今日はkameyaさんの出張教室なんだけれど、まっここは当然ピエロの壁画の仕込み。まずは赤を棟梁に、そして後から白をりょうさん。この難しさはなるべく切らない・・・まずはここ。
そもそもなるべく切らないって事は、切る事が上手い人に技術封印って事になるから、結構なストレスになる。じゃ一体何処の何に差を付ける?となると、一定の目地幅だったり、同じタイルを
繰り返さないとか、田んぼのた、みたいに目地をバッテンみたいにしないとか、何しろ何でも良い・・・じゃ無く、ルールの中でやるって感じにね。そんな中、棟梁が始めると、
凄い考えないとならず・・・難しいって。そうね、何が正しくて何が間違っているか?の判断が出来ないと、何か入ったぁ・・・って呑気な心構えになるのね。だからこうしたルールを作る。
そうした意識があるか無いか?で仕上がりが違って来るのね。そんな中、棟梁が終わると、何か上手く行ってない・・・とか、100点を狙う気なのね。でも現実的には100点は無理なのね。
その時に、一体何点で作れる?となった時に、初めてやる事を最高点の100点を目指そうとするって、随分と傲慢な感じとは思えないかな?だって初めてだよ・・・初めて。つまり謙虚と言うなら、
最高では無くて、最低は・・・って言う考え方もあって、これ以下にはしない・・・つまり目指すのが最高点では無くて、最低ラインをキープって考えられたとしたら?これをもう少し掘り下げると、
棟梁のような実力者の人が、初めてなんで最低ラインのキープって言い方にしたとする。そんな点数だとすると、次にそれを見たりょうさんが、それを真似してやったとする。その時にもし、
棟梁が実力者の実力を持って90点以上を出ていたとする。じゃ真似出来る?となると、無理だと思うのね。それじゃへこたれる可能性が出るかも・・・それを棟梁が実力を発揮出来ずに60点とする。
それなら何とか真似出来る感じしない?・・・ただその理屈、変じゃない?・・・それって実力を抑えて、まるで全力禁止みたい・・・ってね。ただもっと言えば、そもそもの考え方なのね。
例えば100点と0点は誰もが共有出来る事なのね。例えば凄い上手いと、凄い下手って話だから。でもその極端な事って、こうも言えるのね。やるか?やらないか?ってね。もう根本的な話。
つまりやれば100点で、やらないと0点。そして更にこうも言えるのね。やったもやらされたもやるのだから100点と、でもやらないとやれないのいずれでも0点。ただね、やったもやらされたも、
自分の意志でやるもやらないも決められるが、やらされるって気持ちでもやると、やった実績になる。でもやらないややれないも自分の意志なのね。自分の意志で0点って・・・。
ここで0点側を掘り下げては長くなるので、やる側を説明すると、どんな形でもやる方を取ると、やった実績になる。そしてやるから挑戦になる。実は大作の人達って言うのは、人が見て大作でも
それが普通になるのね。それが慣れ。最初は出来るかな?とか、不安でも繰り返す事で、いつしか普通になるのね。実はそれはとても良い事なんだけれど、良い事と悪い事は背中合わせ。
つまり普通になり緊張感が少なくなる。これが例えば緊張しているなら緩和だから、コースターでもやる?ってお楽しみを入れるのも良いと思うのね。ただその逆で、久しぶりの緊張感って言う
考え方もある。そもそも大作に慣れるって、第三者から見たら、こっちはただ張るだけじゃんって見えるのね。でもやると判るのは、色違いとは言え、比較されるし、外壁に付くから見られる。
自分の作品は見せない事が出来ても、外壁は全ての人が自由に見れるのね・・・人に見られる緊張感の体験はそう出来るものでは無いのね。そんな実績を自分の作品で作って庭に置くのとでは、
