ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

あれから何日?

2011-03-29 | 考えたこと
想定外の震度。

想定外の被害。

想定外の事故。

想定外の・・・・・・・・・。




プロフェッショナルとは、
「想定外」を想定しなくてはならないのだ、
想定して それに対応できる人たちを呼ぶ言葉なのだ、
と 知った。







私は チーム・NIPPON を信じていた。

きっともっと早く立ち直ると思っていた。

そして 実際、
命を危険にさらして
頑張ってくれた人たちがいた。



けれど。

一進一退。

一進一退。

一進、一退。

一退、一退、一退。

一進、一退。

一退、一退、一退、一退。




原発には幻滅した。

あんなに頑張ってくれてる人たちがいるのに、
どうして? とも 思うけれど。



きっと もうすぐ 好転する! と信じていたのに。



あれで がっかりして、
日本の未来を憂えてしまい、
すっかり気落ちしてしまい、

眠れなくなってしまったのだった。








だからと言って いつまでも引きこもっていてもいけないなあ(苦笑)。

私が気落ちしていたからって、
物事が好転するわけではない。



都内では ソメイヨシノが咲いたというではないか。



世の中は、春。

蕾もふくらむ、花もほころぶ、雑草は勢いに乗る、春なのだ。

シャキッとしよう!






たとえ 愛する人を失っても
たとえ 思い出ががれきに埋もれても
たとえ 食べ物が満足になくても
たとえ 何日もお風呂に入れなくても

それでも 春は来る!





というわけで、穴ぐらの中から這い出す気分の 昨日・今日の 私。



東日本大地震

2011-03-13 | 考えたこと
マグニチュード、9.0だって。

津波は ‘TSUNAMI'という 国際語なんだって。

さまざまな救援にたずさわっている人たちに
ありがとう、と
気を付けて、と
頑張って、と 
伝えて。







年末に 自動車屋のアニキからいただいたシンビジウム。






私は、地震が嫌いだ。

産まれて育った家は 茅葺きの たいへん趣のある建物だった。

なにしろ、建てて100年、移築して100年、
合わせて200年の建物だった。

近くの国道を 鹿島臨海工業地帯や 成田空港建設に向けて
ダンプカーが疾走すると
家は揺れた。

怖くてたまらなかった。

地震はもっと 怖かった。

地震は、だから、大嫌いだ。

少し揺れただけで 反応するので
家族の失笑をかっている。

震度はだいたい、わかる。

ただし、震度4までしか 経験がない。

イバラキは 地震が多発するけれど、
私が知っている限り、大地震は 起きなかった。

(鹿島神宮のお陰だったかもしれない。)







シンビジウムの鉢は 頭が重い。
当然のように倒れて 廊下に石が散乱した






その時、私は、外に居た。

事務所の前の駐車場の掃除をしていた。



揺れた。

なかなか 揺れは止まらなかった。

だんだん 大きく揺れて
そして 揺れは止まらなかった。

もっともっと揺れて、
そして 揺れは止まらなかった。

そこいらじゅうの家が 音を立てて揺れていた。



立っていて バランスをとれなくなりそうで、
両手を広げた。

どの地面に立てば 安定するか?と 考えながら
両手を広げて 立っていた。

活断層がある、という土地に住んでいる。

ここが震源地だ、と思った。

地面が割れるか!? と思った。

地面は割れずに 揺れは収まったが
震度は5か6、と思った。

直下型だと 縦揺れが来るはずだ、などとは 
考えが及ばなかった。







同じ猫が もう一匹いた。 
廊下の本棚の上に居たのだったが、猫のくせに 着地に失敗したという。






家の周囲、近隣の家を回って 
大変な事がない事を 家族で確認して
家に戻って テレビをつけて 驚いた。

そして、津波に。

さらに、火事に。

それから、爆発にも。






電話は繋がらなかった。

ようやく都内の娘と繋がって ひと安心。

イバラキとは なかなか繋がらなかった。

(イバラキは、東北地方ではないヨ。)



