができたんだよ。







有楽町駅から見た丸井。 

ちょっと前まで 大工事していた場所だという認識はある。

有楽町で降りたのは久しぶり。






娘は 池袋でのアルバイトから(なんで池袋?笑)
同じ経営者の別の店に配置換えになった。



よくわからなかったが、丸井と「いとしあ」がくっついているようだ。






「いとしあ」は どうやら「ITOCiA」と書くらしい?

先日 初めて彼女のアルバイト先に顔を出し、
娘のおごりで オススメ料理を食べてきた。

まずまずの味であった。






飲食店でのアルバイトは まかない狙い(笑)。

池袋よりも通勤が便利になったと喜んでいる。

で、なんで池袋なんかで最初のアルバイトを探したの?(笑)



前にも書いたはずだけど、もう一度。

アルバイトはテキトーでいいから、一日も早く、卒業しておくれ(号泣)。



一番きれいな花

2008-08-24 | こどものこと
♪一番きれいな 色ってなんだろ?

ミスチルのせつなげな声に乗って オリンピックが進んで
とうとう終わりの日になった。

一番きれいな色のメダル、と
金メダルを呼んだ人は メダリストだったと思う。

一番キレイな色のメダルは 本当に 金色をしているのだろうか?







土のう袋の中で完熟させている堆肥から、芽が(笑)。






金色は 確かに美しい。

ゴールド、私も好き。

銀や銅よりも、好き。

(もちろん、プラチナも好き;笑)

オリンピックのメダルとしても 確かに一番いいのに違いない。

けれど 
それと 人の人生とは また別のもの。

「その人にとって」という言葉を頭につけると、
本当に金色が一番なのかどうか?






その人にとっては
金でなくとも 銀でも 銅でも 
それが一番の色、ということはあると思う。

同じように メダルが得られなくとも、とも思う。

その人の人生にとって
オリンピックに出場して メダルと獲得することだけが
金メダルではないのではないか? と思う。

入賞、という結果に終わっても
出場辞退しても 
途中棄権しても 
この経験が その人の人生の 金メダルであって欲しい、と願う。



国体や オリンピックの強化選手に選ばれた、
それだけでも 充分だし
やれるだけのことはやった、と 充足感に包まれた経験があれば
それだけでもメダルものだと思う。

事はスポーツに限らないし。





息子よ、

人生は 
挫折と 挫折と 挫折と 挫折と 挫折の
積み重ねでできているのだよ。

大切なのは
積み重ねた上に どんな花を咲かせるか、ということ。

そのために どんな努力を重ねるか、ということ。

まだまだ、まだまだ、先は長い(はず)だよ。


人生の苦悩は いたるところに転がっているけれども、
人生の喜びもまた そこここに光っているものだよ。






オリンピックが終わっても

平和なこの国にあって
誰も「戦犯」だの「非国民」だのということばを
使ってくれぬように。



この後の パラリンピックにも
情熱と関心とを持って
皆さんが見入ってくださるように。





きょうは 月遅れ&旧暦の地蔵盆。

盆も正月もなかったアスリート達にも、
しばしの休息を。



息子には、もうあと少しの 根性と気力と体力を(苦笑)。

(それから、少しばかりの、幸運を。)



この春からの子どもたち

2007-10-31 | こどものこと
息子が大学生になった。

入院騒ぎやら 
履修届け騒ぎやら 
はしかによる休校騒ぎやら
いろいろあったけど、
とりあえず 本物の大学生になった。

朝ごはんは 今まで通りかしら?と思っていた。







真っ赤な、可愛い、パプリカ。
もう最近は赤くなってくれないので 緑のまま食べてしまう。






そうしたら、なんとか車の免許を取って
これまで娘が運転していたワゴンRを運転するようになり、

今までのように 車の中でおにぎりをパクパク、がしずらくなった。



それから 
大学生になってまで 
ママが毎朝おにぎりを作ってあげるのもどうかなあ、
などと 怠け者ママは思っていた。

けれど 座って朝食を食べる習慣のない息子は
朝食抜きを決め込んでしまった。

作ってあげても 食卓につかないで 出かけてしまう。

授業が午後からの時も ギリギリまで寝ていて飛び出してゆく。

そう、娘の時と同じ(苦笑)。

当然、予想される帰結ではあった。



早朝の朝ごはんの用意をしなくていい。

こりゃあ、ラクだ!

ママは、嬉しいぞ!

これで 家を空けていい就業状況で
好きにお金を使っていい経済状況だったら。。。(タメイキ)

そんなわけにもいかないから、
他は 今までどおりの私。

亭主は 今まで通り、 
ほとんど家にいない。








今年植えつけたばかりの酔芙蓉。
虫に食われて レース状の葉っぱになりながらも けなげにもつぼみをつけ、
咲かせた花を 酔ったように色を変えてくれた。
今はもう 最後の花も終わってしまった。






娘は あこがれのアパート暮らしが始まり、
4月中は 行ったり来たりをしていたが
5月の連休明けからは ぱったり来なくなった。

大学も忙しいし
(だから、単位をとっとけ!って言ったのに!
 今頃忙しいだなんて!)
週末にはアルバイトを入れてしまった。

たまに帰ってくると 
息子のものになってしまっているワゴンRを駆って
どこかへ行ってしまい、

友人と旧交を温めたりしているらしく、
帰宅も真夜中になる。

そんなこんなで、
娘を交えて家族がゆっくりしたのは
参院選で帰省した時くらい。






食卓にて。

「そんなにパパが家にいなくて、
 ママは大丈夫なの?
 Y(弟)はちゃんとやってんの?」

「とんでもない!
 
