ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

お釈迦?

2008-03-28 | なんでもないこと
ノートパソ子が 突然 オシャカになってしまった。

スイッチが全然ONにならない。

まいった。。。。。。。。。。

しばらく投稿できないかも。

(でも 明日の午後は 亭主が留守なので できるかも。)

お墓の話

2008-03-25 | なんとなく仏教?
私の実家には お墓があって 父が眠っている。

会った事もない祖父も 最期は認知症だった祖母も入っている。

入っているのは、お寺の歴代の住職が眠っている墓所で、
病気で倒れる前の父が きちんと整備しておいたものだ。




亭主の実家の墓地は 義母が亡くなって初めて作った。

立派な墓石に こだわりの文字が刻まれている。

今のところ 義母がひとりで眠っている。







私の 今年のテーマカラーは、薄いピンク。






私の昔の勤め先に アルバイトで入ってきたある女の子は
女性正社員全員が未婚なのに ひとりだけ結婚した。

彼女は あるお寺の跡取り息子とレンアイし、ケッコンをしたのだった。

話を聞くところによると
お姑さんという人、これがなかなかユニークで面白い人のようだった。

「死んでまで お父さんと 一緒の墓になんか 入りたかないわよ!」

と 公言していらしたようで、
「その時、お父さんは?」と聞くと
となりで しょんぼりとしながら お母さんの発言を
黙って聞いていらしたのだという。

そのお寺さんでは 歴代住職の墓地と
寺族(住職の家族?)の墓地とは 別になっているらしかった。

私の実家は みんな一緒になってしまうけれども。

いろいろなんだなあ、と思ったことだった。







自動車屋のアニキからいただいたお歳暮のシンビジウムがこの色だったのは
単なる偶然。






「姑とは 一緒の墓には 入りたくない」
という嫁は多いのだそうだ。

私も 姑と同居でもしていたら そんな気分になったのかもしれない。



先日は 新聞の人生相談に
まだ生きている両親の 将来の墓地をどうしたらよいか、
という相談が寄せられていた(→自分勝手な父の墓 どうしよう

墓をどうするか、という問題に 
「身勝手」ということがかかわってくるのは
残されて 先祖をまつる人間の心情として 
「それは、イヤッ」というのがあるからだろう。

(わからないでは、ない。。)



この相談者のお母さまも 
夫婦一緒の墓には入りたくない、とおっしゃっているようだ。

(わからないでは、ないのだが。。。)



お父さんの実家の墓は 伯父さんが守っている。

一方、お母さんの実家の墓を守っているのは、末っ子のお母さん。



お父さんを 実家のお墓に入れるには 
伯父さんの許可が必要だろうと思う。

伯父さんが 「ダメ!」とおっしゃった場合、
別の場所を考えなくてはならない。



弁護士の回答にも

伯父さんの承諾が得られなかった場合、

「祖父の墓は、 お兄さんの直系の家族が入るのが普通です。

 実家を出て独立して一家を構えた方は、入れないのが通常でしょう。

 したがって、おっしゃるように、父上の墓を作るか、

 お寺と相談して別の供養の仕方を考えるしかないと思います。」

とある。

別のお墓を お父さんのために建てる、というのは お金がかかる。

相談者は きっと違う方法を検討するだろう、と 勝手に想像(笑)。







薄いピンクの花が咲く予定のヒヤシンス。






でも、どうして 独立して一家を構えたら 一緒のお墓に入っちゃいけないの?

実家が田舎で 今も田舎住まいの私には 解りかねる。

大家族主義では いけないのか?

核家族化したからこその、問題点も多々出てきたことを知っている私たち。

それでも 宅地開発のためならば、と
ぽんぽこ狸の出没するような山を切り開き、
家を建てて エッチラオッチラ 通勤や通学に時間を割いてきた私たち。

墓地開発のために またまた山を切り崩して
将来はどうなるか?

少子高齢化の影響で
そのうち どんどん 無縁墓になっちゃうんだよ?!



だったら このムラの人たちの 畑の中の墓地みたいに
一応 家ごとには分かれているけれど
親戚一同、みんな、ここ!という収まり方の方がいいんじゃない?

今の世で 一緒に暮らすのは 気苦労があって大変でも、
お墓でならば みんな一緒で いいんじゃない?






一方、回答者によると
相談者のお母さんは 墓地を 事実上管理しているというだけで
使用権は 実家の当主にある事も考えられる、という。

ややこしい。

「入れて。」と言われたら、「いいよ。」と言って 入れてあげるのよ、
そう公園や幼稚園で習ったのではないかいな?

そうして、オキナワ式に お墓の前で、みんなで大宴会!(爆)

(あ、宴会ができるほどには 広くないね。。。。。)




まあ、だいたいが、
死んじゃったら みんな 仏さま
(または、仏さまになる修行中の人)なわけだよね?

だったら、誰と一緒の墓に入るのか、なんていう小さなことには、
だれもこだわらないよね?

死者となってしまったからには、
小さなことにこだわらず、おおらかに見守っててほしいよね。

文句は言わないはずだよね(笑)。

「T子さんの話」(2008年2月16日の記事)のT子さんによると、
死者の魂は 一瞬のうちに 
行きたいと思う場所にすっ飛んでいけるのだそうだから、

どこへでも 行きたいところに行けばいいよね?

(だから、富士山の見える墓地、なんてのは ナンセンスなのだとか。

 確かに、富士山が見える、という景色は やはり気持ちがいいと思う。

 だから、死んでからではなく、生きているうちに行きたいね。

 あ、そうか!

