ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

夏の終わり

2006-08-31 | なんでもないこと
今年の春から夏にかけては 
何故か青いものばかり目についた。

「青の時代」に入ったのだろう(笑)。



今年の春から夏にかけて
私は二つのバッグを捨てた。

二つとも 取っ手が切れて
修理のしようがない壊れ方をした。



そして新しいバッグが3つ手に入った。



ひとつは 義母の遺品。

黒皮のバッグ。

何もメモは入っていない(笑)。

通勤に便利そうなA4ファイルの入る大きさ。

まだ正札がついたままだった。



同じ大きさで 白いバッグを買った。

かすかにパールが入った色で、
柔らかな皮製。

もっとギラギラした銀色とか
ハトメの穴の大きいのが
バチバチ開いてる大きなバッグとかも良かったんだけど
なんとなく無難なバッグを選んでいた。

取っ手を肩に掛けると
その柔らかい皮が 
腕の内側に触って心地いい。

これは 私にとって とても大事。

肌触りの悪いものが当たっていると
ひりひり痛くなるから。



もうひとつは
この青いバッグ。

これも義母の遺品。

色に引かれて 私がもらった。

ぶらさがっているのは
チベットへ行った人のお土産だという。

もらった人からもらった、という人に もらった(笑)。

これは 密教の仏具のひとつ、
五鈷(ごこ)の形をしており、
チベットのお守りだと言う。(本当かな?)

陰陽五行説の五色の色で作られている。

しょう(青) こう(黄) せき(赤) びゃく(白) こく(黒)。

黒の代わりに緑を使っている。



このお守りと青いバッグの組み合わせが気に入っている。

夏が終わる前に
窓で紹介したかったので。

今日で8月が終わる。

息子は きょうが始業式。

娘は 今週月曜日から大学が始まっている。

どちらも変わった学校だと思っていたが
8月中に始まる学校は 思いのほか増えていて
残暑の中を通学する学生が増えているようだ。

きょうはさわやかな風が吹いている。

そろそろ体を動かさないと冬になってしまうなあ(笑)。

本膳

2006-08-30 | なんとなく民俗学?
葬儀の後のお清めの席を
なぜか「本膳」と呼ぶらしい。

「おしのぎ」とは違って、本物の豪勢な料理が並ぶぞ、
と言っているようだ。




葬儀には 亭主や義弟にとっては懐かしい顔も現れて
本膳の席は それなりににぎやかだった。

長男の嫁も ここは食べてばかりはいられない、と
お銚子やビール瓶を手に 注ぎに回った。

スミちゃんや ハナちゃんとも おしゃべりした。

私も亭主の親戚の顔を覚えなおす機会だった。

そんな中、
義父の姪が印象に残っている。

「今までも度々寄らせてもらってたんだけど、
 これからも、寄らせてもらうからね。」

なんでも、自宅と職場の真ん中に
亭主の実家があるのだそうで、
度々顔を出しては
義父の顔を見て行ってくれるらしい。

あれを作ったから、
これがとれたから、
と おいしい一皿を持って見えることも多かったらしい。

あとで聞いたら
確かに自宅と職場との間に位置する、
ただし、回り道をすれば、
ということだった。

そうしたら そのあとで
その人のご主人(入り婿さん)に当たり、
「うちのが 時々
 お父さんのところへ行かせてもらっているけれど
 これからも行かせてもらいますから。」

私はありがたくて 涙が出そうになった。



他にも 同じように
義母の実家の夫婦も
用がなくても 食べ物を持たなくても
近くを通ったから、などと言っては
度々顔を見に寄ってくれている。

もちろん
何かをたくさんもらったから、
何かをたくさん作ったから、と言っては
義父に食べさせるべく
しょっちゅう持ってきてくれているのだ。



そんな人たちのおかげで
義父は今でも
元気で独居老人をやっている。

先日 娘に向かって
「おじいちゃんは、独居老人だから。」
と大きな声で話していた。

その声から察するに
自分が独居老人であることが
不可思議で なにか 可笑しなことであるとでも
思っているらしかった。

お義父さん、
貴方は、もう、80過ぎの、
立派な老人ですよ(笑)。



斎場からの帰りはバスを頼まず、
亭主のワンボックスと義弟のレンタカーと
娘の運転するレンタカーで帰ってきた。

それぞれに
遺骨や白木の位牌などをしっかりかかえて。

狭苦しい庭には
銀木犀の大木と 梅の古木がある。

いや、庭は広いのだが、
なんせ半分山の中のようなところなので、
空間が狭いのだ。

木々の隙間に3台の車を停めた。

家につくなり、
義弟はすっとんきょうな声を出した。

「おとうさん!

