心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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意図しない

2019年04月15日 | ほんのすこし
たぶん、ここを造った業者(あるいは設計者)はここまで考えてはいなかったろうなあ。

ここは土手下にある河川公園。川沿いにずぅっと続く。降りていって歩くと途中に町の中央にある大橋にさしかかる。その大橋の近くにあるのがこの場所だ。自転車を楽しむための区画なのだろうか。緩やかなアップダウンが形を変えて伸びている。土手の上から見ると、そのアップダウンに朝日が影を作っている。舗装された部分とそうでない草地とがデザイン化されているが、枯れた草地の上に霜が降り、遠くから見ると舗装部分との色の差が鮮やかだ。



こう見えることを意図して造ったのだろうか?
いや、土手の上から見るという視点では造ってはいないだろうな。
でも、なんだか面白い。意図しない色の差が織りなす朝の少しの時間。やがて霜も溶け、少し薄い緑がかった草地が息を吹き返す。冷たい霜を体に包んでいたが、暖かい光が溶かしてくれるのだ。これからだんだんその霜がかかることもなくなり、いよいよ草地は緑を濃くしていく。

緑の季節の到来。
目に映るのは色の饗宴だ。

自然は何も意図せずとも、こうしてわたしに何かを与える。
感じること。考えること。
嬉しくもあり、畏れることでもあり。



これは、まだ雪の名残が道ばたの小枝の先々にまであった頃。この雪の下にすでに芽が出てきている。
辛い経験を積んだものには、なんと輝かしい日の光だろう。何かをありがたく思えるということは、人一倍辛さを味わったという裏返しだ。
人のありがたみ、自然のありがたみ、人は決してひとりでは生きてはいない、これまでの人生にどれだけ沢山の人の手があったのかと思えるようでありたい。
でも、たまに忘れているんだよね、すっかり。自分ひとりで頑張ってきたんだ、なんて思っちゃったり。
だから、こんな風に「意図していない」ものからでも何かを考えたりすると、あぁ、まだまだ人生楽しみがあるよなあって思えるんだなあ。


朝靄の中を

2019年04月15日 | ほんのすこし
昨日は清掃デーだったので、歩くのは止めました。側溝の泥上げが主でしたが、母のところで参加するのは初めてでした。
町内の方々が徐々に出て来て、掃除が始まり、初めてのわたしは見よう見まねで。朝の6時半には集まってきました。ゴミ収集のところには午前7時と書いていましたが、わたしはもっと前から実家の前の側溝に入りました。
慣れないことなので、ヘタだったかも(笑)
ご近所のだんなさんが出て来て、袋を持ってきてくれました。
普段あまりご近所さんと話をする機会がないのですが、数人の方と会話をすることができ、これも良い経験だなと思いましたよ。これからはもっと外に出て、母の代わりにご近所つきあいをしていかないと。
天気も良いし、清掃も終わり、なんだか気分がスッキリしていました。

※※※

そんな昨日の清掃でしたが、その前の日の朝は冒頭の画像のように朝靄に包まれていました。靄の中を土手沿いに歩いて行くと、朝日が昇っていくのが樹の合間から見えました。ちょっといいなと思ってパチリ。
靄の中を歩くって、幻想的な気分を味わえるなと思いました。

※※※



歩いて行くうちに靄がだんだん消えて、空はすっかり青くなっていました。
近くの大学の施設に朝日が。見慣れた景色も毎日違う空のもとでは雰囲気も違う気がします。
さて、昨日は歩けなかったけど、今日は大丈夫かしら。朝、歩くと気分がいいし、なんだか得した気分になります。時間は短いけど「歩いた」という気分を味わうと自分の怠惰さが少しは消えていくように思えるのです(笑)
今月は毎日やることや外出や計画をきちんと見ておかないと約束をすっぽかしたりしないようにしないとね。大きなカレンダーに書き込み。終わったら二重線で消して。
あと二週間になっちゃったなあ・・・

あれ? この書き込み、投稿されていなかった…
今、「昨日」とか「明日」の言葉を変更して再度投稿してみる。
考えてみたら今日は病院付き添いだから、いつもよりかなり早く朝の準備にとりかからなくちゃ。歩いてこれるかなあ…

あれ? カーテン開けたら… 雨だわ
こりゃ「歩くな」ということね(笑)