ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

あともう5年?!

2007-09-27 | 乳がん
先週は 薬を受け取るための処方箋を受け取りに
クリニックに行った。

ただそれだけ、時間もかからないはずだった。







もうすぐピンクリボン月間。 乳がん検診を受けよう。
ピンク色のペンタスが 初雪かづらのそばに。
ペンタスがこぼれ種で花を咲かせるとは思っていなかった。






私は12月で 術後丸5年を迎える。

毎日毎日飲んできたタモキシフェンのお薬、
ノルバデックス→変更:ジェネリック医薬品のタスオミン。

これがもうすぐ不必要になる。

これがどんなことか おわかりいただけるだろうか。

毎日、毎日、5年間。

ちっとやそっとの開放感ではない!(笑)



平日より早く忙しくなる休日に
平日より遅く起き出している私は
朝ごはんを食べながら仕事が始まる(苦笑)。

食べては動き、戻っては座り、
座って食べては また 途中で ちょこっと仕事(泣)。

そんなこんなをしていると 
薬を飲むのを忘れてしまう。



遅く起きたから、「いいや」と思って
いい加減な朝食をとる。

すると、やはり 薬を飲むのを忘れる。



女性ホルモンを抑える薬なので
女性の乳がん患者のほとんどが飲用しているはずの
(まれには男性も乳がんになるという)
(男性の乳がん患者も飲んでるかも?)、
タモキシフェンという成分。

それを 私は 3か月分も節約してきた。

いいのだろうか?! ・・・・・・いいわけないよね。。。



忘れずに飲むのもストレスだけど
飲み忘れるのは もっとストレス。

そんなお薬とも もう オサラバ。

この飲み薬から開放されたら
なにか別のことを始めたい(笑)。

それくらい、待ち遠しい、丸5年の日。





主治医と あんなに長く話したのは
実に実に久しぶりだった。

もしかしたら 初めてかもしれない。

主治医の口から「エビデンス」なんて言葉を聞いたのも、
その日が始めてだと思う。

「エビデンスが出ちゃったからさ~。」





「あなたは40代だから・・・。」

と話し出した主治医に
「いえ、50歳になりました。」
と言うと

「・・・・・・生理はどう?」

「全然、その気配がありません。」

あの痛~い注射を 3年も続けた甲斐があったね!



それで 

それまで「閉経前」扱いだった私が
突然「閉経後」扱いになったらしい。。



ノルバデックス(タスオミン)を5年間飲んだ後に
別のお薬を飲むと 成績がいい、という話だった。

アリミデックス、またはアロマシン、またはフェマーラ。

(アロマターゼ阻害剤というクスリらしい。)

このうちのどれかを 服薬する。

説明に要する資料はまとめてあり、
他にも同じ説明をする患者が大勢いることをうかがわせる。

タモキシフェンの副作用はなくなる、という説明だったが

資料には これらの新たに服用する薬による副作用として
同じようなものが並んでいる。

タモキシフェンよりも 副作用が発現する人は少ない、ということか。



タモキシフェンのお薬を5年間飲み続けるよりも
最後の1~2年を 別の薬に変えたほうが 治療成績がよい、
というのをネットで目にして 主治医に確かめたことがあった。

「残念でした~。

 それは、閉経後の人。

 あなたは 閉経前だから、違うの。」



5年間 タモキシフェンを飲み続けるのだ、と知って

それ以後は 乳がんの治療について ネットで確かめたり
新しい治療法を学んだり、ということは しなくなった。

いい加減 飽きてきた、ということもある(苦笑)。

ソフトを取り替える前のメモ帳には
色々と書き込んであったのだが

幸か不幸か、ソフト、取り替えちゃったし(涙)。

最近ずっと 乳がんのオベンキョウをサボっていたので
意外で 突然で、唖然! の私だった。



「それで、そのお薬で どのくらい違うんですか?」

主治医は 資料を指差して言う。

17%だと。

それが この薬を飲むのと飲まないのとの差だ。

17% (ビミョ~な数字!)。



「それで、そのお薬は どのくらい飲み続けるんですか?」

「5年。」

「5年?」

絶句。

もうすぐ無治療になる、と 楽しみにしていたのに
もう あと 5年だなんて。。。



結論は 術後5年の定期検査の日。

「考えておいて。」



主治医の言葉の端はしからは

そんな服薬を続けなくても
これまでも再発は少なかったから、
飲まなくてもいい、

と読み取れた。

「エビデンスが出ちゃったからさ~。」

とは、そういうことだ。



温存手術+放射線療法、それにホルモン療法を加える。

これで 主治医は 
再発を抑えて立派な成績を残してきた実績と自信がある。

そういうベテランの言うことばには
信頼感が持てる。

問題は 私のリンパ節に 転移があった、ということだ。

でも だからこそ ゾラデックスの注射を2年から3年に延ばして
毎月打ってもらっていたのだ。

いや~~~~。。。。

5年。

長いよ。

でも 再発はイヤだし。

ともかく、結論は 12月だ。





それから私は ひとつ気になっていたことをたずねた。

どうやら 私のがん細胞は 
がんセンターにとっておいてあるらしいのだが

私のがん細胞に 
ハーセプチンという薬が効くかどうかのテストを受けていない。

再発した時に、
効くかどうか、をテストする際には
まだ とっておいてあるのかしら?

「20年以上経ってから再発した人がいる
 っていう話も聞いたことあるし。。。」

「私はこれまで17年後に再発した人を診たことがあるけど、
 20年以上なんて、そんなの、滅多に無いんだから。」

「じゃあ、あと12年経てば 安心できますね?」

「100人にひとりかそれくらいの事で、心配しないの!