 残された遺族がそこに行きたいから、そういう場所にお墓を作るのか!)





亡くなった後の魂は 
それまで苦労させられた人とか 毛嫌いしていた人とかを
区別して 受け入れたり 受け入れなかったりする、というんだろうか?

ねえ、お母さん、娘さん。

どんなお父さんでも、
骨になっちゃった後ならば
ちょっとガマンして 入れてあげようよ。







ピンクの花が咲く予定の、チューリップ。どんなピンクだろう?






私自身の死後のことは 
残された者たちが やりたいように、やりやすいように、
やればいい、と思っている。

(半分、そんなの、どうでもいいや、と 思っている。

 でも、それは、内緒。)



お彼岸に見た夢

2008-03-23 | なんとなく仏教?
変な夢を見た。

亭主と私が 泊りがけで出かけている。

出かけた先は、霊園。

どの墓地を買おうか、と 悩んでいるのだ。

翌朝、
亭主が私に向かって
「お前は真剣に考えていない!」と怒る。

「いや、そんなことはないけど。。」と思いつつ、
私は 分譲墓地の隣の園芸店で買ってきた花を
ホテルで愛でているのだ。



そして 夢の中には登場しなかったけれど、
その墓地のそばのお寺で
ウチの息子が修行中、ということになっていた(笑)。

修行させてもらえるようなお寺なら 大きなお寺のはずだが、
夢の中には いっさい、出てこなかった。

もし私が 甥っ子が修行した道場を知っていたら
夢の中に お寺も そこで修行する息子も
霊園の向こうあたりに 見えていたかもしれない、と思うと、
悔しい(笑)。

息子よ、アンタは ちゃんと修行していたのか?(爆)






先日 散歩で フキノトウを見つけた。





「葬式仏教と言う言葉は 仏教を悪く言う場合に使うし、
私も 残念な思いで使う。

ところが 20日の朝刊に
「<葬式仏教>は日本の誇り」という一文が寄せられており、
私の目を引いた。

書いたのは 末木文美士(すえき・ふみひこ)氏。

(筆者関連記事→死者とともに“生きよ”

筆者は 
「葬式仏教というのも、それなりに悪いことではないと思っている。」
と言う。




氏によれば、
近代文明の誤りは、死者を忘れてしまったことなのだそうだ。

だから、
葬式仏教という形で、
死者とかかわり続けてきたことは、
日本の仏教の誇るべきところであるとさえ 思っている、
と述べる。

他国の近代文明については 全く無知の私には
これは正しいのかどうかは 判断できない。

けれど
続く
「死者なくして、生者だけでやっていけると思うのは、
 生者の傲慢である。」
の文には 深く頷いてしまう。

仏教は、そして 葬儀は
死者のためと言うよりも むしろ 生きている者のためにある、
と思っている私には
理屈ではなく 共感してしまう一文だ。







意地の悪いことに、何故かフキノトウは 他所の家の塀の中にあることが多い。
いくら 住む人のいなくなった家でも 入り込んで採って来るわけにはいかない。






今日、その葬式仏教も大きく変わりつつある、と著者は言う。

それが‘家’制度の崩壊によるものだとは
私も気が付かなかった。

‘超’が付くほど田舎の当地でさえも
葬式のありようは 大きく変わってきており、
まだまだ変貌の途中、といった感がある。

隣組が健在であるのに 互助制度は崩壊しつつある。

‘家’制度にも 近隣の‘互助’制度にも
気に入らないこともいっぱいあるが
残すべき部分も多々あるはず。

今 ちょうど なし崩しになってきつつあって
ムラの人々は 混乱しているように見える。

高齢者がどんどん鬼籍に入っていって
全共闘世代が実権を握った時に
(田舎では 60歳を過ぎないと 
 これからも発言権はないだろうと思われる。)
お寺は どんな風に変わっているのだろうか。

不安であるとともに 
私は大いに楽しみにしている。

末木氏は
「死者との関わりを、どのように新しく構築しなおすことができるのか。」
と書いているが
それはすなわち
「生きている人との関わりを どのように構築しなおしていくのか?」
ということだと思う。

若き僧侶たちよ、勤勉であれ!





きょうはお彼岸明けの日。

みなさんは ご先祖の墓参りにでかけたろうか?

私は 今年もやっぱり 行けずに終わる。



空芯菜のニンニク炒め

2008-03-17 | いろんな人
空芯菜のニンニク炒め、レシピは、コチラ(→家庭で出来る本格家庭中華料理



「君、日本語が上手だね。」

「あ、ありがとうございます!」

「日本に来て、もう長いの?」

「ええ、まあ。」

ウソは、ついてない。







庭のノビルは ひょろひょろと風にそよいでいる。
野焼きした土手では ようやくノビルが伸びてきた。







たまに 胸につけた名札を見る人がいる。

名札には 「日本人ですッ!」て感じの名前が書かれている。

「あなた、日本人なの?」

「半分、日本人なんです。」

これは、半分、ウソ。

でも そう応えると お客さまは納得して満足した顔になるという。



娘は 日本人と 日本人の間に生まれた、日本人。

でも何故か 東南アジアが好きで 
しかも 東南アジアの国の人に見える。

(私が見ても、見える。爆)