結局 私の実家とも 義父とも繋がって
身内の無事を確認した。

娘は この日 帰省する予定だったので
へんてこな方角に歩いてしまい、
アパートへの帰宅が とんでもない時間になったが
無事に帰れたようだ。

心配で仕方がないが さまざまな点で大事な時期なので
都内で頑張ってもらうしかない。







平積みにされた亭主のマンガ。これも散らばった。






納戸の中の いただき物の海苔の箱。

立て掛けて置いただけの額。

仏壇の中の、私のお札(祈願:身体強健)。

不安定なものは、すべて倒れた。

けれど 食器棚や本棚は無事。

当地は 揺れが大したことは なかったのだ。

(滅多にお目にかかれないほどのオンボロ屋でさえ、 
 まだ建っている、不思議だ!)






近隣の町では
瓦屋根のグシが落ちた、とか
大谷石の塀が倒れた、とか
停電していた、とかも聞いた。

出張先に一泊して 
そこから何時間もかかって ようやくここまで来た、
という人によると、
ガソリンスタンドが長蛇の列か、または「売り切れ」、
コンビニは店が開いていない、
ガラスに囲まれたカーディーラーの建物は
変だなと思ったら、ガラスの壁がなかった、
などなど。



「うちの娘は看護師なんだけど、
 停電してましたから、
 患者の呼吸を助けるため、
 他の看護師と交代で 
 患者さんの呼吸のための袋をムギュムギュしていて
 帰宅が夜中を過ぎました。」
とおっしゃるオバサン。



電気がようやくついて、
ニュースを見て こんなに大変な災害だったんだ!と知って
身震いをしたという、
東北地方の身内の話をしてくれたオジサン。





「未曾有」って、
「み・ぞう・ゆう」でもなければ「み・ぞう・う」でもなく、
「み・ぞ・う」と読むんだったわねえ、

なんて事を思い出している。

たいして「考え」てなんかいないが
ふさわしいカテゴリーが
「なんでもないこと」はちょっと違うな、と思って。






暗闇は恐怖や不安を増幅させる。

水や食料の不足では 寒さが増す。

一日も早いライフラインの復旧を願う。

義父が暮らす高専賃は まだ水が出ないらしい。



メディアは 政府の対応を批判する前に、
もっと必要な、必死な情報を、どうぞ 伝えて。

節電くらいなら、あたしも頑張るから。



『のぼうの城』

2011-03-11 | 読書
文庫になったら 買って読もう、と思っていた。

文庫になった(笑)。
(上・下巻、和田竜著、小学館文庫、2010年10月、457円)

なんと、野村萬斎の主演で 映画にもなる。 
映画「のぼうの城」オフィシャルサイト






  マンガ:扉






マンガにもなった。
美味しんぼの花咲アキラがベストセラー小説コミック化
(作画:花咲アキラ、ビッグスピリッツコミックススペシャル、小学館、619円)






   
マンガp22、23、忍城の地図

秀吉:「浮城ともいうそうな。

    本当に 水に 浮いているか 見て参れ。」






原作は 城戸賞を受賞した脚本「忍ぶの城」で、
著者はそれを小説にして「のぼうの城」を刊行、作家デビュー。

(なるほど、
 読んでいて 映像が見えてくるような気分になったわけだ。)



