ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

我が家の柚子

2005-11-30 | なんでもないこと
今年は 我が家の柚子が実をつけた。

いや 正確には 去年も一昨年もつけたのだが
収穫、と呼べる段階ではなかった。



ところが!

今年はこんなに立派なきれいな実をつけてくれて
私は嬉しくてしょうがない。

遠くから見ても
鮮やかな優しい黄色は美しい。



義父が 実生の柚子の苗を
亭主の実家から持ってきて植えてくれて
これが3本目だったと思う。

あれから かれこれ 13年、
いや もっと経ってるかもしれない。

義父母はまだ若く、
子供たちは小さかった。



娘と息子に手伝ってもらって
大きな怪我もなく(笑) 無事 収穫。

高い所の2、3個は 収穫を断念したが、
それでもなんと、15個を手にする事ができた!

その中から3個取り出して
柚子の蜂蜜漬けを作った。

まずよく洗ってから
種を取り出すために真ん中で横に切る。

本当は種も入った方が美味しいような気がするのだが
種があると とても食べにくい。

横に切った柚子の中の種を取り出し、
きゅっと軽く汁を絞ってから
まな板に伏せた柚子を
端から薄く切っていく。

さっきの汁と合わせて
蜂蜜をまぶすだけ。

お砂糖でも美味しい。

香りと酸味の強い
美味しいオヤツになった。

このまま
さっと湯を通した薄切りのハス(レンコン)に合わせて
柚子バスにしたりもする。

おばけ柚子

2005-11-30 | なんでもないこと
なにも、ユズの話題は 風と友達の専売特許ではない(笑)。

私のユズも 今年はお目にかけよう。



これは、おばけ柚子と私が呼んでいるもの。

直径役10センチ。

去年もいただいたが 今年は3個いただいた。

くださる時に その方が
「お風呂に入れてください。」
とおっしゃるので

去年はお風呂に入れただけだった。



ところが今年は 3個もいただいたので

「はたして これは 
 食べてはいけないユズなのか?」
と思案している。

現在の私たち

2005-11-29 | こどものこと
私のイライラは 突然 一瞬の収まりを見せた。

そしてまた ぶりかえす、を 繰り返して
だんだんに イライラの時間が少なくなっていった。



実は今でも しょっちゅうイライラするし
キレそうになったりもするが

私の体力も気力も 
イライラを持続させることができなくなった。

そのかわり
自分を落ち着かせる事もできるようになったし
気長に待つことも容易になったし
自分をあきらめさせる事もできるようになった。



中学生の時の娘は 激しい反抗期で
私とは 毎日いがみ合い、怒鳴りあって暮らした。

口ではまだまだ 娘に負けなかった。

その頃 私は 怒鳴り合いながらも
冷静に だらしない娘を憎むことができた。



高校生になると
娘もだいぶ 反抗期をぬけてきて

おまけに 
遠くの高校に通うようになったため
家にいる時間が少なくなったので
私との仲が良くなった。



あんなに 育てやすかった息子は
成長してからが難しくて

小学生の時には
心療内科に行ったし

中学生になってからは
カウンセラーの所に行った。

最後にカウンセラーの所へ行ったのは
手術の半年くらい前だった。

その後も 息子に関しては
悩む日々が続いている。



娘に関しても 悩みは山のようにあるが
高校を無事に卒業してくれた時点で
親としての最低限のギムは(ほとんど)果たした、
と 開放された気持ちになった。

確かに 手を離れた、と思って
セイセイしたのだが・・・・・・。

だらしなさ とか 
いいかげんさ とか
料理もできない とか 
掃除もいい加減 とか
お腹や腰の出るファッションをするな とか
眉毛を生やせ とか
正座は最低でも5分はできるよな! とか
主食のある食事をしろよ とか
添加物には気をつけろよ とか
朝はちゃんと起きろよ とか
日付が変わる前に 帰って来い! とか
リビングのソファで寝ないで、自分の部屋で寝ろ! 
(今朝もソファに服着たまま寝てたんだよ!)とか
朝のシャワーじゃなくて お風呂に入れよ とか
車のスピード、出しすぎ! とか
初心者マークは 一年貼るんだよ! とか

そりゃあ、もう。。。
限りない小言を今でも連射できる。



ただ 時折りのおしゃべりは とっても楽しい。
(ただし、寝起きでなければ。)

