ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

ようやく

2012-07-23 | なんでもないこと
ようやく先月、亭主の実家に大工さんが入った。

軽微な被害だったから ゆっくりにしてもらったけれど、
実際、大工などの職人さんたちは 大忙しだったみたいだ。













建物の写真を撮ったはずなのに、ない!(悲)

亭主の両親は 定年前に 建て増しして 
部分的ではあるけれど 
ピカピカの住まいを作っていた。

床の間・押入れ付きの8畳間をひとつ。

かなり凝った造りで、
結婚当初には 風雅に見えなくもなかった。

写真は、その南側の濡れ縁の現在。

(震災でガタガタになったのではなく、元からこう。笑)

濡れ縁の向こうに その8畳間。

(泊まった日の翌日で、マットレスや蒲団を 干している。笑)

廊下を挟んで、奥にダイニング・キッチン。

その奥には、洗面所に、お風呂。

それからシャワー機能付きのトイレ。







夫婦の表彰状が並ぶ8畳間。 増築部分の屋根は 赤っぽい瓦葺。






(おそらくは築100年くらいの)古い建物の屋根は、茅葺き。

茅葺きで、その上にトタンを張ってある。

このオンボロが 意外と丈夫で、
というか、地震には強くて、

そばを歩くと ガタガタ音をたてて揺れる食器棚が
倒れなかった。



応接は こちらの古い部分で。

また、コタツやテレビを置いて 長い時間を過ごすのも、
何故か このオンボロ部分。




このオンボロ部分と 増築部分とのツナギの部分が、
余震の度に どうやら 少しずつずれたりしているようで、
とても不安だ(汗)。






退職後にリキを入れ始めた仕事に
生きがいと やりがいを感じたらしい義父が
20年以上前に 事務所を新築、こちらは瓦葺の本建築。

その本建築の事務所に、被害があった。

壁に亀裂が入ったり落ちたりした。

その修理の手が ようやく入ったのが、先月だった。






義父の(今となっては、義父だけの)、  
8畳間から見える景色。

その昔、雷に打たれて 小さくなってしまったという、モミの木。











大工さんは、亭主の同級生のお兄さん。

ガキ大将だったとか。

「だいたい、どのくらいかかるんでしょうか?」

「ん~~、60万だな。」

「えッ!   

 も、もう少し、質を落として、

 もう少し、なんとかならないでしょうか?」

「そうか。 じゃあ、なんとかしてやらぁ。」

「よろしくお願いします。」





で、50万になった。

亭主はガッカリしていた(苦笑)。

20~30万にしてくれると思っていたのに。。。



Jリーグのチャリティーマッチで 小笠原も発言していたが、
復興は まだまだ 途上である。



もどれない日々

2012-07-17 | なんでもないこと
豪雨による被害に遭われた方々に お見舞い申し上げます。



豪雨もなかった場所に住んでいるのに
こんな事を言うのは不謹慎かもしれないけど、
大変申し訳ないのだけれども、
真実を言うと、
連日 《湿気》だけ、それだけで死にそうだった。。。

また
昨日・今日の猛暑がすごくて、
そろそろ死者が出そうな勢いなので
私は 外には出ないようにしている。

しかし
そんな中、近所の農家は
時節の作業のために
せっせと炎天下の畑へ出る。

頭が下がる。

いただいたキュウリやトマトやトウモロコシ、
美味しいです、ハイ♪







そう、これもご近所からいただいた ミニトマト♪






震災後に新に覚えたものの中に
幾種類かの 珍しい苗字の「読み」がある。

震災後に有名になった(と 私には思える)その中のひとりは
これからの日本は
「戦後」が終って、「災後」が始まる、と言った。

なるほど~、と感心しながら 新聞記事を読んだ。

抱いた違和感は  
それが あまりに
震災後 すぐの 記事だったからだ。



とにかく、多くの人々の心が傷つき、
また その傷によって 人々の心が傷つきやすくなった、
と実感している。

人の不幸を耳にし、目にして
心の傷が 痛みを覚える。

災害も 理不尽な事件も 
「災後」である事にかかわりなく、
次々とやって来る。

あまりに、次々と。






大震災の直後には 当然の事なのかもしれないが、
<余震>があった。

これが、ハンパない余震で、
これは辛くて 怖かった。

余震の被害、これもハンパなかった。

震災で傷ついた人々の 身体も心も
相当 痛めつけられたのだった。






地震があると 夜中でも テレビをつける。

震源地を確認するために。

イバラキでなければ、ホッとする。

(揺れ方で 遠隔地か そうでないか、が 
 わかるようになってしまった。。。)

震源地がイバラキ県南であっても、それほどの震度でなければ
(震度4までなら O.K.になったよ)
眠りの続きをむさぼる事ができる。



日中であれば、
テレビを見ている時間帯に地震、
という事もある。

テレビは そのまま 見続ける事が多い。

地震速報のテロップには、
まず、地震のあった時刻が出る。

次に 震源地と各地の震度が出る。

時間が経つごとに 
広範囲に いろいろな場所の震度が出てくる。

「念のため 沿岸部では 津波に注意してください。」

とか

「この地震による津波の心配は ありません。」

とか 出てくるが

しばらくすると 地震速報が出なくなる。






けれど 大きめな地震だった場合、

各地の震度が 続々と出揃った後に
イバラキの東海村の原子力研究所では 異常が認められなかった、
などと テロップやニュースに 出てくるようになった。

ああ、そうか、あそこも心配な場所だったんだ、と 再確認させられる。



それから ややあって
フクシマの原発でも 異常がなかった、
などと 出てくるようになった。

これらは 以前はなかったニュースだ。



日本中の人が 東日本で大きめの地震があった時に
原発がどうにかなってしまいやしないか、と 心配するから、
必要不可欠な情報になってしまったのだ。

こんなの、「災後」に出てきたもので、
「災前」には、なかった。






傷つきやすくなった心も
崩壊した原発への信頼感も
もう どうやっても 元へは戻れない。

私達は誰も 「災前」の私達には 戻れないんだなあ、と
ニュースやテロップを見ていて 思ったのだった。

「災後」の政治を司る方々には、
ぜひ 全力で しっかりやってほしい。