ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

王者の食卓

2005-08-31 | 食生活
工藤公康というピッチャーがいる。

近年は東京読売ジャイアンツという所に所属して
投げている。



プロ野球の投手にとって
10勝めをあげる、
ということは どういうことか、
よくわからない私は

若手の投手が 今年の目標は? ときれかた時に
「二ケタ勝利です。」
などと答えているのを見て

きっと 大変な事なのだろうと
想像するのみ。



工藤投手が 先日、
史上初の 42歳での 2ケタ勝利を記録した。

40代で 2度の 二ケタ勝利、というのは
工藤でふたりめだとか。

これって、もしかしたら、
もの凄く 偉いのではないか?



この2ケタ勝利を、
若手ではなく、40代がおさめた、
というところが 凄いらしい。

そして、同じ40代として、
ヒジョーに嬉しい。

なぜって、
若い人の体力や能力だけではない
プラス・アルファを発揮しての活躍だから。

体調管理とか疲労回復とかに 充分気をつけて、
生活全般、自己管理がきっちりされていないと

なかなか その 能力に体力、
維持できないのではないか?

無条件に 尊敬していいのでは?



運動選手にとって
‘加齢’というものは 
更年期の女性と同じか(笑) それ以上に
大変な問題だと思う。

Jリーガーの引退は 平均27歳だと 
先日のトーク番組で聞いて
うなってしまった。

プロ野球選手、特に ピッチャーにとっても
年齢的なものは どんなライバルよりも
手ごわい敵なはず。

工藤投手は ‘加齢’という問題を
クリアしてしまっているかのように
元気だ。



読売新聞をとっていると
さまざまな 冊子が タダでもらえる。

嬉しいような、邪魔なような。

でも お風呂の中で読むのに重宝しているので
それなりに楽しみ。

そんな冊子のひとつに
『ヨミスポ』というのがあり、
その中に 「王者の食卓」という記事がある。

毎月 いろいろな分野の第一人者を取り上げ、
家族に その食生活の秘密を語ってもらう。

人によって 母親だったり、妻だったり。



たとえば 柔道の 五輪三連覇の
野村忠宏さんの時は

柔道家でもある父親が
どのように忠宏少年に接したか、

そんな事も含めて
成功の秘密をさぐっている。

忠宏少年は 食が細く、身体も小さかったので
父も母も 色々気遣っていたらしい。



おばあちゃん子で
祖母の作った 
ヒジキや肉じゃがが好きだった忠宏少年は

牛乳を飲もうとしなかったので
ハンバーグを作る時には
できるだけたくさん入れた。

「お酒も飲まないみたいですし、
 粗食が 合っているんでしょうね。

 おかげで、今でも 減量で苦労することは
 ないみたいですよ。」



おお!
キーワードは、‘粗食’なのでは!?

(いや、残念ながら お肉が大好きな
 第一人者もいるのだが。)



工藤投手の場合は

残念ながら ヨミスポが見当たらないし

特集していた雑誌も 他にもあったと思うが
残念ながら見つからない(涙)。

確か、お子さんがたくさんいらして、

(記憶では5人。
 うらやましい!)

家族が 奥さんの作る‘粗食’で
健康にしてらっしゃるとか。

それも かなりしっかりとした
‘粗食’だと 
書いてあったように思う。

(見つかったら、また報告せねば。)



お肉を食べないから、
日本人は小さい。

お肉を食べないと、
力が出ない。

これは

肉を食わないから、
日本は 戦争に負けた。

と同じくらい、
暴力的な理論なのでは?
と思う。

よい歯で よく噛んで
何でも食べるのが いいはず。

添加物や 農薬の少ない
おいしい野菜を いっぱい食べたいものだ。



最近 私は 歯の治療が進んできて、
噛みあわせが 良くなってきたら

ガンガン固いものを噛み砕いて食べたい、

そんな気分になってきている。

再発防止のためにも
肥満は避けなくてはならない、

だから 粗食で
玄米を ワシワシと噛んで
よ~く 噛んで
食べたいと思う。



工藤選手の食事、
これからも ちょっと 注目してみようかな。

ホントに粗食かしら?

DM

2005-08-29 | 考えたこと
ムラの中の人たちだけを相手にしていては
商売は成り立たない。

それは どの業種でも 言えることだろうと思う。

年に数回、
私達は ムラ以外の場所へ
ダイレクト・メールを発送している。



今日も 私は 
運良く(?)
封をする前に見つけた間違いを
一枚一枚封筒から取り出しては
「1000」を「10000」に訂正した(涙)。

あと、切手を貼らなきゃ。

亭主が言うには、
「料金別納郵便」にすると
封筒を開けて見る人が
3分の1になってしまうのだとか。

その統計は 信用できるのか?



