ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

ピアス・その後

2008-02-27 | なんでもないこと
ピアスの穴をあけたのは 12月(2007年12月20日の記事)。

1ヶ月は 耳たぶに入れたピアッサーをはずさないように、
と言われて帰って来た。


これが、その時の写真。 もう一度見てね(笑)。



お正月に帰省した娘が 食事中に
「ママ! ピアスがパチンコになってるよ!」
と言う。

何の事かと思ったら、

パチンコの版のピン、あれが、こんなふうだね(苦笑)。









その次に帰省した娘が
「遅くなっちゃったけど。」
と言いながらくれたピアス。

うまく撮影できない(涙)。



私の、術後5周年のお祝いだそうだ。

白とピンクの貝を使ったような光沢のあるもので、
おとなしい感じ。

「あたしにしては、高かったんだよ。

 2000円くらいで。

 ついでに あたしのも 買っちゃった。」

娘よ、そっちの赤いのの方が、ママは好きかも(笑)。






それにしても、持つべきは、娘だ! と嬉しい思い。

1ヶ月経つのを待ちきれない思いで このかわいらしいピアスをしてみる。

フムフム。 

やっぱり、おとなしい。

夜 それをはずして休み、
翌朝 もう一度 このピアスを入れようとしたら、
入るんだけど、すんなり出てこない。

そうこうしているうちに チンチロン、と音を立てて
ピアスは洗面ボウルの排水の穴の中へ・・・・・・・・・。

洗面台の下をゴソゴソして パイプの途中のねじブタを開けて見ても
ピアスは見つからなかった。

たとえ2000円(1980?)でも 
もったいないし、まだ新しいし、娘にもらったものだし、
もう、がっかり!(タメイキ)



まあ、ピアスは 片方だけつけても
かまわないようだし。。。でも、涙!






ピアスの穴は 化膿することはなかったが

はずしていると 
次の日 ピアスを入れる時に 肌を傷つけてしまい、
2、3日 ジクジクするようなことがあった。

その度に あの素っ気ない チタンのピアッサーにもどした。

結局 落ち着くまでに2ヶ月かかった。

ゼリー状の消毒薬は まだ残っている。




自分でも ひとつ、通販で安物を買った。

あとは いくつか お店に持って行って 
イヤリングや 数珠(笑)から 
リフォームしてみようと思っている。

先日の義母の3回忌には
真珠のピアスを、と思っていたが
買い物に行く機会 (と、店員とやりとりをする勇気) がなくて
結局 何にもつけずに行った。



そして とうとう 一昨日!
ひさびさに 家族で買い物に行ったついでに
チラシの入っていたお店で 
割引価格で 真珠のピアスを購入!

もちろん、亭主のお財布から(笑)。






冠婚葬祭向けには 白い珠が常識だが
亭主のアドバイスで 薄く色のついたものを。

確かに、色のついたものの方が 
肌の色に似合っているような気がした。

ちなみに、お値段は 7000円。

ありがとう、パパ。

で、次回からは、自分で買うからね(爆)。



三回忌

2008-02-26 | なんでもないこと
明日が 義母の命日。

3回忌は 土曜日に営んだ。

義父と 息子夫婦と 孫たち、
義父がいつもお世話になっている義父の姪とその娘、
それに 本家の夫婦、義母の実家の夫婦、
義妹のお母さま、私の実家の姉夫婦。

合わせて28人、小ぢんまりと行ったつもりの法要だったが
人数はそれなり。







法要では 紙で作った蓮華の花びらを撒いた。散華(さんげ)という。
珍しくて キレイだったから、私は2枚もらってきた。
上に一つ穴をあけて紐を通して 栞にしようと思っている。






去年の一周忌は 寒くて寒くて おまけに雨降りで
必死の思いで お墓の開眼供養と納骨をした。

おかげで 寒かったという思い、
それから必死だったという記憶だけで
どんなお墓だったか、頭の中で像がピントを合わせられなかった。

今回は 墓参りのころに 少し風が出てきたが

穏やかに 暖かく晴れてくれて

墓石も しっかりと記憶に刻んできた。



義母が亡くなった一昨年は 寒かったらしく、
亭主の実家の梅の古木も 開花は3月にずれこんだのだった。

今年は寒い!と思っていたが
梅は もうキレイに咲いてくれていた。

日本水仙も芳香を放っていたが 写真を撮る余裕は 
私にはなかった。








八重咲きの水仙、近所で撮影。






法要のあとは 予約してあった町のおすし屋さんの座敷での会食。

ご主人の闘病と逝去のために 
今まで参加していただけなかった義妹のお母さま以外は 
みな顔見知りになり、気心も知れている。

そのお母さまも すぐになじんで おしゃべりに花が咲く。

なごやか~。

そして、美味しかった!

(そして、食べ過ぎた!)



会食の最中に 強風が吹いてきて
「これは 春一番って 言わないよね。」
と言っていたら、春一番だった。

冷たい風で 急に寒くなった。







そう、ここに 確かに、抜けないオキザリスの球根が 一個くらいあった。
まさか、ビオラを取り囲んでしまうなんて。






亡くなると すぐに四十九日、お棚上げになる。

それまでは もう あれやこれやで 目が回る。



それから 初盆やら、初彼岸やら。



亡くなって一年で一周忌になる。

あっという間だ。



亡くなって2年で3回忌。

ここまでは 本当に すぐに過ぎてしまう。   







火石の隙間のビオラ、いとおしい!!






