ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

『男のおばあさん』

2016-08-06 | 読書
以前、おすぎとピーコに
「男のオバサン」と呼ばれた人がいた。

永六輔氏だ。

「男のオバサン」。

う~~ん、そう言われてみれば、なんとなく、わかる(微笑)。

でも、住井すゑさんには
「あんた、男にしておくのが惜しい」
と言われていたそうです(笑)。(大晩年 p.142)

その「男のオバサン」が、年をとって、「男のおばあさん」になった。

83歳、「男のおばあさん」が亡くなった。










とうとう亡くなったか、という感じで受け止めた。

数冊、永氏の本を読んでいたので。

パーキンソン病という病気の事を、それとなく知っていたので。



2014年4月に『大晩年』という本を出している。

               

上の写真にはないが、真っ赤な帯がついており、

「『大往生』から20年――死ぬのが怖くなくなった」とある。

裏表紙側には、

「妻や友を見送り今だからわかること――若い頃は、
 死ぬのは怖い、寂しいことだと思っていました。

 『大往生』を書いた頃も、
 最期が近づくと怖くなるのかな、と思っていました。

 でも、実際にその時が近づくと、
 不思議なことにちっとも怖くありません。

 親しい人が亡くなっていくごとに、
 皆さんが先に行っているというだけの話なんだ、
 後から行けばいいんだ、
 と感じるようになったのです。」


という、本文(p.147)からの文章がある。



これは私の普段の考え方と同じだ。

ただ、私はまだ娑婆に居たいので、
怖いわけではないが、
我欲がたっぷりで、そんなに悟り澄ましてはいないのだけれど。

「先に逝ったのね。私はもっと後から逝くわ」
という感じなのだけれど。



2冊とも、パーキンソン病に関しては、
医師の説明部分を含めて、患者の心情がよくわかる名著だと思う。

『大晩年』(中央公論社、2014.4.25、1300円)

『男のおばあさん』(大和書房、2013.6.25、1400円)






永氏は、作詞家としても活躍し、
ラジオやテレビ、映画にも出演していたうえに
『大往生』などの著作も盛んにしていて、
かなり多忙だったろうと思う。

私も亭主も 若い頃からかなり影響を受け、
著書もかなり読んでてきた。

私たちは 日本に住んでいる限り、
必ず 氏の音楽を聴き、氏の影響を受けて 生きて来た
と言っても 決して大げさではないはずだ。



永氏が作詞した曲を書き連ねれば、
「それも そうだったのか?!」
と思う曲が、山ほどある!

それは、これまでもいつもそう思ってきたけれど、
今回、さらに その思いを強くした。

その中に、「いい湯だな」がある。

ね? 驚かない?(笑)



7月12日の朝刊24面に、作曲家小林亜星の言葉がある。

ドリフの「8時だョ!全員集合」についた触れたた部分がある。

「この番組を、俗悪なバラエティーだという人がいたけれど違います。

 戦争で心の傷を受けた僕たちにとって、
 他人と勝ち負けをつけるのではなく、
 楽しく時間を過ごし、子どもたちを幸せに育てることは 
 切実な願いでした。」

「いい湯だな」は、「楽しく、生きることを肯定している」
と小林氏は伝えてくれている。

番組を見て育ったけど、それは、知らなかったなぁ!(笑)






多彩な氏の才能は、多様な分野で花開いてきた。

鯨尺を復活させよう、とか(実際に復活した。快哉!)。

米穀配給通帳のような、全く不要なものを法律で定めたままでいる
怠慢を改めよう、とか(米穀通帳は、廃止になった)。

さまざまに 私たちの目の届かない、気の付かない所に
目をやり、気づき、
ラジオなどで訴え続けてくれた人だった。

そして 卓越したユーモアには 真似できないものがあった。



あ、「天皇に和服を着ていただこう(天着連)」という運動は、
まだ結果がでてないな。

退位なさったら、お着物を召してくださるのかな(笑)。






永さん、さみしいよぉ。








小沢昭一という人がいた。

永氏と同様、古くからラジオ・テレビで、
また映画でも活躍した、面白い教養人だった。

永氏のラジオ番組同様、テレビを持たないアパート時代から
小沢氏のラジオからの<語り>に耳を傾けながら、
アパートの隣人に気兼ねして 小さな声で笑ったものだった。

「~の、こころだぁ!」というそのダミ声は、
今でも耳に残っている(苦笑)。

貴重な研究もなさっており、私はその死を悼んだ。

小沢昭一氏は 先に(2012年)亡くなっている。

親交の長かった永氏は、そうとうに、寂しかったろう。





大橋巨泉氏も亡くなった。

2月4日放送の「徹子の部屋」に
永六輔氏と共に出演したのを最後に、
治療に専念していたそうだ。

82歳だった。

徹子さんも 寂しいだろう。



「まんまこと」

2015-09-24 | 読書
『まんまこと』は、畑中恵さんの時代小説だ。

ファンタジー大賞をとった『しゃばけ』シリーズで 
お馴染みになった方だ。

今度のは 妖怪は出てこないけれど、
私は ファンタジーっぽく、<お気楽>に読んでいた。

時代小説は、それだけで ファンタジーなのだ、と
最近感じていた。





そうしたら、
杉浦日名子さんのマンガ『合葬』というのを
文庫で読んでいたら、
末尾で 著者ご本人が

「江戸時代というと何か、SFの世界のように
 異次元じみて感じられます。

 自分の祖父が 丁髷を結って
 ウズマサの撮影所のような街並みを歩いている姿など
 実感がわきません。」

と書いていらっしゃる。



なるほど、私がファンタジーのように感じても、
当然なんだな! と納得(笑)。






           


     

     『合葬』。映画になるんだそうだ。
     没後10年なのだそうだ。
     今考えても、惜しい! 杉浦日名子さん。






ちょっと杉浦日名子さんに寄り道してしまった。

さて、畑中恵さんの本の事だが、
「まんまこと」とは、何か。

「真真事」、ほんとうの事なのだそうだ。

(東京堂出版の『江戸語辞典』より、と文庫本の63ページにある。)

今、NHKでドラマとして放送されている。

→→→『NHK 木曜時代劇 まんまこと 麻乃助裁定帳



水戸黄門の放送が終わって、
時代劇の終焉、とか言われていたが
今は BSNHKでも 「一路」が放送されてて、
私は結構、忙しい(笑)。

(てか、そんなに時代劇が好きだったっけ? 私。)



「まんまこと」を見ようと思ったのは、
畑中恵さんの原作の「まんまこと」だったからだが、

見てすぐ気が付いたのは、
主人公が黒木クンだって事。
            

いや、黒木クン役の、福士誠治という人らしいが、
名前は知らなかった。。。(苦笑)。



私の大好きな『のだめカンタービレ』で、
オーボエ奏者だった黒木泰則クンは、
あのマンガ&ドラマの中で、
ただひとり マトモなニンゲンで、
誠実で優しい人柄だった。

すごく好感を抱いたってわけ。

一方、女ったらし役の向井理は、
なんでコイツがこの役? と思っていた(笑)。
          





で、「まんまこと」だが(笑)、
お気楽者で通っている麻乃助が主人公。

その麻乃助に 私は泣かされた。

最新刊の『ときぐすり』を読み終えて探してみたが、
泣かされた『こいわすれ』だけ、見つからない。



あの時は 誰も家にいなかったので
気が緩んでいたせいもあり、

また 畑中恵さんの本は 
いつも<お気楽>に読んでいたから、
まさか泣かされるとも思わず、
油断していたので、

すっかり泣かされて
一日中、グズグズと泣いていたのだった。





これからドラマで そんな麻乃助に出会うのかと思うと、
怖いような気がする。

いったい、どんなふうに 脚本はできているのだろう・・・?