2005年1月、
いつものダイレクト・メールに
新たな一枚が加わった。

私が
「そのくらいの顧客サービスは
 すべきなんじゃない?」
と言って 後押しした結果の一枚だった。



そうと決まって、
準備をしたのは
亭主と娘。

私は、しない。



そして 通常業務と
新しく引き受けた儲からないけど忙しい仕事と
実家に帰る以外に

このダイレクト・メールによって
またまた仕事が増えて

亭主は ますます忙しくなってしまった!

でもね
これは 少しは収入になるんだよ(汗)。

王子さま(笑)

2005-08-28 | マンガ
『わらうサロメ』、これも 深見じゅんのマンガ。

「わらう」は 本当は 口偏に山を書いて虫、
の漢字なのだが
手書き入力しようと思ったけど
字がヘタすぎて(?) 入力できなかった(涙)。

『女神の寝室』という単行本におさめられている。
(集英社、1995・11・27、530円)

プレイガールを装うオンナと
プレイボーイの振りをしているオトコの
オトナ(??)の恋の話。

屈折したシビアな物語のはずだが、
どこかに 可笑しなエピソードが入ってくるのは
この作者の特徴?

サロメ(?かな?)こと宮田奈緒は
制服を着て OLとして働いている会社で

先輩社員と 同僚がティータイムで
お菓子を口に運んでいる時に

お茶も飲まずに 
椅子に座って 足を真っ直ぐ前に突き出し、
足首から先を 曲げたり伸ばしたりしている。



先輩:「何してるの? 宮田さん。」

宮田:「こうすると 足首細くなるんです。」

同僚:「そんなに太くないわよ。」

宮田:「王子さまって
    待ってると やってくると 思います?」

同僚:「なによそれ。」

宮田:「待ってても来ないんです、これが。

    でも お姫さまのふりをして
    宮殿に入れば 
    王子さまがゴロゴロ
   
    特賞! 王子さまのつかみ取り

先輩:「お姫さまのふりなんて。

    男にとって 好きな女はお姫さまよ。

    足首太くても
    鼻が低くても お姫様。

    女だって 好きな男はみんな王子さま。」


思っていなかった言葉に 目をみひらく宮田奈緒。


先輩:「うちの夫は 40歳のハゲ王子。」

同僚:「さあて そろそろ 営業の王子さまたちが
    帰ってくるわ。」



私は 
「王子さまがごろごろ」とか
「王子さまのつかみどり」とか
「営業の王子さま」のところで
クスリと笑わせてもらった。



ウチの王子さまは 40代。

老眼が始まり、眼鏡の調整に四苦八苦している。

眉毛や胸毛や 鼻毛にまで 白髪がある。

お腹が横に出っ張る。

数年前の胃腸炎で
ゲッソリ痩せてからは 筋肉がつかず、
お尻は小さく、足は細くなったのに。



若い頃は50キロ台、
スマートだと足も長く見えた。

かつて つながっていた眉毛は
中央が抜けて
垂れ眉毛になってきている。

がに股は 直らない。



ひっぱっていってくれる頼もしさは
独善に変わり、

細やかな気の使い方は
口うるさい干渉になった。



それもそのはず。

お姫さまが この変わりようだもの。



かつて
私が
毎日 微熱があり、
微熱だから、と動くと
高熱を発して 動けなくなっていた頃。

冬の間中 風邪を引きっぱなしだった頃。

生まれたての息子は
これも しょっちゅう熱を出し、
お腹をこわしてばかりいた。

亭主は 仕事の合間に
私の看病と
息子のオムツ洗いと
保育園児の娘の世話とに
完璧を期して 全力投球しては 
疲労困憊していた。



少しは・・・いや、
かなり 亭主の仕事の助けができるはず、
と思って結婚した私が
何にも出来ないどころか
足を引っ張っている。

情けなくて 情けなくて
自分の存在がなければいいと 思っていた。



「しょうがないなあ。」

そんな言葉が 
鋭く胸に突き刺さって。

「こんな私と なんで結婚なんかしたの?」

不毛な会話のあとに
こんなことを聞いたのだった。



「お前といると
 疲れないから。」

しばらく考えた後に
王子は そう 答えた。

可笑しかった。

実は、姫も、そうだった。



この人だったら、
家事全般なんでもできるから

体力のない私でも 
なんとか 共働きでやっていけるだろう、

とかなんとか、

理由づけは
後からいろいろと 付け加えたのだ。



一緒にいて 疲れない人。

なんか、
消極的な理由だけど、
究極的な理由でもあるな。



生意気盛りの息子は
彼女いない歴を 日々更新している。

ある日
「どんな女の子が 好みなの?」
と聞いたら

「ル・クプルのお姉さん。」
と答えが返ってきて
娘とふたり 目がテンになったことがある。



