ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

途中下車~中目黒の桜~

2007-03-31 | なんでもないこと
昨日は いつもの 整体・歯科医・鍼灸の
治療院めぐりの帰路に、途中の中目黒で下車。

もちろん、デジカメを持って。

だって、桜が、満開!





駅のすぐ脇を流れる?目黒川、
そのほとりを埋め尽くす、桜、桜、桜、桜・・・。





眺めているだけで 嬉しくなっちゃう。

私って、単純?



たくさんの人が 
一眼レフの巨大なレンズのカメラや ケータイで撮影中。

橋のたもとで 誰かが言った。

「日本人って、写真が好きなのね~。」

好きですよ~、私も。

意味なく、撮りたくなるもん。

でも ブログに載せるから、意味、あるよね。



水辺の桜が美しいのは

低いところに枝がしなって伸びても
通行の邪魔にもならないし
切られたりもしないから
桜が 思い切り枝を伸ばせるからだろうと思う。





投書か何かで読んだが
どこかの街では
邪魔になる桜を 
ちょうどこれから花が開く、という時期に剪定して
切った枝を通行人にくれるのだとか。

近所の人はそれを知っていて 待っているらしい。

思いがけず通りかかって
思いがけず太い枝をもらった投書の主は
帰り道で 人の目が気になったという(笑)。

役所の仕事だとしたら すごく粋なはからい。



天気も回復して明るい日になり、
ちらほらと散りはじめた花びらも風情がある。

まだ 水面を彩るほどの散りぎわでもなく、
ちょうど見ごろに訪れることができて嬉しかった。

その美しさを カメラで切り取る腕前がないのが残念。






癌の手術後、放射線治療が終わってから通い始めた路線だから
これでもう4回目の春?

この春
その放射線治療に通う時に作ったJRのSuica定期券で
地下鉄もスイスイ行けるようになった。

それまでプリペイド・カードを使っていたが
格段に簡単・便利!

中目黒駅もスイスイ。

中目黒は 乗り換え駅なので 今まで降りたことはなかった。

初めて駅を出て 花の下を歩いた。

ここから恵比須まで たぶんSuicaを使っても
初乗り運賃を取られると思うけど(ちょっと高いよね)
昨日は 最高に楽しい途中下車ができた。

(でも 急いで 見て 歩いて 写真撮って
 いつもの電車に乗って家に帰ったよ。)




昨日の夜のNHKの『春うた』という番組は
録画して まだ全部見ていない。

春の、そして 桜の歌は いいものが多い気がする。

楽しみ!



