ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

風景画のコロー

2008-06-30 | なんでもないこと
私は 絵が好き。

日本画も大好きだけれど
一番好きなのは、フランスの画家、コロー。

今回 上野の西洋美術館で コローをやる、と聞いて
少し驚いた。

→「コロー 光と追憶の変奏曲

会期:6月14日~8月31日、
会場:国立西洋美術館(東京・上野公園)




ケータイで写した、入り口にある ロダンの『地獄門』。




コローだけで美術展をやってくれたことは
今まで 私の記憶では 一度もないからだ。

これは行かねば!
ということで、先週、
私にしてはあり得ないくらい、素早く! 出かけてきた。









コローと言えば、風景画だ。

今回、「コローのモナリザ」



とか言って、

人物画家としてのコローにも焦点を当てられている。

確かに コローも それなりの人物画を描いている。

ただし 親しい人の肖像しか書いてこなかった、というところが
へそ曲がりのジョルジュとしては 気に入っているエピソードだ。






けれど、誰が何と言おうとも、
コローは、風景画がいい。

私は 久しぶりのコローの風景画に接して
感動で泣きそうだった。

鼻がつ~んとして 目頭はジワジワ、身体はフルフル。



だって、だって、
あの、あこがれの、コローの絵が、
すぐ目の前にあって、

それはもう、
手で触れそうなくらいの そこにあって、

時として ガラスのはまっていない額入りの場合は
本当に 絵筆のタッチを 指でなぞれそうなくらいで、

本当に 本当に 
画家が絵筆を載せる、滑らせる、動かす、そんな様子が
目に見えそうなくらいで、

身体が フルフルしてしまうのだ~!

でも よく見たかったから、泣かずに頑張ったよ(笑)。







ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(1796~1875)。

可哀相に、ずいぶん長ったらしい名前だね(涙)。

彼の風景画は 湿気を帯びている。

森の木々、遊ぶ少女や少年、
そして ほとんど必ず、どこかに 輝きを放っている水面がある。




『モルトフォンテーヌの想い出』



それは、河だったり 湖だったり 池だったり。

その水の風景が 私のDNAを刺激するのかなあ?







何しろ、これが 
私の生家の辺りの風景(ただし、田んぼを除く)だ!(爆)






今回 初期の作品をたくさん並べて見ることができて
印象がより深くなった。

けれど 晩年の作品の良さが より際立つように思えた。

晩年に近づくにつれ、コローの絵の中の 木々の枝先はボンヤリしてくる。

このボンヤリが 他の画家と比べても いっそうボンヤリなので
私のボンヤリの血が騒ぐのかもしれない。。。?








ミレーも クールベも人気があるけれども
コロー、私は この人の絵が 一番好き。

まだまだ会期は続くので
興味のある方は、ぜひ 上野へ!



『ゆめつげ』

2008-06-29 | 読書
『しゃばけ』シリーズの 畑中恵氏の『ゆめつげ』が
文庫になって書店に並んでいたので、
購入して<積読>していた。
(角川文庫、2008.4.25、552円)

いつものように 週に一度の治療院通いの時に
カバーをつけてバッグに入れて出かけ、
電車の中で いそいそと取り出す。

ちょうど 「神仏分離令」の(1)か(2)をアップしていた頃だった。

文庫本を開いたら そこに出てきたふたりの登場人物が、
神社の神官だったから、びっくりした(笑)。

というか、ホント、私って、中味を確認せずに買うんだね(爆)。







赤紫蘇の畑。 出荷直前?。 そろそろ安くなると思うよ!






弓月(ゆづき)と 信行(のぶゆき)という、川辺家の兄弟が出てくる。

ふたりは 清鏡神社の神官、という設定。

のっけから ふたりは 辻斬りらしい人物に追いかけられて
走っている。

「兄弟とも白の着物に浅黄(あさぎ)の袴(はかま)という
 神官の日常着だったから、
 走るには都合が良い。」(p5)




白い着物に、浅黄の袴。

これ、お坊さんと同じ!

なんでおんなじなんだろうね?!(笑)

やっぱり 以前は お坊さんと禰宜って 
あちこち、一緒くただったのかな~?

「神仏分離令」を(3)まで書いて、またか? シツコイ! って?

まあ、そうおっしゃらずに、もう少し 付き合ってよ(笑)。

お坊さんと 禰宜さんの服装が同じ、って、面白いでしょ?!