 それに 10年以上たって再発するようなおとなしい癌は
 ハーセプチンをテストしても、結果はマイナスだよ。」

あ、なるほど。。。



「そんなに、心配しないで!」

と 主治医は私の肩に力強く手を置いて 
駄々っ子にするように 軽く揺すった。

「いや~~、先生、わたし、98歳まで生きるからサ、
 まだまだ先が長いんで、心配なんですよ。」

心配いらない、という
(どこかに根拠のあるのか?)
主治医のことばを聞きながら

私は
ああ、とうとう、寿命を98まで延ばしちゃったよ。
まあ、いいか。
などと考えていた。

90歳まで生きる。

45歳で癌とわかった時に そう決心したのだったが

それが 90歳で 元気にカラオケを楽しもう!に変わった。

ここで突然 98歳まで生きることにしたので、

・・・みなさん、どうぞよろしく(笑)。







がんセンターの巨大な倉庫?冷蔵庫?冷凍庫?には 
多分 ほかのたくさんの人のいろんな癌と一緒に
私の癌も 眠っているのだろう。



牛乳神話(3)

2007-09-26 | 食生活
昨日の記事の対談で 新谷医師は

「牛乳もよくないというお考えですね。」との問いに

「市販の牛乳は エンザイムはほとんどふくまれていません。

 それに、消化も非常に悪い。

 最近では 牛乳が
 アトピー性皮膚炎などのアレルギー疾患の
 原因になることも わかってきました。

 よほど好きな人は別として、
 基本的には牛乳は飲まないほうがいいですね。」

と答えている。(p20~21)






枝垂れヤマボウシの実が色づいた。






師匠が 講演の中で話した事だが、

ある酪農家が

「私がどんなに頑張っても 1リットル400円はしてしまう牛乳が
 どうしてスーパーに行くと 200円前後で売っているのか。

 理解できない。」

と洩らしたとか。



私なんて、200円どころか、150~160円台で買っている。

安けりゃいい、という考えだ。

なんせ、一週間に7~8本は カラにしていたのだから。



新谷医師は
どうしても飲みたいなら低温殺菌牛乳を、と言うが
私がいつも行くスーパーでは
定温殺菌牛乳でさえ200円ちょっと。

1リットル400円というのは
牧場で売ってる 大きな1リットルビン入りのものくらいだろう。

(伊香保グリーン牧場には 子どもが小さい頃に何度か行った。
 ああいう所は、アイスクリームがおいしいんだよね♪)

安心して飲める牛乳というのは ほとんどないのかもしれない。






私は「よほどの牛乳好き」なので(汗)
今でも時々飲む。

それでも 
「健康にいい!」と信じていた頃に比べると
10分の1くらいだろうか(汗)。

一時期 毎日食べていたヨーグルトは 20分の1かな(汗)。



そうすると 不思議なことに
たまに牛乳を飲んだり ヨーグルトを食べたりすると 
ガスが溜まったり お腹が張ったり
下痢っぽくなったりするようになった。

これには驚いた!

私にもとうとう(ようやく) 乳離れの時期が来たらしい(笑)。


見える加齢・見えない加齢

2007-09-25 | 考えたこと
私が「加齢」に反応(苦笑)するようになったのは
きのう書いた脂漏性湿疹の時の医師の
「カレイによるものです」発言の後。

それからこの対談を読んでから。

鎌田實&新谷弘実、「元気に百歳以上生きる秘訣」
(『月刊PHP ほんとうの時代』 2005年9月号 p18)。



新谷「いま七十歳ですが、同級生と会うと、
   男性も女性も、ぼくと同い年にはとても見えない。

   白髪はもちろん、シミ、シワ、薄毛と、
   まるで玉手箱を開けたみたい。
   
   脳の回転も落ちているし、
   しっかりしてくれ、と言いたくなります(笑)。









「もののけ姫」の コダマ。これは・・・。






これは 新谷医師が エンザイムを豊富に摂取し、
エンザイムを浪費しない生活をしているからなのだろうか?

少なくとも 氏は そう考えているみたいだし
確かに すごく若々しい。

白髪もほとんどないみたい。



ただ 私は
頭髪に関してだけは ちょっと違うかもしれないと思っている。

髪だけは真っ白だけど
他はとても若々しい、という人を 何人か知っているから。

テレビに出てくる人にも何人かいるし、
花卉栽培農家の義さんもそうだ。

佐伯チズさんなんか 以前 「徹子の部屋」に出てたけど、
プリップリのお肌!



ああいう人たちは
老化が髪に集中してしまってて、
その他には あまり出てないように思える。

私の母は (そして 姉も私も)
白髪が少ない分、他に現れているような気がする(涙)。

髪が薄くなる人も 同様ではないだろうか。






そう、「たたり除け」風鈴(笑)。





それはともかく、
白髪やシミ・シワなどの 目に見える老化の他に

内臓などの 目に見えない部分の老化というものがある。

特に重要なのが 血管の老化で、
これは そこいらじゅうの病気につながってくるだろう。

内臓も よくはわからないが
確実に歳をとっていくわけで、
それに伴って 機能が落ちていくのは 致し方ない。

脳の老化は・・・考えたくない(苦笑)。







もう少し わかりやすいのが、
口内炎や 肌荒れなどではないかと思う。

人の体の中では 毎日 
数え切れないほどのがん細胞が生まれているはず。

それを 免疫力でやっつけていたり
がん細胞が自分で勝手に死んでいくことで
がんにならずに(済む人は)済んでいるわけだ。

けれど
たとえば 口内炎や 湿疹などができる時には
自然治癒力というか 免疫力が落ちている時なので

きっと 体の中でも
なにかしら 良くない変化が起きているはずだと思う。



老化や 疲労が 見える場所、わかる場所に出たときには
体中の細胞が疲労しているのだ、と思って
いたわってあげなくてはならない。

そういうところを
「疲れているけど、病気ではないから。」などと
見逃してしまうところに、
現代人の鈍感さが現れている。

本当は
もっと もっと 
自身の身体に耳を傾けて 
体が発する声を聞いてあげなくてはいけないのだ。






これは、亭主の実家の玄関に貼ってあった、「角大師」と「大般若のお札」。





これまでに
無理を重ねたり 心労が重なったりした時に
人が一気に年をとるのを 
何度か 目の当たりにしている。

母の白髪がそうだった。

父が倒れてから 急に増えた。

(シミ・シワ・タルミは それまでもすごかった。)