 梅の花が咲いたよ!!!」

「そうかぁ。

 今年はなかなか咲かないと思ってたがねぇ。」

あっちの枝にひとつ、こっちの枝にひとつ。

梅の古木は ふくらんだつぼみを ちらほらと咲かせていた。

2006年 3月の初めだった。



さすがの快便ジョルジュも
この日ばかりは便秘。

そして
亭主の実家に着いた途端、
私の着物の着付けは崩壊した。

母の 老いと衰えを
こんなところで実感して
しみじみと悲しい私だった。

虫刺され

2006-08-29 | 乳がん
乳がんの手術をして
リンパ節にがんの転移があったり
その恐れのあるときには
術側の脇の下のリンパ節を切除する。

私の場合は
センチネルリンパ節生検の結果 転移があり
リンパ節を14個とって
そのうちの2個に転移があった。

多いわけではないが、一個ではない。

ビミョーな数。



これをした人は
重いものを持たないように、
虫に刺されないように、
などと注意を受ける。

そうしたいのはやまやまだけど、
重いものを持たないわけにも
虫に刺されないわけにもいかないのが、普通だと思う。



今年も もう何回も
術側の腕を蚊に刺された。

というか、
なぜか術側ばかり 刺される。

去年までは 愛犬の餌をやりに行く時でも
洗濯物を取り込むときでも
外に出る時は ちょっとの間であっても
必ず長袖を着ていた、どんなに暑くても。

それが今年は
「もういいだろう」みたいな気分があり、
わりと無防備に外に出てしまう。

結果、あちこち、特に術側の腕の虫刺され、
ということになる。



先日 雨上がりの暑い日に
ちょっと外に出たら 
本当に何箇所も蚊に刺された。

こりゃたまらん、と
家に入ってムヒだかウナだかを塗ったのだが

塗りながら
術側の左腕の見えにくい向こう側を見てハッとした。

痒くないところがある。

蚊に刺されて ぷっくりと丸くふくれているのに。



脇の下から二の腕にかけては
今でもいつも感覚が過敏なような、鈍感なような、な状態。

この状態は きっとずっとこのままなんだろう。

そして
蚊に刺されても痒みを感じない、ということは
小さな傷は 気づかないままほったらかしにしてしまうだろう、
ということ。

傷が化膿したら 即 リンパ浮腫になるだろうに。



退院後
脇の下の無駄毛処理に
いつもT字型かみそりをつかっていたのを
止めにして

娘が中学入学の頃に買い与えた
脇の下専用の電気シェーバーを取り返した。

もちろん 娘には もっと高機能の電気シェーバー
(つまり 顔そりや手足の無駄毛そりにも使えるもの)を
新たに買ってやったのだが。

(そして娘は 眉毛までそってしまっているのだが。)

かみそりで 間違って傷をつけても
気がつかない可能性がある。

電気シェーバーにしておいてよかった、と思う。

拾骨(収骨)

2006-08-29 | 考えたこと
拾骨(収骨)。

火葬のあとの、骨上げのこと。

楽しくない内容をお好みでない方には
別の記事をお楽しみいただきたい。

(あ、最近楽しい記事を投稿してなかった。。)

(とにかく、気分がお悪くなられても 責任は持ちません。)