この子は
将来 どんなお姫さまを 見つけるのだろう。

足が太くて
身体が丈夫なオンナがいいよ、
と 母は思っている。

ある女性

2005-08-26 | 乳がん
その女性が亡くなったことは、
「風のうわさ」という形で
我が家にもたらされた。

亭主は半信半疑だった。

それを確認したのは 私だった。

ご主人が 責任ある立場の方だったので、
その妻の訃報として
新聞に載っているのを
見つけたのだった。



その女性は
亭主の同級生。

と言っても、
年齢はいくつも上、
大学院でご一緒させていただいた方で、
私も名前は知っていた。

最近では
大事業を成し遂げて
亭主もお祝いの会に行ったはず。

死因が何であるかは 新聞に書いてなくて、
とにかく行ってくる、と
亭主は出かけた。

2005年1月の 下旬のことだった。



予想より早く葬儀から帰ってきた亭主も
一緒に夕餉の食卓につき、

淡々と 今日の様子を語る。

その 何でもないような様子に
少し安心して

私は 不用意に
「なんで亡くなったの?」
と聞いた。

一瞬、亭主が息を止めた。

その一瞬で、私にはわかった。



「それがね。

 乳がんだったんだよ。」



頭脳明晰で 
亭主の事を可愛がってくれた女性。

夫を 超一流の人間に仕立てた女性。

子供ふたりを 一人前に育てた女性。

求める事を止めず、
近年では
著書を一冊ものしている。

一大事業を成し遂げて、
盛大なお祝いの会が催されたのも、
つい数年前。

今回は
後継者としても不足のないように育てた
ふたりの子供が
紹介されたという。



亭主が 
あの女性には 最後までかなわなかった、
と言った。

本まで書いて出版したし。

普通なら あれだけの立場の夫をもったら
内助の功だけでも 手一杯だろうに。



私は。

私は、
どうして自分は生きているのだろう、
と思った。



どうして、
彼女は死んで、
私は死なないで生きているのだろう。



考えても 答えが出るわけもなく。



私と同じように、
癌が大きくなるまで
検診に行かなかったのだろうか。

忙しさにかまけて、
「そのうちに」で 
何年も過ぎてしまったのだろうか。

本も出し、
子供も育てあげ、
大事業を成し、

もう ‘死んでもいい’状態だったのだろうか。



そうは思えない。

死んでもいい、なんてことは
生きている限り、
ないはずだ。

人は 生きていたい、という欲がある。

だから、生きていける。

本能が、生きろ、と教えてくれる。

だから、人類は滅びずにいる。



乳がんは 
(炎症性などの特に悪性のものは
 どうかわからないが)

ほんのわずかずつしか
大きくならないらしい。

私の乳がんも
十何年かかって ここまで大きくなった、
と言われた。



ならば、
あの時の 彼女は
もう 乳がんに冒されていたのだ、
などと 亭主も一緒に考える。

お祝いのセレモニーで 
あいさつをした頃、

もしかしたら 
もう 乳がんとわかっていたかも知れない。

子供たちの様子を見ると、
もう 長くないとわかって

急に後継者として仕立てたらしい感じも
見受けられる。

癌とわかって

そして

長くないと知って

どんな日々を

彼女は

彼女の夫は

彼女の子らは

送ってきたのだろう。



そして。

彼女が死んで。

どうして

私は

ここに

こうして

生きているのだろう。



きっと 
やり残している事が いっぱいあるんだね。

きっと 
私が 癌になったことにも
こうして生きている事にも
何か
意味があるんだね。

でも
それって
なんだろう。

死んでもいい?

2005-08-25 | 考えたこと
これをやり遂げたら、死んでもいい!

ってこと、なにか、ある?



そんな事を聞かれたのは、もう16年も前の話。



私は赤ん坊の息子を抱えていた。

「特にない」と思ったに違いない。

ただ、子供達だけは、育てないと、と。

幼い子供を持つ母の、
普通の考えだと思うんだけど。



新しい友人に
そんな質問をされた日に

同じ事を 亭主に聞いた。

「う~ん。」

(何か、あるんだろうか? ドキドキ。)

「本を一冊書いて 出版できたら、
 俺、死んでもいいなあ。」

が~ん!

そんなんで、死んじゃって、いいの!?

え~~~?

本、なの?

変わり者かもしれない、と思ってたウチの亭主、
やっぱり、変わり者だった!



なんでも、もの凄く難しいから、
一生かかっても 出来ないだろうけど、

なんとかかんとか言う昔の本を
わかりやすく 正確に 現代語に訳して
本にしたいのだそうだ。

出来そうになくて、よかった!




