ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

イベント屋亭主

2005-09-13 | いろんな人
2005年6月、
亭主はイベント屋になった。

例の、儲からないのに忙しい、
新たに引き受けた仕事の関係で。



年末・年始は
あちこちの 忘年会や新年会の会場に呼ばれて

出て行っては 説明をする。

要るか?要らないか?
と迷いつつ付けたカーナビが大活躍。

ただでさえ 運転はあまり得意でなく、
ヘトヘトに疲れてしまう人なのだ。



飲まない(いや、体質的に飲めない)亭主、
宴会の席に出席すればお決まり、
エライサンを乗せてご自宅までお送りする事も度々。

そのつど、気を使って
神経をすり減らして
クタクタになって帰ってくる。

気を使うな、と言われても、無理。

そういう人は みんなそうなんじゃないかな。



そんなこんな、
亭主は毎日出張、毎晩帰りが遅いという、
今までないような日々が続くことになった。

ただでさえ 平常業務が忙しいこの時期、
見守る愛妻の胸には 
‘過労死’なる言葉が点滅していた。

私にできる たった一つの手助け、
‘食事’さえ 食べてはもらえないのだから。



新学期になり、
少し落ち着きを取り戻したある日、
ちょっと不満をもらしてみた。

「ママは、たまには 外食したいな~。」

予想通り、すかさず反論された。

予想通り、亭主と娘から。

「え~~~っ!

 たまには、おうちでご飯、食べたいよう!」

「たまには 家で 食べさせてくれよ。」

毎晩作っているのに 食べないのは
あなた達の勝手なのよ。

息子とふたりきりの食事は
毎晩、すこ~し不気味なのよ。



その後は 一大イベントの日が近づいて
準備会という名のイベントが いくつも続く。

亭主は 前にも増して 忙しい。

けれど
晩御飯は 極力 
家で食べるようにしていたようだし、

(それは それで また 面倒なんだけどね。)

精神疲労より 肉体疲労のほうが ラクみたいだった。



以前は毎月一度は孫の顔を見に来てくれた
義父母と
一台の車で食事に行けるようにと購入を決めた
ワン・ボックス・カーに

積めるだけの荷物を積んで、
あそこからこちらへ、
それから あっちへ、
まあ、次から次に、仕事をこなす亭主。



以前 お邪魔したブログに
「尊敬できない人に
 惚れる事はできない。」
と 何かエラそうなことをコメントした事がある。

そういえば私は
いつも 完璧を目指して
めいっぱい頑張る亭主を
尊敬していたのだった。

完璧主義は 呆れることも多く、
「もう、いいじゃん?」
と言いたくなる事もしょっちゅう。

最近では 
「それがあなたの性格だものね。」
と、ほったらかしていて 忘れていたが、
やはり こんな亭主でなかったら
ケッコンはしなかったと思う。



それにしても、
いつもながら 要領は悪い。

そうして、その要領の悪さを
マメにやる、一生懸命やる、とにかく頑張る、で
ひとよりも成果をあげるのだ。

女房は 関節痛のある指で
毎晩 指圧・マッサージ。



その日がようやく来て。

ようやく終わって。

小さなミスは いくつもあるにしても、
まあまあ、納得できたらしい、ビッグ・イベント。

もう二度としないと思うけど、

もう二度としないでちょうだい。

二年半検診

2005-09-11 | 乳がん
2005年5月、
術後二年半の検診。

いつも 何かしら ドジをする私、
今度は ちゃんと検査をするぞ、
と思っていたが……。


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検査の日、
がんセンターの廊下に生けられていた
四葉のクローバー。

だからって 幸運がついてくる、などとは
思わないが、

飾ってくれた人の気持ちが嬉しくて。

ちょうど
がんセンターに デジカメ持参で行ったので、
「わ~い」と撮影。

今は亡き230万画素のやつ。

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まず、処置室にて 採血。

血管の太さも申し分なく(?)、
小さい頃から 苦労した事はほとんどない。

針の刺しなおしをした人が
過去に2、3人いるが、
ヘタな割りには 2度目で O.K.



