ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

『折り梅』

2005-05-31 | 考えたこと
映画『折り梅』を ビデオに録って
亭主と見たのは 年が明けてからだった。

興味もあるから 録るには録ったが
見る気がしなかった。

というより、怖かった。



以前 脳内出血で倒れた 千秋実という俳優が
復帰して ボケ老人を演じた映画を
(たしか、『はないちもんめ』というタイトル)、
姉は 泣けて泣けて まともに見られなかった、
と言っていた。

もちろん 脳梗塞で倒れた父と 
二重写しに見えてしまうから。

テレビで放映したのは いつごろだったろう、
私と亭主は 恐る恐る デッキにテープを入れた。



吉行和子の演技が光っていた。

役者ではない人が 不自然で 気になった。

お寺の境内にある 痴呆(認知症)の老人たちの
デイケア施設に通う人たちは
演技をしていなかったと思うが、
自然体で、そして やはり 呆けた顔に見えた。
(実際は役者さんたちだったかもしれないが。)

何人もの通所者や職員が
本堂や墓石が見える境内で 風船バレーに興じていた。



見始めて間もなく、
吉行和子の演じるお婆さんが どんどんボケていく。

それを見るのは 恐ろしい気分だ。

でも これは映画で、演じられているものだと
わかっているから 見ていられる。

そして 亭主が 初めて口を開いた。

「ウチのお婆ちゃんは 早く施設に入れることができて、
 よかったな。」



いいはずはないのだ、母親がボケたのだから。

けれど 映像の中の演技は
そういう家族をひとり抱えてしまった家族が
(嫁を演じていたのは 原田美枝子)
どんなに大変かを 映し出していた。

亭主も私も ほっとしていた、というところはある。

「あんなふうになっちゃってからじゃ、
 大変だったな。」

私は 画面に目を向けたまま 深く頷いた。



歌手の加藤登紀子演じる先生の言葉がある。

「人は 誰かに 認められている と 思えなければ
 生きてゆけません。

 そばにいる人に ありのままでいいんだ と
 受け入れてもらう事が 必要なんです。」



この言葉は なにも 認知症の人に限ってのみ
言えるものではない。

実は 
私は本当に必要とされているのだろうか、
存在する価値があるのだろうか、
何にも役に立ってやしないんじゃないか、
本当は いなくてもいいんじゃないか、
と思っている私には
特にこたえた。

義母やら 自分自身やら・・・・・・。
悲しく胸を打つ言葉だった。

新じゃが

2005-05-31 | なんでもないこと
ようやく地元のジャガイモが 
産直コーナーに並ぶようになった。

小さめの物を選んで買ってくる。

油でじっくり素揚げして、
濃い目のあまからのタレにからめるように
さっと煮付ける。



・・・・・・はずだったのだが、
うっかり じっくり 煮込んでしまって、
味が濃すぎ!

うふふ。

2005-05-30 | なんでもないこと
家の西側にも 奥行き30センチの庭ができた。

こぼれ種で増えたアルケミラ・モリスで 
いっぱいになった。

これっぽっちの庭だけど、
もう何年越しかで 
やっと思い通りに近い様子になったので
嬉しさが こみ上げてきてしまう。

水はけの悪いところで よく増えてくれた。

フクシア

2005-05-30 | なんでもないこと
高温多湿に弱いと言われる花は
植えるのをあきらめていたはずだった。

フクシア(ホクシャ)もそう。

それが、つい。

また、ワン・シーズンで 
駄目になってしまうかもしれない。

それでも 精一杯 風通しの良いところに
置いてあげようと思う。

梅雨のはしり?