カウンセラーに

「高校生のお姉ちゃんの方とは
 最近 友達みたいに 仲良くやってます。」

と言ったら

「友達関係、というのは よくない。
 親子はやはり親子でないと。」

と言われたのを忘れない。

というか、生意気な娘のどうしようもない子供っぽさが
親であることを 忘れさせてくれない。

これも ありがたいことではある。



今回実家に帰ってきた時に 
姉と 親子関係の話になり
姉は 娘に一度きちんと謝るように、と私に言った。

これは やはり 子供に厳しく当たってきて
つらい思いを 親も子も ともどもにしてきた姉の
心からの助言だった。

私とあの子の間は、それほどじゃあ、ないよ。
そんな必要はないよ。

そう言いたかったが 言葉が引っ込んだ。



こちらに帰ってきて
娘がベッドに乗っかった写真を掲げたり
夢バトンのやり取りをして
おしゃべりの機会が増えた時に

「オバちゃんから アンタに謝るように、
 って言われたんだよ。

 アンタが小さい頃に
 ママ、ヒステリーだったからサ。」

と言ってみた。

「覚えてる?」

「覚えてるよ。

 ママが厳しかったの。

 でも、虐待じゃないよ。

 謝るほどじゃないよ。」

ああ、よかった!

「確かに、弟にくらべると、厳しかったよね。」

「そりゃあ、アナタ。

 アナタにくらべれば、あの子はいい子だったもの(笑)。」

娘は選手宣誓みたいに 手を高く掲げて、

「ハイ!
  
 私、虐待されてます!(爆笑)」

この娘も 弟のことは 
いつも心から心配してくれている。

息子のハゲを見つけたのは
彼女だったし。

兄弟が仲がいいときは
私は親としての幸せに浸ることができる。



ただ
乳がんになった母として

どうしても 自分の娘だけは
乳がんには したくない。

これは 私に残された
彼女に対する最後の義務だと思う。

けれど 娘は 
いっこうに気にしている様子もなく

生活全般、食生活も だらしなくて。
 
母は、心配しているんだよ。

幼児虐待

2005-11-29 | こどものこと
乳幼児虐待のニュースが
一時期 頻繁だった。

今でも きっとどこかで
いたいけな子供たちが 
悲鳴をあげている事だろう。

(ある程度の年齢の子供が 
 反抗もせずにな亡くなったニュースには
 たじろいだ。

 『“It(それ)”と呼ばれた子』の主人公は
 あきらめなかったが

 何をしても 何をしようとしても無駄、
 とあきらめてしまうと

 人は 悲鳴をあげることも
 助けを求める事もなくなってしまうのか?)



そんなニュースに接するたびに
私は切なく苦しい思いをした。

なんとかしてやりたかった。

虐待で亡くなった子供に、ではなく、

虐待せざるをえなかった 親の方に。



誰か、あの人たちを救ってあげて!と思う。

思い通りになんか 決してならない人生を
あの人たちは 人一倍苦しい思いで
これまで生きてきたのではないかと思うから。

どんなに彼らが若くても。

誰か、あの人たちを 愛してあげて!と思う。

きっと これまで
無償の、無限の愛に包まれていた時間が
少なすぎたのだと思うから。



幼児虐待は
虐待される側に 罪はない。

ならば すべての罪は
虐待した大人(未成年もいたが)の側にあるのか?

助けてあげて、彼ら、虐待した側の人たちを。

子供を救う事も大切。

けれど 虐待をしてしまった、
虐待をしてしまう 彼らこそ

本当に助けを求めていて

精神的に虐げられていて

愛に飢えていて

思い通りにならなくて

満たされていなくて

我慢ができなくて

可愛そうな人たちなのだから。



だいたい、
私は確かに 

虐待の手前で踏みとどまったし
子供を殺しもしなかったし
ニュースにもワイドショーにも出なかったが

私と彼らとの間に どれほどの差があるというのか?

このままいくと
いつか 子供を殺してしまうのではないか?
と不安に思ったこともあった。

子供が憎くて、
殺したいくらいの憎しみを感じた事もあった。

全部投げ出したい、何もしたくない、と思うことは
しょっちゅうだった。

実際、
何十分かは 娘をほったらかしにしたこともある。

これは 育児放棄以外の何物でもないはず。



私は殺してなくて、彼らは殺した。

その差は 大きいけれど 小さいのかもしれない。

私は もう少し状況が違っていたら
彼らになったかもしれないのだ。

叩きたくなる彼らの気持ちは
私には わかる。

叩けば叩くほど 激昂していき、
抑えられなくなるのもわかる。

決して楽しくてやってるんじゃない。

哀しいのに 止まらないのだ。



ある日 
テレビから聞こえたアナウンサーの声。

「○○は 
 〈▲▲ちゃんが 泣き止まないのに腹を立てて
 殺してしまった〉
 と言っているということです。」

私は思い切って 言ってみた。

「そうねー。

 泣き止まないと、腹が立つのよねー。」

その場に居合わせた娘は こう返してきた。

「ありがとうございます。

 おかげで、生きてます!」

娘は大学生になっていた。

自分自身のかつての‘育てにくさ’を
何度か聞かされて 知ってはいる。

やはり 親の思い通りには
決して 決して 動いてはくれないけれど

親もだんだん若さを無くして
叱る気力も体力もなく。

アキラメばかりで 日々は過ぎてゆく。

娘のアトピーは治らないけれど
喘息にはならずに済んでいる。

育てにくい子は 
一緒にいて楽しい娘になった。

とんちんかんな間違いをしょっちゅうやりながら
(だから、一緒にいて飽きないのよ!)