次が、乳腺の超音波検査。

超音波室でヌルヌルをつけた
ホワイト・ボード・イレイサーでぐるぐる。

この時、両腕は 頭の上に、
と指示されてきた。

当然のように、
もう言われなくても 頭の上に
両腕を持ってくる。

特に 検査をする人の側(右)の身体を
ぐるぐるする時は
腕は絶対じゃまになるはず。



今回 初めて女性の検査技師だったのだが
反対側(左)の検査になる時に

「腕をラクにしていいですよ。」
と言われて、面食らった。

「疲れますよねー。」

「慣れました。」
と返事をしたら 済まながってくれた。

びっくりした。

自身が検査の時に 辛いと思ったのだそうだ。

今までいつも男性の検査技師だったせいか、
そんな事を言われたことはなかった。



後日、改めて病院へ行き、
腹部の超音波検査。

午前中に検査の人は
朝ごはんを食べてはいけない。

前回は 食べてしまって、
午後の検査にまわしてもらった。

今回は
間違えて朝食を食べてしまわないよう、
気をつけていたし
食べなかった。(ホッ。)



一番気にしていたのは、
腹部超音波の時に
尿を溜めておかないと、
子宮が良く見えないらしいこと。

筋腫があるし。

これも、気をつけて、頑張って、
トイレに行かずに待った。

早めに来たのに、
なかなか名前が呼ばれない。

ふと見ると
検査室の入り口の箱に入れるべきファイルを
ずっと自分で持っていた!

やっぱり、ドジ子だあ。。

ファイルを箱に入れたら 間もなく呼ばれて
検査室に入った。



そしたら・・・。

オシッコの量が多すぎて 
良く見えないんだって!!!

トイレへ行って排尿してくるように、
と言い渡された。。。

「半分くらいで 止めて来てもらえると
 いいんだけど。」

そんな器用なことができるかい!

でも 何とか乗り越えて
検査の続きを。

あ~~~あ。



結果は6月。

まず見るのは 腫瘍マーカー。

CEA というのと、
NCC-ST439 というのと、
CA15-3 の三つを検査してもらう。

保険診療だと この三つだけだが、
「これだけでは 云々」
と書かれた医師の言葉に 
不安になったこともあった。

でも、まあ、
ひとまず O.K.

三つとも 数値が上がっているのは
あまり 気持ちの良いものではないが
基準値以内、ということで
気にしないことにする。



超音波検査の結果では。

子宮筋腫ができやすくなり、
できてる人は大きくなるという薬を
(なるべく)毎日飲んでるので?
筋腫は わずかに大きくなっている。

それでも グングンというほどの成長ではない。

50mmから54mmに 成長。

それから、乳房の中にあったのう胞は
いつの間にか なくなっている。

できたり消えたりする、とは 
聞いていたが。

カロリーを抑えた食事で なくなるのだろうか?
(もちろん、根拠はない。)

このごろ 健側の胸が痩せてきた気がするのは
のう胞の消失と なにか関連があるのだろうか?
(やはり、根拠はない。)



中性脂肪193(基準値35~149)、
コレステロール221(基準値130~220)、
おまけに脂肪肝。

まだまだ 節制と運動を続けなければ。

愛犬に向かって
エラソウな顔ができないじゃないか。

ドッグ・ドック

2005-09-11 | 考えたこと
犬には
蚊が媒介する フィラリアという病気がある。

蚊がいる間、毎月 一度 薬を飲めば
安全なのだが。

2005年も いつもの動物病院から
‘フィラリア予防のお知らせ’が来た。



一緒に 犬の‘健康診断のお勧め’も来た。

どうせ最初に 採血をして
フィラリアの幼虫がいないかどうかの
検査がある。

それだけでいいや、と思いつつ
通知を見ると

7歳からは 高齢犬に入るから、
高齢犬用の 詳しい検査をどうぞ、
とある。

愛犬は7歳。

この子、高齢なんだ!!!?