 家に帰ってくると 真っ直ぐ自分の部屋へ行って
 降りてこないし。

 それで、部屋で ちょっとの間に寝ちゃってるらしくて。

 Yが帰って来たから、すぐにご飯にしようと思って準備して、
 ママがご飯よ~って声をかけても 
 返事もしないのよ。

 ママがひとりでご飯をたべる、なんてことが、
 何度もあったんだから!」

「ダメじゃん!」



娘も大声を出したが 
亭主がもっとビックリした顔をしていた(苦笑)。

亭主が帰宅した時に
食卓の上に 息子の分だけ晩ご飯の用意がしてあって
息子は2階で寝たまま、ということも2度ほどあったが

そんなにしょっちゅうだとは思っていなかったみたい。



ほめる子育ては本当にいいのか?

2007-10-26 | こどものこと
これは、先日の話の内容とは 
まるっきり反対の内容なんだけども・・・(汗)。



アメリカに暮らして何年、という女性同士のネット上の会話で

「アメリカでは 親が子どもを褒めてばかりいるが
 あれは良くない!」

ということで盛り上がってている場面に出くわしたことがある。

「うそ!?」と思ったよ。




ダンギク。先月の撮影。






だって、日本は 自分の子どもや身内を
人前でけなしてばかりで自信を失わせるから、
だから、良くない、って言うでしょ?

子どもを褒められない自分を
「これじゃ、良くない。」と思って反省しながらも

いつも正反対の事をしてきた私。

「子どもはほめて育てよう」「ほめる子育て」

そんなタイトルの本や雑誌の特集が 山ほどあったんじゃないかな?








段々になってる。





私は 小さい頃 体が弱かったおかげ?で
姉や 横森理香氏ほどには
母の叱咤を受けずにきたようだけど

横森理香氏の言うように考えていたので
この在アメリカ女性の会話には
素直にうなずけなかった。

これも 戦後の 
「アメリカは美しい」「アメリカは正しい」
「すべてアメリカの言う通り」という
あの法則にのっとってしまったが故の
間違った「あこがれの国アメリカの正しそうな道」だったのか?







この色が、好き。






先のアメリカ在住の女性のひとりが言うには

「あなたが一番!」「あなたは世界一!」
と褒められて育った子どもが壁に突き当たって

決して自分は 世界中で一番ステキな人間で
誰よりも素晴らしいことをやり遂げる人間ってわけじゃない、

と知った時に
そういう絶望感に免疫がないからドラッグに走るのではないか、

アメリカの若者を中心に
ドラッグがこれほど蔓延している背景には
「褒めすぎる子育て」が影響しているのではないか、

ということだった。



褒めすぎもイカンのか。。。(タメイキ)

せめて「呪いの言葉」だけはかけないようにしないと(汗)。



リスペクト(尊敬)

2007-10-05 | こどものこと
「ゆきネエ」と呼ばれる人がいる。

兵藤ゆき(→こんなヒト)と言って
へんてこな頭に へんてこな服装、
ついでに言えば へんてこな顔で
音楽番組やら バラエティー番組、ラジオにもテレビにも 
一時期はずいぶん顔を出していたものだ。

そのゆきネエが ケッコンして 子持ちになって
亭主についてにゅーよーくに行ったりして

それまでも 活躍の場はどこなのか なんだかよくわかんなかったのが
以前にも増して あちこちで活躍するようになったみたい。

そういえば「マルチタレント」という言葉があったが
彼女は やはり 才女と呼ぶべきか?






この夏、亭主の実家の庭に咲く、ジンジャー? すごくいい匂い。






『青春と読書』(→2004年9月8日の記事)を読むようになってから
急に集英社の本を購読することが増えた私。

特に、値段も バッグに占める体積もお手軽な、文庫。

集英社be文庫に、
このゆきネエの著作がある。

タイトルを『ニューヨーク熱血井戸端会議』という。
(2004年7月25日、571円)

カバーには やっぱりへんてこな頭に(笑)風変わりなTシャツの
ゆきネエの写真がある。

(このTシャツも、やっぱり、きっと、手作りだね!)






とまあ、前書きが長かったけど、
この本に「リスペクト/尊敬」という文章があるわけ。

その中に、
NYにも少年ジャンプがあって、『ナルト』が連載されてて、

4ドル95セント + TAX、(635円くらい)で売っていたと書かれている。

そして、イルカ先生がナルトを思って言うセリフ、

「For him,

 I have nothing but respect.

 He’s an excellent sutudent.」

が紹介されていた。

日本版『ナルト』では
「あいつはこのオレが認めた優秀な生徒だ。」
だったセリフが

→『彼に対して尊敬以外の何ものでもない。
  彼は 優秀な生徒だ。』
 になっている。

実際、NYでは 先生が生徒に
「RESPECT/尊敬」とか「PROUD/誇りに思う」
などと言う言葉を使う場面を
よく見聞きするのだそうだ。



また、実際に 息子の前で

「We are proud of our son!」

と両親が言い、

8歳の息子が 背筋をピンと伸ばして 
満面の笑みで「サンキュー!」と言っていた、

というエピソードも紹介されている。



もうひとつ、彼女の6歳の息が幼稚園の発表会で
ピアノを演奏したら 

クラスメイト(もちろん、6歳児たち)が
握手を求めたり抱きついたりしながら

「I respect you!」

「I’m proud of you!」

と 口々に言っていた、という エピソードも。



少々うらやましくはないか?(笑)



少なくとも、
子どもに対しては
私たちももう少し こうして褒めてやることは
悪くない、と思うのだが。

私は 子どもを褒めるのが 
あまり得意ではない。

というか、はっきり言って、すごく不得意。

それとも、これは 我々(までの)世代に限ったことなのか?