アーティストとか、建築家とか、
形になるものを残せる職業の人は

「私は死ぬまでに これを作った」

と言えるものを残す事に
生きがいを感じやすいように思う。

女性でも そんな面があるに違いないとも思う。



でも 
私のような 後に何も残らない仕事の人間には

子供が一番の作品になる。

不出来だが、しょうがない。

不出来だが、可愛い。

不出来だが、この子達がいるから、
私が生きた証にもなる。

まあ、これでよし、とするか。

私みたいな母ならば、
これで、上々か。

蚕と地蔵盆

2005-08-24 | 明るい農村
これは、お散歩コースから見た、
隣りムラの 農家。

当地の古い農家の造りは、
総二階作りで、
みんなこんなふう。



腰の曲がったタアちゃんちは
この3倍くらい、

私の好きな石仏のある
ようちゃんちも、

定年後 夫婦で無農薬栽培をしている
みっちゃんちも、
6倍くらいある。



今は米も作らず
畑作一辺倒の当地の農家だが

以前は
一面の桑畑で、

養蚕が盛んだったという。

カイコの卵(タネ)を売買する
タネ屋もあったとか。

生糸の相場の大暴落などのせいか、
今では一軒も残っていないが、

農家の造りに名残がある。



その造りでは
二階がだだっ広い。

カイコを飼育するカイコ棚を
二階に作っていたのだそうだ。

竹で編んだ通気性のよい棚板に
カイコがワサワサと居て、

そのカイコに餌となる桑の葉を与える。

相手は生き物、
カイコの期間中は
農家はどこへも出かけられず、
朝に夕に カイコに桑の葉を与える。

大きな農家では
二階に設けた蚕室を行き来するのに
歩いていては間に合わないと、

なんと、二階を 
自転車で行き来していたのだそうだ。

すげえ!



イバラキの実家のそばにも
カイコ(お子様と呼んでいた)を
飼っている家があった。

可愛いから、可愛そうだから、と
農耕牛を 最後まで飼っていた家だった。

お爺さんとお婆さんが健在だったので
カイコに回せる手があったのだろう。



私はその家の縁側で
お婆さんが
繭を熱湯につけたり(残酷!)

カラカラと糸車(?)を回して
糸を紡いでいる所を見せてもらった記憶がある。

年寄りの稼ぎとしては
かなりいい小遣いになったらしい。

カイコが一段落すると、
爺ちゃんと婆ちゃんは 
どこかへ泊まりで遊びに行き、

母ちゃんは母ちゃんで
舅・姑がいない数日で
ホット一息。

農家だろうが サリーマンだろうが、
みな 働き者だった頃の話。



このカイコの飼育が、
7月のお盆や8月のお盆では
忙しい時期にあたるので、

当地のお盆行事は
そのころ 地蔵盆にあわせていた、
と聞いた。

今日は8月24日、
月遅れの地蔵盆。

お地蔵さまは 四の日が縁日らしい。

「お婆ちゃんの原宿」として有名になった
巣鴨のとげ抜き地蔵尊では、

きょうも 
いや、いつにも増して(笑)
お年寄り達で賑わうのに違いない。

2005年!

2005-08-23 | 考えたこと
ようやく、年が明けた!(笑)


私は 今年のキーワードは
脳内ホルモンと発酵、
とどこかに書いたような気がする。

・・・見つからないが。



脳内ホルモンに関しては
何冊か読んでいる。

最近では、
池谷裕二という、
可愛い顔をした
若い研究者(1970年生まれ)が
気になっている。

『健康365』と言う雑誌
(2005年8月号、エイチアンドアイ、550円)で、

「研究上の夢は、
 アルツハイマーを治したい。」p16
と語っている。



発酵に関しては、まだちゃんと取り組んではいない。

偉そうに。

本や雑誌を見るだけなのだが。



私のやりたいこと、それは
“いろんなことについて考えたい”なので、
考える。

そして 考えたことや
本や雑誌を読んで「へ~」と思ったことを

こうして ブログに書いている。

書いた事に関して、
あーだ こーだ と
反応してくださる方がいる、この喜び。

時として 
社会から隔絶されている気分になる私にとって

この窓は 大切な換気口でもある。

止めらんないなあ。

ベストセラー

2005-08-22 | 読書
私はミーハーである。

ミーハーであることは、恥ずかしい事だ、
という認識もある。

この認識は 姉や友人や 
いろんな人たちに植えつけられたもので、
私自身は けっこう B型的ミーハーである。



ずっと 
ミーハーである事を 隠してきたような気がする。

けれど オバサンになって、
「ミーハーで何が悪い!」と
開き直ってきたここ数年。

へんなところで、ミーハーよりも 
へそまがりである事が 判明した。



去年は どこの書店でも
養老孟司氏の著作、
『バカの壁』(新潮選書、2003・4・10、680円)と
『死の壁』(新潮選書、2004・4.15、680円)とが
並んで置かれていた。