義父も なんとか 義母の居ない生活に慣れてきている。

とても 元気で ひとり暮らしを続けている。

7回忌までには 義母の死を受け入れて 
もっと落ち着いてくれるはずだ。



市役所(以前は町役場だった)の人を交えて相談し、
要支援ということで

それまで 自費で受けていた 週に一度の家事の援助の他に

介護保険を使った援助を週に一度入れていただいた。

これで 週に2度 お料理や掃除や買い物を手伝ってもらえる。

義父は 今はそれで いいリズムができているようだ。



もちろん、それに 義母の実家の夫婦や 義父の姪が
たびたびお惣菜持参で 顔を見にきてくださり、
近所の誰かが 野菜を持って しょっちゅう 顔を出してくださる。

それらからは 「近いから」で済ませられはしない、
大きな善意を感じる。

本当に 有り難い。



おそらく、あの古い家の中の、
そこいらじゅうにある段差の効果だろう(爆)、
義父は ますます 元気だ。

でも 私の予想では 
7回忌まで 義父がこのまま快適に過ごせるはずがない。

どこかで 誰かが 何かを 
決断しなくてはならなくなるのではないかと思う。

それは 義父が 今のままの生活を続けられなくなる、ということ。

今のままの生活ができなくなってから決断するか、

決断してから(決断したから) 今のままの生活ができなくなるか。

どちらが先になるのだろうか。






時おりの雨でフロントガラスを汚しながら
強風の中を帰宅し、
風の音を聞きながら眠りについて 
目が覚めたら 世界は雪で白くなっていた。

翌日は日曜日、
私は疲れで 一日中 ぼんやりと過ごし、
亭主は仕事で出かけた。

月曜日には 私は元気を回復したが
亭主はへとへとになっていた。



七人の神さま

2008-02-21 | なんとなく民俗学?
神さまの話のついで。

ちょっと前に 新聞記事に

***********************************

「・・・・・・し、期限が近づいただけで棄てるのはおかしい。

 消費者は 数字に振り回され過ぎだ」

 一粒のお米にいるという 7人の神様も、

 カンカンにお怒りかもしれない。

***********************************

というのがあって、

「?」と思って その部分だけ切り取ってあった。

だから いつの新聞で 誰が書いた記事で

どんな流れからの話か、よくわからないんだけれども(涙)、

多分 一連の冷凍ギョーザ騒動やら
食の安全性やら 「モッタイナイ」やら
そんなのからの発展だったと思う。

そして出てきた、「七人の神様」。

監督はクロサワか? イチカワ崑か?







ヒヤシンスの芽。 毎日、確実に大きくなっている。






一粒の米に 七人の神さまが宿る?

聞いたこと、ない。

「百姓が 八十八の手間かげて育てた米、
 無駄にすっと 罰当だっと!」

は 度々聞いたが。 いや、聞かされたが。







茎ブロッコリーの芽。 
こちらは野鳥についばまれて 毎日 確実に小さくなっていく。






一昨日、ネットで調べたよ。

(いつもは辞書をつかうんだけどね。)

他にも調べたかった人がいたらしく、いろいろ出てきて面白かった。

≪一番有名なのは 
 ドカベンの山田太郎の
 「一つの米粒には 7人の神様がいるんだ!」
 だろう。≫

というのもあった。

あったっけ? そんなセリフ。

『ドカベン』、多分 B○○K○FFに持ってっちゃったよなあ。



≪中央大の教授の口癖が「米は神」だったな(笑)≫

というのもあった。

『玄米先生』のモデルか?(爆)



≪玄米茶も神だな。≫(笑)



≪アメリカは神だな。≫(爆!)



さすが、2チャンネル!(笑)



≪おにぎりは 神が生み出した総合芸術じゃないかと思うんですが
 いかがでしょうか?≫

う~~ん、そうかも!(笑)







近所の梅。実った梅は私のものになる約束。
去年はほとんど実が生らなかった。
受粉の時期に強風が花を落としたせいだという。






マジメにいってみると、



≪・火の神 シウテクートリ

 ・火打ち石の神 イツトリ

 ・若い太陽神 ピルツィンテク−トリ=ショチビリ

 ・メイズの神 センテオトル

 ・地下世界の神 ミクトランテクトーリ

 ・水の神 チャルチウ−トクリエ

 ・愛の女神 トラソルテオトル

 ・山の心臓の神 テペヨロ−トリ=テスカトリポカ

 ・雨の神 トラロック


 の7人だそうです。≫

というのが‘Hatena Question’にあった。






≪大国主命の7つの別名という説
 (大国魂神、顕国魂神、大国主神、
 大物主神、大己貴神、志固男神、八千穂神)≫

というのもあった。

こちらは、‘Yahoo!智恵袋’。



前のは なんか アイヌ語っぽいし (または北欧?)
後のは 確かに「日本の神話」的。

真偽は未確認。

確かに あの小さな一粒にも 
神さまなら 
7人くらい 仲良くおいでになってるかも。







今年は実っておくれよ、梅干を漬けるんだからさー。 昨日の撮影。






やっぱ、日本人は、お米でしょ!

お米、粉にしないで、粒で食べよう!

そして 一粒一粒、感謝しながらよく噛んでいただこう!

