ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

「追悼抄」

2007-07-26 | なんでもないこと
私は欲張り。

美味しいものは 亭主や子どもに、ではなく
できたら全部 自分で食べたい。







今朝見つけたセミ。





新聞や雑誌や書籍に関しても 欲張り。

可能なら すべてに目を通したい。

新刊書を買ったりすると
挟んである「今月の新刊」なども詳細に見て
同じ出版社から出ているものの中で
興味のあるものは 本当は全部読みたい。

でも現実には 
一社の新聞すら 全ての記事に目を通すことはできない。

で、 私の小さな机の周りには
よみきれない新聞の山がうず高く積まれ、
ホコリにまみれていく。。。







ここが、見つけた場所。抜け殻の、すぐそば。






「追悼抄」という新聞記事がある。

最近の物故者とその周辺を伝えてくれるもので、
1ページに4人が載っている。

それまで全く縁の無かった分野の、聞いたこともない人の人生が
凝縮された記事だ。

7月24日の夕刊にも 4人が載っていた。



「川西俊雄」という元プロ野球のスカウトさん。

87歳で 私の誕生日に(笑)死去。

近畿グレートリングに入団。

そんな球団あった?

現ソフトバンク、だって。

知らないなあ。 聞いたことないよ。

1946年?

ちょっと古過ぎ。



でも そんな人が 一筋に生きてきた世界を 垣間見ることができる。

それが この記事のいい所。

選手の素質を見抜く目は すごかったみたいよ。






谷 伍平さん。

元 北九州市の市長。

プライベートで人と会うときも ネクタイをはずさない人だったって。

日本の自治体として、初めて、
国連環境計画(UNEP)のグローバル500賞を受賞。

・・・知らないなあ。



知らなかったけど、

公害と取り組んできた市長としての20年だったし
その取り組みは 今も生きている、

と感じられる文章だった。

「環境に対する社会の認識も法も成熟していない当時、
 企業城下町で 企業を指導・・・」

と、やはりかなりエライ人だったみたい。



地元経済界の評価は

「汚した後よりも、
 汚す前の予防の方が コストがかからないことに
 気付かせてくれた。」

というものだったようだ。

これは 重要な気付きだと言える。



過去、充分に 公害に傷つき、
現在 公害を克服しつつある日本だから。

そして 経済発展も遂げた日本だから。

世界にもっと 伝えてあげようよ。

途上国が発展すると共に 公害も広く伝播していくようでは
地球はもっと危うくなるよ。

これも、ノブレス・オブリージュのひとつだと思うんだけど。






きょうも 新聞をくしゃくしゃにしながら
あちこちひっくり返して読み、

いろんなことを考えさせてもらっている。

感謝!

(そんなことより、片付けて、掃除しろ!←私と家族のココロの声)


胎児の魂

2007-07-25 | こどものこと
花苗を植え付ける時に きれいに咲いている花を切り取る。

切花の つぼみの小さいのを 活ける時に 落とす。

芯になる一本を生かすために わき芽を欠く。

オロヌキとか 間引きと呼ばれる作業では 
芽を出した苗の何本かを引き抜き、1本 または少しの苗だけを残す。



私は 「優生保護法」という言葉を思い出しながら やることが多い。







鳳仙花の咲く季節になった。






私は たいへん幸せなことに
流産も 中絶もしなくてすんだが
これは ラッキーだった、と言う他はない。

友人には 妊娠したくて授かった命を 中絶した人もいる。



妊娠した最初の診察では
いろいろな病気の免疫だか抗体だかの検査がある。

私のころはHIV抗体の検査はなかったが
風疹の検査は必ずあった(と思う)。

「泣く泣く 中絶したわ。」

ふたりめの子どもを中絶した 電話の向こうの友人に

「最初の妊娠の時に わかっていたんでしょう?」
と問うた私は

妊娠初期に風疹にかかってしまったという彼女に
あまり同情できなかった。

こういう‘冷たい’人間である私が
早・流産や中絶について いろいろ書くのは 
好ましいことではない気はするのだが

普段に思っていることを まとまりなく書いてみようと思う。






少し 間引く必要がありそうだ。






胎児は 一個の 人間だ。



そこには 魂がある。 と思う。



仏教では 母親のお腹にいる時から
胎児には魂がある、とするらしい。

(実は、どこに根拠があるのか、私は知らない。。)



胎児には 性格もある。

生まれてくる前から 娘は娘の性格だったし、

息子は息子の性格だった。

それはもう、可笑しいくらいに。

だから 胎児は 一個の人間として 

人格もあり、生きる権利を有する、

と 私は思っている。






中絶は 殺人だ。

本来、してはいけないことだ。

けれど 不幸にして 中絶を選択しなければならない場合が
少数ではあるが 存在する、とも 思っている。

そんな時 母親には 選択する権利がある、と思う。

少なくとも 中絶してはいけないという法律ができてしまったら
違法な中絶が後を絶たないだろう。

違法なことをするのだから お金もかかるだろうし 
不衛生で 危険なことが まかり通るようなことにも 
なるかもしれない。

そんな時 一番の被害を蒙るのは母体だから

そういうことにだけは ならないで欲しいと願っている。






迷ったら。   産めばいい。   子どもは。   育つものだ。



そうはっきりと 大声で言ってあげられる世の中であってほしい。






『この胸いっぱいの愛を』というクサいタイトルの映画があった(→コチラ)。

主人公の女性、ミムラに似てるなあ、と思って見ていたらミムラだった。

飛行機事故で亡くなった5人くらいの人間が
20年前にタイムスリップして
果たせなかった思いを果たすのだ。



この映画の中で 勝地涼が演じる19歳のチンピラは
難産で死亡した自分の母親に会い、
どうしてお腹の赤ん坊(自分)を産むのか、と問いただす。

産んでも どうせ くだらないチンピラにしかならないのに、と。

子ども好きな母親は レイプによって妊娠し、
生む決意を固めたために
親に勘当され、
勤務先の保育園を 保護者の反対によって辞職し、
苦労しながらも 
父親の顔もわからない赤ん坊を生もうとしていた。