やってきた頃の 
ころころと 転がるような
愛嬌のある歩き方を まだ覚えている。

この子も 高齢犬の仲間入りをするとは。

・・・・・・早いものだ。




金額が全然違うので(いくらか、忘れたけど)、
普通のフィラリア・血液検査でいい、
と思っていたが

自分が 健康診断を受けずに何年もいて
乳がんが大きくなったことをあわせて考えると、
フクザツ。

えいや、っと 高齢犬健康診断を申し込んだ。



といっても、血液の検査だけ。

検査項目が
血球計算で16、血液化学で16。

血球計算、という分野では
ヘマトクリット、総蛋白量、
赤血球数、血色素量、などなど。

ほとんどが成犬の‘基準参考値’内に入っている。

ただ、血色素量だけ、
なぜか これだけが、少なかった。

‘評価’の欄には
「小赤血球症・貧血・鉄欠乏など」と書かれている。

ウチの子、貧血?



鉄分が不足しているらしい、
ということで
先生に説明をしていただいて、
帰ってきた。

鉄分は 「一日あたり1.3mg」
と先生に書いていただいたメモにある。

ドッグフードの袋に
そこまで書いてあるのは少ない、
などということも 話に上った。

具体的には 人間用のサプリメントを
量を減らして飲ませるのが
一番簡単かな、という事になった。



血液化学というのは
アルブミン、GOT、GPT、
総ビリルビン、総コレステロール、
中性脂肪、血糖、などなど。

正常値だった。

犬には 更年期というものが
ないのだそうだ。

(ちょっぴり、うらやましい!)



7歳からは 高齢犬ということだったが、
なかなか元気、
との お墨付き。

よかった。

重要なフィラリア検査は マイナスで、
よかった、よかった。



今朝は 朝寝坊したので
散歩はショート・コースで。

仕事の予定もあったので
愛犬を連れての楽しい選挙、
という余裕はなく、
車で投票に行ってきた。

初めての選挙

2005-09-10 | 考えたこと
今回の選挙は 面白いのだそうだ。

投票率はどのくらいになるのだろう?



年上の同級生が多い上に
早生まれの娘は

友達がみんな 選挙で盛り上がっているのに
投票できない、と 不満げ。



先日 ある人と 選挙の話になったとき
彼女は 初めての選挙に出かけた時のことを
忘れられない、と言っていた。

二十歳になって、初めての選挙。

就職して無理を重ねた彼女は
身体を壊していたのに
無理をして 出かけたのだそうだ。

身体は曲がって、杖を突いて。

近所の人に どんな風に見えていたろうね、
と 元気に笑っていたが

それほど 楽しみにしていたのだそうだ。



私は 
東京都民だった頃
選挙権をずっと行使していなかった。

学生だったし
身近に思えなくて。

都知事選より
離れた茨城県知事の選挙の方が
ずっと気になっていた。

女性の参政権を得るために
苦労した人たちのことなんか、
知らなかったし。

知っていたとしても、
「それが、どうかした?」
という程度の感じ方だったろうと思う。



それが、当地へ来て 一変した。

「誰それが まだ 選挙にきてねえ。」

とウワサになるというのだ。

さすが、
タテマエ全員参加、という行事には
本当に全戸から人を出す
異常な(少なくとも私にはそう思える)
地域だ。

選挙は
「私もちゃあんと、選挙に来ましたよ。」
というデモンストレーションを兼ねた
行事になった。



明日も 
そっちこっちに
営業用お愛想スマイルを振りまきながら、
きっちり 投票してこようと思う。

若葉マーク

2005-09-09 | こどものこと
2005年春、
というか、初夏、

娘が車の運転免許を取った。



原付バイクで駅まで通いたい、
というので

車を運転できないヤツのバイクは危ないから、
という理由で

普通車の免許をとらせることにした。

教習所に通う時間がとれないので
合宿免許というヤツだ。

それなりにシンドイだろうけれど、
それをナントカできちゃうのが 若者だ。

(と、勝手な言い分。)



