ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

花の季節

2015-03-30 | なんでもないこと
桜が開花!

と思ったら、もう、ほぼ満開!!!

そして、そこいらじゅうが、花盛りだ!










アスパラガスだって、ニョキニョキだ!(笑)






この春、
私の注目は、椿だった。





花が咲くと、町や村をを車で走っていて

ああ、あそこには梅があったんだっけ。

あ、花桃がある!

そうそう、ここには一本、桜があったわねぇ。



そんなふうに気づく。



そして 花が終わると
また 次の春まで 忘れている。





今年 私の目に留まったのは、椿だった。

我が家にも 以前の持ち主からのものが
何本かあり、
近所にも 何本もある。





たいていは、何の変哲もない藪椿だ。





          


          


          


これらは、我が家に咲いた。





たくさんの種類がある椿には、江戸時代にブームが来たらしい。

海外に進出して 向こうでもブームを作った。

魅力の尽きない植物と言えるかもしれない。



過日の「美の壺」で 落ち椿も話題のひとつになっていたが、
我が家では あまり美しく落ちてくれていなかった(涙)。


    
          




もう花の盛りは終わってしまったが、
椿は美しい。

八重咲きの椿もいいなぁ。

チューリップも咲きだして
世界中のガーデナーが 忙しいだろうね。



          




私たちは、傷ついている(2)

2015-03-23 | 考えたこと
先日の記事は、
アタマの中のグニュグニュが 形を成さないまま、記事にした。

どうも、ココロ優しい人達は 
一緒にグニュグニュにお付き合いしてくださっているように思う。



私のこのマーブル模様のグニュグニュは、
〇〇から70年、といニュースが
去年 頻発した当たりで始まっている。

最初の特攻から70年、
東京大空襲から70年、

戦艦武蔵が見つかった、etc.etc...

おまけに、サリンから20年だの、
いろんなのがあって、

4年目が来る、となったら、

吐き出さなきゃいられなくなった。






大きなきっかけになったのは、

どうも 北朝鮮による拉致の問題で、

直接は関係がないのに、
被害者やそのご家族に申し訳なく思ってしまい、

日本政府に代わって 罪の意識を持ってしまっている、

という話を聞いた時だった。



「へ~~。」

「ふ~~ん。」

「そうなんだ?」

「うそでしょ?!」

そう思うじゃない?



しかも、その人は、意識せずに、
つまり、無意識のうちに、って話だ。



そして、とても「生きにくさ」を感じてしまっている、と。



そんな事があるんだ?



拉致された人々と 年齢が近く、
親の年齢も近く、
当然、子供たちの年齢も近くて、
拉致を他人事とは思えない時期があった私には、

それは とても ショックな話だった。



でも、無意識って・・・?






そうしたら、
東京大空襲から70年の日の 新聞の人生案内に、
「<イスラム国>事件に心痛める」というのが載った。

「イスラム国」、最近では「IS いすらみっくすてーと」と呼ばれている。

紙面では 若い相談者が 
「イスラム国」による日本人人質事件のショックから 抜け出せない、
と訴えている。



「宗教とは、人間の本質とは、何ですか。

 非情な争いは なくなりませんか。

 やりきれなくて、悔しくて、悲しいです。」



「この心の苦しさを どうしたらよいでしょうか。」



この事か?!!!



この相談者は まるで 殺害された人質の親類縁者のように
傷ついてる。

が、
もしかしたら、
これは ニュースを知った私達全員の心の痛みなのかもしれない、
と思った。



あの日。

私達は 大きな、あるいは 小さな 胸の痛みを
感じたはずだ。



だったら、北朝鮮による拉致被害と同様に、

自分では意識しないまま、
大きな傷を心に負って
これから「生きにくさ」を感じる人が出て来るのかもしれない。



てか、「無意識」って、何だ!?