きょうの写真は、土手のノビル特集(笑)。







去年の春から 
東京の一歩手前のサイタマ県のアパートで ひとり暮らしを始めた娘は

こちらの駅前の学習塾で英語を教えるのは止めた。

学習塾というのは 帰りが遅く、
イライラ心配しながら帰宅を待ったものだった。

オマケに 受験生を担当すると 
相当 気を使う、ということだった。



そして
「まかない」狙いで? アジアンフードのお店でのアルバイトを始めた。



本当は 駅前留学の外国語学校の面接試験を受けたのだったが

採用だったら○日までに連絡します、という、その○日、
N○VAが破綻してしまったので、
とうとう連絡はこなかったという(爆)。



アジアンフードの店のアルバイトでは 
娘は自前のTシャツやキャミソールの上に 
上下揃いのアオザイを着るという。

きっと似合っているんだろうなあ、と思う。

そして、来客とは 冒頭にあるような会話がされるという。





高校生の時に 学校の企画したプログラムに乗って
東南アジア某国に 2週間ほどホームステイした娘の写真を見ると
娘は 誰よりも色が黒い。

ホームステイした家庭の高校生の娘さん(お父さんが中国人)よりも

そして
姉妹校になっている私立女子高校の娘さんたちの誰よりも

娘は色が黒い。

鼻も低い(涙)。

東南アジアの国から来ました、と言っても
誰も疑問に思わないだろうと確信している(笑)。






お店で働いているのは ほとんどがアルバイト学生。

それも 本国から来ている留学生たちで、
みんなとてもマジメだという。

問題は‘ことば’で、
彼らは日本語がたどたどしく、
娘は その国の言葉を全く知らなかった。

でも 隣の国などには
ホームステイしたり ボランティアで行ったりしたわけだし
だいたい 隣り合う国の言葉には共通項があるはずだから(?)

(だって、ほら、スカンジナビア半島辺りの国の言葉は似ているので 
ひとつがわかれば、聞けばなんとなくわかる、というじゃない?)
 
なんとか 覚えてきたみたい。

わからなければ、仕事が滞る(笑)。



娘が日本語を教え、彼らは 彼らの国の言葉を教える。

(なんかね、映画で見た『ブッシュマン』の
 ニカウさんが話す言葉に似た音があるんだよ。)

客とのやりとりで 意味が通じないことがあると
日本に来て20年以上(笑)の娘の出番になるらしい。

そして、お料理が美味しいので まかない料理が楽しみ!と、
娘は このバイトが気に入っているようだ。

長期休暇が終わってからは
週末に行って稼いでいる。

そして 
また ボランティアで 東南アジアのあの村にもう一度行くのだ、と
張り切っている。







焼けたところから萌え出でて来るノビルは かわいい形をしている。







夏に帰省した娘が 料理を作ってくれるという。

材料が足りないので 適当に買ってきて、というと
娘は 私が普段行かないスーパーへ行って 
空芯菜を見つけてきた。

お店では 空芯菜を 最初に軽く茹でて 
炒め調理の時間を短くするのだという。

ニョックマムがどうの、と言っていたが
私が持っていたナンプラーで代用してもらった。

美味しかった。 感動した。

もちろん、美味しさに、ではなく、
インスタントラーメンも満足に作れなかった娘の進化に(爆)。







私には ♡に見える。







サイタマ県の 娘のアパートのある辺りで
暴行殺人事件が起きて
こちらが心配する前に 本人がとても慎重になっている。

そう、そう。

なるべく早く帰るんだよ。

そして・・・・・・・・・、
アルバイトなんてどうでもいいから、
なるべく早く、卒業しておくれ(号泣)。

仏教の堕落は世襲制から始まったのか?

2008-03-14 | なんとなく仏教?
寺院の名簿?が 戸籍の役割を果たすようになったのが
確か江戸時代。

‘葬式仏教’の始まりだ。

でも それ以前から
僧侶が 実の子息を 自分の正統の跡取りとして承認する、
というのはあった。

なんと、平安時代末には すでにあった。

これには、びっくりする。

つまり 実の子どもが生まれるようなことを、していたわけだ。

そんなことが 認められていない時代だったはずなのに。

その後 女房・子どもと一緒に 教団を形成する宗祖もでてくる。

もう、どうにでもなれ!だ(笑)。







冬が終わる、という次期に 今年は 土手の下で‘野焼き’が行われた。
‘野焼き’は 県の条例で禁止されているが 
去年 強風の日に 枯れた草に火がついた事から 
地元の人たちが考えたのだろうと思う。






やっぱり 私は
子どもが必ず親の後をとって 後継者になるのが
当たり前に繰り返されるようになって
仏教の堕落は極まってきたのでは? と思っている。

仏教が、お寺が、つまらなくなった!







黒い土手と野鳥。 たぶん、アオサギだと思う。
初めて見た時には 鶴かと思って興奮した!(笑)
条例で禁止されているけれど、「病害虫の駆除のため」という一文があれば
野焼きは 容易に許可されるらしい。






私が学んだ仏教学部には
お寺の跡取り息子がいっぱいいた。

跡取り娘もいた。

次男・三男で 婿入り希望者もいた。

そして 臆面もなく
「実家の跡をとる」
「お婿さんをもらって実家の跡を取る」
「喰えるお寺に婿に行きたい」
とノタマッテいた。

実は私も 実家の寺の跡を取るのだろうと周囲から思われていたし
親も「あわよくば」という感じでいた。

(貧乏で、「喰えるお寺」じゃないのに。)

姉は 東京で サラリーマンの息子(それも、長男)と付き合っていて
実家に戻る様子はなかったのだ。

私は そんな周囲に反発していたから 
そんなふうにだけはならないように(爆)気をつけていた。

しかも、大学に入って 反発が一層強まったのだ。

それは。。。







土手の芝焼きをすると たくさんのゴルフボールが出てくる。
カラスがくわえてきたのか?
私は拾って持って帰って 愛犬のおもちゃにする。
噛み砕いたのを見ると ボールの芯には いろんな種類があることがわかる。






何の疑問も持たずに(少なくとも、持っていないように見えた)
跡を継ぐ、と考えるオトコどもが不思議でならなかった。

覇気がない! とも思った。

女性に対しても、なぜそう思えるのか?と 不思議だった。

イヤラシイ、とも思っていた。



仏教学部は 偏差値が低くても入学できた。

僧侶を目指す学生が みんな馬鹿に思えた。

実際、
坊さんになるには 国語と音楽さえできれば
勉強はできなくてもいい、とか

(つまり、お経がちゃんと読めさえすれば 
 英語も数学もできなくていい!)
 
