ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

むずせな

2012-04-17 | マンガ
『いつか、菜の花畑で――東日本大震災をわすれない』
(著者:みすこそ、扶桑社、2011.9.11、952円)


                





台所で晩御飯を作りながら(苦笑) 読んでいた。

ふと 「むずせな」という言葉を思い出した。



息子がリビングで 私のパソ子をいじっている。

「ちょっと検索してくれない?」

息子の方から 何か 音声が聞こえた。 

たぶん返事をしたのだろう(苦笑)。

あのね、ひらがなで、四文字。

「む・ず・せ・な」。



何もひっかからないかも? と思ったが 何かヒットしたらしい。

パソ子をのぞきに行く。

方言だ。





母から聞いた方言ではない。

母方の祖母の口から よく聞いた言葉だ。

「むずせな。」



それは、可哀想、という意味の言葉だ。

だが 「可哀想」という意味だ、と言うと、それは間違いだ。



ある人は、
それは「慈悲」という意味ではないか
とか
観音菩薩の「慈愛」ではないか
とか 書いている。
(→思いのままに



普段 テレビで耳にする「かわいそう」という、
薄っぺらな、
どこか 上から目線での感情ではなく、

自分自身の心の奥のどこかが
ムズムズするような(?)
かきむしりたくなるような(?)
苦しみを内包した 悲哀の感情。

そんな印象の言葉だった。






あ、この記事、カテゴリーは「マンガ」だった(笑)。

私が 何十年かぶりに 
「むずせ」(?)「むずせい」(?)という言葉を思い出したマンガだった。

小学生の落書きのような絵で(失礼!)
淡々と 事実を羅列しているようなマンガだが
読んでいて ウルっときてしまう。

ドラマチックに脚色してくれたら
思い切り号泣できるかもしれないのに。

でも できないんだよねー。

「ああ! かわいそう!」
じゃなくて、
「むずせぃなぁ」
と感じる内容だからなのかなあ。

エピローグの「再生」に出てくる女の子の
卒業式の「答辞」は
心に沁みてくる。






どうか 皆さん 東日本大震災を 忘れないで。

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