直木賞の候補となり、本屋大賞第2位となった。





  マンガp24、正木丹波利英







それだけでも 読みたい、と思う。

が、私の場合、舞台となった忍城に 一度行った事がある。

数年前、仕事で行く先が埼玉県の行田市で、
亭主が一緒に行こう、と 連れて行ってくれた。

行田に自分たちの仕事の参考になるものがあったので、
私に一緒に見て欲しかったようだ。

本当にそこには 願ってもないモデルがあり、
充実した研修であったのだが、
その折 私たちは
忍城のあった場所の一角に 入りこんだのだった。

残念ながら時間がない、という事で
ほんの一角をかすめたにすぎないが、
私としては 小さな良き思い出であり、
親戚の住する町のような気分だったのだ。

次回はぜひ、古代蓮の花が咲く時期に
デジカメを持って 散策に行きたいものだと思う。






  マンガp26、村総出での麦踏み






私が文庫本で購入して 読み始めて間もなく
亭主がマンガを買ってきたのには 少々ムッとした。

マンガの方も 読了後 読んでみたが
原作に 比較的忠実にマンガ化されているので
なにも両方読まなくても、という気分ではあった。

ただ なにしろ 視覚効果がある。

それは 文字だけの文庫本とは 大きく違うので
主に風景で楽しませてもらった。

想像力を補ってあまりある風景!

(なにしろ、主人公の方は あまり魅力的な風采ではないので。。)



                              つづく
                     (つづけてもいいかしら?)



ぶら☆ジョルジュ~市ヶ谷~(3)

2011-03-07 | なんとなく民俗学?
江戸歴史散歩コーナーの、床が、これ。



     



古地図がプリントされている。

安政6年(1859年)の古地図を元に作ったものとか。



床だから、その上を歩ける。

当然、大きくて、読みやすい(笑)。

タモリみたいに、
古地図を持って ブラブラしにくればヨカッタ!?

歴女は みんな、持っている?

古地図、欲し~い!(笑)



大変なのは、今の地図と違って
文字が あっち向き、こっち向きに書かれているので
読みづらいって所。

昔の人も 大変だったんだろうな、
特に、方向音痴だと(笑)。








こんなのもあった。

江戸城 築城の際には あちこちの大名が 
名誉??? な仕事を仰せつかったようだが、

みんな 持ち場工事を一所懸命にやってたはず。








こんなのもあった。

今の市ヶ谷だね。




さて、地上に出てみようか。

迷子にならないように 気を付けながら(汗)。






近代的な都会   の地上に出て、






先ず驚いたのが、これ。




駅前の、釣り堀(笑)。

手前は、JRの 駅のホームだ。

どっかで 釣り堀を見たなあ、と思ってたけど、
市ヶ谷だったか。



                   
                  どんな人が 釣りをしてるんだろうね?







これが、外堀だったのか~。



                 

                  向こうは詰まってるけど、
                  そのまた向こうに 堀は続いている。






外から見て 
JRのホームが一番いい場所のようだと思って 駅の構内に入ったが
その前に こんな場所も見つけた。



ブラタモリでは 
鉄道オタクっぽい先生が (鉄道関連の)建築関係にも造詣が深く、

四角い石を組み合わせたものは西洋式で
日本古来の石組は 丸っぽくて 
沢山の石と接触する組み方になっている、

四角い石と 丸い石との 両方が 鉄道の橋脚?になっているものは
明治時代に 西洋式を取り入れたが 
石を四角くする手間がかかって やりにくいために
途中で 古来のやり方に変えたものではないか?

と話していたが もしかしたら この部分も そうなのかもしれない。






あいにく ここからは 古そうな「トラス」
(トラス、なんてものは 私は知らなかった)
は見えなかったけれど、

私は 充分に満足して 
娘との待ち合わせ場所に向かった。

ショッピングの時間はなかったが
美味しいものを食べて おしゃべりをして

そうして 定期健診に向かったのだった。



                             完(笑)



ぶら☆ジョルジュ~市ヶ谷~(2)

2011-03-04 | なんとなく民俗学?
この辺は 江戸城の外堀に当たるらしい。

内堀・外堀って、
二重丸 ◎ になっているのかと思っていたけれど、
どうも グルグル螺旋 みたいよ。



で、石垣。




きっと、地下鉄の工事で 
この辺を掘っていて 出てきたんだと思う。

こういうの、残しておいてもらってヨカッタと思う。





   



で、どれが栗石(火石)かってのは、わからなかった(苦笑)。

いや、本当は、これかな?と思ったのは いくつもあったんだけど、
本当にそれが栗石かどうかなんて、わからないし。

それに、どうでもいいし(笑)。



この下地になっている中に 栗石を入れたのかどうか? さえ、わからない。

私は もっと下の、基礎の方にぶち込んだのかなー、と
想像していた。






  