2005-05-30 | なんでもないこと
今朝の散歩は 時折 小雨がぱらつく中を 歩いた。

あまり雨が降らないと 
植物達は のどが渇いたような顔になる。

うっすらと曇って 雨がサラサラと降るようなときは
のどを潤しているかのようだ。

今朝は だから みんなほっとしたような
なごんだ顔をしていた。

よそのお宅のバラも
この時期は 誰にでも やさしさを振りまいてくれている。

突然の入所

2005-05-29 | 考えたこと
義母の入所は突然だった。

その日は 確か 三度目の 体験入所だった。

もうあと二回ほど お泊りを体験してみて
入所先を確定して、そして それから・・・・・・
そんなことを想定していた。

2004年の秋だった。


ssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssss

土手に咲いていた花。

キツネアザミに似ているが、葉が写っていないので
確定できない。

ssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssss


そのグループホームの話では、
近い将来 手のかかる人が 入所してくる予定がある
とのこと。

もし うちに 入所してくる予定ならば
その人が入ってくる前に 
うちに 慣れていてもらいたい。

だから、
今すぐ 入所してはもらえないだろうか。



見かけによらず 堅実派の義弟なら
怒って断ったろうと思う。

穏やかで 当たりが柔らかいけれど
決断力に欠ける義父は
どうしよう・・・と思っているうちに
一年ぐらいは経ってしまうと思う。

けれど その時 その場に
ウチの亭主が居た。



めんどくさい事は 後回しにしない。

とにかく 何とか やっつけて置く。

その場に居る人の心を 傷つける事があっても。

それが 最終的に 的確な判断だったとしても、
良くも悪くも、
亭主には そういう行動特性(?)がある。

亭主の決断で
義母は 体験お泊りの日に 突然、入所した。



直後に 義弟が実家に行って
義母の身の回りのものを
あわててグループホームに持って行った。

そして 間もなく 我が家が 一家揃って
実家に赴き、
足りないものを 持って行く事になった。



義父は痛々しいぐらい 一生懸命だった。

「○○(義母)は 足元が冷えるから。」
と言って、朝から電気屋へ出かけて 
電気あんかを買って来た。

「椅子がないといけないから。」
と言って 途中でホームセンターに寄り、
折りたためる椅子の中で 安定の良いものを選んだ。

個室は狭いので 折りたためないといけないのだ
ということだった。



義母の入所したグループホームは
まだ新しく きれいな施設で、
職員も感じがよく、
入所している老婦人なども
落ち着いた、感じの良い人がいた。

(全員がそう、とは 限らないが。)



そこへ着いて 衣類やらなにやら
荷物を紐解いていると、
出たり入ったりしている職員に
「あんかは やけどをする恐れがありますから
 持って帰ってください。」
とか
「折りたたみの椅子は 危ないので
 お帰りになる時には 手の届かない高いところに
 しまってから お帰りになってください。」
とか
義父の主張を鵜呑みにしていた私たちには「???」な
事ばかりを言われてしまった。

確かにいちいちもっともな事で、
私たちも よく話を聞いて 納得して 
言われた通りにすることになった。



衣類は 「女の服はわかんねえから。」と言われ、
私の出番と 張り切っていたのだったが、
義弟がきちんとしていてくれて、
私の出る幕は ほとんどなかった。

夫や息子たちや 孫たちの愛に包まれて
義母のグループホーム人生は 始まった。

娘の運転

2005-05-29 | こどものこと
娘が 合宿免許で 卒業検定をパスして
なんとか 大学の授業が始まる前に帰ってきた。

‘最短○○日!’とうたい文句にある最短日数より
一日だけ オーバーした。

一緒に行った友人も 別のところドロップして、
仲良く一日オーバーで 一緒に帰って来たらしい。

なかなか優秀!
と 親ばかな私は 密かに誇りに思ったのだったが。



県内の免許センターに行って
無事に 免許の交付を受けてきた。

合宿中から マメに送ってきていた習慣からか、
メールをくれたので
「合格したら 眉毛を書けよ。」
と送ってやったら、
「どーゆー意味だ
と返事が来た。

放っておいたら、
「眉毛描いたよ
とのメール。

無事に合格したらしい。



娘の運転する車には 今までに3回乗った。

道路を走行する時は 絶叫マシーン、
駐車する時には 爆笑マシーン、
くたくたに 疲れる。



最初は 亭主が助手席に乗って
亭主のワゴン車を運転した。

「きゃ~~~、どうしよ、どうしよ!?」
と叫びつつ 黄色信号で 交差点に突っ込む。
(まあ、当地では しごく当然の走行方法だが。)

