ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

ぶら☆ジョルジュ~市ヶ谷~(3)

2011-03-07 | なんとなく民俗学?
江戸歴史散歩コーナーの、床が、これ。



     



古地図がプリントされている。

安政6年(1859年)の古地図を元に作ったものとか。



床だから、その上を歩ける。

当然、大きくて、読みやすい(笑)。

タモリみたいに、
古地図を持って ブラブラしにくればヨカッタ!?

歴女は みんな、持っている?

古地図、欲し~い!(笑)



大変なのは、今の地図と違って
文字が あっち向き、こっち向きに書かれているので
読みづらいって所。

昔の人も 大変だったんだろうな、
特に、方向音痴だと(笑)。








こんなのもあった。

江戸城 築城の際には あちこちの大名が 
名誉??? な仕事を仰せつかったようだが、

みんな 持ち場工事を一所懸命にやってたはず。








こんなのもあった。

今の市ヶ谷だね。




さて、地上に出てみようか。

迷子にならないように 気を付けながら(汗)。






近代的な都会   の地上に出て、






先ず驚いたのが、これ。




駅前の、釣り堀(笑)。

手前は、JRの 駅のホームだ。

どっかで 釣り堀を見たなあ、と思ってたけど、
市ヶ谷だったか。



                   
                  どんな人が 釣りをしてるんだろうね?







これが、外堀だったのか~。



                 

                  向こうは詰まってるけど、
                  そのまた向こうに 堀は続いている。






外から見て 
JRのホームが一番いい場所のようだと思って 駅の構内に入ったが
その前に こんな場所も見つけた。



ブラタモリでは 
鉄道オタクっぽい先生が (鉄道関連の)建築関係にも造詣が深く、

四角い石を組み合わせたものは西洋式で
日本古来の石組は 丸っぽくて 
沢山の石と接触する組み方になっている、

四角い石と 丸い石との 両方が 鉄道の橋脚?になっているものは
明治時代に 西洋式を取り入れたが 
石を四角くする手間がかかって やりにくいために
途中で 古来のやり方に変えたものではないか?

と話していたが もしかしたら この部分も そうなのかもしれない。






あいにく ここからは 古そうな「トラス」
(トラス、なんてものは 私は知らなかった)
は見えなかったけれど、

私は 充分に満足して 
娘との待ち合わせ場所に向かった。

ショッピングの時間はなかったが
美味しいものを食べて おしゃべりをして

そうして 定期健診に向かったのだった。



                             完(笑)



ぶら☆ジョルジュ~市ヶ谷~(2)

2011-03-04 | なんとなく民俗学?
この辺は 江戸城の外堀に当たるらしい。

内堀・外堀って、
二重丸 ◎ になっているのかと思っていたけれど、
どうも グルグル螺旋 みたいよ。



で、石垣。




きっと、地下鉄の工事で 
この辺を掘っていて 出てきたんだと思う。

こういうの、残しておいてもらってヨカッタと思う。





   



で、どれが栗石(火石)かってのは、わからなかった(苦笑)。

いや、本当は、これかな?と思ったのは いくつもあったんだけど、
本当にそれが栗石かどうかなんて、わからないし。

それに、どうでもいいし(笑)。



この下地になっている中に 栗石を入れたのかどうか? さえ、わからない。

私は もっと下の、基礎の方にぶち込んだのかなー、と
想像していた。






  



おっと、あったよ、説明書。

「雉子橋(きじばし)(千代田区九段南)から出土した石材を使って、
 江戸時代初期(17世紀初頭)の「打ち込みハギ」と呼ばれる石積みの技法を
 再現したものである。

 当時 石を割るには・・・・・・ 云々。

 石材には 、切り出しや 石積みを行った藩や石工等の刻印と共に
 石割りの際の矢穴が残っている。」


もう少し 離れた場所から出てきたものだったんだね。








↑ あれが、「矢穴」だと思うんだけどね。

うまく撮れてなくて、残念。






      

これらは拝借画像。



石組というものは 崩れてもらっては困るので
絶対に崩れない方法で キッチリと積み上げていかなくてはならない。

洪水や地震にも 耐えてもらわなくてはならない。

最も基礎を大切にしなければならないもののひとつだろう。






≪石積み≫の材料である石は 
当然ながら 固い上に難燃性があり、
国内外に 古くから 遺跡として残されている。

古くからある、ということは 
その技術は 年月をかけて 磨かれてきた、ということだ。

日本の石積み技術にも 素晴らしいものがあり、
“流派”がある。

私が知るのは ‘穴太流’というものだけだが。

穴太衆

古式特技法穴太流穴太衆石垣積 栗田建設






さて、3月1日の事だが、朝刊に
信長の小牧山城、石垣出土…安土城と同じ技術
という記事が載っていた。

愛知県小牧市の小牧山城で 
石垣が 建築当時のままの状態で 出土したのだという。



また、但馬学研究会によると、
「穴太流が高い評価で名が知られるのは、
 織田信長の命による<安土城築城>以降」
との事だ。



そうして、この新聞記事によると、
「信長の城作りの思想は 小牧山城で固まっていた」
(小牧山城は 安土城の工事が始まる13年前に築かれた)
と言われたようだ。
(城郭考古学の教授の言葉。 そういう考古学があるんだね!?)



と、いうことは。

今回 新たに出土した石垣も 
穴太衆が積んだものかもしれない・・・!