携帯でメールがくるので
公衆電話で連絡してくるよりも 
安心感がある。

感心な事に、毎日メールが入った。

あの娘らしい、
絵文字・顔文字をふんだんに使った
にぎやかなメールだ。



「一日目 終わった
 動かした

 ホテルは狭い(?)けど、
 ご飯 超おいしかった

 まじおいしー

 昨日のステーキと同じくらい贅沢

 明日 朝っぱらから乗るぜい
 
 マニュアルだぜい

 ちゃんと生きて帰るぜい

 じゃねー



前日が 亭主の誕生日で
一年に一度の ステーキの日だったのだ。

2年前のこの日
やはりステーキを食べ、

その晩
関節のあまりの痛みで
夜中に目が覚めた時のことを思い出しながら
ステーキ肉を買い、焼き、食べた。

あの時は もう二度とステーキを食べられない、
と思ったがなあ。



「・・・・・・
 こっちは 化粧したまま寝るのが
 そろそろ日課になってます

 ご飯食べて帰って

 ソッコー寝るみたいな感じです



「昨日は高速走ったよ

 怖くて緊張して 大騒ぎでした

 ・・・・・・

 とにかくに帰って 

 黄色い薬塗りたい



超豪華なお料理を毎日食べて
贅沢してるのに、

というか、贅沢してるから?

娘は アトピーが出て 痒かったらしい。

花粉症は お薬を持って行ったのだが。



その豪華な食事に慣れちゃったら困るなー、
と思っていたら

帰ってきた娘は
「切干大根とか ヒジキとかが食べたくて
 たまんなかったよー!」
と言っていたので、
すこ~し、ほっとした。



帰ってきて 
免許センターに 試験を受けに行った娘。

いっぱいろいろお金がかかると
ぶつぶつ文句のメールがきた。

「受かったら、眉毛を書けよ。」

「どーゆー意味だ

娘の眉は もともと太くないのに、
[整えて]あるので、
顔を洗ったままだと、かなり少ない。

ふん。と思ってそのまま答えないでいたら、

「眉毛描いたよ

と返事がきた。

受かったらしい(笑)。



意気揚々と帰ってきた娘は
私の車に初心者マークを貼り付け、

時々 「仮免許練習中」の状態で
大胆にも 路上に出るようになった。



2年生になってからは
帰宅時間も遅いし

(夜間に入れたわけではないのだが)

アルバイトを始めたし、

(ただし、まだ研修中。
 若葉マークというわけ。)

迎えに出かける親の体力が
夜中まで持たないし

(これはもう、年々、日増しに、ずんずん・・・)

だんだん運転も見られるようになってきたので

最近では
車で 大学に通ったり
アルバイトに行ったりするようになった。



ところで、
毎日ママと 車のキーの取り合いだけど、
原付バイクを買う計画は どうしたの?

ま、いいか。

ただね。

お願いだから、事故にあったりだけは
しないでね。

傘寿と金婚式

2005-09-08 | 考えたこと
2005年の春は
忙しかった。

そんな中、
大正うまれの義父の
傘寿のお祝いがあり、

週末、一族が集まった。

私達一家は
直接 義母のグループホームに迎えに行く。




グループホームに着いて
義母の部屋に 皆で入っていった時、

あとから部屋に入った私をみるなり、

義母は 私をじっと見つめ、
「久しぶり。」と言いつつ、
見る見る 瞳を潤ませて 抱きついてきた。

びっくりしたけど、嬉しかった。

私を覚えていてくれただけで嬉しい。

「久しぶりだったね。

 ずっと来なくて、ごめんね。」

どこまでわかっているのかが わからない義母だが、
少なくとも 私の顔の記憶を 
「好き」と「嫌い」のふたつの箱のうち、
「好き」のほうの箱に入れていてくれたのだ。



