ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

『草乃しずかの世界』展

2014-01-28 | なんでもないこと
『草野しずかの世界――ひと針に祈りをこめて40年――』
というのが、銀座松屋で開催されていたので、行ってみた。

草乃しずか という人も知らないし、
別に刺繍に興味があるわけでもないけれど、

はんなりと綺麗そうだから、
年明けて最初の治療院の帰りに ちょっと寄り道するには、
いいんじゃない? という事で。



アトリエ草乃しずかのHP



割と早い時期に行く事ができたし、
もっと早く記事にできるつもりだった(涙)。

1月20日で 終了している。(ゴメンナサイ)

せめて 紀子さまがおいでになる前にアップしたかった(涙)。






入場料は、大人1000円!

ちょっと、高いんじゃないの?

と思ったが、会場を出る頃には
千円が惜しいとは思えなくなっていた。

予想以上にステキだった!

で、図録まで買って来てしまった。

松屋のカードを持ってたら、タダで入れたらしい。 悔しい!



  図録の表紙は、振袖の一部分。はんなり~!


ステキ! ステキ!  






やっぱり、美しいものを見るって、
人にとって、すごくいい事だと思う!

その事を忘れずに毎日を過ごしたいと思って、
卓上カレンダーまで買ってきた(笑)。

ああ、これで、家の中も美しかったらステキなんだけど!







ポストカードは、色が違う!と思って、買えなかった。

それは、絵画も同じだねぇ。






草乃しずか という方は 日本刺繍作家で、
それはそれは素晴らしい日本刺繍の数々を 展示してあった。

振袖、額、タペストリー、几帳。

草履やバッグもあり、
テーマに沿った色選び・画題選びがされ、
そして 美しく几帳面な刺繍がされている。



着物というのは、洋服と同様、
様々な組み合わせでできている。

長着だけではなく、帯、帯揚げ、帯締め、ちらりと見える裏の八掛、
他に、羽織に 草履に バッグもある。

コーディネイトというか、コンビネーションというか、
全体のバランスが大事なのだろうと思うし、
そこが楽しいのだろうとも思う。

(あまり着た事はないけど。)



着物の生地だけでも 織りがあり、色があり、模様があり、
そこに刺繍が加わる。

組み合わせは 幾万通りあるのだろう。

その中から これ、と思う組み合わせを考えて
ひと針ひと針 刺してゆく。

刺繍には 構図があり、柄があり、色があり、色の重なりがある。

刺し方そのものにも 変化がある。

加えて、刺繍がなされた薄く透き通ったオーガンジーを重ねれば
地の布と相まって また違う表情を見せる。



気が遠くなるほどの逡巡と選択を繰り返し、
気が遠くなるほどの手間をかけて
出来上がっていったであろう作品の数々は
そのどれもが 凛として 気品があって 美しい。






私がうっとりしたのは、刺繍の見事さもさる事ながら、
記事に施された地模様の美しさだった。

そして、テーマに合った地模様も。

こういう方になると、
「こんなテーマだから、こんな地模様の生地で」
と、特注なさるのだろうか。

地模様だけ見ていても 見飽きないくらいだった。

布地の色だって、吟味を重ねて 染められているに違いない。

糸は、もちろん。






最も心に留まったのは、
「桜日記」と題された、
女性の年代ごとの桜を刺した額。

誕生、10代、20代・・・とあって、
最後は70代。

そう、今年 草乃しずかさんは 70代に入る。

その70代の桜の額に刺されたのは、
重たげに花びらを重ねた ひと房の八重桜だった。



そこに添えられた言葉には。

「70歳。 八重に咲く 心の年輪」  とある。

「最後まで 自分らしく生きるために、
 思いやりと 希望、そして 勇気を持つことが大切と思う」と。



私は すっかり 自分が若者であるかのような気分になった。

お姉さま方、
70歳は、心の年輪が 八重桜となって 花開く年齢だそうよ。

これからの人生、まだまだ先は長いけれど、
だからこそ花開く部分が きっとたくさん あるのだろうね。

楽しみ、楽しみ!