そういえば『NANA』の中に

「リスペクトするギタリストは?」とナナに聞かれたシンが
間を置かずにレンの名前を告げるシーンがあった。

若い人の間では 「尊敬」と言うよりも「リスペクト」の方が
身近に感じる言葉なのだろうか。





うまくまとまらないけど、
もう少し 子どもは褒めて育てたい、という話。

そして、決して 褒めて育ててはこなかった、と
反省をしている、という話。
(ヒステリーだったんだから、無理だって!)

いつか 誇らしげに息子を見上げて
「あなたを誇りに思ってるわ。」
なんて言ってみたいね(タメイキ)。



三文安い?

2007-09-04 | こどものこと
「爺さん、婆さんに育てられた子どもは、
 見ていて、わかるね。

 三文、安いよ!」

昔 高校の先生になった友達が言い放った言葉だ。

「年寄りっ子は 三文安い」

という言葉があることは 私はそれまで知らなかった。







今年のトウガラシは、一株だけだけど、豊作!






彼女によると 年寄りに育てられた子どもは
人に何かをしてもらうことに慣れきっていて
競争もないし、

なにしろ、覇気がない、という話だった。

実際に高校で 生徒達と毎日顔をあわせる生活をしていての話だから
真実なのだろうと思う。



けれど その後で
年寄りに育てられた子供の方が 人に優しい、という言葉を
何度か耳にするようになった。

確かに 
年寄りのテンポに合わせて
歩く、しゃべる、食べる、生活する、というのは
それなりに忍耐が必要で

あまりそれに我慢し続けていると
途中で我慢ができなくなって、バクハツ!
なんてことも、あり得る。



年寄りの居る家庭で育った子どもは
それが自然にできていることが多い。

「何故できるの?」

と聞いてみれば 多分

「そういうもんじゃないの?」

と問い返されるのではないだろうか。







初夏にアブラムシがビッチリ付いた時はどうしようかと思ったが、
こまめにつぶして 無農薬で育てた。





実家の姉夫婦の長男は 
ジジ・ババの熱烈な狂愛の中で育った。

娘ばかりを授かった私の両親にとっては
男の子は それだけで 熱愛の対象だった。

姉の子どもは 一番目が女の子。

その後に生まれた長男、これはもう
「俺だぢの跡継ぎ」ということで、
もう、もう、もう、もう・・・・・・・・・凄かった!

子どもを叱ると 親がその親から叱られる、という毎日で
姉夫婦は 躾にとても苦労していた。



そんな彼も、もう 20代の後半。

躾がなってないかというと、そういうわけでもない。

そして 愛されて育ったせいか?
とても優しいオトコになった。

三文安いなら、安くて結構!



その甥は 去年 本山へ行って 修行して
なんとか お坊さんとしての最低の資格を取得してくれた。

ダブルの病気と闘う母と
妻の病気、自分の持病の ダブルと闘う父。

両親は 一安心、というところだと思う。



世襲制が 仏教の堕落の始まりだ、という
私の考えは変わらないけれど、
安定のためには それが一番、とも思う(苦笑)。

この夏のお盆には 甥も活躍したらしい。

お檀家さんには 好評だったという。

お檀家さんにとっても 
見ず知らずの人間が入って来るよりも安心、
という点では確かにいいに違いない。







最初の収穫では12本、2度目では74本を収穫した。
もうじき、3度目の収穫!






跡継ぎという点では
将来は 我が家でも 問題になることだろう。

誰かが この近辺で 
同じような仕事をしていくことになるはずだ。

やはり息子が 亭主の跡を継いでくれれば ありがたいと思う。

(年寄りがいなかったので? 少々優しさに欠けるが。)

無理強いはしたくない、という建前と

嫌々ながらの仕事では 心を込めての仕事ができない、というホンネと

私たちが作ってきた実績と 建てた事務所はどうする、というホンネ、

いろんなことを考える。

『11時間』(2)

2007-08-04 | こどものこと
カットできなくて、続編になっちゃった(苦笑)。

さて、本書によると、
桜子ちゃんの場合のように
刑法上で“人”として認められていない胎児だが、

一方で、
民法では “人”として扱われている。

損害賠償の請求権は 
胎児の場合も すでに生まれているものとみなされるのだ。

また、相続に関する権利も持っているし、
胎児を認知することもできる。

このような刑法と民法の矛盾は 詳しくは知らないが
テレビドラマか何かで
確かにあったような気がする(笑)。






土建屋の社長がゴマをくれる時に レッドのビンに入れてくれたことがあった。
これが、まあ、便利!(笑)