怖い。






 ちょんまげ姿も似合うね(笑)

このイケメン君が 自分の事を「アタシ」と呼び、
急ぐ時には
花菱アチャコの「無茶苦茶でござりますがな」のポーズで
通りを歩く、
というのは、一興だと思う(笑)。

若い俳優陣に 時代劇の所作を身に着けてもらう事は、
必要だと思う。

武家作法ではなく、一般民衆の。

 (武家作法は、BSの「一路」で見られる。

  俳優さんたち、みんな、頑張っている(笑))



「無茶苦茶で・・・」を覚えている方は、
窓の友の中に どれくらいいらっしゃるだろう?(笑)

     

エンタツ・アチャコ、左側がアチャコ。

動画があったら面白かったね(笑)。






落語の中に見え隠れする世界、
= 江戸時代に設定を借りたファンタジー。

堪能すれば、一時的にせよ、
ココロが柔らかくなる。

それが、ファンタジーの良さだよねぇ。






「まんまこと」のドラマはサクサクと進んでいるようで、
主人公は 私が知らない間に
サッサと結婚していた(笑)。

ドラマの脚本を書いている吉田紀子という人は
文春文庫の『ときぐすり』の解説の中で

「現代なら助けられる命も、
 簡単に失われていった時代なのかもしれません。

 だからこそ、くだらない見栄の張り合いや、
 色恋沙汰でもめている江戸の市井の人々が、
 なんとも言えず愛おしくなる。

 それが、『まんまこと』の世界なのかなと。」

と言っている。



そうかもしれない。

「愛おしい」。

だから、くだらない諍いを 麻乃介がどうやって
どういう落とし所にもっていくのか、
見守っていたくなるのだ。






先々週の放送は イバラキの水害関連報道のため
先送りになった。

実家の辺りは、なんとか大丈夫。

でも 次はいつ 来るのか?

今度も大丈夫なのか?

我が家は これからも大丈夫なのか?

考え始めれば 
答えの出ない疑問に 不安でいっぱいになる。

テレビドラマを見るひととき、
渋茶をすすりながら 不安を忘れるのもいい。

そのまま 忘れてしまうのが 私だけれど(苦笑)。



先週は 所用で出かけて 帰宅が遅くなり、
見られなかった。

さて、今夜は見られるか!?(笑)



『置かれた場所で咲きなさい』

2013-03-01 | 読書
『置かれた場所で咲きなさい』は 
渡辺和子さんとおっしゃる ノートルダム清心学園理事長のご著書。

私が渡辺さんのご著書に触れたのは、これが最初。

仏教徒の私だが 
この本は 宗教を超えて
人を温かく励ます慈悲にあふれていると感じたので
ぜひ ご紹介したい。   

帯には
「人は どんな境遇でも 輝ける」
とある。

(幻冬舎文庫、2012.4.25、925円)



新書版のコンパクトな本で、優しい語り口の内容で、
文字も読みやすく すぐに読み終わってしまう一冊。

でも 書かれた内容は どのページを開いても 味わい深い。

「あっ」とか「ああ!」とか思った所に付箋を貼ったら
付箋だらけになってしまった(笑)。





    
          
             渡辺和子シスター



   →→→YouTube シスター渡辺和子さんの「 置かれた場所で咲きなさい」






タイトルの「置かれた場所で咲きなさい」は

Bloom where God has planted you.

である。



直訳すれば、
「神が あなたを植えた場所で 咲きなさい」。



ただ 神のご意思に従う、といった消極的な事ではなく、

置かれた状況を 喜んで受け入れて
積極的に 自分を開花させてね、、
との気持ちが見える(気がする)。






また、この本のタイトルになった
ベルギー人神父に贈られたという英詩には
続きがある。


「咲くということは、

 仕方がないと諦めることでは
 ありません。



 それは 

 自分が笑顔で幸せに生き、

 周囲の人々も幸せにすることによって、

 神が、
 あなたをここにお植えになったのは
 間違いでなかったと、

 証明することなのです」






「置かれた場所」というのは、
人それぞれ。

「置かれたところこそが、
 今のあなたの居場所なのです」(p.3)



大学に入学しても「不本意入学者」がいる。

就職しても、
結婚しても、
子育てをしていても、
「こんなはずじゃなかった」 
と思える状況は 次々に襲ってくる。



「置かれた場所」が、

つらい立場。

理不尽。

不条理な仕打ち。

憎しみの的。

信じていた人の裏切り。

ベッドの上。

歳を取って 周囲から“役立たず”と思われ、
片隅に追いやられる。

そんな時にも その状況の中で「咲く」努力を。

「咲く心」、「花を咲かせる心」を 持ち続けましょう、
と シスターはおっしゃる。(p.13)






風雨が強い時や、日照り続きで
どうしても咲けない時は

「そんな時には 無理に咲かなくてもいい。

 その代わりに、
 根を 下へ下へと降ろして、根を張るのです。

 次に咲く花が、
 より大きく、美しいものとなるために。」(p.13)






「置かれたところで 自分らしく生きていれば、
 必ず <見守っていてくださる方がいる>
 という安心感が、波立つ心を鎮めてくれるのです。」(p.3)



キリスト者の強さは 信仰という力によって
この「見守っていてくださる方」を
強く感じる事ができる点かと思う。

日本の神々や 仏教におけるホトケは
儀礼や習慣などの日常に紛れ過ぎて
現代の私達には 強く意識する事は
難しいかもしれない。

その点を 私は とても羨ましく思う。



(私は 一応 自分は仏教徒だと思っているが
 ホトケを意識するためには
 意識しなければならない(苦笑)。)






この小さな本は 愛に溢れている。



人生の岐路に迷う人だけでなく、
老いに戸惑う人だけでもなく、

年若いチャレンジャーにも
ビジネスで成功しようとしている人々にとっても

有益な言葉に溢れている。

たくさんの人に 手にとってもらいたいと思う。

2012年の年間ベストセラー総合第2位だったというが、
それでも、もっともっと たくさんの人に。






この本の中では
シスターの心の琴線に触れた
人や言葉の紹介もふんだんになされている。

仏教者や仏教詩人の言葉も出て来る。



私が「あれっ」と思ったのは
「私たちは、キリストのともしびから火を分けていただいて、
 それぞれが、置かれたところで、
 一隅を照らす光でありたいものです。
という一文。(p.29)

人を苦しみの業火から救ってくれる宗教の言っている事は
結局、ひとつなのだ
という思いを 強くした。






本書の終わりの方にある 
シスターと 2.26事件との関わりには
びっくりしてしまった。

過日 2月26日だった事に気づいて書き始め、
本日の投稿となった。

寒かった冬も 3月となって 
ご近所に咲く花も増えてきている。

私たちの花も キレイに咲きますように。



『のぼうの城』

2011-03-11 | 読書
文庫になったら 買って読もう、と思っていた。

文庫になった(笑)。
(上・下巻、和田竜著、小学館文庫、2010年10月、457円)