私の父が 低い階級の色の法衣を着けて
荼毘に付された時

その切なさは それまで経験がなかった。

胸が張り裂けそう、とは よく言ったものだ。

喪服の下の皮膚や肉が
びりびりと音をたてて 破れていく音が 聞こえるようだった。

窯に入れられたら 二度と会えなくなる。

できるなら すがりついて 窯に入れるのを阻止したかった。

ただ 窯入れの瞬間を見ていると その後で
何故か
憑き物が落ちたように
父の死を納得できるようになった。

あきらめがつく、ということか。



義母の棺に
身近なものをあれこれと
これは大丈夫、これは止めた方がいい、と
担当の職員に教えてもらいながら入れて

その後 たくさんの人に 生花を詰めてもらって

華やかなものが大好きだった義母は
美しく化粧をした華やかな顔で
たくさんの花に囲まれて

斎場を出た。

斎場の外は 雨が小降りになっていた。

そのまま建物の外をぐるりとまわって
隣の火葬場に行ったが
屋外も広い屋根がついていて
まったく雨に濡れることはなかった。



窯入れは
父の時とは違って
至極冷静でいられた。

義父や亭主や義弟や
それに 可愛がってもらった子どもたちは
やはり 辛かったのだろうと思う。



やがて骨上げの時間に。

丈夫だった義母は
骨太でしっかりした骨格を保っていた。

介護認定の日に転んだ骨折の痕も
しっかりとついていたように見えた。

骨粗鬆症とは無縁だったようだ。

義歯が やたらと目立った。

職員が いろいろと説明しながら
私たちが骨を拾うのを上手に進めてくれる。

親戚から 親しかったスミちゃん、ハナちゃんたちまで
思ったより大勢が 骨上げをしてくれた。



最後に職員が
残ったお骨を骨壷に詰める。

水上勉は 自分の骨壷を焼いておいたっけ、などと思う。

全員の視線が 一人の手元に集中。

これも大変な仕事だなあ、などと思いながら見ていたら
壷は あっという間にいっぱいになってしまった。



どうするのかと注目していたら
職員は 慌てず騒がず、白木の棒を取り出した。

先端には若干色がついていて
使い込んできていることがうかがえた。

そして
壷が一杯になってしまったので
この棒でお骨を押すのだ、と説明。

壷の中のお骨に棒を当てると
それから一気に
お骨をぎゅうぎゅう押して
つぶし始めた。

度肝を抜かれた感じ?

こんなにびっくりしたことはない。

私の斜め左に立っていた娘は
少しヒールのある黒いパンプスの音を響かせて
大きく一歩 後ろに足を引いた。

倒れそうになったのだろう。

なんとか気を取り直して きちんと立っていたが
娘の耳にも
お骨をつぶす音は響いていたはずで

それは その場にいた人全員に聞こえていたはずで

誰も何も言わない、何も叫ばないのが 
私には不思議だった。



これは 骨がしっかりしている故人の場合
よくあることなのだろうと思う。

父の時も
骨が太いからと 大きめの壷を選んでいたのだったが
結局一杯になり、

山盛りのお骨のさらにその上に
父の頭蓋骨を載せて
それを職員が両手のひらを当てて
上からぎゅっと押したのだった。

今回の衝撃は それにまさるものだった。

お骨は丁寧に何回も押され
そのつど 私たちは 音を聞かされた。

最終的には 細かく散らばったお骨もきれいに掃き集められて
すっかり壷に収まったのだから
プロの仕事と言えば言える。

けれど
他に方法はなかったのか?と
今でも信じられない気持ちで一杯だ。



『新・お葬式の作法』によると
関東では全部拾骨だが
関西では一部拾骨、全部は拾わないのだそうだ。

著者の故郷での父の葬儀の際に
兄が どうしても全部拾って持って帰りたい、と主張したので

関東にくらべればだいぶ小ぶりの骨壷を3つも使って 
親族総動員で 骨上げをしたという(p93)。

一部拾骨が習慣の地域だったので
「その様を火葬場の職員が驚いた顔で見ていた。」
という。



一部拾骨の場合、
残してきたお骨は
いったいどこへいってしまうのだろう?

残して置いて来るくらいなら、
ムギュムギュしちゃったほうが
まだいいだろうか?



気持ち悪くなっちゃった方、申し訳ない。

コメント要らないから、許して。

書くのを止めようか、とも 何度も思ったのだが
やっぱりどこかにこのことを吐き出さずにはいられなかった。

挨拶

2006-08-28 | 考えたこと
葬儀・告別式の後の挨拶は
亭主がやった。

大勢の人の前でしゃべるのは
たとえ壇上に上がっていても
もうだいぶ慣れていて
あがることはほとんどない、
と自分で言っているくらいだから、
安心して隣に立って聞いていた。

さすが、の
慣れたしゃべりだった。


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悲しいお話を読みたくない方は、ここまで。

画像は、いつぞやの舞姫蓮。

今年は梅雨明けに枯らしてしまい、
つぼみを見ることもできなかった。

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出口の近くに親族が並んで立ち、
滞りなく 亭主の挨拶がすすみ、
さすが、慣れてんなあ、と思いながら
じっと聞いていたら

突然 亭主が 祭壇の方に向き直り、
義母に向かって しゃべりだした。

「おかあさん。」と。



「おかあさん。

 最期まで 

 親不孝な息子で、ごめんなさい。」



なんてことを言い出すんだ、この亭主は!

しかも、
声が震えてきている。

滅多に泣かない、
今まで私でも二度しか涙ぐんだところを見ていない
そんな亭主が

声を震わせて 亡くなった義母に語りかけている。

私はびっくりしてしまった!



そして
泣いてしまった。

涙がつ、つーと頬をつたってきた。

じっと身動きせずにいるつもりだったけれど
喪服に涙のシミができるのも困ると思い(笑)、
手でぬぐった。

バッグからハンカチを取り出すような
ゴソゴソは したくなかった。

会場のすすり泣きだって
きっと もらい泣きだと思った。

読経(どきょう)