ところが、
桜子ちゃんの判決が出た3ヵ月後、
同様に 妊婦が交通事故にあった。

2006年、3月のこと。

昔は 帝王切開だと ふたりしか 子どもが産めなかった。

20年位前には 3人まで、と聞いたが
これは今でもそうなのだろうか。

事故に遭った母親は 3人目の子どもを 帝王切開で出産予定だった。

出産は 3月3日、6日、10日の中から10日を選んだ。

事故に遭ったのは7日。

他の日を選んでいたら。。。

過去のことは取り返しが付かないことはわかっているが
親なら誰でも そう思うことだろう。

出産を間近に控えて 美容院へ行く。

この当たり前の行動で 彼女は事故に遭った。



赤ちゃんは、男の子。

名前は、元気君。

桜子ちゃんの時と同様に
相手側の過失による事故。

桜子ちゃんと同じように 緊急帝王切開で生まれ、
元気君は3時間と29分の間、生きた。

仮死状態、心臓マッサージ、人工呼吸、強心剤。

出生届けも出したし 健康保険証も交付してもらった。

けれど 胎児の時に遭った事故が原因で 死亡したことは
桜子ちゃんの場合と同じだ。



そして・・・。

「胎児は“人”として認められないので、
 過失傷害としてしか立件できません。」

(この刑事さんは、何を言っているんだろう?)

夫婦は 考えれば考えるほど 胎児が“人”ではない、ということに
納得がいかない。

そんな法律になっているなんて。

「だって、お腹にいようが、
 “人”だということは当たり前のことでしょう?」(p204)



しかし、裁判の結果は 予想外のものだった。

交通事故に遭った胎児が 誕生後に志望したケースで
業務上過失致死罪が適用された、初めての例になったのだ。

判決は、法のはざまで、揺れているのだ。

弁護人も 過去のさまざまな例を持ち出して 対抗し合う。

これで 被告が上告すれば
もっと世間の注目を集めただろうし
もっと議論がされたかと思うが

被告は控訴せずに 刑が確定。

「過失致死罪」は勝ち取ったが、
胎児の“人”としての権利については 
うやむやになってしまった印象がある。



桜子ちゃんとの違いは、
   
      桜子ちゃん     元気君

妊娠が  31週4日   → 37週6日、

死亡まで 30時間29分 → 10時間53分

体重   1400g   → 2700g

などだろうか。

どうすれば そこに 
過失傷害罪と過失致死傷罪の差を 見つけることができるだろう?



では、胎児は どこまでが“人”でなく、どこからが“人”なのだろう?

それを 議論を尽くして「ここから」と決めたとして、

一日違いで たとえば交通事故で亡くなった場合、
人は。親は。周囲は。納得できるだろうか?



私は こっちの判決がどうで
こっちの判決がこうで、と文句を言っているわけではない。

ただ 憲法改正以外にも
広く議論されるべき事柄は まだまだ、しかも身近に、
しかも 意外な所にもあるのだと
びっくりしているだけ。



著者は あとがきの中で
「取材すればするほど わからなくなってしまった。」と言う。

そして
「わからなくとも考え続けようと思った。」(p245)とも言う。

私も
生意気だけど 考え続けたいと思う。

たとえ よくわからなくっても。

いろいろなことについて。

(胎児については 近々 続きを書きたいと思う。)

(呆れないで、お付き合いくださればと。。。)

胎児の魂

2007-07-25 | こどものこと
花苗を植え付ける時に きれいに咲いている花を切り取る。

切花の つぼみの小さいのを 活ける時に 落とす。

芯になる一本を生かすために わき芽を欠く。

オロヌキとか 間引きと呼ばれる作業では 
芽を出した苗の何本かを引き抜き、1本 または少しの苗だけを残す。



私は 「優生保護法」という言葉を思い出しながら やることが多い。







鳳仙花の咲く季節になった。






私は たいへん幸せなことに
流産も 中絶もしなくてすんだが
これは ラッキーだった、と言う他はない。

友人には 妊娠したくて授かった命を 中絶した人もいる。



妊娠した最初の診察では
いろいろな病気の免疫だか抗体だかの検査がある。

私のころはHIV抗体の検査はなかったが
風疹の検査は必ずあった(と思う)。

「泣く泣く 中絶したわ。」

ふたりめの子どもを中絶した 電話の向こうの友人に

「最初の妊娠の時に わかっていたんでしょう?」
と問うた私は

妊娠初期に風疹にかかってしまったという彼女に
あまり同情できなかった。

こういう‘冷たい’人間である私が
早・流産や中絶について いろいろ書くのは 
好ましいことではない気はするのだが

普段に思っていることを まとまりなく書いてみようと思う。






少し 間引く必要がありそうだ。






胎児は 一個の 人間だ。



そこには 魂がある。 と思う。



仏教では 母親のお腹にいる時から
胎児には魂がある、とするらしい。

(実は、どこに根拠があるのか、私は知らない。。)