記憶が曖昧だが、
「私が産もうとしているのではなく、
 この子が・・・・・・・・・・・・動くの。」

そんな言葉を口にした。



わかるなあ。

子どもって、植物と一緒で(笑)、
親が育てるのではなくて、
勝手に育っていくものだ。

もちろん、手を貸さずにいると すぐに死んでしまうのだけれど、

怪獣とか エイリアンとか 言う人もいるくらい、
あいつらは 勝手に育つのだ。

お腹の中にいる時なんか、特にそう。



お母さんたち。

私たちは、子どもたちに選ればれて
あの子達の 親になれたのだよ。

自信を持って しっかりと 母として歩いて行こうよ。











風疹は 妊娠初期に感染すると
胎児に奇形が現れるという。

ウチの亭主は31歳にして 
娘と一緒に近所の小学生から風疹をうつされ、
全身に発疹を出し、発熱にふうふう言いながら 仕事をしていた。

当地に来てちょうど1年を過ぎた頃だ。

出かけない方がいい、と忠告したが
亭主は 代理に誰かを頼むこともせずに
全部自分でやっていた。

こんなオトコたちが 風疹を流行させたりもするのだ。


私は
亭主が仕事で出向いた先に 
妊娠初期の女性が居ませんように、と願ったが

数年後に 友人の中絶を聞いて
「あの時 もっと強く 反対しておくべきだった。」
と思った。



私たち昭和32年生まれの女性が過ごした時代には
風疹の予防接種はまだ ギリギリ 義務化されていない。

けれど イバラキの 私の田舎の自治体は
「来年から義務化すんなら、今年っから やったら どうだっぺ?」
と言ったらしく?
前倒しして 中学3年、義務教育を卒業する寸前に
接種することにした。

あの頃 「オンナだけ」注射するのは
なんとしても悔しく、損した気がしたものだが

東京生まれ、東京育ちの友人は
同じ学年ながら 接種をしていなかったのだった。



先日の記事の繰り返しになるが
予防接種は 体調をしっかりと見極めて
やはり受けるべきだと思う。

(もちろん、ウチの息子も 済ませている。)

(というか、法令が変わったのか?)



今 娘の母子手帳を引っ張り出して あらためて見てみたら 
    梅毒、
    風疹、
    HB抗原、
    HB抗体、
    トキソプラズマ、
    血色素量に 血液型(私は B+)
などが調べられている。

(甲状腺疾患の検査結果は 後日渡された。)

この、最初の検査の時(昭和60年7月31日)、
目玉が飛び出るほど お金がかかったことが 忘れられない。



(予想以上にまとまりがない。。。汗)

(関連記事をもうひとつ書くつもり。。汗)


食器、大好き

2007-07-24 | なんでもないこと
食器が、好き。

どんなって、いろんなのが好き、だから、困る。









ずいぶん 整理したつもりだったのに、
また増えてる。

捨て下手は治らないし。。




収納場所は 食器戸棚が2つ。

それと、納戸にも 小さいのがある。

滅多に使わない食器でも 捨てることはできない。



食器には 値が張るものがある。

高けりゃ、買えない。

そうでないものもある。

安くても、もう 置く場所がない。

それなのに 買う。

戸棚の中は、ぎっちぎち。










最新の食器。

少しずつ いろんなものをのせて。

嫌いなものも 少しは食べてよ、ってことで。

豆や カボチャの煮物が少し残ったときは 
こうして3分の1ずつ食べる。

緑のものをのせると 爽やかな色で 嬉しい。


予防接種

2007-07-23 | こどものこと
息子の大学から 広報誌が届けられた。

コラムに

「履修届けが終わって、
 授業に 課外活動にと、いよいよ熱が入る時期に
 キャンパスが静まり返っているのは  異様であった。」

とある。

ご存知、この春から大流行した 麻疹(ましん・はしか)の話だ。







美味しい枝豆をいただいた。娘に「食べに来ない?」とメールした。






流行は関東が中心ということだったが
五月の連休後には日本各地に飛び火して

関東では あちこちの大学が休講になった。

教育実習に行く学生は 予防接種をすること、とした
教育系大学もあった。

当然の措置だろう。



私も慌てて 母子手帳を見てみた。

娘が高校、息子が中学に入って
電車通学になった年の夏に
近所の開業医のところで 接種している。

よかった。。。

接種しておいて、本当によかった。

そして・・・エライじゃん、あたし(笑)。







甘いトウモロコシもあったが 娘からの返事は「暇がない。ムリ。」だった。






古くは「麻疹は 命の定め」と言われ、
命に係わる伝染病だったそうだ。

昔は 麻疹の患者が出た家に
小さいうちに罹患しておけば軽くて済む、と
子どもを連れて わざわざうつしてもらいに行くこともあった。

私も近所の家に 麻疹をもらいに行ったらしいが
どういうわけか うつされずに済んでしまい、
後年 どこからうつったか 麻疹になった時には
高熱が続いて 解熱剤でも下がらず、
とても苦しい思いをした(→2005年1月31日の記事)。

あの 麻疹も 
いつ頃からだろう? 予防接種で 予防できる病気となった。






ひよこ豆。これは購入(笑)。 
一袋まとめて 一晩水につけておいて 茹でて 小分けして冷凍。






水疱瘡(みずぼうそう)というのは 非常に感染力が強い。

近所の元気な女の子が 保育園でもらってきて
それが隣にうつり、それから我が家にうつった。

あっという間だった。

娘は
治りがけの時に 
「痒い、痒い」と いく晩か 泣いて眠れなかった。

もちろん、私も眠ることはできず、
娘も可哀想で とても辛かった。



生後半年の息子にもうつり、
体中、おちんちんの棒にさえ
数え切れないほどの水泡ができたが

小さいせいか 
泣いて痒がる、痛がる、ということはなかった。

なかったけれど、
この水疱瘡も
予防接種をすれば こんな思いをしなくて済む、と知った時には

私は 自分の無知を嘆かざるを得なかった。







こちらは 亭主の従兄弟から届いた、イバラキのトウモロコシ。
史上初、ヤングコーン付き! ちょっと、えろてぃっく(笑)。






それ以降、
私は 予防接種は 親の義務、と心に堅く思い定めて
決して欠く事のないようにしてきたのだけれど

麻疹だけは ふたりとも受けていなかった。

何故か?

予防接種の時期がいつも冬で、
風邪をひいて 受けられなかったのだ。

それが 毎年 毎年 冬の間中 風邪を引いていたものだから
翌年も そのまた翌年も 受けられなくて
子どもたちは そのまま大きくなってしまったのだった。

誰が風邪をひいていたかって?

