ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

苗を植える季節

2005-06-29 | 明るい農村
5月からは 苗植えが忙しい季節だ。

写真は5月上旬の ネギ苗を植えたばかりの畑。

この畑は やたら早かったので 早生種かもしれない。

他の畑のネギは 今 盛んに植えられている。

一度 テレビで ちょうど田植えのように
機械で ネギの苗を植えている様子を見たが
当地では ネギ植え機を見た事はない。

愚直に 一本一本 植えていく。



当地からちょっと離れたところまで行くと
田んぼもある。

麦の刈り入れのあとで 水が引き入れられ、
田植えが済んだばかりだ。

実家のイバラキのあたりとは
サイクルがかなり違う。



キュウリ農家は 忙しいと聞く。

あるお宅では
奥さんが 「キュウリを作るなら離婚する!」
と宣言したので、ナスにした、と言っていた。

ナスだって 忙しいのだが、
キュウリよりはマシなのだろう。

美味しいナスをいただいたから、
奥さんを応援しよう。



キュウリを作っていると
6月から11月までは 忙しいと聞いた。

キュウリの生長は早く、
ちょうどいい具合に成長したキュウリを切っていって
振り返ると もう 大きくなっているのだと言う。

だから 出荷時期の農家は 
朝切り、夕切りといって
朝・夕の2回 収穫するらしい。

そして、市場のいい場所にキュウリの箱を置くべく、
朝早く 箱詰めしたキュウリをトラックに載せて
出荷するのだ。



娘の同級生のお母さんが
この時期には いつも疲れた顔だった。

「でもね、ウチのおばあさんなんか、もっと凄いんだよ。
 
 朝は早~くに起き出して、
 暗くてキュウリが見えないから
 ハウスの中で 
 明るくなって キュウリが見えてくるのを
 待ってるの。

 私なんか、全然、働いてないよー。」

比べる対象が 凄すぎる。



市場のそばには
ちょっと味が濃い目だけれど
盛りもよくて 美味しい食堂がある。

忙しい日に来客があって
カツ丼の出前を頼んだ日のことは
忘れられない。

あれはもう 10年以上前、
4月ごろのことだったろうか?

店のおやじさんが 出前を持ってきて
私にイヤミを言った。

頑張っても4人前しか取れなかったからだ。

「この時期は キュウリの苗植えが忙しくて、
 あちこちの農家に 出前をするんでね。」



その時まで 私は キュウリの苗を植えるのが
そんなに忙しいとは 知らなかった。

なんでも 親戚まで総動員して
大勢で大騒ぎで植えるらしい。

そして お昼には 食堂の出前が大活躍するのだ。

20人分、30人分と 配達して回ると言っていた。



キュウリもネギも 早生とか晩生とかはあるが
苗を植える時期は 猫の手も、という状態で
一気に植えるのだろう。

農業はさせない、という条件付で嫁いできた嫁さんや
農業はした事のない嫁さん、
土には触った事のない 嫁さんの実家の親たち、
みんな動員されて 手伝いだ。

ちょうど 私が幼い頃の 田植えのようなものだが、
隣組の手伝いがない、というところが違う。

隣組は いまや 普請のヨイトマケをするでなし、
屋根を葺くのに 萱を刈って来るでなし、
やっかみあいと 足の引っ張り合い、
ご葬儀などでの
厄介のかけ合いをしているのみになったか?



きのうは 二軒のお宅から キュウリをいただいた。

路地ものが採れだしたのだろう。

近所の奥さんは
「柔らかくて、おいしいよ。」

倉さんは
「無農薬で、地を這って作ったきゅうりだよ。

 これを食っちゃあ、よそのは 食えねえよ。」 

と自慢して置いていってくれた。

要らない、と断れる雰囲気ではない。

ありがたく、頂戴する。



お昼には 味噌をつけて ガブリ。

夜には 塩を振って。

昔は キュウリというものは 
味がないものだと思っていた。

甘い。

柔らかい。



出荷するために作るキュウリは
まっすぐなキュウリ。

カボチャの苗に 接木して 苗を作るらしい。

そうすると 固くなるのか?

ハウスの中でぶら~んとぶら下がっていると
曲がりにくいのか?

収穫しやすいのか?

傷がつきにくいのか?

箱に詰めやすいのか?

店の棚に置くと よく売れるのか?

確かに 緑色は濃くて鮮やかなのだが。



なんにしても、
昔ながらの 地這いキュウリが 復権する日を
心待ちにしている。

『食べるな、危険!』

2005-06-29 | 食生活
この本は それこそ‘危険’な本かもしれない。
(日本子孫基金著、講談社、2002.10.8、1300円)

読むと、アブナイ。

恐ろしくて、何も食べられなくなる。

だから、ひとつひとつの事例をここに書くのは 
はばかられる。

なにしろ、もう、世の中、食べるのが怖いものばかり、
私は 途中で 読むのを諦めた。

こんなに様々に汚染された食べ物でも
食べなくては生きてゆけない、
作っていない私たちは
買ってこなければならない、
知らない方が 気がラクだ・・・。

それでも 購入して読み出したのは
やはり癌になったから。

放射線治療に通っていた頃から
気になっていて
お昼を食べるお店の前の書店で
いつも眺めていた。

思い切って読み始めた・・・。



日本子孫基金というのは、
消費者・環境NGOなのだそうで、
「暮らしにひそむ化学物質の遺伝毒性をテストしようと
 1984年に設立された市民団体」。

今は 名称変更して食品と暮らしの安全基金
と言うらしい。

月刊誌『食品と暮らしの安全』を発行しながら、
調査報道を主体に活動してるそうだ。



レモンが 店頭から消えた
12年前の「日米レモン戦争」―――知らない。

虫が遺伝子操作じゃがいもの葉を食べて死ぬ
5年前の「衝撃映像」―――やっぱり、知らない。

環境ホルモンが溶け出している事を指摘した
4年前の「カップ麺論争」―――あ、これなら知ってる!