胎児には 性格もある。

生まれてくる前から 娘は娘の性格だったし、

息子は息子の性格だった。

それはもう、可笑しいくらいに。

だから 胎児は 一個の人間として 

人格もあり、生きる権利を有する、

と 私は思っている。






中絶は 殺人だ。

本来、してはいけないことだ。

けれど 不幸にして 中絶を選択しなければならない場合が
少数ではあるが 存在する、とも 思っている。

そんな時 母親には 選択する権利がある、と思う。

少なくとも 中絶してはいけないという法律ができてしまったら
違法な中絶が後を絶たないだろう。

違法なことをするのだから お金もかかるだろうし 
不衛生で 危険なことが まかり通るようなことにも 
なるかもしれない。

そんな時 一番の被害を蒙るのは母体だから

そういうことにだけは ならないで欲しいと願っている。






迷ったら。   産めばいい。   子どもは。   育つものだ。



そうはっきりと 大声で言ってあげられる世の中であってほしい。






『この胸いっぱいの愛を』というクサいタイトルの映画があった(→コチラ)。

主人公の女性、ミムラに似てるなあ、と思って見ていたらミムラだった。

飛行機事故で亡くなった5人くらいの人間が
20年前にタイムスリップして
果たせなかった思いを果たすのだ。



この映画の中で 勝地涼が演じる19歳のチンピラは
難産で死亡した自分の母親に会い、
どうしてお腹の赤ん坊(自分)を産むのか、と問いただす。

産んでも どうせ くだらないチンピラにしかならないのに、と。

子ども好きな母親は レイプによって妊娠し、
生む決意を固めたために
親に勘当され、
勤務先の保育園を 保護者の反対によって辞職し、
苦労しながらも 
父親の顔もわからない赤ん坊を生もうとしていた。

記憶が曖昧だが、
「私が産もうとしているのではなく、
 この子が・・・・・・・・・・・・動くの。」

そんな言葉を口にした。



わかるなあ。

子どもって、植物と一緒で(笑)、
親が育てるのではなくて、
勝手に育っていくものだ。

もちろん、手を貸さずにいると すぐに死んでしまうのだけれど、

怪獣とか エイリアンとか 言う人もいるくらい、
あいつらは 勝手に育つのだ。

お腹の中にいる時なんか、特にそう。



お母さんたち。

私たちは、子どもたちに選ればれて
あの子達の 親になれたのだよ。

自信を持って しっかりと 母として歩いて行こうよ。











風疹は 妊娠初期に感染すると
胎児に奇形が現れるという。

ウチの亭主は31歳にして 
娘と一緒に近所の小学生から風疹をうつされ、
全身に発疹を出し、発熱にふうふう言いながら 仕事をしていた。

当地に来てちょうど1年を過ぎた頃だ。

出かけない方がいい、と忠告したが
亭主は 代理に誰かを頼むこともせずに
全部自分でやっていた。

こんなオトコたちが 風疹を流行させたりもするのだ。


私は
亭主が仕事で出向いた先に 
妊娠初期の女性が居ませんように、と願ったが

数年後に 友人の中絶を聞いて
「あの時 もっと強く 反対しておくべきだった。」
と思った。



私たち昭和32年生まれの女性が過ごした時代には
風疹の予防接種はまだ ギリギリ 義務化されていない。

けれど イバラキの 私の田舎の自治体は
「来年から義務化すんなら、今年っから やったら どうだっぺ?」
と言ったらしく?
前倒しして 中学3年、義務教育を卒業する寸前に
接種することにした。

あの頃 「オンナだけ」注射するのは
なんとしても悔しく、損した気がしたものだが

東京生まれ、東京育ちの友人は
同じ学年ながら 接種をしていなかったのだった。



先日の記事の繰り返しになるが
予防接種は 体調をしっかりと見極めて
やはり受けるべきだと思う。

(もちろん、ウチの息子も 済ませている。)

(というか、法令が変わったのか?)



今 娘の母子手帳を引っ張り出して あらためて見てみたら 
    梅毒、
    風疹、
    HB抗原、
    HB抗体、
    トキソプラズマ、
    血色素量に 血液型(私は B+)
などが調べられている。

(甲状腺疾患の検査結果は 後日渡された。)

この、最初の検査の時(昭和60年7月31日)、
目玉が飛び出るほど お金がかかったことが 忘れられない。



(予想以上にまとまりがない。。。汗)

(関連記事をもうひとつ書くつもり。。汗)


予防接種

2007-07-23 | こどものこと
息子の大学から 広報誌が届けられた。

コラムに

「履修届けが終わって、
 授業に 課外活動にと、いよいよ熱が入る時期に
 キャンパスが静まり返っているのは  異様であった。」

とある。

ご存知、この春から大流行した 麻疹(ましん・はしか)の話だ。







美味しい枝豆をいただいた。娘に「食べに来ない?」とメールした。






流行は関東が中心ということだったが
五月の連休後には日本各地に飛び火して

関東では あちこちの大学が休講になった。

教育実習に行く学生は 予防接種をすること、とした
教育系大学もあった。

当然の措置だろう。



私も慌てて 母子手帳を見てみた。

娘が高校、息子が中学に入って
電車通学になった年の夏に
近所の開業医のところで 接種している。

よかった。。。

接種しておいて、本当によかった。

そして・・・エライじゃん、あたし(笑)。







甘いトウモロコシもあったが 娘からの返事は「暇がない。ムリ。」だった。






古くは「麻疹は 命の定め」と言われ、
命に係わる伝染病だったそうだ。

昔は 麻疹の患者が出た家に
小さいうちに罹患しておけば軽くて済む、と
子どもを連れて わざわざうつしてもらいに行くこともあった。

私も近所の家に 麻疹をもらいに行ったらしいが
どういうわけか うつされずに済んでしまい、
後年 どこからうつったか 麻疹になった時には
高熱が続いて 解熱剤でも下がらず、
とても苦しい思いをした(→2005年1月31日の記事)。