でも、私に言わせれば、お米とは、玄米!  快腸!!!(笑)



神はどこにいるか?

2008-02-19 | なんとなく民俗学?
日本の神(歳神さま)は お正月になると 家々にやって来て
常緑の門松に宿ると 昔 何かで読んだ。

だったら お供えは 門松のところに置かなくちゃね(笑)。

実際のところ、どう伝えられているんだろう?

私ってば、意外といい加減に生きてきたから
知らないんだよね。。。(汗)。







四つ咲いた ミニ胡蝶蘭






藤原カムイの『雷火』(12番目の巻、「了」と書かれている、p456)に

「神は 天にもいて
 
 地にもいて
  
 木々の中にも

 草の中にも

 水の中にも・・・・・・

 虫の中にも

 鳥の中にも

 獣の中にも

 風の中にも

 光の中にも

 音の中にも 棲んでいる。



 そして 

 人間 ひとりひとりの中にも
  
 自分自身の神がいる。」

とつぶやく場面がある。



髪の色が変わり、目の色も変わり、
ひたいには竜の模様が光るようになったライカが

権力欲のために醜く変化してしまった男に

「国は権力者ひとりのものじゃねえ。

 そして 神も おまえひとりじゃねえんだ。

 この世を てめえひとりのものにしようとした天罰、

 厳つ霊(いかつち)の怒り 受けて見やがれ!!!!」(爆)

と言い放って やっつけるわけだ(笑)。

これ、そのうちゲームになるんじゃない?(笑)







葉牡丹 その1
 





私、好きなんだぁ、こういう、
何にでも神は宿っている、とか
何にでも仏性がある、とか

人間と 人間以外のその辺のいろんなものとを区別しない考え方。

アニミズムっていうのかな。

「お日さまって、偉いわねー。」

「洋の東西を問わず、神さまになってるわけですよねー。」

だ(爆)。

(アニミズム:自然界のあらゆる事物に霊魂や精神がやどっている 
       という、原始的信仰。精霊説。)(新選国語辞典、小学館)



仏教用語の中でも
「山川草木悉有仏性」とか
「山川草木悉皆成仏」とかの言葉が好きだった。




山川(さんせん)とは、山と川。

草木(そうもく)とは、草と木。

そのくらい、わかるか(笑)。

山も川も草も木も、みんな同じ命。

(誰?さだまさしの歌を思い出した人は。笑)



悉有仏性(しつう・ぶっしょう)とは
みんな 仏さまになれる素質(仏性)を持っている、ということ。

悉皆成仏(しっかい・じょうぶつ)とは
みんな 仏さまに成れる、ということ。

山も、川も、草も、木も、みんな。



この言葉は 
大学に入って 宗教学だか 仏教学だかの授業を受けるまで 
知らなかった。

教科書に書いてあったのを読んで
いい言葉だな~と思い、いい気分になれたのを 
今でも覚えている。

と、思ったら、辞書には載っていない(涙)。

どうやら、覚え違いをしてたみたいだ(。・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。)







葉牡丹 その2






では、私の好きな 
『オダブツ』こと『織田佛教大辞典』と
中村元の『佛教語大辞典』に 久々のご登場を願おう(笑)。



◎「悉有仏性」は「シッツブッシャウ」と読むらしい(苦笑)。

 涅槃経に「一切衆生 悉有仏性」という言葉があるらしい。

 佛教語大辞典によると
 【涅槃経】の獅子吼菩薩品(カッチョイイ!)の一節を引いて
 「一切衆生 悉有仏性、如来常住 無有変易」
 という文を紹介している。

 あれ?

 「山川草木」じゃないよ(泣)。






◎「悉皆成仏」、「シッカイジャウブツ」(笑)、
       一切有情、凡て成仏すべしとの語なり。
       【大涅槃経】は 専ら、此思想を闡明にするを
       目的となすものとす。  
       【涅槃経】に「草木国土、悉皆成仏。」

 あらら、こっちも「山川草木」じゃないよ(号泣)。



 それから、謡曲の「知章」というのに?
 「草木国土 有情非情も 悉皆成仏の彼岸の海ぎはに
  うかびいでたるありがたさよ。」
 とあるようだが、
 謡曲は 私の守備範囲の外なので
 なんのこっちゃ? である。


・・・・・・ちょっと、自信をなくしたなあ。。。(泣)

いつの間にか「なんとなく民俗学?」から
「なんとなく仏教?」になってるし・・・。







葉牡丹 その3






全てのものに 命は宿っている。

私達 生きとし 生けるものすべては
偉大な力によって 生かされている。
全ての人達が
本当にそう信じることができて
そういう行いが自然にできていれば

乱獲や乱伐で 
人間を含む動植物が 絶滅の危機に瀕することもなかったろうし

住むところを 追われ、奪われることもなかっただろう。



小学生の高学年の頃に覚えた
「生きとし 生けるもの」という言い回しが好きだった。

さだまさしも 森山直太郎も 好きに違いないと思う(笑)。



テレビドラマ

2008-02-17 | なんでもないこと
テレビドラマ、
NHKの『篤姫』と『フルスイング』以外にも
ここのところ 珍しくも たくさん見たいのがあって、
見るのに忙しい。