2006-08-27 | なんとなく仏教?
他の人たちが集まってくる前に、
姉夫婦と一緒に
なんとか早めに葬儀場に着いた。

喪服を着て。

そうして葬儀が始まったわけだが
今の私の頭の中では
記憶が吹き飛んでいて
覚えていない。

次に覚えているのは
葬儀が始まって
落ち着いた時のこと。

私は最前列の 義父、亭主の次に並んで座った。

私の隣には我が家の子どもたち。

すぐ後ろの列には 義弟一家の四人が座った。

すべて、椅子席。



この、「椅子」というのは、
ひじょーーに、大事。

実家の父の本葬儀の時には
義兄の新住職就任儀式(晋山式;しんざんしき、と言う)も兼ねていたので
やたらに長く、
実家の本堂に 2時間はたっぷり座っていた。

しかしこの時
私は足首をひどく捻挫してしまっており、
正座椅子を使っていたので助かったのだった。

しびれてしまった足をぐずぐずさせるのも
みっともないし プライドもあるし。。。(笑)



義母の葬儀のこの日は 
朝から強めの雨が降り続いており、
椅子であることばかりでなく、

駐車場が広いこと(田舎では全員 車で動く)、
いったん建物の中に入ったら
あとは雨に濡れる心配がないこと、
お手洗いが広くて 列を作って並んで待つ必要がないこと、
などなど、
自宅葬ではかなわない利点が多々あった。

斎場を借りての葬儀になって
本当にありがたかった。



葬儀が始まって間もなく
私が強く思ったのは
お経が退屈だ!
と言うことだった。

笑わないでいただきたい。

叱らないでいただきたい。

熱心な学生だったとは言えないが
仮にも仏教学部の卒業生である
寺の娘の私が

「ああ、お経、たいくつ。」

と思ってしまったとしても
不思議ではないと思う。

誰だって退屈なのではないだろうか?

仏教会はもっと工夫して仏陀の教えを説いてほしい!



そうしたら
ふと 聞き覚えのある部分が!

私は 葬儀を執り行う資格はないが
葬儀の際に読まれるお経を
読む練習をしたことはある!

(お経本だって、持っている!)
(どこへやったろう?涙)

その中の ちょっとしたリズムで印象的な部分にさしかかっていたのだ。

ああ!

私、このお経、知ってる!(笑)

それは、「懐かしさ」だった。



意味は よくはわからないまでも(苦笑)、

すこしは だいたいは ちょっぴりは(笑)

どういうことが書いてあったか、
漢字の感じで 想像できたものだった。

ああ、これで退屈しなくて済む、
と 正直 ほっとした。

あくびをかみ殺す回数が減るというものだ。

隣の亭主にバレたら 後で叱られるだろう。

でも 眠いものは眠いのだ。

全員、そうだったろう。



それでも 私の大学の先輩だという僧侶は
なかなかの美声でもあり、

しかも 法則(ほっそく)や歎徳(たんどく)の部分(だと思う)で
かなりわかりやすい日本語で
義母の生前を語ってくれたので
しんみりと聞き入ることができた。

これは
亭主の実家の坂道を降りたところの寺の住職さん、
貴方のおかげ。



退屈していようがいまいが、
葬式だろうが結婚式だろうが、
おかまいなしなのが、ホットフラッシュ!(笑)

この日は冷たい雨が降っていたこともあり、
館内は暖房中。

着物の私は全く寒くない。

寒くないどころか(笑)。

けれど私は日ごろから
電車の中でホットフラッシュに備えて
背筋を伸ばして座っているという鍛錬を積んでいるので(笑)
苦もなく座っていられた。

椅子の背に帯を押し付けることもなく。

その背中を 汗が つー、つー、つー(爆)。

喪服

2006-08-26 | 考えたこと
私の母方の祖母が急に亡くなった時(裃(かみしも)を見た時)
大学生の姉は 喪服を持っていなかった。

あとから父と姉と三人で会津に向かうときに
町の洋品店に行って
数少ない中から なんとか黒いワンピースを買ったが
喪服ではなかったし 姉に合っているとも思えなかった。

私は高校を卒業したばかりで
制服をまだ捨てずにいたので
それを着ることにしたのでほっとした。



その時の記憶が強烈だったらしく
今でもたびたび思い出す。

そして 娘が高校を卒業した時には
「急に必要になったときに困らないように」
と、なかば強引に 娘に礼服を買ってやった。
(イトーヨーカドーで。)

娘は 後でバイトの時にも着られるように、と言いながら
黒のスーツを選んだ。

靴もバッグも とりあえずは揃えた。

それが今回 役に立った。

高校生の息子は、もちろん、制服。



葬儀の朝、
私は実家で 母と共に起きて
母が用意してくれた朝食をとった。

廊下で繋がった姉夫婦の家に行くと
「寝坊した!」
「いつもの時間に目が覚めなかった!」
と 姉と義兄とが あたふたしていた。

やはり昨日のお通夜までに
相当疲れていたのだろう。



それから私は 母に着付けをしてもらった。

全幅の信頼をおいていた母の着付けだったが
母は時々
「忘れっしゃった~!」
と言いながら なんとか着付けてくれた。

おはしょりの前の始末を、
今回は母のために
私も何とか 頑張った。

でも、いつもの母のとは 違ってたような。。。

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arfaさん、
事務所前のペンタスのプランターは こんな感じです。

