ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

スウィーツの話

2010-04-20 | なんでもないこと
おじいちゃんの話は ちょっと置いといて。

昨日は 電車で 主治医のクリニックにお出かけ。

朝のうちは 少しは涼しかったけど、
三日前に雪がちらついたとは思えない、
ポッカポカのお天気!







マンゴーのスウィーツ、始めました、とのことだったので。





何故かはわらかないが、癌の病院に行った帰途には
以前から こってり甘いものが食べたくなる。

食べたくて、食べたくて、どうしようもなく、食べたくなる。

一度 我慢して 食べずに病院からまっすぐ家に帰ったら
それから 何日もの間
それを後悔し続けた事があり、

「どうしよーかなー。」
と思っても、以来、帰りには 
おひとりさまで 必ず!!! 食べて帰ることにしている(笑)。

上の写真は 昨日 クリニックの帰りに
こちらの駅に着いてから ファミレスで食べたもの。






同じような事は、ずっとずっと昔、
上の娘を妊娠している時にもあった。

甘いもの、というか、チョコレートパフェが食べたくて、食べたくて。

でも 甘いものはちょっとどうかな、と思って
我慢していた。

そうしたら 我慢できなくなって
生クリームと砂糖が使われているものよりもローカロリー、と思って
アンコものを食べて我慢した。

でも 我慢できなくて 次々とアンコものをたべた。

そうしたら、次の検診の時に 
尿糖がプラスと出た。

母子手帳によると、
それは昭和61年の2月7日のこと。

結局、美味しくて大きな念願のチョコレートパフェを食べて、
そうしたら それ以後は あまり食べたくなくなって
事なきを得た(笑)。







チョコレートとバナナは好相性。
この日は、ソフトクリームを、カップで。






あまり我慢をするのは 健康によくない(爆)。

それも、できたら、とびきり美味しいものを!

当地のファミレスのパフェよりも
大きな駅の駅ビルの地下にある KIHACHIのソフトクリームの方が、
実は、美味しい(し、安い)と 昨日わかった。

帰りの電車を次のにしてでも、
これからは大きな駅の近辺で食べてくることにしようと思う(笑)。







どこの何て言うお店だったか、忘れた!





昨日は マンゴーのミニパフェを食べてから

今日行かなかったら、次に いつ行けるかわからない!
というのもあり、

しばらくぶりに美容院へ。

駐車場に停めておいた車の中は、暑い、暑い。

これからは 少しは暖かくなるはず、と思い、
バッサリ、サッパリ。

ああ、すっきり(笑)。



おじいちゃんが、ころんだ。(3)

2010-04-20 | いろんな人
さて。

圧迫骨折の痕は、すでに固まっていて、
必要な治療は、ない。

義父の腰は、痛い。



腰の骨に、異常は認められない。

でも、義父の腰は、痛い。

西洋医学的には 有効と認められる治療法はない、
と言い換えるべき?