『交渉人』(木曜日)は なんとなくいつも見逃してしまうが、
けっこういいな、と思っている。

『斉藤さん』(水曜日)も 時おり見ている。













『あしたの、喜多善男』(火曜日)(→こんなの)。

これの主演は、小日向文世。

高橋克実と同じくらい、価値ある主演者じゃない?(笑)



これは 自分で勝手に 自殺する日を決めた男の物語。

原作(いや、原案? 原作とどう違う?)は島田雅彦という人の
『自由死刑』(集英社文庫、700円)。

「男は自らに「自由死刑」を執行することを決意し、
 その日まで 有り金百万円で 本能の赴くまま、
 酒池肉林の日々を計画する。
 だが、(中略) 次々と邪魔が入り・・・・・・。

 果たして彼は 無事に死ねるのか?」

と 『青春と読書』2008年2月号の広告にある。



そのページで 著者は 
「仮に、明日までの命だとしたら、
 最後の一日を どのように過ごされますか?」
との問いに

「家族と 食事をし、詩を書き、
 できるだけ遠いところに行く。」

と答えている。

う~~ん、しごく 真っ当な答えだ!













『エジソンの母』(金曜日)(→公式HP)、
これを見ていると 、胸がチクチクと痛む。

ウチの娘も ああいうタイプで 本当に扱いにくかった。

(残念ながら、あんな記憶力はなかったが。)

私が あのストレート・パーマのお母さんのようだったら
娘をもっとのびのび育てられたかもしれない。

もっとも、今、娘は充分にのびのびやっているが(苦笑)。

このドラマは 
見てると「あんなに担任が美人である必要はないんじゃない?」
という点で だんだん腹が立ってくる(爆)。

主人公の男の子(健人役の清水優哉)が イキイキして見えて 可愛い。

そして、胸が苦しい。













それから、フジテレビの『ロス:タイム:ライフ』(土曜日)
(→こんなの)。

これは 
「あ! 死ぬ!」という瞬間に
ちょうどサッカーの審判みたいのが出てきて

それから
あなたの命のロスタイムは あと 何時間と何分、と
係員みたいのが表示板を掲げている。

黒子まで出てきて
主人公が最期に持っているべきピストルや自転車を
ずっとそのまま持っていてくれる(笑)。

与えられるロスタイムの長さは 人によって 違いがある。

(この違いは いったい 何によって変わるのか!?)

初回は 『篤姫』の尚五郎をやってる瑛太が主演だった。

一話完結。



人は 「あ! 死ぬ!」と思った瞬間に
数時間のロスタイムがもらえたら
いったい何をしたいのだろうね?

昨夜のスキヤキ編の主婦(友近だった!)は 
家族と特上のスキヤキを食べたよ。

それでもいいかな、私も(笑)。

最後の晩餐に食べたいものを選ぶ、
これって、ちょっと楽しそうじゃない?(爆)







シラー、もうすぐ咲くよ!
この一週間、植木鉢の土が乾くのが 急に早くなった。
芽が出ていなくても、水をゴクゴクと飲んでいるらしいよ。







土・日は (あ、最近は金曜日も)夜更けにサッカー番組があって
録画を駆使して 全部見たいと思うが そうもいかない。

見たい映画があると そっちの録画を優先させる。

ホント、忙しいのよ!(笑)



T子さんの話

2008-02-16 | いろんな人
「それにしても、お日さまって偉いわねー。

 きのうは 日が射してなくって、寒かったから、
 ずっとエアコンをつけていたのよ。

 きょうみたいに 日が照ってれば
 こうして 床暖房だけで こんなに暖かいんだもの。」

と、T子さん。







蔵のある家の紅梅。白梅が咲くのはまだ先。






私が 「洋の東西を問わず、神さまになるわけですよねー。」
と言おうと思ったら
T子さんが

「しかも、タダ!」

と言ったので 私は噴き出してしまい、それきりになった。







冬の名残の ツワブキの綿毛。 ほわほわほわ。






T子さんは 50代半ば、独身。

自営業。

私がケッコンする前からの知り合い。

都会のマンションで暮らし、
仕事用に別のマンションを借りている。

私がお会いする時も その駅前の仕事用のマンションで。

(オール電化、オートロック、床暖房付き!)

これも そのマンションでの会話だった。






あれは 5年前の冬。

ちょど今頃かもしれない。

私は 術後に始まったホルモン療法で リュウマチがひどくなり、
痛みの他に 手足の変形が始まったように感じていた。

「これから先、今以上にひどくなったら、どうしよう。。」
と私が言ったら

T子さんは
「あなたが心配することで 病気が良くなるならいいわよ。

 でも 心配したって、良くなるわけじゃないでしょう?

 だったら、心配するのはおやめなさい。

 ひどくなってからだって 心配することはできるんだから。」
と言った。

それもそうだ、と納得して(爆)、
その言葉は 私の座右の銘になった。

先のことは 先になってから 心配しよう(笑)。







三つ目が咲いた 私のミニ胡蝶蘭。






T子さんのお父さまは もう亡くなっているけれど
「拝み屋」と呼ばれる職業だったそうだ。

どんな拝み屋さんだったか、私は知らない。

T子さん自身は 霊が見えるとか前世がわかるとか
そんなことは全くないそうだが
スピリチュアルなことに対しては バリアがない。

バリアがないどころか、積極的に信じているようだし、
特定の人の教えを 深く信仰しているらしい。

それなのに
以前は 宗教的なことが雑談の話題に上ることはなかった。



近年では 
宗教的、あるいは 信仰的な事柄について
時々 さらりと語ってくれることがある。

私も こそっと 
その時々の 心のひっかかりを T子さんに晒す。

T子さんのアドバイスは もう充分にスピリチュアルだ。






たとえば。

実家の母と姉を思う心が 届かない、と思っていた時。

どうすれば届くでしょうか?と尋ねたら

「あなたが 心の中で お母さんやお姉さんの事を 
 考えればいいのよー。」

それだけで? 本当に?