石組は
古来、城壁に使われたりして
堅固な城を築く、という目的の他に 
日本の城を より美しく見せる、という役割をも、果たしてきた
と思う。



                             つづく



ぶら☆ジョルジュ~市ヶ谷~(1)

2011-03-02 | なんとなく民俗学?
ブラタモリの向こうを張って 「ブラジョルジュ」とすると
乳がん体験者のための特殊なブラを ジョルジュが開発・販売するのかと
勘違いする人がいるかもしれない?(笑)

去年の事になるが、
とほさんが 駅の構内にあるヘンなものを
ブログに掲載してくださった。

「構内」






  所々に収穫したあとがある。
記事とは関係ないけど、こちらは キャベツ畑。






江戸城の石垣だという話なので、興味をひかれて伺ってみると
南北線の市ヶ谷駅の構内だと教えてくださった。

なぜ 江戸城の石垣で 興味をひかれたかというと、
石垣の基礎部分に投入?するために
当地の栗石(火石)が持ち込まれたという話だからだ。



本当にそうなんだろうか?

(たぶん、そうなんだろうけど。)

それが、わかるだろうか?

(わからなそうな気がするけど。)



でも 南北線なら 
開通した後に(用もないのに)乗ったことがあるし(笑)、

駅の構内なら 方向音痴の私でも 
案内表示をみれば迷子にならずに済みそうだし、

これはちょっと、行ってみないと。

そう思っていたら、
ブラタモリで その辺をタモリが周遊していたのを見たので
行かなくちゃ! 行きたい! となった。







こっちはキャベツではない?






普段は 都内まで出かけても 
治療院に行って ご飯を食べて まっすぐ帰宅、を繰り返している。

(あ、ちょっと本屋に寄ったりはするけど♪)

クリニックの予約が 午後だったので、

いや、こんな事もあろうかと 
わざと遅めの時間に 予約しておいたので、

娘とお昼を一緒に食べる(=娘にお昼をご馳走する)約束をして
朝から出かけた。

ルンルン♪(笑)







記事とは関係ないけど、ブロッコリーだった。






王子で乗り換えた。

新しい(私がトーキョーに住んでいた頃にはなかった)地下鉄は

色遣いも 斬新というか、モダンというか。






市ヶ谷駅。


あった! あれだ!







反対側から撮影。








本当に、駅の構内に
「江戸歴史散歩コーナー」なるものが設置されている。

平日の なんでもない日だったが
スーツ姿のフツーのオッサンが 足を止めて見入っていたりするので
誰もいない景色をカメラに収めるのは、
けっこう大変。



                            つづく



『天狗推参!』

2010-10-23 | なんとなく民俗学?
横浜の、その先まで行って来た。

新幹線は使わずに、日帰りで。

そんなの、初めて!(爆)



みなとみらい線で 横浜から3つめ、
「馬車道」という、美味しそうな名前♪ の駅で降りる。

(「馬車道」という、飲食店のチェーンがある。)






5番出口から地上へ出てすぐ、この建物がある。



    
     


国の重要文化財・史跡に指定されている、
妻木頼黄の設計による、ネオ・バロック様式の
旧横浜正金銀行本店の建物だそうで、

この建物が 神奈川県立歴史博物館になっている。

これで先ず、びっくりした(笑)。



ところが ここは博物館の裏手で、
正面玄関は もう少しフツーだ(笑)。



周囲を見回すと 
同じような石造りやレンガ造りの建物がいくつもあり、
雰囲気のある町並みだった。

美味しそうなお店は 探せずじまいだったが(涙)。







館内は 古い部分と 新しい部分とが合わさっているようだった。






ここで何をやっていたかというと、
タイトルにした『天狗推参!』という特別展。

神奈川県立歴史博物館 特別展 「天狗推参!」



20日の新聞、文化面にこの展示が出ていて、
故郷イバラキ・大杉神社の 天狗絵馬が
写真入りで載っていた。

「学術的な研究は手薄だったテーマだが、
 幅広く死蝋を探し出し、
 驚くほど多様な文脈を浮かび上がらせている。」

と評価され、されに、

学芸員が 4年の歳月をかけて共同研究を続けた成果だ、
と 紹介されている。

「本年出色の、力のこもった展覧会だ。」

これは、行かずばなるまい(笑)。



(大杉神社について言及した過去記事は
 2008-06-27 の「あんば様と梅酒」
のみ。)






絵画、彫刻、民俗資料。

ビジュアルとして 天狗は楽しい(笑)。

私としては 仏教、特に山岳信仰に関わってくる天狗が
面白いと思っていたのだが

今回 民俗学的に面白いものも見つけた。

しかも、イバラキの上杉神社に関係してくるものだった!

今度 イバラキへ行ったら 是非 お参りして来なくては!


それから 飯綱(いずな)権現という、
今まで知らなかった言葉を覚えた。

有名な権現さまだったろうか?

そんな方面からも 少しずつ 
天狗にとりつかれてみたい(笑)。






それにしても、人の信仰というものは、面白い。

仏道修行を邪魔していた天狗が
仏教を守護するものに変化してしまう。

同じような事は インド仏教あたりでも 盛んに起きていた事だが。

そして それは とてつもないくらいに昔から、だが。







普通のピーマンだと思っていたものが、
実はパプリカだったという事実!(爆)
しかも、テーマカラーの赤だった!!!という真実。






治療院に行く、という用事がなければ、来れなかったと思う。

が、次に約束の時間がある、という状況では
気持ちの余裕がない。

美味しい店を探すゆとりもなかった。

2時間あれば ゆっくり見られたのだから、
常設展も見ればよかったと後悔。


天狗に興味のある方(もし、いたら)には、オススメの展示。

10月31日まで。



どーまん・せーまん

2009-07-22 | なんとなく民俗学?
さて。

朝風呂には入ったし。

散歩もしたし。 

豪華!朝食もたらふく食べたし。

んでは、行ぐがー!(笑)

どこへ?