男の兄弟がいっぱいいる中で
一番デキの悪いのが お寺の跡をとることになった、とか

(しかも、本当に、兄弟で一番不出来な子だった!)


私が通っていた宗門関係の大学に入学することを説得するために
親が息子に 車を買ってやった、とか

(しかも、本当に、
 バカ! としか言いようのない外車を買い与えるんだ!!!

 たとえば、ムスタングを買ってあげるから、
 あの大学の仏教学部に入ってね、とか。

 バブルの始まりだったのかね?)

そんな話は いっぱいあった。



あんな奴らと 付き合ったり 結婚したりなんて、絶対するもんか!
と 私は思っていた。



成績の悪い学生達は 不真面目に見えた。

仏教の勉強さえ、マジメにやっているようには見えなかった。

だいたいが、
あんな奴らが僧侶になって 寺の跡を継いで、お経を読んで、
死者が成仏できるのか?!

本気でそう思っていた。



そんな私も 
就職して 結婚して 子どももできて アタフタしていて
ようやく落ち着いてきた頃

彼らの噂を風の便りに聞くと、
なんと、あの不真面目馬鹿たちが 
意外にも マジメにやっているらしいことがわかった。

そんなもんなのかな~~~~?



あんな大きくて有名なお寺の息子が 
あんなアホンダラで どうするんだろう?
と思っていたアホンダラ先輩も
もうそろそろ有名な住職になってきている。

ふとした折に写真入の消息を見つけると
昔と同じ顔で 
少々老けていたり、ふっくらふくらんでいたり、の姿で
それなりにやっているみたい。

あの頃の私がしていた反発や心配って、
必要のないものだったのかしら?







焼いても踏んづけても 野の植物は元気だ。






一昨年 
実家の甥っ子が 僧侶になるための修行をした。

これで一人前の一歩手前、というところまできた。

私は安堵した。

実家の姉も闘病中だが
その夫で 住職である義兄も 持病を持っていて 
発作を起こしたこともあるという。

(だいたいが、太りすぎなんだよ!)

これで 何かあっても、安心だ、
そう 私は 思った。



仏教は、寺院は、こうして堕落していくのだろうか?

あれほど嫌っていた寺院の世襲に安堵するなんて、
私は 
ずっと こうした矛盾した考えを持っていたのか?!



ひとつ 嬉しかったのは
甥っ子が 僧としての道を歩き始めたことを
お檀家さんたちが喜んで下さっている、と聞いたこと。

お檀家さんというのは 
イバラキの 実家の周りの 農村地帯の 
あの強い訛りの(笑) 村の人たちで(いや、最近は市民になった)、

姉や私や それから甥っ子たちのことを
小さい頃から見知っている人たちだ。

(義兄は 実家の跡を弟に任せ
 東京の会社を退社して 
 父に弟子入りして 
 本山で修行もして
 父の死後、実家の寺の住職になった。

 近所の人たちが義兄に初めて会った頃には 
 義兄は30歳くらいだったと思う。)

そんな人たちが すごく喜んでくださっている。

甥っ子が伺うと 喜んでくださる。

甥っ子を 可愛がってくださる。

そして 同年輩のお檀家さんたちは
住職である義兄に向かって
「早く代替わりしろ!」と 冗談を言うそうだ。

(冗談でなかったら大変だ! 笑)

また 甥っ子は 年寄り達に とても‘ウケ’がいいそうなのだ。

オバチャンは 嬉しいよ。

叔母バカしてるけど、
世襲制も、悪いことばかりじゃ、ない、よね(汗)?







「生命の再誕」といった勢いを感じる。






世襲制でないとしたら、どうなるか。

私の想像が当たっているかどうかはわからないけど

いろんな規則がたぶんあって

このお寺の住職が亡くなって
(または、夜逃げして? または、追い出されて?)
ポストが空きました、となった場合、

近所のお寺さんから 派遣されてきた人が
本山の承認を得て 住職(または兼務住職)になる、

あるいは 本山から派遣されてきた人が
近所のお寺さんに認めてもらって住職になる、

そんな感じかと思う。

いずれにしても
「こんな人がいいな」と お檀家さんが望んだとしても
その通りになることは 滅多になさそう。



それまでの 良く知っている住職やその子息が
(田舎の場合、それこそ100年以上も前からの付き合いだったり;汗)
 
それまでどおりの付き合いを継続していける、という
安定した関係では なくなる。

より安定を求めるようになった年寄りたちにとっては
不安材料になるかもしれない。

だから、
多少 デキが悪くても、という気分も わからないではない(苦笑)。



一方、跡取りのいないお寺さんの場合、

現住職には 
次期住職になる僧侶を 選び出し、一人前にするという責任が 
少なからずあり、

後継者が赤の他人の場合、
それは かなり大変な仕事になるだろうと想像する。

実際、養子を取ったり 夫婦養子で後継者を入れたりした場合の
若い人と 熟年者との 仲というか 相性の良し悪しは大切で、

跡をとるつもりだったが 止めて 寺を出てしまった
(跡をとらせるつもりだったが、出て行かれてしまった)、
などというあちこちの噂は 耳にしてきた。

(『雲の上のキスケさん』で、キスケさんはひとり息子だとか。

 キスケさんの両親はどうするんだろう?)