義父は ある仕事で 休日返上で無理を重ねた時に
頭がプルプル震えるようになったという。

「お爺ちゃんは、あれで 寿命を縮めた。」
と 悔しそうに語っていた義母のことばを忘れられない。



亭主も 一大プロジェクトで 
心身ともに連日過労状態にあった時に
目に見えて 白髪が増えた。

そして 最近では 娘が
「帰るたびに パパが 年を取っていく・・・。」
などと言っている。



私は 乳がんで入院する前から
ずっと口内炎で悩んでいた。

入院後、手術前に 
医師に 口内炎の薬をお願いして服薬したりしている。

その後も 度々できる口内炎に悩んできた。

越中富山の薬売りさんから
「米ぬかを食べて」とアドバイスを受けてからは
薬を飲まずに
米ぬか(ただし、酸化しやすいので 新鮮なもの)を舐めるようにした。



それから ふと考えると 
何も米ぬかを舐めなくても
玄米ご飯を食べれば済むはず、と思った。

気をつけてみると
口内炎ができた、という時は
やはり 「最近、玄米を食べてないわ」ということがほとんど。

きっと 肌の上、口の中だけじゃなく、
身体の中でも
よくない変化があるに違いない、と思うようになった。



とりあえず 私の場合は 
玄米を24時間水に浸して
1カップ分 余計に水加減して
(ex.玄米2カップに 水は3カップの目盛りまで) 
炊飯器で炊いたご飯を 一日1回食べる、

これで 口内炎を忘れて過ごしていけるようだ。

これで お肌の若返りにも効果があるなら、嬉しい!(笑)


天人の五衰

2007-09-24 | なんとなく仏教?
「天人の五衰」っていうのは、
「天界」に住む人の寿命が尽きて死ぬ時に
(って言っても、人間の寿命とは違って 
 桁外れに なが~いんだけどね)

5つの徴候が見られる、という話。









① 衣服が垢で汚れる

② 頭の上の華鬘が萎える

③ 体が汚れて異臭がする

④ 腋の下に 汗が流れる

⑤ 自分の座席を楽しまない

つまり、浮浪者みたいになるというか 
ただの老人になっていく?

(広辞苑の「五衰」の項に書いてあるのって、
 言葉が難しすぎ!)









倶舎論によると 上の「大の五衰」の他に「小の五衰」もあって、
こちらは

① 楽しい声が起こらない

② 体の輝きが 急になくなってしまう
  (つまり 天人って 光ってるの?)
  
③ 沐浴した時に 水が身体に付着してしまう
  (つまり それまでは 水に入っても濡れなかった?)

④ 周りの光景に執着してしまう

⑤ 目をさかんに パチパチする

だそうで、なんかこれは 
昔を懐かしむ 老人性うつになりかけた老人みたい?

(参考:『佛教語大辞典 縮刷版』中村元著、東京書籍、1981、5、20)









天人じゃない身には
もっと早く顕著に老いの衰えが出てくる。

母の遺伝子のお陰で 私は白髪が遅かったが
50歳になって
眉毛にも(驚) 鼻毛にも(愕) 
ちらりと白髪が見えるようになった。

シモの毛に白髪があるんだから(恥)、 
カミの毛にもきっとあるだろうと思う(涙)。










天人もきっと 年をとると
記憶力や 集中力がなくなってくるんじゃないだろうか?

娘にデジカメを取られてしまった私のために
亭主が新しいのを買ってくれたけど







まだ使えこなせないで居る(汗)。

きょうは以前に写した画像を集めてみた。

いつ撮ったものやら?(汗)

華麗なる加齢

2007-09-23 | 健康オタク
アラン・ドロンは70歳を過ぎているらしい。

ミレーユ・ダルクは68か69歳だ、と
鹿島茂という人が書いている。

(『往年のスーパースター』、 読売家庭版yomy 2007年8月号、p17)

このふたりが
フランス・パリは シャンゼリゼ通りのマリニー劇場とかいう場所で
あの『マディソン郡の橋』をやっているのを見に行ったのだそうだ。

観客は年配の人ばかり(爆)。







過日 カレーを作った時に炊いた、サフランライス。
炊飯器のスイッチを入れる時に 
そうだ、サフランの花が咲いた時に採っておいたオシベがあった!と思い出し、
炊飯器にドサッと入れて炊いたもの。色がかなりマダラ(笑)。
15分ほど浸して炊けば もっとキレイに炊けたはず?サフランがもったいない!






ミレーユ・ダルクは なんと
30年前と ほとんど変わっていないと
鹿島氏は言うのだ。

アラン・ドロンも 髪こそ白髪になってはいるものの
肌のつや、胸の筋肉など
スーパースターがそのまま年を重ねた感じで、

中年男のキンケイド役を務めたし

ミレーユ・ダルクは ダンスを踊りながら
来ていたドレスを脱ぎ捨てて
見事な姿態(肢体?)をさらした。

場内からは「ウォーッ」と叫び声!



リレー・フォー・ライフin東京にも行けなけりゃ
フランス・パリにはもっと行けない。

私は田舎で家に閉じこもって
パソ子と戯れている。

きっと 私だって
パリにでも行くようになれば
ミレーユ・ダルク並みのビボウとプロポーションを維持できるかもよ!

(舞台やカメラの前に立たないから やっぱり無理だと本当は思う。。。)






オーブンがない我が家でも作れる、ナン。
これは 市販のナンミックスを買ってきて作った。
もっちりとして お腹がいっぱいに!






私が初めて「加齢」と言われたのは 
この家に引っ越してまもなくだから
11年前の、多分、今頃。

引越し業者を頼まずに引越しをして
その後片付けやら 掃除やらを
睡眠を削ってやっていたら

首、耳、頭、それから顔までが
赤く痒くなって 皮膚科に行った時だった。



髪はどんどん抜けて お岩さんになるかと思った。

いつも私の周りには 抜け毛と 物凄いフケがつきまとっていた。

気が狂いそうに痒くて 頭を掻きむしっていた。



皮膚科で
「カレイによるものです。」
と言われ、
「は? カレー?」
と思った。

(声に出して言わなくてよかった。
 「加齢」だったなんて。。。)



加齢によって 脂肪の代謝が悪くなり、湿疹になったのだという。

「脂漏性湿疹」と言われたその物凄い痒みは 
副腎皮質ホルモン入り軟膏で 劇的に抑えられるが
回復には時間がかかった。

少し良くなったかと思って 夜中まで仕事をすると
また すごい痒みが襲ってきた。



「寝る子は育つ」と言うけれど
美容にも 睡眠と成長ホルモンが関与する。

アンチ・エイジングのためには 睡眠は惜しんではならない。





「加齢」という言葉はカナシイ。

せめて 華麗に齢を重ねたい。

(そんなの、無理だ! とも思っている。。。)

リレー・フォー・ライフ

2007-09-19 | 乳がん
先日 教育テレビで 
「リレー・フォー・ライフ in芦屋」が
生放送で紹介されているのを見た。













佐藤均さんのお顔も拝見できたし
(VTRのみになっちゃったけどね)、

杉浦貴之さんの歌声も聞くことができた。



なんとなんと、ぐうたらシーズの鳴海さんや
mican’s websiteのmicanさんも歩いていたそうだ。



それから、なんとなんと、
東京でも リレー・フォー・ライフがある!