私はそれまで 心配な人や 応援したい人がいる時には

私のパワーを
実際に 見えない玉を持つように 
両手で持って 固めて 丸めて 
その人に届け! という気持ちで 投げていた。

そうすると 届くような気がして(笑)。

けれど そんなことをする必要は 全くないんだって。

心の中で 思うだけでいいんだって。

そうなんだー!

って、すぐに信じる私(苦笑)。



ママが食べたいチョコ

2008-02-15 | なんでもないこと
立春も過ぎたし 旧暦でも新年になった。

日も長くなって 風の入らない陽の当たる部屋にいれば
ほかほかと暖かく
「鬱になんて、誰がなるのかしら?」という気分でいられる。

けれど ドアを出れば まるで裏切られたように 
外は 空気が冷たく
水は 手を切るように冷たい。

まだ冬だったんだ! と思い知らされる日が続く。 



スノードロップ






こんな季節に 愛の日があるのは嬉しい。

しかも 春はもう すぐ そこに来ているのだ!



チョコを贈る慣わしの日にしてしまったのは
日本のお菓子メーカーの陰謀だ、という説はあるけれど

とにかく 内気な女の子にも 
勇気を出して 愛を告白できるチャンスが増えたのだから
そう悪いことでもないだろう。



普段 ダイエットのために 
甘いものを食べる時に
罪悪感とか自己嫌悪を感じながら食べている(爆)オバサンにとっては

「きょうだけは 思い切り チョコを食べてもいい日!」
という嬉しい日でもあるのだ!(笑)

一年に一度くらい、
気持ち悪くなるほどチョコを食べてもいいじゃないか!(爆)

そう、私は チョコレートが大好き!!!!!






ウォンカのチョコレート



『チャーリーとチョコレート工場』に出てきた
‘ウォンカのチョコレート’が 売られている、

しかも ゴールデン・チケットが入っている、
(→ネスレウォンカ ゴールデンチケットキャンペーン
とテレビで見て

「それ、欲しい!」と思った。

(決して「あげたい」と思ったわけではなかった。)

(あ、欲しいのは、もちろん、チョコ。

 まさか、
 5枚しかないゴールデン・チケットをゲットしようなんて、
 そんな、厚かましいことは・・・・・・。)



きのうは たまたま いつもの治療院めぐりの日だったので
当たりをつけて ソニー・プラザへ。

やっぱり、あったよ、‘ウォンカのチョコレート’。

しかも、それほど高くなかったので
2枚も買った(苦笑)。

だって、思い切り チョコを食べたかったんだもん。

ゴールデン・チケットが入っていたら 
プレゼントがいただけるらしい。







予想していたよりも ずっと美味しかったし 
食べ応えもたっぷり(190g)。

家族3人で 思い切り食べられた。

気持ち悪くは ならなかった(笑)。

(最初は GODIVAのチョコがいいなー、と思ってたんだけど、
 思い切り食べるとなると、必要経費の額が違う!)






それにしても、ウチの男ども、
ニョウボや母親に もらったチョコをわけてくれるだけの
器量がないんだろうか!(怒)



藤原カムイは天才だ!

2008-02-10 | マンガ
藤原カムイは、天才だと思う(笑)。(→公式サイト:カムイズノート

とは言っても 
我が家にあるのは 『創世記 I、Ⅱ』と 『西遊記』だけだと思う。

あれ? 『帝都物語』はどこへいったかな?(苦笑)







プリムラ・シネンシスが 今年も咲いてくれた。






とにかく 絵がきれいで 
読んだ後で B○○K ○FFに持って行きたくなくなる(苦笑)。

(ちなみに 「ドラゴン・クエスト」系とは 我が家は縁がない。。)

私の大好きな上橋菜穂子の『精霊の守り人』
(夜、テレビでアニメでやってるよ!)を
藤原カムイがマンガにしてくれた時には嬉しかった。

(この『守り人』シリーズ、
 児童文学にしておくのはもったいない、と思っていた。

 最近では フツーのファンタジー小説として 文庫になっている。

 ファンタジー好きの方には ぜひ、オススメ。)






ファンタジーというのは
作者が創造者となって 新たな世界を創りあげなくてはならない。

そして 完成度の高いファンタジーほど
創り上げられた世界の完成度が高い。

ゆがみのない世界がそこに広がっている。

つじつま合わせや 都合による変更があると 興ざめ。

『指輪物語』も『守り人シリーズ』も
きっちりとした世界が出来上がっており、
主人公たち登場人物は その世界の中で 縦横無尽に活躍している。

藤原カムイも その種の天才かと思っている。



そういえば 鳥山明の『Dr.スランプ アラレちゃん』も
とんでもないマンガだったけど
世界は確立していた気がする。

鳥山明も 天才なんだなあ。。

(ドラゴンボールはどうだったろう?)