おっと、あったよ、説明書。

「雉子橋(きじばし)(千代田区九段南)から出土した石材を使って、
 江戸時代初期(17世紀初頭)の「打ち込みハギ」と呼ばれる石積みの技法を
 再現したものである。

 当時 石を割るには・・・・・・ 云々。

 石材には 、切り出しや 石積みを行った藩や石工等の刻印と共に
 石割りの際の矢穴が残っている。」


もう少し 離れた場所から出てきたものだったんだね。








↑ あれが、「矢穴」だと思うんだけどね。

うまく撮れてなくて、残念。






      

これらは拝借画像。



石組というものは 崩れてもらっては困るので
絶対に崩れない方法で キッチリと積み上げていかなくてはならない。

洪水や地震にも 耐えてもらわなくてはならない。

最も基礎を大切にしなければならないもののひとつだろう。






≪石積み≫の材料である石は 
当然ながら 固い上に難燃性があり、
国内外に 古くから 遺跡として残されている。

古くからある、ということは 
その技術は 年月をかけて 磨かれてきた、ということだ。

日本の石積み技術にも 素晴らしいものがあり、
“流派”がある。

私が知るのは ‘穴太流’というものだけだが。

穴太衆

古式特技法穴太流穴太衆石垣積 栗田建設






さて、3月1日の事だが、朝刊に
信長の小牧山城、石垣出土…安土城と同じ技術
という記事が載っていた。

愛知県小牧市の小牧山城で 
石垣が 建築当時のままの状態で 出土したのだという。



また、但馬学研究会によると、
「穴太流が高い評価で名が知られるのは、
 織田信長の命による<安土城築城>以降」
との事だ。



そうして、この新聞記事によると、
「信長の城作りの思想は 小牧山城で固まっていた」
(小牧山城は 安土城の工事が始まる13年前に築かれた)
と言われたようだ。
(城郭考古学の教授の言葉。 そういう考古学があるんだね!?)



と、いうことは。

今回 新たに出土した石垣も 
穴太衆が積んだものかもしれない・・・!






石組は
古来、城壁に使われたりして
堅固な城を築く、という目的の他に 
日本の城を より美しく見せる、という役割をも、果たしてきた
と思う。



                             つづく



ぶら☆ジョルジュ~市ヶ谷~(1)

2011-03-02 | なんとなく民俗学?
ブラタモリの向こうを張って 「ブラジョルジュ」とすると
乳がん体験者のための特殊なブラを ジョルジュが開発・販売するのかと
勘違いする人がいるかもしれない?(笑)

去年の事になるが、
とほさんが 駅の構内にあるヘンなものを
ブログに掲載してくださった。

「構内」






  所々に収穫したあとがある。
記事とは関係ないけど、こちらは キャベツ畑。






江戸城の石垣だという話なので、興味をひかれて伺ってみると
南北線の市ヶ谷駅の構内だと教えてくださった。

なぜ 江戸城の石垣で 興味をひかれたかというと、
石垣の基礎部分に投入?するために
当地の栗石(火石)が持ち込まれたという話だからだ。



本当にそうなんだろうか?

(たぶん、そうなんだろうけど。)

それが、わかるだろうか?

(わからなそうな気がするけど。)



でも 南北線なら 
開通した後に(用もないのに)乗ったことがあるし(笑)、

駅の構内なら 方向音痴の私でも 
案内表示をみれば迷子にならずに済みそうだし、

これはちょっと、行ってみないと。

そう思っていたら、
ブラタモリで その辺をタモリが周遊していたのを見たので
行かなくちゃ! 行きたい! となった。







こっちはキャベツではない?