神社へ。







力作の多い下水溝のフタ(笑)。 海女の里であることがうかがわれる図柄。






私が二泊目の場所に相差(おうさつ)を選んだのは、
「石神(いしがみ)さん」と呼ばれているという神社に
ラクにお参りするためだった。

(石上(いそのかみ)とは違う。)

(参照→女性の願いなら必ずひとつは叶えてくれる石神さん特集

    →女性の願い事を必ず一つは叶えてくれる石神さん



なにしろ、マラソンの野口みずきさんも、
(北京はともかく;涙)アテネオリンピックでは
ここの御守を持って走ったのだとか。

元バレーボールの益子直美さんも 
このお守りを受けたという。



ケッコンは もう既に経験したし 
子どもも これ以上要らないし
オリンピックに出るわけでもない。

でも お願いしたい事柄ならば 山ほど?ある。

何しろ、
女性の願いなら 必ずひとつは叶えてくれるというのだから、
ひとつだけお願いすれば、
叶う確率は100%!(かも? 笑)






もしかしたら 頑張れば 宿から歩いて行けるかも?
と思っていたが 昨日 車内からチラリと見えた神社から
「ジュゲムジュゲムの宿」までは かなり、あった!(タメイキ)

ここは素直に、宿のご主人に
あすこにお参りしたいから、とお願いして
車で送っていただく時に 立ち寄らせてもらう。

(もっと探せば、もっと近いお宿が、
 いっぱいあったんだけど、ね。 
 ああ、満腹!)




向こうにあるみたい。






立派な神明神社の手前にちょこんと、
控えめながら 確かに信仰を集めているらしい祠が。








拝借画像。参照;とば観光情報サイト










私は姉を促して
紙に願い事を書き、「願い箱」の中へ。

もちろん、お願い事は ひとつだけ。

私は「二病息災」と書いた。



姉も私も 残念ながら 無病息災はならなかった。

一病息災もならなかった。

だから、「二病息災」と書いた。

たとえ ふたつの病にとりつかれてしまったとしても
このまま、なんとか無事に、
月日を重ねていければ、と願って。

(これって、お願い事、ひとつだよね? 汗)



姉も私も、ここで始めて、お賽銭を入れた。

お願い事をする限りは、多少なりとも・・・ね!




姉が何と書いたのかは、知らない。






さて、どうしてそんなに こちらの神社にお参りしたかったのか?

その理由のひとつは、
ガイドブックで見た、「どーまん・せーまん」の護符。

これが欲しかった!(爆)



  
説明立て札。ドーマン・セイマンと書かれている。







では、何故、このお守りが欲しかったのか?




私がお受けして 娘にひとつ渡したのは、
ストラップではなくて、このお守り。




海女の磯着に見立てた麻の布で作り、
貝紫で護符が書かれている、というのが ちょっとイイ。

紐は「叶い結び」という結び方なのだそうだ。

それ以上に、引かれたのは、この、
どーまん・せーまん? ドーマン・セーマン? ドーマン・セイマン?



格子状の印は 九字紋と同じ、
これは 安倍清明のライバル、芦屋道満(どうまん)の名に由来し
(→→→ドーマン)、

星形の印は安倍晴明(せいめい)の判紋と同じである
(→→→「セーマン」)

という。

(→参照:Yahoo!智慧袋



Wikipedia セーマンドーマンを見ると、
この護符が 海女の海難除けに使われたのも うなずける気がする。






実はこのどーまん・せーまん、
実家の六算除け(ろくさんよけ)の幣束に書かれているのだ!

六算除けというのは、
・・・・・・うまく説明されたものが見つからない(涙)。

(→千蔵院の六算早見表
 →氷川神社の「六算除とは」



私が小さい頃には 前住が、その後は父が、
半紙で作ったお札を篠棒に刺して、ピラピラを付けて
拝んでくれたものだった。

身体の弱かった私は、もう、しょっちゅう、
そのピラピラで身体をさするようにして
除けてもらっていた。



具合が悪くて シャッキリと立っていたり座っていたりできない状態で、
前住や父が 
肥後守を使って 篠竹を割ったり 

同じく肥後守を操って
半紙の 細長く切った部分を 
ジグザグに折ったり
ちょうどゼンマイのようにクルクルと巻いたりするのを
見ていた。

お札の表に 文字を、
そして 文字とは呼べない何かを、
筆で書き入れるのを
見ていた。

ただし、九字紋にも 五芒星にも、
真ん中に 「丶」(ちょん)が付け加えられていた。



「丶」が付いていると、何か意味が変わるのか?

あれって、陰陽道だったのか!???

寺院と神社の両方でやってるお祓い方なのか?



・・・・・・グルグルしないように気をつけよう(苦笑)。



お伊勢参り――二見

2009-06-24 | なんとなく民俗学?
新緑まぶしい おはらい町 および おかげ横丁で
予想以上にお土産を購入、
姉が買ったものは ほとんどがつまみ!(爆)













聞けば、神宮会館のそばだというので、
ちょっと歩いて 猿田彦神社 & 佐瑠女神社へ。

佐瑠女神社はアメノウズメを祀っている。

猿田彦神社の中にある、こぢんまりとした社だ。



猿田彦神社は・・・猿田彦だ(笑)。

猿田彦って・・・
手塚治虫氏の『火の鳥』では
御茶ノ水博士の先祖で 大きな鼻を持っていたっけ。



  拝借画像
神奈川県鎌倉市坂ノ下の御霊神社の面掛行列における神々の先導役、
天狗面を被った猿田彦。



猿田彦って・・・天狗?!!!(爆)

天孫降臨の時に道案内をしたのって、・・・天狗???

