ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

日進月歩(2)

2010-01-31 | 乳がん
「実は私、乳がんなんです。

 来月、手術を受けることになっているんです。」

深刻そうな顔で 打ち明けてくださった女性に、

亭主は 私を指さして

「これも そうです。」

と言った。



指を指した亭主に 少しばかりムッとしながらも
(「これ」はないだろう!)、

いつになく (不必要なまでに)
ニコニコしてしまった私(苦笑)。

去年の事だ。







走る、愛犬。






その女性客は かなり悩んでいらしたようだったが
手術直前には かなり快復(精神面で)なさっていたし

何の気なしに受けた検診で見つかった
かなりの初期の乳がんだそうなので
心配はしていなかった。

術後はより一層 お元気で・・・・・・、
おいでになると、かなり、ヤカマシイ(汗)。



なんでも、その方のがん細胞は
ヒコーキに乗って 海を渡って
アメリカに行ってるんだそうで(汗)。

クール宅配便?(笑)

アメリカでの遺伝子検査を経て
術後の治療法を決めるのだとおっしゃっていた。

・・・お金、かかるんでしょうねえ(苦笑)。







顔が・・・・・・笑ってる?
そして、かなり、太った?(汗)






乳がんというのは、(たいていの場合、)
癌の中でも、ラッキーな病気だと思う。

スイスのザンクトガレンという町に
乳がん専門家が終結して 
乳がんの最新戦略:
最新のデータに基づいた 今もっとも効果的とされる治療法は何か?
が2年に一度 更新され続けているからだ。

残念ながら これは‘初期治療’ということになっているが

私の服薬治療が 5年間から10年間に伸びたのは
こうした医療者たちの精進によって
その方が生存率が高まる、という確証が得られたからで、

恩恵に浴することができるのは、
やはりラッキーだと私は思っている。



粘液癌や 炎症性癌など
これまで症例が少なくて 効果的治療法が未知数だったものも
少しずつ情報が増えてきている。



新しい治療法も 次々と出てきている。

免疫細胞療法なんてのも(高額らしいけど)出てきたよね。

この時代に癌になった私は 選択肢をたくさん持っている。

これは 持っていた方が やっぱり得だよね?







今日の写真は、去年の秋のもの。セイタカアワダチソウが盛りだった日。






根拠に基づいた抗がん剤を使った標準治療というものに
疑問を投げかける人もいる。

(たとえば→現在のガン治療の功罪~抗ガン剤治療と免疫治療

ただし、乳がんは、
この、髪が抜ける‘標準治療’が
効を奏する癌なのだそうだ。

これも、相当、ラッキーだと思う。

私の場合は 術前の療法はなく、
術後の補助療法がホルモン療法のみだったが

今後 何かあれば 
これから標準治療の抗がん剤を使うことができる。






人の ひとりひとりの顔が違うように
癌は やはり ひとりひとり、違っている。

治療による副作用も 違っている。

あの人に効いた治療が 私にも有効とは限らない。



たとえ癌の場所や病期が同じだったとしても
ひとりひとりの育った環境が違えば
価値観も違うし 職場環境も違う、
家庭(家族)環境も違う。

あの人にはできた通院が 私には苦痛かもしれない。



さまざまな選択肢から 
自分で納得した治療を受けて
納得したうえて料金をはらわなくては。

経済状況が違えば、
お金の価値も ひとりひとり違うだろう。






治癒率が99.9%だったとしても
残りの0.1%に入ってしまったとしら 
その人にとっては 100%ということ。

0 または 100。 なのだ。



エビデンスがどうのこうの、と言っても
実際に 思い通りの行動ができなければ
(動きや活動が制限されるような状態になってしまっては)
ラッキーだとかは 
あまり言っていられないだろう。