何にでも一生懸命取り組む娘になった。

きっと 
母を越え 父を越えた大物になるに違いない(笑)。

ある友人の悩み

2005-11-29 | こどものこと
娘が小学生の時。

娘の同級生の男の子のお母さんと親しくなった。

そのお宅には 上に優秀なお姉ちゃんがいた。



そのお母さんは 悩んでいた。

お嬢さんは 小さいころから 従順ないい子で、
お母さんが 「こうすれば? ああしたら?」
ということを
いつも 素直に聞いていた、という。

「私もすこ~し、押し付けがましいかな、とは
 思ったんだけども、

(いえ、貴女の押し付けがましさは
 いつもかなり大胆なまでに激しいデス。
 ---私の心の声)

 親としては、サ。

 できたら、こうして欲しい、というのがサ、
 理想っていうのが、あるじゃない。

 そんで、そういうと、あの子がね、
 いつも 私の言うとおり、言うとおりに
 してくれてたわけよ。

 だからねー。

 私が あの子の やる気や 自主性なんかを
 みんな潰してきちゃったんじゃないかと思うとねー。」

彼女の悩みも 深そうだった。



そうか。

お勉強ができても 親は悩むんだなあ。

その頃の私は 
学校の勉強に完璧に落ちこぼれてしまった娘に
打ちのめされていたので

(私が母として 無能だから
 娘が落ちこぼれた・・・と思って。)

新鮮な気持ちで、でも 深刻にはなれずに
聞いていた。



娘は そんなタイプではなかった。

親の言う事は聞かなかった。

どなっても、言うとおりにしなかった。

亭主や私にひっぱたかれても、

涙をいっぱい目にためて「ごめんなさい。」とあやまっても

泣きじゃくりながら「もうしません。」を言っても

しばらくすると 同じことをやっている子だった。

興味があると
手を出さずにはいられなかったらしい。



亭主と私はお互いに
「これは 自分に似たのではない。」
と主張しあった。

頑固なのは 仕方がない。

父も母も 頑固だから。

だけど、あの バカさ加減は
真似できない。

そして それは 今も変わらないんだなあ。

『“It(それ)”と呼ばれた子』

2005-11-28 | こどものこと
「ママ、この本、凄いよ。」

「どう凄いの?」

「とにかく、凄いよ。読んでみな。」

娘が読んでいた文庫本を貸してくれた。



手渡された本を見て 私はドキリとした。

『“It(それ)”と呼ばれた子』の幼年期編だった。

この娘は 
昔の事を どれほど覚えているのだろうか?

‘育てにくい子’の娘は 高校生になっていた。



なにしろ 
娘を完全に自分の管理下に置きたかった私は

娘をよく叱り、
怒鳴りつけ、
脅し、

挙句は
ひっぱたいてきた。

娘を自分の思い通りにしたかった。

つまりは
自分達が 母にされてきたのと同じ事を
繰り返したに過ぎないのだが。

けれど
幼い娘は
敢然とそれをつっぱね、
拒否し、
徹底して自分の興味のあるところへ向かって
突き進むタイプだった。



私は 子供は みな
こうすれば こうなる、
こう育てれば こう育つ、
という‘Haw to’があるものと思っていた。

けれど 少なくとも 私の娘は違っていた。

私の考えは どうやら 間違っていた?

そう気づいた時には
打ちのめされた。

思い通りにならない娘に悩む日々から

思い通りにしたかった私自信のエゴに思い至って
自分と娘との葛藤に悩む日々に変わった。



いろいろな本や雑誌を読んだ。

思い当たる記述に出合ったときは
救われる、そう思った。

けれど 活字の世界は、あくまで、活字。

日々成長を遂げ
いろいろな事をやらかす娘との対決は
決して無くならない。

‘待ちの子育て’

‘子供育ては自分育て’

‘きょうから叱らないお母さん’