「天狗のグルグル」なんて言ってるけど、
私、天狗に取り付かれてない?(泣笑)






姉の疲れ具合(と、私の「行きたい!」の情熱度具合)
を見ながらで
月読宮や倭姫宮は残念ながらお参りできず。

荷物を受け取って内宮前のバスの駅へ。
一日乗車券を購入し、三重交通のバスに乗る

夫婦岩東口のバス停でいったん降りて
二見が浦を観光(笑)。

どうってことない場所だし、
高校生の頃に見たのとおんなじ風景だけど、
初めて来た姉のために、コースに選定してあった。

だのに 姉は 風が強くて恐いからと
途中で待ってると言う(涙)。

そんじゃあ、私、写真だけ撮ってくるよ、
と歩いて行ったら 姉も途中まで付いてきた(笑)。

なんでも、夫婦岩の綱をかけかえたばかりで、
姉は その神事を テレビのニュースで見ていたと言う。




確かに、綱が、新しそう♪

ここでも二見興玉神社に (合掌で;笑)お参り。



ちなみに 高校生の頃に来たときよりも
いろいろと整備されて 歩きやすくなっていて
ずっと良くなっているように感じた。

記憶では あの時は 反対側から歩いたようだが。






ここ二見には
二見シーパラダイスがある。

伊勢に旅行に来たわけだが、
真珠も 真珠島も
スペイン村も 鳥羽水族館もない、
本当に参拝の旅なのだが

夫婦岩東口のバス停のすぐそばに
二見シーパラダイスがあり、
表に丸くて大きな水槽?があって
3頭のゴマフアザラシがいた。

陸の上?に寝そべったままのヤツもいたが
すい~、すい~っと
水の中を回っているのがいて、

そいつが 目の前を通り過ぎる時に見える表情が、
なんとも優雅なのだ。

目を閉じて、
すい~~、っと。

気持ち良さそうに。

ゴマフアザラシって、もっと醜い動物かと思っていた。

(自分がニンゲンなのに、よく言うよね。)

ゴマちゃんたち、ありがとうね!(感涙)






姉とふたりで 癒されて
予定外だけど 入ってみようか?と思ったが、

次の宿は不便な場所。

鳥羽駅まで迎えをお願いしてある。

迎えの時間に間に合わなくなるといけない、
と私たちはマジメに考えて、
諦めて 再びバスに乗って 鳥羽駅へ。 

鳥羽からは 車に乗って 
相差(おうさつ)という土地へ向かう予定。



お伊勢参り――おかげ横丁(2)

2009-06-23 | なんとなく民俗学?
私と姉に起きた異変、それは・・・

「お腹がいっぱい!」というもの。(爆)

なにしろ、朝ごはんが美味しくて たっぷりと食べたうえに、
わらび餅やら 水まんじゅうやら、
美味しいお茶と一緒にいただいて、

「なんだ?これ!」
というくらい、お腹がいっぱいに(笑)。



お昼は どこで どんなものを食べようか?
と とても楽しみにしていた私、
それでは、と 計画変更!






豚捨(→HP)でコロッケ。

私はコロッケ85円、姉はミンチカツ。

  拝借画像。


外を歩きながら食べたかったけど、
暑かったので、店内の椅子に腰掛けて
美味しい、美味しい、と完食。





二光堂の牛串。

これは、たまらん!

匂いが!!!!!







見ていたら、前の人が ひと串購入。

それを見て あれなら食べられそう、と 
購入を決意!(オオゲサ?)

さて、どれにしようか?

値段のランクは お肉のランク?

さて・・・。

すると、後ろの人が
「特上3本!」

つられて、私も、
「特上2本!」(爆)

串を握って、通りで食べる。

これがまたスパイス?

これで
「今回、松坂牛を食べなくてもいいのか?」
という迷いに終止符を打つことにする。

特上牛串、一本1200円!






豆腐庵山中のおとうふソフト。

 拝借画像。 

ぜひ食べたい!と思っていたので、
「私はいらない」
という姉を待たせて購入、270円。



「おとうふソフト」と言いつつ、
全部が豆乳でできているわけではないが
(50%が豆乳?)、
かなりあっさりしている。

味見をした姉が、
「これなら、アタシも食べられる。」
とか何とか言って(笑)、

自分の分を買って来て 
店内の椅子に ふたり並んで座って、
ペロペロペロ。



そんなこんなで、美味しいお昼ご飯に(爆)。

てこね寿司やら、伊勢うどんやら、
あれこれ迷っていた私だったが、
おからのコロッケさえ食べられないまま、
満腹・満足のお昼だった。



お伊勢参り――おかげ横丁(1)

2009-06-22 | なんとなく民俗学?
旅の楽しみは
美しい風景や 神社仏閣だけではない。

バラの花咲く神宮会館を出て・・・、
あ、違った、
チェックアウトの後に 再度 荷物を預けて、
おかげ横丁へ出発!

おはらい町の中ほどにあるのが、おかげ横丁。

私の頭の中では、ごちゃ混ぜ(苦笑)。





早朝参拝の帰り道で 説明があったけど、

伊勢では 
玄関の上に 一年中注連縄を飾っていて、

その中の木の札には くっきりと
「蘇民将来子孫家」とか「笑門」とか書かれている。

おかげ横丁のお店にも
たくさんの‘実物’が見られて、面白かった。




始めて見たよ!  