これが3つおいてあります。

ひとつのプランターに3色で3株植えましたが 
全部の株が満開、というのは 意外にないのです。


マーガリン

2006-08-25 | 食生活
新谷弘実氏の本、今でも売れてるみたい(笑)。

なんでも、100万部を越える売れ方をしたと、新聞に出ていた

私にとっても、何冊めかの 一種のバイブルのように思える。



この本の中に
「マーガリンほど体に悪い油はない」
という項目がある。

ハイハイ、
油の摂り過ぎが体に悪いのは、知ってるよ~。

食事に気をつけるようになってからは
特に動物性のバターは減らしたよ~。

バターって、そう思ってみると
あの黄金色のあぶらが 
小さなつぶつぶになって 血液の中を流れているような、
そんな気がしてくるのよね~。

きっと私って ウシさんよりも体温低いと思うし。

だから、バターの風味がほしいときでも、
極力 使う量を少なくしているよ~。



「もし 家に マーガリンがあったら、すぐに捨てなさい」(p98)

え?

まーがりん、そんなに悪いの?

この本によると、
酸化した食物を食べると 
体内にフリーラジカルを生み出してしまうんだって。

そして 最も酸化しやすい食物の代表が、
「あぶら・油・脂」。

その中でも 健康被害をもたらすトランス脂肪酸を
最も多く含んでいるのが、
「マーガリン」なんだって。

動物性のバターより?

「じつは マーガリンほど体に悪い油はないのです。」

え~~~!!!!!

ほんとう?

なるべくバターを使わずにいるぶん、
マーガリンを使ったりしていたのに!



その上、
常温でも固まらないように水素を添加して
不飽和脂肪酸を飽和脂肪酸に変えてしまっているので
これ以上悪い油はないんだって。

こ~~~れは、ショック・・・・・・・・・。



「すぐに捨てる」はもったいなくて出来なかったので
全部使って空っぽになってから捨てた。

そうしたら 朝パンを食べる亭主が
「バターは不便だ。」と、
自分でマーガリンを買ってきた。

それも、どでかい容器に入ったヤツを。。。



マーガリンと同じくらい
トランス脂肪酸を含む油に「ショートニング」があるのだそうだ。

家庭ではあまり見かけないが
クッキー、スナック菓子、
それに ファストフードのフライドポテトには
たくさんのショートニングが含まれているとか。

ショートニング。

子どもたちに 食べ物を買うときには
ひっくり返して 裏の細かい文字をよく見て
「保存料、着色料、漂白剤」の入っていないものを、
と言ってはあるが
  
「ショートニング」を加えなければ。

意味ないか。

あまり考えて買い物してるとは思えないものなあ。

お母さんがいつも家にいて
買い物も食事のしたくもしてくれる環境、というのも
いいことばかりではないなあ。

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油の使用量を減らしても、
茄子にはやっぱり、あぶら(笑)。

帰り道の雷

2006-08-24 | なんでもないこと
今さっき、治療院から帰ってきたところ。

きょうは 予定よりも遅くなったし 疲れたので
駅前まで亭主と息子を呼びつけて
ファミリーレストランで晩御飯。

帰りに店を出たら 地面は雨の痕でまだら。

たいしたことなくてよかった、と思いながら
亭主と息子はワンボックスで、
私は今朝運転して家を出たコンパクト・カーで 
家に向かったら
突然大粒の雨が降り出した!



まもなく土砂降りに。

おまけに、雷も。

ビカビカと光っている、その方角に帰るのは・・・怖い。

光と音との間隔が どんどん狭くなる。

光は ギザギザの線を描きながら 縦に落ちてくる。

その一瞬の閃光に 目がくらむ。

家はまっすぐ、閃光の方角。



道路はまたたくまに池ができ、川のようになり、
こちらも対向車も 両側に水しぶきを上げながら通り過ぎる。

そうして、自宅の集落に入ったら・・・
雨が止んだ!

時雨は いつも こんないたずらをするが
きょうはラッキーだった!

乾ききらずに 軒下に下げられていた
亭主のTシャツは もう一度洗おう。

まだゴロゴロやっているが
娘がバイトを終えて帰る頃には
落ち着いていますように。

送り盆

2006-08-16 | なんとなく仏教?
子どもの頃、イバラキの実家の辺りでは
おぼんは13、14、15日の三日間だった。

15日がお盆ということだが
それなら13日と14日はどうなるのだろう。

お迎えをしておいて
前夜祭みたいに前祝いをしておいて
15日は厳粛にお盆行事?

