ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

何を食べたか?

2011-07-15 | 食生活
秋月辰一郎(あきづき・たついちろう)氏は
医師で 平和運動家、大正5年生まれ。

長崎に原爆が落とされた時 勤務する浦上第一病院で被爆した。

平成17年10月 89歳で死去。



本当は 秋月氏をよく知る人や 著作を精読した人が書いた
伝記とか評論を読んだ方が
詳しく正当に理解できるのかもしれない、と思った。

けれど これだけいろんな人が 
氏の著作を 自分の良いように(?)引用してるので、
私は 氏の言葉そのままに触れたいと思った。






   枝豆(茶豆)の花。
今年のは 紫色の花が咲いた。
コンパニオン・プランツとして キュウリと一緒に届いたが、
都合により(笑)、別々に栽培している。






玄米屋さんのブログでは
『死の同心円-長崎被爆医師の記録』(講談社)は
絶版という事だったが、

「長崎文献社名著復刻シリーズ 2」 として、
なぜか、去年 復刊されている。

が、どうやら品切れらしく、
アマゾンには出物があるが
それなりの値段がするので、注文する気は出なかった。



氏の著作としては 他に
『長崎原爆記――被爆医師の証言』というのが 
弘文堂から出版されており(昭和41年)、

それが 平成3年に 『日本の原爆記録』という 全20巻のうちの
第9巻に収めれれているらしい。

これも4500円以上するが
それが まあ 
今年の災害を見通していたわけでもあるまいに、
去年の11月に 単行本として発売されてていた。

(発行:日本ブックエース、発売:日本図書センター、平和文庫、1050円)

私は この本を読んでみる事にした。






この本は、原爆投下直後の 秋月医師の 日記のようなものだ。

自身が
「被爆医師である私の1年間にわたる原爆白書といえると思う。」
と綴っている。(p3、まえがき)


当時 氏の 原子爆弾についての知識は 非常に漠然としたもので、
爆風によって傷つかなかった人々が
次々と 原爆症で亡くなっていくのを

「毒ガスを吸ったか、赤痢か、紫斑病か」
と その治療法に思い悩んでいたのだった。

さて、それでは、氏は 
「玄米」と言っているのか、
「味噌」と言っているのか、
それとも「塩」と言っているのか、
食べ物・飲み物が出てくるところを チェックしてみようと思う。



本書は
「八月に入ると、土用照りの暑い日が続いた。」
と始まる。

長崎への原爆の投下は 
1945年(昭和20年)8月9日、午前11時02分。






   ミニバラ。 
この頃 色が薄くなってきた。 栄養不足?






●当時、病院の食事は 玄米の二回食であった。 朝食がこれから始まろうとしていた。(p13)

●「水を飲んではいかんぞ!」 私は大声でどなった。(p31)

(秋月医師は 川の岸辺に集まった被爆者の群れに向かって怒鳴っている。
 ここで唐突に「水を飲むな」という言葉が出てくるので 面食らった。
 なぜ水がいけないか、の説明は この本では欠如している。常識なのか?)

●「先生! これ食べさせてもいいでしょうか」 見れば、畑に落ちていたきゅうりを、三つ四つ持っている。「うん、食べさせなさい」 焦げた木下先生が力なくきゅううりを食べる。私もきゅうりを一つかじった。 今朝から何も食べていなかった。(p31)

●「おーい! 飯を食おう。 ご飯を食べよう!」 私は大きな声で怒鳴った。 きゅうりを少しかじっただけで、今日は朝からまだ何も食べていない。―――― 看護婦と軽症患者の女の人が 平釜でご飯を炊き、南瓜(カボチャ)の味噌汁もつくった。 梅干を入れて 握り飯を作った。 ―――― 私は、患者に食事を与えた。 握り飯と味噌汁を配る。 ―――― 玄米の握り飯と味噌汁の宴。―――― お茶も飲んだ。(p37~39)