これらを仕掛けたのが、日本子孫基金で あるらしい。



その中で エッセンスとして
私が嗅ぎだしたのは、
各種添加物の中でも

①合成保存料

②合成着色料

③漂白剤

この三つは どうも 他の添加物に比べて
良くないように思えたので
この三つを食品の袋やパックをひっくり返して
含まれていないことを確認して購入しよう、

ということだった。



子供たちにも亭主の居るところで話した。

せめて 菓子パンを買うときには
小さい文字で書いてあるけど
よく確かめて買うように、と。

これは 一人暮らしを始める義父にも
偉そうに進言したので
もしかしたら そのせいもあって
義父は 生協の宅配を始めようと思う、
と言い出した。

宅配も長所・欠点いろいろあるので心配したが
なんとか やっているようだ。



それから、魚。

私は ごく大雑把に、
養殖よりも 天然ものを、と。

同じ魚が 養殖と天然、並んで売られているときには
思い出して
天然のほうを買った。

天然ものが高い時には
別の安い魚にする。



肉のなかでも、輸入牛肉について。

「手に入るのならジャスコのタスマニアビーフがいい。」

そういえば、数年前には TVコマーシャルで
そんな名前を聞いたなあ。

「それがだめなら、オーストラリア産がよい。」

それまでも アメリカ産牛肉は
あまり買わなかったが、
これを読んでからは 私は一度も買わなかった。

牛肉の好きな亭主が 
安さに引かれて バスケットに入れる事はあったけれど。

BSE騒ぎが起きたときに 
この本に書いてあった事を 家族に話したら
亭主は何も言わずに 黙って聞いていた。



私たちは 
便利さを求めるあまり
要らないものだらけの食品を次々と作り出し、

見た目にこだわるあまり
添加物だらけの食品を求め、

そうして 身体への悪影響を
自らもたらしている。

病気になったり
抗生物質が効かなかったり
そんなことになったら、大変だ。

そう思いつつ
添加物だらけの食品が並んだ棚を
きょうも 歩いて 
商品を手にとって かごに入れて来るのだろう。



こんな世の中に いった誰がしたのか!

怒りがこみ上げてくるし
無力感にも襲われる。

法律は かいくぐる網の目の大きさを確保しているし
消費者は 見た目の良いものに
より多くのお金をかける。

生産者は 自身の健康を害するような薬品を使ってまで
消費者に受け入れられる商品を提供しようとしている。

いったい誰が悪いのだろう?



やはり せめて 自分と家族のために
小さな文字まで確認して
商品を選ぼうと思う。

農産物の宅配を らでぃっしゅぼーやを使ったりは
していないが
できることだけは きちんと していこう。

野菜はなるべく国産のもの、カット野菜は買わない、
パンは国産小麦と天然酵母で焼いたパン(そんなの売ってないよ)、
ああ、覚え切れない。



この本で 人類の未来に悲観的になりそうな人には
同じ著者、発行所、値段で
『食べたい、安全!』というのが出ている(2003.4.15)。

カップめんなら、日清食品の紙容器カップ麺、
などと書いてある。

加工食品を 
良心に恥じない作り方で 提供してくれている会社も
数多くある。

全国から 消えてなくなりそうな
良心的な生産者へ
エールを送りたい。

カラオケ

2005-06-28 | なんでもないこと
夕べは 珍しく 夜に 記事を書こうと思ったら
「アクセスが集中して・・・。」の画面のみ。

普段と違う事をしようとすると、これだ。。

だから 今日は 清楚な白百合を載せて
気分を変えよう。



日曜日には 外でご馳走を食べて
そのあと カラオケに行った。

娘が 合宿免許に行ってたときには
息子と三人で一度行ったので
今回は 息子がいなかったけれど、娘と三人で。

歌う歌の 凄い年代の差! がある。

が、気にしない。

娘は 一応 親への気遣いをした選曲をする。
というか、しているらしい。

たとえば、大塚愛。
元気でノリのよい歌は パパもママも好きよ。

娘はいつも『さくらんぼ』を歌ってくれる。

そのほか、リバイバル・ヒットした曲で
親が知ってるものとか。



息子は末っ子、そういう気遣いは 全くしない。

意味のわからん歌をいっぱい歌う。

本人にとってのブームで 歌うわけだから、
当然といえば当然ながら。

(でもね。
 Queenを普通の人が歌うのは、
 無理があると思うよ。)



娘は 友達とカラオケに何ヶ月も行っていないと
暴れだす(おおげさ)。

おとといも 「もう 何年も行ってないよ!」
とわめいた。

半年 歌ってないそうなので、納得する。

息子は まだ そういう機会は 少ないらしい。

でも たまに 親に内緒で行ってるらしい(怒!)。



前にも書いたが、 親が歌うのは、いつも懐メロ。

今回も出た、
中島みゆきに オフ・コース(小田和正)。

いつも さだまさし 松山千春 ユーミン なんかを歌う。

今回は チューリップも。

亭主が私に歌わせる、 『オリビアを聞きながら』。

ほんとうはよく知らないのよ、この歌。



尾崎亜美って、<空白時代>の人みたい。

<空白時代>とは、テレビがなくて、または
テレビがあっても 見ていなくて、
流行歌や 人気ドラマに 縁がなかった日々のこと。

「東京さ出でがら」、子供が成長するまでの間、
ロクにテレビは 見ていなかった。



私は小さい頃は テレビと共に生きてきたので
流行り歌も よく覚えている。

テレビが白黒だった頃の歌を
同年代の亭主が知らないのは
毎日 野山を駆け巡っていたからだろう。

伊藤咲子の『ひまわり娘』を 亭主は知らなかった。

亭主は 「花の中三トリオ」も知らないのか?

伊藤咲子は 『イルカに乗った少年』の
城みちると噂になった歌手で、
この歌は 今でも好き。

この曲は テレビのモノマネで見て 娘も知っている。

すぐに覚えてしまって、スバラシイ!

(その能力を、英単語に生かしていれば・・・。)



ザ・ピーナッツの『恋のフーガ』も歌った。

(三人で 2時間歌うと 結構 歌える。)

映像でカラーのザ・ピーナッツが歌っていたが
流行ったのは 白黒時代だと思う。

子供の頃には 姉と二人で 
頑張ってハーモニー・シスターズをしていたんだ。

ひとり寂しく歌った。

(あの頃は歌ったけどジュンとネネは 
 今は 歌いたいと思わない。)

『銀色の道』は 
ダークダックスの歌だと思っていたけど、
ザ・ピーナッツのところにあった。

これは 「オレも知ってる。」と亭主も歌った。



亭主にとっての懐メロは 
大好きな海援隊だったり、
中村雅俊主演のテレビドラマの 小椋桂の曲だったり、
ツイストだったり、
が、私と違うところ。



私が英語で歌うのは やっぱり懐メロで
サイモン&ガーファンクル、トム・ジョーンズ、
アンディ・ウィリアムズ、カーペンターズ、
それから グループ・サウンズのものになる。

古すぎて 恥ずかしいが、歌うと気持ちがいい。



今回は MISIA と セリーヌ・ディオンに
挑戦したかったのに、忘れた。

いつも、こう。

だから、カラオケに行ってくると
すぐにまた 行きたくなる。

行きたくなるけど、滅多に行かない。

滅多に行かないと、
カラオケというもの、そのものの存在を忘れる。

家族で行くと 音程を気にせずに 歌えるから
そして だれも バカにしないで聞いてくれるから
いいなあ。

(我慢して聞いててくれてるのは
 顔を見ればわかるよ!)

見たい映画をつなぐタスキ

2005-06-26 | 考えたこと
音楽の次は、映画なんだって。

うふ。

ホントにきちゃった。

こーゆーの やってると、若いような気がしてきて、
正直、嬉しい。

嬉しいけど、
ここ、映画館がない。

滅多に都会に出ない。

出るけど、整体行って お昼食べて 鍼灸行って 帰る。

映画、見てないんだよねー。



1. 過去一年間で一番笑った映画

   過去一年以上、映画、見てませーん。 

   どうしよう?