それでも、「働き盛りのがん」での発言にあったように、

「癌で失ったものがあっても 人生が終わったわけではない。」

「癌を早期発見することはできなかったけれど
 別の大切なことを 早期発見できた。」

というのは、私の実感でもある。






乳がんが アンラッキーと思えるのは
再発や転移しやすい癌であるということと

治療が10年にわたることが多いということ。

癌の手術をした人にとっては
(たいていの場合)手術が治療の始まりで、
長い長い闘病が それから始まるのだ、ということ。



30代で乳がんの手術をした女性は

「リスク期間が10年というのは とても長い。

 人生の一番良い時期を
 治療に費やす事は とても悔しい。」

ということを述べている。



けれど 人生は まだまだ先がある(はず)。

「そんなの、どうって事ないわ!」
と 笑い飛ばせる日が来るかもしれない。

癌の人も そうでない人も

これから癌になる「2人に1人」も
そうでない方の「2人に1人」も

「いつ死が訪れようと 悔いを残さない人生を心がけよう」



・・・・・・ココロガケマス(汗)。






私も もう 術後7年を過ぎた。

乳がんの 最新の治療法には 関心が薄れてきている(苦笑)。



砥部けいこさん

2010-01-30 | マンガ
砥部けいこさん(とべ・けいこ=漫画家)。

今朝の新聞に死亡広告にあった名前だ。



その名前を見て、
「まさか。」 
「違う人であって欲しい。」
と思った。






28日 死去。

52歳。



視線を先に移すと・・・。



「自閉症の子供を持つ母親の奮闘を描いた「光とともに・・・」が
2004年、文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞、テレビドラマ化もされた。」

とある。



ああ、やっぱり。

あの漫画の著者だ。






別に お会いしたわけでも ご縁があったわけでもない。

テレビドラマになっても一度も見ていない。

けれど 『光とともに・・・』は 深く考えさせられる漫画で、

少なくとも 私にとっては
「自閉症」という病気の教科書だった。






「マンガ」というカテゴリーを持っている私は

こんなマンガがあるのよ!

こんなのを読んだのよ!

こんなことを考えたのよ!

ということを この窓で伝えたい、と思っているのだが



なかなか記事にするにいたらないものが多い。

その中のひとつに『光とともに・・・』がある。

ウィキペディアによると 作者の病気療養のために連載を休んでいたらしい。
(→『『光とともに…』



残念。

すご~く、残念。



きっと たくさんの自閉症児を持つお母さん方が
残念に思ってらっしゃるだろうと思う。

そして ご本人が きっと一番 無念だったろうと思う。



合掌。



日進月歩(1)

2010-01-29 | 乳がん
前回の「働き盛りのがん」は 
その前に放送された同じくNHKの立花隆氏の番組を
見逃してしまったのに

けっこういろんな人がご覧になっていた、とわかっての
あせり?みたいのがあっての視聴だった(汗)。

番組を見て その感想を この窓で述べるのが
私の義務だったのではないか? 
なんてね。

義務感じゃあこんなに何年も ブログは続かないけどね(笑)。



「働き盛りのがん」には 40代の代表?として 
37歳で乳がんの手術をなさったという女性が参加なさっていて

実はほんの少しだけ 私ともご縁のあった方で、びっくり!

(録画して)見ててよかった! と思った(笑)。

その方が 実に 凛々しくも美しくて 嬉しかった。







我が家の 凛々しくも美しい愛犬。






乳がんの治療法だけでなく、
その他のさまざまな制度においても、
歩みはノロいものの、仕組みは変化してきている。

たとえば、カルテの情報開示請求というのがある。

はじまった2004年年当時、
<画像>は対象になっていなかったが、
今ではできるようになっているらしい。

(なんでも、一枚600円とか?)