とってもユニーク!



蘇民将来とか 茅の輪とか 牛頭天王とか、
興味が広がりそうになるけど、
ここは我慢、我慢。

だって、なにしろ、
まだまだ‘天狗’のグルグルの最中だからね!(笑)

本当に どれもこれも珍しく、
姉とふたり、指差して見上げながら歩いて行く。






素晴らしい建物だった。 お酒が美味しそうに思える(笑)。

どのアングルで撮ればよかったんだ?(涙)



お土産に小さな瓶を買ってもいいな、と思ったけど、重いよね。

味見してみたかったんだけど、
昨夜はジョッキでビールを飲んだ姉が、
「昼間っからサケを飲む習慣はナイ!」
とキッパリ。。。(涙)







有名?な赤福。

基本的に、この通りの建物は、新築でもこの造り。



とにかく、木造で 趣のある建物が並んでいて、
建物群が この通りの雰囲気を作っていると思う。

地道な努力が リピーター観光客を呼ぶんだね。

建物については 
右京さん(四月階段・お伊勢参り 其の六)の方が
撮影技術が確か。





最初に入ったのは、たしか、くつろぎや(→HP ネットショップもあるョ)。

お香を中心とした‘香り’のお店だそうだが、
私が買ったのは可愛らしい入浴剤。

一度に3つ入れるのだそうで、
匂いは あくまで控えめ、儚げで、
押し付けがましさのなさが 好ましかった。




白梅、桜、イチョウ、それと紅梅の4つを購入。 ひとつ160円。



歩き始めてすぐに買物しなくても、と思ったけど、
小さくて軽いから、いいでしょ、と(苦笑)。

つられて姉も 同じものをお買い上げ(笑)。


どこで撮った写真か忘れてた、HPを見てわかった、
くつろぎやに飾られていた帯。





たぶん、次に入ったのが、五十鈴茶屋・五十鈴川店

雰囲気のある座敷を勧められたが、
姉と私は テーブル席を希望。

お店の奥にある雰囲気のあるテーブルで
美味しいものをいただく。

姉は冷茶セット500円、私は抹茶セット700円。

姉は水まんじゅうを、私はわらびもちを選択。

もちろん、半分こして。

美味しそうに撮れた画像が、
何故かアップロードできない・・・(涙)。

姉は この冷茶専用の茶葉が 
苦味もなくて とても美味しい、とお買い上げ。

お茶なら 持って歩いても 軽くていいよね(笑)。







五十鈴茶屋周辺を散策。

昨夜から朝にかけての雨が嘘のように 
こんな良いお天気に。

この階段を下りると・・・






お店の裏、五十鈴川沿いはこんな風景。






ここで、私たち姉妹に、ちょっとした異変が・・・!



お伊勢参り――早朝参拝

2009-06-19 | なんとなく民俗学?
神宮会館の宿泊客になると、早朝参拝というプログラム?に参加できる。

参加しないでか!?

でも・・・早朝6時半の出発?

起きられるかどうか、すこ~し、不安だけど、
本堂で勤行させられる、
いや、
希望者は勤行に参加できる 本山の宿坊よりも
ナンボかマシ?(笑)

ということで、姉とふたりで参加。







工事中の宇治橋。






前夜の激しい雨は しとやかな小雨になり、
神宮会館と書かれた傘を借りて出発したが、
やがて雨も止んでくれた。

同じくらいの時刻に
会館を出て 「自主早朝参拝」に出かける人たちの姿もあった。



けれど、私たちは 伊勢神宮初心者。

(私はウン十年ぶりの二度目、姉は始めて。)

若い男性職員(たぶん)に 
歩きながら 説明を聞けるのは
とてもありがたい。

早朝参拝のグループは 20人ほどもおり、
(意外と若い人も多かった!)

その人数でぞろぞろと歩くので
早く歩かれると辛い姉と私にも
無理なく ついて歩く事ができた。







滅多に見られない、横からの宇治橋。

私たちって、ラッキー?(苦笑)






伊勢神宮には 式年遷宮という習慣がある。

要するに、神社のお引越し。

社殿が建ってるその脇に 次に建て替えるための土地があって、
20年ごとに そちらに新築してお引越しするのだ。

これによって 

山を育てる、材木を調達する、運ぶ、
道具をそろえる、基礎工事をする、
その前後の神事を執り行う、
といった事も含めて、

神宮の建築に関する知識や文化が
信じられない位 長い、長い間
(2千年だってよ、2千年!)
無理なく継承されてきたわけだ。

たぶん。



で、私たちが行った今回は、
宇治橋の架け替え工事中だった、というわけ。







五十鈴川は 前夜来の雨で 少々濁っていたが それでもキレイ!

御手洗場では 水鳥が朝ごはんを探していた。

チャパチャパと 軽く水に手をつけて、ミソギのつもり(笑)。

いざ、内宮(皇大神宮)をご参拝!







内宮にも居る、鶏さん。 
もしかして、「四月階段・お伊勢参り 其の四」にも出演してた?






最近、テレビで 女性の占い師が
「女は 神社でお参りする時に 
 音をたてて拍手を打っちゃダメなのよ。」
というような発言をしたらしく、
質問が増えているけれど、
女性でも 普通にパンパンと 音を立ててお参りください。

と説明があった。







小雨の降る、あるいは 朝もやにけぶる内宮、いい雰囲気!






さて、ここで。 

姉と私の参拝の仕方は?