あの 麻疹も 
いつ頃からだろう? 予防接種で 予防できる病気となった。






ひよこ豆。これは購入(笑)。 
一袋まとめて 一晩水につけておいて 茹でて 小分けして冷凍。






水疱瘡(みずぼうそう)というのは 非常に感染力が強い。

近所の元気な女の子が 保育園でもらってきて
それが隣にうつり、それから我が家にうつった。

あっという間だった。

娘は
治りがけの時に 
「痒い、痒い」と いく晩か 泣いて眠れなかった。

もちろん、私も眠ることはできず、
娘も可哀想で とても辛かった。



生後半年の息子にもうつり、
体中、おちんちんの棒にさえ
数え切れないほどの水泡ができたが

小さいせいか 
泣いて痒がる、痛がる、ということはなかった。

なかったけれど、
この水疱瘡も
予防接種をすれば こんな思いをしなくて済む、と知った時には

私は 自分の無知を嘆かざるを得なかった。







こちらは 亭主の従兄弟から届いた、イバラキのトウモロコシ。
史上初、ヤングコーン付き! ちょっと、えろてぃっく(笑)。






それ以降、
私は 予防接種は 親の義務、と心に堅く思い定めて
決して欠く事のないようにしてきたのだけれど

麻疹だけは ふたりとも受けていなかった。

何故か?

予防接種の時期がいつも冬で、
風邪をひいて 受けられなかったのだ。

それが 毎年 毎年 冬の間中 風邪を引いていたものだから
翌年も そのまた翌年も 受けられなくて
子どもたちは そのまま大きくなってしまったのだった。

誰が風邪をひいていたかって?

それは息子と、私。

予防接種に連れて行くべき人間が 風邪を引いていたので
受けられなかったのだ。

(亭主は まったく 関知していなかった。)

通知は来なくなってしまう。

気をつけて 広報誌を見ていて 申し込まないと 受けられない。

そのうち 忘れてしまえば そのまま大人になる。



まして 息子の頃には
予防接種は 途中から義務ではなくなっていた。

予防接種による 重篤な服作用が問題になってきていて
受けるか受けないかは 親の責任、ということになり、

受けなくてもいい、という捉え方をするようになった。

当然 近所でも受けない子どもが増え、
保育園や学校が 協力して接種させる、
なんてことも少なくなった。

息子の年代は そういう年代だった。






ご飯にピッタリ、昆布の味噌漬け。 
味噌樽の中に 昆布をグサグサと刺して置くだけ。






日本は
外国から
「麻疹の輸出国」という ありがたくないレッテルを貼られているという。

麻疹に罹患した生徒が出た カナダへの修学旅行の一行が
飛行機への搭乗を拒否された、というニュース(→コチラ)もあった。

娘も息子も 私立だったから
月々 大変な金額の積み立てをして
海外への修学旅行に行ったが

予防接種についての説明は
「行く先が先進国だから、特に必要な予防接種はありません。」
というものだった。

以前から
日本人が 海外に 感染症を持ち込んでいる、という話は
一部の人の間では言われていたことだが(新聞で読んだ記憶がある)、

認識は 日本中で甘かったようだ。

必要とされる予防接種の種類も 変化してきてもいて
親の方も 判断に迷う。

不名誉なレッテルを 今後も貼り続けることが無いように
予防接種については
これからは もう少し 国全体で 
気をつけていかなくてはならないだろう。







梅雨の頃になると 年末の売れ残り?の黒豆が特売になる。
気長に水に浸して煮るけど なくなるのはあっという間。






私はホッとして 「ママはエライ」と いい気になっているが
麻疹は 2回の予防接種をしないと 完全ではないらしい。

中学生や高校生に 麻疹の予防接種をさせる方向で 
政府も動いているらしいが(→コチラ

我が家の子どもたちは
頑張って もう一度 受けさせなくては、と思っている。

(これがママの 最後の義務かもしれない。)

前もって 申し込んでおかなければならないので
「やっとけよ」では 受けてはくれないだろうから。

ちょっと過保護?


‘アッシーママ人生’の終了

2007-06-30 | こどものこと
私は 長いこと、子ども達の送り迎えを 車でしてきた。

黄色い軽自動車をママ専用に買ったのは
娘が幼稚園に入園した時の 送迎用だった。

その前に 娘が3歳の時から 音楽教室へ通うのに 送り迎えをした。

いや その前に 娘が スイミング・スクールに通う時にも 送り迎えをした。

あれは まだ娘のお誕生前、ベビー・スイミングのクラスが
比較的近くにあったので
頑張って 1500ccの亭主の初代のクルマで通ったのだった。

不思議と 亭主は 子どものことなら OKを出してくれて
経済的には辛かったけれど
文句を言わずに 通わせてくれた。






名前を忘れた小さな葉っぱの植物。玄関脇に地植えにしたら花が咲いてびっくり。





間もなく妊娠して
小さい子のクラスと マタニティー・スイミングを 同時に開いてくれたので
一緒にプールに入った。

出産前に 娘は 保育園に バスで通うようになったけれど
私は 身体も温まるし 腰痛にもいいので 
せっせとマタニティーのクラスに通って
クロールができるようになったんだっけ。

息子が生まれてからは 息子のベビー・スイミングで 一緒にプールに入った。

音楽教室には 必ず息子を連れて行った。

亭主は その頃は 毎日家に居たけれど
決して 送り迎えはしてくれなかったし

なにしろ 私は
子どもの送り迎えがなければ 家から出してもらえなかったから
どちらか(たいていは息子)が 熱を出したり お腹をこわしたりして
お教室をお休みすることが続くと
家の中に 食べるものがなくたった。