(映画『パッチギ!』の男の子は 跡をとったみたいだったね;笑)



それが 跡取りが自分の子息ならば
ある程度の事までは やはり やりやすいはず。

(そして、‘ある程度’以上の事は  本人の自覚次第で、
 周りがどんなに教え諭しても 
 本人が自ら求めなければ習得することはできないのでは?)







きょうは、ホワイト・デー。 
過日出かけた亭主からは 
既にコージー・コーナーのホワイト・チョコレートをもらってある。
さっき 冷蔵庫から出して食べた。 もちろん、美味しかったよ!





まとまらないのに、エラソウなタイトルをつけてしまった。。。



免許を取得した息子の運転する車に乗って 実家に行って
久々に甥っ子の顔を見たのは
去年の5月のことだった。

甥っ子の頭は ボサボサに伸びていたのだった。



『雲の上のキスケさん』

2008-03-12 | マンガ
そんなに好きな絵じゃないし
そんなに好きなストーリーでもない。

でも、何故か、ハマっちゃう。

そんなマンガが 『雲の上のキスケさん』。

カバー裏には「おもしろピュア感覚のラブ・ストーリー」とある。

(1~5巻、鴨居まさね著、集英社、Yong You Comics、
 1998~2004、505円) 







土手の日当たりの良い場所では そろそろ菜の花が咲きだしている。
その周りには、イヌフグリが散らばってたように咲いていた。






キスケさんは漫画家。

OLの眉子といい感じに。

コメディにすれば 
オバサンにだって楽しめるんだね、ラブ・ストーリー。

物語全体のストーリーは 他の恋愛モノと たいした違いはない。

恋愛モノは、恋愛モノ。

でも 仕事の話とかの サイド・ストーリーが
とっても面白くて引き込まれる。

当然ながら、脇役がいい。

(マニーちゃん、カワイイ。)

それから、職場の イヤ~~な人間や
客の‘コマッタさん’なんかも
「いる、いる!」って感じで(笑)。

そして 彼らの関係が面白くて楽しい。







何が植わっているのか? それともこれから植えるのか?






キスケさんは 日光アレルギーで 日中は家に閉じこもっている。

彼のアパートの大家のオバチャンの亡くなった旦那が
生前、閉じこもりっぱなしのキスケさんを心配して言った言葉。

「地べたっから 真っ黒い雲が 見ええるんよのう。

 しっかし その雲を

 上っ側から見りゃあ

 太陽の光が当たって

 銀色に輝いとるんよの。」

この話が 漫画のタイトルになってるんだと思うんだけど、
これ、イギリス文学の話なんだそうだ。

・・・・・・・・・よく わかんない。。






第5巻で キスケさんと 友達の横地君が 
ファミレスで お茶を飲んでいる場面がある。

(この横地君も、奇妙なキャラ。)

キスケさんがしゃべる。

「こないださ・・・。

 何年かぶりに うちの親父から 電話があって、ビビった。

 今ごろまた 家業を継げとか言い出して。

 トシ取って ボケたか弱ったか 知んないけど。」

横地君が反応する。

「家業って・・・。

 おまえん家 寺じゃん。」

背景には 筆で書いたようなかすれた文字で大きく、
「ゴーン」と。。(爆)(p175)



登場人物の実家がお寺、って、
意外な状況を作り出す魔法みたいだね。

幸い、というか 残念ながら、というか
キスケさんと 実家のお寺とのやりとりは
ほとんど発展しないで お話は終結するんだけども。

やっぱり、珍しいのかねー。

数十軒とか数百軒とかの村に お寺はひとつだもんねー。






キスケさんが 知り合いの葬儀に参列して
眉子の部屋に帰って来たとき

‘清めの塩’がポトリと落ちた。

「清め塩・・・。

 お葬式だったの?」

「うん。

 その塩いらない。
 
 清めなきゃいけないようなことは 何もないから。」(p191)

「何もない」の「何も」って、何?



これってやっぱりフツーじゃないよね?

実家の父も 玄関先で 塩で清める、なんてことは
一切 しなかったように思う。

でもそれは
「私が読経して成仏させるから。」
とかいう理屈だった?

キスケさん、亡くなったその人のこと、尊敬してたんだね。



‘穢れ’の 最大のものは 死の‘穢れ’で、
(次が、血の‘穢れ’?)
やっぱりそれは 清めるべきもの。

お葬式に行って 塩で清めないと 何かやっぱり マズイかな?  



我が家は かなりいい加減(汗)。

清めたことも、あるんだけどねえ。。。

義母の時は 清めなかったと思うなあ。

亭主はやっぱり 
清めよう、とか 清めたい、とか 清めなくちゃ、とかは
思わなかったのかな?

神道では 重要視して 必ず清める気がするなあ。







何が蒔いてあるのか、細めの畝のビニールトンネル。






ところで、4巻(p24)にあったんだけど、

金木犀と 銀木犀と モチノキを セットで植えると
お金持ちになるって話、あった?

眉子の実家でも 植えてたんだって。



植えなかったから、私の実家は ビンボーが治らなかったのか?