追記:4月2日

   『春うた』、昨日 見終わった。感想は色々(笑)。

   アンジェラ・アキの 「桜いろ」が好き。

追記:4月5日

   「桜いろ」じゃなくて、「サクラ色」だった(汗)。



桜ばな いのち一ぱいに咲くからに 
    
       命をかけて わが眺めたり 
  
                        岡本かの子

焼畑じゃないよ

2007-03-31 | 明るい農村
焼畑、じゃなくて、これは、火事。



この冬は 近所で 火事が3回あった。

いずれも、我が家の裏手の土手の向こうの、川原の火事だ。

川原に茂った葦が 最初に焼けたのは 風の静かな日だった。

ああ、燃えてくれてる、そんな気分で見ていた。



次に 燃えたのは 静かだった風が
突然強風に変わった昼過ぎだった。

いつもの土手に上がっていくと
近所の人が集まっていて
「誰かが火をつけたらしいよ。」と聞いた。

「あら、どうせなら午前中にしてほしかったのに。」なんて。

前回よりも 我が家に近くになっており、
消防車の台数も増えていた。



今月の火事は
ほんとうに我が家の真裏だった。

一日中 どうしようもない強風がふきまくっていて
だれも焚き火をしようとは思わないような日だったが
火事は起きた。

強い西風にあおられて火は進み、
かなりの距離を焼いた。



私が 消防車の台数にビックリして見に行った時には
まだ安全そうだったのに

どういう火の加減・風の加減だったのか

火は 土手を越えて 
こちら側まで 這いわたってきていて

翌日の散歩でそれを見て ゾッとした。



土手も川原も 管理は国土交通省。

土手の下の葦原は 市が一括して借り上げて
近所の農家などに貸してくれている。

近年 畑の作り手が急激に減少して
それまで借りていた畑を 返納する家が増えてきた。



畑の担い手が高齢化し、あるいはいなくなり、

引き継ぐべき若い者は
ムラの外に勤めに出ている。

または、ムラの外の生活に手一杯だったので
農作業という知識を 相続しそこねている。



この火事は そんなこんなの果てに起きている。

夏には 草を刈って丸めて 巨大な茶筒型にして
どこかへ運んでいくので
牛の飼料になるのだと思う。

その後に生育して 枯れ上がった草を
近所の農家も 
市役所も(ムラは今では市に属している)
国土交通省も
放置しているのだ。



以前は 近所が力をあわせて「野焼き」のようなことをやったそうだ。

今は手が足りない。

若いもんがいない。

市も 手が足りない?

こうして タバコの火の不始末かなんかか
あるいは
誰かがわざと火を入れるかして 葦を燃やしておかないと

川原は ゴミの不法投棄の絶好の場所になる。

土壌や川の汚染にも 繋がるかもしれない。





いや、それより、

川の向こう側で 以前 死体が見つかったという事件もあり、

葦を 生い茂ったままにしておくのは
近所に住む者にとっては
不安でならない。

子どもだけでは 土手の向こう側に行ってはならないきまり。

イマドキの子は そんな決まりごとは 破るためにあるもの、
とは 思わないのかもしれないが。



娘が小学生の時。

あれは 夏休みに入る前だったのだろう、

土手の向こう側に行く時は
大人の男の人と行くように、と先生に言われて来た。

お母さんでは 防ぎきれないかもしれないような犯罪の温床、
それが葦の原。

冬休みの前には 娘は
川原に遊びに行くときには
白い服を着て行かないように、と言われて帰って来た。

小さい子は ウサギと間違えて 鉄砲で撃たれるかもしれないから
というのが その理由だった。

茶色いセーターを着ていけば あるいは 赤や青なら 大丈夫なのか?



考えすぎると 生きていけないから、
いい加減なところで 思考を止めよう(笑)。

焼畑

2007-03-26 | 考えたこと
途上国が抱える諸問題のひとつに 環境破壊というのがある。

娘が行った国では 
電気を売って外貨を稼いでいる。

発電所が発する公害の部分は この国で引き受けている。




今年のテーマ・カラーは、白。
アクセント・カラーに選んだのは、濃紫色。



以前は ゴミと言えば 土に還るものだった。

けれど 
好むと好まざるとにかかわらず輸入される様々なものは
腐らずにゴミとして残ってしまう。

ペットボトル、インスタントラーメンの袋・・・。

ゴミを分別する、とか 集めて捨てる、とかいう観念がないので
この国はゴミ問題は深刻化しつつある。



その上に 焼畑というのがある。

イバラキの実家の辺りでも 当地の周辺でも 
焼畑という作業をする習慣がないので
私は焼畑と言うものは見た事がないのだが

この国では 農業の基本にあるようだ。



焼畑見学、というのが 娘の帰国前にあったらしい。

娘のケータイの写真に写るこの村の地面は赤く、
関東ローム層にあった イバラキの中学校のグラウンドを思い出した。

この国の焼畑は 
畑にしたい(不発弾のない)土地に生えている木を切り倒し、
火入れをして焼き、
陸稲の種を蒔く。
 
収穫後 数年間 土地を休ませ、
木々がまた大きくなって 林や森になるのを待って
また 木を切り、焼いて、畑にする。



通常は次の作付けまで10年くらい置く畑を
(10年で 大きな森や林になるらしい!)

娘が行ったS村では
2~3年で また焼いて使うらしい。

帰還難民の村なので、農耕地が決定的に少ないのだ。

土地がないので 
畑を次々に使いまわさないと 食べてゆけないのだ。

小さな藪になった状態で焼畑にして種を蒔く。

土地はどんどん痩せてゆく。

一年分の米は収穫できない。



「東南アジアの焼畑? ああ、森林破壊ですよね。」

そんなふうに言ってしまっていいのだろうか?