なんと、野村萬斎の主演で 映画にもなる。 
映画「のぼうの城」オフィシャルサイト






  マンガ:扉






マンガにもなった。
美味しんぼの花咲アキラがベストセラー小説コミック化
(作画:花咲アキラ、ビッグスピリッツコミックススペシャル、小学館、619円)






   
マンガp22、23、忍城の地図

秀吉:「浮城ともいうそうな。

    本当に 水に 浮いているか 見て参れ。」






原作は 城戸賞を受賞した脚本「忍ぶの城」で、
著者はそれを小説にして「のぼうの城」を刊行、作家デビュー。

(なるほど、
 読んでいて 映像が見えてくるような気分になったわけだ。)



直木賞の候補となり、本屋大賞第2位となった。





  マンガp24、正木丹波利英







それだけでも 読みたい、と思う。

が、私の場合、舞台となった忍城に 一度行った事がある。

数年前、仕事で行く先が埼玉県の行田市で、
亭主が一緒に行こう、と 連れて行ってくれた。

行田に自分たちの仕事の参考になるものがあったので、
私に一緒に見て欲しかったようだ。

本当にそこには 願ってもないモデルがあり、
充実した研修であったのだが、
その折 私たちは
忍城のあった場所の一角に 入りこんだのだった。

残念ながら時間がない、という事で
ほんの一角をかすめたにすぎないが、
私としては 小さな良き思い出であり、
親戚の住する町のような気分だったのだ。

次回はぜひ、古代蓮の花が咲く時期に
デジカメを持って 散策に行きたいものだと思う。






  マンガp26、村総出での麦踏み






私が文庫本で購入して 読み始めて間もなく
亭主がマンガを買ってきたのには 少々ムッとした。

マンガの方も 読了後 読んでみたが
原作に 比較的忠実にマンガ化されているので
なにも両方読まなくても、という気分ではあった。

ただ なにしろ 視覚効果がある。

それは 文字だけの文庫本とは 大きく違うので
主に風景で楽しませてもらった。

想像力を補ってあまりある風景!

(なにしろ、主人公の方は あまり魅力的な風采ではないので。。)



                              つづく
                     (つづけてもいいかしら?)



『うそうそ』

2009-04-01 | 読書
ご存知、『しゃばけ』シリーズ。

タイトルの「うそうそ」とは
不安で落ち着かないさまを表す言葉だという。

そういえば、そんな言葉、あったな。

近年、とんと耳にしませんな。



『しゃばけ』に続いて テレビドラマになったが、見なかった。

(畑中恵著、新潮文庫、2008.12.1)

今回は、くいだおれ太郎さんもご出演になったとか(笑)。



身体が弱くて 遠出の外出なんて した事のない若旦那、
なんと、今回は 箱根に湯治に出かける。

・・・・・・・が!!!?






『しゃばけ』p228
このシリーズは 柴田ゆう氏の挿絵が、また、いい。






今回 読んで 
私が一番、なるほど~、と思ったのは、解説。(爆)

西條奈加という作家の書いたものだ。



曰く、
「『しゃばけ』は 時代小説の裾野を広げた。」(p342)

当時の風俗・習慣などの知識がなければ 飲み込みが悪く、
時代小説になじみのない(または薄い)読者は
シンドイ思いをするそうなのだ。

時刻、距離、長さ、通貨・・・、
それらの単位を考えただけでも
確かに 初めて時代小説を読んだ読者には
見当がつかないかもしれない。



私が さほど違和感を覚えずに入っていけるのは
子どもの頃には 鯨尺が生きて存在していたし

何より 大岡越前と 水戸光圀、
このおふたりが頑張って
再放送と合わせて 毎日 何かしら 
チョンマゲに親しみを持たせてくれたのだ。



一方、若い世代は 
言葉遣いひとつをとりあげても
時代劇には どうも座りの悪い思いをするに違いない。

若い人たちに受け入れてもらえる時代劇を、となると
時代劇のセットに 時代劇の衣装、
そして 言葉遣いは現代風。

自分も若いつもりだけれど、
思わず 年寄りぶって
「見ちゃ居られないよ」と言いたくなるような時代劇、
一時期、増えたよね。



対照的に、時代小説には 
時代劇と違い、
年齢層の高い読者も居るので、
誤魔化しが利かない。

誤魔化さなければ、若い読者には
すとんと理解してはもらい難い。

ジレンマ。



そのジレンマの溝を埋めたのが 
畑中恵氏の『しゃばけシリーズ』、
と 西條氏はおっしゃる。

若い人の理解を助ける工夫が 随所に見られる、と
解説をしてくださっている。

なるほどねえ。






『しゃばけ』p39
妖(あやかし)の絵って、簡単じゃないと思うよ。






ウチの娘と息子は
時代劇を見ずに大きくなってしまった。

親の方に テレビを見ているような余裕がなかったからだが
『ポンキッキ』と『おかあさんといっしょ』は
見せていたのだから、

親の方に
「できたら見せてあげたい」という気分が
時代劇に関しては なかったのだ、
ということだと思う。



息子の同級生の家では 息子さんが幼い頃、
ご主人が 毎週欠かさずに『暴れん坊将軍』を見ていて

テーマソングが聞こえてくると
息子さんは 弟さんと一緒に 
おもちゃの日本刀を持ち出してきて
座敷の中で ちゃんばらごっこが始まる、

と聞いたのだったが。



我が家の子どもたちは 
♪じ~んせい、楽ありゃ、苦もあるさ~~~♬
という歌を知らない。

これでいいのか?!

日本文化が 若い世代に継承されていかなのではないか?

自問する日々である(苦笑)。






『ねこのばば』p249
「妖てぬぐいプレゼント」、やっぱり、応募すればよかった!







子どもたちが 将来 
骨のある時代小説を読もうとして挫折する前に

『しゃばけ』シリーズを勧めなくては!(笑)



奇跡のりんご

2009-03-02 | 読書
「具体例をいっしょうけんめい見ていくと、
 やがて 一般解にいたる。」

と言った人がいた。

(動物行動学者、日高敏隆。『青春と読書』2009年2月号 p24)



ああ、だから。

それが 
野菜作りであれ、料理であれ、医療であれ、野球であれ、
ひとつの事に打ち込んでいる人は
まるで 求道者のように見え、

ひとつの事を極めた人は
ある種の‘悟り’を得た人であるかのように 見えるのか。



一般解へと至る道だから、

いつかは‘悟り’に至る道を求めているから、

ひとつの事を突詰めていく人たちは皆
同じような 自信や信念のカタマリを持っているように見えるのか。



そう、納得してしまった。










NHKの『プロフェッショナル  仕事の流儀』に出てくる人たちは皆
悩み、つまづきながらも ひとつの事を追い求めて来た人たちなので
同じ‘なにか’、匂いのようなもの?を持っているように感じていた。

ところが、このオッサンは違っていた。

本の表紙でも、
歯の抜けた口を パッカリと開けて笑っている。

偉そうにも 立派そうにも見えない‘プロフェッショナル’の、
一等賞ではないか?(笑)

『奇跡のリンゴ――「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』
(石川拓治著、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」製作班 監修、
 幻冬社、1300円)






りんごは愛で育てる(2006年12月7日放送)。

私はだぶん、アンコール放送で見たのだと思う。



自分たち家族が ご飯を食べることさえ棄てて
無農薬でリンゴを作ることに挑戦し続けた農民がいる。

木村秋則さんという。





私は かつて 玄米食を始めた頃に
自然食のお店で お米を置いているかどうかを尋ね、

「無農薬です!」

と自信たっぷりに言われた時に 思わず

「うそ!」

と瞬時に返してしまい、
いや~~~な顔をされたことがある(苦笑)。



だって、無農薬でお米を育てるって、手間が大変なんだよ!?