新聞の解説者は、
「私たちに出来ることは、 
 <どうしたらこんなことが起きないようになるのか>
 を考えることだと思います。」

と語っている。



そうして、私は、もうひとつ、

私たちには≪祈る≫という貢献ができる、

と考える。






最近、私は、アヤシイ宗教者だ(爆)。



私たちは、傷ついている

2015-03-20 | 考えたこと
私たちは、心優しい。

他人の痛みを つい 感じてしまう。

いや、感じようとしてしまう。

それが、原因なのだと思う。

私たちの心は、深く傷ついている。

(私の胸に 傷はあるけど、乳がんの話では、ない。)






ニュースを見ていて 傷つく。

チュニジアで起きたテロ。

神奈川の河川敷で 遺体で見つかった、中学生。

台風、ハリケーン、大雨、土砂災害。

地震。 津波。 

サリン。

原子爆弾。 大空襲。

まるで 私たちの周りを、悲劇が覆っているようだ。






神戸の時も傷ついた。

クライストチャーチの地震でも、傷ついた。

9・11の時だって、傷ついた。

だから 世界中の人々が 3・11で傷ついているって、
信じられる。






私たちは、みんな、傷ついているのだ。

だから、被災した人の表情なんて、もう 見たくないし、
声も聞きたくないのだ。


だけど、復興は あまりに遅いし。。。






昔の事について 知っている人は どんどん減っていく。

「語り部」は高齢化しているのだ。

けれど 風化を恐れる人は多い。

だから、新たに 語り始める人が出て来る。

戦艦武蔵が出て来る。

そのうち 何も新しいものが出てこなくなる日が来るだろう。

その時は これまで 必死の思いで蒐集されてきた物たちが
何かを語り始めるのではないだろうか?






私たちは 傷ついている。

自覚の有り無しに係わらず、傷ついている。

そうして 勝手に自分の中で トラウマにしてしまっている。



中には トラウマを抱えて 生きにくさを感じてしまう人もいる。

拉致された人たちに感情移入する。

拉致という犯罪を憎む。

これまで何もして来なかった日本という国に対して怒りを覚え、
被害者に申し訳なく思う。






戦争を引き起こした日本国民を憎み、
国内各地で一般市民を巻き込んだ空襲という大量殺戮を憎み、
戦犯たちを憎み、
東京裁判で戦犯たちを裁いた戦勝国を憎み、

それらによっても 深く傷ついている。






戦争に行った親を憎み、
戦争に行けなった親を憎み、
戦争の後に生まれた自分を憎み、
戦争で亡くなったすべての人を憎み、
戦争から生きて還ったすべての人を憎み、

大陸から還って来た人々を憎み、
大陸から還って来れなかった人々を憎み、

それらの人々すべてに同情し、慟哭する。






今の私たちに 何ができるだろうか?

この小さな手に 何ができるだろうか?

私の声で 何を叫ぶことができるだろうか?

私の耳に 許しの言葉は 聞こえてくるだろうか?






今 

私たちは 

過去のすべての過ちの許しを請い、

これからの私たちに 安らぎを願い、

今 安らぎの中に居られない人たちの安寧を祈り、

これからの世界の 平和を祈る意外に 道がないのだろう。






生きにくさを感じている人々へ。

あなたは、あなたにできる事だけをすればいい。

過去に罪はあった。

けれど それは あなただけのものではない。

あなたが負うべき責任は すでに果たしたはずだ。

あなたは 幸せになっていい。

あたなには 幸せになる権利がある。

そうして まだ幸せになれないでいる人々のために
過去に幸せになれなかった人々の魂のために

私たちは 一緒に祈ろう。

一緒に できるだけの事をしよう。

できるだけの事をしつつ、幸せになろう。

あなたは、幸せにならなくちゃいけない。

みんなと一緒に、幸せになろう。

そのために、祈ろう。



今さらかも知れないけど

2015-03-19 | 乳がん
いろいろあって 少しずつ遅くなってきていた、定期健診。

今年は2月は忙しいと、3月にまで遅らせた。

先日、無事にクリアー。

もちろん、いつも通り、スウィーツも。



     


13年経った。たぶん(汗)。

もう、自分の年齢と同じくらい、あやふやになってる(笑)。

検査は、また 一年後だ。

節目

2015-03-11 | 考えたこと
節目というのは、存外、あちらこちらにある。

ああ、何から書こうか?

以前書こうと思っていた事は、
今では もうどうでもいいような気がしているし。

でも、ちょっとだけ、今日の節目については、
書いておかなきゃいけないかな?



4年目。






うん。

ちょっとだけ、書いた。



いっぱい、いっぱい、考えてきたんだけど。






これから、ちゃんとサボらずに 
考えてきた事をアップしていけるだろうか?

難しい事を考えてると、
頭の中で<書きたい事のカタマリ>を創り上げる事ができないまま、
グニュグニュの渦が巻いたようなまんまで居る。

それはそれでストレスなので、
なんとか文章にしてみた。



もう少し書けそうな気がしてたけど、今日のところは、ここまでだ。