なんと、その3種類、一本もないよ!(爆)



3月、
お彼岸が近づいてくると 
お墓から沈丁花の匂いがただよってきて
私はわけもなく フワフワした気分になったものだった。



『食堂かたつむり』

2008-03-10 | 読書
最近 2冊 本を読んだ。

その2冊とも 
「ぬか漬けをつけるお婆さん」が出てきた。

世間では ぬか漬けを漬けるのはお婆さん、と 
相場が決まっているのだろうか?







シラー・チューベルゲニアナ。 あまりに可愛いので 家の中へ。






そのひとつは『にぎやかな天地』で、
これは 私がこの窓を始めた年に新聞に連載され、
私が勝手に持っていた「脳」というキーワードに
もうひとつ、「発酵」を加える直接のきっかけになった本だ。
(→2004.12.28の記事

文庫になるのを待って買おうか、
それとも図書館から借りてこようか、
と さんざん迷ったが
きっかけを作ってくれた本だから、と自分に言い訳しいしい、
えいや、っと買った。

上・下 2巻だったから、出費だった。

この本については また後ほど。
(などと やっているから、
 大事な記事ほど 延々と先延ばしだ!)







もうひとつがこれ、『食堂かたつむり』。

(小川糸 著、ポプラ社、2008年1月15日、1300円)

(著者のHP→コチラ

(この著者のHPも ちょっとステキです!)



いつもの恵比須の駅ビルの書店に入ったら
ずらり!とこの本が壁画のように飾られていて
私の興味を引いた。

つまり 私の食いしん坊の魂(笑)に向けて 
何かしらを発してくれていたので
壁画ではなく 平積みの方から一冊購入。







著者のサイン本の 最後の一冊? ヤッター!!!






帯の スピッツのマサムネさんの

****************************

「食べる」ことは、

愛することであり、

愛されることであり、

つまり生きることなんだ。

って改めて教えられる

素敵な物語でした。

****************************

というのが、すごくよく この物語を言い表してると思う。






主人公は 倫子という。

傷ついて 故郷に帰り、レストランを開く。

いや、レストランじゃない、食堂。

その食堂の名前が、「かたつむり」。

この「かたつむり」ってのが、和・洋・中・沖縄・アジア、
なんでもござれの すごい食堂なんだ。

倫子は 半端じゃない努力をして 腕を磨いてきたようだ。



料理というものは すごく体力を使う。

それに プロともなれば 道具ひとつとっても
とんでもなく重い。

腕力が要る。

それから 美味しく作るためには 気力も使う。

一日に一組しか客をとらないレストランともなれば
相当 気を使うはず。

それができる倫子は 愛情深く育った娘のはず。

実際、体は丈夫なようだ(笑)。







こぼれ種から育ったルッコラ。冬中元気。食べきれない。






羨ましいのは、食材の入手方法だ。

まず、運転ができない倫子に代わって
遠い所や 重いものは 
‘熊さん’が軽トラックを使って運んでくれる。

‘熊さん’は 倫子にとって 一番の、
ありがたく 頼もしい仲間だ。



そして、自然。

誰しも 生まれて育った土地の自然というのは
一番美しく 郷愁を誘うものだとは思うけれど。



「ざっと見回したところ、食材にはあまり困らなそうだ。

 棚田には、重たそうに頭をたれた稲穂が
 こがね色に光っているし、

 山里なので、新鮮な野菜は
 動物にまでお裾分けできるほど たくさんある。

 都会のように 浄水器やミネラルウォーターをわざわざ買わなくても、
 近くの泉に行けば 冷たくておいしい湧き水が
 二十四時間いつでも手に入る。

 広大な牧場には、牛も、ヤギも、羊もいる。

 新鮮な牛乳に事欠くことはない。

 チーズにも挑戦できる。

 ちょっと行けば 養豚場も養鶏場もそろっているから、
 新鮮な豚肉も、地鶏も地鶏卵も手に入る。

 何といっても、これからはジビエの季節だ。

 (ジビエとは 狩猟によって捕獲された野生の鳥獣を言うらしい。
 フランス語らしい。)

 漁師さんにお願いすれば、獲った獲物をわけてもらえるだろう。

 それに、この村は 山に囲まれているけれど 海にも近いので、

 車で行けば 新鮮な魚介類も手に入れることができる。」(p43)



その上、山の斜面にはブドウ畑があって 地元産のワインもいけるし

お米もお水もいいから 当然 日本酒は美味しいのがいくつもあって

果樹園や ハーブ畑もある、という。

よだれが出てこない?(笑)

その上、‘おかん’が畑を持っているんだって!








こういうのを、「理想郷」と呼ばずして、何と呼ぶ?

私なんて、畑が欲しくて うずうずしてきちゃう。

以前は3坪の畑が欲しい、と言っていたが
今は6坪くらいあってもいい、と思っている。

プランターで育てたヒョロヒョロ野菜でも
可愛いし 無農薬だし 
美味しいし 安心だし 新鮮だ!



けど
もっと広い畑を貸してやるから、遠慮するな、と
以前 義さんに言われたが
それだけは遠慮しとこう(笑)。

草むしりさえ 間に合わないのに 収穫なんてできない。

でも いつか もっと
自分で育てた野菜を 食卓に載せてみたい。

これは、私の夢だな。







七草に使った後、根っこを鉢に植えておいた セリ。
その後2、3回 収穫して 吸い物などに使用。また そろそろ使えそう。






倫子の料理を食べて 人はみな 幸せになって行くようだ。

料理というものは みんな 魔法の力を持っている。

料理人という人は 魔法使いなのだ!