そんなわけないなあ(笑)。



当地ではきょう、16日が送り盆ということで
一日余分にある。

きょうは どこの家でも
白くて味のないお団子を作って(笑)
家族そろってお墓にご先祖を送りに行くのだろう。



お団子が好きな我が家の子どもたちは
今朝
娘の運転するワゴンRで亭主の実家に向かった。

ついさっき 無事に着いたと電話が入ったところ。

ほっとした。

母の心配は際限がない。



甲子園では 北関東は全滅してしまった(涙)。

ミック・ジャガー(64歳)は声がでなくなってしまい、
ローリングストーンズの欧州ツアーはスペインで一時(?)中止。

野菜は高値安定。

美味しいきゅうりとナスを買わずにすんでいる、
ありがたい我が家。



今夜は亭主と私も 亭主の実家に向けて出発する。

写真は 
事務所の前の夏花壇。

今年の私のテーマカラー、
クリーム色のアフリカン・マリーゴールド。

腕の汗

2006-08-16 | 乳がん
「おっぱいの汗」「中年の汗」に続く「汗シリーズ」、
これでついに完結か?!(笑)



制汗剤、制汗スプレーというものがあるが
あれを使って汗を抑えると、
その部分が汗をかかなくなるかわりに
他の部分がいっそう激しく汗をかくのだそうだ。

手に汗をかくのがストレスで
手術で手の汗を止める人がいるらしいが、
そういったひとも
手のひらに汗をかかなくなるぶん、
他の部分の汗がひどくなるのだそうだ。



「静かに降り積もるもの」に書いたように、
放射線治療を受けた私の術側のおっぱいは
汗をかかない。

今年も 健側の胸だけで汗をかき、汗じみをつくっている。

術側のおっぱいが汗をかかないぶんは
術側の腕などで汗を出しているらしいことに
この夏 気づいた。

健側の腕が汗だらけになっている時
術側の腕は 汗がたらたらとたれている。

それは、もう、気持ちいいくらいに。。。

腕シリーズで証拠の画像を、とも思ったが
あまり気持ちのいい画像にならなかったので(笑)、
代わりにペンタスを。

エアボ

2006-08-10 | なんでもないこと
『学校へ行こう』という番組がある。

滅多に見ることのない番組なのだが、
過日、
ウィーン少年合唱団とイノッチのやりとりが面白そうに見えた時に
お風呂があいたので
録画して入浴。

あとで見てみたら それほど面白くなかった(笑)。

そしたら その後の
「エアボ」のコーナーにハマった!



エアボとは。

「エアーボーカル」または「エアーボーカリスト」の略。

ボイス・パーカッションを ボイパと呼ぶ、あの感覚で。

音楽に合わせて 口パクで歌っているように見せる。

そんなビデオを 素人が録画して 番組に送ったものを
放送して見せてくれるのだが、
これが結構面白い。

いろいろなシチュエーションを考え、
ひとりで、あるいはグループで
ちょうどプロモーション・ビデオみたいな映像にして作っている。

ただし、カメラは固定されていることが条件のようだ。



私はこの録画したビデオを
まず娘に見せた。

受けた。

次に 息子に見せた。

そしたら 息子は 
「これ、どう?」と言って
亭主に見せたらしい。



その時 歌われていた Back Street Boys も Qween も
息子が好きなグループだ。

いや、娘も私も好きな。

亭主は Back Street Boys を知らない(笑)。



とにかく サウンドはご本人たちのものだし
聞いていて楽しい。

そして 見ていて面白い。

早く次のを見たいなあ、と思っていた。

そうしたら 昨夜の放送で ようやく見られた。

投稿は 学生さんが多いようだが
オバチャンたちがやったらどうなるだろう?(笑)

夏休みが終わる頃にまでには
傑作が集まり、特集番組が組まれるかも。

どんな歌手の歌が使われるかも含めて
楽しみでワクワクしている。

夏本番

2006-08-08 | なんとなく民俗学?
いきなり暑くなった気がしたけど、
甲子園がはじまるんだから、夏本番なんだよね(笑)。

今を盛りと咲いているのは、(近所の)百日紅。



今年は息子が通う高校も一回戦負け。

イバラキの母校も 一回戦負け。

甲子園でイバラキ県代表も初戦敗退。

消費電力を節約できる(苦笑)。



ちょうど7日に 仏具屋が来て
仏壇を納めてくれる、というので
亭主は実家に行った。

それまでの仮の仏壇(祭壇?)として使っていた段々をはずして
同じスペースに置き、
荘厳を整える。

それから 盆棚を組み立てる。

それから、提灯(ちょうちん)やら、灯篭(とうろう)やら。



「ちょうど7日」と言ったのは、
月遅れのたなばただから。

仙台の七夕まつりは きのう、8月7日にあったらしい?