次には
私の小さめの車に 若葉マークをウキウキ貼り付けて。

「きゃ~~~、どうしよ、どうしよ!?」
と また叫びつつ、対向車が来ているところで
減速・右折。



三度目には 駅前まで まあ順調に行ったが
銀行の駐車場の 駐車位置に入れるのに 四苦八苦。

今まで見た事もないほど空いていた駐車場が
お昼のサイレン(笑)の直後に混んできて、
昼休み中に用事を済ませようと焦ってる(?)利用客に
クラクションまで鳴らされて。

窓の中から 相手の車に向かって
「待ってろ!」と(聞こえないように)毒づきつつ、
「さー、ゆ~~くり、行ってみよう。」
と 運転席の娘を促す。



あと どれくらい こんな運転に付き合うべきか?
免許って、交付を受けたからって、
すぐには 運転できないものだったんだ?


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写真は 目立たない地味な花木。
カルミアの原種ではないかと 勝手に想像している。

撫子

2005-05-29 | なんでもないこと
ご近所の この撫子は 私の好きなタイプ。

撫子も いろいろ種類があるが、
花の色が 薄いピンクで
葉っぱの色が 白っぽい緑。



娘が通っていた私立女子高の校章には
撫子が使われていた。

三つある校訓の 初めのものは
なんと「清純」だった。

目指す女性像が メチャクチャわかりやすい高校だ。

だのに、在校生たち、
イマドキの女子高生たちには 
伝わっていなかったように思う。

まあ、なでしこジャパンの活躍なんかを見ていると
‘大和撫子’の定義は 
時代に合わせて 変遷してきてるんだな、
とも 感じるのだが。

千鳥草

2005-05-25 | なんでもないこと
若い方へ : デルフィニウムです。

年配の方へ : 千鳥草といいます。(笑)



今年も千鳥草の季節が来たらしい。

いつものお宅の奥さんから 切花が届けられた。

サラリーマンの奥さんだが、
もちろん、畑がある。

その半分を 花畑にして、
その一角を この千鳥草が占める。



私も種をいただいて 蒔いたことがあるのだが
土が悪いせいか、嫌われて、
ひとつも芽がでなかった。

植え替えを嫌うというので
それからは 蒔いたことがない。

初めて見た時に一目ぼれした花なのに
悔しいこと。



この花に 水色やピンクの
ぽってりまるい花びらのバラや
細い花びらのマーガレットなんかをあしらったら
高橋永順さんの アレンジみたいになるだろうか。

ノルバデックス

2005-05-25 | 乳がん
ノルバデックスは すごくポピュラーな乳がんのお薬。

私の通う病院では 入院・手術の後、
閉経の前後を問わず、5年間の服用を言い渡される
(ことが多いようだ)。

それどころか、
大きなビニール袋にいくつかに分けて入れた
5年分のノルバデックスを 
ど~んといっぺんに 退院のころに渡されると
聞いたことがある。


nnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnn

これは 黄緑色の ギボウシ。

矮性種らしく、何年経っても 葉の大きさも控えめで
日陰を明るくしてくれる。

nnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnn


私は 毎月 ホルモン療法の注射のために
病院へ行くので
三か月分ずつ ノルバデックスをもらってくる。

そうして、これを 5年間、
毎日 毎日 飲むのだ。



私は よく飲み忘れる。

たいてい 日・祭日に。

子供の学校が休みで、ちょっと朝寝坊するから。

朝寝坊すると、朝ごはんを食べながら
仕事が始まってしまい、
食事の合間に ドタドタと動き回り、
食事の終わりが ハッキリしないから。

食事の後に 食後がなく、
後片付けをせずに
ど~~っと 仕事に入ってしまうから。



お昼に気がつけば、飲むように言われたし、
飲むようにしている。

けれど 忙しくて ドタバタした日は
お昼になっても 気がつかない事が多い。



青汁で お薬を飲むようにしてからは
青汁を溶かすシェーカーを 使った形跡があるかどうかで
今朝 お薬を飲んだかどうかを 判断して
後から飲む事もできるが、
朝食の後片付けをしないでいると
そんなことも忘れてしまっている。