それは息子と、私。

予防接種に連れて行くべき人間が 風邪を引いていたので
受けられなかったのだ。

(亭主は まったく 関知していなかった。)

通知は来なくなってしまう。

気をつけて 広報誌を見ていて 申し込まないと 受けられない。

そのうち 忘れてしまえば そのまま大人になる。



まして 息子の頃には
予防接種は 途中から義務ではなくなっていた。

予防接種による 重篤な服作用が問題になってきていて
受けるか受けないかは 親の責任、ということになり、

受けなくてもいい、という捉え方をするようになった。

当然 近所でも受けない子どもが増え、
保育園や学校が 協力して接種させる、
なんてことも少なくなった。

息子の年代は そういう年代だった。






ご飯にピッタリ、昆布の味噌漬け。 
味噌樽の中に 昆布をグサグサと刺して置くだけ。






日本は
外国から
「麻疹の輸出国」という ありがたくないレッテルを貼られているという。

麻疹に罹患した生徒が出た カナダへの修学旅行の一行が
飛行機への搭乗を拒否された、というニュース(→コチラ)もあった。

娘も息子も 私立だったから
月々 大変な金額の積み立てをして
海外への修学旅行に行ったが

予防接種についての説明は
「行く先が先進国だから、特に必要な予防接種はありません。」
というものだった。

以前から
日本人が 海外に 感染症を持ち込んでいる、という話は
一部の人の間では言われていたことだが(新聞で読んだ記憶がある)、

認識は 日本中で甘かったようだ。

必要とされる予防接種の種類も 変化してきてもいて
親の方も 判断に迷う。

不名誉なレッテルを 今後も貼り続けることが無いように
予防接種については
これからは もう少し 国全体で 
気をつけていかなくてはならないだろう。







梅雨の頃になると 年末の売れ残り?の黒豆が特売になる。
気長に水に浸して煮るけど なくなるのはあっという間。






私はホッとして 「ママはエライ」と いい気になっているが
麻疹は 2回の予防接種をしないと 完全ではないらしい。

中学生や高校生に 麻疹の予防接種をさせる方向で 
政府も動いているらしいが(→コチラ

我が家の子どもたちは
頑張って もう一度 受けさせなくては、と思っている。

(これがママの 最後の義務かもしれない。)

前もって 申し込んでおかなければならないので
「やっとけよ」では 受けてはくれないだろうから。

ちょっと過保護?


宿坊精進料理(2)

2007-07-18 | 食生活
亭主は <例の請け負い仕事>の仕事先で

「いったい、自宅の仕事は どうしてるんですか?」

と 若手に聞かれたのだという。

聞かれて、「放りっ放しだよ!!」 と 答えたそうだ。

そうでしょ、そうでしょ。

もっぱら家に居て 家の仕事をしてるのは 
この私、美人秘書ひとりなんだからね。

そのくらい、この数ヶ月、
亭主は <例の請け負い仕事>にかかりっきりだった。






パプリカの花






その日 亭主は またまた埼玉県。

<例の請け負い仕事>先のご好意?で 
研修を受けさせていただく。

しかも、なんでこの素晴らしく忙しい日々に
研修なんか受けなきゃならないのか?

研修の場所は 埼玉県は飯能市というところ。

そこで 美味しい精進料理を食べれば、
それで研修になるらしい!






ナス科だね!





早起きして 朝早く出かけて 夜になって帰宅した亭主、
最初のひと言は、

「遠かった~~~!!!」

だった。

どうやら山の方にあるらしい。

しかも、ケータイが繋がらないくらい、山の中らしい。

仕事の電話が入っていたので
ちょっとひと言 伝えておこう、と思って 電話したら
「繋がらない」とのアナウンス。

ああ、もう到着して 研修が始まってんだなあ、と思ったが

どうやら電波が届かなかったらしい。。。

イマドキ、そんな地域に行ける事自体が、羨ましい?






寄せ植えになってる(笑)。赤くなるかなぁ?






「何食ってきたと思う?」

帰宅した亭主の問いかけに
私の頭に浮かんだのは、椿の葉の天ぷら!(爆)

「いろんな葉っぱの天ぷらじゃないの?」

「その通り!

と亭主は怒っている。



「そのへんにある葉っぱ採ってきて、

 天ぷらにして食わして、5千円だよ、5千円!」

高い、と腹を立てているのだ。

そうかぁー。

あの頃 葉っぱの天ぷらに感激してたのは、
私も都会人だったからなのかも?

山の中で育った亭主には
細やかに気を使ってこしらえた 宿坊の精進料理も
ご馳走には見えなかったのかもしれない。



それでも 普通のお食事会ではなかった証拠に、

一皿 一皿の料理に
和歌が書かれた紙片(ただし、コピー)や
生葉が添えられていたとかで

持ち帰って見せてくれた。

「これ、なんだかわかるか?」

こいつ、ニョーボを試そうとしてるな?

和歌の方は タシナミがないし 
第一 達筆で さらさらと書かれていて 読めもしない。

一方、料理に添えられていた葉っぱの方は、
なんとかわかるものがあった。

「おー、さすが!」

植物には興味のない亭主が 手帳を開いて
私の答え合わせをしている。

メモってきたの?

ちゃんと 研修してきたってわけね・・・・・・。

コアジサイ、ヤマボウシ、スイカズラ、ハナイカダ。

私はこの4つを 挿し木してみた。

どうやらまだ腐らずにあるのは コアジサイとスイカズラのみ。

さて、どうなるだろう?






この袋は 手書きで描かれていて、捨てるに捨てられない・・・。
こんなふうに 筆で さらっと 絵が描けたらいいなあ。。。






「飯能ってさ、昔 ガイドブックに載ってて、
 行こうとして 行けなかったとこだよな。」

「遠いから、って、
 行かなかったとこだよね。」

行きたいと思っていた場所に
ウン十年経ってから 先に行かれてしまった。






上の、「竹笹そば」。美味しかった。
だが 亭主は「これは そばじゃなくて、うどんだ!」と言っていた。





ところで。

「今、帰り道・・・」と
亭主から電話が入ったが すぐに切れてしまった。

またすぐかかってくるかと思ったら それきりだった。

なんと、バッテリーが切れたのだそうだ。



聞いた話によると
ケータイは 圏外で電源を入れておくと
ずっと通話中、みたいな感じで
バッテリーを 怖ろしく消耗するのだとか。

最近の我が家は 時おり 圏外になる。

ふぉーま だか むうば だか知らないが
以前は 電波は悪くても
d○c○m○なら 圏外ということはなかったのに。

スイッチを切らずに 充電器に乗せておくと
どんどん電気を消耗する?

