鬱になると
2005-01-31 | 鬱
いちめんの キャベツ、
いちめんの キャベツ、
いちめんの キャベツ、
いちめんの キャベツ、
いちめんの ・・・
*********************************
「ダイジョブだよね。
ダイジョブだよね。」
「なにが?」
「ダイジョブだよね。
お寺の子だもの。
ダイジョブだよね。」
「だから、なにが?」
これが 私を産み落とした時の
母と産婆との会話だという。
(さすがに、私は覚えていない)
へその緒を首に斜めに懸けていると、
「袈裟懸け」と言い、
「袈裟懸け」で生まれた子どもは
長生きしないと 言われていたらしい。
昭和30年代の話だ。
入院できる産婦人科もあったけれど、
現金がないので
母は産婆を呼んで 我が家で私を出産した。
この子はお寺の子だから、
袈裟を懸けて生まれてきても
早死にする事は ないでしょう?
取り上げてくれた産婆は 不安げに
母に繰り返し そう尋ねていたらしい。
泣き声も すぐにあげたわけでは なかったらしい。
「医者は やるだけのことは やった、と
言ってるんだよなあ。」
何日も熱が下がらず、朦朧とした意識の中で
母が父に告げた言葉が聞こえた。
「ああ、私は 死ぬのかなあ。」
とぼんやりと思った。
そのあと、しょう紅熱だと 診断された。
「若草物語の、ベスがかかったびょうきだなあ。
あのあと、ベスは 死んだんだよなあ。」
しょっちゅう高熱を出していて
高熱に慣れていた私も、
あの時は 苦しかった。
「よく あんたみたいな 身体の弱い子が
20年も生きてこれたわねえ。」
私の成人式の時に
4つ年上の姉が 涙ぐんで言葉をつまらせた。
「あなたは 最初の子どもの時も
二人目の時も
子どもを生めるような 身体じゃなかった。」
恵比寿の整体師に言われた言葉だ。
鬱になると こんなくだらないことを
ぐるぐると思い出して
「私は生きてちゃいけなかったのかなあ。」
などと 考えたくなる。
でもなあ。
こお~~んな年まで 生きてきちゃったしなあ。
あの時はしょう紅熱じゃなくて、はしかだったしなあ。
結婚だって、できたしなあ。
子どもだって、うまれてきちゃったしなあ。
しかも、ふたりとも 私の子供の頃より、
ずうっと 元気だしなあ。
うん、ふたりとも、元気だ。
そうやって 立ち直っていける。
「チアノーゼとか言って、
息をしなくなって 体中冷たくなって、
紫色になってしまうのがあって、
ママは小さい頃しょっちゅう
そんなんになってたから、
おばあさんは ママが小さい頃
《この子は 大人になるまで
生きていけないのに違いない》
と思って、
ママを過保護に育てたんだよ。」
と話したら、子供達には大ウケで
大笑いされたっけ。
2003年12月、
子供達はふたりとも
推薦で進学を決めてくれた。
これは、嬉しかった。
というより、
心底、ほっとした。
いちめんの キャベツ、
いちめんの キャベツ、
いちめんの キャベツ、
いちめんの ・・・
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「ダイジョブだよね。
ダイジョブだよね。」
「なにが?」
「ダイジョブだよね。
お寺の子だもの。
ダイジョブだよね。」
「だから、なにが?」
これが 私を産み落とした時の
母と産婆との会話だという。
(さすがに、私は覚えていない)
へその緒を首に斜めに懸けていると、
「袈裟懸け」と言い、
「袈裟懸け」で生まれた子どもは
長生きしないと 言われていたらしい。
昭和30年代の話だ。
入院できる産婦人科もあったけれど、
現金がないので
母は産婆を呼んで 我が家で私を出産した。
この子はお寺の子だから、
袈裟を懸けて生まれてきても
早死にする事は ないでしょう?
取り上げてくれた産婆は 不安げに
母に繰り返し そう尋ねていたらしい。
泣き声も すぐにあげたわけでは なかったらしい。
「医者は やるだけのことは やった、と
言ってるんだよなあ。」
何日も熱が下がらず、朦朧とした意識の中で
母が父に告げた言葉が聞こえた。
「ああ、私は 死ぬのかなあ。」
とぼんやりと思った。
そのあと、しょう紅熱だと 診断された。
「若草物語の、ベスがかかったびょうきだなあ。
あのあと、ベスは 死んだんだよなあ。」
しょっちゅう高熱を出していて
高熱に慣れていた私も、
あの時は 苦しかった。
「よく あんたみたいな 身体の弱い子が
20年も生きてこれたわねえ。」
私の成人式の時に
4つ年上の姉が 涙ぐんで言葉をつまらせた。
「あなたは 最初の子どもの時も
二人目の時も
子どもを生めるような 身体じゃなかった。」
恵比寿の整体師に言われた言葉だ。
鬱になると こんなくだらないことを
ぐるぐると思い出して
「私は生きてちゃいけなかったのかなあ。」
などと 考えたくなる。
でもなあ。
こお~~んな年まで 生きてきちゃったしなあ。
あの時はしょう紅熱じゃなくて、はしかだったしなあ。
結婚だって、できたしなあ。
子どもだって、うまれてきちゃったしなあ。
しかも、ふたりとも 私の子供の頃より、
ずうっと 元気だしなあ。
うん、ふたりとも、元気だ。
そうやって 立ち直っていける。
「チアノーゼとか言って、
息をしなくなって 体中冷たくなって、
紫色になってしまうのがあって、
ママは小さい頃しょっちゅう
そんなんになってたから、
おばあさんは ママが小さい頃
《この子は 大人になるまで
生きていけないのに違いない》
と思って、
ママを過保護に育てたんだよ。」
と話したら、子供達には大ウケで
大笑いされたっけ。
2003年12月、
子供達はふたりとも
推薦で進学を決めてくれた。
これは、嬉しかった。
というより、
心底、ほっとした。