養老孟司という人は、東大医学部で 
解剖学をやっていた人なのだそうだ。

この人のエッセイには
以前から注目していた。

さすが解剖学者、
視点が ちょっと 人と違ってて、面白い。

新聞や雑誌で この人が書いたものが
たいていは 短い文章だったけれど、
載っていると、
「おっ。」
という感じで 読んでいた。



それが、突然の、ベストセラーだ。

『バカの壁』が、バカ受けして バカ売れだ。

ここで、へそまがりが ムクムクと顔を出す。

マスコミで騒がれている間は、買わないぞ、と。



『バカの壁』騒ぎが一段落して
ようやく買って読んだのが、
2004年12月だった。

二冊いっぺんに買って、立て続けに読んだ。

読んだ感想は、
「日本人って、凄い?」だった。



『バカの壁』は、難しかった。

こんな難しい本が ベスト・セラーになるなんて、
日本人って、凄いんじゃない?
と思った。

難しかったが、面白い本だとも 思わなかった。

いつも面白いと思って注目していた人の本なのに、
いつもほどの面白さを感じなかった。



確かに、
オウムにしろ イチローにしろ カーストにしろ、
視点のユニークさは そのままで、

思わずクスリと笑ったり、

「そうか!」と膝をたたきそうに 
納得してみたりは するのだが、

突っ込み方が中途半端な気がして、
楽しめなかった。



『死の壁』の方が 読んで面白かった。

これは、

人間の致死率は100%、という事を、

人はわかっている、と思い込んでいるけれど

本当にわかっているのか、

と書かれた序章の段階で、

私は 著者のマジックに
幻惑されてしまったのかもしれない。

ああ! そうよね!! と。



気に止まったところに 
付箋を付けて読んでいたが、

今、
二冊とも二度目の読書をしていて、

最初の時とは 違う場所で
「ン?」 と思って 
付箋を貼り付けている。

お肉、お肉、お肉!!!

2005-08-21 | 食生活
ダイエットの話題ではない(笑)。
大事な、大事な、食べ物のこと。

写真は、だいぶ前に写した、
モロッコインゲンの胡麻和え。



月遅れの迎え盆の日は
なんとなく 生臭ものは 食べづらい気がした。

ブログにああだこうだ書いてたからかな?

塩サバが買ってあったけど
あの臭いをさせるのが、どうも気が引けて・・・。



本当の精進料理は
出汁もイリコやカツオを使わないらしい。

カツオ出汁が好きな私、
そこまでは気にしない。

吸い物が嫌いな娘がひとりいるので、
なるべく味噌汁。

玄米が切れているので、白い御飯。

お精進でない証拠(?)に
大根おろしを添えた釜揚げシラスも。

だけどメインは 塩サバを止めて
精進揚げにした。

精進揚げが大好きな亭主は 大喜び。

庭の青紫蘇も いい具合に カリっと揚がった。

子供たちが好きなのは、ニンジンのかき揚げ。



近所の若いお母さんが
私もまだ 少し若かった頃だけど、

新盆で 親戚の人が大勢見えるという時に、

朝から晩まで、
クーラーもない台所で 
一日中 精進揚げを揚げていた、

という話を思い出していた。

毎日やってれば、少しは痩せるんだろうにね、
と 彼女は笑っていたが、
二度とはしたくない風だった。



それから、ジャガイモの炒め煮も作った。

これは 私が好きな料理。

母が昔から良く作ってくれたもの。

材料のジャガイモが 一年中あるからだ、
と 最近になってわかった。

スティック状に細く切ったジャガイモを
油で炒めて 醤油で味付け。

砂糖を入れて 甘辛くしてもいい。

今回は 塩と 醤油を少々、
そして カレー粉をたっぷり振り掛けて、
カレー味にした。



買い物に行かないと、
葉もの野菜からなくなる。

15日には
たくさん作って残ったカレー味のジャガイモを
つぶして丸めて カレーコロッケにした。

初めて作ったが、
ちゃんとしたカレーコロッケになった。



16日には
買い物に行った。

亭主に何が食べたいか聞くと、
「焼肉!」と答えが返ってきた。

亭主は肉が好き、焼肉が好き、
だけどそれだけではない。

私が夕食の準備を面倒がると
「ちゃちゃっと焼肉!」と いつも言う。

簡単なのは、確かだ。



そうは思うけれど
焼肉が食べたいのか、と 心を揺さぶられる。
(大げさ?)

結局 スーパーで 肉を買い、
その晩は ニンニクたっぷりの、焼肉。



退職してから
奥さんとふたりで
無農薬栽培を楽しんでいる
みっちゃんからもらった、
無農薬のニンニクだ。

テレビのCMで見るような、
どでかいニンニクがとれたようだ。

ただし、全部がその大きさではない。



お肉は、牛肉。

和牛!

買い物に付き合ってきてくれた息子に、
一応、聞いてみる。

「お肉、いっぱい食べる?」

「ああ。」

ああ、そうよね。

聞かなくても、わかってたわ。

ひとパック150gほどの牛肉を
3パック購入。

だって、周りの人がどのくらい食べたか見ながら、

この位、いいかな?とか 気を使いながら

我慢して少しだけ食べる、なんて、

焼肉では したくないじゃない!



和牛のおいしさは、脂身のおいしさ!

とろ~り 甘い 和牛を食べて、

余は満足じゃ。



ところが、それから、お肉が食べたくて、食べたくて。

これも ある種の 揺り戻し?