彼らは 彼らなりに 
今あるもので 必死に食べつなごうとしているのだ。

生きるためなのだ。






大切な財産である家畜(牛、豚、鶏など)に食べさせる草地がない。

乾季には雨が降らず、作物が育たない。

餌にするトウモロコシなどを植える土地がない。

畜産業も 行き詰っている。

そんな村の お父さん・お母さんたちが望んだ援助、
それが 学校建設だった。

こんな状況を打破するものが 教育なのだ。



たとえば東欧。

混乱の後 政情が安定した国では
教育熱が高まると聞く。

それは 
為政者が変わろうと 政治がどうなろうと
身に着けた‘教育’という財産は 
決して奪われることがないからだという。

必死に働いて
子どもらに教育を。

そう考える村の大人たちの気持ちを考えると
貧しかったころの私の両親を思い出して 涙がにじむ。



「おめだちには 土地も屋敷も残しでやれねえげんど、
 借金してでも 学校さ出してやっかんな。」

ありがとう、充分学校に行かせてもらったよ。 

あの頃 私は覚えてないけど
自分はお腹がすいてても 食べるのを我慢して
私たちに食べさせてくれたんだよね。

だから 体が弱かった私が
こうして生きてこれたんだよね。

子どももふたり授かって
(癌も授かったけど)それなりにやってるよ。

・・・・・・関係ない話になってしまった。。。



食べるに事欠くような家族が
子どもをひとり売るだけで
残りの人生を暮らしてゆけるだけのお金が手に入る。

「人身売買なんてとんでもない、やめるべきた。」

そう口に出して言うことは簡単で 正しいことのように思える。

けれど 本当にそれは正しいの?

「それは悪いことだ」なんて、私たちに言えるの?

言えない。

娘のレクチャーのメモには 
そんな話があったことが記されている。

私も さまざまなことを考えさせてもらった。



最近では 
(湿疹のないキレイな顔の娘の!)写真が送られてきたり 

一緒に行ったメンバーで新宿で飲む、とか言って
朝帰りしたり。

くそう。。。うらやましい限りだ(笑)。

プチ*ウルルン(3)

2007-03-22 | こどものこと
久々の登場、帰国後、ソファーで眠る娘の生肌(爆)。
右に見えるのは 命の次に大切?な、彼女のケータイ。



娘の帰国第一声は、
「永住したい!」
だった(爆)。

そうか、そんなによかったか。



以前 娘が 高校卒業直前にホームステイした国は
アジアと言えども 今回行った国よりもずっと豊かで

しかも娘の高校と提携している都会のミッション・スクールに
娘を通わせている家庭での滞在だった。

今回は 前と全然違って、ずっと良かったらしい。

食べ物も臭くなくて美味しかったという。

(娘はどうやら ナンプラーの臭いがダメなのだ。)



どこがそんなに良かったの?

この質問に 娘はハッキリとした言葉で答えられなかった。

村の人々の 雰囲気、が良かったらしい。

自然崇拝があり、仏教徒が多く、
感謝と笑顔の国。

自然に美しく合掌をする子どもたち。

そんな姿に打たれたらしいのだ。

治安もいい。

それは 悪いことをしよう、とする人が
現代日本では考えられないくらい 少ないから、らしい。

日本人が 経済の成長と共に
どこかに置き忘れて来てしまった、何か。

その何かに 溢れている国、ということなのだろう。



ところで・・・。

出国の前から 私が気にしていたこと。

1)腰痛。娘は骨盤が歪んでいる。
   
   作業で痛みがあったらしいが
   途中からやたら元気になったので
   歪みがとれたんじゃないか?と聞かれた。

   いや。まだ、歪んでるよ(涙)。



2)アトピー。最近凄さを増していて 痒がるし、掻くし。
   ヒジの内側なんか、どす黒くなっていた。

   治った!

   嘘みたいにピッカピカのお肌。

   やっぱり 朝起きて 昼動いて 夜寝る、
   このリズムが大切なんじゃない?