私の頭の中では 田んぼでお米を作るときに
農薬は 使って欲しくはないけれど 使わなくてはならないもの、
という位置づけだった。

それと同じように、
青森のりんご農家の人たちにとって
農薬は 使わなければ りんごの収穫ができなくなるもの、
だった。



(まだ田んぼを売り払う前のことだが、
 木村さんは 農薬も肥料も使わずに 
 一反当たり九俵余りの収穫を 
 上げられるようになったという。)



それは 木村家のりんご畑でも 同様だった。

だから、木村家は どんどん 貧乏になっていった。

田んぼも売ってしまい、お米を買って食べた。

近所では 5キロ単位でなければ 米が買えなかった。

町に通って 1キロずつ買った。

7人家族で 1キロの米を お粥にして食い延ばした。




健康保険料を払えなくて 保険証を取り上げられた。

電話は もう ずっと前から 通じなくなっていた。

PTA会費も払えなかった。

靴下の穴に ‘つぎあて’をして使った。

消しゴムは ひとつを3つに切って 子どもに渡した。

昭和30年代の話ではない。

1980年代の初め、
『ジャパン・アズ・ナンバーワン』がベストセラーになった頃のことだ。

木村さんは 近所からは
「カマドケシ(竈消し)」と呼ばれ、蔑まれた。



何年たっても、必死で働いても
無農薬では リンゴは実ってくれなかった。

気弱になって「もう諦めようか」とつぶやく。

おとうさんも苦しんでいるんだよ、と伝えたくて
妻が その事を 子どもに伝えた。

文房具も満足に買ってもらえず、辛い思いをしていたはずの、
いつもはおとなしい娘が 気色ばんだ。

「そんなの嫌だ。

 なんのために、
 私たちは こんなに貧乏してるの?」



電車の中でこの本を読んでいた私は
不覚にも落涙しそうになった。

オッサンの夢は 娘の夢でもあったのだ。






ある日 木村さんは 死を決意し
首をくくるためのロープを手に
枝振りのよい木をさがしながら 山の中を彷徨う。

そうして見つけた、
「フカフカの土」という答え。

そこから始まる、逆転への再挑戦。






木村さんのリンゴは 腐らないという。

古くなって シワシワになっても 芳香を放つ、
と テレビでも言っていた。



アダムとイブが食べたという木の実には
化学肥料は使われていなかったはず。

ニュートンが万有引力を発見したリンゴにも
ウィリアム・テルが 息子の頭に載せたリンゴにも
農薬はかかっていなかったはず。

そんなものを使わなくても
美味しいリンゴは どうやら本当に 作れるらしい。

それを 私たちは 「奇跡」と呼ぶのか、。。。。。。。



それにしても、テレビ番組というものは
取材した材料の、ほんの一部しか、
紹介してもらっていないものなんだね。。

   

この本を、Y郎さんに一度 読んでもらいたいものだ、と思う。



『B型自分の説明書』

2009-01-03 | 読書
『B型自分の説明書』、
これは、亭主が買ってきて、私にくれた本。

こうやって私の手元に来る本も、あったのか~(笑)。



亭主は、自分では『O型・・・』を買ってきて、
「読んでみたら、これって、俺じゃん! と思って。」
と言う。

そちらも そのうち 読ませてもらおう(笑)。

(jamais jamais著、
 文芸社、2007.9.15、1000円)

この著者名は「じゃめ じゃめ」と読むらしい。










この本を 始めてみたのは、県内の都会(笑)にある
大型書店だった。

裏表紙の 上の↑カバーを見て グッときて(笑)、
これは買わなくては! と思ったのだった。

やっぱり、B型って、アタマ、グルグルするもん?(爆)

荷物が重かったので 次回に、と思って買わずに帰ったのだったが
あっという間に売れ筋になってしまい、
へそ曲がりな私は 反対に買う気が失せてしまって。。。

「人と同じは嫌。絶対。」(p13)

でもでも、ずっと気になっていたんだ!(笑)

「右から左へ、左からどこかへ」というのも、合ってる!(爆)






 
車屋のアニキからのお歳暮、今回は和蘭だった!
包装もシックな色合い。



血液型についての話は いつも とても楽しいと思う。

けれど 不快な思いをする人もいるらしい。

私なんか、B型だから、いろいろ、さんざんな言われ方をするけれども、
それも とても嬉しいのだから、しょうがない(笑)。

遊びと思って楽しめばいいじゃん?! 
と思うんだけど。

「<変>て言われると、なんだかウレしい。」(p12)



ちなみに、表紙の方の絵は、
口から「毒が出る」、♡には「もろい・ガラス製」と書かれており、
私としては、
「嗚呼! わかってらっしゃる!」と思ったのだった(笑)。






「1、本書の使い方」のところに、
「B型ってだけで 世間の風は 冷たく吹きます。ぴゅー。」
とある。

確かに。



「人一倍 口下手なB型だから、 
 自分像を表す言葉が くちゃくちゃにこんがらがって
 シンプルな言葉で表現できません。
 
 言いたいことは 山ほどあるのに。」

うん、うん。



「うまく説明できないと 相手に伝わらない。
 
 伝わらない相手には 説明すら したくない。

 泣く泣く 言葉を飲み込む。

 悪循環。

 よってここに、誤解が生じるわけなのです。」

涙、涙。



こんなに上手く私を言い表してくれた人は、
今まで、いなかった!(号泣)

(直感で理解してくれる何人かのB型の友人を除く。)








自分論がめじろおし。(p12)

だから、ブログなんか始めちゃうし、続いちゃったりするのか!?



これからは この窓でも 時々 
B型人間の言い訳や 取り扱い説明を織り込むことにするか?(笑)



ところで・・・・・・新年最初の記事がこれか?(爆)



四六版

2008-09-12 | 読書
四六版とは何か?