昨夜は 酢豚とマーボー豆腐。

手間を掛けると、ひと味ちがう。



今夜は・・・。

私がこのところ
毎日 楽しくないので、

(例の、口角が、ぐううぅんと 下がってる状態。)

(デジカメのせい? だけじゃないと思うけど。)

亭主が カラオケに連れてってくれるらしい。

夕食は、何だろう?

ええと。

2005-08-20 | なんでもないこと
何から書こうか。

まずは、ええと、ご無沙汰したこと。

お盆について リキを入れて
書こうと思っていたけど、
大変すぎて、書きそびれた・・・。




亭主の実家に行って
恒例、年に一度の 長男の嫁。

たいしてすることもなく、
義弟一家と 楽しく時を過ごして
帰ってきて。

疲れるほどのことは していないけど、
往復でくたびれる。



夕方までなんとなく気ぜわしく実家に居て、
最近みつけた新しい温泉
(もしくは、銭湯。どっち?)にみんなで入って、
夕食をみんなで食べて 帰ってきた。

到着はいつも真夜中。

このリズムの乱れで、余計に疲れる。



パソ子が帰ってきた。

ところが、絶好調とまでは 回復していないらしい。

キカイのことは、ようわからん。



それから、
せっかく600万画素のデジカメで撮ってみたのに、
ブログにアップロードできない。

がっかり。

亭主の実家から帰ったら
まず、これ! と思う写真があったのに
それをアップできなくて、
イライラして、
記事も書けず。



この写真は 前のデジカメがオシャカになる前に
撮ったもの。

こぼれ種から芽生えたインパチェンスと、
朝顔のつる。



昨日は 旧暦のお盆、7月15日だったので
今年のお盆関連記事のシメに
送り盆のことを書こうと思っていたのに
あれもこれもできず、

ついでに パソ子には向かっていたので
家の中の埃も そのまんま。

自己嫌悪もそのまんま。

子供たちは夏休みを満喫して
遅くまで起きていて 遅くまで寝ているし。

父と母は きょうもお仕事だってのに!

お盆

2005-08-15 | なんとなく仏教?
お盆=盂蘭盆、

盂蘭盆とは、
サンスクリット(古代インドの言葉)で
ウッランバーナ(ullambana)を 
中国で音を写した言葉だ、
みたいなことは習った。

かすかに記憶がある。
(今、辞典で調べたし。)



最近では、
別の説もあるらしい。

イラン語の ウルヴァン(urvan)が語源だ、
というのだ。

イランの ゾロアスター教を信じる民族に
ソグド族というのがあって、
死者の霊をウルヴァンと呼んで大切にしてきたとか。

私としては、
イランの方の言葉、というほうが
ぐろーばるな気分に浸れて、
ゾロアスター教やイスラム教の人とも
仲良くなれそうな気がして、
ロマンがあって いいかなあ。



せっかくの月遅れのお盆だから、
お盆の話を。

仏説盂蘭盆経というお経がある。

でも、これは、偽経。

つまり、お釈迦さまが お話した内容ではない。

だけど、大事なのは、
みんながそれを 仏さまの教えだ、と思って
信じてきた、ということ。



どんな国の どんな宗教も
地形や気候や歴史に左右されつつ、
民衆に浸透していったからこそ、
宗教として残っているわけで。

ここからここまでが だれそれの教えで、
そこから先は 土俗信仰だ、なんていう線引きは
誰にもできない。

これは、キリスト教でも 同じことが言える。

だから、
中国の儒教の教えを身にまとった仏教を
日本式に取り入れた仏教が 
古代インドの仏教徒違ったからって、
なにも卑屈になることはない。

日本人にとっては、
日本の土俗信仰や 農耕儀礼とくっついた
日本の仏教が、ホンモノ。

だと、思う。



そのお経には

超能力者の目連(もくれん)という
お釈迦さまの弟子の話が出てくる。

目連さんは その超能力で
お母さんが餓鬼の世界に落ちているのを見て、
なんとか救いたいと思った。

お釈迦さまに相談すると、
「7月15日が 安居(あんご、お篭り勉強会)の最後の日で、
 懺悔(さんげ、=ざんげ)のために
 お坊さんが みんな集まってくるから、
 その大勢のお坊さんに 供養しなさい。」

目連さんが 言葉のとおりにすると 
お母さんも 餓鬼の苦しみから救われた。

この場合の、「供養」というのは、
具体的には、飲み物と食べ物。

だからって、飲み放題、食べ放題して、
酔っ払うお坊さんは、やっぱり、嫌い。

おとっつあんが のんべえだったから、
のんべえが 大嫌いになった?

いやいや、おっかさんも のんべえだったのだ!