わかってるわよ、だけど、どうしようもないじゃない、
わたしだって、やりたくて やってるわけじゃない。



毎日毎日 反省し、
いつもいつも やはり思い通りにならずにがっかりし、

もう叩くまい、怒鳴るまい、脅すまい、

そんな決心も空しく
ヒステリーは続く。

何年も。

そして 亭主も 殴られて育ったので
こどもはひっぱたいて育てるもの、
と思っていた。



自分の体が痛みやだるさで思うように動かない。

ショッピングや 美容院や 図書館通いや
それどころか 日々の買い物にさえ
出かけられない。

店はない。

車は運転できるようになったが、
外出の許可が 亭主から出ない。

冷凍品以外に食べるものがない。

でも 買い物に行けない。

可愛い子供服など買えない経済事情。

私が思っていた 主婦としての子育てとは
かけ離れた現実。

「子供がいれば それは当り前」
という雰囲気。

私には 当り前なんかじゃなかったのに。



亭主は亭主で
毎日毎日 四六時中 娘を怒鳴りつける私の声と
娘の鳴き声とで
育児ノイローゼのようだった、

と 亭主は後に告白した。

あのころ 亭主は 忙しさは今以上、
けれど 仕事はたいてい自宅でしていたので
私と娘の葛藤の日々を
もらさず耳にしていた。

だから、亭主の辛さもわからないではない。



孤立無援の、孤軍奮闘の 私の子育ては
実は 亭主に支えられていたのかもしれない。

事実、食事や入浴の時に亭主がいれば
それなりに手伝ってくれてはいた。

けれど 
体中が毎日悲鳴を上げているような私には
それはそれは 辛い日々だった。



アトピー性湿疹があった娘のために
毎日 家中にクリーナーをかけ、
毎週 シーツや掛け布団カバーをはずして洗い、
布団や毛布にも クリーナーをかけた。

小児喘息になったら、大変。

そう思って続けていたが
あれは 腰痛を悪化させたなあ。。。



『“It(それ)と呼ばれた子』は
母親に虐待され 父親にも見捨てられた男の子が
どんなことがあって
その時どんな心境だったのかを語っている。

その様子は かなり悲惨で
読み続けるのが辛い。

最後に 施設に引き取られるのだが
親と引き離される事でやっと安心できる幼い子が
哀れだ。



娘は 
この本の青春編も自分の小遣いで購入している。

本のためには お金を惜しむ彼女としては
異常な執着をみせた。 

本の著者が
成長し 心の傷を乗り越えて
幸せな家庭を築き
自分の子供を愛し 育てている現在の姿にだけは
ほっと安堵する。

育てにくい子

2005-11-28 | こどものこと
比較的最近の新聞記事に
何人かにひとりの割合で
‘育てにくい子’はいるのだ、とあった。

ある程度 科学的根拠のある数字だった。

ああ、やっぱり、そうなのか、と思った。

娘は その「ひとり」だったのだ!