   それに、何と言っても やっぱり食べるものだよ!!!!!!

   もっとも、帰国後の生活で 瞬く間に アトピーは元通りに(涙)。



3)花粉症。ちょうど、シーズン。

   そしたら、なんで?

   花粉症もなかったらしい。

   せっかく薬も持っていったのにね!




先日 日曜夜のテレビ番組「世界ウルルン滞在記」で
地雷の撤去に粉骨しているオトウサンを見た。

危険な仕事だが これをしなければ
畑を耕すことができない。

畑を耕さなければ 飢えも貧困も克服できない。

大変な、重要な仕事だ。



この番組を見た視聴者から
ボランティアとして働きたい、という申し出があったらしいが

行ったらすぐにできる、という仕事ではないことを
理解して欲しい、
ということだった。

道具も必要なら 経験も 専門知識も必要。

けれど 命を捨てるような覚悟はいらない、
決して怪我をしたりせずに 毎日 毎日 続けてもらえなくては。

そういう仕事なのだろうと想像した。

(けれど、実際には、命がけ。。)



それから 食事は 
以前はみんなで当番制で作って食べていたそうだが
今回は食材でなく 食べ物を買ってみんなで食べることに。

これも 自分たちで作る、となったら
娘には負担が大き過ぎたはずだ(爆)。

毎日 安全で美味しいものを食べて 
健康になって帰って来たんだよね。

美味しい現地のビールも 毎日飲んだんだよね。。





ビールはお土産に1本持ち帰って来てくれたが
すっきりとして美味しかった。

ひな祭り用に買っておいた
‘よいこのびいる’と一緒に 家族で飲んだ。

いや、違った、

‘よいこのびいる’は家族で飲んで、
某国のビールは 娘と私で飲んだんだ。

ちなみに、菱餅も 娘の帰国まで 食べずにとっておいた。

先進技術の真空パック、バンザイ!



実はまだ学校は完成しておらず、
完成した後には 
娘を含む団員の名前の書かれたプレートが付けられるというので
娘はその時に また行きたいと言っている。

「そんな暇とお金があったら、行っていいよ。」

今回の渡航費は コチラで出した。

「そのくらいの貯金はあるもん!」

でもその後 娘は暇がないことに気が付いた。

可愛そうだけどね。



娘が行った某国では
26%が貧困層なのだという。

けれど 人々は 微笑を絶やさず
地域の共同体を守りながら 穏やかに暮らしているという。

ボランティアに参加しているのは 学生のみではなく、
一般の人も 休暇のやりくりをして 参加している。

何度も繰り返し参加している人たちは
決して暇人なわけではなく、

きっと 行くと 現地の人たちの 優しさと笑顔に癒されて
また行きたくなってしまうのだろうと思う。

これから娘が 
繰り返しツアーに参加できるかどうかはわからないが
何かの形で かかわっていく事ができたら。

そう願っている。



それから

現役を引退しても 私が元気だったら
私も是非! と願っている。

その時 まだこのブログが続いていたら?
声をかけるので、
皆さんも是非、ご一緒に(笑)。

プチ*ウルルン(2)

2007-03-21 | こどものこと
2月のある日、娘は成田に一泊、
翌早朝に機上の人となり、東南アジアの国に到着。

飛行機を乗り換えて 隣国である目的とする某国の首都へ。

直行便がないらしい。

首都のホテルに一泊して
翌日は陸路、Vという地方都市へ。

10日間の期間中、宿泊はずっとV町のホテル。

この地方都市は ‘パパやママより ずっと年上?’な参加団員が
「『always 三丁目の夕日』という映画に描かれた時代の
 日本の姿そのままだ」
と評したという町。

娘のケータイには 確かに 
私が物心つくころの
故郷の町の様子に近い風景が写っている。

(私の家は その町までバスに乗らなければ行けなかった。。)



到着してすぐ、バスで
学校建設現場のあるS村へ向かう。


これが、S村の風景らしい。
一番大きくて立派な建物は、もちろん、学校!

