たぶん、ここを造った業者(あるいは設計者)はここまで考えてはいなかったろうなあ。
ここは土手下にある河川公園。川沿いにずぅっと続く。降りていって歩くと途中に町の中央にある大橋にさしかかる。その大橋の近くにあるのがこの場所だ。自転車を楽しむための区画なのだろうか。緩やかなアップダウンが形を変えて伸びている。土手の上から見ると、そのアップダウンに朝日が影を作っている。舗装された部分とそうでない草地とがデザイン化されているが、枯れた草地の上に霜が降り、遠くから見ると舗装部分との色の差が鮮やかだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/66/6fd7a73dba25c363fa18b93153b9c475.jpg)
こう見えることを意図して造ったのだろうか?
いや、土手の上から見るという視点では造ってはいないだろうな。
でも、なんだか面白い。意図しない色の差が織りなす朝の少しの時間。やがて霜も溶け、少し薄い緑がかった草地が息を吹き返す。冷たい霜を体に包んでいたが、暖かい光が溶かしてくれるのだ。これからだんだんその霜がかかることもなくなり、いよいよ草地は緑を濃くしていく。
緑の季節の到来。
目に映るのは色の饗宴だ。
自然は何も意図せずとも、こうしてわたしに何かを与える。
感じること。考えること。
嬉しくもあり、畏れることでもあり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/6a/64a10d260b4a1f9a6ccbe2ee55f9040a.jpg)
これは、まだ雪の名残が道ばたの小枝の先々にまであった頃。この雪の下にすでに芽が出てきている。
辛い経験を積んだものには、なんと輝かしい日の光だろう。何かをありがたく思えるということは、人一倍辛さを味わったという裏返しだ。
人のありがたみ、自然のありがたみ、人は決してひとりでは生きてはいない、これまでの人生にどれだけ沢山の人の手があったのかと思えるようでありたい。
でも、たまに忘れているんだよね、すっかり。自分ひとりで頑張ってきたんだ、なんて思っちゃったり。
だから、こんな風に「意図していない」ものからでも何かを考えたりすると、あぁ、まだまだ人生楽しみがあるよなあって思えるんだなあ。
ここは土手下にある河川公園。川沿いにずぅっと続く。降りていって歩くと途中に町の中央にある大橋にさしかかる。その大橋の近くにあるのがこの場所だ。自転車を楽しむための区画なのだろうか。緩やかなアップダウンが形を変えて伸びている。土手の上から見ると、そのアップダウンに朝日が影を作っている。舗装された部分とそうでない草地とがデザイン化されているが、枯れた草地の上に霜が降り、遠くから見ると舗装部分との色の差が鮮やかだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/66/6fd7a73dba25c363fa18b93153b9c475.jpg)
こう見えることを意図して造ったのだろうか?
いや、土手の上から見るという視点では造ってはいないだろうな。
でも、なんだか面白い。意図しない色の差が織りなす朝の少しの時間。やがて霜も溶け、少し薄い緑がかった草地が息を吹き返す。冷たい霜を体に包んでいたが、暖かい光が溶かしてくれるのだ。これからだんだんその霜がかかることもなくなり、いよいよ草地は緑を濃くしていく。
緑の季節の到来。
目に映るのは色の饗宴だ。
自然は何も意図せずとも、こうしてわたしに何かを与える。
感じること。考えること。
嬉しくもあり、畏れることでもあり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/6a/64a10d260b4a1f9a6ccbe2ee55f9040a.jpg)
これは、まだ雪の名残が道ばたの小枝の先々にまであった頃。この雪の下にすでに芽が出てきている。
辛い経験を積んだものには、なんと輝かしい日の光だろう。何かをありがたく思えるということは、人一倍辛さを味わったという裏返しだ。
人のありがたみ、自然のありがたみ、人は決してひとりでは生きてはいない、これまでの人生にどれだけ沢山の人の手があったのかと思えるようでありたい。
でも、たまに忘れているんだよね、すっかり。自分ひとりで頑張ってきたんだ、なんて思っちゃったり。
だから、こんな風に「意図していない」ものからでも何かを考えたりすると、あぁ、まだまだ人生楽しみがあるよなあって思えるんだなあ。