ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

年末年始のご挨拶

2014-12-31 | なんでもないこと
年内に書いてしまいたかった事を 
今年も持ち越してしまいそうです(苦笑)。

いっぱい、いっぱい、書きたい事があるので、
来年も お付き合いくださいませ。

とりあえず、チョー多忙な年末年始になりそうなので、
いっぺん、仕切りを。

今年もお付き合いくださいまして、
ありがとうございました。


「五十路前の憂鬱」

2014-12-27 | 更年期
児玉清氏は、俳優であり、司会者だった。

        

          


(切り絵作家でもあったらしい?)


          



以前 私のこの『窓』にご出演(?)いただいたのは、


司会をしていた番組(「働き盛りのがん」(1))について
書いた時だった。

その時私は 娘さんの癌死についても書いた。

そして 児玉氏ご自身も 癌に斃れた。



すぐれた読書家でもあった氏は
エッセーも書いたが 書評なども手がけており、

亡くなった後も 文庫版の解説などで
思いがけず出会う事がある。

懐かしいお父さんに出会えた気分になる。






奈良へ出かけた時に
『古寺名刹 巡拝の旅 44 吉野 奈良』(集英社、2010 580円)
を開いた時も
氏の連載エッセーに出会えたのは、嬉しい驚きだった。

そう言えば、連載、してたよね(汗)。

この巻のタイトルは、『五十路前の憂鬱』だった。



児玉氏は 48歳だった頃
ホームドラマや大河ドラマに次々に出演し、
「パネルクイズ・アタック25」の司会も7年目を迎え、

「すべては順風満帆、なんの憂いもないといった毎日」
の中で

「なんとなく 人生の曲がり角に立たされているような感じ」
を持ち始めていた、
と そこには書かれている。



「50歳という人生の一つの節目を前にして、
 何か背中にうすら寒さをふと感じるというか、

 肉体的には さほど衰えは感じていないのに

 なぜか心が落ち着かない。」



「人生の ある種の熱狂の時期を過ぎ、
 何か燃えるものがない。」






そんな時に思い出したのが、
石川達三の小説のタイトル、
「四十八歳の抵抗」という言葉だったそうだ。

(流行語にもなったらしい。知らなかったけど。)

そして、一時期、<抵抗族>という言葉も流行ったそうだ。

児玉氏は、
「男が 力の限界を思い知る年齢なのだろうか」
と書いている。


ある日、

「僕も<抵抗族>のひとりかな?」

と児玉氏が言ったら、知り合いのドイツ人が

「それは 誰もが迎える 男の更年期(メノパウゼ)さ」
と あっさり答えた、という。






その頃 男性にも【更年期】があるとは、
日本人のほとんどが 知らなったと思う。

私は 乳がんになって 更年期に
「メノポーズ」という呼び方がある事を知った。

ドイツ語だと、「メノパウゼ」になるんだねぇ。



ドイツ人は、 
「解決法は 恋愛をすることだよ。」
と続けたそうだ。

(恋愛=何でもいいから 心の底から惚れるもの、だそうだ。)

その後 児玉氏は、最高の恋愛相手を見つけて熱狂したという。

なんと、相手は 英語で読み解くミステリーだったそうだが。






石川達三が どうして
著書に「四十八歳の抵抗」というタイトルを付けたのかは、
私は知らない。

50歳を前に 男として最後のあがきをする物語なのだそうだが。



ただ 「四十にして惑わず」という言葉に反して、
長寿化した日本においては、
40代は 大いに惑う年齢だ、と聞いた事がある。

来た道を振り返って、

このまま先へ進むべきか?

あるいは 違う道を辿るべきか?

あの頃 行きたいと思っていた道に戻る事は
今ならまだ間に合うのか?

それとも もう遅いのか?

老いた親や まだ一人前になっていない子供は
どうすればいいのか?

女房は、何と言うだろう?

人生が50年だった時代と違って、
そう思い悩むのが 現代においては 40代なのだそうだ。






私が 45歳で 乳がんの手術をしたので、

亭主の<48歳>は 

女房の乳がんの再発の心配と

これからますます教育費が嵩んでくるふたりの子供と

アルツハイマーを発症した実家の実母と

衰えて来る自分の身体などを胸に抱えて

右往左往していた時期だった。






現在、女房は 術後12年を過ぎ、
自身は 還暦を前にしている。

更年期が まだ少し続いている亭主は
母を送り、父の老いと向き合い、
時折 鬱に入りつつ
家族を背負ったまま 人生を走り続けている。

相当、疲労を自覚しているようだが。






熱狂するものが見つからないまま、
亭主は走り続けるのだろうと思う。

走るのを止めたら、
もう 一歩も 
前には 進めなくなってしまいそうだから。

それが亭主の人生なのだろうと 
私は諦めているところがある。

本当は 今年 奈良に行ったみたいに
一緒にちょっと 休んだり遊んだりして欲しいんだけれども。



クラス会

2014-12-13 | 更年期
亭主は、本日、実家へ帰っており、
今夜はクラス会に出席する。

幹事の一人に名を連ねており、
これまですでに数回の幹事会として
食事会(?)に出ている。

これでようやく終わる(タメイキ)。






これから書く記事を、「更年期」のカテゴリーに入れてしまって、
良いものだろうか?(汗)