術前の癌の写真は 
後からは決して撮影できない貴重なものだと思う。






私が手術を受けた頃には
まだ広く認知されていなかった
「センチネルリンパ節生検」というのも、
今や 当たり前。

手術を受ける病院で この生検をやっていなくても、
あきらめよう、と思っていたのに
私が通っていた病院では 取り入れられていた。

これは大きな安心材料だった。

(残念ながら、生検の結果、
 私は腋下リンパ節を 全部取ることになったが。)



「乳房温存術」とか「温存率」なんて、
あたりまえ過ぎて あまり聞かなくなった。

温存で手術できるうちに、見つけようね。







去年の夏の写真で、愛犬も少しはスリムで 庭は・・・草だらけ(汗)。






あの頃には 夢のようだった「同時再建」とは
乳がんの切除手術と同時に 乳房の再建手術をすること。

治療は2重になるが 
何年もたってから また手術、通院、
となるよりも 効率もいいし
心理的にも患者に優しいものになると思う。





乳がんの切除に 内視鏡を使う医師もでてきている。

癌の取り残しが危惧される、ということで
強く反対する医師たちも多かったようだが、
国際的に認知されてきているらしい。

内視鏡手術のいい点は 何と言っても傷跡が小さいこと。

切除範囲が狭い場合には
私が作った模造おっぱいなどは必要なく、
ヌーブラ’で充分カバーできるらしい。





一方で 術前に抗がん剤治療を勧める医師も増えたようだ。
(抗がん剤が効くタイプの癌の場合。)

切除範囲を狭くすることで
乳房の変形を最小限にとどめることができるので
若い患者には 受け入れられている。

けれど この場合
乳房を失う(または乳房の変形の)前に
まず髪を失うため
心理的には かなり負担だと思う。



どれが良いか、は
患者が決める。

術後の補助療法についても同様で
私の主治医も 例の早口で
「どうする?」
と聞いてくる。

そんなにスパッと決めらんないよねえ。。







今よりも、かなり、スリムな愛犬(汗)。






「自分の身体」なのだから、
「自分の病気」なのだから、
病気に関する知識は 
やはりある程度は勉強して
持っていたほうがよいように思う。

そうでないと、
「納得した治療」を受けることは
できないのではないだろうか。



小沢さんも

2010-01-27 | 乳がん
小沢征爾氏が 早期の食道がんの治療のために
半年間の活動休止というニュースに接した。

「人間ドックは大事。

 皆さんも受けて。」

と表情は明るかった、と新聞記事にもある。







長い間バッグが欲しいと思っていたが 年末に ようやく欲しいタイプを見つけて購入♪ 
色は メタリック・パープル。
手に持って歩いても引きずらない、かつ 肩にラクにかけられる持ち手の長さ。






小沢氏の癌は ごく早期のもののようで、
心配はいらなそう。

サイトウ・キネン・フェスティバル(8~9月開催)までには
本当に復帰できるかも!?

ただし ウィーン国立歌劇場の音楽監督や
そのほかの休止中の仕事を降板することは
やはり無念であるに違いない。



氏は まだ74歳。

ご近所の農家で言えば、まさに働き盛り(笑)。

まだまだ活躍する姿を見る事ができるはずだ。

心配はしていないが、
それもこれも早期の発見があったから。



乳がんも 早期で発見できれば、
(たいていの場合、)
怖い病気でもなんでもない。







先日まで カバーをかけて持ち歩いていた文庫本は 
『剣岳 <点の記>』、新田次郎著。



乳がんは 今や
早期で発見できれば、100%に近く、完治する病気だ。

以前「87% - 私の五年生存率」という
乳がんを扱ったテレビドラマがあったが、
当時から 87%はないだろう!と思っていた。

(患者たちからの訴えで 番組名は『87%』に変更になったという。

 そこまでする必要があるか? と私は思ったのだったが
 やはり癌という病気に 心まで傷ついてしまっている人たちには
 キツイ言葉だったようで、
 過敏な反応がされたようだった。)






技術も変わる。

病院も、変わる。

社会だって、変わる。 



セカンド・オピニョンを、と申し出たら
医師が怒りだした、
などと聞くこともなくなってきた。

(だいたい、そんな医師の治療は 受けない方がいい。)

サード・オピニョンくらいは 今や常識なのだそうだ。



それはそうだろう。

何しろ、自分の命、自分の身体だ。

他人の、たったひとりの医師の判断にまかせてしまって
いいわけはない。

そこに<信頼>がなければ。



その代わり? 
患者にも 癌および癌治療に関する ある程度の知識が不可欠。

医師の話を よ~く理解できなくてはね。

それは、ちょっと大変(汗)。






あの頃の私にとって
決して 主治医との相性は 良くはなかったが
ある意味、ゴッド・ハンドの持ち主であるという事が
気分的には重要だったと思う。

それにしても、あの物言い!