父も 白い着物(白衣)を着て それから法衣を着て、袈裟を着けていた。

袴も持っていたけれど、

「めんどくさくってよう。」

とか言いながら、滅多に使わなかった。

暑がりの父は 夏は絶対に 袴なんか履く人じゃなかった。

夏には夏の、透きとおりそうな生地の袴があるはずだのに。

義兄はどうしてるんだろう?(汗)。。

師僧がああだったんだから、暑がり義兄もやっぱり。。。?(大汗!)                   






土色の畑や 緑の畑の中に 赤紫蘇の畑が出現すると すごく鮮やかに見える!
これは赤紫蘇の畑としては 当地では一番広い方。






この本に

「神仏習合が行き渡っている中、
 多くの神社には 『神宮寺』と呼ばれる寺が 
 付属して 営まれている。」(P7)

とあるところまで読んだら、
そりゃあ、もう、電車の中で苦笑してたよ。

神仏習合、それこそが「神仏分離令」のテーマなんだからね(笑)。



「神宮寺」、お聞きになった事はあるだろうか?

実家の方にも 確かそんな名前のお寺さんがあったような気がするし、
「神宮寺」という地名さえ 聞いたことがあるように思う。

昔は お寺と神社がひっついて建っていて
神社とお寺とは 常に 何がしかの関わりをもって
共存していたと思う。

神仏分離令によって 
寺と神社が カンペキなまでに分けられてしまった結果、

寺檀制度によって 檀家を失わなかった寺は
大打撃を蒙りながらも どうにか存続したが、

氏子を失ったとは思えないが、
収入が減ったというのか? 
神社も衰退してしまった所が多かったらしい。

住職を失って 
他の寺院の住職が兼務して
住職の仕事を勤めている寺院も増えたが

神官がそこに住まっていない神社、の方が
ずっとずっと増えたのではないか、と思っている。



私の父方の祖母の実家のお寺は
諏訪神社の横にひっついており、
こちらは お寺は潰れそうだが 神社はデカイ。

けれど そうでない神社も 多数あったはずで、
そういう所では 神社が潰れそうで
合祀、合祀を繰り返して なんとか消滅を免れたようだ。



当地も 大きな神社がひとつかふたつ 駅の方にあり、
わがムラの 地元の神社をはじめ 近所の小さな神社はどれも
お祭りのある日とかの 特別な時以外は
禰宜さんは お出ましにならない。

「神仏分離令で打撃を受けたのは
 実は お寺ではなくて 収入の道を閉ざされた神社の方であった。」
と言う人にも 私は以前 会ったことがある。

神社も なかなか タイヘンだったようだ。

これは 時代の流れ、という波に洗われたギョーカイすべてに
言えることなのだろう。



それでも存続している。

それだけで 気高く 尊いことなのだ?







赤紫蘇の赤紫色は 美しいと思う。
たいていは、畑の隅にひと畝、あるいはひと畝の半分くらい 作っている。 
自宅用だね。






私は歴史は好きだけど得意じゃない。

時代劇もあまり見ていないしね(笑)。

江戸時代の 神社やお寺が どういうものだったか、
もうすこし『ゆめつげ』を材料に 見ていきたいと思う。

おつきあいください。

でも、まあ、だんだんに、ね(笑)。



あんば様と梅酒

2008-06-27 | なんでもないこと

あんば様の梅酒。 なんで、梅酒?

イバラキ県南の人間なら 耳にした事のある「あんば様」、
その あんば様こと、大杉神社、のお酒?



実家の辺りでは 夏の盆踊りには
「あんば様から、やさぶ~らえ~~」
という歌に合わせて踊る。

意味は、まったく、わからない(苦笑)。



このあんば様、
私も何度か 訪れたことがあるはず。

あまりハッキリした記憶はないが、
大木があった気がする。

大杉神社というのだから、あれは杉の木だったろうか?



その大杉神社のすぐ隣に
小さなお寺があったような気がする。

(記憶がハッキリしてなくてゴメンなさい。)

あれも、神宮寺のひとつだったのだろうか?

神社が大きかったから、お寺が霞んじゃった例だったのだろうか?







あらら、なんと、九州の品?!!!



あれれ? なんで、アルコール?

お酒は それ自体がアルコールなのに、
なんで 醸造アルコールを添加する?

こんな時、私はすっごく腹が立つ!