「アタシは、オトナになっても、
 絶対、お酒を飲むヒトにはならないぞ!」

そう固く心に誓った幼い日(笑)。

でも こう暑いと、
湯上りのビールを 誰が責められようか?(笑)

『ねずみひき』

2005-08-14 | マンガ
深見じゅんと言う漫画家は
我が家にとっては 『ぽっかぽか』の作者だ。

親子でお気に入りになったマンガだった。

テレビドラマにもなって、
結構評判もよかったらしい。

「子供には ちち、はは と 
 呼ばせようと思います。」
とか

「生まれてきた子供に ‘あすか’と名づけました。」

とか言う投書を 何回も見た。



同じ作者で
恋愛もののドロドロも 何冊か出ている。

『星の舟に乗って』《深見じゅん名作集》と言う単行本
(集英社、YOUコミックス、2000.8.28、505円)
に収録された 『ねずみひき』の中の、最後のシーン。



かなりに問題のあるアルバイト女性の
ガランとした 寒々しいアパートで
ふたりとも‘いいオンナ’の社長と林田、
泣きつかれて眠ってしまった女性の寝顔を見ながら。

(もちろん、3人とも 若めの女性。)


林田「いい月 出てる。」

社長「こっちも いい顔して 寝てる。」

林田「ほんとだ。」

社長「治るかね。
   この性格。」

林田「一番いいのは 恋をすることなんだけど。」

社長「林田みたいに?」

林田「・・・私も地獄だったわ。」

社長「不倫相手の奥さんに
   毎日無言電話。」

林田「薬飲んで
   手首切って
   救急車に乗ること4回!」

社長「アホったれの アル中女。」

林田「胃潰瘍のおまけ付き!」



林田「・・・それを社長が助けてくれた。」

社長「・・・私も恋で のたうちまわったからね。

   ・・・まあ この子を 放ってはおけないか。」

林田「私ね 
   みんなに教えてあげたいの。

   自分の心を掃除すると
   たいていのことは 
   解決できるって。

   幸せは 自分の中にあるってこと。

   それが分かれば
   他人と向き合って 笑い会えるってこと。」

社長「おっ、今日は詩人だね 林田。」

林田「世の中の女のコが
   みんな幸せになればいいのに。」

社長「いいからもう一杯飲もうよ。」



私は恋愛小説なんて書かないし

このマンガは 少女マンガではないから

恋愛指南書としても 役には立たないと思うけれども

恋愛に限らずとも、

「自分の心を掃除すると たいていのことは解決できる」

というのは 名言だと思う。



昔、
ある女性が 有名な学者の所へ行って
悩み事の相談をした。

あれがああで、これがこうで、それがそうで……。

解決できそうにない悩みの束をぶちまけて、
どうすればいいか、と助けを求める女性。

じっと 黙って 聞いていた学者は
女性を帰宅させるべく 手を取って、

「奥さま。
 
 家に帰って 針箱の中を 御覧なさい。」

とだけ言ったそうな。

私のいい加減な記憶では この学者は
ベンジャミン・フランクリンだったと思うのだが。



不思議なアドバイスに 
首を傾げながら帰宅した女性は

それでも 針箱を見た。

(ソーイング・ボックスと言う言葉は
 その頃の日本には 定着していなかった。
 
 それほど、古い記憶の中の お話。)