ちなみに、60代は 
「我を知り 人を愛する」と題した、満開の桜の巨木。

明るいグレーの地に 桜の古木、
薄紅の濃淡の桜の花が咲き誇り、
たんぽぽや スミレや サクラソウが 根元をカラフルに彩っている額。

「自分の経験を 社会に還元できたらと 
 努力を重ねる日々。
 自分自身の成長ともなる。」

との言葉が。

静かに 自分の人生を俯瞰して
心強い支えになりそうな言葉だと思う。






それから 2万枚の花びらが刺されたタペストリー
(だったと思う:汗)。

日本中・世界中の人が
「東北のために 私は何ができるか?」
と自分に問い続けてきたように、

「私に何ができるか?」
という苦悩は 東北のお弟子さん達の中にも
あったのであり、

「刺す」という行為によって 思いを浄化・昇華させる事ができた方々も
いらっしゃった、という事だ。

このストーリーは 会場内に流されていた映像で知った。

たくさんの人の手による 1枚、1枚の花びらに
思いは込められて、
そして その思いは 伝わる。

「私の手元に この布地が届いた時
 前に刺した方々の≪思い≫が感じられて・・・」
とおっしゃる女性の言葉に
じいんとした私だった。






もちろん、刺繍の施された和服といっても、
華やかな作品ばかりではない。

草乃しずかさんは 「徹子の部屋」にも出演なさったそうだが、
黒柳徹子さんが「まあ!」と叫んだという その時、

徹子さんの目に飛び込んできたのは、
お父さまの形見の黒っぽい紬の着物に
稲を刺繍したものだったそうだ。

これは とても地味なものだが、
だからこそ、じっくりとした愛着が湧きそうな作品だった。






今頃の記事の投稿になってしまい、申し訳ない。

けれど もし あなたがどこかで
「草乃しずか」という名前をご覧になったら
ちょっと足を止めてみていただきたい。

そこには 必ず 人の心を虜にする作品 
または映像や画像があるはず。

私たちには 美しいものを鑑賞する権利があるし、
どっぷりと≪美≫に浸る機会は 
思いのほか 少ないかもしれないのだから。



ガラパゴス

2014-01-15 | なんでもないこと
ガラパゴス化、という言葉を 聞くことがある。

ガラパゴス諸島の動物たちのように、
独自の進化を遂げる、という事のようだが、

私が受けた感じでは、あまり良い意味には 使っていないように思う。

あまりに「独自」な進化のせいで、他の地域の者には
受け入れてもらえない、という意味で、 
批判的、あるいは 自虐的に使っているようだ。



「ガラパゴスケータイ」というのも、
あまりに日本人に特化した進化をしたせいで、
欧米では売れない携帯電話になった、と 
バカにして言っているみたいだ。

だが、つまり、それは、
日本人には 使いやすいって事じゃない?

いいんじゃない?






昨日 ガラケーを機種変更してきた。

ガラケーから ガラケーへ。

なんか、文句ある?

赤から、赤へ。

いいでしょ、別に。













ひょろろ~~ん、と 画面を指でなぞる。

世の中の人は みんなそんなケータイ(またはケータイじゃないヤツ)
を使っているように見える。

オジサンも、オバサンも、子供も、だ。

だけど、その、画面を触る、というのが
どうも気に入らないオバサンがひとり、
ここに居ても、いいでしょう?

ガラパゴス化した「らくらくスマホ」は 海外でも人気だと聞いたが、
私は、ガラケーよ!






年末に パソコンのメールで仕事のやりとりをしていた人に
電話で教えて、とお願いした。

では、お電話します、では、お電話を待ってます、
とやって、
その後、ウンともスンとも言わない、私のケータイ。

後で気づいたら、何度も着信があったのに、
私のケータイは 着メロもバイブも作動しなかったのだ!