美味しいはずがないじゃない?






無農薬の美味しい野菜が食べたい、と思ったら
自分で作るしかない時代。

無添加の 美味しいお酒は 自分じゃ造れない。

美味しいお酒を造ってくれている蔵元もたくさんある、と思う。

梅酒を作る時などに使うものは
やはり美味しい材料を使った方が美味しい。

アタリマエか。






私の梅酒は 凍らせた梅と 日本酒で作るので 
味は 使った日本酒で決まる。

美味しいのは、すご~く、美味しい。

(○雪で作ったのは すごく美味しかったよ!)



だけど 私以外 誰も飲まない(娘も滅多に帰ってこない)から
今年は 梅ジュースにした。

そろそろ出来上がり。




今年は梅が豊作! ぜ~~~んぶ、梅ジュース(笑)。



ただし ヨウちゃんがフライングして 一度 消毒されてしまったが。

こんな時には、気にしない事にする。 しか、ない(涙)。



梅がたくさん採れたから、大きなビンをふたつも買ってきた。

なのに、まだまだたくさんあって、
冷凍庫で待機中。

(つまり、場所ふさぎをしている。涙)



美味しいといいな。



ご神木と万歩計

2008-06-25 | ダイエット
ご近所のちーちゃんが これがいい、とオススメの万歩計。

どうしてこれがいいのか、は不明(笑)。

でも なんだか勧められてその気になって 
ついに電気量販店まで出かけて買ってきた。

亭主の分と、ふたつ。

私は赤いのが欲しかったんだけど、お店になかったので 白で我慢。

時間をかけて取り寄せてもらっても良かったんだなあ。













やっぱり 万歩計があると 歩くのにも歩き甲斐がある。

今まで 時々使っていた 農協のチョキンギョの万歩計は
イイカゲンだった、と判明、そして納得!

今までも、私、案外、歩いてたんじゃないの!(笑)






一週間分の歩数などを覚えていてくれる。

ようやく一週間分のデータが溜まった。



1日前:8925歩

2日前:10107歩

3日前:14685歩

4日前:6890歩

5日前:10261歩

6日前:10604歩

7日前:8925歩




そして今日は9003歩。

意外と歩かなかったなー。








切り倒したクスノキの切り株。 
愛犬が小さく見える? いや、最近ダイエットして 
おまけに ようやく冬毛を脱ぎ去った愛犬は 確実に小さくなったところ。






ムラの神社では 最近 ご神木のクスノキを伐った。

入ってすぐ脇にあって 門柱が傾いできたりしたので
切り倒したのだ。

拝殿の脇にも 椎の大木があるので
こちらを次のご神木とすることになっていた。

神官が(たぶん)おいでになって 祀りこみをしてくださったようで、
椎の木にも注連縄が巻かれていた。



椎の木に注連縄が巻かれてからすぐにクスノキを切り倒したのではなく、
一週間くらい間があった。

それはもしかしたら 雨続きで 仕事が押した樵さんの
仕事都合のせいかもしれないのだが

一週間もあれば 木に住み着いていた何者かも
きっと お引越しが 完了できたはずだ、と思った。

こんな私は マンガ『百鬼夜行抄』(今市子 著)の愛読者だ。

読み過ぎだろうか?(苦笑)



神仏分離令(3)

2008-06-22 | なんとなく仏教?
さまざまなギョーカイに さまざまな言い分があるだろうことは理解する。

けれど 
日本の神さまと仏さまは 千年以上も 仲良くやってきた。

と、私は信じている。

百年ちょっと前の 神仏分離令は ホントに正しかったの?













そんなこんなを 日ごろ考えていたら
先日 ある文章を見つけた。

これも どこかの大きなお寺さんの管主さまの書いたもの。



曰く、
「神仏分離令(1868)は 
 明治政府の最大の失策であったと捉えている。」

あらぁ~、そんなにハッキリ言っちゃって、いいのぉ~?(笑)













「政府は 神と仏とを区別せよとして、
 ~(中略)~吉田神道を否定し、廃止した。」

吉田神道というのは、日本の神を中心にしてはいるが
密教も道教も取り入れた、
きわめて日本的な神道なのだそうだ。

日本の風土や民族性に合ったものとして生まれた、と著者は想像している。

もし そういう「習合」が
日本人の、日本社会の ‘特性’ならば
神仏分離令の結果として生まれた現在の神道は
そちらの方が特異なもの、という捉え方をしている。

そして その考え方の方が
なんだか私には 
いろんなことが「なるほど」、という感じでしっくり来るのだ。

(ただ単に 私だけが変わってるのかもしれない。。。)