時おり ピピっとか言いながら
勝手に充電しはじめたりするのは そのせいなのか?

息子が免許を取ってから
私のケータイは 滅多に電話もメールも入ってこなくなったが

離れて暮らしている娘からのメールが いつ入るかわからないので
電源を落としておかないのだけれど

これって もったいないかなぁ?

宿坊精進料理(1)

2007-07-16 | なんでもないこと
夏になると思い出すことがある。

精進料理だ(爆)。

中学生の夏に 本山へ行って 3日間のプチ修行をして
精進料理を食べた。

生まれて初めての精進料理だった。

(毎日、ほとんど精進料理みたいな家庭料理だったことは、除いて。





これが、我が家の 台風の被害。寄せ植えの花が 横倒し!





大学生の夏、一週間のプチ修行で 本山に 2年続けて行って
一週間、
3食、
毎日毎日、精進料理。

でも どれもすごく美味しかったし
この頃は ひとり暮らしをしていたから
自分で作らないのに ご馳走が目の前にあって
とても嬉しかった。





台風の被害・その2。 軽い箱は とんでもない所から飛んでくる!




いやいや、その前に、
万博で大阪に行ったときに食べている。

お寺の住職をしている伯父さんの一行に混ざって
大阪郊外の 大きなお寺さんに泊まって

そちらでおいしい宿坊料理をいただいている。

(ヤマモモを初めて食べたのはこの時だったと思う。)



この時は 母を留守居に残して
父と姉と3人で 万博見物を主目的に出かけたのだった。

伯父の一行というのは、
伯父の師匠の縁に繋がる 同じ宗派のお坊さんの集団。

つまり 
万博会場には 地方から出てきた田舎坊主の集団も歩いていた、
というワケだ。

もっとも伯父は 当時は学校の教員をしており、
有髪(坊主頭じゃなくて、フツーの髪型)だったので
見た目でも それから多分しゃべっても
お坊さんっぽさは なかったと思うけど。



ところで このお寺さんは 
国宝だか重文だかがある、古くて由緒のあるお寺さんなのだが

こうして 宿坊を営んで 
家族総出で働いて お金を儲けないことには
文化財を含むお寺を維持できない、という話だった。

住職が真面目ならいいけど、
そうでなかったら
こんなお寺は どんなに立派で貴重な文化財があろうと、
どんどん散逸してしまうものだ。

個人の良心にまかせては いけないものかも知れないよ?

話が逸れた。。。




美味しいお料理に舌鼓を打ちながら
ご住職と その奥さまに 
料理の説明やら 楽しい話やらと共に
いろいろと「寺院経営の現実」的なお話を(お坊さん集団と共に)伺って
社会的なことに 目を向け始めた私だった。

当時から貧乏は大嫌いだったから、
そして 
伯父と父との経済力の違いを 
見せ付けられている真っ最中だったから、
胸が苦しくなるような思いを抱きつつ。

でも 当時(小学校を卒業したばかり)の私には 
どうでもいい話でもあった。

父は 
伯父の一行と一緒に行動するのがとても楽しかったらしく、
(当然? 宗派も同じだし)
(師匠は別なんだけど。。)
それ以後 ちょくちょく 混ぜてもらうようになったのだった。

話が逸れた。。。





昨夜 7時半頃の 土手からの風景。




コネで就職した先の、
同じようにコネで就職した課長は
住職じゃなかったけど、お坊さん。

課員は 殆どが女性。

課の中では 皆 仲がよく、
お金を積み立てては 年に一度 旅行に行っていた。

「今度、課長のコネでさ、
 美味しい精進料理を食べに行こうよ!」

美味しいものには貪欲な女性ばかりだった・・・。



数台の車に分乗して
都内から それほど遠くない、
空気と 水と お酒と 食べ物の 美味しい場所に行く。

私も いつも 課の旅行は楽しみにしていた。

その年は どこへ行ったろう?

埼玉だろうか? 群馬だろうか? 

長野だったかもしれない。

とにかく 宿坊の精進料理、ということで
課長が予約して 連れて行ってくれた所は
とびきり 空気も 水も お料理も 美味しい場所だった。

お酒に関しては、まったく覚えてていない。。。

ただし、この精進料理は お昼にいただいたのであって、
お酒は、一泊した場所で、みなさん、おそらく、
いつものように、ご存分に。。。





本日、午後12時53分の空。雲が多いが 予想外にさわやか!
地震の被害が少ないことをただ祈る。




住職のお話をお聞きしながら、
庭園の緑を味わいながら、
目にも美味しい、美しい料理の数々をいただく。

(ここでヤマモモを食べた記憶は、確かだ。)

そして びっくりしたのが、
数々の精進揚げ。

いろんな種類の葉っぱが 天ぷらになっている。

クセのあるものも 天ぷらにすると 美味しさに変わる。

どれもこれも みな美味しくて、

そして
「これは何ですか?」と聞くと、
「?」とか「!」とかいう 言葉にならないオドロキがある。

全員、目を丸くしながら食べたのだった。

私にとっての一番の驚きは 椿の葉の天ぷらだった。







椿の葉。 季節になると、美味しそうに見えてしょうがない!(笑)






このときの事は 今でも 度々思い出している。

そして 椿の若葉の天ぷらを、
この夏、初めて揚げてみた。

・・・・・・・・・硬くて不味かった。。

・・・春ならもっと美味しいかもしれない!(爆)


町の歴史館

2007-07-15 | なんでもないこと
これも5月。

亭主に 半ば 無理矢理?連れられて 埼玉県に行った。

寄居という町だ。

ここの歴史資料館(→鉢形城歴史館)で
特別展がある、というのだ。






ノコギリソウ

  