それは 生まれたての赤ん坊の時からだ。

やたら、泣く。

あやしても泣き止まない。

夜寝る前には 号泣を続ける。

腱鞘炎になった手もかまわずに抱き続けたが、泣く。



その子が少し大きくなると
して欲しくない事だけを選んで やらかしてくれる。

手にしたものを口に入れる事を
いつまでも止めない。

立ち上がり、何にでも手が届くようになると
とんでもない事をする範囲は 猛然と広がる。

壊されたものも 数知れず。

可愛そうな新米ママには
苦痛と忍耐と試練の日々だった。



いいママになろうと思っていた。

優しいお母さんになろうと思っていた。

たいてい どんな人でも
わが子を抱いた時には 
そう決心するものではないだろうか。

そして いいママであることだけが
私の存在価値であり、

他に 私には 存在理由さえなく、

娘を上等に育てられない時には
それは 私自身の無能さをさらけだすものであり、

当地に引っ越すに当たって
職場を去った私には
それは 致命的な烙印だった。

上等な子育てをしたかった。

完全無欠な娘に育てたかった。

そして 思いのままになる娘を
完全に管理して育てたかった。

それは 私の愛情と能力を持ってすれば
充分可能なはずだった。



ただ 自分の体が 動かなかった。

動かなくても 動かざるを得ないのが子育て。

毎日 クタクタになり、
私がクタクタだと 
亭主は機嫌が悪くなった。

アダルト・チルドレン

2005-11-28 | こどものこと
姉は自分を アダルト・チルドレンだと言う。

そうかもしれない、と私は思う。

子供は 兄弟がいる場合、
自分より他のほうが
母親に愛されている、と思うのだと読んだ事がある。

私は確かに 姉より自分の方が
母に愛されていると感じて育った。


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母の野草園だった、坪庭。

今は 見る影もないが。

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私達姉妹は
主に母に育てられた。

父が介入してくる事もあったが、
子育ては 女の仕事、
それが 当り前の時代だった。

母は 容赦ない 肉体の暴力と言葉の暴力で
今で言う‘虐待’に近いことをしながら
私達を育てた。

体の弱かった私は
その暴力の影響は最小限で済み、
姉はその分 最大限に被害を蒙ってきた。

「お前は橋の下から拾ってきたんだよ。」

昔の大人は 良くそう言って 
子供をからかったものだ。

姉には 冗談ですまなかった。

子供ながら真剣に悩んだ、と言う話だった。



子育てに関しては
いつか この窓でお話したい、とずっと思ってきた。

告白、と呼ぶべきかもしれない。

いや、それほどの事では ないかもしれない。

私は 子供が小さかった時、
ずっと ヒステリーだった。



娘が2歳半の時に 息子が生まれたが
息子を妊娠して間もなく
それは 始まった。

あのイライラを なんと表現すればいいだろう。

とにかく娘がイラつかせてくれる。

腹の底からこみあげてくる 怒り、イライラ、
抑えようがない。



私は 自分という人間をなくしていた。

引っ越して アカンボがいて 外出もできなくて。

友人・知人も いないのと同じだった。

勤務先も収入もなかった。

名前も無くなったように感じていた。



ただあるのは

古くてボロくて寒い我が家と

エントロピーの法則を体現する娘と

奇妙な方言を話し、よくよく気を使わないと
なんとうわさされるかわからないような隣人達と

忙しさと 周囲への気遣いのあまりに疲れきって
ちっとも優しくない亭主と

そして

交通事故の後遺症と持病の腰痛で
自分の体ひとつ 思うままにできない私だった。



先日は娘の出現に驚かされたが
それなら今
ここで書いてしまおうと思う。

娘は ほとんどこの窓を見ていと言うし
これからも見ないと言うし
それは 本当だと思えるから
書いてしまおう。

今なら 平静に書ける、と思える。

北の植木

2005-11-25 | 考えたこと
庭は 北にある庭が 本当の庭である。

そう聞いたことがある。

木も花も ほとんど全ての植物は
お天道様の方、すなわち南を向く。

だから 家の北側の庭の樹木は
こちらに 表を見せている。

家の南側の庭の植木は
家から眺めても それは 樹木の裏側である。

と、いう話だった。



考えてみれば
この家の北側には こぢんまりとした、
和風の いい庭があった。

それを 私達が 家が手狭だから、とか
事務所を建てる、だとかで
どんどん 壊してしまった。

惜しげもなく
切り倒したり
欲しいという人にあげてしまったり
枯れるのを承知で 雑に植え替えてみたりした。



そんななかで
この写真の木は
私のお気に入りだったので
お金をかけ、手間をかけて 
車庫の近くに 植え替えてもらった。

お金がもったいなかったかな?
とは思ったが
満足している。

赤い綺麗な実がつく。

我が家に野鳥が来るのは
愛犬のドッグフードの残りを頂戴するためばかりでなく
この実を狙っての事かもしれない。

なんという木なのか、名前がわからない。

今年 ちょっと剪定してもらったのだが
聞き漏らしてしまった。

モチノキの仲間かと思う。

夢バトン

2005-11-24 | 考えたこと
ぐうたらシーズの鳴海さんから
‘夢バトン’というものを
教えていただいた。

歳をとって
心の柔軟さを失いつつある私には
少々怖いお題なのだが、
怖いもの見たさ?

挑戦してみる。

鳴海さん、おまちどうさま!


**********************

実家に帰る時に 駅のコンコースで見たポインセチア。

紅白でリング型に作ってある。

なんとも色鮮やかなポインセチアが
いく鉢も並んでいて、
足を止めずには いられなかった。

**********************


小さい頃、何になりたかった?

  ほら、来た(笑)。

  さっそく、怖い質問だ。

  小学校の6年生の時に
  「花屋になりたい」と書いた記憶がある。

  (今 こうして見ると、かなり幼稚な夢だなあ。)

  本当はそれほどなりたかったわけではないのに。

  だって、花屋さんって、
  寒くて冷たくて大変そうだモン。

  そのころから、いや、もっとずっと前から
  寒がりだった。

  昔のテレビドラマに
  『お嫁さん』というのがあった。

  樫山文江などの(当時はまだ)若い女優が
  毎回入れ替わって 
  毎回違うストーリーで
  でも 必ず‘お嫁さん’というテーマで
  ドラマが出来上がっていた。
  
  「幼いー日から あーこがれーたー
   その名 かーわいいー お嫁さーんー」

  「アナタが好きだーから、
   オヨメーに来たのーよー」
  という主題歌だった。

  私は 本当は お嫁さんになりたかったのだ。
 
  でも そう書くのは 恥ずかしくて
  なんとか 職業として‘花屋さん’を見つけたのだ。
  
  それも
  ‘花屋さん’なら 
  女の子として 恥ずかしくない、という
  ヘンテコな価値観で それを選んだ。

  ともかく、ホンネとしては、
  だれか ステキな人とケッコンして、
  ラクチンな主婦になりたかった。



その夢は叶いましたか?