盆棚に 五色の短冊などをつけた笹を飾る日。

つまり、盆棚の準備をする日が、7日。

それが、たなばた。

旧暦では7月31日だった。

今頃ならば 台風さえ来なければ
彦星と織姫のランデブーも成功する確率が高いんじゃない?



ちょうちんは 白い物は新盆の時しか使えない、
もったいないから最初から色のついたちょうちんを飾ればいい、
と言っていたので そうなっているかもしれない。

あれは 絶対ちょうちんやの陰謀だと思う(笑)。

そうでなくても、ちょうちんは高い。

一年で捨ててしまわなくてはならないのなら、
最初から使わない方がいい。

少々お高くても、きれいなちょうちんを新調して、
毎年使えばいいんじゃないか。

と、私は思うのだが。



とうろうは なくてもいいのだが
義父は
「できるだけのことは」
「世間並みのことは」
といつも言っていたので
きっとコンセントに差し込んで
くるくる回してみたのではないだろうか。



台風の接近と関係があるのか、
きょうは薄ぐもりで 暑さがだいぶ和らいでいる。

地面はかなり乾燥しているので
水遣りは欠かせない。

亭主も今夜には帰ってきて、
明日から 我が家はぐぐっと忙しくなる。

通夜振る舞い

2006-08-05 | なんとなく仏教?
お清めも2回あった。

お通夜と、葬儀と。

やはり記憶がごっちゃになっていて
どちらのことだったか あまり定かではない。

そんななか、
お通夜のことだった、とはっきり思い出せるのは
義母の友達との挨拶だった。


通夜振る舞いの席で
私は長男の嫁、と自分に言い聞かせながら
おいでくださった方々にお酌をしながら
挨拶をしてまわった。

いろんな人が来ていた。

私たちの結婚式以来の親戚も多かった。

そんな人の顔は まったく覚えていない、
まるっきり初対面のよう。

通夜・葬儀と二日も一緒にいたのだから、
今は覚えているだろう、と聞かれても
う~~ん、と首をひねってしまう(汗)。

けれど
義母の友達の顔は、もう忘れない。



私がビールやウーロン茶の瓶を持って行くと
「私たちはね。」
と向こうから話しかけてきてくれた。

「お義母さんとは 小学校からの仲間でね。」

「女学校も、ずっと、一緒だったのよ。」

ああ、知ってる。

よくお名前を伺っていた。

義父の口からも 名前は度々出てくる、
義母の友達。

幼馴染で、その後もずっと友達。

イバラキの田舎の城下町の中心地(笑)で生まれ、育ち、
そのまま実家の跡を取ったり 近場に嫁いだりして
昔の三人娘そのままに
オババになってからも にぎやかに一緒に遊んでいた。

そう、スミちゃんにハナちゃん。

義母が二階の窓から竹馬に乗り出したという子どもの頃からの、
文字通り、竹馬の友(笑)。

義父も この人たちは特別扱いで、
一緒に義母の見舞いに来てもらったりしている。



お転婆な義母の友達らしく、
このおばあさんたちも 
若々しく、元気で 生き生きしてて、
そしてにぎやかだ。

そのにぎやかさを眺めながら
不思議な気分になった。

ああ、
ここに義母がいれば、
同じように笑いさざめき合っていたはず。

というか、一番にぎやかだったはずなのに。

そこに義母がいないことの、不思議。



後日 ハナちゃんから昔の写真を借りてきた亭主は
その写真をコピーにとって義父に渡した。

(どこまでもアナログな亭主だ。

 スキャナーというものを手に入れるチャンスだったのに。。)

その写真を見ると
小学校や女学校の同級生、というだけではなく、
スミちゃんとハナちゃんは義母と一緒に
女学校を出た後、
編み物学校に行っている。

(義母はその後 一念発起、
 別の学校に入り、資格をとって 公務員となる。)