実はこれより前、
亭主は 宇都宮の県立博物館に行くつもりだった。

前々から「絶対に行くからな!」と宣言していた。

宇都宮なら ちょっと足を伸ばせばいいし、

なにより会期が長いから
きっと行けるだろう、と私も思っていた。

そしたら、とんでもなく忙しかったので
とうとう行けないまま 会期が終了してしまったのだった。

亭主は相当悔しい思いをしたのだろうと思う。



私の美術館と同様、
亭主の博物館・歴史館も 
長いこと 私たちの暮らしと 縁がなかった。

それだけ 仕事に夢中になって これまで突っ走って来たのだけれど

子どもも大きく(充分に!)なったし
たまには 仕事を休んで そういう所へ行くのも勉強だし
何より、これも 仕事の内だと思う。



実際、亭主の<例の請け負い仕事>の仲間のひとり、T君は
「仕事だと思わないと、行けませんよ!」
とか何とか言って、
日本全国の博物館・資料館を飛び回っていて、

目録を何冊も買ってきては
歴史好きな仲間に配っているのだという。

そして 近年 仕事を一緒にやるようになって
「歴史好き仲間」のひとりに
亭主も 目出度く 加えてもらえたわけだ。

宇都宮の催し物も 彼に教わった。



寄居町の催し物は また別の人から。

なんと、ご親切に、
「こういうのがあるよ。」と パンフレットを郵便で送ってきてくれた。

歴史好きの人って、変な嗅覚がない?(笑)

悔しいから? これだけは見に行くぞ。

そんな強引さで 私まで付き合わされたが
ドライブとして 知らない町へ行くのは 楽しい。

もう少し早い時間に行ければもっとよかったが
仕事の来客を一件済ませて 
「それッ」という感じで出かけた。



県立の博物館と比べちゃいけないが、
こぢんまりとした、立派でキレイな歴史館。

一所懸命に整備している感じがする。

説明もわかりやすくて、
小・中学生の 郷土史の勉強には 最高にいいに違いない!

あっという間に見終わって(苦笑)、
周辺を散策。

お城の跡地にできたらしく(→鉢形城
場所はいい。

すぐ裏には川が流れ、その 崖っぷち。

難攻不落のお城だった?






「それッ」と出かけたから? デジカメを忘れ、ケータイで撮影。
歴史館の、すぐ裏手の様子。





帰り道、腹ペコで 美味しいおそばをすする。

「意外と近いな!」

「・・・・・・(そうでもないよ。)・・・うん。」

「俺、年取って暇になったら
 こういうのにハマると思うんだよ。」

本当に亭主は 楽しそうで 嬉しそう。

久々の休日って感じ?

「こういうのって?」

「つまり、歴史館とか、博物館とかさ。
 
 暇ができたら
 あちこち見て歩きたいんだよ。」

ああ、T君みたいにね。

「面白いよ。

 俺、きっと飽きないと思うんだよ。」



ハイ、ハイ、勝手にハマってくださいよ。

私には その 博物館の庭の、植物の方が、ずっと面白いよ。

周辺のハイキングコースの方が よほど魅力的だよ。

でも ずっと家に居っぱなしの人生はつまんないから、
できたら 今すぐにでも ハマっていただきたいんですけど。

ねえ。

いつになったら 暇ができる?

70になってから?

私は、今すぐでもいいよ?



亭主には この後も 超多忙な日々が待っていたのであった。。。


行田の<ふらい>

2007-07-13 | なんでもないこと
4月、5月、6月。

例年 赤字が続く月。

それが今年は
「いったいどうしちゃったの?」
というくらい、忙しかった。

赤字の心配はなかったが。。。










亭主は 忙しがりや。

暇があると 仕事を自ら創り出して
忙しがる性癖がある。

例の「忙しいのに 儲からない 請け負い仕事」を請けてからは
忙しがる暇もないくらい、忙しい。

請け負い仕事先の 新事務所の開所式及び祝賀会は
5月に無事に終わったが
請け負い仕事が終わったわけではなく、仕事は減らない。

加えて 新事務所は今までよりもぐっと遠くなってしまい、
通うだけでヒーコラな日々。



そこへもってきて、自分とこの仕事が 次々入って
休む間なし、実家に行ってる暇もない、というくらい
超多忙な日々。

出張は 自分とこの仕事、請け負いの仕事、と
日帰り・一泊を 繰り返していた。



そして これも5月のこと、続けて埼玉県に出張に行っている。

最初が、行田市。

思いのほか近かった、と亭主は言う。

「ガソリンスタンドを曲がると(過ぎると、だったかな?)
 お城が見えるから」

と聞きつつ、お城のそばに出張。

すると 唐突にお城(城跡)が見えて びっくりしたとか(笑)。



そこの名物が<フライ>だというので
美味しいお店を教わって 買って帰ってきてくれた。

これが、その、名物・行田の<ふらい>(→行田のフライ)。




しょうゆ味とソース味があったらしいが 亭主が買ってきたのは ソース味。

お好み焼きとどう違うの?と 言いつつ、パクパク。

ああ、でも、やっぱり、ちょっと違うわね、と言いつつ、パクパク。



で、こちらが、<ぜりーふらい>。





おからが入っているらしい(→ゼリーフライ

なんで「おからコロッケ」ではなくて「ゼリーフライ」なのか?

疑問はどんどん膨らんでいく。

お腹もどんどん くちく(お腹一杯に)なっていく。



足袋の町とも呼ばれる行田、

その足袋工場で働く女工さんのお腹に溜まるおやつとして
作られた、という話は →コチラをご覧下さいフライ(富来)
なるほど!と納得。

できたらお店で できたての熱々を頬張りたかった。

(ちなみに、私には 少々あくどかった。)



でも、やっぱり、
行田と言ったら、蓮の花だろう!  →キレイ!蓮の花!古代蓮の里

今度行くことがあったら、連れてって! と言いたいけど、ムリ(タメイキ)。

そういえば、今日からお盆。

蓮の花も きれいだろうなあ。

モンゴルの馬乳酒

2007-07-11 | 発酵
初日には 白鵬は勝って 朝青竜は負けた。

明暗を分けた結果に これからどうなる?と 注目した名古屋場所、

ようやく東西の横綱がそろって
お相撲らしくなったかしら、とも思えるが

やはり日本人力士の横綱がいないのは寂しい。

寂しいけれど、モンゴル出身の力士にも 頑張ってもらいたい。







こぼれ種シリーズ。このペチュニアは 鉢上げしてお引越し。





白鵬が 小さい頃から たくさん飲んで育った、というのが
モンゴルの馬乳酒。

皇太子がモンゴルに向けて旅立ったとニュースにあったが
皇太子さまも あちらで飲まれるに違いない。

私も飲んでみたいなあ。。(笑)