   古い映画じゃだめ?

   ディズニーの『ラブ・バック』とか。(冷汗。) 

   (あれって、カラーだっけ?)

   いくらか新しめで、『マスク』。

   『マスク2』は当然、見てない。

   『アメリ』も『タクシー』もいいけど。

   『デンジャラス・ビューティー』も面白かった!

   でも、その辺全部、テレビで見たの。
   
   (ゴメンナサイ。)

   


2. 過去一年間で一番泣いた映画

   映画見て泣きたいよ、もう。
   
   前に書いた『半落ち』、
   もう、考えちゃって考えちゃって。。。

   最近じゃ一番泣いたかも。



3. 心の中の5つの映画

  ①『チャンプ』 リッキー・シュローダーが
   可愛くてねえ。

   泣いたわあ。


  ②『愛と青春の旅たち』 日本語タイトルが
   少々ダサいけど。

   “An Officer And A Gentleman"のほうが、
   ずっとカッコいいよね。

   『Syall We Dance?』のリチャード・ギアが
   一番かっこよかった映画。
   脚本が好きだった。


  ③『炎のランナー』 何がいいのか。

   静かな感動なので わかりにくいが、
   印象に残る映画。

   もしかしたら、音楽がよかったのかも。


  ④『サウンド・オブ・ミュージック』
   昔々、お姉ちゃんに マチの映画館まで
   連れて行ってもらった、思い出の映画。

   忘れられない感動の場面の数々。

   その後、映画を判断する基準になった。


  ⑤『ロード・オブ・ザ・リング』
   J.R.R.トールキンの本を読んだ人には
   この映画の優秀さがわかると思う。

   ファンタジー、大好き!

4. 見たい映画

   なんでもいいのよ、見られれば。

   とは 書いちゃいけないんだろうな。

   でも 正直なところ、映画って、
   ひとりじゃ行きたくないの。

   誰か一緒に行ってくれる人、募集中!

   アヤシイ人妻。

   やっぱり、ダメね。

   気心の知れた人とでないと、行きたくない。

   わりとどんな映画でも好きだから、
   何でもいいから、見たい。

   トム・クルーズの新作、よさそうじゃない?
   『宇宙大戦争』だっけ?

   『電車男』も ミーハーだから 見たいよ。
   
   

なんで4つでおわりなんだろう?(笑)

こうして いろんな好みのものを書いて、
「ああ、私と同じ!」とか
「あれ、そういう人だったの?」とか
「全然、私と好みが違うじゃない!」とかって
わかると、面白いかも。



あまり優秀なタスキじゃなくて 申し訳ないけど、
ここに何本か置いときます。

持って行って タスキをつないでくださった方、
いらっしゃったら、ご報告を。

ああ! 映画、見たい!
しょっちゅう見てる娘が憎らしい!

わげぇしら

2005-06-25 | 昔語り
『いばらぎじゃなくていばらき』の最初の項目が
「わげしを都会に連れでって(ディレクターズ・カット版)」で、
私としては この項目名からして、
可笑しくて、懐かしい。

そうして 思い出したこと。

昔 実家の辺りには ‘わげぇしのあづまり’があった。


ttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttt

変わった色の イトトンボ。

青緑のメタリック・カラー。

子供のころから、こんな色のイトトンボは
見た事ない。

22日撮影。

ttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttt


‘わげぇし’または ‘わげし(と、茨城王は言った)’。

それは、たぶん、‘若い衆’のこと。

‘若い’→‘わげぇ’、この変化は 方言としては
基本的なものだと思う。

そして‘わげぇしのあづまり’、
すなわち、‘若者たちの 集まり’とは・・・。

文字通り、若者たちが集まる事。
(なんのこっちゃ。)



実家に 時折 若い男の人たちが
夜に 大勢 集まっていた。

それは 一月に一度か二度程度だったのかもしれない。

わたしはまだ幼くて、
集まってくる若者たちが
身体も声も大きくて、怖かった。

もしかしたら 幼い私には大きく見えても
高卒程度の年齢だったかもしれないが。

それとは 別に、B型気質、人が大勢集まるのが
嬉しかった。



食べたり、
飲んだり(何を? 知らない、寝かせられてて)、
しゃべったり。

もてなす母は 今考えてみれば大変だったかも。

母は、‘わげぇし(=若者たち)’という
複数を意味する接尾辞をつけたこの単語に
さらにいろいろくっつけて 口にしていた。

曰く、‘わげぇてえ’、‘わげしてぇ’、‘わげぇしら’。
さらに、‘わげしてぇら’。
‘てぇ’も ‘ら’も 複数を意味する。
‘てぇら’はもっと大勢?
‘衆・てぇ・ら’は、もっと、もっと、大勢?



私は姉と二人姉妹。

男の兄弟はいなかった。

お寺という家業(家の業:ごう)に生まれた
二人目の女の子は 
少々、厄介だ。

要らないものを見る目つきをされることがある。

これは ヒガミかもしれない。

ヒガミかもしれないが、
「この子が 男の子だったら、ねえ。」
とは よく言われた言葉。

いろんな人から。見知らぬ来客からも。

そして 父も母も 
異常なまでに 男の子が可愛いかった。



もしかしたら そんな父が 
言いだしっぺ(‘ぺ’がつくけど、共通語だよね?)
になって 始めた 集まりかもしれない。

自分の周りに、男の子をはべらせて 
悦に入っていたのかも。

男の子、と書いたが、
記憶では 結婚すると 脱退、という
暗黙の了解があったような気がする。



また、これは もしかしたら、
‘若衆宿:わかしゅうやど’と呼ばれる制度
(テレビで見た事がある)をまねして
始めたものかもしれない。

また、或いは、
戦後 日本各地のお寺で盛んになった
仏教子ども会や 仏教婦人会の流れの中の
仏教青年会の ひとつの形態だったのかも知れない。

B型で 人と交わるのが好きな父が
真面目に布教に取り組んだかどうかは別として、
集まってくる人たちも
結構楽しみにしているように見えていた。



いつの間にか 
そう、各家庭に テレビが普及してからかも知れない、
消えてなくなっていた 集まりだった。

あんな集まりも それなりに意義があったようだったし
(なんとなく そう感じていた)、
今でも あれば それなりに 意義が見出せると思う。

先輩や 大人(父は30代前半だったか?)から
助言ももらえるし。

イジメがないようにも 気を配れると思うし。

人と人との交わりが 少なくなりすぎる時に、
今あると 結構 いい役割が与えられそうな気がする。

そんな面倒な事を 寺の人間がするかどうか、
そんな面倒なことろへ 引きこもり気味の人が
出かけてきてくれるかどうか、
そこのところは わからないが。



父が亡くなって、
あれは、密葬の時かもしれない。

(なにしろ、その前後の記憶は、極めて曖昧。)