ともかく、
神も仏も 同じように敬う気持ちを 私は忘れずにいたいと思う。

一応、不肖の仏教徒である私は
仏閣と同じように 古い神社の境内を歩くと 気分がいい。

手を合わせるときには 教わったとおり、
ただ 合掌するのみ。

拍手や礼を二回、とかはしない。

私は 仏教徒、なので、
仏さまと同じように 礼拝(らいはい)する。



レンジ

2008-06-21 | なんでもないこと
ケッコンして23年、当地に来て 22年が過ぎた。

家電製品は これまでに何度か 買い替え時期を迎えた。

ボイラーは 一番寿命が短かった。

テレビも 冷蔵庫も 洗濯機も 買い換えた。

レンジも寿命が来た。







ユリが見ごろを迎えている。 私の大好きな橙色のユリを 贅沢な切花に!






ケッコンした時には 
フンパツして 大きなオーブンレンジを買った。

大きなレンジ台に載せて 目の高さに置いて使った。

このオーブンレンジの寿命と 家の新築とが 同時期だった。

今度は小さなトースターレンジというのにした。

システムキッチンの 目の高さのところに 吊ってもらった。

焦げ目の様子を覗き込みながら
「ヨシッ!」というところで パッとスイッチを切る。

そのトースターレンジが うんともすんとも言わなくなった。

12年近く 使ってきたのだった。







黄色のユリ。






電子レンジは 波動がどうこう、と言うし
お鍋や蒸し器で 温めることは可能だし
なくてもやっていけるかな?と しばらく考慮した。

が、やっぱり、ないと、ダメだった。

お鍋で温めたら お鍋も洗わなきゃ。

容器に入れて ラップして 冷蔵しておいたものを 
容器から取り出してお鍋に入れる、なんて。

蒸し器は大きくて邪魔だし、
あれを いちいち 洗って、拭いて、しまう、なんて、
考えるだけで・・・NO!



当然、母は ラップをした容器が冷たいまま 食卓に載せる。

けれど、冷たいままの 残り物料理なんて、
誰も箸をつけてくれない。

息子だって、彼の好物料理も
「レンジ、まだ直ってないんだろ?」
のひと言。

お前なあ~、ゼイタクなんだよ!(怒)



現代の家庭において、レンジは、必須だ!







これは、鉢の置き場所に失敗した。 
黄色い斑入りの大きなアオキの前では、ユリはあまりに目立たない。






どのメーカーに問い合わせても
システムキッチンの目の高さの位置に吊り下げるものは
ないのだそうだ。

キケンなのかなあ?

ビルトインタイプならあるらしいが、入れる場所もないから
電気店で購入して バックカウンターに載せて使うことになった。



2段で焼く必要はない。

解凍が上手なのがいい。

あたためるのが上手な機種がいい。

余熱が使えるのがいい。

でも それほど余熱温度が高くなくていい。

それほど大きくなくていい。

バックカウンターに載せて はみ出るものは困る。



たいした料理を作るわけじゃない。

でも 新しい機能、というのは 気になる。 とっても。

ヘルシーだって? すごーく、気になる(笑)。

脂・塩分を落とす過熱水蒸気だって? 

何、それ?!!!







で~~~ん!






というわけで、 
「この木なんの木」のメーカーのモノに決定、購入、
バックカウンターに鎮座。

レンジの右横は 食器戸棚になっている。

メーカーによっては 
キカイが大きくて 食器戸棚よりもはみ出してしまうものもある。

これは レンジの背中を 
後ろの壁に ぴったりとつけることができるので、
結果、とってもコンパクト。

余熱温度は ちょっと低め、
大きさは ちょっと小さめ。

そして オドロイタのはお値段!

安月給で あんなに頑張って買った昔々のオーブンレンジは
10万とか20万とかだったのに

こんなに多機能な 進んだレンジが、3万円台!!!!!!!!!



時代って、変わっていくんだね~。。。。







「仁志がやったね!」の中の画像だけは なんとか復活!