プリムラ・シネンシスは 去年の4月3日の記事に初登場している。






藤原カムイの『雷火(ライカ)』を読んだ。

(スコラのデラックス版、全12巻)

(そして、これは亭主に 
 B○○K ○FFに持っていかれそうだ。

 絵の美しさが そういやいまひとつ?)



『雷火』は 寺島優との共著ではあるが
読んでて 
「やっぱ、藤原カムイは、天才だ~。」
と思った。



主人公は カミナリ頭の持ち主、ライカ。

生まれる時に 産屋にカミナリが落ちて
母の死とともに生まれでた男子(どこかで聞いた設定)。

生まれた時から 
黒々とした髪がバクハツしたようなヘア・スタイルだった。

時は 卑弥呼の存命中から物語りは始まる。

ライカは ‘雷火’、カメラではない。







さて 『雷火』の中で 気を引かれたセリフ。

第1巻 43p、

「国はいずれ滅びる。

 最期に残るのは おのれ自身じゃ。



 どう生きて どう死ぬのか

 それが いちばん 大事なことじゃ。」



物語の冒頭で
老師さまと呼ばれる、神仙術の達人? 道士? 方士?
のじいさまが ライカたちに言った言葉だ。

地球が滅びの危機に瀕したような現代において
この言葉は意味を持つのか?
なんてムズカシイことは 考えなかったが。







第8巻 191p、

「新しい文化が 活気良く出入りしている限り
 国は決して古くならねえし 
 滅んだりはしねえ。

 わたしの理想は
 そういう国を造ることだ。」

邪馬台国が自分のものになると確信したヒメキコソが 
自分の造りたい国の理想を ライカに語る場面。

過去の日本、そして 現代の日本について
ごにょごにょと考えていると
この言葉にはうなってしまう。

どうなんだ? 今の日本。



この時 ライカは 義父(実は、実父?)のヒメキコソに
大地の果ては 丸い球みてえな形をしていた、と告げる。

「ひょっとすると 大地はぐるりとひと回りして
 どこにも果てはないのかも知れねえ。」

だったら・・・。

今 オレが立っているこの場所が 
大地の中心であり 大地の果てでもある。

その球形の大地がまた
宇宙の中心であり 宇宙の果てでもある。

オレたち人間 ひとりひとりが
宇宙の中心であり 
同時に 宇宙の無限の果てに生きてるんだ。

「倭の国が 大地の中心であり大地の果てでもある。
 
 そいつは あんたの言う 開かれた国てことと一緒じゃねーのかな。

 オレたちは いつの間にか 

 おんなじことを考えていたんだ。」(p190~194)

その晩、ヒメキコソは 邪馬台国を目の間にして斃れる。。



この会話は 壮大な哲学であり、宗教でもある。

実際、仏教というのは こういうことを教えてくれる学問でもあった。

小さく見ていくと どこまでも小さくなり、
大きく見ていくと これまた どこまでも際限なく 大きくなるもの。

手のひらに乗りそうで つかみどころのないもの。

人は そんな事を 古から考えてきたんだろうなあ。。などと
思いを馳せたりもする。







マンガの中の世界観を 侮ってはいけない(爆)。



『篤姫』と『フルスイング』

2008-02-08 | なんでもないこと
『篤姫』を見ている。(→大河ドラマ『篤姫』

宮崎あおいちゃんが可愛い。

あのオデコが変だ、と 誰かがどこかで書いていたが
いったいどこが変だと言うんだ!

オデコも含めて、可愛いぞ。







ブロッコリーの葉っぱが虫に食われた! 
と思ったら、今年もどうやら鳥に食べられたみたい。






この前まで 金髪のバクハツヘアーでヴァイオリンを弾いていた
『のだめ』の峰クン(瑛太)が
今度は 気弱で誠実そうな尚五郎(後の小松帯刀)を演っている。



熊本城は 築城400年を迎えるのだそうで
(→熊本城築城400年祭公式ホームページ)、
まずは、メデタイ(?)

九州には、行ったことがない。

(沖縄は 九州の内に考えていない;笑)



このドラマ、亭主は見たいと思わないのだそうだ。

評判になった「女太閤記」もそうだったと言う。

なんで? どうして?

脚本が女性好みになってるのかな?



ふたりして役者に不満があって見てなかったこの前の『風林火山』、
あれは 私はもう「見なくていいわ。」と
完璧にシカトしていたが

亭主は 
「きょうは○○○の○○の日だから。」
などと言って たまには見ていた。

オトコとオンナのドラマの間にも 暗くて深い河がある?







冷蔵庫と呼ばれている我が家の玄関の アスパラガスの新芽。 







もうひとつ、
土曜ドラマの「フルスイング」というのも見ている。
(→番組ホームページ

といっても、2回しか見ていないし
全6回で あと2回を残すのみ、
この残り2回を見逃すかもしれないんだけれど。

実話を元にしている、というのが
ウソっぽさを消してくれるのかなあ。

いや、やはりこれは 主演がいいんじゃないか?

原作は 門田隆将著
『甲子園への遺言――伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯』
(講談社、2005.6.30、1700円)。

あ、このドラマで一番秀逸なのは タイトルだと思う!(笑)



先日 帰省していた娘に
「あの、“へ~~~”の、『トリビアの泉』で、
 説明している小柄な人の隣に突っ立って
 たまにヘンテコなことを言ってたオジサン」
と説明したら
「高橋克実でしょ、知ってる。」
と言われた。

男性の友達が 別の友達に 
「高橋克実に似てるね。」
と言われて すごく凹んでいたんだって。

そりゃあ、凹むでしょう(爆)。



ともかく、高橋克実の主演ドラマなんて、
初めてだったんじゃないか?