なんとかなんないかねえ。

ならないねえ。。。

主治医との相性、これも大事、ウン。



「働き盛りのがん」(2)

2010-01-24 | 乳がん
さて、本題の「働き盛りのがん」という点について。

これはやはり 
今までのがん特集番組に物足りなさのあった部分だった。

がんの治療のために 
あるいは その後遺症のために
職場を追われ、収入の道を断たれるということは、

経済という生活の基盤を失わせて
患者を不安に陥れるのみならず、

治療に必要な財源を失わせ、
治療の継続を困難にさせる。

(たとえば。→NNNドキュメント’09動画 「シリーズ『命の値段』(1) 
(↑ 25分23秒かかるので、お忙しい方は無視して!)



私の昔の職場の先輩、M女史も
癌による治療がもとで、職場を失った。

私のかつての上司の中の、いったい誰が、
有能な彼女にそれを宣告したのだろう?

私と違って コネがなかったからなのか?

ならば、コネ氏が高齢になって引退していた私も
同じ条件になれば 同じ待遇に処せられたはずだ。

日本人の2人にひとりが癌を罹患し、
3人にひとりが癌で死ぬ時代に!



けれど、重要なのは、それだけではなかった。







白菜半分に 塩・砂糖を少々、鷹の爪2本とニンニクひとかけ。
これに酢を2リットル入れて置いておくと 3日過ぎ頃から食べられる。らしい。
暮れにいただいた白菜がたくさんあったから、これはぜひ!と思ってトライ!






1200人のがん患者へのアンケートの結果が出ている。

(がんになって仕事を失った人は 35.4%)



仕事を失ってショックだったことは?

→仕事を失って 精神的な支えをなくした事:約30%

これが一番多かったそうだ。



仕事を剥奪されると、疎外感を味わう。



社会から隔絶してしまったという感覚がある。



仕事のスキルが挫折したような。

それまでの 自分の人生を否定したような気持ち。

宝物の入った箱(=仕事)を 置いてきてしまったような。



戻るべき職場を失くした。

「早く手術して、早く治して、早く仕事に戻りたい」、
そう思っていたのに。



赤字社員と呼ばれた。

リンパ浮腫で 立ち仕事ができない、と伝えたら
「嫌なら辞めていい」と言われた。

2度の再発の事を聞くと、
「正社員はやめて アルバイトの貼り紙の求人に応募したら?」と
ハローワークで言われた。

「あなたの席は ありません。」




「癌の告知よりもショックが強かったです。」






働き盛りの人間にとって 
社会との接点(職場)を持っていることが、
生きる証である。

それは 私も 痛いほど感じていた。

私にとっての職場の上司は 亭主ひとりで、
「お前は出て来なくていい。」
とだけ言われて いつも家に引きこもっていた。

自分は役立たずなんだ、
必要のない人間なんだ、
いなくてもいい人間なんだ、
と 日々 感じながら 家に居た。

あの頃 私は 
病院に通うのと 買い物に出かける以外の 
社会との接点を すべて失っていた。

加えて、ホルモン療法の副作用によるうつの感情。

疎外感。

孤独感。

無力感。

絶望感。

乳がんで死ぬとは思わなかったが、
生きていて良かったとも 楽しいとも、
生きていたいとも思えない日々。



以前にも同じことを書いたと思うが、
人は 誰かの役に立っている、という実感があってこそ
生きている喜びが、実感があるのではないだろうか。







白菜は酸っぱくて食べられなかった。酢をケチって1リットルしか入れなかったせいではないよね?
入れたニンニクがこんなヒスイ色に!!!