姉は 素直に、
教えられたとおりの 
二礼・二拍手・一礼(だったかな? 汗)で。

ペチョペチョとしか鳴らないのがカナシイ。

私は、「仏教徒デス」というわけで、合掌のみ。

そして、子どもの頃から、私たち姉妹は、
どこの神社・寺院にお参りしても、
賽銭箱に、お賽銭は 入れない。

(お賽銭は頂戴するもの? 微笑)







神楽殿。 かな?(汗)






こうして内宮を歩いていると、
不純な欲望は
いつの間にか洗い流されていくようだ。

過日 タケシがTVで伊勢をお参りしていて
「個人の願い事なんか、どうでもよくなっちゃう。」
という事を話していたが、
その気持ちがよくわかる。

確かに、「ああしてください、こうしてください」という
神さまへの欲求は
何故だか 消えてなくなってしまっていた。

神は ただ そこにあるだけで 有難い。








社殿の建築は 
唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)とかいう様式。

掘っ建て柱に 萱の屋根、
左右に千木(ちぎ)、棟の上に鰹木(かつおぎ)。

早い話が、
国技館の土俵の上にぶら下がってる屋根、あれよ!(笑)



御正殿の屋根は ひときわ凛々しく、美しかった。

(じゃあ、何故、写真を撮って来なかったの? 涙)

でも 御正宮前の石段で
案内してくれた人に写真を撮ってもらった♪

地味な姉と、派手めな妹のツーショットだった(笑)。







踏まぬ石。 どうすれば「天」と読めるのか? 昔の人は頭イイ?






おはらい町を通りながら 神宮会館に帰着したのは、
8時過ぎ。

お腹、空いたよ~。



朝ごはんには 期待していなかったが、
これが、意外と豪華!

豪華と言っても、和食だから、
こってりしているわけじゃないし、
どれも美味しい。

写真を撮るのも忘れて食べてたみたい(汗)。

ああ、お腹、いっぱい!

あー、シアワセ。(爆)






広々とした和室に泊まって、ひとり1万、とんで5百円。

ビール代 : 姉―600円、私―300円。(笑)

神宮の宿坊も、なかなか いいんでないかい?(笑)



記録してないのが残念だが、この時点で、
およそ9000歩強!(苦笑)



お伊勢参り――パワースポット

2009-06-17 | なんとなく民俗学?
さて、神宮は 言わずと知れた?パワースポット。

らしい。

四月階段の右京さんが
3月に神宮にお参りなさったお話(3月19日~26日の記事)
を参考にさせていただきながら(笑)、
姉とふたりで 要所、要所をチェック(ドキドキ・・・笑)。



来た! 第二鳥居。

鳥居のすぐそば、向かって右の大木に手を触れると・・・
ビビビッと!

不思議、不思議。

では、反対側の大木も・・・あれ?

こっちは来ない。

なんか、すごいもんが流れてるんだろうか???







一方、こちらの三ツ石では
姉と並んで手をかざすも、何の反応も得られず。

姉と私には やはりそっち系統の能力は無きに等しい?(タメイキ)







地味ななり(笑)の姉の足元で 亀石の大きさが知れる。




ちょっとだけ、アップ。



御正宮に、土宮、風宮、下御井神社に、忌火屋殿、御厩。。。

外宮のことは、HP(→コチラ)へどうぞ。






この日は良いお天気で、暑いし、汗はかくし、喉は渇くし。

で、表の道路を渡ってすぐのお店に行ってみた。

ちょっと変わった雰囲気のお店は
昔の郵便局の建物をそのままに レストランにしたもの、と
観光案内所で聞いていたので
お茶くらいあるだろう、と そこへ。



と言うわけだから、冷たいお茶をふたりで飲む。

店内はアンティークが並んで なかなかいい雰囲気。




バラの咲く中庭、ぜんっぜん、雰囲気が出ていない写真(汗)。

フランス料理レストラン・ボンヴィヴァンのHPで雰囲気を召し上がれ。

それにしても、外宮のすぐ前に 
なんともモダンな郵便局を作ったんだねえ。






冷たいお茶で元気を回復、
明るいうちに宿へ着きたいヨタヨタ姉妹。

入れたお金の戻ってこないコインロッカー(爆)から
荷物を取り出し、
ここはサクッとタクシーでお宿へ。

こういう時のタクシー代は、ケチらない(笑)。

1990円也。



お伊勢参り――外宮

2009-06-16 | なんとなく民俗学?
まずは、伊勢市駅から歩いて、伊勢神宮の外宮に向かう。

(徒歩5分。と、ガイドブックにはある。)

外宮にお参りして それから内宮にお参りするのが
順番なのだとか。

どうして?

とか、あまり疑問に思わないようにしないと、
グルグルが始まるからね~(冷汗)。







外宮に入ってすぐの、勾玉池。 残念ながら、花菖蒲にはまだ早かった。






<「お伊勢さん」と親しく呼ばれ、
 辞書などでは「伊勢神宮」と紹介されていますが
 正式名称は「神宮」です。>

だそうで(→伊勢神宮HP)、
しかも、この「神宮」というのが、

「外宮」と「内宮」のふたつあるのかと思いきや、
なんと、14の別宮、109の摂社、末社、
合わせて125社すべてを「神宮」と言うのだそうで。

よし! 全部 まわってみよう! 
と、ちょっとだけ考えたけど
どう考えても、やっぱ、無理。。。







ここには ナンジャモンジャ(ヒトツバタゴ)が咲く。






外宮(げくう)は 
正式には「豊受大神宮(とようけだいじんぐう)」。

豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りしている。

神さまの「食」をつかさどっていて
今でも 朝夕に 内宮の天照大御神さまへの食事を奉っているそう。



本山では 
宗祖さまのお食事を 何百年も 朝夕 お給仕していると聞いたが
似たようなもんか?(笑)

ただちょっと こっちのが歴史が長い?(汗)







境内をのし歩く?雄鶏。 のんびり、のびのびしてる(笑)。
鶏も 池の鯉も 天照大神さまのお食事に供するためにある・・・?







