ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

宮本輝の新聞小説

2004-12-28 | なんでもないこと
紅い木瓜の花と 白い日本水仙。紅白の水引のように 美しく爽やかな配色で 同時に咲いている。
来る歳は 災いのない 穏やかな歳で ありますように。




『にぎやかな天地』という小説が 朝刊に連載されている。
宮本輝の作らしく、人間関係が 不思議で ひきこまれる。

このところ 主人公の「聖司」が 三十三間堂の中を 
修学旅行生に混じって 逍遥していて、
仏像の魅力を うっすらと 思い出している。

あまりに有名な観光寺院だが、
あそこの仏像は やはり かなり 凄い。



この小説の中で 主人公は 
発酵食品に関して調べ、
漬物や 醤油の 醸造元を訪ね、 
写真を撮ったり 話を聞いたり、と言った事を
繰り返している時期があった。

発酵食品に興味が湧きつつある私は、
それまで以上に 目が離せないようになった。

ニンゲンの健康には 
発酵食品が 欠かせないのかもしれない、
という思いから。

「発酵」というキーワードでは、
このごろ必ず出てくる「小泉武夫」という
太目のオジサンがいる。
このひとの著書にも 興味を引かれる。



来る歳も いろんな事を考えてゆきたい。
できたら 行動に移せるものは 移してゆきたい。
そうはいかないことが 山ほどあるのが 歯がゆいけれど、
気を長く、ゆっくりと 実行するべきは 実行してゆこうと思う。

年内に投稿したかった記事も あと三つほどあった。
年末で気ぜわしくなると 慌てて書くのもいやだし、
書ける時には 書く事にして、
とりあえずは ここで いったん ご挨拶を。

みなさん、私の窓を 訪れてくださって、どうもありがとう。
短くても、コメントを入れてくださると、
励みになります。
来年も のんびりブログを続けるつもりですので、
どうぞ、よろしく。

永遠の

2004-12-25 | なんでもないこと
恵比寿の東京ガーデンプレイスに飾られた、バカラのステンド・グラスのシャンデリア(だったと思う。)確か去年は 姉と東京写真美術館に来た時に 一緒に同じものを見たはず。ふたりで「たいしたこと、ないね。」と言い合った。




このシャンデリアには、
「バカラ 永遠のきらめき」とかいう説明がついていた。

人も物もすべて、永遠じゃないからこそ、
美しいのに。
煌めくのに。
それが どんなに 哀しいことであろうとも。

永遠の愛を誓う恋人達には 美しく輝いて見えるのだろうか。
しなやかな 若い心を 失ってしまった私には 
本物の生きたグリーンのほうが、何倍も綺麗に思える。

女子高を出て 初めて彼氏ができた娘が
今日は都内でデートとか。
早朝いそいそと出かけていった。
(手編みのマフラーを持って。)
(今年は家族にケーキを作ってくれなかった。)
若い彼女には 世界は煌めいて見えるのだろうか。

「バカラ―永遠のきらめき」は、2月20日まで みられるが、
「たいしたこと」、ないと思う。
それとも、夜には もっと美しく輝くのだろうか。
(娘よ、早く 帰って来いよ。)

『実践する!仏教』

2004-12-24 | 読書
恵比寿の東京ガーデンプレイスのツリー。オーソドックスなものだけれど、可愛い。
今夜は大勢の恋人達が訪れているのだろうか。(ちょっとだけ、うらやましい。)




『実践する!仏教』、
なんと、これが 千葉望女史の最新刊だ。
上野の駅のブックガーデンで 宗教関係のところを覗いて、
魅かれるタイトルだったので よく見ると、
著者が「千葉望」。
びっくりしてしまい、すぐに購入して帰ってきた。
発行が2004年12月24日。
わざわざクリスマス・イブにあわせたところは、
何かに対する挑戦か?
(スバル舎、1500円)

「どこか座禅のできるところを知りませんか?」
「仏教入門の本だったら何がおススメ?」
「写経をすると、本当に心が落ち着くの?」
 私が寺の生まれだと知っている友人たちから、
こんな質問をされることが増えてきた。

これが、この本の「はじめに」の書き出し。
私も、実家の父が亡くなったときに、
「あそこの奥さんの実家は、お寺だそうだ。」
とのうわさが ムラの一部分には さっと広まって、
「実家はお寺なんだそうですね。」
などと 切り出されることが 急増したことがあった。



日本人は 仏教や宗教と 切っても切れない生活をしていながら、
どこか 近寄りがたいように 感じている人が 多いように思う。
普段は忘れていながら、心のどこかで 
もっと知りたい、もっと身近に感じたい、
と、静かなラブ・コールを送っている感じ。

それになかなか 答えられないのは、
古い宗教ほど、布教が下手! なせいかもしれない。
反省もこめて、クリスマスに この本を読もう。

ああ、せめて、仏教音楽が もっと身近で聴けたなら。
もっと美しい旋律であったなら。

私、仏教音楽を 差別してます?