それは、本の大きさのひとつ。

本の大きさとして 
四六版とか 菊版とか 聞いたことはあるけど
意味までは知らなかった。

4寸×6寸だって? な~るほど。

今朝 調べて、初めて知ったよ(笑)。

(こんなところもあったよ→用紙寸法&面積







先日見つけた狂い咲きのボケ。






手元の辞書によると、
たて109センチ、横79センチ大きさの印刷用紙 云々とある。

現在のB6版に近い、ともある。

官公庁の配布物は 今ではA版に統一されてしまったけど
あれって、本当はB版の方が 手になじむと思う。

日本人の身体の寸法から取った尺寸の方が 
日本人の体格が変わった今でも 
日本人の身体になじむってのも面白いと思うが
これは単なる‘慣れ’の問題だろうか。







四季咲きのミニバラ。






さて、「四六版宣言フェア」なるものがある。

第9回「四六判宣言」のホームページ

私がいつも立ち寄る書店でもやっている。

覗くと、魅力的な本が 必ず混じっていて 
いつも何冊か手にとって
そのうちの1、2冊は 
我が家の書棚を より狭くするのに役立つことになる。





フェアの 第8回のコピーが
「ガツンときます!」で、
今回のは「ハマると深い!本の海」。

第6回でも 第7回でも 
何か買ったような気がする。。。(苦笑)。




「四六版宣言」のサブテーマが
「文庫では読めない本たち」ということで、
確かに文庫になっていない、
それでいて 気軽に手にとって読めそうな、
なおかつ 読み応えもありそうな本がいっぱい。

こう言っちゃ悪いが、
できたら文庫で読みたい私(笑)。

さて、今年。 

私は何を買ったでしょうか?(笑)



『チーム・バチスタの栄光』

2008-09-06 | 読書
どうやら、私は 
阿部寛が、けっこう、好きだ。

私の理想のサイズより 身長も顔も 少々長めなのだが。

帯に彼の顔写真がついた平積みの文庫本を 書店で見つけた時、
唐突に買ってきてしまった。

それが下巻だと気が付いたのは帰宅してからだった(苦笑)。

だから、次に出かけた時、
もう一度この本を探して
今度は竹内結子の上巻を買ってこなければならなかった。

(海棠尊(かいどう・たける)著、宝島社文庫、2007.11.26、476円)













第4回 『このミス』大賞受賞作。

この『このミス』とは、『このミステリーがすごい!』のことで、
これが大賞の名前だから、
これは、ミステリーだ(笑)。

ミステリーだから、
ストーリーや犯人を ここでトウトウと述べるのは止めておこう。

阿部寛や 竹内結子の写真が帯にあったのは 映画化されたためのようだ。

今では DVDも発売されている。

10月には フジテレビ・関西テレビ系列で 
火曜夜10時から ドラマが放送されるという。

いわゆる、「アタリ」になった小説だねえ。





さて、バチスタ手術とは?

学術的な正式名称は「左心室縮小形成術」という。

創始者であるR・バチスタ博士の名を取って、
一般的には「バチスタ手術」とも呼ばれる。

拡張型心筋症に対する手術術式のひとつ。

肥大した心臓を切り取り小さく作し、
心臓の収縮機能を回復させる。

心臓移植の代替手術だが、状態が劇的に改善される例も多い。

手技は難しくリスクは高い。

成功率平均六割。

日本でこの手術を行う施設は少ない。

(→チーム・バチスタの栄光 オフィシャルサイト

「犯行現場は直径10cm」だそうだ。 

なるほど。






心臓外科手術で死亡が続いたのは
実は誰かによる殺人なのではないか?

という疑問から始まるストーリー。

その犯人探しなのだから 暗~い内容もあるのだが、
主人公の田口と白鳥の雰囲気が 
救い というか 息抜き というか(笑)。



「その程度のことで 殺人まで犯すだろうか、

 という常識論には、 個人的には同意したいけれど、

 そもそも殺人というものは大概、

 常識論を大きく逸脱したところで起こる。」(下巻 p114)

なるほど。



このところ 
人心を驚愕させたり 震撼させたりしている事件を眺めても
確かに、常識論では語れない。

常識では考えられないからこそ、恐ろしいのだ。






この中で いい味を出している登場人物が、
元看護師長の藤原さん。

ドラマにも出てくるかな?
 
誰が演じるのかな?

それが楽しみ。






続編(シリーズ第2弾)の『ナイチンゲールの沈黙』上・下が 
宝島社から文庫になって発売された(各500円)。

どうしよっかなー(笑)。





北京パラリンピックが開幕した。

みなさま、どうぞ ご注目を。



哲学書?(爆)

2008-07-15 | 読書
皆さんおなじみの『佐賀のがばいばあちゃん』
島田洋七著、徳間文庫、2004.1.15、514円)

あれには哲学が書いてある。






今年のバーベナは この色。 でも 今はなんだか調子はよくない。。






「みんな、道を間違うな!」

「幸せは、お金が決めるものじゃない。

 自分自身の、心のあり方で決まるんだ。」

「みんな、「いい人生」を生きよう。

 誰のためでもない。

 自分のために。
  
 それは、ちっとも難しいことじゃない。」



どうだ?

哲学だろう?

もしかしたら、倫理、いや、仏教かも?(笑)





もう テレビドラマにも 映画にもなって
シリーズ本が何冊も出てるから 説明の必要もないと思う。

しかし 読んでみると、なんとも、まあ、
哲学的な祖母と孫なのだ。

哲学的、ということは、言い換えれば、アホ、ということでもある(笑)。



「ばあちゃん、この2、3日 ご飯ばっかりでおかずがないね。」

俺がそう言うと、ばあちゃんは アハハハハハハハ……と笑いながら、

「明日は、ご飯もないよ。」

と答えた。

俺とばあちゃんは、顔を見合わせると、また大笑いした。(p5)


ホラ、やっぱり、アホだ!(爆)





この本を読むと 

昔々に信じていたことを、

今でも やっぱり 信じてていいんだ、ということがわかる。







この春に買った鮮やかな色の雲間草。 
今では花が終わって、そして、鉢が地面から動かない。。。(苦笑)






綾小路きみまろ。

あんなにカツラの似合う人を、私は他に知らない(笑)。

この人の著書も売れたらしい。

「豊かな教養、溢れる美貌に こぼれる脂肪」、
あのまんまの語り口(笑)。







ディコンドラ。 スペルを想像するに、ダイコンドラのことだね。






「人間の死亡率は100パーセントです。

 私だけは大丈夫、こういう気持ちが大事です。」(p44)

(『有効期限の過ぎた亭主 賞味期限の切れた女房』
 PHP文庫、2003.12/17、438円)



「元気で死ぬためには どうしたらいいのでしょう。

 わたしは<ほどほど>という言葉がキーワードのような気がしています。」



「わたしは 寿命もほどほどがいいかもしれないとおもっております。」(p79)



「東洋には 昔から 中庸(ちゅうよう)の考え方が根づいています。

 足りないのもいけないけれども、ありすぎるのもいけない。」(p80)



「人生はかように流転(るてん)するのです。

 永遠に20歳だと思っている20歳のワコウドにいってあげましょう。

 人生はそこから40年をどういきるかだと。

 そこから40年が ほんとうの人生だと。」(p108)



人生の幸せ・はひふへほ。

   は・・・・・・半分でいい。

   ひ・・・・・・人並みでいい。

   ふ・・・・・・普通でいい。

   へ・・・・・・平凡でいい。

   ほ・・・・・・ほどほどでいい。   (p180)

                  

(『こんな夫婦に誰がした?――謹んでお慶び申し上げます――』
 PHP文庫、2007.8.16、476円)