そして 昨日撮ったばかりの白黒写真のように
素晴らしい保存状態の その写真を見ると、

小さいと思っていた義母は
伸びやかに四肢を伸ばした
大柄な若い女性で、

小さいと思っていた目は
切れ長で大きく、
なかなかに華やかな面立ちの女性だった。



長男の嫁の活躍のほどはわからなかったが、
終始なごやかにお清めは終わり、
義弟一家は 実家に帰った。

斎場にも泊まれる、とのことだったので
義父と我が亭主と子どもたちは
そこに泊まることにした。



いつだったか、
長男の嫁は明日の着物の着付けがあるので、と
早々に実家に帰ってしまった、という話を読んで
「んまあ。」
と思った記憶があったが

なんと それとそっくりおんなじ事を
私がすることになろうとは。

あらかた来客が帰ったところで、
私は姉夫婦と一緒に 着物を持って
実家に帰った。

あってはならないことをしているような気分。

でも助かった。

寒くて風邪をひきそうなこの時期に
ドライヤーのない亭主の実家で
髪を洗わずに何日も過ごしていたので。

姉の家のお風呂を使わせてもらい、
バスタオルやドライヤーを貸してもらい、

庫裏の母の部屋で ふたりで眠る。

のんびりゆっくりの一晩を過ごした。

お通夜

2006-08-03 | なんとなく仏教?
斎場のバスに乗って お通夜に向かう。

隣近所の人たちにも バスの出る時間は伝えてあったが、
誰ひとり現れない。

どうやらみんな車で向かったらしい、と
予定時間に出発した。



隣近所が 葬儀を手伝うのが常識のムラだから、
手伝わなくていい、と言われたら 
バスにも乗らないんだなあ、と思った。

隣組に手伝ってもらわないというのは
本当に気楽だ。

ただ、自分たちの食べるものは
自分たちで用意しなくてはならない。

私の住む当地のやり方でも
家中、台所中にいろんな人が出入りして、
家具を動かしたりしてくれる。

わけのわからないことになる反面、
家族・親族は 食事の心配をしなくていい。

亭主の実家は ふたり兄弟だから9人前で済んだが
私の実家、義母の実家、義父の本家等々から人が来て
食事もとることにしていたら
とんでもないことになるところだった。



それに 私は
亭主の実家にしばらく泊まっていない。

それどころか、
年に一度 亭主が子どもたちを連れて帰省する時も
(この時も わが家族は 亭主の実家に泊まらない)、

私だけこちらで留守番をしていたりしていたので
さっぱり勝手がわからない。

「ねえ。

 どこかに お茶托がたくさんないかしら?」

「ええと、たしか、このあたりに・・・。」

夏休みと お正月とに 
必ず泊りがけで帰省している義妹の方が 
何でもよく知っている。

長男の嫁とは名ばかり、
私は本当に役に立たない(涙)。



この日は 私は 黒いズボン姿での出席。

寒い寒い 小雨の降る日で
通ったことがあるような、ないような 
なあんにも建物がない所をバスはゆく。

笑っちゃうくらい、
なあんにもないのだ。

そしたら 突然 ゴージャスな建物が現れて、
びっくりした!

斎場は 焼却場と隣り合わせに建っている。

こんな雨の降る寒い日には
だれも雨に濡れずに、寒い思いをせずにすむ
斎場での葬儀は やはり とてもありがたい。



この時に驚いたのは、
いつも私が不満に思っている亭主の仕事、

あの、やたら忙しいだけで
あまり儲からない仕事の、

関係者の方々が
ひとり残らず、お通夜に来てくださったことだった。

これには 本当に びっくりした。

明日は亭主も出席するはずだった仕事があり、
お通夜にしか来れない、ということで
来てくださったのだが

なにせイバラキの、
しかも まわりになあ~~んにもない田舎のこと、

おいでくださるだけで大変だったろうと思うと

日ごろ不満にばかり思っていたものだからなおさらの事、

ありがたく思えて感激してしまった。



亭主は 小学生の頃、
クラスの委員長をしていたらしい。

生徒会の方は 副会長だったと言う。

けれど会長が次男坊だったため、
同窓会の委員は
長男の亭主が引き受けたのだそうだ。

誰も ウチの亭主が 実家を出て
よそで所帯を持って生活する、とは
思わなかったのに違いない。

けれど実際は
亭主は高校を出てから
東京を経由して当地に来ているから
イバラキの実家に戻ったことはない。

だから、亭主の学年は(一学年一クラス)
クラス会をしたことがないのだそうだ。



けれど 今回
亭主の実家の葬儀に際しては
誰が中心になってくれたのか、

やはり地元に残った人たちだろうと思うが
あちらこちらに連絡をまわしてくれたらしく、
亭主も 義弟も 
懐かしい面々の顔を見ることができたようだった。

そして誰もが
義母の死に驚き、
たぶん社交辞令ではなく、心から悼んでくれたようだった。



ところで、
「死化粧・死装束」で書いたように、
義母の顔はやたら白くて 
満足のいく肌にはお化粧できていなかったのだが

お通夜の時に見ると
見違えたようにキレイな肌色になっていた。

きっとプロが プロとしてのプライドが許さない、とばかり
恥ずかしくないように仕上げをしてくれたのだと思う。

これに対しては
言葉に出して感謝したかったのだが
とうとう言わずに終わってしまった。



それどころか、
きれいになった義母を見た人たち(女性が多かった)から
「家族でお化粧したんだって?」
と聞かれたときには 肯定しておいた。

本当に義母は
生きていたときよりも美人になって
とっても、とっても、きれいだった。

もともとしわの少ない人だった。

明るい肌の色、ほんのりほほ紅、
唇に紅を差して
眉は すこーし、現代風(笑)。

自慢したいくらい、義母はきれいだった。

享年76歳。