高松宮妃喜久子さま逝去

2004-12-18 | 考えたこと
高松宮妃の喜久子さまという方の訃報を 
今朝の車の中で聞いた。
特別な思いのあった方では 
なかったはずだったのだが。




著書の『菊と葵のものがたり』は 読んだ事がないが、
妹に当たる榊原喜佐子さんの 
『徳川慶喜家の子ども部屋』(角川文庫)
というのを面白く読んだ事がある。
榊原喜佐子さんと喜久子さまは 
最後の将軍、徳川慶喜の孫に当たる。

徳川慶喜といえば、歴史上の人物、
なにしろ大河ドラマにもなったし、
遠い昔の人、という印象だった。

たまたま今年、
上野の寛永寺に行くと言う団体にまぎれ込んで、
寛永寺の内部まで 一山の僧侶に 案内してもらって
じっくり 見て――拝んでまわり、
徳川慶喜を 少しばかり 身近に感じた日があった。
慶喜公の謹慎の間 というところでも 
ゆっくり話を聞いた。

その部屋の中で忘れていた『子ども部屋』の事を思い出し、
懐かしい気分になれた。
すると 今まで遠い歴史上の人物と感じていた慶喜公が、
つい昨日まで 生き生きと生きていた
身近な人のように思えたのだった。
(もちろん、顔はモックンのままで)

そして 孫を抱いた慶喜公の写真も思い出した。
(いや、もしかしたら そこにあったのかも知れない。
 記憶が曖昧・・・)
たびたび目にする有名な写真で、
慶喜公に抱かれた赤ちゃんが、
今朝 亡くなった喜久子妃だった。

徳川家から皇室に嫁いだ、明治生まれの女性。
と言うと、歴史と運命に翻弄されたように聞えるが、
雑誌などで 時々 見かけると
おしゃれで、物言いも はっきりしていて、
なかなか 茶目っ気もあり、
ステキな スーパーおばあちゃんだったようだ。
「高松宮日記」の公開の時には 
公開に反論もあったというから、
周りを翻弄してきた方かもしれない。

母と夫をがんでなくし、
「高松宮妃癌研究基金」を設立し、
自身も左乳腺の手術をしたた方、ということだから、
まったく私と縁がないわけでもない、ということで。
ご冥福を祈ります。

『免疫革命』

2004-12-17 | 健康オタク
恵比寿駅前のクリスマス・ツリー。
もしかしたら、去年と同じ。
私の好きな配色。




私が風邪を引き、姉が家事の手伝いに来てくれた時。
姉がいろいろ言いながら 私の手の爪の周りをもんでくれた。
その根拠になっていたのが、安保徹と言う人の理論。
『免疫革命』(講談社インターナショナル、2003.7・11、1600円)
を買って読んでみた。
爪の生え際のツボを押す「爪もみ療法」で副交感神経を刺激すると、
免疫力がアップして、いいのだそうだ。

人間の体内で毎日生まれる、百万個のがん細胞。
それでも全ての人が がんにならないのは、
リンパ球が働いているからで、
がんになる人は リンパ球の数が 30%を 下まわった、
〈免疫抑制〉の状態にあるのだそうだ。

だから、生活パターンを変えたり 
働きすぎをやめたり
悩みから脱却する方法をみつけるといったことを
実行しながら
副交感神経を刺激するような治療を行うと、
数ヵ月後には リンパ球の数値が 上がり始め、
リンパ球数が30%を超えると
がんの自然退縮が始まるという。



「がんを治す究極の四か条」というのがあり(p93)、
1、生活パターンを見直す。
2、がんへの恐怖から逃れる。
3、免疫を抑制するような 治療を 受けない。
  受けている場合は やめる。
4、積極的に 副交感神経を刺激する
というものだ。