お清めの席の一角に 懐かしい面々が集まっていた。

あのころの‘わげぇし’のメンバーたちだ。

面影が消えないどころか、そのままなのが可笑しい。

彼らは
騒ぐでもなく
大声を上げるでもなく
しゃべりまくるでもなく
ただ そこに座って 静かに
語り 飲み 食べ 
時折 ぽつりぽつりと 何かを語り
そして 
いつまでも 席を立たなかった。

もしかしたら
父の突然の死を
一番 心から 痛んでくれていたのは
あの頃 父を アニキのように慕ってくれていた
彼らだったのかも知れない。

(なにしろ、私たち親族は
 悲しくも辛くもなかったので。 
 その時はまだ。)

ミュージック・バトン

2005-06-25 | 考えたこと
または、ミュージカル・バトンとも言うらしい。

適当?(笑)

私にバトンを渡してくださったのは、
空がうまれる瞬間
tsukimati-bunkoさん。



1.PCに入ってる音楽の容量

2.最近聴いてる曲

3.最後に買ったCD

4.よく聴く、または思い入れのある5曲

5.カラオケでよく歌うのは

6.バトンを回す方5名

を記事に書いて、トラック・バック するらしい。



新手のチェーンメールか?
と オバサンは 警戒心を抱いたのだが
別に 人に迷惑をかけなきゃいいんだし、
ということで、
面白そうだから ちょっと書いてみます。

ただし、次の人に回すのは 
ちょっと 止めておきたいと思うので、
もし 気になる方がいらしたら
ぜひ 書いていただく事にして、
TBはしないことにします。

ここで途切れるか?

それとも
ほそ~く、ほそ~く 繋がっていくか。

そちらの方にも 興味があります。

記事になさった方は ぜひ ご連絡を。



さてさて、

しょっぱなから なんなんですが(笑)、

1.PCに入っている音楽の容量

   パソコンに音楽なんて 取り込んだ事がない!(爆)
   
   いや、多分、入ってると思うんだけど、
   私が入れたんじゃないし。
 
   入れ方なんて、知らないし。

   若いって、スバラシイ、こんな内容が 次々と
   いろんな人に手渡されていたんだね。



2・最近聞いてる曲、
3・最後に買った曲

   Def-Tech というんだったかな、確か。
   
   風力発電の白いプロペラが 
   ゆったり回る映像が印象的な
   ヨコハマタイヤのCMで流れている、
   Def-Techという男性二人組みが歌う、
   ‘MY WAY’という曲。

   売れてる曲を買うのは好きじゃない
   へそ曲がりオバサンですが、
   あの曲は気に入っていて、
   マチのレコード・ショップ(と、今は言わないのか?)
   で売られていたので、即、買ってきました。
   
   子供たちに喜ばれました・・・・・・。

   これ、たぶん、パソコンに入っていると思う。

   インディーズで売れ出したこの曲を
   持ってる友達から借りてきた娘は 
   よくパソ子を膝に抱いて 聞きながら歌ってた。

   このCDを 持って行ってしまった息子に
   代わりに預けられたのが、
   ポルノ・グラフィティの‘サンプ・サンプ・サンプ’。
   (今、変換したら、‘産婦・産婦・産婦’だって;笑)
   (いっくら、私のお腹が出てるからって!怒)

   だから 今 車の中で聞いてるのは、
   このCDになります。



   4・よく聞く、または 思い入れのある曲
   
   入院中によく聞いていた 大好きな曲は
   癒し系が多かった。

  ①エンヤの‘Paint The Sky With Stars' というベスト版。

   なにが一番好きだろう?‘Orinoco Flow'かなあ。

   ‘BOOK OF DAYS'も好き。

   エンヤのアルバムは いっぱいある。
    

  ②小野リサ の ・・・。
   
   ああ、曲名どころか、アルバム名もわからない!
   
   今 亭主のところを あちこち探したけど、なかった。

   彼女がシャンソンを歌った ‘DANS MON ILE' もいいです。

   

  ③白鳥英美子 ‘Re-voice'

   彼女の声、いいです!

   あと、いまミュージカルになって 新宿コマにきている
   クイーンも好きで。

   入院中の昼間は、クイーンが多かった。
  



  ④Back Street Boys の ‘I Want It That Way'

   ミーハーオバサンと呼べ。

   もちろん、子供たちの影響。



  ⑤Blue の ・・・なんていう曲だろう?

   ‘Blue'という曲だろうか?
  
   これも 子供たちの影響。
  
   Blue は、いいよ。



あら、クラシックや スイングル・シンガーズが
抜けてる。

ま、いいか。



5.カラオケでよく歌うのは
  
   懐メロばかり。

   フォークソングからニューミュージックへ、
   という時期が ちょうど青春だったので。

   ボサ・ノバや ジプシー・キングスの歌は歌えない。

   英語と中国語以外は、読めない。

   さて。

   何を一番よく歌うか?

   イルカの ‘なごり雪’にでも しておこう。

   ちょっと、面白みに欠けるな。
 
   この間は、『若いってすばらしい』を歌ったよ。

   古すぎて、亭主は知らなかった。

   牧みちる? 知らないよね。



6.バトンを渡す方 5名

   というわけで、どなたか、受け取りたい方、
   ここにテキトーに 何本か 
   バトンを置いときますから、
   取りに来て!(笑) 



実は今、私のCDプレイヤーが 壊れてしまって、
ウチ中で 私だけ CDプレイヤーがないの。

誕生日に デラックスなのを買ってもらえるかと
期待してたんだけど、
最近お金はピンチだし、
父の日を 家族全員で無視したし、
しばらくは 車の中だけが
私のミュージック・エリアです。

ああ、結構、面白かった!

『いばらぎじゃなくていばらき』

2005-06-22 | 読書
最近の私が 
‘茨城’を‘イバラキ’と書いたり、
方言にこだわり始めたのは、
この本の著者のサイトの影響。

滅多に帰らないふるさと・イバラキの方言が
このごろ 
やたら 懐かしく、
やたら 面白い。

この本の 一番 秀逸なところは、表紙。

(青木智也著、茨城新聞社、2004.5.25、1000円)



だから、‘イバラキ’じゃなくて、
‘イバラキ’なんだってば。

なのに 
間違えるはずのない NHKが
なぜか 昔から ‘イバラギ’と言う。

なぜか 未だに ‘イバラギ’で通している。

‘イバラキ’なんだってば!



この出版社では、取り寄せには時間がかかるだろう、
ということで、
初めて アマゾンに注文してみた。

これが先月のチャレンジだった。
(安いチャレンジで、スイマセン。)

セブン・イレブンまで 受け取りに行けば、
送料はタダ!

嬉しい、しかも、すぐ届く!