こうして毎日 
V町とS村とを 片道約1時間かけて バスで往復するのだ。

現地の家に住み込んで、ということもあったらしいが
現実には このやり方の方が長続きするに違いない。

なにしろ、気温は35度くらい。

エアコンのあるホテルに帰らないと 
軟弱な現代日本人は 翌日働けないのかもしれない。

私が心配していたトイレの問題もあるし。

人は たくましくあるためには
どこででも 何でも食べられる必要があるが
それだけではなく
どこででも 排泄できる能力が必要とされる。

以前の派遣では 
穴を掘って、板を渡して、というトイレを 作ってから使用、
ということもやったそうだ。

これでは 女性は参加しにくい。



S村の中学校の建設、
これはすでに1月に 現地の建設会社が着工しており、
おそらくは基礎工事はできあがっていたと思われる。

実際の作業は
教室の壁を セメントや軽量ブロックで作ることと
そのための資材の運搬が主。

生コンをこねるのは 電力でやることになっているのだが
実際には しょっちゅう停電するので
その間は人の手でこねていたという。

砂と セメントと 水、砂利。

実家の父は 昔 しょっちゅうやっていたのだけれど
これを均等に混ぜるのは力仕事。

現代人にはハードだと思う。

だいたい、普通は ミキサー車から
ほとんど無限に(足りなければ次のミキサー車から)
ドボドボと出てくるものだよね。

「電気がいつも停電しないで通じてるってことは、
 凄いことだったんだよ、ママ!」

ハイ、ハイ。



朝食をすませて、8時にホテルを出発。

到着後、作業開始。

全体の休憩はあるけれど 
あとは 体力の差に応じて適宜個人で休息。

お昼の休憩時には 現地の子どもたちとの交流。

ミーティングも毎日。



女性たちの仕事は 土木作業もあったが 
どちらかというと 
この子どもたち相手の手遊びとかが主流だったらしい。

子どもたち、といえば
やたらと娘になついていた女の子がいたという。

ぺったりはりついたようにいつも一緒で
可愛かったらしい。

これでサヨナラ、という日の交流では 
その子のお母さん(娘とはいくらも歳が違わない)が号泣したそうだ。



ここS村では 刺繍が盛ん。
そのお母さんもやっていたのだろうか。

この国の女性たちは そういった手工芸品を売ることで
生活を助けている。

娘も少し交流会で習ってきたといって
未完の作品をみせてもらったが
とにかく細かい!

見るだけで疲れる!(苦笑)


上の刺繍作品の一部分。
これはもちろん娘の作品ではなく、お土産。

プチ*ウルルン(1)

2007-03-20 | こどものこと
先日 娘が 東南アジアの某国に行ってきた。

息子の進学先が決まって間もなくだった。

ちょうど10日間。

たった10日だったけれど
得たものは大きかったようだ。




へんてこな文字の国。
日本のひらがなも 外国の人には不可思議に見えるそうだが。
娘は右下の子供が 小さいころの息子にそっくり、という。
実は私も同感。 特に、髪型が。
私がカットしていた、マッシュルーム型。