ここで言う 「免疫を抑制するような治療」というのが、
がん治療では お定まりの、
手術・抗がん剤・放射線治療のこと。
著者は これらの治療を一切やめて 
がんがなくなった、あるいは 小さくなった人の例をあげて、
これらの治療をしないようにと説く。

全ての人が 爪もみ療法で がんが治ると
言い切れるかどうかは 疑問だし、
もし 手術等 一切の西洋医学的治療を 拒否した人が
悪化の一途を辿ったら どうするのかと
心配してしまう。




それでも 私のような 術後の人間でも 
何がしかの いい事があるかと 期待して、
爪もみを始めたのが、去年の夏。

ところが、ベッドに入って 手足の爪(薬指を除く)を
もみ始めると、16本をもみ終わらないうちに
眠くなってしまうのだった。




この本の中でも、玄米食が薦められている。
血行を良くする軽い体操、入浴、散歩も奨励されている。
そして、「がんは笑って治そう」と言う。
笑うことによって、
免疫抑制がいきすぎて起こる、膠原病なども良くなる。
免疫力をあげると、難病からの脱却もありうるのだ。

気持ちよく爪もみをして(できれば16本)、
おいしい発芽玄米を食べ、
気持ちよく運動し、
免疫力、すなわち自然治癒力を高めて
毎日 笑って 暮らしたいものだ。

冬支度

2004-12-11 | なんでもないこと
いつもは ひっそりと 目立たない所で 目立たずに在る植物が、花開いた途端 はっとする美しさ。よくある話。それでも毎年 はっとさせられる、ヒイラギナンテン・チャリティー。今年も綺麗に咲いてくれた。




きょうは、車(ピンクのVitz)のタイヤを 交換した。
スノータイヤに。
決して決して 雪が多い土地ではないけれど、
一度積もると なかなか融けない。
アイスバーンは 一番怖い。
これで ちょっとした雪なら、怖くない。

今年の冬は 去年の冬より 体力があるはず(?)。
ど~んとこい、冬。
今年は 風邪だって、ひかないぞ~。

心の風邪の方は、ちょっと自信ないけど。
しょちゅう 心が せきや くしゃみを
繰り返してる。
暖めてあげなきゃ、私のココロ。

「吉野・熊野・高野の名宝」

2004-12-10 | 考えたこと
世田谷美術館というのがある。行った事がなかった。どこにあるのかも知らなかった。時々「いいな」と思える展示をしているようだった。「吉野・熊野・高野の名宝」という展示があるということで、注目した。場所は・・・用賀駅下車、とある。




世田谷区、田園都市線、用賀駅下車、徒歩17分。
せっかく用賀のビジネス・スクエアに用があって行くのだから、
これは、行かなくちゃ。
ということで、行って来た。

いらかみち(甍道)と呼ばれる道を、
ず~~っと歩いていくと、
迷いようもなく 砧公園に着く。
ありがたいことに、「美術館→」の看板も
あちこちにあって、不安になることなく、
きれいな通りを 散策するように
歩いて行った。
人工的な自然ではあるけれど、
きれいに作られた自然が こころをほぐす 道だった。
砧公園の一角に、世田谷美術館は あった。

展示は、予想以上に良かった。
古いものも多く、
滅多に見られないものがあふれ、
いろいろな宗教・宗派に関連し、
来た甲斐があった、と思った。
日本の美術として見ても、素晴らしいものばかり。
日本人の信仰について考えても、興味深いものが多い。
ゆっくり見て歩いたので、足は棒。



吉野の方には、行った事がない。
姪っ子が奈良にいる間も、とうとう行かなかった。
金峰山にも 行った事がない。

熊野には、高野山奥の院と同じ時に行ったのではないか。
記憶が曖昧だけれど、行きたくていったのではなく、
いやいやいかされた、団体旅行だった。
それでも 熊野は素敵だった。

那智山 青岸渡寺、という寺に行った。
那智大社にも行った。
ぞろぞろ大勢で坂道を歩いた。
いやでいやで たまらなかった。
そうして 大きな滝の前に来た。

那智の滝。
気持ちの良い場所だった。
周りの景色や空気も良かった。
心が洗われるような、
小さな事は 吹き飛ばしてくれるような、
ひねくれた心をまっすぐにしてくれるような、
気持ちの良い滝だった。
那智大社のご神体が この滝なのだそうだ。
神も仏も 好んで宿りそうな、
気持ちのすく場所だった。