今年も美しかった、神社の桜。 まだ きっと 咲き残っているはず。






義父の腰痛は 少しは良くなっている。

でも 歩くのに不自由がない、というわけいにはいかない。

レンタルした歩行器で フラットな床を 自由に動き回ることはできるが
自宅での生活に復帰できる見通しは立たない。

なにしろ、玄関から上がる時に
老いも若きも「どっこいしょ~!!!」
と 掛け声をかけなくては 座敷に上がれない作りの家だ。

家の中なんて、とにかく寒くて、そして、段差だらけなのだ。

でも、施すべき医療はない。

病院は、出なくてはならない。



そして、長男の住む北関東にも 二男の住む高層マンションにも
移り住むつもりが、
本人には、まったく、ない。

息子としては、預かってくれる施設を探すしかない。







鉢から飛び出したブラックベリーと勿忘草との 花の饗宴。






地域の福祉の担当者との面会は、数度にわたる。

ここに、こんな施設があります。

ここに、こんな施設があります。

ここに、こんな施設があります。

ここに、こんな・・・・・・・。

でも、ここも、ここも、ここも、ここも、
部屋がいっぱいで、空きがありません。



唯一、空きのあるのが、
入居時に一時金の必要な施設だった。

なるほど(苦笑)。



ただし その施設では 体験入居ということで、
30日間、一時金なしで 入居したのと同じ生活の
「お試し」ができる。

選択したわけではなかった。

実際問題として、そこ以外に 近場に入居できる施設は、
その段階では みつからなかった。



けれど 一時金と言っても 何千万もの大金が必要な高級なところではないし、
月々の支払いも 年金でなんとかなりそうな感じ。

目いっぱい期待して 義父を 病院からそちらへ引っ越させた。







アイボリー色の水仙の つぼみは、何故か、こんな色。






そこは 大きな病院の近くにあり、
入居者には 認知症の患者が多いようだった。

奇声を発する人もあり、寝たきりの人もいる。

義母を思い出させるような感じの人も。



元は会社の社員寮だったらしい古い建物は
廊下がせまく、ドアは引き戸にはなっていない。 

頻繁に 廊下の向こうのお手洗いに行くにも
歩行器に頼る義父にとっては 充分な設備とは言えない。



玄関には鍵がかけられており、通常、外出は認められない。

この人とこの人、というように 登録された人が申し出た時のみ、
外出できる。

それ以外の人間が 入居者を連れ出そうとすると、拒否される。

認知症の人には必要な措置だが、
義父は (幸か不幸か)頭はハッキリしている。



しばらくして 他の施設を探さなくてはならない事が
ハッキリとわかってきた。

何故なら、この期に及んで、
義父はまだ 仕事を捨てられずにいた。。。



おじいちゃんが、ころんだ。(2)

2010-04-18 | いろんな人
入院して始まる、検査、検査。

ところが、義父の腰は、
レントゲンを撮っても MRIを撮っても
異常がなかったらしい。







早春には まだ花のないクローバーの群落の薄緑色にも 心が躍った。






ただ 背骨には 圧迫骨折の痕跡が 2か所もある、とのことだった。

女性は特に 閉経後の骨粗鬆症のために
往々にしてそういうことがある、と知っていたが
男性でも やはり 圧迫骨折をすることがあるようだ。



義母の墓参りをして 家に帰る時に義父は
途中でくたびれてしまい、

立ったまま 何かにつかまって しばらくの間休んで
それからまた 歩いて来るのだ、と 
以前 聞いたが
 
細い坂道、しかも砂利道を登るからだろう、と 
勝手に思っていた。



もしかしたら あの頃 すでに
背骨の圧迫骨折があったのかもしれない。

泣き言を 口にすることが少ない義父なので
息子たちにもわかってもらえずに、
ただ
「お父さんも 体力が落ちた」
と思われていただけだったのかもしれない。







これは、最近の土手。 菜の花の花期も 今年は長いのかもしれない。 
まだ むせかえるような菜の花の匂いでいっぱいだ。






それまで 一人暮らしをしていた老人が入院した時に
するべき事は、数限りなくある。

新聞やヤクルトを止めたり
ヘルパーを派遣してくれていた事業所に連絡したり
通帳と印鑑のありかを聞き出して 預金を下ろし、
病院への支払いに充てたり、

日頃お世話になっていた近隣の人たちや近くの親戚にも
連絡しないといけない。

行っても留守、応答がない日が続く、となったら
とんでもなく心配をかけてしまう。



義弟は仕事を休んで、亭主も忙しい最中に 駆けずりまわって、
なんとかこなした。

どうしてもこちらが休めない時には
義弟の妻(公務員)にも 休暇を取ってもらって
対応してもらった。

ありがた~~~い介護保険のためには、
立ち会う人間が必要だったりするのだ。













また、病院の検査の結果の説明や
これから行う治療の説明があったりする。

義父は 「フン、フン。」と さもよく聞いていそうでいて、
実はまったく聞こえていなかったりする。

医師が病室から出て行った後で
「今の先生の話、ひとっつも、聞こえなかった。」
なんて言いだしたりするので、

てっきり義父が納得したと思っていた義弟が
あわてて医師を呼び戻したり、といった場面があったようだ。

まったく、年寄りは、扱いにくい(苦笑)。













また、日頃 マメで 何でも自分でやっていた義父は
病院でも いつものように動こうとする。

お手洗いも 歩行器(というのか?)を押して
自分で行ってしまう。

看護師に見つかって、

「○○さんは、安静にしていてください!