  とりあえず、花屋さんには なれなかったが。

  ガーデニングを楽しんでいるので
  そこそこ 叶った?

  お嫁さんには なれた。

  なんとか 20代でケッコンできた。

  ステキな人かどうかは 別にして、
  ラクチンな主婦にもなれた。

  専業主婦ではなかったが、
  それも また良し。
  
  お出かけが不自由な仕事になるとは
  思っていなかったけど。

  一応、こう答えるべきかな?

  「はい!」



現在の夢は?

  ああ、これは もっとも怖い質問だ(汗)。

  昔 保育園生の子供に
  「ママは 大きくなったら 何になりたいの?」
  と聞かれて
  絶句した過去を持つ。

  毎日 なんとか 無事に過ぎれば、それでいい。

  そんな日々を送ってきた。

  夢?

  そんなもん、叶うわけ、ない。

  そうも思っていたのではないか?

  でも 本当に 夢は叶わないのか?

  夢を持たない限り
  夢が叶わなくてがっかりもしないけれど
  夢を叶える努力も必要ないけど

  夢が叶う過程も努力も楽しめないし
  夢を持たずして 
  夢が叶うわけがない。

  夢を持とう。
  
  夢を持ちたい。

  だいそれた 夢を持ちたい。

  世界平和!

  私が全世界にもたらす、世界平和!

  仏教の考え方を基本として
  《世界中の人を 幸せに》
  できるものならしたい。

  それには まず 
  この私が 幸せでなければ!!!(笑)



宝くじ3億円あたったら?

  鳴海さんと同じかなぁ。

  マンションを買う。

  それから、別荘を建てる。

  冬のないところがいい。

  定年後は海外、というのに憧れる。

  年金は当てにならないけど。

  バリ島は まだしばらく政情不安定?
  
  オーストラリア?

  先日会った亭主の従兄弟は
  「鹿島はいーどー!」
  と言っていた。

  鹿島(イバラキ県鹿嶋市)なら、
  日本語が通じる!

  (でも、冬はあるよね。)

  こういう大きな買い物をすれば、
  3億円なんて すぐになくなるね。



あなたにとって夢のような世界とは?

  ズバリ、極楽のことでしょう!?

  みんなが裕福である必要はないよね。

  ただ 心が満ち足りていれば。

  争いごとのない世界。

  ああ、でも ひもじいのは我慢できない私(笑)。

  飢餓や貧困は なくしたい。

  それから
  病気は やはり なくせるものならば。



昨日見た夢は?

  ハイ、覚えていない。

  たいてい、起きて間もなく 忘れる。



この人の夢の話聞いてみたいと思う3人は?

  あ、その辺にバトンを置いておくから、

  どうぞ いくらでも持ってって。

  ああ、ぜひ、風さんの夢をお聞きしたいなあ。

  受け取っていただけるだろうか?

冬になる

2005-11-23 | なんでもないこと
急に、冬になった気がした。

朝晩は冷え込む。

最近
息子を駅へ送っていく時間が遅くなったので
ちょうど霜が降りて綺麗なところを車で走る。

(以前は霜が降りる前の時間だった!)

長ネギも ブロッコリーも ほうれん草も
みんな真っ白。



そうしたら先日
「霜が降りたから
 ちょうど食べごろになったと思う。」
と言って

娘の同級生のおじいさん(かなりの年長者!)が
柿の実を持ってきてくれた。

そうなのかー。

柿も 霜が降りてからの方が美味しいのかー。

知らなかったなー。

甘い甘い秋の味覚。

ご自慢の柿の実らしい。



ブログに写真を載せられずにずっといた。

前のカメラを壊したのは
まだ 緑が濃い季節だったというのに、
周囲はすっかり様変わりしている。

河原は ススキで白くなっている。

法要に出席

2005-11-23 | なんでもないこと
日曜日には
亭主の親戚のご法事に
亭主の代理で出席。

義弟の分のお香料も包んで。


gggggggggggggggggggggg

ケマンソウを 覚えておられるだろうか。
 
これが、名前のもとになった、華まん。

実家の本堂にあるもの。

これは まるっこくて、あまりハート型ではないなあ。

mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm


ご法事は 人数は少なかったけれど
心温まる ‘身内の集い’だった。

なにしろ、会場となったご本堂が
椅子だった!!!ので、大満足!