その旅行で、あちこち参拝したはずだが、
何も覚えていない。
覚えているのは、
「この滝を 
 団体旅行でなく、ひとり(か、気心の知れた数人)で、
 ゆっくりと 眺めに、
 また いつか ここへ 来よう。」
と 心に誓った事だけ。

そんなことも すっかり忘れていて、
この日 やっと 思い出させてもらった。
また ぜひ 行きたい。
那智の滝に。
補陀洛山寺にも。熊野大社にも。大峰山寺にも。高野山にも。
そうして、世界遺産に登録されたという、
古道を 自分の足で 歩いてみたい。
円の行者や 修験道について 
勉強してみるのも 面白いかもしれない。
神通力を使えたら、もっと面白いかな?



『《アイ・ラヴ・ピース》への道』

2004-12-09 | 読書
《アイ・ラヴ・ピース》というのは、映画のタイトル。監督の大澤豊という人は、『遥かなる甲子園』を撮った人らしい。主演は、忍足亜希子という、聾唖の美人女優。混乱の続くアフガニスタンでのロケも敢行した、真面目な映画らしい。この映画にまつわる さまざまな出会いと偶然、映画に携わる人々の 労苦や頑張りなどが書かれている本を、もらった。(海拓社、2004年2月20日、1300円)



映画に出てくる、義肢装具(義手とか、義足とか)を作る、
「中沢ブレイス」という会社は、
「おっぱいを作る会社」の中村ブレイスがモデルになっている。
その中村ブレイスの東京事務所に、先月行った時に この本をもらったのだ。
帰りの電車の中で、一気読みしてしまった。

アフィファという名前の少女は、
タリバンから逃れようと トラックに乗ってパキスタンに向かう途中、
対戦車地雷を踏んで、トラックは大破、
妹ふたりと 右足の膝から下を 失った。
・・・・・・これは、実話。

アフィファを選び、日本に連れてきて、
演技をさせ、映画を作る。
忍足亜希子演じる義肢装具士と アフィファの二人を軸に、
足を失ったアフガンの少女が 歩けるようになるまでを描いた映画。
映画制作中の、苦労や笑い話。
ロケの間の、地元の人たちの協力。
それを見つめる、豊な自然。
すべてが 感動に包まれているように思った。



著者の千葉望(ちば・のぞみ)さんは、以前、
『よみがえるおっぱい―――義肢装具士・中村俊郎の挑戦』
(海拓社、1500円)を書いている。
この『よみがえるおっぱい』を、実は 去年
姉と二人で 中村ブレイス東京事務所を訪れた時に
やはりもらって、私は読んでいる。

島根の山の中、という中村ブレイスの本社のある小さな町を
訪れてみたくなる、優しさにあふれる本だった。

ほぼ同時期に NHK のドキュメンタリー番組で、
大ヤケドで両足を失ったモンゴルの少年、ツォグトオチル君に
義足を作り、歩けるようになってもらう過程を追った様子が放送され、
より身近に感じたものだった。



『よみがえるおっぱい』というノンフィクションは 
注目を集め、
紹介された人口乳房「ビビファイ」は、
この本を読んだと女性たちから数百もの発注があったという。
そして著者は、嬉しい反面 心配でもあったという。
ビビファイは、作れば作るほど 赤字になると知っていたから。

中村ブレイスの社員は、東京事務所の人や 島根の本社の人とも
姉も私も 電話で話をしたが、
「作れば赤字」のものに関する問い合わせ、という感じではなく、
とても 親切に 丁寧に 対応してもらった。
ボランティア精神の塊のような会社。
感謝している。

春を待つ季節

2004-12-04 | なんでもないこと
「春 夏 秋は 冬を待つ季節・・・」と歌ったのは、
中島みゆき。
でも、冬こそは、花咲く春を待つ季節だろう、
と思っていたのは 私。

でも 春は 秋のうちからもう 
着々と準備を進めていて、
あした春になっても、
すぐにでも花を開けるようにしているらしい。

わかりづらいかもしれないけれど、
写真は カラスノエンドウ。
シロツメグサも 今は身を低くして
地べたに這いつくばっているけれど、
枯れた芝草の中で、青々としている。

私は 春になったら どんな花を咲かせようか。
冬に向かって 寒さがつのり、
夜明けは遅く、日没は早くなり、
日差しは弱くなってきているけれど、
準備をしておけば、
綺麗でなくとも 可愛い花を
咲かせる事は まだできるはず。
と 思いたい。