便利な世の中になったと、オバサンは感無量。



この著者のサイトに行ったのは、
茨城生まれ・茨城育ちの甥っ子が
彼のブログの中で

「茨城王:イバラキング」というサイトの中の
「茨城の常識」というのを
紹介しつつ うだうだ 書いていたのを読んで。

そう、この本は、このサイトから出来た本。



で、その、「茨城の常識」とは・・・。

茨城県民の歌が歌える。/県内全域

 あたしなんて、歌えるだけじゃなく、
 三番まで、ほとんど 踊れる!

 運動会には 毎年 踊っていたもの。

 難しかったっけ。

・筑波山に登ったことがある、
 大洗でおよいだことがある/県内全域

 小学校でも 中学校でも 卒業前に
 筑波山登山があった。
 
 卒業直前だから、 思い出深い。

・学校の校歌に必ず「筑波山」というフレーズが出てくる
 /筑波山が見える地域

 もちろん。

・いまだにJAを農協と読んでいる/農家?
 
 あたしなんて、いまだにJRを「国鉄」と
 呼びそうになるんだけど?



・家にJAの帽子がある/農家

・常陽銀行に口座をもっている/県内全域

・家の外にも トイレがある/農家

・お買い物は カスミ・グループ/県内全域

・近所の家は 屋号で呼び合う/農村部



・家には ひとり一台 クルマがある/県内全域

 あ、これは、ここも、そうだよ。

・スカートの下にジャージを穿く(女子学生)
 /県内全域

 あ、これも やってる。
 
 娘たちは、‘埴輪’と呼んでたよ。

などなど。

いちいち うん、うん、と頷くことが書いてある。



中には、

・スクーターに乗るときは できるだけ足をひらく
 /ヤング

・黄色は進む(信号)/県内全域

・なんでも「つくば」と付けたがる/県西・県南

・初午には「すみつかれ」を食べる/県西・栃木

・「きょうきゅう」が「供給」であることを
 ずっと知らなかった/日立周辺

など、「?」なことや 
「なに、それ?」なことも書いてある。

イバラキは、広い。



もちろん、ふるさと離れて ウン十年、
新しい事は わからないことだらけ。

だいたいが、天気予報で言う「ろっこう」って、
阪神の本拠地の天気か? と不思議がってたくらい。

あれは、想像では 「鹿行」と書いて ロッコウ。

‘鹿島’と‘行方:なめかた’を合わせたネーミングに
違いない。



この本の中で もうひとつ、
「マックスコーヒー物語」は 
かなり追求してかかれており、
こういう本ででもないと 書いてもらえない、
貴重な論文。

それから、時事的に 合併問題にも触れている。

子供の頃から、
イバラキと千葉が 合併したら、チバラキ県、
とか、よく言ってたなあ。



著者のユーモアのセンスは 
まだまだ 発展途上。

文章修行も もう少し頑張れ、という感じ。

けれど 懐かしくて可笑しくて。



この本は 後ろからめくると、
「茨城弁大辞典」になっている。

言語学者でもない著者が、よくここまで、と思うが、
「?」 「ん?」 「あれ?」  
と思う内容も多い。

方言は、奥が深い。
 
これからも 時々 茨城弁について
考察を重ねて行こうという決意のもと、
カテゴリーの新設を行ったのであった。
(と、堅苦しく宣言するほどのものでは、ナイ。)

ぎっくり腰・その後

2005-06-21 | 考えたこと
もう、ほとんど、治った、と言っていい。

だた、時々 痛む。

痛むと、嫌な記憶が蘇る。



もともと 
腰をはじめ、身体のあちこちが 悪かったらしい。

職場の先輩の紹介と勧めで
恵比寿の整体師に通うようになったのが、25歳。

「あなたの歩き方、絶対腰が悪いわよ。」
と、先輩。

「身体の関節を支えるじん帯が 弱いね。」
などと整体師に言われつつ。

「あなたは、毎日来た方がいい。」
と言われたけど、
「そんなにお金がつづきません。」

(安月給だったよなあ。)

なんとか サイフと相談して 週に二回通った。

気持ちが良くて、どんどん良くなるのがわかって、
「週に一度でいいわよ。」
と言われるようになった。



結婚の4ヶ月前に 追突事故に遭い、
以後、首から背中、腰、縦にぜ~~んぶ、
具合が悪くなって。

痛いも、痛かった。

けれど、もっと辛いのは、痛くない症状。

何と表現すればいいのか。

ただ、「辛い」と。



当地に来てからは
子供の腰が据わるのを待って、
恵比寿まで 月に一度程度。

それさえも 
忙しくて 行かせてもらえない事もあった。

「辛い」の症状が強くなって「痛い」になった。

痛くて、痛くて。 腰が。



ヒトの腰痛が 二足歩行に始まるのならば、
二足歩行を止めれば 痛くないんじゃないか。

そう思って実行した、四つん這い。

思ったとおり 痛くなかったけど、
人が見てる場所だと、ちょっと。。

でも ひどい時には そうやって 四つん這いで
台所を ゴキブリのように 這いまわっていた。



今回 ぎっくり腰になって
痛みが落ち着いてみると
あの頃の腰の痛みは 今と似ている。

ぎっくり腰のような 腰の状態だったんだ、
とわかる。



いくらかよくなると、当然、動き出す。

すると また 痛くなる。

台所で。

棚の上のものを 伸び上がって取るのは、
なんともない。

下のものを取る時には、膝を曲げる。

いつも具合が悪い右ひざが痛み出す。

このオンボロひざめ!



洗い物をする。

てきめん、腰に来る。

玄関周りを 掃く。

キリキリと痛む。

仰向けに寝て 腰が伸びると、治る。

昔とおんなじだ。



お米を研ぐ。

痛い。

何をしても、治らない。




ああ、あの頃の私は、
腰に悪い事ばかりを、
毎日毎日 一生懸命、やっていたんだ。

(あと、おんぶに、だっこに、ダッシュ!)

あの、健康とは 決して言えない頃の
自分の姿を つい 思い出してしまう。

背中や腰が 痛くない時はなかった私。

「痛い」より ずっと辛くて、
でも 誰にも 理解してもらえなかった私。

首や肩が 冷たくて 痛くて 辛くて
毎日泣きたかった私を 
思い出してしまう。

あんなふうには もう 決して 戻りたくない。



そういう 恐怖感があって、
台所には 極力立たずに 昨日まで過ごしてきた。

子供に頼んだのに、お米が研いでなければ、
炊かない。

(一度だけ 朝4時ごろ目が覚めて  
 不安に駆られて見てみたら 研いでなくて
 お米を研いで 炊飯器にセットして
 また寝たけど 
 それから しばらく 痛みが退かなかった。)

ゴミは、集積所に持っていかない。(溜まる。)

掃除は、しない。(ほこりが、溜まる。)

洗い物は、しない。(洗い物が、溜まる。)

お風呂を洗ってもらうまで、お湯を汲まない。

どうせ 家族揃って食べることは少ないから、
弁当を買ってくる。

夕食どきに揃うようなら、食べに行く。

外食も 弁当も 飽き飽きしてきて、
ようやく なんでもできる自信が出てきた。



癌になって
当地に来てはじめて、
週に一度 整体に通うようになって、
毎日(のように)歩くようになって、
今までで一番 元気になったのに、
もう
あの頃の私には
絶対、絶対、戻りたくない。

昨日は 
ようやく 土手を歩いてきた。

お米も研いだ、すこ~し、痛むだけ。

風呂は 息子が 文句も言わずに洗ってくれた。

娘は 寝冷えでもしたのか、風邪気味で 
頼れなかったのは、大誤算。

亭主は 予定通り 忙しいピークで、
でも できるだけの 協力はしてくれた。



あの頃の私に 戻りたくない、
その一心だった。

完全復活!