立派な哲学だ~! 私には(笑)。







割り箸みたいな丈で、針金みたいな太さのベニバナトキワマンサクの苗を植えた。
早春に ちゃんと花をつけてくれたので、感激した。







ことば遊びも楽しいもの。

それが テンポ良く ポンポンと、
しかも虚実混ぜながら真実を突いていく(笑)。



中庸、仏教には「中道」というのがある。

真ん中の道をゆけ、ということかと思う。

右に外れれば ゴウゴウと燃え盛る炎、

左に外れれば 逆巻く急流。

しっかりと 真ん中の道を歩め。 と。



それから・・・ きみまろさん、
当地は田舎。

20歳の若者が それから本当の人生を40年歩んでも、60歳。

「若いモン」と呼ばれてしまう(苦笑)。

だから、自治会の集会での発言力は、まだ、ないのヨ(爆)。



『ゆめつげ』

2008-06-29 | 読書
『しゃばけ』シリーズの 畑中恵氏の『ゆめつげ』が
文庫になって書店に並んでいたので、
購入して<積読>していた。
(角川文庫、2008.4.25、552円)

いつものように 週に一度の治療院通いの時に
カバーをつけてバッグに入れて出かけ、
電車の中で いそいそと取り出す。

ちょうど 「神仏分離令」の(1)か(2)をアップしていた頃だった。

文庫本を開いたら そこに出てきたふたりの登場人物が、
神社の神官だったから、びっくりした(笑)。

というか、ホント、私って、中味を確認せずに買うんだね(爆)。







赤紫蘇の畑。 出荷直前?。 そろそろ安くなると思うよ!






弓月(ゆづき)と 信行(のぶゆき)という、川辺家の兄弟が出てくる。

ふたりは 清鏡神社の神官、という設定。

のっけから ふたりは 辻斬りらしい人物に追いかけられて
走っている。

「兄弟とも白の着物に浅黄(あさぎ)の袴(はかま)という
 神官の日常着だったから、
 走るには都合が良い。」(p5)




白い着物に、浅黄の袴。

これ、お坊さんと同じ!

なんでおんなじなんだろうね?!(笑)

やっぱり 以前は お坊さんと禰宜って 
あちこち、一緒くただったのかな~?

「神仏分離令」を(3)まで書いて、またか? シツコイ! って?

まあ、そうおっしゃらずに、もう少し 付き合ってよ(笑)。

お坊さんと 禰宜さんの服装が同じ、って、面白いでしょ?!



父も 白い着物(白衣)を着て それから法衣を着て、袈裟を着けていた。

袴も持っていたけれど、

「めんどくさくってよう。」

とか言いながら、滅多に使わなかった。

暑がりの父は 夏は絶対に 袴なんか履く人じゃなかった。

夏には夏の、透きとおりそうな生地の袴があるはずだのに。

義兄はどうしてるんだろう?(汗)。。

師僧がああだったんだから、暑がり義兄もやっぱり。。。?(大汗!)                   






土色の畑や 緑の畑の中に 赤紫蘇の畑が出現すると すごく鮮やかに見える!
これは赤紫蘇の畑としては 当地では一番広い方。






この本に

「神仏習合が行き渡っている中、
 多くの神社には 『神宮寺』と呼ばれる寺が 
 付属して 営まれている。」(P7)

とあるところまで読んだら、
そりゃあ、もう、電車の中で苦笑してたよ。

神仏習合、それこそが「神仏分離令」のテーマなんだからね(笑)。



「神宮寺」、お聞きになった事はあるだろうか?

実家の方にも 確かそんな名前のお寺さんがあったような気がするし、
「神宮寺」という地名さえ 聞いたことがあるように思う。

昔は お寺と神社がひっついて建っていて
神社とお寺とは 常に 何がしかの関わりをもって
共存していたと思う。

神仏分離令によって 
寺と神社が カンペキなまでに分けられてしまった結果、

寺檀制度によって 檀家を失わなかった寺は
大打撃を蒙りながらも どうにか存続したが、

氏子を失ったとは思えないが、
収入が減ったというのか? 
神社も衰退してしまった所が多かったらしい。

住職を失って 
他の寺院の住職が兼務して
住職の仕事を勤めている寺院も増えたが

神官がそこに住まっていない神社、の方が
ずっとずっと増えたのではないか、と思っている。



私の父方の祖母の実家のお寺は
諏訪神社の横にひっついており、
こちらは お寺は潰れそうだが 神社はデカイ。

けれど そうでない神社も 多数あったはずで、
そういう所では 神社が潰れそうで
合祀、合祀を繰り返して なんとか消滅を免れたようだ。



当地も 大きな神社がひとつかふたつ 駅の方にあり、
わがムラの 地元の神社をはじめ 近所の小さな神社はどれも
お祭りのある日とかの 特別な時以外は
禰宜さんは お出ましにならない。

「神仏分離令で打撃を受けたのは
 実は お寺ではなくて 収入の道を閉ざされた神社の方であった。」
と言う人にも 私は以前 会ったことがある。

神社も なかなか タイヘンだったようだ。

これは 時代の流れ、という波に洗われたギョーカイすべてに
言えることなのだろう。



それでも存続している。

それだけで 気高く 尊いことなのだ?







赤紫蘇の赤紫色は 美しいと思う。
たいていは、畑の隅にひと畝、あるいはひと畝の半分くらい 作っている。 
自宅用だね。






私は歴史は好きだけど得意じゃない。

時代劇もあまり見ていないしね(笑)。

江戸時代の 神社やお寺が どういうものだったか、
もうすこし『ゆめつげ』を材料に 見ていきたいと思う。

おつきあいください。

でも、まあ、だんだんに、ね(笑)。



仁志がやったね!

2008-06-16 | 読書
仁志 敏久(にし としひさ)。

1971年10月4日生まれ、36歳、O型。

171センチ、80キロ。







東京ばな奈の黒ベエ。 
だあれもオミヤゲをくれないから、先日 自分で買ってきた(爆)。
8個入り 1050円。






内野手。

プロ野球選手になって、13年目、イバラキ県出身。

常総学院――早大――日本生命――巨人――横浜ベイスターズ。

甲子園歴: 87年夏、88年夏、89年夏。






過日、1500本安打を達成!

オメデトウ!!!!!

2000本までもう少し???

「あと3年は現役で行けるでしょう。」? 

現役ということと 安打をあと500本とは別。

難しいとは思うけれど そのくらいは頑張ってもらいたい。

それに、
仁志の連続ホームランでもなんでもいいから、
もう少し横浜に勝ってもらってもいいと思わない?