過食症

2004-12-02 | 考えたこと
実生の山茶花が 生えてほしくない場所から生えていた。力まかせに引っこ抜き、生えてもいい場所に いいかげんに植えたら根付いた。まだ小さいのに花つきもいい。一番いとおしい山茶花。



今日は いつも遅く起きる亭主が 早起きをして、 
子供たちと前後して出かけた。
帰りも遅い。
朝7時過ぎにはもう、孤独感に浸っている。
こんな日は、何を食べるか、どのくらい食べるか、
恐怖。
食べだしたら、止まらなくなるから。

コンビニから菓子パンなどを買ってきて
食べまくる、ということはないけれど、
(コンビニ、近くにないし)
菓子パンがある場合は、それができる。



一人暮らしの頃から 時々そんな事はあった。
当地に来てからは いつも仕事で亭主が家にいて、
生まれたての赤ん坊がいて、
食べるものがあるだけ食べる、
過食、ということについて、
考えた事はなかった。
たぶん時々やってはいたとは思うけれど。

子供たちに手がかからなくなり、
(心配がなくなることとは違う)
亭主が仕事で家にいない日が増えて、
自分に過食症があることに気づいた。

以前は年に数回、一日中 亭主がいない日は、
「わたしの休日」と決めて、
何にもしない、あるいは 遊ぶ日にしていた。
家に居さえすれば、
何をしても、何もしなくても、いい日。
お昼ごはんも、カップめんにしていた。
お昼の支度をしなくていい日。

今、亭主はしょっちゅういない。
私はしょっちゅう「休日」で、ばくばく、ごろごろ。
(だから、太っちゃったんだなあ)
それでいて、定休日がないから、
電話や来客があり、外に出られない。
(カップめんは、食べないようにしているが。)



ガーデニングを始めたのは、そんな理由から。
【どうせ、いつも、どこにも、出かけないんだもの。】
だけど、日によって、庭にも出られない事もある。

電話に出られなかったら、どうしよう。
チャイムが聞えなかったら、どうしよう。
そんな事を思って、
外出恐怖症になるから。
玄関ドアの外にでるのが、
怖くなるから。
洗濯物を干しに出る時も、
ドキドキ。
そんな日はクリーナーをかけるのも 
同じ理由で できない。

期末テスト中の息子が 
今日は早めに帰るだろう。
誰もいないよりは、マシかな。

ファッションとQOL

2004-12-01 | 乳がん
退院後 最初に買った、ピンクのスカーフ。肌寒くなってくると出番がやってくる。春先にも 一番使いたいスカーフはこれ。今年も もう くしゃくしゃになっている。




ファッションについて、なんて、私に一番似合わない話。
しかも、 QOL (クオリティー・オブ・ライフ、生活の質)なんて、
真面目そうで、やっぱり らしくない話。
それでも見た目が気になる病気だし(たとえ温存でも)、
ホルモン療法で更年期症状が出て、
汗かいてフーフーゆってる訳だし、
着るものについては、ひとしきり悩んだ。



結局、着るのは、毎日じゃぶじゃぶ洗える、
木綿の T シャツや タンクトップ。
毎日 何回も取り替えた。
汗でびっしょりになるから。
夏も、冬も。

そうして、外出する時は、
そうそう着替えはできないので、
木綿のシャツの下に、シルクの下着。
汗を吸ってもらうため。
T シャツに 汗を吸わせないため。
夏も、冬も。

T シャツが汗を吸うと、汗じみができる。
私の汗じみは 人に見られるのが恥ずかしい。
胸に線を引いたように---実際、マーカーで線を引かれたのだけれど、
汗をかいたところと かいてない所が、
胸に線を引いたように くっきりと 分かれているのだ。
放射線を当てた範囲は、汗をかかない。(ウブゲもない。)
汗は 表に出ないように、
しっかり下着に吸い取ってもらわなくては。
そして、風邪を引かないうちに、乾いてもらわなくては。

汗対策として、シルクの下着を買い足した。
お値段が・・・なんて、言ってられなかった。
シルクは汗を良く吸うのと同時に 放湿性も高く、
乾くのが早い。
木綿の肌触りは好きだし、吸湿性はいいのだが、
なかなか乾かないのだ。
ひとしきり汗をかき終わった後、スーッと寒くなってくる私は、
後で冷えてしまう。
冷えると 関節痛やら 風邪引きやらが待っているので、
もう、値段を考えずに買った。
(高かったのかしら?)