番組の中で ある人は 
私たちの前に立ちはだかる壁には 3つある、と言った。

職場の壁と、社会の壁と。

もうひとつは、患者自身の壁。
  
  職場の理解を得るためには 自分から発信して 
  伝えていかなくてはならない。

  自分はこうしたい、職場との関係はこうありたい、と。

あー、なるほどね~。

今の私でも難しそうだな。

相手が、亭主だ。

この、自分の壁が、一番手ごわい!






社会の壁については、

  癌=死 ではない、と認識してほしい。

  本人にもあきらめて欲しくないが
  周囲の人にも 
  あの人は癌になったかわいそうな人とは思ってほしくない。

という意味のがあった。

胸がすく、というか、
心に涼風が吹いたような思いだった。

・・・この季節だもの、暖風の方がいいかな?(笑)






がんと闘う子どもたちのドキュメンタリー映画がある。

風のかたち――小児がんと仲間たちの10年――」という。

小児がんも
医学の進歩により、10人のうち 
7~8人は 治るようになったのだという。

(充分だとは言えないが。)

この映画のフィルムは 非公開で撮りためたものだったが
現在は自主上映されているらしい。

ひとりでも多くの人に
患者の体験の声を しってもらいたかったから。
「不治の病でないことを 強く伝えたい。」

監督:伊勢真一   

参照:風のかたち←お時間のある方、ぜひこちらを。

小児がんの患者やその家族たちも
実は同じような思いだった?






癌は 苦しみや悲しみをもたらすけれども、
決して 悪いことばかりではない。

癌を罹患してもなお、
幸せそうな笑顔をみせてくれる
前向きな活動を展開してくれる

そんな人たちが
こうして存在する。

きっと もっと いっぱい
そんな人たちがいるんだろうなあ。






同情はいらない。

過度の心配もいらない。

ただ 当たり前の共感を。

ごく普通の関係を。

がん患者は 「かわいそうな人」ではないのだから。



そして ちょっと困ったな、という時に
「ちょっとだけの手助け」を。

ただそれだけの事で 
普通に生きていけるがん患者は多いのだ。

もちろん、あなたが 
「2人に1人」の「1人」になった時にも
周囲の「ちょっとだけの手助け」は
大いなる力になってくれるだろう。



そう思ったし、
見た人が そう しっかり感じ取ってほしい、と 思った。



追記:番組の再放送は2010年 1月31日(日)
   放送時間 :午後3:30~午後5:00(90分) 
   きららさん、ありがとう♪






「働き盛りのがん」(1)

2010-01-20 | 乳がん
児玉清という俳優がいる。

今、NHKの『龍馬伝』で 龍馬の父親役を演じている。

昔のホームドラマでは「優しいお父さん」というイメージの人だった。

年齢を重ねて「優しいお爺さん」が似合う素敵な俳優になったなあ、
と思った。

クイズ番組の司会より 年寄り役を いっぱい演じて欲しい(笑)。



その児玉清が、年末の26日に 司会というか、進行役をしたのが、
『NHKスペシャル 働き盛りのがん』だった。
→(NHKオンライン 働き盛りのがん







一昨年の寄せ植えのミニ葉ボタンが ひょろひょろと伸びていた。
野鳥たちは 食べるものがなくなると このミニ葉ボタンをついばんだ。
思いがけず、ミニ葉ボタンの切り花ができた(涙)。






5人のがん患者と児玉氏とのトーク部分には
温かなものが流れている気がした。

調べてみると 児玉氏は 
ドラマ『HERO』への出演を説得したという元マネージャーの長女を 
36歳で 胃がんで失っており、

かなり辛い思いをしたようだ。
(→『負けるのは美しく』 児玉清著 集英社)