確かに 料理には 魔法の力がある。

特に 心を込めて作った材料を 心を込めて調理して
心を込めてサーヴしたら
それはもう 魔法の薬のようなものだ。

だから この本に出て来て 倫子の料理を食べる人たちは
人生が変わるくらい 古い心の鎧を脱ぎ捨てたり
願い事が叶ったり 恋愛が成就したりするのだ。



そういえば ‘命のスープ’というのが話題になった事がある。

スープひとつで 命を救う、そういうことは きっとある。

食事で 冷えや がんや ノイローゼや うつや 多動性障害が治る、
そんな事だって きっとあるに違いない、と思う。

食事というものは 口から直接 身体に入っていくのだから
当然、そんなことも起こり得る、と思う。

それくらい、食べるものは大切なのだ、と思う。

だから 特に若い人には ‘食’を 大切にして欲しい、
と願っている。






倫子が 故郷へ帰るときには 荷物はほとんどなく、
大きなカメに入った 祖母の 古いぬか床を抱いていたのだった。



新聞の 家庭面の投書に
ひとり暮らしを始めた娘から
ネットで 50年物のぬか床を買ったと 電話が来た、
とあったのは
昨日のことだったろうか。

ぬか床は ネットで注文する時代になった。。。



手間を惜しまない精神こそが 
伝統として 親から子へ、孫へと 
伝わっていってくれたら、と願う。

私から 子ども達へは 
伝わるはずもない、と思う。。



ガーデニング初日

2008-03-05 | 生ゴミ堆肥
きのうは うらうらと晴れて 春~~!って感じで 嬉しくて
散歩に行ってきた。

いつもとは ちょっと違う道をゆく。

農家の庭先には必ずある、自慢の花が 美しい季節なのだ。




初めて行った、隣ムラのお寺さん。

決して古くはない塀さえ 美しいと思う。



そこで気付いた、
私は 近所のお寺や神社に すごく興味があるのに
まったくと言っていいほど、訪れていないと。






梅は紅梅も白梅も咲きそろい、
あちらこちらで咲き競い、
けれど何故か ‘私の’梅だけは 花が遅い(泣)。




隣ムラのお寺さんのクスノキ。

トトロが住むようになるまでには あと800年は必要か?

それでも こうして見上げると かなり雰囲気はある。




これがヘリコプターからの画像だったらすごいゾ!

ネギ畑から ネギを抜いたあと。







例の、ルリタマアザミが腐ったカチコチの花壇に
土のう袋堆肥を入れてあった。


袋をかぶせて 石で押さえてある。

年内に埋めたはずだから もういいだろうと
暖かさに誘われて 散歩から帰った後、
急遽 はずすことにした。




ドキドキ。シャベルを入れる。 ヤッタ! やわらかい!!!!!




鳥に食べられてしまった茎ブロッコリー(スティックセニョール)が
復活してきたので ここに植えようかと思う。

プランターでは 2株くらいしか 大きくなれない。

とりあえず、得意の(笑)針金の鳥除けを設置。







今年最初の植え付けは 
3日の節句におひたしを作った 三つ葉の根っこ(笑)。

亭主の実家から棄てるために持ってきたブリキのジョーロに
石を入れて高さを調節して プラ鉢を収めてみた。





シラー? いいえ。 どうやら、生育不良の水仙の球根だったよう。

こんな間違いは、しょっちゅう(涙)。






最後の写真は ミミズ君。

土がカチコチの時には 青黒いミミズがいた。

きのう 出会えたのは このミミズ君一匹だけだったが
色が赤かったのが嬉しい。

ミミズの種類か性質か?

ミミズに関する知識は『ミミズのカーロ』程度しかない。

土を より フカフカに 栄養豊かにしてくれるミミズ君を
私は尊敬している。

・・・・・・触りたくはないけれども。


ハロー! ミミズ君♪ きょうは、啓蟄。


きょうは 雲も厚く 風も冷たくて 残念。

便座の話

2008-03-02 | 考えたこと
ついでだから、便座の話(笑)。



スイッチを入れた途端に テレビのドラマの中で
「トイレの便座を上げたままにする人!」
とやっていた。

熟年離婚(あるいは、単に離婚だったか?)
される男性に多いとされる傾向を 
週刊誌を手にした脇役が
主要な人物に向かって読んでいる場面だった。







わかる? わかる? 梅が咲いたよ。






「どうして彼と結婚しないのよ?」と怪訝そうに問う女友達。

確かに、彼は 同居人としては、理想的だ。

では、結婚しないのは、何故だろう?

と考える主人公の女性。

「きっと 彼は 便座を上げたままにするだろう。。」



これは、映画について書かれた新聞記事の一部。

古い映画について書かれた記事で、随分前に読んだのだが
何故か忘れられなかった。

同棲して 気の合うことを確認しあった男女は
結婚することがジョーシキだった頃の 
アメリカ映画だったと思う。







桜とはまた違う、清純な美しさを感じる。






どうやら 「便座」というものは
結婚 または結婚の継続に際して 
ことに女性にとっては 重大な意味をもつものらしい。







グン! と音を立てて 背伸びを始めた、チューリップ。






同様に 「フタ」についても考えてみて欲しい。

最近、駅やスーパーのトイレには 
フタが付いていないものも出現している。

でも あれは 必要があって ついていたもの。

家庭ではつけていて欲しいはず。

そして、フタは 開けるためにあるもの。

だから、閉めておいて欲しい。



東電のでんこちゃんだって、
フタをすることによって 
暖房便座の電気が15%も節約できる、
と言っている。



・・・・・・でんこちゃん、
上げっ放しにした便座って、どうなの?(笑)







シラー・チューベルゲニアナも いっせいに花を開き始めた。






私が亭主に教育できたのは、
「寝る前に 歯を磨きましょう!」
だけだった。

その他は なにも変えられなかった。

喫煙もしかり。

そして 便器のフタも 便座も 上げたら、そのまま。



そのほかも あちこち、
私にとって大事な所ばかり そのまんまの亭主だから

イラッとした時には
全部まとめて思い出して もっとイライラする。



こんな私って、フツーだったんだね(爆)。

でも・・・・・・「熟年」と呼ぶには、まだ早いよね・・・(微苦笑)。



トイレの話

2008-03-01 | 考えたこと
3月早々ではあるが、トイレの話を。

以前。

数年前だが、
トイレにもJISマークかなんかをつけよう、
という意見を新聞で見たような気がする。

日本工業規格?