 私たちがやりますから、呼んでくださいね~!」

と叱られた事も 一度や二度では なかったらしい(汗)。



ぢ主さまである義父が 病院の泌尿器科で出してもらった塗り薬を
自分で塗ってしまい、

「患部がどうなっているかを目で確かめる事も私たちの仕事なので、
 私たちにやらせてくださいね!」

と懇願されたり、



医師が回診に来てくれたので
義父は起き上がってベッドの上に正座する、

医師が 手を伸ばして「そのまま、そのまま!」
とあわててベッドに駆け寄ったり、

といった場面は、私は、この目で見た(笑)。



何でも自分でやっちゃう、自立した老人というのも、
扱いにくいものだ(苦笑)。










おじいちゃんが、ころんだ。

2010-04-16 | いろんな人
亭主の実家の義父が、玄関で転んだ。

転んだのが、おじいちゃんでなくて、
「だるまさん」だったらよかったのに。







亭主の実家の庭に咲くミツマタ。 2月下旬、ケータイで撮影。






今年は 
「サクラが開花した!」となってからが特に、
寒い日が続いている気がする。

そして 特に寒い日には、何故か、
亭主は必ず実家に行っているのだ。

亭主が実家に帰る日、
あるいは 泊りがけで帰っている日に限って、
関東は(全国的に?)寒い日になっている。

当地よりもかなり暖かいはずのイバラキで
雪が降った、などという日には
亭主は必ず、イバラキにいた。

そう、実は 今日も、
亭主は 泊りがけで 実家に帰っている(笑)。













前に雪の土手の写真を撮ったのは 2月2日だった。

乳がんの定期検診の結果を聞いた頃だった。



2月上旬に 満85歳の誕生日を迎えた義父が

これは 桜にも雪にも関係なく、
玄関で転んだのは、2月の下旬。

そして 義父は ふたりいる息子のどちらにも
そんな連絡を寄越さないでいた。

以前 言いわけを書かせていただいたが、
亭主が多忙を極めていて
「おじいちゃんの誕生日に、」などと言いつつも
全然 イバラキには行けずにいた時だった。







これは3月11日撮影。






近場に住む伯母さんが
義父を引き取ろう、などという関係のない発言を交えつつ、
義父を病院に連れて行こう、と大騒ぎをしてくれたのが、
日曜日。

伯母さんは 休日に忙しい長男である亭主の所にではなく、
公務員の義弟に電話をして
騒いでくれたらしい。

義弟からウチに電話が入ったが 
亭主は 仕事で 電話に出られなかった。





この伯母さん、かなり以前から 問題を起こすタイプの方で、
義父母も 何十年もの間 閉口していた方だったので

「あだしが 連れていんから(私が連れて行くから)。」

という伯母さんの申し出を
義弟はやんわりと拒んでいたらしいが、

あまりにしつこいので、
というか、
我が家にも電話してきてくれたので
(亭主は やっぱり電話に出られず、私がお話させていただいた)、

夜になって
「今回は、連れて行ってもらおうよ。」
と 亭主が義弟を説得した。

義弟は しぶしぶ 亭主に従ったように思えた。



「連れで行ってくれる」はずの伯母さんは
車の運転ができないので、
言いなりに動いてくれる 人のいい従兄弟が運転して
翌日、義父を近くの病院へ 連れて行ってくれた。

そこでの診断は、
すぐに別の病院へ行って 入院した方がいい、
という事だった。

伯母さんは、騒ぐ、騒ぐ!(爆)

「あだしがいづも行ってる病院さ行って、入院だ!」






義父は そこは断固として譲らずに、
いつも通っている病院へ、と主張して
とある大きめ病院へ。

想像通り、義父は即、入院となった。

なにしろ、転んだ時に打った腰が
痛くてたまらなかったようだ。



                              つづく