あのスタジオには がん患者たちの哀しみと苦しみの他に
児玉氏の優しさと哀しみも
一緒に溢れていたのかもしれない。







長く伸びた茎の途中で切れてしまったミニ葉ボタンは
容易く発根した。






この番組の特徴のひとつは、ドラマ仕立てにしてある事。

出演した関原健夫さん(64歳)の
1984年の大腸がんの最初の手術に始まる闘病を 
上質なドラマにして 挟み込んである。

進行した大腸がん、5年生存率20%。

その後 肝臓、肺、肝臓への 転移・再転移と
手術を繰り返す。

関原さんの場合、
かなり恵まれた就労環境と家庭環境だったと言える。







あれ? やっぱり!  葉っぱが、どんどん緑になっていく!






もうひとつ、最大の特徴は 
「がん=死」「がん=悲劇」「がん特集番組=お涙ちょうだい」
ではなかったこと。

また、立ち遅れた医療行政を声高に批判し、
つつく発言がなかったこと。

それがとても気持ち良かった(笑)。

だいたいが、1986年に5年生存率20%の大腸がん患者が
ゆったりと年をとった(ように見える)状態で
番組でニコニコとしゃべっているのだから、
がん患者が見ていても 希望がわくというもの。



これまでも秀逸な番組は放送されてきたが、
たいていの場合、

海外では使われている薬が 承認されていないばかりに
治療を打ち切られて <がん難民>になって漂流しているとか、

承認されていない薬を使った高額な治療を受けているために
「お金の切れ目が 命の切れ目」になっているとか、

治療の地方格差があるために 大変な思いをしているとか、

一歩まちがえば 
誰でもがその悲劇の主人公になってしまう、
その可能性がある、

という、重苦しいものが漂っており、

実際に 番組では盛んに発言していた人が
放送後間もなく 目を瞑ってしまうことも多かった(合掌)。



今や、癌との戦いは 
早期に発見し 早期に治療を始めれば
または
決して諦めなければ
かならずしも「負ける」と決まったものではないのだ。






重苦しい話題でスミマセン。

でも、まだ続くのデス(苦笑)。



1月31日(日)に 総合テレビにて 再放送予定。


                            つづく(汗)

正月の行事

2010-01-16 | なんでもないこと
古くからの日本の行事は 守っていきたい、
などとは考えていない。

宗教行事に関しては 多少の義務感があるけれど、
それだけでは楽しくない。

日常を彩るさまざまなことを
少しでも楽しんでやっていければ、と思ってのこと。













11日には 忘れずに 鏡餅をさげた。 亭主が。

14日には もちろん、注連縄をはずす・・・はずだった。

前日には覚えていたのに 
思い出したのは15日だった(汗)。



去年の暮れには とうとう家族そろっての買い物に行かなかった。

大根〆と一緒に 玄関のリース型注連縄を買ってきたのも亭主。

私が好きそうなものを選んでくれたらしい。

(でも、いつも、私の好みとは すこ~し、ずれているのだが。)

亭主は 私がはずした玄関のリースを
「どんど焼きだ」と言って
神棚の注連縄と一緒に 庭で燃やした。







当地は年越しにうどんを食べる。 
我が家はそばが好きなので、年越しには、断固、そば!
けれど 去年は こんなお歳暮をいただいた。 
消費は亭主にまかせようと思ったが 私も一個ちょうだいした。






いろいろな行事食も楽しい。

栄養的に見ても 「昔からの知恵」のようなものもあって
意義があることと思う。

これだって、「脱!マンネリ」には効果的だし(笑)。



3が日は 毎食、お餅。 

これは、例年通り。

けれど 今年は
冬至にかぼちゃを食べ忘れたし

1月3日に「3日とろろ」を忘れたし

7日には お粥も炊かなかった。

15日の小豆粥も(汗)。






まあ、正月はまだまだあるんだし(笑)、
少しずつ 追いかけて 食べていこうと思っている。



おみくじ 2010

2010-01-13 | なんでもないこと
観音さまのおまつりで おみくじをひいた。

イマドキ、100円♪

「半吉」。

って、どのくらい「吉」なんだろう???