リレー・フォー・ライフ・ジャパン 2007 東京→こちら

「がんで亡くなられた人々を偲び、
 がんと闘う人々を支援し、
 がんを克服された人々の勇気を諾える。
 そして、がんを恐れない社会を目指す・・・
 がん啓発サポートキャンペーン 」

だそうで、

9月29~30日、船の科学館でやるらしい。

イベントも盛りだくさんのようで、
遊びに行きたいジョルジュである。



・・・・・・平日だったらよかったのに(涙)。



残念ながら?癌じゃない人も 行けば楽しめそう→イベント情報

ボランティアも募集中!

私は 北関東から 
いいお天気に恵まれますように、と祈るのみ。

残暑には黒酢を!

2007-09-17 | 食生活
暑さ寒さも 悲願まで。

いや、彼岸まで。

私の記憶では 彼岸明けまで暑かったことがあった。

今年はどうだろう。

特別級に暑かったこの夏。

残暑も特別級かもしれない。

まだまだ暑い日が続いている。

早く涼しくなりますように。(悲願?)






こういうのを「パクリ写真」というのか。






今年のお中元でいただいた物の中で 一番のヒットは

これ。

「飲む酢」(セゾンファクトリー)。

義弟夫婦からの中元だった。

これを薄めてクピっと飲む。

氷を入れて 冷たくして。

酸っぱくて甘くて美味しい。

そして、す~~~っと、体中から暑気が消えていく気がする。

ハマッタ。

会った時に「美味しいね」と言ったら

「ウチ、今、ハマってるんです。」だって。



健康にもいい気がする。

ダイエットにも良いという話だし。

夏バテしてらっしゃる方がいらしたら、
是非どうぞ。

ジョルジュのオススメ。



ファミレス

2007-09-15 | 食生活
イバラキから当地に引っ越す時は
亭主の運転する車の後をついて
義父母と一緒に 義父の車でやってきた。

産後 長く実家に居てはいけないという風習に従い、
亭主の実家に身を寄せていたのだ。

というか、亭主の実家が 
初孫を できれば独占したかったのだ。

実家の父は すでに脳梗塞で バリバリ元気じゃなくなっていたので
車で送ってもらうのは 不可能だったし。

そして
いよいよもうすぐ新天地、という時に
少し手前で○イヤルホストに入ったことを忘れられない。







「ねえ、私、もう、二度も ブライダル・ベールを枯らしているのよ。
 これって、象徴的というか 何かを暗示していると思わない?」
だから、先輩、私は 今年初めて ブライダル・ベールを植えました。






当地に着いて見たらば 貧相な農村で
(特に我が家の周囲には 崩れそうな家が多かった)
(というか 今でも残っている)
(よく建ってるなあ!!!)、

亭主が
「お化け屋敷みたいな部屋だけど
 俺がなんとかするから 心配するな!」
と言っていた 本当にお化けが出そうな部屋での寝起きとなった。

「俺がなんとか」ではなくて、
私が手伝って なんとかしていった。



その頃は 
「飯なんか作んなくていいから!

 缶詰め、あるだろ、缶詰め!」

とのことで、本当に毎日 ろくなものも食べずに
<住まい>を整えていった。

娘はまだ 産まれたてで 
オッパイ以外必要としなかったからできたこと。



早々に赤字で給料がなく、
私はペーパードライバーで車の運転ができない。

ムラにも店はあったが
用は足りない。

本当に 毎日 よく生きてたなあ、と思う。







先輩は まだ 独身のままですか?






そのうち なんとか 運転を思い出し、
娘のためのチャイルドシートを購入。

ヨーカドーに出かけることも可能になった。

そして あこがれのファミリー・レストランでの食事(爆)。

場所はもちろん、○イヤルホスト。



ただし 出かけるのは 亭主が行くぞ、と言った時。

行きたくても行けないことが多かった。

(職住一致というのは 都合が悪いことも多い。)



そんな私の理想の食事は
毎日 ファミレスみたいな食べ物を食べることだった。

亭主が大好きな ハンバーグにカレーにスパゲティ。

それに 私の好きな グラタンにドリア。

そんなのを毎日食べるには 材料を買わなくてはならなかったが
その買い物が 不便!!!



なんとか 子どもの手が離れて
毎日ファミレスのような料理を食べられるようになった所で(笑)、
癌。

あの頃 もう少し 和食を食べるようにしていたら
癌にならなかったろうか?
といつも思っている。

でも 癌ができたのは もっと前だということも知っている。







職場を去ってから 私は ふたりの子をなし、
ブライダル・ベールも 増えたんですよ。

理想の食生活

2007-09-13 | 食生活
師匠が 講演会の時に ちらと言った言葉を 思い出せない。

その後 私の頭の中で
「こんなふうに言ったに違いない」
と勝手に作ってしまったのだが

本当は どんなふうに 師匠は考えているのだろう?







この夏 初めて食べたお菓子。
華麗なる一族御用達? カレー満月ならぬ、華麗満月






師匠は
「昭和30年ごろの日本」と言ったのだろうか。

それとも
「昭和30年代の 日本」と言っただろうか。

私は 勝手に 昭和40年ごろの 日本、と思い込んでいるが

大きくは違わないと信じている(苦笑)。

「理想の食生活」の話だ。



でも もしかしたら
「昭和30年代」だったのではないか?とも思っている。

でも それなら
昭和30年代の はじめの方? それとも 終わりの方?