ワガママが、一番。

方言は恥ずかしい?

2005-06-20 | 考えたこと
方言を気にせずにしゃべっていた大阪出身の知人は
「大阪が、日本の中心なんや。
 いま 標準語と 呼ばれているのは
 東京地方の 方言や。」
などと おっしゃって・・・。


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6月は ユリの季節。

この ニッコウキスゲのような色のユリは
日当たりが あまりよくないところに置くと
橙色の灯りをともしたように
そのまわりが 明るくなる。

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「だから、堂々と 方言でしゃべったら
 ええやん。」
というのが 主張だった。

「ホントねえ。」
「そうねえ。」
と聞いていた私だった。

だからと言って、
若い女の子(つまり、私)が
堂々と 方言でしゃべれるか、というと、
決して、そうでは、なかった。



だいたい、イバラキの方言には、
丁寧語も 謙譲語も 尊敬語もない。

(いたって、シンプル。)

だから 目上の方には 
ヒジョーに!!! 失礼に聞こえる。

そして 濁音が多い。

もう、これだけで、
若い人たち、特に 都会へ出た人たちには
学生・社会人を問わず、
実用性は ないに等しい



『ガラス坂』(硝子坂?)という歌を歌ってヒットした
高田みずえという、確か広島出身の歌手がいた。
(注:高田みずえは 鹿児島出身らしい。)

彼女はデビュー当時、無口なコだと思われていたが、
共通語をしゃべれるようになったら、
実はおしゃべりな女の子だった、
という話を覚えている。

当時の私は 広島弁が どんな言葉かは知らなかった。
(達川氏も トーク番組には出ていないし。)

でも イバラキ弁ほど 恥ずかしい言葉ではないだろう、
と思っていた。



後に 資格をとるための講習で
日本各地から集まった講習生たちと
2ヶ月ほど 一緒にオベンキョウした時に
広島出身の女性と親しくなった。

当然のように
言葉の話題でみんなで盛り上がった時、
高田みずえの話をしたら、

彼女は
「広島の方言は、とにっかく、凄いから、
 そうなるの もわかる。」そうで。
(もう一度注:高田みずえは 鹿児島出身らしい。)

やっぱり、男女の言葉の違いも
ないかもしれない?



もすこし遡って 大学に入ったばかりの頃。

宮城県(いや? もしかしたら、岩手かも;汗)
の出身の女の子が、
まさに、高田みずえ状態。

無口だと思っていたら、
実は すっごいおしゃべりで、
しゃべりだしたら 早口で 止まんない。

相当 言葉に関しては 気にしていた、
と言っていた。

聞いた人が 何を言っているか、
わからないんじゃないか、と。



で、私はどうだったか、というと、
友達はみんな
「大丈夫よ、
 ジョルジュさんのは、なんて言ってるか、
 わかるから。」

・・・・・・訛ってるらしかった。

私の他に イバラキ出身の女の子がもうひとりいて、
(文学部だったけど)
その子は 水戸市の出身。

県庁所在地だし、
私よりずっと 都会の子で 洗練されてるかも、
と思っていたが、
言葉に関しては、水戸は イバラキの中心、
言葉も イバラキ弁のただ中らしかった。

「あの人のは、なんて言ってるのか、
 わかんないのよねー。」

使っている言葉の問題では、たぶん、ない。

イントネーションのせいだ。

私のイバラキ・イントネーションは
いくらか 癖が 穏やかだったらしい。

(もっとも、彼女は どうやらお金持ちらしく、
 服装やアクセサリーは 
 私なんかより ずっと素敵だったけど。

 こんな事を覚えてるなんて、
 私も、オンナね。)



カゲキなヘア・スタイルで 
プロレスのゴングを鳴らしながら 
マイクを投げ捨てるスタイルの ピン芸人が 

この間

「テレビドラマで 田舎者はみんな
 東北弁でしゃべってる。

 たまには 高知弁の 田舎者を
 出してみろ!」

というような意味のことを 言いながら
怒りの‘マイク投げ’をしていた。

田舎者に見えるから、
方言はカッコ悪いのかな?



東北の人で 自分のしゃべっている言葉が
相手に伝わっているか、わかるかどうかを
気にする人は 多い。

イバラキ・イントネーションだと、
「早口で わからない。」と言われたことも
私自身、何度も。

大阪弁は 落語や漫談などの芸人さんが
言葉を広めてくれたので
よくわかる。

通じるんなら、心配せずに 
おしゃべりを楽しめるよね?



沖縄は 言葉、料理、おどり、風習、
そんなのが ブームになって、
そのブームは 静かに続いている。

その辺が 恥ずかしいかどうかの違いに
表れてくるのかな?



東北弁や イバラキ弁が 
バカにされずに ブームになる日は
果たして 来るのだろうか?

お詫び:いつもいつもいい加減なこと書いて、
    誠に申し訳ない。
    高田みずえの記憶は どこでどう 
    交差しているのか、
    もはや わからなくなっている。
    とにかく、
    どうやら 高田みずえは 鹿児島出身らしい。

ピンクの鉄砲ゆり

2005-06-19 | なんでもないこと
我が家に咲くユリは
ユリを中心に栽培している 
花作り農家の義さんにいただいた球根から花開く。

これは、
唯一、私が買ってきたユリ。

ピンクだけど、鉄砲ゆり。

鉄砲ゆりだから、
増える。



手前に写っているのは
腐りかけた木製プランターに残った球根から成長したもの。

最初に植えた球根は 二箇所に分けて植えつけたが、
(後方にその一箇所、)
小さな球根が 残っていたらしい。

そのまま数年、今年は1メートルほどの高さになって
こんなにきれいな花をつけてくれた。

もう一箇所 鉄砲ゆりの植え付け場所を
探さなくては。

訛り

2005-06-19 | 考えたこと
私は いつも 「気分は17歳」でいるので、
鏡に映ったオバサンの姿に 愕然とすることがある。

一番 友達関係が充実していたのが
17歳だった。

その 17歳の時に
友達と3人で 木曾に旅行に行った。

いろいろヘマをやらかしたけど、楽しかったな~。



その時に 妻籠宿で買った、木のたま杓子。

東京に出る時に持って出て、
そのまま 今でも 現役。

年季の入った色・つや。

鍋物の時には 必ずこれを使っていたので、
今では 子供たちも 鍋の時、
特に おでんの時には
この おたまを 要求する。

自然の柔らかさ、温かみ、素朴な形。

そんな視覚的・心理的な要素のほかに、
実用性も。

ステンレスのおたまだと、
せっかく大きいまま煮込んだ里芋や大根を 
サックリきれいに 切ってしまう。



妻籠・馬籠のあたりで 民宿に泊まったのだが、
民宿に入っていったその時に
そこにいた若者に 声を掛けられた私たち。

「あ、君たち、イバラキの人でしょう。

 ボクのお母さんも、イバラキなんですよ。

 なつかしーなー、その言葉!」

「そーですか?」

「そう、そう!
 