・事忌樽前後 
 事は そんぜんの 語を 忌む。 
 なんのこっちゃ。

・人防小輩交
 人は 小輩(せうはい)の交わりを防ぐ。
 やっぱり、なんのこっちゃ。

・幸乞陰公祐
 幸(さいはい)に 陰公(いんこう)のたすけを乞ふ。
 ???

・方免事敲□ ・・・→書けない(涙)
 まさに事の敲□(かうかう)をまぬがれて
 やっぱり、???







暮れに ノリチャンからいただいた大根。 初めて見る色。






「酒をつつしむべし、ツマラぬ者と交際(かうさい)すべからず」

え~~~~?!

これ以上酒を飲むなって? ほとんど、飲んでないのにィ?

ツマラぬ者って? 亭主のこと?(笑)






「よろづ つつしみ深くして、業に勉強(べんきやう)すれば
 遂に立身出世して 安樂なるべし、
 酒をつつしまざれば 大なる害あり」

ハイハイ、わかったよ。 

一滴も飲むなってことね?(怒)

立身出世って、ねえ。

イマドキ、ねえ。 

この歳で、ねえ。

ありえないよ、ねえ。

勉強って、あのー、「天狗の研究」でもいいかしら?







切ってみると、こんな色。 
ノリチャンは普通の大根も持ってきてくれて、「紅白の大根」と言っていた。 
紅白の「紅」? には、見えないけど(汗)。






・此のミクヂにあふ人は 始終の仕合せは惡しからずといへども
 人に憎まるる事あるべし 

 とり分 貴人の前にて 言語(ことば)をつつしむべし
 いささかの言(ことば)の間違いより 
 大なるわざはひとなる事 あるべし

 また 我 目下 或いは 下賤のまじはりに つつしむべし
 観音(くわんおん)を念ずべし

 

う~~~~ん。 

やっぱり、わけ、わかんない。 

言葉づかいは苦手よ。

イバラキ弁に 敬語なんかなかったし。

観音さまを念じてれば大丈夫なのかしら?

なら、頑張って念じますってば(笑)。






・よろこび事おそし

遅くても、あるのね。



・病人 長引(ながびく) 不信心の人はあやふし

私なら大丈夫?(笑)



・待人 おそく来るべし

来るんなら、のんびり待ちますよ。



・あらそひ事 かちがたし
 出家か女(をんな)をたのみて吉

親戚に「出家」はいっぱいいるわ♪



・望事叶ふ 

ヤッター!



・失物 出がたし  
 やうつり、ふしん、むこよめとり 奉公 たび立ち 半吉(はんきつ)

あ、「はんきつ」と読むんだ?



・売買い半吉、生死は十に七八生く

十に七八 生きるんなら、いいとしますか(苦笑)。




すりおろしたら、こんなふう。 美しい!



今年もヨロシク

2010-01-08 | なんでもないこと
ウチの神棚は こんなの。

古くからあったものを参考に作った。

ああ、ピラピラで よく見えないね(苦笑)。



結局 ゴボウ〆ではなく、大根〆になったようだ(汗)。

ゴボウ〆というのは、
左右の両端が細くなっているものなのだそうだ。

よくわからん・・・?






レタスも少し大きくなると 野鳥の口に合うらしい? 
サラダにして食べたら ルッコラの味がした。






正月早々に仕事の依頼が入り、嬉しい限り♪

でも そのために 
例年 三が日が過ぎてからやっていた仕事を
繰り上げてやっつけなければならなかった。

3が日は 仕事は休みじゃないとは言え、
多少はのんびりできていたのだが
今年は おかげで何が何だかわからない状態。

これが一年中続いてくれれば、
お金に不自由はないのだろうけれど。

ま、「そこそこ」がいいんだよね(笑)。





少し落ち着いてきたら、もう寒に入ってるし(汗)。

というわけで、少々遅くなったが、ここでご挨拶。



今年も どうぞ ヨロシクお願いしマス。