これは確か 去年の年末のテレビ番組、と思ったらなんと10月だった、
「素敵な宇宙船地球号」で
モンゴルの馬乳酒をとりあげていた(→コチラ)。

題して「台所から地球が見える ~最強の乳酸菌を守れ!~」

発酵のキーワードに アンテナがピピッとなって 録画したけれど 
やっと先日見たところ。

ずいぶん長い間 眠っていたねえ。。



宍戸開は 勇気があるというか あれが仕事というか、
微生物が発酵させた馬乳酒を 
あちこちのお宅で がぶりと飲んでいる。

すっぱいらしい。

ヨーグルトドリンクに 炭酸を入れた感じ、と言っている。

アルコールは2%程度で、
これを 白鵬でなくても 大人も子どもも
ガブガブと飲んでいるのだ。

一日に何度も、ガブガブと。







ん~~、白のグラデーションということで、このままにしましょうか。





北海道の酪農大学の先生が 微生物を調査・研究中。

先生によると、
ビタミンCがたっぷりの馬乳酒は(馬乳酒の乳酸菌は)
野菜・果物をほとんど食べないモンゴルの人たちの健康に
不可欠な飲み物。

たくさん飲む人は 
一日の必要なエネルギー量すべてを 馬乳酒でまかなえるほど。

乳酸菌はなんと6~8種類、
おまけに酵母菌も2種類くらい入っている。

この点で 私たちがスーパーで目にしているヨーグルトとは
はっきりとした違いがある。



糠みそは 
糠床をかき混ぜる人の手によって
味が変わるという。

馬乳酒の味は 
日本における糠付けのように
家によって違うのだそうだ。

そして 馬乳酒を発酵させるために(ここが大事)、
フルルという大きな入れ物を使う。

このフルルとは
牛 一頭分の皮で作った容器で、
その家 その家の菌が フルルに住み着いているのだという。

要するに フルルが 馬乳酒を美味しく発酵させてくれるのだ。



ところが このフルルが 減ってきている。

手に入りにくくなっているのだろう。

都会の人には かっこ悪いと思われているかもしれない。

第一、真夜中までかかって 家族総出で 1万回以上も
フルルの中の馬乳をかき混ぜる、というのは
現実的ではなくなっているのかもしれない。

何より、人と馬と馬乳酒との深いつながりが
都会では希薄になっているのだろう。







あなたは、お引越しね。




人間は 体内の細菌をやっつけるために
抗生物質を発明し
数々の病気を克服してきた。

けれど 
耐性菌の問題もあるし 
まだまだ原因や治療法のわからない病気もある。

乳酸菌などの有用微生物は

悪玉菌も善玉菌も攻撃してしまう抗生物質と違って

腸の中で‘共生’するのだという。→プロバイオティクス

(この‘共生’というのも、
 これからのキーワードになると思わない?)



なにしろ 発酵は ミラクル・エンザイムを壊さないし

「そのエンザイムを作り出しているのは 
 細菌などの微生物です。」(『病気にならない生き方』)

ピロリ菌を抑制してくれる。

飲食物を 美味しく、そして 吸収しやすくしてくれるらしい。

そして、
なにしろ 乳酸菌は <免疫力>に関わっているらしい。

まだまだ 発酵ということが 私にはグチャグチャなのだが
どうやら 未知の微生物が 
これからの医学においても キーワードになるに違いない。







もう、好きにして!(爆)



ブルガリア人にとってのヨーグルトも同様だと思うが
こういうのって、
科学という教科書が生まれる以前からの伝統の中で 
人間は 次世代の人に 伝え伝えてきたんだよね。

簡単になくしてしまっては いけないよね。

モンゴルのフルルよ、永遠なれ!

日本人は 漬物を食べよう!!!(笑)

弔われる者

2007-07-10 | なんとなく民俗学?
『カオス レギオン』(先月5日の記事)の主人公、
ジーク・ヴァールハイトは 
担いだ銀色の大きなシャベルで 
死者を弔うための穴を掘る。

ジークには どこからともなく 死者の声が聞こえる。

声というより、死者の「思い」が 
直接 伝わってくるような感覚だという。

現在の日本に実在したら 
スピリチュアルな赤い髪の美形の青年、ということで
黄色い髪のオジサンなんかと一緒に テレビでひっぱりだこになるに違いない。

歌がうまかったら スピリチュアル歌手と一緒に コンサートで歌うだろう。






ユリのオシベ。





戦場で出会う無数の死者の声を ジークは真剣に聞いた。

この生真面目さは 彼の最大の美点のひとつであり、
物語を一層 面白くしている。

(何事においても 「真面目」というのは 
 これまで私が思っていたよりずっと 大事なものなのだ。)



ジークによれば(笑)、
死者は 最初に 自分の名前を伝えてくるのだという
(『カオス レギオン――聖戦魔軍篇』 富士見ファンタジア文庫 136-1、p32)。

彼らがもっとも安らぐのは、墓に彼らの名が刻まれる時なのだという。

死してなお、自分の名前を告げつつ 死者は泣くのだという。



「死者の最も強い思いは、自分が誰だったか、ということだ。」(p56)

だそうで、
ジークは 
検分を兼ねて使者の宗派を見抜き、
信じがたい速度で埋葬し、
墓標となる石をどこからか調達してきて、
ひとりひとりの名を刻むのだ。



間違いなく 自分の宗派で、自分の故郷の風習で 
埋葬してもらえた死者の魂にとって

ジークは なんともありがたい存在だ。

(在り難い? 当然だ! ファンタジーだもの!)



それからジークは、怒りに満ちた死者の魂を招いて 魔軍の兵として
闘わせることもする。

それが唯一の 彼らを弔う方法だから、なんだそうだ。

ともかく、
そうして弔われた死者の魂は 堕気を払われた清浄なものとなって
天に還って行くらしい。

「荒れ狂っていた風が、ぴたりとやんでいた。

 その穏やかな大気を、――略――

 ふわりと、淡い光が浮かび、

 見る間に、無数の光の群れとなって、

 昇りゆくではないか。」(p81)





一日経った ユリのオシベ。





本当にそうなのだろうか?