翌月、
今度は 義父母の金婚式のお祝い。

義弟一家は 実家に寄り、
私達一家は グループホームに寄って
地方都市のホテルで落ち合い、
食事をすることになった。



週末は忙しい我が家だが
義弟の仕事の都合もある。

義弟は 単身赴任も2年目、
かなり遠い所を やってきては
末娘と一緒に 義父母の元を
たびたび訪れている。

同じ関東に住む私達夫婦に
本当は 
もっと義父母の面倒を見てもらいたい
と思っているのに違いない。



我が家はこの日 一仕事を終えてから
グループホームに向かう事になったが
娘と息子には
電車で先に行っていてもらった。

常磐線を降りて しばらく歩く。

亭主の実家より グループホームの方が
ずっと 通いやすい。



亭主と私がグループホームに着いたら、
義母は娘と腕を組み、手を取っていて
機嫌がいい。

抱きつかないまでも、
今度も 手を握るくらいは、と思っていたのに
娘の手を離さなかったので、
ちょっとがっかり(笑)。



美味しい食事をいただいて
カラオケも飛び出して
なかなか 楽しい集いになった。

なかでも義母は カラオケが上手で びっくり。

唱歌をよく覚えている。

孫達は 親も知らない新しい曲を歌う。

親子のデュエットもあり、
珍しくも楽しいショットが撮れた。



帰りは 
名残惜しそうな義父に困りつつ
また それぞれに帰る。

グループホームでは
「おかえりなさい。」と迎えてもらう。

「楽しかったですか?」

「カラオケもしたんですよ。」

「お母さん、お上手でしょう?

 ここでカラオケ大会をした時も
 上手でしたよ。」

「カラオケ、やったんですか?」

「ええ。
 美空ひばりなんか、ずっごく上手。」



なんだ、そうだったのか、と思いつつ、

歌が好きで 上手な義母の
楽しい思い出ができた。

それまでは 恥ずかしがって
あまり 人前で歌う人ではなかったから。



「キンコンシキって、おめでたいの?」

義母の愛情を独り占め状態にしている
義弟の小学生の娘が聞いた。

「おじいちゃんと おばあちゃんの
 ふたりとも生きていないと
 金婚式ができないでしょう。

 それから、リコンしちゃったら、
 金婚式ができないでしょう。

 やっぱり、金婚式って、
 
 すごくおめでたいことなんだと思うよ。」



本当はふたりとも丈夫で元気で金婚式、
というのがいいのだろうが、

結婚して50年、

身体のどこもかしこも
すこしずつくたびれてきて、
ほころびが出てくる。

100パーセントおめでたい金婚式では
なかったかもしれないが
やはり
お祝いをしないではいられない。

義母の機嫌がよいのが 嬉しかった。

八朔(2)

2005-09-07 | 考えたこと
記事の更新をさぼりつつ見た
昨日の朝刊のコラムに

「旧暦8月1日を 新暦に直すと
 今年の場合は 一昨日の日曜、
 9月4日にあたる。」

とあって、あわてた。

旧暦8月1日に 八朔について
もう一度 記事にするつもりだったのに!



『民俗学辞典』
(民俗学研究所編、東京堂出版、1951.9.25)
によると。

今では特に八朔の行事としては
私は思いつくものは何もなのだけれど、

各地に多様な習俗を伝えているのが八朔だとか。

要点は 3つ。



第一には 稲作の進行に伴う儀礼。

静かに秋のみのりの豊穣を期待するとともに
二百十日の季節風を警戒する。

そう、この日は 二百十日、

(おそらくは、台風、または、その影響)
の来襲の多い日なのだ。



むかしむかしの小学生の時に聞いた話。

なんとかいう人が(スイマセン)
暦を作ろうとしていた。

(多分 幕府に頼まれたかなんかで。)

ある日 
天気のよいのに 舟を引き上げている猟師に出会って
わけを尋ねると、
今日は 二百十日だから、との返答。

果たして 
その日はその後 シケになった。

関心した そのナントカさんは
作った暦に 二百十日を取り入れたという。

二百二十日もある。

どちらも 気象庁のない時代の庶民の知恵。



旧暦8月1日に
作物を風害から守るための祈願祭、
風祭(カザマツリ)をする地域もあるが、

主に

家の穂出しを祈願する
田褒め、作頼みを行う地域

あるいは 
穂掛け=刈り初めの神事を行う地域
とに分かれる。

生活に大切な稲の収穫に 
深くかかわっている行事だ。



第2に
「八朔の贈答」。

穂掛け祭の後の
直会(ナオライ=酒宴)のために
新米を贈り合ったことに基づいて、

武家社会、のちに公家に、
ひいては民間にも広まった
贈答の習俗らしい。

贈答の風習は 
少ない方が ラクチンでいいと思う。

今 残ってなくて、よかった。



『暮らしのこよみ歳時記』
(岡田芳郎著、講談社、2001.5.21、1500円)
には

田の実の節句、
早稲の実を少しとって祝う農耕儀礼が起源で、

武士の間で 憑(タノミ)の節句として
武具の贈答が行われ、

庶民は 
葉のあるショウガ(!)を付けて
品物の贈答をした、とある。

ま、香りがよくて いいけどね。



また 幕府では
家康が初めて江戸城に入城した日として

諸大名が 白帷子(シロカタビラ)を着用して 
総登城して祝った、とも記されている。

白帷子で 総登城!