知人が参加していて 信頼できる団体のツアーだった。

これは 大学を休ませても 行かせる価値があるんじゃないか、
というのが 亭主と私の考えだった。

こんなのが好きそうな娘は 案の定 ノッテきて、
先生にかけあって 試験やリポート提出の期日を
前倒ししたり 後にしてもらったりして参加。

だから前後は結構忙しかった。



そんな中、まず、事前にレクチャーがあった。

その時の資料を今 見せてもらっている。

予想以上に立派なメンバーが編集に参加して出来上がったた資料だ。

今回は 参加人数も割に多く、今までの中では 女性が多かったそうだ。

それは 親にとっては 安心材料だ。



このツアーでは 某発展途上国の学校を建設する。

団体では これまで
途切れたこともあったが 9回のツアーを組み、
22校を建設してきた。

学校の校舎というハードよりも
教育というソフトが不足しているのではないか?
という批判もあるにはあるし

実際 教育関係NGOの活動は
教員の再教育とか 児童書の出版とか というように
ハードからソフトに移ってきているが

ハードが足りているわけでは決してない。

たとえば 国連が過去に建設した小学校は
校舎を持たなかった中学校が使用しており、
小学生は 遠路 隣村まで歩いて通っていたりする(理解不能)。



これまでの教育支援が 初等教育重視だったので
中学や高校が足りない。

それに 耐久建築が少なく、老朽化した木造の校舎が多い。

娘たちの団体も 今回建設するのは 中学校の校舎らしい。

完成すれば 
小学生が 遠くまで歩いて通わなくて済むようになる。



もちろん 教員も不足している。

教員の給料は安く、みな副業をもって糊口をしのいている。

(日本のそんな時代を記憶している私は 相当古い人間?

 伯父のひとりは 
 僧侶であることと 公立小学校の教員であることとで
 ようやく少なめだけど一人前の収入、
 という時期があった。

 昔、公務員は 公共に奉仕する 公僕であった。

 奉仕とは 見返りを期待しない労働である。)

進んで教職に付く学生は少ない。

それが 山岳の村の学校となると、なおの事。

山岳少数民族の居住地域では
無資格教員が頑張るほかはない。



以前、アジアでは 長い長い間 内戦があった。

この国でも 多数の難民が生まれている。

某超大国は 当時中立だったこの国が 
相手側国の補給路に当たるということで
8千万発、重さにして300トン以上の爆弾を 秘密裏に投下。

これは当時の人口一人当たり役1トンとも言われている。



某超大国がこの攻撃を正式に認めたのは 1998年だった。

終戦から30年が経過した後も 当然のように不発弾は残る。

山岳地帯には まだまだ残っていて 国土の有効利用を妨げている。

これまで71万発の不発弾が処理されたが
まだ200~300万発が残っているとされる。

もちろん 今回 娘たちが学校建設のために訪れる場所は 
不発弾の心配のない場所だ。

ただし、帰還した難民の村なので
そうとう貧しいらしい。



そんなこんなのレクチャーを受けて 娘は旅立った。

レクチャーの内容も
きっと 驚愕の事実ばかりだったろうと思うのだけれど
娘の口から この内容を聞いたのは
彼女が帰国してからだった。

                               つづく

『さくらん』

2007-03-14 | マンガ
一時期、
書店のマンガ本売り場の入り口の平積みの場所が
安野モヨ子という人のマンガでいっぱいだったことがある。

嫌でもその著者の名前を覚えた。

ある日亭主は 中古書店から
安野モヨ子の『さくらん』(→アマゾンへ)というのを買ってきた。



ドデカイ目。

華奢な体つき、指先。

細い、細い眉。

とんがった顎。

なんとまあ、イマドキの女の子の絵だ。




テーマカラーにかかわらず、いつものオキザリスはこの色。
取り除いたはずの場所に残っていた球根が きれいな花を咲かせてくれた。
オキザリスは、この、咲くちょっと前、という時が 可愛らしい。