ひとつひとつ、お行儀よく ジャストサイズのトレーにのって。






『プロフェッショナル』
(祥伝社新書107、2008年4月5日、777円)。

テレビ番組名みたいだけれど、仁志の著書だ。

はっきり言って、文章の組み立て方とか 文章そのものとかは、下手。

だから余計に ゴーストライターじゃなくて
仁志が書いた、とわかる本(爆)。






仁志は 身体が小さい。

常総学院では 1年生からレギュラーだった。

早慶戦では 史上初の サヨナラ満塁ホームランを打ったらしい。

小さな身体で、強気。

そんな印象の選手だ。



そんな彼のこれまでの生涯に 
常総学園の当時の木内監督が 
大きな影響を与えたことがよくわかる。

木内監督が関係する内容も とても多い。

読んでいると あの独特の(というか、フツーの)イバラキ弁の声が
耳の中に蘇ってくるようだ(苦笑)。






彼は この著書の中で
「攻撃は 最大の防御ではない」と言っている(p22)。

「勝つためには、まず負けないこと」だそうだ。

なるほど。

確かに、と思うことがある。

点を取らなくては 決して勝てないが
たとえ何点取っても それ以上に失点しては 負けるのだ。

私はサッカーが好きで テレビ観戦もよくする方だと思うが
<攻撃は最大の防御>というのは、
どうも 何か 違うような気がする、
と思うことが増えた。

仁志が言うのだから、やっぱり、きっと、そうなのだろう(笑)。







ふっくら、ふんわり。 とろ~り、かすた~ど。
いくら食べても、お腹にたまらない。 (溜まるのは、脂肪。)






また この本の中で 彼は
ジャイアンツの原監督との不仲説を否定している。

「私の人間的なキャラクターにも問題があるのかもしれませんが、
 ほぼ誤解です。」(p143)

そうなのかー。

なんだ、がっかり。 ヾ(ーー )ォィォィ



これからも、応援しているよ、仁志クン!






シャーリーズドリームは、これかもしれない(大汗)。



哀悼 氷室冴子

2008-06-10 | 読書
作家の氷室冴子さんが亡くなった。

ショックだった。(→YOMIURI ONLINE の記事




今年は クレマチス・ムジークシリーズが ちゃんと咲いてくれた






『なんて素敵にジャパネスク』が大好きだった。

これのテレビドラマもなかなか良かった。

本当は 続きを同じキャストでやってもらいたかった。



『銀金』こと『銀の海 金の大地』の12巻が発売されるのを待っていた。

同い年だったので 親近感を持っていた。

エッセイも軽妙だった。

探したけど どこにしまったやら、『氷室冴子読本』が見つからない!







今年は 白も咲いてくれた。








『なぎさ』も『多恵子』も持っている。

『クララ』も『アグネス』も読んだ。

私にとっては『海がきこえる』は つい最近のもの(苦笑)。




「少女小説家」という言葉を生んだのは
彼女の『少女小説家は死なない!』だった。

いろいろ誤解を招いたり 不愉快な思いもなさったようだが。



少女たち そして 少女のハート♡を忘れないオバチャンにとっても
すごく面白い小説だったと思う。

(男の人にとっては どうなんだろう?)








赤紫は 撮影の頃には 色が褪せてしまった。






私も 姉も
まだ30代の頃に読んだから 
私の感性も まだいくらか 瑞々しさを保っていたのか?

虚構の中の 魅力的な主人公の女の子に
完全に感情移入して読んでいたから
こころをわし掴みにして ぐいぐい持っていかれてしまっていたから

哀しい場面では もう どうしようもなく哀しくて
身もだえしながら 泣いたのだった。

(こんな部分で、姉と私は 感性が似ている。

 あ、これ読んだら、姉ちゃん、泣くな、
 と思って貸してあげたら やっぱり泣いたのだった。笑)






薄紫は たくさん、たくさん 蕾をつけて 花を咲かせてくれた。





憎いのは 命を奪った癌。

きょうは告別式がある。

北関東の地から 祈りを捧げるのみ。



『食堂かたつむり』

2008-03-10 | 読書
最近 2冊 本を読んだ。

その2冊とも 
「ぬか漬けをつけるお婆さん」が出てきた。

世間では ぬか漬けを漬けるのはお婆さん、と 
相場が決まっているのだろうか?







シラー・チューベルゲニアナ。 あまりに可愛いので 家の中へ。






そのひとつは『にぎやかな天地』で、
これは 私がこの窓を始めた年に新聞に連載され、
私が勝手に持っていた「脳」というキーワードに
もうひとつ、「発酵」を加える直接のきっかけになった本だ。
(→2004.12.28の記事

文庫になるのを待って買おうか、
それとも図書館から借りてこようか、
と さんざん迷ったが
きっかけを作ってくれた本だから、と自分に言い訳しいしい、
えいや、っと買った。

上・下 2巻だったから、出費だった。

この本については また後ほど。
(などと やっているから、
 大事な記事ほど 延々と先延ばしだ!)







もうひとつがこれ、『食堂かたつむり』。

(小川糸 著、ポプラ社、2008年1月15日、1300円)

(著者のHP→コチラ

(この著者のHPも ちょっとステキです!)



いつもの恵比須の駅ビルの書店に入ったら
ずらり!とこの本が壁画のように飾られていて
私の興味を引いた。

つまり 私の食いしん坊の魂(笑)に向けて 
何かしらを発してくれていたので
壁画ではなく 平積みの方から一冊購入。







著者のサイン本の 最後の一冊? ヤッター!!!






帯の スピッツのマサムネさんの

****************************

「食べる」ことは、

愛することであり、

愛されることであり、

つまり生きることなんだ。

って改めて教えられる

素敵な物語でした。

****************************

というのが、すごくよく この物語を言い表してると思う。






主人公は 倫子という。

傷ついて 故郷に帰り、レストランを開く。

いや、レストランじゃない、食堂。

その食堂の名前が、「かたつむり」。

この「かたつむり」ってのが、和・洋・中・沖縄・アジア、
なんでもござれの すごい食堂なんだ。

倫子は 半端じゃない努力をして 腕を磨いてきたようだ。



料理というものは すごく体力を使う。

それに プロともなれば 道具ひとつとっても
とんでもなく重い。

腕力が要る。

それから 美味しく作るためには 気力も使う。

一日に一組しか客をとらないレストランともなれば
相当 気を使うはず。

それができる倫子は 愛情深く育った娘のはず。

実際、体は丈夫なようだ(笑)。







こぼれ種から育ったルッコラ。冬中元気。食べきれない。






羨ましいのは、食材の入手方法だ。

まず、運転ができない倫子に代わって
遠い所や 重いものは 
‘熊さん’が軽トラックを使って運んでくれる。

‘熊さん’は 倫子にとって 一番の、
ありがたく 頼もしい仲間だ。



そして、自然。

誰しも 生まれて育った土地の自然というのは
一番美しく 郷愁を誘うものだとは思うけれど。



「ざっと見回したところ、食材にはあまり困らなそうだ。

 棚田には、重たそうに頭をたれた稲穂が
 こがね色に光っているし、

 山里なので、新鮮な野菜は
 動物にまでお裾分けできるほど たくさんある。

 都会のように 浄水器やミネラルウォーターをわざわざ買わなくても、
 近くの泉に行けば 冷たくておいしい湧き水が
 二十四時間いつでも手に入る。

 広大な牧場には、牛も、ヤギも、羊もいる。

 新鮮な牛乳に事欠くことはない。

 チーズにも挑戦できる。

 ちょっと行けば 養豚場も養鶏場もそろっているから、
 新鮮な豚肉も、地鶏も地鶏卵も手に入る。

 何といっても、これからはジビエの季節だ。

 (ジビエとは 狩猟によって捕獲された野生の鳥獣を言うらしい。
 フランス語らしい。)

 漁師さんにお願いすれば、獲った獲物をわけてもらえるだろう。

 それに、この村は 山に囲まれているけれど 海にも近いので、

 車で行けば 新鮮な魚介類も手に入れることができる。」(p43)



その上、山の斜面にはブドウ畑があって 地元産のワインもいけるし

お米もお水もいいから 当然 日本酒は美味しいのがいくつもあって

果樹園や ハーブ畑もある、という。

よだれが出てこない?(笑)

その上、‘おかん’が畑を持っているんだって!