死者は 自分の名前を墓に刻んで欲しいのだろうか。

なんと言う名前の「人」として この世に生まれて過ごしたか。

それが大事なんだろうか。

(って、ファンタジー読んで真剣に考え込む私って?)



私は 今でも 
<永代供養>について話しかけてきたオバチャンのこと(2005年8月4日、「30年」
(もう何年もお会いしていないのに)時々思い出す。

自分が死んだら 本当に お墓は30年もあれば充分なのだろうか、と。



「永代」というからには 「地球滅亡の日」まで、という考えは変わらない。

けれど 跡取りのいない人は 30年くらいで

(33年というのもあるみたい。
 33回忌が済んだら、ということだろう。)

お墓は消滅させてしまっても構わない、というのもアリだろうか。



まあ、死んじゃった後のことなんだから、
構わないっちゃ構わないし
たとえ「嫌だ」と言ったところで
ジークみたいな人がいなきゃ 聞いてももらえないだろうし

第一、魂が いいとこに行っちゃってるなら
(ホラ、天国とか 極楽とかサ。)
そんな<形骸>のことなんか どうでもいいよね、とも思うし

第一、
まばたきする間に 極楽浄土に行けるように 読経してもらうんだろうに、

亡くなった後も 延々と 何度も何度も追善供養するってことは、
坊さんの法力を信じてないというか(誰も信じちゃいないか?)、

だいたいが 日本人は 遺骨に執着しすぎっていうか・・・・・・。






さらりと洗っただけでは取れない、ユリの花粉の汚れ(爆)。




まあ、夏になると 余計に そんなことを考えるのかねえ。

もうすぐお盆、

地獄の釜のフタが開いたら 死者の魂は 還ってくるのかもしれないけど
地獄にいない魂は どうしちゃうんだろう?

新暦でやったり 月遅れでやったり 旧暦でやったり
そのうえ地蔵盆なんてのもあったりで

聞いた話では 当地のお盆の時期は 変遷があったようだが
ご先祖さまは 子孫のわがままを聞いて
それに合わせて やってきてくれるんだろうか?

(ご苦労さまなことです。。。)

毎年 爺ちゃん、婆ちゃんのお位牌を
仏壇から出して 盆棚に飾るって事は
先祖は成仏なんかしてやしない、と信じてるからだろうか? 

成仏してても 還ってきてくれるんだ?

昔 宗教学の授業で
死者の荒ぶる魂は 33年かけて清められて
山の上の方に行くんだ、とか聞いたけど。






サマーロベリア




ただ 父の墓参りをすると
不思議なくらいに ほっとする。

娘としてのギムを果たした、と思うから、
だけなのだろうか?

義母のお墓がどんなだったか、まったく頭に残っていない。

次回の墓参りには しっかりと 記憶してこようと思う(苦笑)。

           

安彦良和原画展

2007-07-07 | 乳がん
川崎市 市民ミュージアムにて 安彦良和氏の原画展が催されている。

(→こちらを見て!安彦良和原画展

せっかく武蔵小杉まで行くんだけど

安彦良和のマンガは大好きだけど

原画展には興味はない。

行かなくていいか。

・・・と、思っていたら、

なんと、招待券が手に入った。

これは行かなくちゃ!(笑)








以前に 「横山光輝の世界展」(→2006年12月19日の記事)をやっていた場所。

カワサキって、マンガオタクが多いのか?

あの時使ったこの画像 ↓ は 





なんと、裏手!(爆)






招待券が手に入らなかったら 行かなかった。

これは正しい判断だった、と思った。

だって 私は 勇者ライディーンも知らないし

なにしろ、ガンダムを知らない。

(クムクムは ちょっとだけ懐かしかった。)

息子がガンダムを大好きだったら
きっと私も一緒になって オベンキョウしたと思うが

全盛期、息子は まだ ガンダムにハマるには 幼かった。







氏のマンガは 歴史に題材をとったものが多い。

私が好きなのは、そっちの方。

『神武』とか『ナムジ・大国主』(上の絵みたいな感じ)、

それに『虹色のトロツキー』も面白かった。



絵も好きで 
主人公はみな可愛らしく(オバサンから見ればね)、

人の身体の線も美しい。

透明水彩のような色も美しい。

けれど 彩色した顔は どれも

三白眼(~五白眼)がキツすぎたり

薄すぎる唇の色が赤すぎたりして 残念に思うことが多かった。

今回 見ても やはり同じ感想。






前庭に置かれた 巨大オブジェ。ガンダムにこんなのがあった?




と思ったら、こんな説明書きが。そうだ、カワサキって、鉄の街だったんだ!





マンガの単行本の巻末に載っていた写真で
安彦(やすひこ)・良和(よしかず)というのが
ふたりの漫画家の合同のペンネームではないことは知っていた。

今回 館内で流されていたビデオで
丸顔の氏が だいぶオジサマになってらしたので びっくりした。

そういえば SDガンダムだとか カードゲームだとかで
ワイワイやっていた小学生たちは
もう 大人になっているよね。

そのうち 息子たちの年代が もう少し大人になったら
ミニ四駆のカリスマたちの展覧会?があるのかな。





なんとこの原画展は 川崎のあと 福井、京都、兵庫にもまわる。

会期もそれなりに長い。

ガンダムファンは 必見! だと思う。(たぶん。)





ところで、アメリカン・フットボール
(あの、プロテクターとか ヘルメットとかを 付けて
 不気味な格好でやるラグビーみたいの?)に ワールドカップがあって

それが このカワサキで行われるらしい
(→アメリカンフットボール ワールドカップ 2007 川崎大会)。

カワサキは 鉄の街? マンガオタクの街? 

サッカーの街、アメリカン・フットボールの街!



なんで日本でやるのか? 

なんで日本も出場できるのか?

日本は強いのか?

よく知らないスポーツなので わからないことだらけだが

とにかく、このワールドカップは 7月7日、今夜始まる。

ニッポン対フランス戦だ。

とりあえず、頑張れ、ニッポン!!!(笑)



更年期症状も4年半

2007-07-06 | 更年期
ホットフラッシュにも、いいところはある。  たぶん。

たとえば、朝方 目を覚まして ガ~~~~っと暑くなると
もうそれ以上寝ていられない。

朝寝坊の防止に これ以上のものはない、絶対!