●「先生、酒は飲まんですか」という声が聞こえる。 ―――― 「配給酒がこれだけ台所の隅にありましたけん」 ―――― 庭の草の上で茶碗酒を飲んだ。(p46)

●村井看護婦たちは元気の良い賄婦たちと炊き出しである。 午前十一時と午後五時の二回、玄米飯の南瓜(カボチャ)の味噌汁、わかめの味噌汁をつくっている。(p61)

●「少しお酒を飲みませんか」真暗な中で一杯ずつ飲む。(p64)

●壕の中にたくさんの人が寝ている。彼らを治療して、疲れて病院に帰る。 玄米飯と、味噌汁を食べる。(p81)

●「とにかく治療はしなければならない」私は看護婦と玄米飯をたべながらつぶやく。(p89)

●玄米飯と味噌汁を食べていると、庭のむこうから、(p92)

●炎天下で南瓜(カボチャ)だとか茄子(ナス)には、ずいぶんと放射能が付着したであろう。 それを味噌汁にして食べる(p98)

●修道士、神学生、看護婦、入院患者と玄米の握り飯を食べる。(p110)






p119から、「秋月式治療法」と題して
「レントゲン宿酔(レントゲン・カーター)」と塩についての記述があるので、
そこからは次回に。



放射能と玄米

2011-07-08 | 食生活
フクシマの原発事故は、現在進行中。

その影響は 経済にも文化にも 計り知れないものがある。



殊に 
幼い子を持つ親御さんや 妊娠中の方たちのご心配は
いかばかりかと お察しする。

作業に当たる人たちの努力が 実りますように。。。








東の窓の 我が家のグリーンカーテン、今年も 当然 登場!
今年は グリーンカーテン棚が、2台に!!!(爆)






さて、テーマの「放射能と玄米」、
「玄米」と言うより、「玄米正食」と言うべきなのかもしれない。

原発事故から間もなく、
発酵玄米のサプリ教の信者になっている元養護教諭 Yさんが 我が家に現れて
「放射能には、玄米よ!」
と 得意そうに言う。



「長崎に原爆が落ちた時に、ね。」

「私たちが食べているあれは、
 放射能の汚染除去にも、とってもいいのヨ!」

「スピルリナも入っているしね!」

「あのね、ワカメがね、いいのよ!」



ネットで 玄米食についての そんな話を目にした後だったので
私も調子よく その話に応じた。






   食材としてのキュウリは、知っていた。






後日、玄米専門通販のお店の社長のブログにも、その話は載っていた。

玄米を食べていた人たちは 原爆症にならなかった、というのだ。

私はこのお店のレトルト玄米ご飯を 美味しいと思って食べている。 

(ついに、ここまでグータラになった!(笑))







けれど、作物としてのキュウリが こんなに愛おしいものだとは 知らなかった。






それからしばらくして 私はお味噌を注文した。

同時に、そのお店から材料を取り寄せて
今年、生まれて初めて、手作りの味噌を仕込んだ。

「手前味噌」の味加減は どうなるか? 

今から ワクワク(笑)。



その味噌屋の4月4日付けのブログにも、
「味噌」による放射能除去の効果と題して、
味噌汁に 放射能物質を除去する作用がある、
と宣伝している。






   キュウリの花。虫の付録付き(笑)。






それからしばらくして、
今度は 塩屋さんのチラシで。

今度は 「塩が効いた」って。

思わず、笑っちゃった。

今 そのチラシが見つからないのが残念!

でも 今 見てみたら 
玄米酵素屋さんのブログに 塩の良さも書かれてたから、
きっと書いてあるんだろうなあ、その本に。







こちらは、ゴーヤーの花。 植え付けが遅く、実りは まだない。






どれもこれも、
秋月辰一郎医師の著書を根拠としている。

もちろん、Yさんの言葉もそうだ。

本当に、そんな事がかいてあるのか?

本当は、どんなふうに 書いてあるんだろう?

と、私は思った。



放射線治療のおかげで、
今年も 汗をかかない サラサラ左胸の私。

  

                          つづく