平謝りに謝って、なんとかその日のうちに 
教えてもらいたい事は済んで、すべき事も済ませる事ができたのだが。



その後 普通に使っていたが
年が改まってから 大事な電話が入り、
その時も 何の音もしなかった。


その時は 偶然 私が ケータイを覗き込んだ、という、
偶然なのか? 必然なのか? な状態で、
でも なんとか 期日までに手続きを済ませる事ができた。

おかげで、アタフタな数日間を過すハメになった。

いや、間に合ったのだから、奇跡的、と 喜ぶべきか?



こんなでは 何かの時に 連絡が間に合わない、
という事で 
機種変更と相成った。






ところで、どうして 機種が新しくなると、
同じメーカーなのに 取扱方が変わるんだろう?

まだ ちゃんといじれないんだけど?(汗)





   でも、写真は キレイに撮れるね。

かなり薄暗くなってから撮った、今年の土手と 土手の上の月。



謹賀新年 2014

2014-01-04 | なんでもないこと
ちょっと遅くなってしまいましたが(汗)、
今年もどうぞよろしくお願いします。

皆さんにとって 良き1年となりますように!






          
                影で御挨拶




エントランス(という程のものではないが)に 対で置いた、
イベリスと葉牡丹の寄せ植え。

南天は だいたい同じ大きさの実生のものが2本あったので
それを使った。

もうちょっと大きかったら、格好がついたかな?





          

最近、黒い葉牡丹が出回っている。

黒のテーマカラーで まだ満足していない私は、興味津津で、
早速、購入。



2種類あって、ベルサイユ・ブラックルシアンと、もうひとつは忘れた。

          
           こちらがブラックルシアン



          
           これが、もうひとつの方。



今朝撮った写真では フラッシュがたかれたせいもあって
実際より赤っぽくうつっているが、外葉は かなり黒っぽい。

赤みが強くなっているのは 寒さのせいでもあるらしい。






大きめのポット苗で、値段も高めだった。

でも、鳥達はどうやら 白っぽいものの方が好きらしく、
こちらだけ ついばんである(涙)。



               






年末に ご近所さんから 何本もの大根をいただいた。

大根は好きだが、食べきれない。

切干大根も好きだから、
わざわざ袋入りのものを買ってこなくてもいいはず?

一所懸命に刻んで干した。
                    



その夜になって 
朝まで干していたら 凍ってしまう事に気づき、
取り込むことにした。

だが、大根は すでに シャリシャリに凍っていた。

凍み豆腐や 凍みコンニャクみたいに
違うものになりやしないか?(汗)



          






昨夜の池上彰氏のテレビで
ようやく少し シーア派とスンニ派の違いが わかった気がする。

夫を銃弾で失っい、シリアを去っていた女性は

「私は あと1年しか待てない。

 たとえ殺されてもいいから、1年経ったら 故郷に帰る」

と言っていた。

ふるさととは
たとえ自らが銃弾に斃れようと 帰りたい場所だろうか。



私のふるさとは イバラキにあって
父も母も 亡骸はイバラキの墓地に埋葬されていて
姉夫婦が居て 馴染みの風景も 馴染みの店もあって
古い友達も大勢いる。



「ふるさとは遠きにありて思ふもの  そして悲しくうたふもの」

と室生犀星は歌った。

そこに ふるさとがあるからこそ、
「遠きにありて」も思っていられるのだろうか?

それが もし
なくなってしまったら 
あるいは
放射線量が高くて戻れなくて
人の手が入らず
今現在
少しずつ亡くなりつつあるとしたら

死んでもいいから戻りたい と思うようになるだろうか?



「あと1年しか待てない」という彼女の姿に
故郷に帰れない人達は 何を思うだろうか。






などと いつも通りに 今年も私は ウジャウジャと考えているのだ(笑)。