(でも腹が立つ。)

脱いだり、着たり、脱いだり、着たり、脱いだり、着たり・・・・・・
にも もう慣れた(タメイキ)。






今年のテーマ・カラーは白。 ジニア・プロフュージョンも 白。




耳鳴りにも もう慣れた。

かなり おとなしくなったし。

たまに「キ~~~~ン」と鳴ってると
ああ、疲れてるんだな、と思う。

だから そんな時は 早く休むといいんだけど、
たいてい 気付くのは布団に入ってから(苦笑)。

でも それくらい 気にならなくなってる。






去年からのランタナ。白は 上品な印象。






うつ。

慣れた? 

いや、これは慣れないだろう。。

けれど 娘がいなくなったことで かなりホッとしている部分がある。

(楽しいことも同時に減った。

 声を出して 笑うことがなくなったのも
 娘がいなくなったから。

 何事も いいことばかりじゃないなあ。。)

思い通りにならない他人・・・いや、家族に 
イライラすることを止めれば
もっともっとラクになれる、と 身をもって知った。

他人なら簡単にできることが
家族だとそうはいかないのが、苦しみの原因。

人を変えることは できない(または、難しい)のだから、
自分を変えよう。

・・・・・・変えられるものならば。



以前は うつについて書きたいことが山ほどあったので
わざわざ「更年期」とは別に
「鬱」(自分じゃ書けない、この漢字!)というカテゴリーに分けた。

今では一緒にしてしまってもいいかな、とも思える。







お星さまのペンタスも 一株だけだけど、白。





関節痛。

これは もう少ししたら 漢方か何かを試そうかと思う。

辛い。

痛い。

冷えると キ~~~~ンとした冷たさと痛みが とれない。

いやいや、だいぶ良くなってきてる部分もあるんだよ。

だけど。



一時期よくなっていた右手首の痛みは 
最近また始まってきていて

お風呂や洗面台を磨くときに傷む。

きっと 手首を回しながら力を入れるのが 良くないのだろうと思う。




先日 草むしりを頑張ったら(北海しめさばと一緒に)、
手の指も痛み出して 

それはもう、キリキリと痛んで 夜など 飛び起きそうになった。

ヒトという動物は ひっきりなしに手指を動かしているものだ。

その手が 痛む、こわばる、握れない、伸ばせない、
というのは、
結構、 辛い。 悲しい。 不便。



足指や 足の親指の付け根の痛みも 逃げ出したいほど。

お肉を食べるから痛くなる、というのだったら
絶対お肉を食べないよ!

でも そういうわけじゃない(だろう)から 食べるけど。







ニチニチソウも、もちろん、白を植えた。






生理は戻ってこない。

45歳で手術。

でも 生理は順調だった。

主治医は 注射を止めれば 生理は戻ってくると言った。 

ゾラデックスの注射は2年ではなく、3年続けた。

卵巣は もう 活動しなくていい、と覚悟を決めた?



ノルバデックスは 
現在 ジェネリック医薬品のタスオミンに替えて 飲んでいる。

どちらも 薬疹などが出なくてよかった。

この飲み薬も もうあと半年足らずで 飲まなくなる。

そうしたら 女性ホルモンが 正常に戻る?

正常って、50歳の正常だよね。45歳でなくて。

今は 生理が戻ってくる気配はない。

いまさら戻ってこられても困る(爆)。






ニチニチソウは 早くもこぼれ種から花が咲く。強健!





今、ジョルジュ、50歳。

更年期というのは45~55歳、と言われている。

たとえホルモン療法がなくても 
私は更年期の真っ最中、だったのだろうか?

他の同級生達も そろそろ 生理不順なんかになったりしてるんだろうか?

こういうことは 個人差が大きいから、わからないよなあ。



とにかく 
もうあと半年したら
やっつける相手を 乳がんから 更年期症状に替える!

そして 相棒は 心と身体の健康。

子どもも亭主も アテにはならない。


4年半検診

2007-07-04 | 乳がん
例年よりちょっと遅れたけど
4年半検診を受けて 
先日結果を聞いてきた。

クリア!! (と~ぜんよ!!!)



ただちょっと 中性脂肪が・・・(汗)。

コレステロールが・・・(222、もうあと少し減るといいなあ)。

そして、やっぱり、すこぅし、脂肪肝・・・・・・(涙)、(涙)、(涙)。





だんだん花数が減っていくカラー。植え替えた方がいいかしら?




乳がんは 増えている。

なのに 自分だけは乳がんにならないと思っている人は多い。

乳がんに限らず、すべての癌に。

私がそうだったように。



乳がん患者のうち、検診で見つかった人は 
全体の たった2割。

そういう日本乳癌学会の 大規模調査の調査報告が出ていると 
新聞で読んだ。(→乳がん検診で発見2割



つまり、自分でしこりに気付いて受診した、
私みたいな人が多いってこと。

そして そういった発見の仕方によると、
「早期のがん」と呼ぶには 少々進行してしまっていることが多い、
と記事に書かれている。



2004年度に 新たに登録した乳がんの患者、
約1万4千8百人、

平均年齢57歳。

直径2センチ以下の早期でみつかったのは45%、

43%の人は 2センチから5センチに達していて
発見時にリンパ節に転移していた人も3分の1。

(残りの2%の人は? 気になる。。。。)



(リンパ節に転移していない乳がん患者の
 10年生存率は 9割。

 転移していると 7割以下。)



自己検診でみつかるのは 平均して2センチくらいの乳がん。

自然に見つかる場合は 3センチ以上が多いんだって。

これじゃあ、まったく、私とおんなじじゃないか!

自分で見つけて、3センチ、リンパ節転移あり。

乳房の大きさ・形の変化も大きく、
リンパ節を取ってしまったことによる不便も大きい。






もしかして、あなたはビオラじゃなくて、リカちゃんパンジー?





もう一度 言いたい。

乳がんは 増えている。

あなたがなっても おかしくない。

30代から50代の女性の死因の一位なのだ。



検診を。

検診を。

検診を!

マンモグラフィーなどの 画像診断を使った、検診を。

今現在 集団検診の受診率は たった1割台だそうだ。