それって、必要だよ!
っと思ったんだけど、
それからどうなってるんだろう?

なかなか統一できないみたいだね。







いつぞやの雪の日に撮影したブロッコリー。 
これは、こぼれ種から芽が出たもの。






私が 外出先でトイレを使う機会が増えたのは、
入院してから。

いや、退院してから、か。



病院のトイレは 便利だった。

もちろん、洋式で 暖房便座で ウォッシュレットで
「気分が悪くなったら押してください」
のボタンも付いていた。

ただ それが 押しやすい位置に付いていたので
水を流そうとして 間違えて押す人がたまにいて、

それらしきブザーが鳴っているトイレに走っていった看護士が 
笑顔で頷きながら帰ってくることもあった。

退院後
主治医の診察を待つ時間が長かったので
じっくりとそんなのを見ていたのだった(苦笑)。







鳥に葉を食べられてしまったりしながらも これだけの大きさになった。
決して 義さんや クラさんには 見せられない、恥ずかしくて。
そろそろ食べちゃおうかな? たったひとつの収穫物。






今、週に一度 整体と 歯医者と 鍼灸に出かけていて
それらの治療院やら あちこちの駅やら、

たまに定期健診で行く病院に近いデパート、
あるいはスーパー、

時には イバラキへの行き帰りの道々の
パーキングやコンビニのトイレを使っていて

やはり ボタンを探すのが 一番大変だ。

できることなら 使った後は すぐに流したい。

サッと! パッと! ボタンを押したいのに、
どれがそのボタンか、かなり迷うのだ。

そして これだ! っと迷わずボタンを押したら
水の流れる音だけだったりする(苦笑)。







ニンジン。 煮物の青みに 刻んで入れた。






「音姫」、これは発明モノだった。

音を消すために 水を流す女子トイレの 節水のための装置だ。

娘が通った女子高には 「音姫」が付いていた。

息子が通った 女子の少ない高校には 
「音姫」は付いていなかった。

これは、女子高には、
必須の装置なんだなあ、と思ったことだった。






この「音姫」だが
ある駅のトイレのは
中に入って ドアを閉めるとすぐに 音が流れ出す。

使用後、水を流すと すぐに音は止まる。

ムダのない仕様になっていて感心した。



だって 
最近のトイレのボタンは センサー式になっていて

手をかざすだけでスイッチが入るのはいいけれど

ドアの中に入って ドアを閉めようと身体の向きを変えていると
センサーでスイッチが入って水が流れ、

持っていたバッグをぶら下げたりしていると
またまた スイッチが入って水が流れ、

あらあら、どうしよう、と思っていると
水が流れているのに 音まで流れて

うるさいやら、ムダが多いやら、

環境に恐縮しつつ 出てくるまでに
勝手に4回も水が流れたトイレもあった。

う~~ん、これは・・・マズイんじゃないか?!
と思った次第。






ひとつには トイレの広さがまちまちだから、という問題がある。

それから 各トイレメーカーごとに
「これが使いやすいボタンの配置だ!」と
違う仕様のトイレを開発してきた問題。

加えて そういうトイレが これまたまちまちに
しかも 激しい勢いで 普及してしまった、という問題。



なかでも 洋式トイレは 10年前は これほど多くはなかった。

公共施設で 個室をいくつも作った時には
半分は和式だったろうと思う。

それが この10年、洋式トイレは 物凄い勢いで増え続け、
和式よりも洋式を好む人も増えた。

開発に携わった人にさえ 想像できない勢いで増えたのではないか?






シャワートイレも普及した。

ビデも付いている。

便座用クリーナーも普及した。

トイレットペーパーに吹き付けて 拭いた後は流す、
というタイプのものだ。



駅のトイレは 暖房便座でないことも多い。

我慢がならないのは、
座ったとたんに 思わず
立ち上がりそうになったり
「ひえぇぇぇぇ~~~~!」と声を上げてしまいそうなくらい、
冷たい便座だ。

同じようなプラスティックの便座なのに
冷たくないものと
この 「ひゃっこい」便座があるのだ。

しかも、見た目では 区別がつかない!(怒)




障害者用のトイレも増えた。

子供を座らせておける設備を供えた個室も増えた。

これらは、喜ばしい。

オストメイト対応トイレ
これは増えたのかなあ?

同じ「がん」による不便だから、
そして このトイレさえ増えてくれれば
普通に仕事をすることも可能な人が増えるはずだと思うから、
もっともっと増えてくれれば、と願う。







刻んで干した柚子の皮。義さんからいただいた。
急須に お茶の葉とともに入れると 香りのあるお茶が飲める。






週に一度 あちこちのトイレを借りて使いながら
それぞれのボタンの位置を頭に入れることは不可能な頭脳を持ち、

いつも 
「早く、トイレにもJISマークを・・・。」
と思っているのは、
私だけなのだろうか。。