普段は 都内まで出かけても 
治療院に行って ご飯を食べて まっすぐ帰宅、を繰り返している。

(あ、ちょっと本屋に寄ったりはするけど♪)

クリニックの予約が 午後だったので、

いや、こんな事もあろうかと 
わざと遅めの時間に 予約しておいたので、

娘とお昼を一緒に食べる(=娘にお昼をご馳走する)約束をして
朝から出かけた。

ルンルン♪(笑)







記事とは関係ないけど、ブロッコリーだった。






王子で乗り換えた。

新しい(私がトーキョーに住んでいた頃にはなかった)地下鉄は

色遣いも 斬新というか、モダンというか。






市ヶ谷駅。


あった! あれだ!







反対側から撮影。








本当に、駅の構内に
「江戸歴史散歩コーナー」なるものが設置されている。

平日の なんでもない日だったが
スーツ姿のフツーのオッサンが 足を止めて見入っていたりするので
誰もいない景色をカメラに収めるのは、
けっこう大変。



                            つづく



癌と就労

2011-03-01 | 乳がん
癌になると お金がかかる。



治療費がかかる。

交通費もかかる。

入院にも 手術にも 通院にも お金はかかるのだ。



それまで自分でやってきた事ができなくなれば
それまで必要のなかったお金が かかるようになってくる。



たとえば、
自分で食事を作れなくなれば、買ってくるしかない。

外食よりは安いとしても、それまでとは違うお金の出て行き方になる。

自分で買い物に行けるのならば、だが。

自分で買い物に行けなくなれば 誰かに行ってもらうしかない。

誰かって、誰だ?



自分で食事ができなくなれば
誰かに食べさせてもらうしかなくなる。

食べさせてくれる人の収入が減らなければいいが。

食べさせてくれる人を 雇えるお金はあるか?





癌になると、収入が減る。

テレビの「収入保障のがん保険」のCMで言っている通りだ。



有給休暇を使いきれば 欠勤になる。

欠勤になれば 勤勉手当が減る。

ボーナスの査定に響く → ボーナスが減る。

勤務内容・形態に無理があれば
配置転換もありうる。



それどころか、依願退職になったりする。

(事実、M女子は 辞めさせられた。)

そうでなくても、いたたまれなくなって 
自ら辞めていく人も少なくないようだ。






「これからは 自分のために生きる」

「元気になるのが 私の仕事」

と言い切れる人はいい。

(これも、がん保険のCMだ。)



収入が断たれても 何とかなるならいい。

家族や自分を養っていく必要がない人はいい。



仕事に生きがいを持っていなかった人ならいい。



けれど。



人は きっと誰でも 誰かの役に立ちたいと思って生きている、
と思う。

自分のためだけに生きて
人に支えられるだけでは
生きている甲斐がない、と 感じる人の方が多いと思う。



まして、「仕事」を 癌に奪われてしまった人は。

切ないだろうと思う。

悔しいだろうと思う。

仕事をしたいだろうと思う。

仕事がなければ・・・、
生涯 貯金を崩して生きていけるかどうか、
ハラハラしながら引き算を繰り返すしかないだろう。



まして。

癌になれば お金がかかるのだから。

まして。

癌は治る病気になってきており、
サバイバーとして生きていくにも
当然お金が必要なのだから。






仕事がなくなったら 
自分と言うアイデンティティーがなくなったように感じた。

と発言した人がいた。

私のような いい加減な仕事をしている人間であっても
同じように感じた。

自分の存在意義が感じられなくなった。

「お前は要らない人間なんだ」と 世間から言われているような、
そんな気分になった。

そんな人が 増えなければいいなと思う。






癌になって。

生きる事の意味を問い直すのはいい。

人間の根源を探る精神の旅に出るのもいい。

自分が本当にやりたかった事に気づくのもいい。

けれど 人は 生きていくのに
お金がかかるのだ。






フォーラムがある。

ワーキング サバイバーズ フォーラム
 という。

↑からチケットを購入できる。



期日:3月27日(日) ・・・・・・私は行けない(涙)

場所:フォーシーズンズホテル椿山荘 東京 (東京都)

出演:鳥越俊太郎、関原健夫、小林秀司、内田まり子、武田雅子、桜井なおみ