足の関節痛は 正座をすると痛み出す。



実家も 義兄が椅子を揃えてくれたが、
数が足らない。

そこで、
「椅子だ、よかった!」
とばかりに 座ろうとする若い人がいると

義兄は

「その椅子は 足の悪いお年寄りのためのものだ。

 若いもんは こっちで正座!」

と言うのだそうだ。

すると、たいへん‘受ける’とのことだった。



さて、
亭主の親戚と言うのが、
みんな、程度の差はあれ、イバラキ弁。

漫画家の親戚がいる。

思わず、まじまじと 顔を見てしまう。

よくわからないつながりの大叔母さん、伯父さん。

ふんわりと 私を身内扱いしてくれて
(身内だから、あたりまえか?)

居心地の悪さも感じずに
(これは、ありがたかった。)

お清めの席も 終始なごやか。

施主となった家には
小さな子供もいて
これからも お付き合いが続いていくんだな、
と 予感させてくれる。




「きょうは、大分で試合なんだよ。」
と話してる人。

「? 

 ・・・・・・!

 この人、 
 アントラーズのサポーターだという、従兄弟だ!」



「今年(こどし)ぁ、勝でる試合で負げでっから、
 ダメなんだよ。」
(注:「げ」は、鼻濁音ではない。)

「引き分けも続きましたしねぇ。」
と、私。

その日 アントラーズが またまた引き分けることになるとは
思ってもいなかった(涙)。



ずっしり重い引き出物を義父に預けて 
キャスターのないバッグを持ち、
帰宅する頃には しっかり腰痛。

ちゃあんと、右に持ったり 左に持ったり
してたのになあ。

「ご挨拶」とか「御口上」とかは
自信がないが、
(へらへら、もごもごと やってしまった)
思ったより 気分良く帰宅できた。

めでたし、めでたし。

母の事

2005-11-22 | いろんな人
母は 東北の出身、農家の出。

私が小さい頃には
「世界中、は どうかわかんないけど、
 日本一綺麗なお母さん。」
と信じていた。

(小学校に入る頃に 
 そうではないことが判明。)


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昔 父が 無秩序に植えたたくさんの植木。

今 それなりに成長して 綺麗な色に染まって
楽しませてくれている。

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小さい頃の 母の記憶。

朝ご飯が終わって お茶を飲み終わると、
「は~~で! はだづど!」(=さて、始めるわよ?)
と叫び、

立ち上がると
朝食の後片付けを始める。

家中にハタキをかける。

家中を掃き掃除。
ゴミやホコリは 家の外に掃き出す。

このころは まだ 雨戸を開けたてしていた。



雑巾で 家中の板の部分を拭き掃除。

終わると、洗濯。
当然、
昔は タライに固形の洗濯石鹸に洗濯板!

軒下を掃く。
かやぶき屋根だから、
軒下の犬走りの幅は 80センチくらいはあった。

軒先に吊るした竹竿を 雑巾で拭いて
洗濯物を干す。

ここまで、大汗をかきながら
ハアハアいいながら
大車輪で働く。



それが終わると
嫁入り道具の三面鏡の前に座り、

それまで 後ろで束ねて一本マゲにしていた髪を解き、
逆毛をたてて 器用にアップに結い上げる。

それが終わると、お化粧の開始。
いろんなのを 次々と顔に塗り、
パタパタおしろい、
最後に口紅。

その 変身の過程を
そばにいて 見つめているのが好きだった。

最近の電車の中の若い女性のは 
好きじゃない。

(だから、電車の中でのオバサンの化粧は 
 もっと見たくない!)



今回 私が泊まると聞いた母は
翌日さっそく布団を干して
待っていてくれた。

これは 予想できたので
天気を見て 電話したのだが。



「おらい(=我が家)は 寒いがら。」
(注:「が」は鼻濁音ではない。)
と言って
電気毛布に掛け布団に毛布に、
何枚重ねてあったろう。

確かに、実家は 寒かった。



夜寝る時に

「首、寒いがら、タオル巻いておっけっせ。」

と、タオルをよこし、

「耳、冷たぐなっしゃーがら、
 これ巻いで。」

と、アクリルかウールのスカーフで
ほっかむりをすることを強要。

確かに、ないと寒かった。



私が更年期症状がある、と聞いて
「大豆がいい」と教えてくれた。

(知ってるけどサ、そんなの。)

黄粉がいい、これと すり胡麻を
スプーンに一杯ずつ
毎日のみそ汁に入れて飲むといい、
とも 教えてくれた。

(そうね、黄粉は やってないわ。)