亭主も私も 
「なかなか ちゃんとしたマンガになってるじゃん。」
という感想を持った。

絵の感じからいくと、理解不能だったり チョーくだらなかったり、
そんなマンガである可能性も感じられたから、
よけいに いいマンガだと思えた。

筋立てもしっかりしていて
読んでいるうちに 主人公が好きになる。

あの顔が 気にならなくなってくる(爆)。

でも 手元に取って置くことはせず。

今はもうない。



最近映画になって(→映画『さくらん』公式サイト) 
それなりに話題を振りまいている。

土屋アンナ(→オフィシャルサイト)の主演だ。

ドデカイ目、線を引いたような細い眉、
ハーフっぽい顔(っていうか、ハーフだし)。

なんとまあ、‘さくらん’そのもの。



過日 とんねるずかなんかのテレビに出ていたが
私は見ないでお風呂に入った。

出てきたら 亭主が
「今、『さくらん』に出てる女の子がテレビに出でたけど、

 ・・・なんつうか、‘さくらん’だった。」

わかるよ、わかる。

‘さくらん’そのものだよね。

「あの子、『下妻物語』に出てた子だよ。」

「ああ! そーかあ。」



映画『下妻(しもつま)物語』は 茨城県下妻市が舞台。

なので 通常の興味・関心とは 全く別の方向から見始めた。

義弟夫婦が 以前住んでいたことがあるので
私達も行った事がある。

というか、地方の雰囲気が出ていて それは下妻に限らないものだ。



土屋アンナは モデル出身ということもあって
さすがのビボウにプロポーション。

「この子、美人だね~。」と、私はすっかり気に入った。

あの可愛い深キョンが イモに見えるもの。

イバラキのヤンキーも似合ってるし。

ハスキー・ボイスも ロックな感じで合ってる。



『さくらん』では 土屋アンナのほかにも 
きれーなオネイサン達が勢ぞろい、
なんとも華やかな映画のようだ。

椎名林檎の歌も イメージに合ってると思う。

そのうち娘がDVDを借りてきてくれるだろう(笑)。

あ、その頃には 娘は一人暮らしか。。。





しばらく忙しくて 記事の更新も ブログ散歩もしていなかった。

それでも あせりもなければ 欲求不満にもならなかった。

忙しいとは言っても それ程でもなかった気もする。

やはりきっと 気持ちの余裕がなかったのだろう。

というか、記事にしたいことが目白押しで
しかも どれもまだ 書き出せるほど 内容が固まっていなかった。

これがみんな固まってきたら、書くのが忙しいぞ~(笑)。

生協

2007-03-03 | なんでもないこと
私は 生協のお店に よく買い物に行く。

私と生協との付き合いは 
娘がまだ幼かった頃

近所に住む 都会地から来た 若い嫁さんから
生協の共同購入の班を作るから 一緒にいかがですか?
とさそわれたのがキッカケ。




五色という名前のお菓子。
「着色料はベニバナ黄、アカダイコン、パプリカ色素、クチナシ」とある。
酸化防止剤としてローズマリー抽出物。



彼女は ペーパードライバーで 運転ができなかった。

私はなんとか ペーパードライバーを卒業して 運転していたけれど
仕事もあって 家から出られないでいたので
注文した食品を配達してくれるのなら、と すぐに同意した。

もちろん 生協の商品には 前から興味があった。

当時は 子供を産んで その子がアトピっ子だったので
以前より ずっと 切実だった。



共同購入班は 解散してしまったけれど
それ以来 
お雛さまの時の菱餅や 雛あられなどは 必ず生協。

それが当たり前になっていた。



ある日 成人した娘が 帰宅して 突然

「ママ、ウチの雛あられは いつもどこで買ってるの?」

と聞いてきたときは 何の事かと思った。





「ん~、生・・・協。 だけど?」

そういえば 生協以外のお店で 雛あられは買ったことがなかった。

「きょう 雛あられを 友達と食べたら 不味かった!!」

と 報告してくれた時に
私は 不必要な添加物のない食べ物のありがたみを思った。

娘は ウチの雛あられは、
生協で買うから美味しいんだ、とわかった?らしい。

友達が買った雛あられを たぶん例によって
「かわい~~」とかなんとか キャイキャイ騒ぎながら食べたら
不味くてビックリしたらしい。



写真の雛あられ、
着色料として 
ビートの赤、ベニバナの黄、クチナシの青、クチナシの黄
などと書かれている。

ただし、COOPマークのついた生協の商品ではない。

生協の商品でなくてもいい、
食べ物は 添加物は 少ない方が、絶対、美味しい!

使うなら、より自然に近いもの。



必ず生協で買う商品には
他に スナック菓子とおでん種がある。

スナック菓子は 
フツーのスナック菓子より、ずっと塩分が少なくて美味しい。

着色料などもほとんど使ってない点も気に入っている。

(ホントは 食べなきゃもっといいんだけど。)

練り製品は 添加物の多い食品の代表格だが
生協のものは だいぶ少なくて 味もいい。

よそのスーパーに買い物に行って どんなに買って帰りたくても
おでん種を買うことは 絶対にしない。

懲りてるから。

薬品臭くて、不味くて。





菱餅は お仏壇の中の高坏(たかつき)に載せて撮影(笑)。

ヨモギの色が美しい。そして、美味しそう。