いつだったか、テレビで覚えた手水の使い方
(たぶんTVチャンピオンだったと思う)、
あれを思い出しながら清める。

苔の具合がいい感じだなあ、などと思いながら。












こんな細々とした花だが







満開だと まるで雪が積もったようで それは美しかった!



追記:私の日めくりによると、今日は外宮の月次祭だとか。
    ピッタンコの投稿じゃん!(笑)



神鳥ガルーダ

2009-05-23 | なんとなく民俗学?
「戦隊モノ」と呼ばれる番組を、見ていた時期がある。

子供と一緒にテレビを見ていたり
録画して見たり
台所でそれを聞いていたりしていた。

その頃の戦隊モノに
鳥人戦隊ジェットマン」というのがあった。

子供たちは忘れているに違いないが、
私はまだ主題歌も歌える!(笑)






  タイ王国の紋章:神鳥ガルーダ







そのジェットマンに 神鳥のガルーダが出ていた!

懐かしい番組を検索してみたら
「ジェットガルーダ」という名前だった。

鳥の顔をした、空を飛ぶロボットだ。

もしかしたら 息子が(ジジ・ババに買ってもらって)
おもちゃ(こんなの→ジェットイカロスと合体!?
を持っていたかもしれない。



ガルーダとは、
インドや東南アジアに伝わるガルダ(garuda)のこと。






  ガルーダ インドネシア航空機(笑)






昔々のインド哲学の授業の中で、
インドでは‘黒’という色を
‘良い色’、‘美しい色’と考えていた、
と聞いた覚えがある。

それは もしかしたら「古代インド」かもしれず、
「現代におけるインドでも同様」かもしれないが
(なんとも曖昧な学習をしてしまった。。。)、

肌の黒い民族が優位だった時代に
‘黒’は 正義の色であり、
美しい色であった、
という話だった。

‘黒’が美しいのであれば、
漆黒のカラスは 
‘もっとも美しい鳥’と評価されていたのではなかろうか?





  

我が家には 以前 亭主が買って来たガルーダの置物がある。

変わった趣味のオトコだ、と思ったものだったが
今 見ると なかなか味がある。

キッチンスケールで量ってみたら
わずか65グラム!

木製らしい。

高さは全長22cm、頭部までの高さは15cm。

カラスを連想させる黒だ。






『広説仏教語大辞典』の‘天狗’の項(下巻p1212)にある
「その姿は インド・東南アジアに伝わるガルダ
(サンスクリット・garuda)鳥と よく似ている。
 その姿の成立のためには、流星(サンスクリット・Ulka)と
 フクロウ(サンスクリット・Uluka)との原語が似ているために、
 両者が混じて考えられたこともあったであろう。」

とある。



両者が混同されてしまったことは頷けるが、
混同されたら どうしてこの姿になるのか???






  


ともあれ、我が家の‘神鳥ガルーダ’は 美しく、可愛い、
ような気がする(笑)。



天狗(5)

2009-05-21 | なんとなく民俗学?
私は日本人だ。

純粋な日本人だ、と思っている。

顔だって、どう見ても、間違いなく、
純粋日本人、の顔だ。

純粋日本人、ということは、
いろいろな血が混じってる、ということだ。







もう終わってしまった、この春の花々。これはシンビジウム。






むかし、日本列島は 大陸と繋がっていた。

分離してからも 大陸や半島とは

切っても切れないつながりがあった。

土器の形や製法も、埋葬の仕方も
たくさんの工芸技術も
そのつながりを通って 日本に伝わった。

それから なんと結核まで
大陸から半島を通って 伝わってきたことが
遺跡から発掘される骨でわかったと
最近の新聞記事にあった。






セッコク



古くから 日本の文化は 大陸を真似てきた。

今の私たちが 欧米の文物に憧れるように憧れてきた。

そして 秀吉がたくさんの陶工を連れてくる前から
日本には たくさんの政治家や文化人や
それから 僧侶たちが やって来ている。

そういった優秀な人たちの血を、
私たち 現代の日本人も 何パーセントかは 
受け継いでいるのだ。(はずだ。)



日本人、ということは そういうことだ。






  薄紫のクレマチス






その後 交通手段の発達に伴って
あこがれの国も移り変わり、
混じってくる血は
モンゴル系の人のものばかりでは なくなってきたが。

これは 本来 血とは 交じり合うべきもの、
だからじゃないだろうか。






モンゴル系、と言えば 南米辺りにも居るわけで。

彼らには ちゃんと蒙古斑があると聞いた。

海を渡って 遠い遠い大陸まで
人間は 旅をしていったのだなあ、と思う。

(そこで思い出したけど、
 我が家の子どもたちには 
 アカンボの頃から 蒙古斑はなかった。。。)






  赤紫のクレマチス






モンゴル系と言ったが すぐそばの大陸には
モンゴル系ではない人たちも住んでいたわけで。

そういった人達は 時化や嵐で 
意図せずに日本にやって来たりもしただろう。

そして 日本の血と 混じり合っていったこともあった事だろう。

『MASTER キートン』と『お~い!竜馬』とが
どちらも 欧米からの旅人が 日本に漂着して
その後 日本に留まって、あるいは 母国に帰って
子孫を残しているという話で
私は とても興味を引かれた。