神仏分離令(2)

2008-06-18 | なんとなく仏教?
薬師寺には 八幡三神像がある。

薬師寺鎮守の八幡宮に祀られていたもので、
平安時代になると 
この三神は
応神天皇・神功皇后・仲津姫命と考えられるようになった、
と図録にある。

応神天皇は 僧形である。

剃髪し、着物の上に 袈裟をつけている。

八幡神は 仏教と かかわりが深かったのだという。

(那須与一だけではなく、「南無八幡大菩薩」という言葉がある。
 
 ということは、八幡神は 菩薩さまだったのだ!)







近所のアジサイ、今年もきれいに咲いてくれた。






『国宝 薬師寺展』の図録に
『八幡神と仏教』というコラムがある(P88~89)。

著者は(丸山)とのみある。

このコラムによると、
八幡神が 資料上に登場するのは 天平9年(737年)、

続いて 天平12年には 九州の藤原広嗣の乱の鎮圧祈願を受け、
鎮圧の後に聖武天皇から信頼を得、
やがて さまざまな助力を得られるようになった。らしい。

聖武天皇は 仏教に深く帰依した天皇であり、
仏教と神道と天皇家とは 深く結びついていたのだ。

特に 
八幡神は 政治とかかわりが深かった、と言える。







じきに夏至になる(こんどの土曜日)。
アジサイが色を失うのも そう先のことではないかもしれない。






また、称徳天皇は 大嘗祭において

「経を見れば 仏を護るのは 諸神であるという。

 従って

 僧と俗人とが混ざって 神に仕えるのに 差し支えはない。」

と述べている。らしい。

(この時は
 最高の神事であるこの大嘗祭に 
 天皇の寵愛を受けていた道鏡という僧が 立ち会っているのだ。)



これは どういうことかと言うと、
仏教の伝来より200年を過ぎても 
仏と神とは まだうまく融合していなかったから、の弁だろう、
と想像できるわけだ。(と、書いてある、と私は思った。)

と、言うことは、
もうあと60年もすれば(神仏分離令から200年)、
仏教と 神道とは 
完全に相容れないものになってしまう
と言うのだろうか。




近年、華やかなアジサイよりも 少々地味なガクアジサイの方が気になる。



仁志がやったね!

2008-06-16 | 読書
仁志 敏久(にし としひさ)。

1971年10月4日生まれ、36歳、O型。

171センチ、80キロ。







東京ばな奈の黒ベエ。 
だあれもオミヤゲをくれないから、先日 自分で買ってきた(爆)。
8個入り 1050円。






内野手。

プロ野球選手になって、13年目、イバラキ県出身。

常総学院――早大――日本生命――巨人――横浜ベイスターズ。

甲子園歴: 87年夏、88年夏、89年夏。






過日、1500本安打を達成!

オメデトウ!!!!!

2000本までもう少し???

「あと3年は現役で行けるでしょう。」? 

現役ということと 安打をあと500本とは別。

難しいとは思うけれど そのくらいは頑張ってもらいたい。

それに、
仁志の連続ホームランでもなんでもいいから、
もう少し横浜に勝ってもらってもいいと思わない?







ひとつひとつ、お行儀よく ジャストサイズのトレーにのって。






『プロフェッショナル』
(祥伝社新書107、2008年4月5日、777円)。

テレビ番組名みたいだけれど、仁志の著書だ。

はっきり言って、文章の組み立て方とか 文章そのものとかは、下手。

だから余計に ゴーストライターじゃなくて
仁志が書いた、とわかる本(爆)。






仁志は 身体が小さい。

常総学院では 1年生からレギュラーだった。

早慶戦では 史上初の サヨナラ満塁ホームランを打ったらしい。

小さな身体で、強気。

そんな印象の選手だ。



そんな彼のこれまでの生涯に 
常総学園の当時の木内監督が 
大きな影響を与えたことがよくわかる。

木内監督が関係する内容も とても多い。

読んでいると あの独特の(というか、フツーの)イバラキ弁の声が
耳の中に蘇ってくるようだ(苦笑)。






彼は この著書の中で
「攻撃は 最大の防御ではない」と言っている(p22)。

「勝つためには、まず負けないこと」だそうだ。

なるほど。

確かに、と思うことがある。

点を取らなくては 決して勝てないが
たとえ何点取っても それ以上に失点しては 負けるのだ。

私はサッカーが好きで テレビ観戦もよくする方だと思うが
<攻撃は最大の防御>というのは、
どうも 何か 違うような気がする、
と思うことが増えた。

仁志が言うのだから、やっぱり、きっと、そうなのだろう(笑)。







ふっくら、ふんわり。 とろ~り、かすた~ど。
いくら食べても、お腹にたまらない。 (溜まるのは、脂肪。)






また この本の中で 彼は
ジャイアンツの原監督との不仲説を否定している。

「私の人間的なキャラクターにも問題があるのかもしれませんが、
 ほぼ誤解です。」(p143)

そうなのかー。

なんだ、がっかり。 ヾ(ーー )ォィォィ



これからも、応援しているよ、仁志クン!