綺麗だったか? 異様だったか?

なんにしても お目出度い日だったのだろう。



そう言えば、「八朔の雪」。

吉原の遊女が 
この日は 全員 白無垢を着る風習があったとか。

これは 江戸城の 白帷子総登城と
関連がありそう?



第3に 
近畿一帯の 「八朔休み」と書いてある。
昼寝を この日で終わりにして
早くも 夜なべ仕事を始める日、らしい(p475)。


それとも 間の日として
休日だったのかな?

そういえば 子供の頃の大工さんたちは
休日は 1日と 15日の 月2回だった。

昔の日本人は 勤勉だったのだ!

過労死なんかも あったのだろうか?

月に2回の休日、
職人さんたちは 
実に 楽しみにしているように見えたっけ。



私は 旧暦の7月1日と 月遅れの8月1日と
旧暦の8月1日とを ごっちゃにしていて

八朔と 盆行事に 関連があると 思い込んでいた。

旧暦、新暦、月遅れ。

ああ、ヤヤコシヤ。



ただ、農耕儀礼とは
切っても切れない関係にあるようではある。

『日本民俗大辞典』
(福田アジオ他編著、吉川弘文館、2000.4.20)には

「このころは 農作業の区切り目でもあり、
 いよいよ野良仕事も忙しくなるので
 鬼節供、婿の泣き節供と言ったり、
 
 麦饅頭の食いじまいの日としたり、

 その饅頭を 泣き饅頭と呼んだりする。」(p372)

と変なことが書かれている。

婿さんが 農作業の辛さに 音を上げる日が
始まるころなのだろう。

目出度さも 忙しさも
田植えと 稲刈りは 格別なのだ。



今日は 白露。

いくぶん秋の気配が感じられるようになり、

草の葉に 白い露を 宿すようになるとか。

(『暮らしのこよみ歳時記』p180)

台風の被災者がこれ以上増えないように、

農作物の取り入れに これ以上影響が出ないように、

雨と風と 台風の進路だけが 気になる。

ツケタシ

2005-09-04 | 食生活
先日は 工藤も打たれたらしい。

その工藤が 去年200勝目を上げた時に
「工藤 200勝の秘密」というのが
新聞に連載された。

その第一回目の記事が手元にある。

タイトルは
「和食が支える鉄の左腕」。
(2004年8月18日 夕刊)

あ、工藤って、左ピッチャーだったんだ(笑)。



書き出しは。

「それしか食べ物がなかったんだもん。」

当時41歳の工藤投手が
子供の頃を振り返って、

おやつ代わりに食べた煮干しについて
笑いながら語ったこと。

ダシを取るためのゴツゴツした煮干しを
「いつも腹がすいていたから」
高校に入ってからも 丸ごと食べていたという。

カルシウム、鉄分が豊富。

そのうえ 噛み砕くことで顎も鍛えられる。



プロ入り後 乱れがちだった食生活を
奥さんが 変えた。

玄米、みそ汁、
そして 野菜をふんだんに使った和食。

外食が減り、
動物性たんぱくを摂る機会が減る。

すると 
悩みだった肩やヒジの痛みが和らいだという。

(本当にホントウか?)



89、90年の2年間で計13勝、

91年に結婚、

91年からは 5年連続2ケタ勝利。

(アラ、ホントウかも。)



杏林予防医学研究所の山田豊文所長の弁が載っている。

「玄米や豆類は
 カルシウムの摂取に必要なマグネシウムや亜鉛などの
 ミネラルが豊富。

 金田や別所らが 
 連投、連投でも 壊れなかったのは

 肉をたくさん食べたからではなく、
 ミネラルたっぷりの日本食のおかげなんです。」




おお!

凄いぞ、和食!!

偉いぞ、工藤の奥さん!!



桑田君も 和食をどうぞ。