それによって だいぶ差がある。

それから
都会の? それとも 地方の?
それによっても かなり差がある。

ともかく 
その頃の日本の食生活が 一番の理想の食生活だ、ということ。

つまり 貧しくもなく 豊か過ぎでもなく、ということだろう。



私は 昭和30年代の生まれ、農村の出身なので 
あの頃の イバラキの田舎で
裕福な農家と 
そうでない農家(「水呑み」という雰囲気がまだ残っていた)とでは
また だいぶ違いがあると 思っている。

都会の食生活は 私は知らない。

知らないだけでなく、想像できない。

あの頃は 私もまだ幼く、
テレビもなく、
(当然、「突撃!となりの晩ご飯」もなく、)

よその地方で 他人がどういう生活をしているか、が
想像できない時代だった。



テレビが見られるようになってからも
『サザエさん』というマンガは 
都会の人の生活を活写したものだったし

テレビで始まった「チャコちゃん」シリーズは
都会の、
しかも 実際には見たこともないような お金持ちの?
世界のお話だった。

(だいたい、あんな優しいお父さんやお母さんは
 見回してみても どこにもいなかった。)






私は 動物性の食べ物も 食べるべきだと思っている。

古来、日本人は 稲作をしてきたとは言え、
狩猟も行ってきたはずで、

稀には サクラ(馬)、ボタン(イノシシ)なども
食卓に載せる民族だったはず。

ニワトリも たまにはつぶして食べたろうし

ウサギは 「これは四足の動物ではない」という言い訳に
「一羽、二羽、・・・」と数えてまで

動物性たんぱく質として 摂取してきた歴史がある。

もちろん
近年のようには 多くはなかったはずだが。



師匠が言った、

「日本中、
 これだけあちこち、
 ほじくると貝塚が出てくる国で

 動物性のものを食べない、というのは
 おかしな話じゃないか?」

という言葉に 素直にうなずく私。

お魚だって 日本人なら食べるべきでしょう?



だいたいが、
たんぱく質は 摂り過ぎの傾向があるのだ、現代人は。

良質のたんぱく質の摂取のためには
植物性たんぱく質、
つまりは 豆と 豆の加工品を
もっと、
というか 昔と同じくらい 摂るべきではないだろうか。





ともかく、
貧しい戦後を脱して、

たまには奮発してすき焼きも食べる、という
貧しいながらも ゆとりを見せ始めた時代の、

お米が主食、
パンは たまに食べるお菓子、という程度の、

お味噌汁と お漬物は 欠かせない、梅干は 毎朝一個、

という食生活が
日本人の理想なのではないか、と
私は思っている。

そして その頃の食卓を かすかながら 覚えている。

娘や息子には 伝承できていないが。







つまりは、カレー味の歌舞伎揚げ。
ゲ! と思ったけど 食べたら美味しくて すぐになくなった。






人間の食事に関しては
歯で戒める?言い方がある。

人間の歯は 32本(親不知を含む)。

そのうち、
肉食に適した犬歯は4本。



一方、
植物を噛み切るのに適した門歯が8本、

噛み切った植物をすり潰すのに適した臼歯が20本。



この 1:2:5 というバランスを
そのまま 動物食(1) 対 植物食(2:5)
 のバランスに当てはめるのが

人間にとって 最も自然で健康的、という考え方だ。

これって 案外 当たってるような気がするんだけど。



新谷弘実医師は

動物食を10~15%、

野菜・果物を 35~40%、

穀物を50%、

(もちろん、穀物は 未精製)

としている。

(『病気にならない生き方』p126)



我が家は 
恥ずかしいほどに、動物食を摂っている(冷や汗)。



フライパン運動

2007-09-11 | 食生活
日本人は ご飯を食べるから 腸が長くて 胴が長い。

だから、カッコ悪い。

これは、私が子どもの頃 よく聞いた(しゃべってた)言葉だ。

太りたくないから、ご飯を食べずにパンを食べる、
そういう誤った考え方は 
もう40年も昔に出来上がっていた(!!!!!!)。

学校給食には パンと牛乳、
それが<ジョーシキ>だった頃の話だ。



でも
「ご飯を食べると 頭が悪くなる」
という考えは 私は知らなかった。

義母が 孫の顔を見に来た時に
そんなことを言うのを聞いて
「嘘でしょー。」
と笑ったものだ。

「日本人の頭脳は 世界で通用するほど 優秀なのに。」と。







マツタケは こうやって食べるのが一番美味しい。
お醤油たらして、モシャモシャと。これは、エリンギ。残念!






けれど 嘘や冗談ではなく、
そう言われた時代があったのだと 後に知った。

師匠の「牛乳神話」とか「アメリカの小麦戦略」とかの話を
読むようになってからだ。

「ご飯を食べると 頭が悪くなる」

「パンを食べると アメリカ人みたく 頭がよくなる」

そう信じた時代があったのは
どうやら 本当のことらしい。



「一日一食フランパン運動」というのがあったそうだ。

健康のために 一日一度は フライパンを使った料理を食べよう、
というわけだ。

フライパンというのは
当時は(40年も前よ。)
真っ黒で大きくて重たいものだった。

鉄製フライパン。

これを使う、ということは、
まず フライパンを熱して そこに
<油>を引く、
つまり<油>を使う料理をする、ということに他ならない。

戦後 欧米化した食生活のせいで
日本人に 乳がんや大腸がん、
そのほか 生活習慣病などが増えた、というけれど

確かに 動物性のものの摂取が増えた事が
大きな原因、と思うけれど

私は この<油>が 実は 一番の悪者だったのではないか、
と密かに推理している。

その<油>の蔓延を招いたのが、
フライパンだった、と言えなくもない。



私の母は
そんな話をテレビだかラジオだかで聞いた時に
「オライは 一日 一回、必ず フライパンを使ってんなあ。」
と嬉しそうだった。

私もその時 一緒に聞いていて
嬉しかったのを覚えている。

ウチのおっかさんは、エライ!と。

「一回だけでねえど。

 日によっては、2回。

 晩飯にコロッケ作れば、日に3回は使ってっと。」



要するに、<油>漬けの 食事だ。

朝は 目玉焼き。

これは 体の弱い 下の娘が 大好きで
毎日食べても飽きなかったから(苦笑)。

昼は・・・なんだったろう?

キャベツとモヤシで 野菜炒め?