 その言葉!

 あ、あ~~~!!!!!(裏声)

 懐かしいなあ!!!・・・・・・!」



そんなことで 感激されても、
こちらは シラケるばかり。
 
だって、訛っているつもりは、ないんだもの。

よそに出たのとこだったから、
精一杯、よそゆきの言葉、方言ではない 共通語、
いや、
NHKのアナウンサーばりの 
訛りのない標準語で しゃべっているつもりだった。

自分がしゃべっている言葉に 訛りがあるらしい、
と気づかせてくれた体験だった。



この言葉は、方言。
だから、使わない。

それとは別に、
自分たちのしゃべっている言葉のイントネーションが
特殊であることに気づいたのは
東京に出てからだった。

方言で話す事は、お年頃の私には 
たまらなく恥ずかしいことだった。

高校に通う頃には、
方言は使わなくなっていた。

ただ、‘なまり’というヤツは、
自分で気づかないくらいなので、
直しようがない。



亭主は イバラキの出身なのに
訛らずにしゃべることができる。

東京出身の義父の影響があるのか。

ただし、興奮すると訛るのが可笑しい。

子供を叱っていると、
だんだん訛ってくる。

その子供たちが
「ママ、訛ってるよ。」
とバカにするのが 悔しい。

ポトフ

2005-06-18 | 食生活
あるお店に おいしいポトフがあった。

その店は 豆腐が美味しくて、
‘異常なまでの豆腐好き’な息子を 
ぜひ一度 連れて行きたいお店なのだけれど。


aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa

近所で見つけた、三色のアジサイ。

ガクアジサイは、中間の色。

aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa


マクロビオティックでは、野菜の皮をむかない、
ならば、
あれは、マクロビオティックだったのだ!

そう思ったのは、この店のポトフだった。



じゃがいも、大根、にんじん、レンコン、
そんな根菜が 
大きいまま、皮をむかずにゴロゴロと入っている。
ブロック肉とともに
透明なスープで煮込んであって、
美味しい。

体が あったまる。

体の中の細胞のひとつひとつが
じんわりと 喜びに包まれるような気がした。

冬は、戸外の寒さで、
夏は 冷房の寒さで 
このポトフが食べたくなった。



この店では 御飯は黒米と普通の御飯の
どちらかを選べる。

豆腐には ぜひ 自然塩を お試しください、
と言われる。

こだわりの料理を 
お昼に 1000円以内で食べられる、というのは
嬉しかった。


初めの頃は 女性客が多かったように思う。

オバサンや おねーさまがひとりで、
というのも多かった。

それが いつのまにか サラリーマン、
それも 若くないサラリーマンが増えた。

身体に気を使っているんだなあ、と
ほほえましい気がした。

そして、他の店のランチより、
ずっとずっと ‘おとうさん’たちに
食べたもらいたい御飯だった。

連れ立って店に入って来る
‘おとうさん’を見るのが
嬉しかったのだが。



今は 少しメニューが変わってしまった。

お高くなったかな?

そして
ポトフが メニューに見えないことが何度か続いた。

(私に見えないだけだったのかも?)



ある日 やっと メニューに見えたので
注文して 楽しみに待った。

「おひとりさま」で 
大きな石のテーブルについいた私のところに
サーブされたポトフは、
皮がむかれた野菜入りだった。

皮のない野菜の入ったポトフは、
すこうし洗練されたような、気取ったような感じ。

そうして、その分、滋養が減ったような気がした。



まあ、たまには食べに行くし、
美味しいし、
身体にもよさそうだし。

でも お高いから、
もう 滅多に入らないだろう。

ただ 冷房で冷える夏に
これを自分で作るのは ちょっと大変。

自分のためだ、頑張って作ろう。
家族は・・・食べてくれるだろう。

メニューの決定権は、
作る人にあり。

ラズベリー

2005-06-18 | なんでもないこと
晴れてきた。

カメラを抱えて 東の庭を 北から南へ歩く。
(というほどではないが。)

ラズベリーが熟れていたので、
カメラをざるに持ち替えて、収穫。

少し、腰が痛い。



私がガーデニングを始めたのは 
まだ 子供たちが小さくて たいへんな頃。

子育てに悩んでいた時。

その頃は 亭主も仕事を軌道に乗せるのに
四苦八苦していた。

私が 土いじりをしていると
「オレがこんなに忙しいのに
 遊んでばかりいて。」
となじった。

怒鳴られた事もある。

かと言って、
私に手伝わせてもらえる仕事は なかった。



その亭主が 
ラズベリーを植えたら 異常なほど喜んだ。

他に なんでも なりものを植えると、喜ぶ。

コイツは ただの食いしん坊だったのだ、
と気づくまで
にぶい私は 時間がかかった。



指を赤く染めて 収穫した。

指先で 軽くつまんで 優しく引っ張ると
熟れたラズベリーは ほろっと とれる。

熟れすぎていたり 力を入れすぎたりして
つぶれた果肉で
赤く染まった指先まで、いとおしい。

こんなにきれいな ルビー・レッド。

「おばんです」

2005-06-17 | 昔語り
とほさんのところにお邪魔した時に
「おばんです」という言葉を目にして思い出した、
昔の話。

母の実家は 祖母が新宅に出た家だったので、
本家からは遠く離れた、駅の程近く。

田畑に通うには不便だったが、
私の実家よりは 余程都会だった。

都会ではあったけれど 東北の頑固者の土地柄、
古いものは ミトッポのイバラキよりも
ずっと 残されていた。
(ほら、裃とかね;笑)


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ビニールポットのまま 花が咲いてしまった
アスチルベ。

地面を柔らかくしてからでないと、
どこにも植えられない。

スコップを振るうのは、まだ怖い。
大き目の鉢にでも 植えるしかないか。

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たとえば、裃(かみしも)。

たとえば、土間に置かれた、五右衛門風呂。

たとえば、銭湯の料金。

たとえば、言葉遣い。

たとえば、そう、貸し本屋!