シャーリーズドリームは、これかもしれない(大汗)。



哀悼 氷室冴子

2008-06-10 | 読書
作家の氷室冴子さんが亡くなった。

ショックだった。(→YOMIURI ONLINE の記事




今年は クレマチス・ムジークシリーズが ちゃんと咲いてくれた






『なんて素敵にジャパネスク』が大好きだった。

これのテレビドラマもなかなか良かった。

本当は 続きを同じキャストでやってもらいたかった。



『銀金』こと『銀の海 金の大地』の12巻が発売されるのを待っていた。

同い年だったので 親近感を持っていた。

エッセイも軽妙だった。

探したけど どこにしまったやら、『氷室冴子読本』が見つからない!







今年は 白も咲いてくれた。








『なぎさ』も『多恵子』も持っている。

『クララ』も『アグネス』も読んだ。

私にとっては『海がきこえる』は つい最近のもの(苦笑)。




「少女小説家」という言葉を生んだのは
彼女の『少女小説家は死なない!』だった。

いろいろ誤解を招いたり 不愉快な思いもなさったようだが。



少女たち そして 少女のハート♡を忘れないオバチャンにとっても
すごく面白い小説だったと思う。

(男の人にとっては どうなんだろう?)








赤紫は 撮影の頃には 色が褪せてしまった。






私も 姉も
まだ30代の頃に読んだから 
私の感性も まだいくらか 瑞々しさを保っていたのか?

虚構の中の 魅力的な主人公の女の子に
完全に感情移入して読んでいたから
こころをわし掴みにして ぐいぐい持っていかれてしまっていたから

哀しい場面では もう どうしようもなく哀しくて
身もだえしながら 泣いたのだった。

(こんな部分で、姉と私は 感性が似ている。

 あ、これ読んだら、姉ちゃん、泣くな、
 と思って貸してあげたら やっぱり泣いたのだった。笑)






薄紫は たくさん、たくさん 蕾をつけて 花を咲かせてくれた。





憎いのは 命を奪った癌。

きょうは告別式がある。

北関東の地から 祈りを捧げるのみ。



突然の(1)

2008-06-09 | 考えたこと
日曜日は 旧暦の5月5日、端午の節句だった。

すっかり忘れていた。

きょうは忘れずに 久しぶりの菖蒲湯にした。




チューリップ、シャーリーズドリーム(かな? 汗)。






今年は 例年よりも早い梅雨入りだったかと思うが
端午の節句は 梅雨に入るか入らないか、という
こんな時期だったんだなあ、と思った。

確かに 梅雨の晴れ間の青空は
力強く泳ぐ鯉のぼりが似合うかもしれない。







愛犬が入り込むのを阻止するためのいぼ竹。 
阻止しきれないこともしばしば(涙)。






そんな旧端午の節句の日に 秋葉原で 大変なことが起こった。

痛ましい。







チューリップ、パープルプリンス(紫)と レムズフェイバリットと 白。
色は考えて合わせたが 草丈と 開花時期は きちんと考えていなかった。。。






あまりに突然のことで
その場に居合わせた人も 声も出なかったのではないか。

いろいろ考えることもあるので
そのうちに また書きたいと思う。

(こう書くと これまで 次がなかなか出てこないことが多いのだが。。。汗)



というか 今すぐには どうこう書けそうにない。

ご冥福を。



神仏分離令(1)