こういうのを、「理想郷」と呼ばずして、何と呼ぶ?

私なんて、畑が欲しくて うずうずしてきちゃう。

以前は3坪の畑が欲しい、と言っていたが
今は6坪くらいあってもいい、と思っている。

プランターで育てたヒョロヒョロ野菜でも
可愛いし 無農薬だし 
美味しいし 安心だし 新鮮だ!



けど
もっと広い畑を貸してやるから、遠慮するな、と
以前 義さんに言われたが
それだけは遠慮しとこう(笑)。

草むしりさえ 間に合わないのに 収穫なんてできない。

でも いつか もっと
自分で育てた野菜を 食卓に載せてみたい。

これは、私の夢だな。







七草に使った後、根っこを鉢に植えておいた セリ。
その後2、3回 収穫して 吸い物などに使用。また そろそろ使えそう。






倫子の料理を食べて 人はみな 幸せになって行くようだ。

料理というものは みんな 魔法の力を持っている。

料理人という人は 魔法使いなのだ!



確かに 料理には 魔法の力がある。

特に 心を込めて作った材料を 心を込めて調理して
心を込めてサーヴしたら
それはもう 魔法の薬のようなものだ。

だから この本に出て来て 倫子の料理を食べる人たちは
人生が変わるくらい 古い心の鎧を脱ぎ捨てたり
願い事が叶ったり 恋愛が成就したりするのだ。



そういえば ‘命のスープ’というのが話題になった事がある。

スープひとつで 命を救う、そういうことは きっとある。

食事で 冷えや がんや ノイローゼや うつや 多動性障害が治る、
そんな事だって きっとあるに違いない、と思う。

食事というものは 口から直接 身体に入っていくのだから
当然、そんなことも起こり得る、と思う。

それくらい、食べるものは大切なのだ、と思う。

だから 特に若い人には ‘食’を 大切にして欲しい、
と願っている。






倫子が 故郷へ帰るときには 荷物はほとんどなく、
大きなカメに入った 祖母の 古いぬか床を抱いていたのだった。



新聞の 家庭面の投書に
ひとり暮らしを始めた娘から
ネットで 50年物のぬか床を買ったと 電話が来た、
とあったのは
昨日のことだったろうか。

ぬか床は ネットで注文する時代になった。。。



手間を惜しまない精神こそが 
伝統として 親から子へ、孫へと 
伝わっていってくれたら、と願う。

私から 子ども達へは 
伝わるはずもない、と思う。。



『もっと健康、もっと幸せ!』

2007-10-20 | 読書
『地味めしダイエット』の横森理香氏の著書、
これも集英社be文庫(笑)。

(副題:愛しの筋腫ちゃんpartⅡ、2004年3月25日、600円)

著者がこの本の中で言いたいことはいろいろあるんだろうけれど。







昨日は旧暦の菊の節句、重陽だった。 これは先週の写真、昨日は満開に!





「人は マインドを変えると、

 もっと幸せ、もっと健康になれる。」

ということを言いたかった本なのだろう。

その マインドの「思い込み」に 子どもの頃の記憶が
大きな影響を与え、
成長した後も 影響し続けている、という話が 
最初に書かれている。



「人間の心の87パーセントは、
 3歳までの教育にかっかっている」(p23)

「だから残りの13パーセントで 
 人は努力して 
 自分のネガティブな心を治していかなければならない」(p24)

というヒプノセラピストの話に
私は興味を持った。



著者自身が 幼い頃 母親に

「ほら、ちゃんと足元を見て歩いて!
 
 危ないでしょう!

 すぐ転ぶんだから!」

と怒られながら育ち、 
いつも足元を見て つまづかないよう気をつけるようになったという。



結果、
姿勢が前かがみになり、

そのせいで
歩き方がヘンテコに、足の筋肉の付き方もヘンテコに。

そして ヘンテコな体型を作り出しているのは
実は 今現在の自分自身なのだ、という話だった。



著者は そこで はっきりと言っている。

「小さい頃、
 親から否定的に育てられた子は
 一生 その責め苦を 自分の心から受けることになり、

 ポジティブに育てられた子は、
 自分に自信が持て、
 素直に幸せになれる。」と。

「私たちは 決して、
 その同じあやまちをおかしてはいけないのだ。

 子供たちにしてあげられるもっとも貴重なプレゼントは、
 3歳までは とにかく
 肯定的に育てること。

 できる限り
 叱ったり、怒ったりはしないで、
 可愛がって可愛がってそだてるのだ。」 と。



ああ、もう、遅いよ!(苦笑)



そういう彼女の夫という人は、

「生まれてこのかた、
 親からも じいちゃんばあちゃんからも
 怒られたことがあまりない」

という人物。

彼女の母親というのが、また、その正反対(笑)。

いや、「普通」、と言うべきか。

母親というものは 心配のあまり
ああだ、こうだ、と 
口うるさく言うのが役割、みたいなところがある。

(ウチの亭主も 私にその役割を全うするように注文をつける。)

(だけど、もう、面倒になっちゃって;苦笑)

おまけに、ちょっと前まで(20年くらい前?爆)
学校の先生も、そういう役割をになった人たちだった。

(当然だ、とは思うんだけども。)








この季節には菊の鉢植えを飾りたい、といつも思っていた。
けれど 例年 忙しいこの時期には 買い物に行けなかった。
これが、念願の、菊の鉢植え(笑)。
今年のテーマカラーの白を探した。





私の母も、そりゃあ、もう、口うるさかった!

しかも、口から出てくる言葉というのが、
全部、否定的!!!

「ほら、足元見ねえど、転ぶど。」は、当然、

「ほれ、もっと着ねえど、風邪引くど!」は年中、

「ほったこど やってっと、○○になっと!」とか

「ほれ、見ろ、おっかさんの言うとおりにしねがらだ。」とか、

なんというか、もう、娘ふたりに暗示をかけて
母の言うとおりにしていないと 不幸になる、と
見事に信じ込ませていたように思う。



ことに 姉は 
口答えはするくせに 
結局いつも 母の言う通りにしてきた。

暗示は 私よりも 姉には効果的に効いていたのではないか。

そして 私たち姉妹は 素直な良い子で(笑)、
母の言うとおりにしていないと、
本当に転んだり風邪を引いたりしていたものだ。




著者の母親という人も そうとうな方であったようで、

心配をしている、という愛情と

心配させてほしい、という欲求とで

著者のいうところの「呪いの言葉」を発するのだった。

それに対し、彼女の夫は
呆れるほど能天気に言葉を返すのだそうだ。



「能天気は、昔はアホの象徴だと思っていたが、

 いまではその素晴らしさが分かる。

 能天気な人は、幸せに生きる天才なのだ。

 この日本で 不幸の洗礼を受けてない、
 天然記念物なのである。」

と著者は言う。

そう・・・・・・・・・かも、しれない。。(苦笑)。