ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

M女史のその後(1)

2008-08-30 | いろんな人
M女史は
周囲への気配りが万全の人だった。

いつからか E女史と私が通っている整体院に顔を出すようになり、
退職後 しばらくして 
田舎からエッチラオッチラ通うようになった私とも
たまに整体院で顔を合わせる事があった。

あの頃の 若め?の 独身女性たちも 
いつの頃からか 管理職に回るような年代に入り、
ベテランの彼女も そういう年齢だったはずだし、
実際、そういう地位に立っていたと思う。







雨が続くと 土手にはキノコが生える。






M女史が 平日に治療院に現れた時、
やたら大げさなマスクが気になった時がある。

寒くて 風邪が流行っている時期だった。

彼女は 声を潜めて、
「今、抗がん剤治療をしてるから、
 感染症にかかりたくないのよ。」
と言った。

女史は 現在 休職中だ、ということだった。



私は 自身が乳がんであることを話したが
M女史の癌が どこの癌であるかは聞かなかった。

子宮とか、卵巣とか、そっちの方だったらしい。

そして 両方を摘出したらしかった。







でもこのキノコは あっという間に融けたようになくなってしまう。






あんなに健康に気をつけて
人間ドック受診にも積極的だった。

というか、中小企業である私たちの職場に
社員の検診をきちんとさせるように働きかけていたのは、
彼女だった。

職場の 他の部署の人たちが 検診を受けている間、
私の部署は忙しくて 例年 検診が受けられなかったからだ。

さあ! 私たちも、検診を受けてきましょう!
と 外に出ると 
そこにはもう レントゲン車の姿もなかった、
ということさえ あったのだった。







大きめだけど、やっぱり、すぐに融けてなくなってしまう。






そんな彼女でも
やはり 癌になる。

けれど、
検診を彼女がサボるはずがない。

きっと 初期で見つかり、
今後 深刻な事態には ならないだろう、と
私は楽観していた。


       
                      つづく