夕方近くになってようやく
「あ。・・・・・・今日も飲み忘れた。」
と気がつく。



今週の日曜は 久々に飲み忘れた。

朝 いつもよりゆっくり起きたのに
散歩をいつもの距離歩いてしまい、
帰ってきてからが バタバタだった。

体重も 体脂肪率も 今年は 思ったほど落ちないので
少々焦り気味。

土・日でも 4キロ歩こうとしている。

ノルバデックスのせいでもあるのだが。

体験入所

2005-05-24 | 考えたこと
2004年の夏は 台風による被害の多かった夏。

台風による被害はなかったが、
雨や風が強い夜に
私は 少しドキドキしていた。

義父はもっと不安だったろう。


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このギボウシは 青緑色。
 
大きくならない種類だと思っていたが
精一杯 大きくなってくれたので
堂々としている。

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イバラキの亭主の実家も 私の実家も
それから当地も
周りに 老人施設が 急に増えた。

新しくて 大きくて ちょっとモダンな建物ができると
たいてい老人施設だ。

亭主の実家の周りにも
グループホームは いくつもあった。

その中で 距離や所要時間や 設立団体やらを見て
いくつかのグループホームにしぼり、
義母に 一晩のお泊り体験入所を
してもらうことになった。



義母の体験入所の日に限って
台風が来た。

雨の音 風の音に 義母は怯えていないだろうか。

「お父さんのところへ 帰る。」と
駄々をこねていないだろうか。

私でさえ 考えたのだから、
亭主はもっと不安だったろう。

そして、義父は、もっともっと 心配していただろう。



心配は杞憂に終わった。

体験入所は しごく円満に終わった。

義母は疲れもあったのか、
新しくて綺麗な施設の中で
ぐっすり眠ったらしい。

特に問題もなかったという。



気が抜けたのは 義父のほうだったろう。

考えてみれば、義父の住む 亭主の実家のほうが
風雨の音は 激しかったはずだし。

日陰の庭は

2005-05-24 | なんでもないこと
日当たりが悪くても 
特に夏の庭は それなりに明るい。

花も選べば 綺麗に咲いてくれる。



花は 一年草が 長く咲いてくれる。

そうでないものは 花が咲くのはほんの一時。

あとは 葉っぱだけ。

だから 気に入った葉っぱのものを 植えたい。



日陰の庭では 
私はなるべく 薄い色のものを植える。

花も、葉っぱも。

花なら、なるべく白っぽいもの。

葉っぱは なるべく 白っぽいものとか
斑入りのもの。



一日中 日の当たらない場所には
ギボウシも 白い斑入りのものを植えた。

パロット、じゃないな、パイロット・・・?
そんな名前が付いていたと思う。

ギボウシ・寒河江

2005-05-24 | なんでもないこと
これは 私が ガーデニングを始めた頃に植えたもの。

日の当たるところが ほとんど無いので
開き直って、
この‘さがえ’と言う名前のギボウシを植えた。

実家にあったのと 同じだったから。

一番オーソドックスで、
一番美しいギボウシだと思ったから。

そして そこらじゅうにあったシダを
根元から掘り上げて 周りに植えた。

それなりの シェード・ガーデンになった気がした。



今は 建て替えをして 日当たりも変わり、
夏になると 葉やけを起こしてしまう。

この写真は 今月始めの頃のもの。

今は 可愛げの無いほど 大きな葉っぱになっている。

なるほど、お寺の本堂の欄干のてっぺんにある
擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ)のような形をしている。

ショウブ

2005-05-22 | なんでもないこと
五月も下旬だが、
ショウブの話題。

花が咲いた。

地味っ!



数年前、河に出かけて、
これだ! という植物を引っこ抜いてきて、
ゴミバケツに植えた。

セサミ・ストリートのモンスターが潜んでいそうな
大きなポリの蓋付きゴミバケツだ。

たぶん、ショウブだと思う。

以来、我が家の菖蒲湯には、これを入れる。

たしかに、ショウブの匂いがする。



泥に植えたら 簡単に根付いて、
春になると角ぐむ。

太い 節のある茎が ぐにょ~んと曲がって
バケツの外にはみ出すと、
そこにこんな花をつける。



まだバケツにたくさん生えているから、
今夜からも毎晩 
菖蒲湯というハーブ・バスを楽しもうか。