亭主は お教室でも 買い物でも
決して 子どもを見ていてやるから 行って来い、とは言わなかった。






去年 ギンナンを蒔いた。
最初の葉っぱが スカートをはいたのがメスで ズボンがオス、と聞いたが
葉っぱは全て裂けていて オスばかり、という結果に。
形から メスと思えたギンナンも 葉っぱは裂けていた。





娘の塾通いが始まったのは 諸般の事情から(涙)比較的早かった。

算数と国語。

中学になると 数学と 国語と 英語。

部活の時には 練習試合の会場まで
地図を頼りに 送って行ったりもした。

中学3年になると模擬試験会場まで乗せて行くようになった。

部活の試合も 模擬試験も 休日ばかりだったから 大変だった。



高校受験の頃には 娘自身が高望みをしていたせいもあって
毎晩 遅くまで 塾に居た。

娘は 家では 勉強できない体質だったので。

(これは 現在も続いている体質(?)のよう。)

これには 亭主も協力してくれたが 亭主はいつも居るとは限らなかった。

なにしろ11時近くまで塾に居るので
迎えに行く時間になると 私は眠くて死にそうだった。

毎日 毎日 寝不足で
毎日 毎日 お昼寝をして
夜のお迎えのパワーを残しておくのだった。






お願い、アゲハさん、このレモンと パセリにだけは 卵を産み付けないで。





娘の高校入学と同時に 息子が中学に。

今度は 
同じくらい遠くの学校へ通うふたりを 朝 送っていくために
早起きするようになった。

遅くまで寝ている亭主が 朝の送りをやってくれていたのは
私が退院してからの わずかの期間だった。

娘が高校を卒業してラクになると
息子の高校卒業まで、もう少し、もう少し、
と思いながら 頑張ってきた。



息子が免許を取得して
そんなこんなの アッシー・ママとしての存在が 終わりを告げる。






お願い、アゲハさん、あっちにある柚子の木は もう大きいから、
あっちなら 卵も幼虫も そのままにしておいてあげられるから。





娘は ときどき帰ってくる。

何の用があるのか?という時もある。

昔の友達と飲み明かす、とか しゃべりまくる、とか
それなりに大事な用件があるんだろうと想像している。

そんな時に 免許を取ったばかりの息子と出かけて来たりして
私が勤めようと思っていた「慣らし運転」を 
娘がさっさと引き受けてしまった。



ある日 駅に向かう娘を 息子が送っていった。

「帰りは、初めての ひとりでの運転だな。。」
と独り言を呟いてた息子。

帰って来たときは 往復に要したのと同じくらいの時間を 車庫入れに使い、
なんとか こすらずに バックで入れていた(汗)。

さすが、切り替えしを4回やって 卒検を一度 落ちただけの事はある。

オーケー、オーケー。

卒業検定と違って、何回やっても 大丈夫だからね!(笑)。


埼玉都民

2007-06-26 | こどものこと
「埼玉都民」という言葉がある。

埼玉県に住んでいながら、
勤務先や通学先など 意識は都内にあり、

都民であるかのような感覚を持っている人たちが
埼玉県の南部には多いそうだ。

いつだったか テレビで
何人もの人にインタビューしているところを見た。

「どちらにお住まいですか?」

「東京です。」

「東京のどこですか?」

「え~と、いや、埼玉県の・・・。」

ウソツキ!(笑)










この春 娘が「埼玉都民」になった。

京浜東北線の沿線に住む。

大学まで 時間は多少かかるが 一本で通える。

本当は ホンモノの都民にするつもりだったが
予算が許さなかった・・・(涙)。



娘の高校の同級生、
塾のアルバイトも一緒のところでやっていた Nちゃん、

そのNちゃんが借りているロフト付きのアパート。

そんなのに憧れていて
そして無断外泊が増えていた娘のために
同じ会社から 同じようなタイプの部屋を借りることにしたのだ。

家賃・光熱費、全額前払い!(タメイキ)

途中で娘が挫折したら 息子が使えばいいし。

(本当は美術館通いに ママが借りたいところだけど。)






夜中に帰って来た娘。翌朝の玄関でそれと知れる。



普段は ママは息子に甘い、と言っているふたりなのに、
亭主も 娘には甘く、娘もそれに甘んじる。

亭主の命令で 私はアパートを一緒に探すことになった。

ちょっと離れた町のアパート会社の支店まで出かける。

ちょっと車に乗っただけなのに、
山の形が変わり、ずいっと近づいて見えた。



いつくか出してもらった候補を プリント・アウトしてもらい、
自宅でじっくり考える。

予想していたよりも ずっと家賃が高い(汗)。

いくらくらいまでなら 可能か?

どのくらいが贅沢か?

是非ともほしい設備は何か?

立地はどうか?

防犯対策はどうか?

そんな中、これは!?と思える物件があるのが、
埼玉県 南部だった。

(都内、大江戸線沿線の物件は 亭主が
 「家から遠すぎる!」と反対;爆!)

そうしてピックアップしたいくつかへ
地図をたよりに実際に行ってみた。

予想と 実際とは 違うものだ。。。



そのアパートは、駅から 遠くない。
 
寂しい道を通らない。

駅からの道々に スーパーがあり、
近所に弁当屋がある!