これも 下の娘が好きだった(笑)。

揚げ物は フライパンで揚げていたから
たまに おやつにドーナツでも作れば
(いや、滅多に作らなかったけど)、

一日中 フライパンはフル稼働していた。



母は 自分が子どもの頃とは まったく違う食生活を
子どもたちに植え付けた。

もちろん、良かれと思っての事だったし、
もっとビンボーだった頃には
<油>も買えなかったはずだから
漬物と味噌くらいしか なかったとは思うけれど。



そんなことが言われていた時代があったよ、というお話。






長い、長い、茄子。漬けるのに苦労した。





ちなみに、
新谷弘実医師によると、
アメリカ人も 食生活を改めると 腸が長くなってくるという。

その代わり
憩室(ポケット)がなくなり、
腸壁がきれいになってくるらしい。

かつての日本人の食生活は
理想的だったんだなあ、きっと。



亭主を過労死させない方法(2)

2007-09-10 | いろんな人
「ご主人は きょう いらっしゃいますか?」

「出かけております。」

「何時ごろ戻りますか?」

「真夜中になります。」

という会話を 受話器を手に 何十回と してきた。

そして ようやく時間ができたら 亭主は実家へ行く。







うまく写っていない。。 亭主の実家の柚子の木。
いつもあの屋根に上って 柚子を採る。






そんな生活を何日も繰り返していると
手作りの晩ご飯も食べられないし

お風呂に入っても(一番風呂じゃないけどね)
疲れがとれなくなる。



というわけで、私はいつも 亭主の心配をしている。

まだそれほど保険に入ってもいないのに、
突然死でもされたら、困る!

まだ子ども達だって ふたりとも一人前になってやしないのに!

私だって 退職して20年、
もう元の職場は システムも変わったし コネの先生は亡くなったし、
再就職先を探すにも・・・の年齢。

ここはやはり 死なずに頑張ってもらわねば!

では どうすりゃいいか?



答えは簡単。

疲労を取って 疲れにくい生活をする、これしかない。

実行は困難。

どうやって?







ママさん整体師登場!

整体の先生は
「あなたくらい長くこの治療を受けてる人なら 大丈夫よ。」
と以前から請合ってくれている。

とは言っても 所詮はシロート、
腰の治療だけは 慎重になるし 自信がない。

だから、よけいに、いいのだそうだ。

強くやって 治療で痛めてしまったら 
そっちの方が 治すのが大変だから。



ママさん指圧師登場!

『つぼブック』を見ることもあるが
たいていは 鍼灸の治療で自分の身体で覚えたツボですませる。



ママさんマッサージ師登場!

いい匂いのアロマオイルを使うのは、
もっぱら、私自身のため。

私が気に入った香りをつかう。

それでも先日亭主は
「この匂いだけでも 気持ちがいいなー。」
と言っていた。

アロマセラピーを兼ねているわけ。




それから、それから・・・。

たとえば 爪もみ療法。

血行が良くなる気がするし
副交感神経を刺激する、というし。

たとえば 指圧の時に
親指で押すのは 関節痛があって 強くは無理。

ゲンコツを作って
人差し指を曲げて 関節で押す、
親指を曲げて 関節で押す、
すると 強く押したい時には この方が力が入る。

たとえば
何年か前に 姉とふたりで出かけた温泉で
初めてやってもらった フット・マッサージ。

気持ちがよくてぐっすり、ストンと眠ってしまっていた。

あれは、たしか、この場所を、こんなふうにやっていたな。。。

つまり、これは?と私が思った いろいろな治療法をミックスした、
ジョルジュ流の 治療法というわけ。

これでも いろいろ勉強している?から
逆に悪くなる、ということはないはず。







ベッドに行く時には タオルを持って行く。

夏の間は 着替えまで持って行く。

治療?を始めると 汗が噴出すのだ。

私が疲れている時はできないが
夜は 眠くても頑張って ベッドの上で亭主の治療。

いくらかでも 早く眠りについてくれれば、と。



これは 
最近 ようやく
(多分 自分が仕事をする都合上でもあるだろうが)
極力 私を 治療院に行かせてくれるようになった亭主への、
私からの、ほんの、ご褒美。



「眠れない。」

毎日のように、口癖のように言っていた亭主、

私が 手や足を回したり揉んだりしていると
寝息をたてている。

いくらか私も役に立ってるのかな、と思うと うれしい。

止めると 

「ありがと。」とか

「気持ちいかったー。」とか言って

寝返りを打って 寝る。

または、時には むくっと起きてサイド・テーブルをゴソゴソやって
睡眠薬を飲むこともある。

この間は 
肌布団をかけてやっても いびきをかいたままだった。



でも とにかく
翌朝にまで持ち越す疲れは 減るようだ。

資格を取れば、開業できるかも。アタシ。

とりあえず、
私の、亭主に対する、心身の、メンテナンス。

亭主を死なせないための。

あと、他に、何か有効な方法、ある?



台風と雨と愛犬

2007-09-09 | なんでもないこと
台風が去って 外に出て 
真っ先に気にするのは
生き物である 愛犬と 花たち。

今回は 愛犬は 夜のうちに玄関に入れておいたので
花を見て回る。

スモークツリーの支えが外れている。

ホウセンカがいっせいに倒れている。

(こぼれ種ホウセンカだから、根が浅いからなあ。。)

まさか、と思う場所の鉢が倒れている。

ここまでは、と思っていた場所が
濡れて 雨水が溜まっている。

やっぱり 台風は特別だなあ。。











これほどの水が出たのは久しぶり。

いつもなら遠い水際が 土手のすぐ下まできている。

河原には マムシがいるから注意、という看板があるのだが

この大水で マムシたちがこちらに流れてきているだろう、という話。

怖い!

でも やっぱり散歩は 土手がいい(苦笑)。





今夏 愛犬は 皮膚病がひどかった。

治った、と思ったが また湿疹?ができたので 投薬を再開。

そして 首輪が当たる首の辺りが ただれてしまったので
首輪をはずし、

急いでホームセンターへ行って 
伸縮するラティス・フェンスを買って帰って 

今まで望んでいながらなかなか実行できなかった
愛犬の<庭での放し飼い>が実現!