化学繊維で高機能な下着も売り出されているけれど、
私は肌触りの良いシルクにした。
平安貴族が あまりお風呂に入らなかったのに、
皮膚病が少なかったのは、
シルクを身につけていたから、という。
シルクには 肌を保護する働きがある。
ポリウレタンが5%程も混ざっていれば、
ビヨ~ンとよく伸びて、着脱もラクラク。

これからも下着はこれでいくつもり。
肌はあまり(肌も?)丈夫なほうではないし。
そういえば 放射線治療が始まる前に、
放射線科の医師に
「肌があまり強いほうではないので、心配です。」
と不安を訴えたら、医師が
「皆さんそうおっしゃいます。」
というので、笑ってしまったことがある。

肌が強い人でも、ピリピリしたりは するのだろう、
みなさん ガーゼのハンカチを 胸に当てたりしていた。
私は放射線終了の前後には、襟の所にあるタグを 取り除いたり、
タンクトップの肩にある ストラップ止めを 切って捨てたり、
脇の縫い目が 腕にチクチクする T シャツを 何枚か捨てたり、
ひとしきり 衣類の点検はした。
精神的にも過敏になっていたろうか。



さて、T シャツや タンクトップを着ていると、
バストラインが気になる。
パッドを入れて
「大丈夫だよね。わかんないよね。
 左右の大きさが違うのなんて、
 言われなきゃ 気がつかないよね。」
と家族に言いながら見てもらって、
人前に出る時には 上に必ずワイシャツを はおった。
家族は
「ぜ~~んぜん、わかんないよ。」
と大げさに言うので、かえって信用できなかった。

玄関の外に出る時には 長袖のシャツをはおった。
虫対策でもある。
2003年、術後初めての夏には、
術側の腕を 3回蚊に刺された。
いずれも ちょっと出た時にさされたもので、
「ちょっとの間だから」と、
警戒心がゆるんだ時に刺されている。
いつものように、刺されたら1ヶ月も赤く、痒くなっているような
虫刺されでなかったのは、幸運だった。

要するに、虫に刺されても、炎症をおこさなければ良いのだろう。
重いものを持った時も、ずっともち続けたり、
術側の腕の血行が悪くなるような持ち方をしなければ、
それほどリンパ浮腫は 気にしなくてもいいのではないだろうか。

それにしても ひょいと半そでのままで外に出た途端、
蚊に刺されたので、それからは 長袖シャツを、
暑かったり 面倒に思ったりした時は 術側だけ、
さっと腕を通してから 靴を履くようにした。
(蚊は、それでも こちらに着たばかりの頃よりは、
 ずっと減ったのだけれど。)

この、T シャツに 長袖のワイシャツやブラウスをはおるという方法は
私には快適で、スリーシーズンOK なファッションなのだ。
少し寒くなってくると、T シャツは長袖に、
ワイシャツは コーデュロイやフランネルにすればいい。
(やっぱり、ファッションについて語る資格はないかもしれない。)

術側の腕を守るうえでも、
汗をかいた後に風邪を引かないためにも、
この長袖シャツは、必須アイテム。
守るのは、何も虫からだけじゃない。
電車の中で、隣に立つ人、座る人が身につけた
衣類などが術側の腕に触った時に、
ちくちくしたり、
化学繊維が触れた時の不快感があったりするのだから。

その上、とかくクーラーが利きすぎる電車の中で
(ラッシュ時には乗らないものだから、余計に)、
術側の腕は やたらと冷える。
私はよく 術側の腕だけ長袖シャツをつけて
電車に座って本を読んでいたり、
つり革につかまって立っていたりする。
健側の腕は、寒くなかったり暑かったりするので。
自力調節は、難しい。
(やっぱり、ファッションというキーワードで
 物を言うべきじゃなかった。)



この年は、七分袖の衣類が なぜだか大流行だった。
いいな、と思って手にとって見ると、
長袖ではないのだ。
暑い時は 腕まくりすればいい、
でも寒いときは、七分袖だと、手首が冷える。
冷えると、痛み出す。
夏のクーラーは、ことに冷えて辛い。
これがなかったら、
もう少し若々しいファッションでいられたかもしれないんだけど。