というわけで、
しばらく‘天狗’について 調べていたのだ。










天狗(1)にも書いたように、
最初のきっかけは 『うそうそ』で、
しかも「蒼天坊」と名前までがついた天狗が登場している。

だのに、絵に描かれたものはカラス天狗ばかりで、
‘天狗’の姿が 見当たらなかった、

その カラス天狗の絵可愛くてが印象的だったので 
調べ始めたのだった↓(笑)。




『うそうそ』p.281





このぐるぐる、これで終わってくれるかしら?(笑)

いえいえ、まだまだ終わりそうにないのよ(タメイキ)。



天狗(4)

2009-05-20 | なんとなく民俗学?
『MASTERキートン』第6巻、
Chapter8「アザミの紋章」によると(笑)、
天狗はヨーロッパから漂着した西洋人であった。

漂着して後は 地元の人たちと農耕に励み、
時には差別を受けながらも 恋をし、
どうやら子孫を残したようだ。

天草神社の禰宜さんは 天狗の子孫らしい、
というオチになっていた。

  第6巻 p190






確かに、身体が大きくて 髪の毛がモジャモジャで?
眼が青くて 鼻が高かったら
鬼か天狗に見えても おかしくはない。

鬼も天狗も 漂着した西洋人だったのかもしれない?






  

我が家が(つまり、私が)大好きなマンガのひとつに
『お~い! 竜馬!」というのがある。

(原作:武田鉄也、作画:小山ゆう、
 小学館、ヤングサンデーコミックス)



この中で 竜馬は 
幼なじみの武市半平太と人切り以蔵と共に
天狗退治に向かい、
出合った天狗と仲良しになる。



  第3巻 p24






こちらの天狗はアメリカ人で
名前をジョン・エリックと言い、
後にジョン万次郎を助けるのだが、

かわいそうな事に、
気立てのいい若い女性と知り合うことはなく、

オトクサンというお婆さんに面倒を見てもらっていたのだが
オトクサンが死んでしまてから
牛馬を襲って食べたりしていた。



  第2巻 p216
ジョンが建てた、お徳ばあさんのお墓。
竜馬は オネショをしてしまい、袴を干しながら歩いている(笑)。




竜馬は 牛の肉を食べるジョンに
「やっぱり・・・・・・天狗だから・・・、
 人間とは 食べる物が違うんだ・・・。)
と納得している(笑)。(第3巻p33)













scopsさんが想像力の翼を広げる前に
すでに同じようなことを考えた人は
少なくなかったと思う。

そして
実際に 似たようなことが起きていたのではないか、
とも思うのだ。



嵐に遭えば 
人の命は 風の前の塵に同じ?

ただし 
海流に乗れば、風に飛ばされれば、

椰子の実のように どこかに漂着して
もしかしたら根付くこともあったろう。

難破した船を助ける習慣を持った海辺の町で
手当てを受けたガイジンは
案外多かったのではないか?

強健な身体と精神を持ち、
地元の民に交わっていったガイジンも
想像するよりも 多かったのではないか?



ロマンというよりも
科学的・現実的類推で
天狗と呼ばれた西洋人は
複数いたのではないかと 私は考える。



天狗(3)

2009-05-19 | なんとなく民俗学?
民俗学の本に入る前に、もうひとつ、
『広説仏教語大辞典』(中村元著、東京書籍、2001.6.21)
を見てみたい。

こうして、どんどん、連載が長くなっていく・・・(汗)(涙)。







もう終わってしまったけれど、今年の春の花の写真を。






『広説仏教語大辞典』(下巻p1212)によると、
前回の「天狗(2)」に書いたように、
サンスクリット(梵語)の‘Ulka’の漢訳で
流星のこと、というのが 第1番目として出てくる。

2番目には 同じく サンスクリットの
‘Ulkapata’の漢訳、という。

これは「流星」という意味ではないらしい。

では何の意味なのか???

<大日経疏第5巻>と書いてある。

それを見ればわかるかもしれない?

でも そんな気にはなれない(笑)。



それから、この辞典では
‘Ulka(流星)’と 
‘Uluka(ふくろう)’との言語が似ているため、
混同された可能性が示唆されている。

人間って、間違いやすいのよねえ。













第3の意味は どちらかというと民俗学っぽい内容で、
長々と書いてある。

「民間信仰から起こったもので、正体は時代によって相違する。」

というのだ。

また 地方によって
「狗賓(ぐひん)」とか「山人」などとも
呼ばれているという。



修験道と関係が深く、一般に深山に住み、
ヒトの形をして 鳥のクチバシと 雷眼を持ち、

(「雷眼」って何だ? ピカーっと光ってるのか?)

翼があって 自在に飛行し、
羽団扇(はうちわ)を持つ怪物と想像されている。






仏道を妨げるシナ伝来の魔性、という。

つまり、仏教の側から見れば、敵?



「愛宕山、鞍馬山、秋葉山をはじめ 
 全国に分布している。

 時には 武技に達して 
 源義経に奥義を授けたものもある。」

愛宕山ってどこの?

秋葉山って知らないゾ!




他にも ウィキペディアには 
求菩提山とか 英彦山、飯縄山 などの
聞いた事のない名前が挙がっている。

(迦葉山 は聞いた事がある。行ったことはない。行かなくちゃ!笑)



どこか適当な所で バッサリ切らないと
このまま天狗に取り付かれていたら
一生 「天狗、天狗」出終わってしまうよ(泣笑)。

それも楽しいかも(爆)。







一週間以上のご無沙汰でございました(苦笑)。

すこぶる元気にいたしております。