とにかく、最近の亭主のあれこれを書いてみる。



亭主は、予想に反して、ハゲなかった。

(祖父が見事なアタマだったらしい。)

白髪も そう多い方ではない。

かわいそうに、亭主が悩んでいたのは、眉毛だった。



白髪の多い眉毛を 以前から気にしていたが、
くだんの幹事会で かつてのクラスメイトに
「お前が一番 老けたな」
と言われたらしい。

それはやっぱり、オトコとしてもショックだったろう。

そして その原因は 眉毛にあるに違いない、
と信じるのも仕方がないだろう。

だって、気にしていたんだもの!(笑)





こうして 亭主の アンチ・エイジングは始まった。



眉毛を染める。

どうやって?

それは、床屋さんに教えてもらった方法らしい。

白髪染めを買ってきて、眉毛に塗るのだ。

ただし、目に入らぬように気を付けて。

お風呂で。

小さなブラシ、は、ないから、綿棒で。





ここに、写真はないから載せられないが、
なかなか自然な感じになってきた。

白髪がグレーに染まって、しかも目立たない。

目立たないけど、頭髪とは なんとなく色のトーンが違うから、
私には 違和感が 少しだけ、ある。

私にはあるけど、久し振りに会った元クラスメイト達には、
バレないに違いない。

よかったねぇ(笑)。



ちなみに、亭主が使っていたのは、
「メンズビゲ○ カラーリンス」というもの。

マメに使っていれば、何週間もたたずに 効果があらわれそう。

ただし、バスルームに 使った後の綿棒が置き忘れていると、
後から入る人は 気持ちが悪いとか、ムッとするとか、
それは、あると思う。






亭主が カラーリンスを使うようになってから
しばらくの後。

洗面台に見慣れないチューブが。

見ると、「MEN'S ケシミ○クリーム」とある。

なんと、亭主は クラス会に向けて、
お肌のシミまで 消したがっていたのだった!(爆)



義父も義弟も、元来 色白なせいか、
茶色いシミが目立つ。

亭主は それほど色白でもなく、シミも目立たないのだが、
そりゃあ、あるとも。

あるけど、気にしてるなんて、思ってもみなかった。

こちらの方は、効果は はかばかしくない。

あまり使ってなかったのかな?






それで?

シミまで消して、誰に会いたいわけ?

とは、聞かないけど。






男性にも 更年期はある。

(参照:オトコの更年期

そして 男性にも アンチ・エイジングをする権利がある。

だとしたら。

私たち女性は もっと堂々と 
アンチ・エイジングに精を出しても 良いわけよね?

お金もかかるけど、いいかしら?(笑)






亭主は 今夜 帰ってくる。

効果はどうだったか、聞いてみたい(笑)。



オリモノ その名残

2014-12-01 | 乳がん
恥ずかしいついで? だから、
オリモノについて 少しだけ書く。

オリモノについては、
「更年期」のカテゴリーに入れたり「乳がん」のカテゴリーに入れたり、
定まっていない。



   「オリモノ(1)」 は更年期のカテゴリー、

   「オリモノ(2)」は乳がんのカテゴリー。

一応、わかってて 分けていたらしい(汗)。



「復活!!!(2)」では
乳がんのカテゴリーで書いており、
「オリモノかぶれでヒリヒリ、も再発した」と書いた。






このブログの中で検索すると、
「オリモノ」では もうひとつ、

「オリモノ(おまけ)」

というのがある。

実は、この頃のオリモノ事情を 
私は覚えていない(汗)。






薬の副作用としてのオリモノは、渡された紙に書かれていた通りに
「帯下(おりもの)」と ひらがなで書いた。

「おりもの」と ひらがなで このブログの中で検索すると、
また少し違った記事が出てくる。

「おりものかぶれ」は、ひらがなで書いていたからだ。

メルスモン注射で「おりものかぶれ」がスッカリ良くなった、
なんて事は、スッカリ忘れていた!(苦笑)





最近の私は 毎日 オリモノがある。

いや~ね。

ない方が、サッパリしていいのに(涙)。

でも、これも、
自分が まだ少しは 女性である証、かな、と。

ただ、オリモノがあるからといって、
セックスの時に ゼリーが要らなくなったか、といえば、
そうではない。

オリモノとセックスは、別物らしい。





この、現在のオリモノは、
どうも、「オリモノ(おまけ)」で書いた頃のものとは、
少し違うような気がしている。

そして、現在のオリモノになったのは、
タモキシフェンの飲用を停止して
2年ほど過ぎた頃からだったと記憶している。

そして、私は、
「あ~、【1年や2年】、だったなぁ。」
と思ったのだった。



皆さんは、覚えておいでだろうか。

私の執刀医は、何につけ、口癖のように
「1年や2年は かかるんだよ」
と言っていた事を。






うっとうしいオリモノ。

ただの、オリモノ。

けれど、乳がんの治療をした身には、
「ただのオリモノ」とばかりは言い切れない。



ただ、これって、
いつまで続くんだろ?

なくなったら なくなったで、
やっぱり 寂しいんだろうか?

ちょっぴりブルーな(?)最近のジョルジュである。