2008-06-06 | なんとなく仏教?
「国宝 薬師寺展」には
当たり前だが 日光・月光・聖観音の他にも いろんなノが来ていて

普段なら はるか下から仰ぎ見なければならない
塔のてっぺんについたヤツなんかの古いバージョンも
目の高さで シゲシゲと見られたし 

仏さまの足の裏の模様なんかも
まるで目線で触るようにというか舐めるようにというか
ジト~~~ッと見つめることもできた。

現地に拝観に行ったのでは 絶対できないこともたくさん。







記事の投稿をサボっていたから 使えなかった画像がたくさん。
もったいないから、見てね(笑)。
亭主が郵便局から苗をもらってきたパンジー。






意外だったのは
先日 法相宗、と書いたこの薬師寺だが

明治5年の太政官布令によるまでは、
八宗兼学の道場として
「南都・薬師寺」と称して 特定の宗派を標榜しなかった、
と 図録(「薬師寺の宗教・信仰」安田映胤)に書かれていたこと。

宗派のないお寺? 

う~~ん、やっぱり薬師寺って 特別な存在だったんだ!



薬師寺では

薬師如来(と、日光・月光両菩薩)の慈悲による
衆生済度を信じ、

弥陀三尊(阿弥陀如来と観音・勢至両菩薩)に
西方極楽浄土への往生を願い、

釈迦如来、弥勒如来、地蔵菩薩、吉祥天、四天王、不動明王、竜王、
などなどの諸尊を祀り、

その他にも 
八幡神、春日明神、稲荷明神なども信仰し、

塔やお堂や社に お祀りし、



神仏分離令の布告後も 
八幡三神像を 地域住民と共に 守り伝えてきた。



そうした 幅広い多神教の信仰を
千年以上も継承してきた、

と、安田氏は述べている。

あ、今 見たら、安田映胤という方は
薬師寺の管主さまでした(汗)。







フリンジチューリップ、イズミ。






さて、ここで ちょいと気になったのは
「神仏分離令」とか「太政官布告」とかいうヤツで。

明治というのは 日本の一大変革期で
宗教的にも大きな転換点があった。



神仏分離。

要するに、
神さまと仏さまは 仲良くしちゃいかん!
というふうに 私はとらえちゃう。

どこか違うかい?(苦笑)







植えつけをした後に ひとつ落ちていた球根。白だったんだね(汗)。






日本の仏教というのは 
大陸や半島から渡ってきた、
すなわち 外国から輸入した宗教だ。

でも 
なんだかんだ言って、
聖徳太子の頃から ずっとずっと 
日本古来の神さまとは 仲良く うまく やってきたじゃない?

というか、日本って、いろんなものを和風に味付けして
そのままよりも ずっと美味しく料理しちゃうじゃない?

インド仏教と 中国仏教と 日本仏教って、
もう、全然、匂いが違うんだけど!?



それを 明治政府が 
「ケシカラン!」と言ったかどうか知らないけど
突然 分けちゃおう、区別しちゃおう、混ざんないようにしちゃおう、
なんてのは、
そっちこそが ケシカランことを 言ってるのだと思う。

なんでもごちゃ混ぜにして 信仰してきたことが 
日本の宗教の 一番いい所だってのに!
(と、私は思ってるのに。)






仏教が日本に渡ってきて1470年。

都が平城京に遷都して(薬師寺も平城京に移って)1300年。

明治天皇が即位なさってからは まだ130年。

「天子さまは 今 東にお貸ししとるんどす。」
という京都の人の言い分、
わかるなー(笑)。






薬師寺以外にも 
神仏混交の名残りは 案外 残っているものだ。

去年 亭主が 研修で行って(行かされて)来た
埼玉県の ケータイが繋がらない奥地の(爆)、竹寺というところには
牛頭天王が祀られているそうだ。

八坂神社の祭神、祇園さまである。

いい加減?

そう。 良い加減。

この 良い加減さが 日本の宗教の良さだ、真骨頂だ!

・・・・・・ではないかな?(汗)







名前不明。






私の実家のお寺でも
諸天の中のおひとりが 以前は鳥居の奥に祀られていたという。

仏教を守護する神だから、
神仏分離の時に 村の人が 鳥居をはずした、と聞いている。

今はもう鳥居はないが 石でできた土台だけが 残っている。

神さまのお堂の後ろは 明治には川だったのだろう。

今では 干拓されて田んぼになった風景を後ろに
小さなお堂が建っている。

私の愛する風景だ。






日本の仏教は。

つまり、日本の宗教は。

神も仏も自然も 共に崇拝する、広い心と謙虚さの信仰だ。







名前不明。






ところで、この 神仏分離令というのは、
正しかったのだろうか?