皮膚病は 首の部分とお尻の周囲がひどかった。

獣医さんで トリミングして(今回が、彼女の生涯、初!!!)
バリカンで 尻尾の内側と お尻の一部、
それに首の部分の毛を刈ってもらってある。

もうだいぶよくなって 毛も復活してきている。



そんな所へ、台風の来襲。

雨が降ると 愛犬は この玄関前が定位置。

台風では 大雨が吹き込んできて この場所でも濡れるのに、
家の中には 入ろうとしない。

お風呂に入れられる、と思っているのだろうか(苦笑)。

カミナリの鳴る時には 割と素直に入るのに

台風の雨だけの時は 
ドアを開けて 
私が吹き込む雨に濡れながら 愛犬を呼んでも
逆に遠ざかって 雨の中に出て行ってしまう。

それでも 夜には 素直に入ってきたので
予想以上の雨に
やはり 「こりゃたまらん」と思っていたのだろうか。






野菜の苗は 打ち付ける雨に傷んでしまったらしい。

ネギもキャベツも打撃だろうと思う。

それを店頭で購入する私たちにも
(それを ご近所からいただく私たちにも)
大打撃だと思う。

被害が 人命に関わらなかったことを思えば
どうとでもなる話ではあるのだが。



泥水のような色をして 
勢いを増して流れる川の水を眺めていると

川の偉大さ、自然の恐ろしさ、などを感じて
私は気分が清々とする。

人は 自然の前には ちっぽけな自分に気がつくというが
普段 あまりにも 忘れすぎているのだ。

でも 我が家の近くのこの土手だけは 
無事であって欲しい(苦笑)。



亭主を過労死させない方法(1)

2007-09-07 | いろんな人
‘例の仕事’の新しい事務所の建築は 今年の春に完成し、

5月中旬には 落成式および 落成記念式典も無事に行われ、

亭主は それ以降は 新事務所に通う日々。

なんと、今度の事務所までは55キロの道のりがある。

ガソリン代は出るんだけど。。。







街道から亭主の実家への、一番の近道が、これ。
カーブミラーはあるけど、怖いよ!
もう少し遠回りだけど 坂がゆるやかな道や 広い道が他にあるので
この道は 車でも歩いてでも 上り下りしたことが 私はない。






問題は、亭主。

運転が、得意ではない。

車の運転を何時間もすると それだけで へとへとになる。

亭主の父も 私の父も 車が好きで
何時間でも運転していた人たちだったが

亭主はそうではない。

腰に来る前に 目に来て 神経に来て 
どうにもならないくらい 疲れる、そういうタイプ。

これは、変えられないだろう。

という訳で、亭主はいつもクタクタ。



しかも、この請け負い仕事、
合計すると もう12年もやっていて
亭主も決して‘若手’とは言えない年になっている。

それなりに責任があり、
しかも ここ数年 特に「チョー」がつくほどイベントが増え、
事務所の新築などもあいまって ちっともラクにならない。



もちろん、自宅でやってるウチの仕事も いつも通りにある。

土・日・祝祭日が忙しいけど そっちは、いい。

亭主が家に居て 仕事をするから。

けれど 仕事をする、ということは
その準備をしなければならない。

私が週に一度 治療院に出かける。

その日は 亭主は家に居る。

家に居て 仕事の準備をあれこれと することになる。

ある意味、これはいいリズムだ。

私の治療院通いがあるので 亭主が(他を断わって)家に居て
準備をする。

(私は準備を手伝わなくていい。)



その他に ‘例の請け負い仕事’の準備もあるのだ。

間に合わなければ 睡眠時間を削る。

削ってでも 書類を作って 
コピーして あるいは ファクスで送って 間に合わせなければ 
当日の仕事に差し障りが出る。

自分の母親が亡くなるようなことでもなければ
原稿の締め切りを守る、という
編集者も感激で泣くような人間、
決して 間に合わなかった、なんてことには しない。





そうして
仕事に集中している日々が続くと、
亭主はどうなるか。

眠れなくなる。

気が張り詰めて 神経が高ぶったままで
休まることがなくなる。

ワープロの画面の見すぎで視力も落ちる。

そんな状態で 運転の苦手な亭主が 55キロを運転してでかけ、
仕事をして(思い通りに行かない日も当然あるらしい)、
55キロを運転して 帰ってくる。



ベッドに入る時に
亭主は必ずマンガを読む。

くだらないもので 頭を休めるツモリらしい。

昔は読書だったが(これもくだらないもの)、
活字だけの本より マンガがいいらしい。

マンガを読んで
電気を消して
じっと動かないでいて

真夜中、むくっと起きて 
ゴソゴソと サイドテーブルの引き出しから睡眠薬を出して
飲む。

その気配と音を 私は隣で聞いている。

(気付かずに ゴーゴーと寝てるときも、もちろん、ある。)

こりゃあ、なんとかしないと!

過労死されたら、アタシが困る!


                      つづく

メンテナンス

2007-09-06 | なんでもないこと
10年以上持っているゼラニウムがある。

増えてしまって困っている。

10年近く前に 一番南のお隣が
大きな家を建てて引っ越した時には お祝いに3鉢差し上げたのだから

最初の一鉢を 義さんからいただいてから
もう15年くらいになるだろうか。












ある日 いつものように 大きなカバンを下げて
玄関を出た亭主が
ふと このゼラニウムの前で立ち止まり、

「この花だけは、感心するなあ。

 いつもキレイで。」

「メンテナンスしてるもの。」

と私は答えた。

メンテナンス。

長持ちさせるには、大事なこと。



たとえば 

水をやる。

たまには、液肥を薄めた水にする。

固形肥料にすることもある。

花の終わった花茎を折り取る。

枯れた葉や 鉢に入り込んだ落ち葉を除く。

(カビや虫の温床になる。)

虫食いのある葉は取り除く。

新たに虫食いが見つかったら、虫を探す。

(この虫が、なかなか見つからないことが多いんだ。。。)

伸びすぎた枝を切る。

植え替えをする。

そんなこんなの、これは、集大成!(笑)






夫婦の間も メンテナンスが大事だよね。

ゼラニウムの前で立ち止まってないで、
行くなら さっさと行ってよ!

と ニョーボがムッと来るようじゃ、ダメよ(苦笑)。

(植物や動物に関しては、「ケア」といでも言うべき?)





お昼を食べに入ったお店に(場所はどこだか忘れた。。)
『職場の教養』という雑誌が置いてあったので、もらってきた。

私の仕事にも役に立ちそうな 「教養」もあり、
すぐに忘れるけど大切な「倫理」「道徳」が書いてある。



忘れられなかったのは、
夫婦ふたり暮らしという 多分 熟年の 男性の話。

熟年離婚が増えている、
離婚回避のポイントは 
「妻から呼ばれたら すぐに返事をして すぐに実行すること」
という講演を聞いて

さっそくその晩 実行した。

「あなた、お風呂が湧きましたよ。」

「おう、わかった。」

すぐに返事をして すぐに実行。

すると、お風呂はまだ冷たい水だった、という。



「だって、いつもは ガスに火をつけた時に声をかければ
 ちょうどいいのよ。

 すぐに入ったあなたが悪いのよ。」

私は、奥さんの言い分を応援したいと思う(笑)。



ひずみというものは ちょこっとしたことで出来て、
ちょこっとしたことで 大きくなる。

我慢できないこと、というのは
案外 小さなことであることが多い。

ただし その小さなことが 数がまとまって塊になると
我慢し続けるのは難しい。

そうなる前の、メンテナンスが、必要、という話。



幸? 不幸?