母の実家の近くには 貸し本屋が 何軒かあって、

姉と私は 夏休みに 祖母の家に泊まりにいくと
そこから (主にこわ~い)マンガを借りてきて
誰にも叱られずに のんびり読んでいたものだ。

駄菓子屋が 日本中から消え始めた頃だから、
昭和も40年代に入っていただろうか。

貸し本屋も 次々なくなって、
でも 近くに一軒だけ残っていた。

その年の夏も 
姉と私は 同じ退屈するなら、祖母の家で、
と長期滞在を決め込み、
マンガ三昧を楽しんだ。



昼間に借りてきた本を 読み終え、
取替えっこして また 読み終えた私たちは
夜になってから
「借りに行こうか?」
と相談して出かけた。

夜 暗くなってから出かける、なんてことは
普段はしない(姉は怖がりだし)のに、
読むマンガがなくなった徒然もあり、
大胆にも!
子供だけで マンガを抱えて 出かけたのだった。

「店の明かりが消えてたら、
 帰って、明日にしようね。」

そんなことを相談しながら。



行ってみると 店の明かりはついていて、
ほっとして うれしくなって、
顔を見合わせる、姉と妹。

ガラス戸を ガラガラと引いて 開ける。

敷居をまたぎつつ、
「こんばんはー。」
と入っていった。

いつも 「こんにちは。」と入っていたので
何の不思議もない、
普通の事のつもりだった。



すると 店の奥の座敷では
ちゃぶ台を囲んで 家族揃って 食事中。

その、食事をしていた家族全員が、
こちらを見た!

見えないところに座っていた人まで、
身体を斜めにして
こちらが見えるところまで首を伸ばして、
全員、
見た!

「一体、誰が来たんだろう?」

そんな緊張した雰囲気が 硬い空気となって
座敷から店の入り口まで 押し寄せてきたので
姉と私は とまどった。



次の日の晩
またまた 夜に 本を借りに行った私たちは、
昨夜の驚きを忘れず、
今度は 普段使っていない
「おばんでございます。」という
挨拶を使った。

貸し本屋一家は またまた 食事中。

でも 声をかけたときに
誰も こちらを首をのばして見ようとはしなかった。




それ以降、
姉と私は 「おばんでございます」という言葉を
会津に行った時には
恥ずかしがらずに 使うようになった。

「おばんです」ではなく、
「おばんでございます」だが。
(会津の言葉遣いは、丁寧なのだ!)

そんな、取るに足らない、昔の話。

まくろび・・・?

2005-06-16 | 食生活
マクロビオティックという言葉を
私は知らなかった。

Riel さんのところで目にして
何だろう? と思いつつ 
「何ですか?」と聞かずにやり過ごしてきた。



ところが  
地元の行きつけの書店で 
これの特集を組んでいた。

いろいろな マクロビオティックに関する本が 
通路に面した一角を占めて
集めてある。

思ったとおり、‘食’に関するもののようだ。

その中で

「私がマクロビオティックを続けることができたのは、
 何を隠そう、私が『ものぐさ』で『ケチ』だからです。」

という一文に引かれて

『かんたん、おいしい! マクロビオティック はじめてレシピ』
(中島デコ著、近代映画者、2004・1・10、1600円)

という一冊を買った。

2004年の、夏のことだった。



さて、
電車に乗った日に じっくりと眺めてみると、
思ったより 洋風の料理が多い。

昭和30年代~40年代の日本の母ちゃんの料理、
というのを(密かに)理想としていた私は
急に熱が冷めて、それきりにしてしまった。

読書には 買っとく、積んどく、という‘読み方’がある
と 聞いたことがあるが、
まさしく 買って 積んでおいた。



昔ながらの 日本の田舎の料理がイイ、と
初めて私に(著書で)教えてくれた師匠は、

そういえば マクロビオティックのことを

「マクロビオティックをやる人には
 離婚する人が多い。

 人を幸せにするための食事で
 離婚するような料理法は
 いかがかと思う。」

と 講演の時につぶやいていた。

この本の著者も 離婚した、というのも
実は私が冷めた理由のひとつだった。

気に入らない、となると、
この本の中の写真に見える、
女優だったらしい著者のエキゾチックな顔や 

都会の人が田舎暮らしをしている、
という雰囲気の衣装など、

まるで英国の田園の中のようで、

私とは かけ離れた印象があって、

「私とは関係のない調理法なんじゃないかな。」
なんて勝手に思ったり。



マクロビオティック。

なかなか 覚えられない言葉。

「まくろ、び・・・・?」
と、まるでアニメの『天空の城 ラピュタ』で
初めて秘密の呪文を教えられた時の
シータみたいで 心もとないが、

今 もう一度 少しずつ勉強中。

なんでも、‘食べ方’でなく、
‘生き方’なんだそうで。



私が最初に手にしたこの本によると、
マクロビオティックでは、

「野菜の皮はむきません。

 大根もにんじんもごぼうもれんこんも
 皮をむかずに、
 しっぽの先から 葉っぱの先や節まで
 使い切ります。
 
 さすがに、玉ねぎや里芋は むきますけれどね。」

だそうで、それなら やっぱり

「長年 調理していると、これだけでも
 時間と労力の節約になるし、
 ゴミも少なくてすみます。」

も納得する。



ただし、
調味料は 塩・醤油・味噌・油 がメインで、

「砂糖や化学調味料を使ってごまかさないから、
 素材と調味料が『命』なのです。」

え?

砂糖を、使わないの?

そんじゃあ、リコンも、無理はない!

と、そっちも 納得してしまった私。



著者も 
「どこへ行くにも玄米おにぎりを持ち、
 蕎麦屋にも つけ汁持参。

 せっかくのいただきものも、 
 砂糖や添加物が入っていると
 心から喜べず・・・・・・。」

と記しているが、わかる、わかる、その感じ。

手術してからの私も、そんなふうだった。

「そこには、マクロビオティックの
 『ねばならない』に捕らわれすぎる、
 傲慢な私がいたのだと思います。」

いえ、私は、もっと単純に、怖かったのだ。



「ふと気がつくと、
 食に対しても 気負いがなくなり、
 いいかげん(よい加減)になってきたようです。」

という著者のこの本が
最近また気になってきた私。

最近、気負いが、なさすぎ?

もうちょい、家族の健康のために
‘いい加減’にこだわったほうがイイ?



ちなみに 著者は
マクロビオティックをやることを条件に
結婚した人とは 別れたけど、

3人の子持ちで再婚した現在の夫君との間に
もうふたりの子供、

血液型RHマイナスというハンデがある出産を
無事に5回もこなして

現在千葉県に移住してらっしゃるとか。

マクロビオティックで 家族が健康で 医者要らず。

おいしくて 経済的、と ケチな(?)著者は
お幸せそう。



写真は p20の かぼちゃのパン粉焼き。

勉強した事柄と その成果を
時々 ここでご披露できたらいいかな、と。

(おお! すっごい決意表明だ!!!)
(注:あまり期待しないように!)