ああ、そうだよ、やっぱり、初主演だ。

世の中には
「見た目だけで主演になった」とか
「薄毛のおかげで 連ドラ初主演」とか言う人がいる、

というか、本人が言ってたらしいけど。

(確かに、頭髪が・・・そっくり!苦笑)



これまで あまり見なかった高橋克実のアップ、
あまり聞かなかった高橋克実のセリフ。

プロの目と耳ではどうか知らないが
一応 俳優のものだと思うし
私は面白いと思って見た。

(ああ、この人、子どものころはきっと可愛かったろうなー、
 などとも思った。)



ただ 
「何か面白い番組、ないかな~。」
と思って 新聞の番組欄を見ても、

土曜日のあの時間(9時から)って、
不思議とNHKの部分を見ないんだよね。

それで、一度、見逃したんだよ。

これに気付いた時には「へ~~」だったよ(笑)。



発酵と腐敗(2)

2008-02-07 | 生ゴミ堆肥
門田さんの「カドタ式生ゴミ堆肥」のHPに
私のこの「窓」がリンクされた。

はずかしー。

うれしー。



でも、この「窓」では 堆肥については
「発酵」のカテゴリーに入れているので 
申し訳ない気分。



【2013年10月24日:生ごみ堆肥」のカテゴリーを作りました。
             どうぞよろしくデス。
             カドタ式生ゴミ堆肥」のHPは見つかりません。
 






今年も咲いた、ミニ胡蝶蘭。 次々咲いてくれるかな?






私が堆肥作りを始めると 
亭主は 
台所に生ゴミを置きっぱなしにすることについては文句を言ったが
堆肥を作ることに関しては 意外に!寛容だった。

いつもなら
「邪魔だ!」と目の敵にされそうなものなのに。



ある日 

「子どものころ、よく、
 落ち葉が山になるほど積んである場所があったろ?」

(ああ、アンタの実家の周りには、いっぱいありそうね。)

「あの中に手を突っ込むと、びっくりするくらい、熱いんだよ。

 お前、知ってるか?」

と聞いてきた。



亭主は 子どもの頃から釣りが好きで
エサにするミミズを探して 
しょっちゅう、あちこちを ほっくり返していたのだそうだ。

藁や落ち葉を集めて腐らせた中に手を突っ込むと 
熱くて、湯気が立って、と
懐かしそうに語る。

もしかしたら そんな記憶が 
堆肥に対する 珍しくも寛大な態度になって現れたのかもしれない。






だからこそ? こうやって 亭主自ら 生ゴミを ザルに取っておいてくれる。
ねえ、アナタ、皮を剥いた中身、私の口には入らなかったけど?
それに、今は寒いから、もう少し小さく切ってから使った方がいいみたい。

(小さくして 堆肥にする前に 愛犬の犬小屋の屋根の上に置いといたら
 小鳥達が ずいぶんきれいに食べてくれた。
 それはそれで、ムダにならなくて良かったかな~。)






さて、発酵と腐敗は どう違うのか?って話だったよね。

調べたよ~♪






発酵:酵母や細菌などの微生物が
   エネルギーを得るために 有機化合物を酸化・分解して、
   アルコール類・有機酸類・二酸化炭素などを生成していく過程。

   狭義には、
   微生物が 酸素の存在しない状態(嫌気条件下)で、
   糖類を分解してエネルギーを得る過程。
   有機化合物が有機化合物を最終電子受容体として酸化させる代謝の一種。

   人間側から見た発酵の狭義的意味は、
   人間生活に有効なものを生成するための微生物代謝であり、
   酒・味噌・醤油・チーズなどの製造などに古来利用されてきた。

   




腐敗:有機物質が 腐敗細菌、真菌、酵母など微生物の作用によって
   タンパク質などの窒素を含んだ有機物が分解され、
   悪臭を放つようになったり有毒物質を生じたりすること。

   通俗的には腐る(くさる)という。

   ただし
   分解によって、人間に都合のよい物質が生じる場合は
   発酵といわれる。






・・・・・・人間は 
どこまでも 都合のいいように世界を(言葉を)作ろうとする動物だ!

つまり、早い話、
好都合なのが発酵で 不都合なのが腐敗なのだ。

簡単でわかりやすい、っちゃ、わかりやすい(笑)。








今年のお正月、ゴミの収集がない間に
我が家の台所では 3袋のゴミが出た。

この3つの袋を 私は まとめて片手で 振り回すように 
集積所に持っていった。

軽い。

そして、水っぽくない。

チョー、快感!!






きょうは 旧暦の元旦。

もう一度、A HAPPY NEW YEAR!

みんなで、いい年にしようね!

早く あったかくなれ!



立春

2008-02-06 | なんとなく民俗学?
2月4日は立春。

そして、旧正月は、明日。 

2月7日だ。

新聞の「四季」欄には

「年の内の はるにむまるる みどり子を
   ひとつとや いはむ   ふたつとや いはむ」  
                              石田未得

という江戸期の狂歌が紹介され、

「旧暦なら 今年は立春が正月より先にめぐってくる 年内立春の年。」

とある。

旧正月より前に 春になるのは めずらしいのだろうか?