そして、
ゴマは すりゴマではなくて、
炒りゴマを買ってきて
すり鉢で摺らないといけない、
とも 教えてくれた。

(私は、炒るところから やってるけど。)

それから 母は
炒りゴマと すり鉢・すりこ木を持ってきて
ゴリゴリと摺り始めた。

そうして摺ったゴマの一袋ぶんを
お茶の空き缶に移して、

「ゴマは 2週間 酸化しねんだど。」

どこかのテレビで聞いたような知識を
披露してくれる。

黄粉を一袋と 
汗をかきかき、摺ってくれた黒ゴマを一缶、

「明日 忘れねで 持ってがせ。」

とよこす。



愛情深いのも 押し付けがましいのも
昔と変わらない、母だった。

その愛は その夜の布団と同じくらい重く、
身動きがとりにくかった。

あ、できた!

2005-11-21 | こどものこと
ああ、やっと。

新しいデジカメの画像を
取り込むことができた!

ああ、これで。

一度手放してしまった楽しみを
ひとつ この手に取り戻す事ができる。



なぜ、できなかったのか。

よく、わからない(笑)。
多分、サイズが大きかったから。

なぜ、できたのか。

よく、わからない(笑)。
多分、小さいサイズにできたから。

ま、ともかく、めでたい!



これは先日の豪華な(?)ホテルの部屋の中。

でっかいお尻と 引き締まったウエストは、私




・・・・・・の、娘。

「豪華なホテルに一緒に泊まるかい?」
と聞いたら

「是非!」
との返事。

急遽 シングルをツインに予約変更。

けれど翌日
彼女は大学ではなく
こちらの駅前でのバイトが
朝9時半からあり、

シャワーとメイクを済ませると
朝食もとらずに 下り電車に乗って帰って行った。

可愛そうに。。。



この部屋は クロゼットの前に
テーブルと 椅子が二脚。

作り付けのデスクの上に
お好きな映画が無料で見られるという
液晶テレビが載っている。

ふたりして 
照明器具のトータルなコーディネートが気に入った!

本当に豪華なホテルというのがどういうものかは
知らないが
私達には充分に豪華!なお部屋。

「これが はしゃがずにいられるか!」
と叫んで ベッドの上にジャンプした娘。

GAPのキャミソールだけど、
このくらいなら
ブログに載せても平気よね?

大変だ!

2005-11-17 | なんでもないこと
本当はきょう出かけるつもりだった。

そしたら、
明日の夕方から仕事がらみの集まりがあるようなので、
そちらに私が出席することにして、
明日まとめて用事を済ませることにした。

そしたら
日曜日の亭主の親戚のご法事に(in イバラキ)
亭主が行けないので
私が代理で出席する事に。

そしたらそしたら、
ついでに 実家に帰ってこようか、ということに。

そしたらそしたら、
午前中のご法事に間に合うように出かけるには
あまりに朝が早い、ということに。

そしたらなんと、
どうせ 明日は夜が遅くなるのだから、

明日の晩 都内のホテルに泊まって、
土曜日の朝 実家に向かって、
その晩に実家に泊まって
そして日曜日には
亭主の親戚のご法事に出席することになった。

というわけで、
なんと、この出かけない私が
明日は早くに出かけて
(これは、週に一度の、いつもの通り)
明日の晩は 都内の豪華一流(???)ホテルに泊まる。
(これは、かなり、事件だ!)

続けてもう一泊、
これは 母のそばで眠る。
(たぶん、隣の部屋。)



さあ、大変!

普段お泊りをあまりしない、
二泊なんて 絶対しないので
荷造りが慣れてなくて 大変!

ご法事があるから、
礼服を持っていかなきゃ。

まだ一度も着たことがない礼服。

太っている時に
もしもの時に着るものがなかったら大変、
と思って買ったものなので、13号!

でも、着てみたらちょうどいい。。。



術後のホルモン療法で
関節痛が辛くて
足の関節も そりゃあもうあちこち痛くて
姪の結婚式以外は どこへでも
オバサン用のウォーキングシューズで通して来た。

けれどもやっぱり今回は
べたっとしたドタ靴は
私の美意識に反する。

けれども
ご法事までの二日間を
礼服やハイヒールで過ごすわけにはいかない。

荷物は 膨れ上がる一方。

ああ。
このデカバッグを持って
明日歩けるのか?

法事の席へは 父のときを除いて
ほとんど出席した事のない私、
儀礼を守って きちんと対処できるのか?

大学じゃ ご法事の時の一般参列者の作法は
習わなかったよ~!



ドキドキ。

化粧の道具はこれで足りるか?
あまりワクワクしていない私がいる。

でも、楽しんできちゃおう!

って、ご法事で楽しんではまずいのか?

ともかく、行って来ます。