この頃 私は ふと そういう疑問を持つことが重なった。

変なことを疑問に思う人は多いと思うので
ここで私を変人だと決め付けないでいただきたい(汗)。



                      次回につづく。




国宝薬師寺展

2008-06-02 | なんとなく仏教?
記事にするのがこんなに遅くなってしまった。

これは、連休前。

上野に行ってきた。

『国宝薬師寺展』。

薬師寺は 法相宗なのだという。




今年は ヒューケラが 株と呼べるくらいに大きくなった。
雨と風とで痛んだ花茎を切り取ったら 切花としても美しいことに気がついた。






以前 『興福寺国宝展』を 
東京芸大の美術館に見に行くつもりが行けなかった。

なんと、2004年のことだった。

興福寺も 法相宗だというから、
これは 私にとっては リベンジだ!(爆)








何と言っても 今回の目玉(という言葉は不謹慎か?)は
日光菩薩と月光菩薩の両対が ふたり?揃って おいでになる、
ということ。

しかも、後ろにある光背をはずしておいでくださる。

滅多に見られる、いや、拝めるものではない。

テレビで特集されるたびに 行かなくちゃ、と思う(笑)。

で、行って来たよ、特急電車に乗って。

上野に着いたのが 10時ごろ。

じっくり、ゆっくり、見てきた。

適度な混み具合の中を(笑)。






素敵だった。

日光菩薩。 月光菩薩。

このおふたり?は 薬師寺のご本尊の 薬師如来の脇侍なんだね。

阿弥陀さまの両脇には 観音菩薩と勢至菩薩。

お釈迦さまには文殊菩薩と普賢菩薩。 

ベストコンビなおふたりと一緒だと 
本尊さまも そのパワーを いかんなく発揮できるのね、
という私の解釈は 合ってる?(汗)






光背という 後ろのオーラを現した?もの?をはずしたおふたりは
いっそう 清々とした表情で?
いつもよりも グッと軽やかに見える。

仏さまの立像は 片足を半分くらい前に出して
「今! 助けにいきます!」という動作をしている。



興味のある人は 
もう テレビでさんざんやったのを ご覧になったろうとおもうけど、

日光菩薩も 月光菩薩も
重心を片足に預け、
片足を 今しも 踏み出そうとしていらっしゃる。

片足に重心があるから、上半身に ねじれがある。

腰が、背中が ゆるやかにねじれている。

その曲線が、優美!

もう、そのまま、すぐにでも、パッと動いて どこかに歩いて行きそうだよ。

きっと
「たまには軽くってイイね、こういうのも。」
と お話なさってるに違いないよ(笑)






触ってみたい気がする。

両菩薩さまの、お肌。

オドロキなのは これが 鋳造された金属(銅)ということだ。

手で触っても きっと滑らかだし 
押すと プニッと弾力がある、絶対!(笑)。

そしてこれが 一度にまるごと鋳造だと言うんだから、
これは、オドロキ!

今のこの時代じゃないよ?

っていうか、今、その技術持ってる人って、いる?



今回の目玉? だから 
前評判んもかまびすしいおふたりだったと思うけど

館内を歩いていて オバチャンたちの言うことが
「色っぽい」だの 「エロチック」だのと 
耳に入ってくる。

何を不謹慎な! 仏さまですぞ! 

と思った私だったが う~~ん、私もそう感じた(苦笑)。







野鳥が いつの間にか種まきをする。これは何だろう?
今年は花が咲いた。ウメモドキではないかと思ってるんだけど?






それから、日光・月光 両菩薩を拝する前に
聖観音さまがいらっしゃる。

聖観音さまっていうのは、何だろう? フツーの観音さま?(笑)

だって 千手観音さまって、フツーじゃないでしょ?(笑)

確か、浅草の観音さまも 聖観音さまだったと思う。

薬師寺の その聖観音さまが やはり 
光背をはずして すっくとお立ちになってらっしゃる。

美しい。

ほれぼれとするよ。

拝見していて 飽きないよ。

       ↓



どう? 

ステキでしょ?

ホンモノは もっともっとステキだよ。






皆さんに行っていただきたいなあ。

そして 感じていただきたいなあ。

いにしえ人の 信仰の空気を。

もっと早く記事にしたかった。

でも まだ間に合う、6月8日まで。  


                まだ書いてる途中な気がするけど、
                とりあえず、投稿(苦笑)。