4日、愛犬との散歩の時に 土手で遊んでいた、カラフルな子ども達。
いつもやってる芝すべりより、珍しい分だけ、雪すべりの方が楽しい?




答え:

岡田芳朗氏の『旧暦読本』(創源社、2006年12月20日、2000円)によると

「二十四節季の立春と、
 暦の日付の正月一日が びたりと一致することもありますが
 たいがいは立春の方が先(年内立春)か
 元日以後にくる新年立春になります。
 
 年内立春と新年立春の割合は ほぼ同率です。」(p142)

とのこと。

今まで 立春と旧正月の どちらが先か、なんて
考えたこともなかった。







寒さに耐えて 頑張っている今年のビオラ。 まだ株は小さい。
雪の中の花の写真を撮れて、嬉しい。4日の撮影。





「新春」とか「迎春」とか「頌春」とかの言葉は
旧暦の正月にこそ ふさわしいと思う。

今は如月(きさらぎ)、
着た着物の上から更に重ね着したくなるほど寒い時期だけれど
これからはどんどん暖かくなる(はず)。

日は確実に伸びて 夕方暗くなるのも だいぶゆっくりになった。







子ども達が居た場所に 5日には大きな雪の玉がふたつ。
こどもたちの匂いがするかい? 上に乗せるには大き過ぎて重すぎた? 



きょうは だいぶ土手の雪も融け、
この大きな雪の玉も小さくなっていた。

家の裏側などの日陰では まだ雪は残って(しかも、凍って)おり、
ガードレールの陰になるところには 
細くて白く長い 雪のラインができていた。

「東風解凍;はる風、凍りを解く」の季節、
スリップ事故の元だから 雪も早く融けて欲しい。



おみくじ

2008-02-04 | なんとなく民俗学?
昨日は 雪の節分になった。

朝 起きたら、雪。




天窓は、こんなふう。






節分とは。

鬼やらいの豆まきをすること!

私はそう思っている。

ぐうたら息子は春休み中、
娘も週末で(お金がなくなって)帰省中。

出かけていた亭主が 思ったより早く帰宅、

まだ明るい時間に 家族揃って豆をまく。



もう、最近では 恥ずかしいと思うことなんか滅多にない私、
ここぞとばかり、大声を張り上げてまく。

ヤケクソなのか 信仰心からなのか?(なワケ、ないか。)

みんな 大きな声で 「福はウチ!」







愛犬は 暑いのはともかく、寒さには強い。






近くの観音堂から 太鼓の音がする。

きょうは観音さまのお祭りではないが 
節分だから? お勤めがあるようなので行ってみる。

おみくじを引きたい、と娘が言う。

私も!と私が言い(何しろ、去年も今年も 一月に 引き損ねている)、

息子も引いた。

(亭主は引く気ナシ。)

娘は末吉。 読んでみると、なかなかよろしい。

息子は吉。 ・・・・・・可愛そうに(笑)、
ホントに吉?と思う内容(苦笑。でも、みんなで大爆笑)。







土手の上で 幸せそう。






私は、第五十一、吉。

どれどれ。

まず 一番上に絵が描いてあって 
その下に 漢字五文字の文が四つ並んでいる。

右から読むのかな?

「修進甚功奇 労生未得時 騰身遊碧漢 方得遭高枝」

うへえ。。。










修進甚功奇: しゅうじん 甚だ 功奇なり

労生未得時: 生を労して 未だ 時をえず

騰身遊碧漢: 身をあげて へきかんに遊ぶ

方得遭高枝: まさに高枝に遭うことを得べし

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わかるか!(怒)




その下には 
「急がずに 身にかなひたる つとめせよ

           細く長きは 世の教なり」

という和歌があって



さらに

「これまで苦労しながら其の効(しるし)も見へざりしが、 
 
 怠らず、つとめて、

 遂に空に上りし如く立身すべし。」

と書かれている。



つまり、今までは 頑張っても頑張ってもいいことなかったけど、
これからも怠けずに頑張れば 
きっといいことがあるよ、と?

「立身」なんて、望んでないから、もっと簡単に望みを叶えてよ(笑)。







ムクムクと ダテに太ってはいないってカンジ?






具体的には さらにその下にある。

●此のミクジにあたる人は たとへば 山に登るがごとくにて、

 其の身の力一つにて 身分相応の出世あるべし、

 山に登れば 
 一町登れば一町の高さあり、
 二町登れば二町の高さになるが如く、

 くろうを堪えて奮発すれば 遂に絶頂に到着するが如く

 本望成就すべきなり



うう。。。徳川家康になれってか?



●身分不相応の望み 持つべからず



それじゃあ、お聞きしますけど、「身分不相応の望み」って?
どれくらいまでなら、身分相応なの?



●悦事 望事 おそく成就す

●病人長びけども本復すべし

●失せ物 急に出で難ければ 気長にさがすべし



などなど。



ふう。。(タメイキ)。

それほど良い訳ではないけど 決して悪いという訳でもない。

ほどほどの、「吉」のようだ。

とりあえず 今年の私の運勢は このおみくじによると、こんなもの。

気長にいくっきゃない、ってことか。



海苔巻きは 忘れていて 食べなかった。

ちなみに、このおみくじ、まだ100円だった!