2007-09-05 | 食生活
娘は お盆が終わると間もなく、
大学が始まる、と言って
アパートに戻った。

2学期は忙しいらしい。

息子は まだまだ夏休み中。

先日、
愛犬のチョコット散歩に行き、
出来上がっていたこの窓の記事を投稿してから
息子を起こし、
息子とふたりで 実家の墓参りにイバラキに帰った。

もちろん、運転は、息子。







雑草の、スベリヒユ。 
花が咲く前なら 茹でると ぬめりのあるお浸しになる。 美味しい。






朝 8時半に出るよ、と前の晩に言っておいた。

そう言っておけば
9時には出られるだろうと予想していたが
結局9時15分ごろの出発になった。

途中、コンビニで休憩をとりながら
ちょうど4時間。

通るつもりだった道を通らなかったのは 一箇所。

いつも迷う場所だ。



実家に到着する直前に
お昼ご飯にするお弁当を買って行った。

仏壇に線香をあげ、
牛カルビ弁当を食べた。

(腹ペコだったのに
 これが、臭くて、脂っこくて、不味かった!)

(ふたりして残した。)

それから、お墓参り(苦笑)。



息子は 本当に久しぶりだ。

亭主の実家には 何度も行っているが
私の実家へは 受験前から 一度も行っていない。

男の子が大好きな母は 大変喜んで
お小遣いを忘れずにくれたし(笑)、
終始ニコニコ。

いつも私がひとりで行くと
体の具合の悪い話と 
愚痴と 
姉夫婦の悪口ばかりなのに(苦笑)。

息子は お盆前に出かけたサークルの旅行で買ってきたお土産を
母に渡した。

中途半端に伸びた坊主頭の甥っ子にも会えたし
(伸ばすつもりか?)

姉夫婦もそれなりに元気。

ゆっくりおしゃべりしてから暇を請う。



「帰り道の途中だから」と 亭主の実家に寄る。

(というか、無理矢理? 亭主に 寄るように命令を受けた。)

突然行ったから 義父もビックリしていたが
こちらも元気そう。

「毎朝 習慣的に食べていたのに
 納豆が食べられない。」

と愚痴をこぼしたていたが
機嫌よく いろいろおしゃべり。

(納豆が食べられないのは 確かにつまらないだろう、と想像。)



西に向かう私たちの車が眩しくないように
太陽が西の空の下の雲に隠れたところで出発。

行きで迷った場所で また迷い、
通るはずのココスにたどりつけないまま
当地まで来てしまった。

仕方がないので 家に着く前に国道の方に出て
息子の大好きなハンバーグ屋さんで夕食。

ここは ドリンクバーの他に スープバーとサラダバーがあり、
お料理が出てくる前に 
好きなものを好きなだけ 食べたり飲んだりできるのだ。

息子は 大好きなミネストローネとコーンスープを
何杯も飲んでたし

私は 様々なサラダ材料に 
いくつかのトッピングをしたり ドレッシングを替えたりして
サラダをおかわりして食べた。

(レタスなんか 
 私が買い物に行っても買ってこないほど高いのに
 ここのレタスや ほうれん草や オクラや 水菜は
 中国産か?
 
 発がん性物質が入っていても やっつけられるように、
 よくよく噛んで食べた。

 唾液は スーパー消化液だ!)

亭主の実家を出てから4時間、
時刻は夜の9時半、
ふたりとも またまた腹ペコだったのだ!!!

亭主は その日は 出先で晩ご飯が出るという話だった。







花スベリヒユ、つまり ポーチュラカ。
葉っぱは スベリヒユと おんなじ。
今年は 玄関前は こんな儚げな色のポーチュラカにした。
(ピントが合ってない・・・涙)






私は お肉が好きだし 脂っこいものも大好きだ。

だが 外で食べる時は 
このアブラで参ることが多い。

そう言えば 息子は 高校の時も 大学生になってからも
「定食でご飯を食べな、ご飯!」
という私に ひとこと
「おかずが脂っこい。」
と反論して 
決して 定食を食べようとしない。

「ジイサンか、お前は!」
と笑うのだが その感覚は、わかる、わかる。



私も ファミレスなんかで 洋食(洋風料理?)を食べた後は
脂っこい~、
もう しばらくは食べたくない~、
と思う。

自分で作る時には 
それほど脂っこいと思わないで食べる料理も、
どうしてあんなに 外で食べると 脂っこいのだろう?



それから、
たとえば、ハンバーグ。

私が作るものは お野菜のみじん切りがいろいろ入る。

その方が美味しいと思うからだ。

自分の好みに作るんだから 当たり前ではあるが
自分で作った方が 
その辺のファミレスで食べるよりも 
ずっと美味しい、
というのは
これは 幸せな事なんだろうか?

それとも 不幸なんだろうか?



何度か ファミレスでハンバーグを食べてがっかりしてから
私は 今では決して 
外ではハンバーグを食べないようにしている。

この日は ハンバーグがウリのお店だったし
確かにハンバーグが一番美味しいお店なので
久々の 外でのハンバーグ。

でも やっぱり・・・。

家に帰ってから 
なんとか 口の中とお腹の中をさっぱりさせたくて
トマトジュースを2缶飲んだ(笑)。

(梅干の方が よかったかな?)



揚げたてをいただけるなら
豚カツや 天ぷらは
お店で食べた方が美味しい。

ただし、口の中をヤケドしそうなくらいの、アツアツ。

そうでないものは 
豚汁とか スープとか 時には パスタも

本格的な味ではないはずだけど、
自分で作った方が美味しい、
と思うものが増えた。

幸せなのか? 不幸なのか?



往きも帰りも 息子の運転で 無事に帰って来た。

イバラキは 今 稲刈りの真っ最中で
狭い農道で 3台のコンバインと 続けざまにすれ違ったり。

田舎の匂いを嗅いでこれた。

これは、間違いなく、幸せなことだった。