(この弁当屋は 大きなポイントを稼いだのだったが、
 その後 不味い事が判明;涙)

当然、コンビニはいくつかある。

設備もまずまず。

インターネットに接続。

そして 私が一番気に入ったのは、部屋の向き。

南向きで、南側の建物との間には 空間があり、
ちゃんと陽が当たりそう。

すぐ西には建物があって 夏の西日を適当に遮りそう。

これはいい!と直感し、実際に足を運んで確認した。

別の日の別の時間に 娘だけで再確認。

日当たり、良好!







玄関まで行く前に、ダイニングの娘の椅子の周りを見れば、
帰って来たと すぐわかる(苦笑)。



このアパートへの引っ越し作業中、

ロフトの北側にも窓があり、
こちらを開けると かなり風が涼しい、と聞いて

ここにして良かった!と 私は嬉しかった。

部屋の広さは 20㎡弱。

トイレとお風呂が、一応、別。

家具・家電付き。

(少し、贅沢過ぎたかもしれない。。)



寝るのは、ロフトの上になる。

「ほら、ロフトも広いんだよ~、見て見て!

 私はいつも Nちゃんとこに泊まる時は
 ロフトに一緒に寝るんだよ。

 ママが泊まりに来たら、ここで一緒に寝ようね。」

ご免こうむる。

ロフトは 確かに広いが 幅はない。

今さら こんなにデカクなった娘と 抱き合うように寝る気にはならない。

オマケに 朝方トイレに行くときは あのハシゴを降りなければならない。

ネボケて落ちたらどうする!





日当たりの悪い木賃アパートで 
うっとおしい思いをしながら何年も過ごしてきた私には
明るいアパートは憧れだった。

これは 私のリベンジ?にもなる。

私が通う整体師の治療室は 
賃貸しマンションを これまで4回 移っているが
いずれも 日当たりがよく、風通しがいい。

冬は サッシを閉めておけばポカポカと暖かく、
夏場は 涼しすぎるくらいに 風が入る。

そうすると 冷暖房費もかなり抑えられるに違いない。

風水には詳しくはないが、
日当たりと風通し、
これは 絶対、いい方がいい!

整体師の治療院を見て
「ああ、部屋というものは こういうものを探さなくてはいけないのだ!」
と感じていた私。

娘のアパート探しは大成功!




娘がお風呂に入っている時の洗面所。
青いのは、中学の時のジャージ、大のお気に入り。
切りっぱなしがカッコいいのだそうだ。今でもそう思ってる?





けれど一番の問題は 娘の食生活。

今の所 なんとか頑張ってはいるようだ。

が、あのせまいキッチンは お湯は沸かせるだろうけど 
調理にいそしむべき空間ではない。

あまり期待しないでおこう。



それでも娘からは時々電話がかかってくる。

「アスパラガスをもう10分くらい茹でてるんだけど、
 これってどのくらい茹でればいいの?」

「10分?!」

「うん。」

「10分!?」

「うん。。。」

「ヤケドしないように 水にさらしてから ひと口かじってみればいいんだよ!
 
 穂先が崩れたら茹ですぎだからね!

 それから、下5センチは 皮を剥かないと 硬いと思うよ。

 (庭で作った、採れたてのアスパラガスじゃ、ないもんね。)」



「この前のママの お野菜をお肉で巻いたのって、
 どうやって作るの?」

「? お野菜を 豚肉で巻いて 塩コショウして焼いただけだけど?

 最後に、ジャッと、醤油。」

「お野菜を茹でておいたりしないの?」

「(おっと、私は説明が下手だ。)

 茹でるよ。

 なるべく早く 中まで火が通るように
 ジャガイモも インゲンも ニンジンも アスパラガスも
 茹でておくよ。

 まな板の上に お肉を斜めに置いて、
 野菜を巻いていくんだよ。」

 


ご近所の 薄暗い場所にほったらかしのアガパンサス。けなげ!




さて 娘がはりきって料理を作るのは
お友達を部屋に招いた時らしい。

高校時代の仲良しとか
ボランティアに行った仲間とか
もう随分呼んだみたい。

そしたら、そろそろ 一人暮らしに飽きるんじゃないかしら?(笑)。



ひょいと 暇ができた時には
家に電話をしてきたりもする。

行ったばかりの頃には
「ひとりだと、突然、暇になる!」
と怒っていた。

「ご飯の前とか 食べた直後とか、
 突然、暇になるんだよ!」

娘よ。

それを 人は 「孤独感」と呼ぶのだよ(笑)。



先日は ひょいと電話をしてきたが
なんだか声に元気がない。

話の腰を折らずに聞いていたら
50分しゃべった。

寂しかったのに違いない。

寂しさと それ以上の自由とを手に入れたのだ。

お風呂に入る時間だって自由だ。

「早く入れ!」と怒鳴られることもない。

それに憧れていたんだろう?




娘のアパートは Nちゃんのアパートからもそれほど遠くなく、
時おり お互いの部屋を行ったり来たり、
ご飯を ご馳走したり、されたりしながら 
なんとかやっているようだ。

ひとり分のご飯というのは 作るのに一所懸命になれないから、
とか何とか言って 
お互いに助け合っているみたいだが、
さて、どれくらい続くだろう?

私の時みたいに このまま嫁に行ってくれても
私はかまわないのだが?

あ、亭主が騒ぎ立てるな。。(苦笑)