ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

16歳6か月(推定)

2015-02-06 | なんでもないこと
この箱なら、大きいから、入るだろう。

このお古の肌布団にくるめば、いいと思う。

そう 息子に言い置いて、私たちは出かけた。



去年、吉野に行った頃の話だから、もう、ずうっと前。

愛犬は、とても弱っていた。

トリミングに行く日の タイミングを計っていたら
どんどん、どんどん、弱っていった。



私は、これは病気ではない、と思った。

年齢を考えれば、自然な変化だ、と思った。

だから、病院に連れていくことはしなかった。

つい先日まで トリミングに連れていくつもりだったのに、
えらく矛盾した考えだが、
自分が間違っているとは 私には思えなかった。



彼女は、お風呂が嫌いで、病院が嫌い。

家の中に入る事だって、落ち着かない様子だったから、
私が時折 大雨や雷で 無理やり家に入れる時さえ、
大変だった。

だから、車に乗せる時だって、罪悪感がある。

これは、もう、とても、無理やり車に乗せてやる事はできない、と
割にあっさり 私は諦めた。






だから、息子にすべてを託して 私たちは吉野に出かけた。

彼女に「もしも」の時が来たならば、
最近できたペット専用の火葬場に電話して、
連れて行ってやってくれ、と。

けれど、彼女は 待っていたくれた。






お散歩に出かけるのは、大好きだった。

スタスタと歩けるのは、最初の5メートルだけだった。



足が弱って、立ち上がるのが大変になった。

けれど、そのままウンチをする事だけは、
彼女は 最期までしなかった。



最期にもう一度 きれいにしてあげられれば 
もっと良かったけれど。






息子とふたりで火葬場に連れていき、骨壺に入れた。

息子に 病院に行ってもらった。

「お世話になりました」と伝えて、
検査の結果を受け取って来てもらった。

先生は ビックリして、
「ずいぶん突然でしたね!」
とおっしゃったそうだ。

「元気だったのに!」と。



往診を頼むどころか、
「先生、大変!」と駆け込むこともしなかったから。

受け取った検査の結果表には、
年齢を感じさせない、
元気いっぱいの愛犬の数値がならんでいたから。






年末の大掃除は、愛犬の気配を消す行為だった。

いつものように、あまり掃除らしい掃除はしなかったが。

これから 暖かくなったら、少しずつ消してゆくのだろう、私が。


節分の豆を撒いた。

のっそり起きて、退避する愛犬はいなかった。

撒いた豆も なかなか消えなかった(笑)。

(今日は カラスに食べてもらえてようで、ほとんどなくなっていた。)





ヨタヨタ歩いていた愛犬の記憶は、
不思議と だんだん 若返っていった。

外に出る時には 駆け寄って飛びついてくる愛犬を予感して
用心しながらドアを開けた。



外から帰ってくる時には
愛犬の声に耳をすませ、
コンクリートの犬走を走ってくる足音を待った。



外に目をやる時には 愛犬の<居場所>を
いつものように 無意識のうちに探す。

ここに いない。

ならば、あそこか。

あれ? あっちかな?

そうだ、いないんだ。





私の目は いつも 愛犬の方を見ていたらしい。

目が、戸惑って、ウロウロしてしまう。







それにも、もう慣れて。

「次の犬を」と 亭主が言う。

「家の中で飼ってもいいならね」と 私が答える。

次の犬は、いつになったら、やって来るやら。