すると 針箱の中は ぐちゃぐちゃ。

見透かされたようで 恥ずかしくなった女性は
針箱の中を 整頓する。

すると 
家の中のあちこちが 散らかっていることに気づく。

家中を片付け、掃除をした女性の悩みは
もう 解決されていた。

そんな話だったと思う。



この話のようなことは 私には しばしばあった。

若い頃から 

イライラしたり 悩みが山ほどあったり

どうしようもない気分になって 
気がつくと 身の回りが 片付いていない。

不思議と そんな時には 
頭の中も 片付いていないのだ。

だから この話を子供の頃に何かで読んで
覚えていて良かったと思う。

どうしようもなくなった時には
針箱から 冷蔵庫の中から そこら中、
キレイにすると 見えてくるものがあるから。



本当は答えがわかっているのに 
見えない時がある。

悩みがたくさんあって、
どれもこれも重要な問題で、
どれが 大事な悩みだか 分からないことがある。

そんな時には 針箱もそうだが
頭の中を掃除して
重要でないものから順に
どんどん 棄てるのだ。

どうしても棄てられないこと、
死んでも棄てられない物なんて、
そう沢山は ないはずだ。



そうして棄てていくと、

自分のとるべき道が見えてきたり、

悩みが 取るに足りないものばかりになったり

とにかく 
気が楽になる。

おまけに、少しは 部屋が片付く。



最近の私は あまり悩みがない。

強いて言うなら、
家の中が 片付かないことが悩みだ。

マンガと読書

2005-08-13 | 考えたこと
『池袋ウエストゲートパーク』の作者、
石田衣良と言う人は 
かなりの読書好きだったそうだ。

「ぼくは 青春の盛りを、

 アルバイトもせず、

 ガールフレンドと遊ぶこともせずに、

 ひたすら言葉の海におぼれてすごしたのである。」

「夏の魔法の一冊」(青春と読書2005年7月号、p3)
のなかで そう告白している。



その中で氏は

若い人たちに アンケートをとると
趣味の欄に「読書」と書く人が増えているそうだ、

また そういう趣味をもつのが
カッコいいことであるような風潮もあるらしい、

と 記している。

本当ににそうなら、
目出度いことではある。



文字を通して情報を取り入れる、という文化は
人間だけのものだし、

耳からの会話をとおしての情報とは
また違った発展のしかたがある。

ぜひ 文章を読むことによって
内容を頭の中で 想像して
自分の疑似体験として理解する、

というプロセスを 体験して欲しいと思うから。

そして それが 「カッコイイ」というのなら、
若者よ、本を読もう!(笑)



いや、違う!

こんなことを書こうと思っていたのではない!

私が 共感したのは、

氏が 小学生のころから
姉たちが買っていた
週刊マーガレットや りぼんなどの
少女マンガを読んでいた、とある辺りから。

私も 拾い読みができるようになると間もなく、
「りぼん」「なかよし」などの
姉のマンガを 読むようになっていた。




氏にとっては 数限りない読書が 
作家としての資質のひとつになっているのと同じく、
マンガも 恋愛小説を書く土台になっているらしい。

『スローグッドバイ』は 私は読んでいないが、

「少女マンガが 歴史的に達成したことを、
 ぼくなりのセンスとていねいな文章で
 小説の世界に置き換え」て
 
ひとつずつ 仕上げていった恋愛短編集なのだという。



「書籍だけでなく、
 マンガだって立派な読書だ
 とぼくは考えている。

 世界に例をみないほど
 高度に発達した日本のマンガ文化を見逃すなんて、
 もったいない話だ。

 少女マンガなんてと敬遠してきた男性読者は
 ぜひ新しい世界を発見してもらいたい。」



「ぼくのように 創作の役には立たなくても、
 女性の心理について
 より深い理解がえられるはず。

 日本の少女マンガは 
 世界でもっとも優秀な恋愛シミュレーターなので、
 実際の恋愛にも
 きっとご利益がありますよ。」

(同 p5)



恋愛の心の炎が 
遠い夏の日の花火には まだなっていない若者達へ。

恋愛教科書に、マンガをどうぞ。

追記:ただし、少女マンガ、です。

カミナリ

2005-08-13 | なんでもないこと
亭主と違って カミナリは怖くはないが、
パソコンとカミナリとは 
相性が悪い(あるいは、よすぎる?)と思うので
昨夜は 記事の投稿をあきらめた。

凄いカミナリだった。



当地はカミナリがよく発生し、
当然、時々落ちる。

芍薬を作っているお婆さんの家は
古くて大きな家で、
高い木も何本もあり、
カミナリも何度か落ちている。

息子の同級生の家は
何年か続けて毎年落ちて
火事になったわけではないが
そのつど 連続して
電化製品の 総買い替えを
余儀なくされた。



私がいつも散歩に歩く河の向こうの集落に住む人に
「河向こうは カミナリが凄いからなあ。」
と言われて ショックを受けたことがある。

‘河向こう’、つまり 私にしてみれば ‘河こっち’。

同じ河のほとりに住んでいて、
向こうより こっちの方が カミナリが多くて凄い、
こんな不公平があるだろうか!?



パソ子の修理は 予想より時間がかかりそうで、
お盆明けになるという話。

デジカメは 使い方がまだピンとこないし。

昨夜は カミナリが怖くて
デスクトップにも 触らなくて、
寂しい夜だった・・・。

カミナリにも なにか それらしい存在意義が
あるのだろうか。

またまた

2005-08-10 | なんでもないこと
パソ子が、再入院してしまった。

完全復活かと思ってたのに。

ぐすん。

せっかくデジカメがきたのに パソ子がいない。。。



ウシシ。

そのデジカメが 
やっぱり直らなくて、新品を購入することになった。

(つまり、現品は手元にあるけど、 
 まだ支払いを済ませていない。)

じゃ~~ん!!!

こんどのは 600万画素!

新製品!
(ただし、一年近く前の、新製品。)

こんどのは 手のひらの中に収まるサイズ。

こんどのは 電池が2本しか入らない。

さっき やっと 充電して
そこらへんを撮ったら 
なんかやっぱし 画像がキレイ!



今日は あの内容にしようか、
こっちを先に 記事にしようか、
と 楽しみにしてたのに

忙しくて くたびれて
そのうえ パソ子が動けなくて・・・。

私が絶好調になってから
次の記事を投稿するつもり。

そして パソ子が絶好調になったら
自分で撮った写真をアップする。

(この写真は デスクトップ・パソ輔くんに 
 入っていたもの。)

そしてそして 新しい600万画素のデジカメを
使いこなせる日が もうすぐ来ることを 
一番楽しみにしてるのは、ア・タ・シ!