全く意味が違うのね。その時に普通はりょうさんの方が棟梁より未熟なんで不利と考えるのが普通なんだけれど、実は緊張が増すのは上手い方で、いつもの大作なら全力な技術を出せる。
しかし余り切らないってルールは、良さを発揮出来ないから、誰も権利のあるように思えるのね。ただ実はこれが楽譜やレシピや図面と行ったルールの中での差を見せる基本中の基本なのね。
同じ条件なのに差を付けるね。ただそもそもそう思えないと、切れないのかぁ・・・って、気持ちになり、得意なものを封印された気になる。しかしながら、どんなに上手く出来たとしても、
例えば楽譜通りに弾いたのを、スタジオミュージシャンと葉加瀬太郎さんの違いを聞き分けられるか?となれば、相当な聞き分けを出来ないと無理だろうね。それを道場六三郎さんとお母さんの
肉じゃが対決なら、きっと見つけられるかも知れないがね。要するに上手くなればなるほど、当たり前の基本って事をおろそかにするものなのね。水平垂直に張る。目地幅の均一化。
ボンドで汚さないとか、きちんと押すとか、当たり前の事ばかり。ただそれだけで絶対的に上に見せるって言うのは、とても地味な事なのね。まっもっと簡単に言えば、俺と棟梁では、比較しても
絶対にこっちが俺って判らないと思うのね。間違える割合が増えるってね。つまりりょうさんは、棟梁に見間違えるように意識すれば良く、その為には棟梁を良く見て真似る。しかも棟梁は先に
やって貰うから、緊張はあるし、戸惑いながらやる事になる。しかも終わってからの説明や検証をすると、あっここ剥がしたいとか、あれこれ気付く。しかしながら、それがりょうさんに取っての
勉強になる。まぁ少しモヤモヤが残るのね。まぁそんな事があって、じゃもうひとマスね・・・と、棟梁には後で取りに来るから・・・って宿題。今度のリベンジは俺無しの単独・・・。
当然、夜には終わりそうな連絡が来た。つまり独りで出来るって事。これが職人と一緒なら出来る小僧さんと、独りで出来る職人との違いなのね。つまり最初の一歩目のやるって方を選択しないと
いつになっても独りで出来ない・・・そのきっかけにもなるって事なのね。でもそれを自分の作品でしか出来ないと、これからいつか押し寄せるみんなで・・・に参加出来なくなるのね。
不慣れで経験値が無いとなると、内弁慶的になるから。何しろ最初の一歩は勇気で、後は慣れ。これが基本。そしてこれがkameya教室は近いうちに、作業場と変わって行く一歩になるかもね。
そんなこんなでアトリエに戻ってのぶさん教室。
料理の先生だから自分の看板なんだけれど、いよいよバックに入ったのね。ここでもさっきの続きで、これは独りで作っているけれど、例えばバックの他の部分、とても初めてとは思えない、
几帳面で丁寧に切ってあるのね。それをバックでやったら、とても几帳面で丁寧になる。同じスタイルだね。何か果てしなさそうだし、いつも同じなんだね。それをメインキャラを引き立たせたい
のなら、今までよりも出しゃばらずに、でもどーでも良い訳で無く、丁度良いように切って・・・なのね。そこで料理の先生だから、比喩はごぼうの皮向き。例えば俺にごぼうの皮付近には、
栄養たっぷりなんで、剥き過ぎ無いようにね・・・ってアドバイスをしたとする。そもそもが未熟な人に、剥くと剥かないなら0か100で判り易い。でもね、剥き過ぎってどの位?何とも曖昧な表現
なのね。そこにその人の性格が加わるのね。いつものイケイケドンドンのフォワードなら、剥きゃ良いんでしょ・・・ってガンガン行くのと、慎重に慎重を重ねるディフェンダーでは、えっとえっとと・・・
余りにゆっくり過ぎて、皮を剥いている側から茶色く変色して来る感じ・・・って性格も左右するのね。そこで百聞は一見にしかずって、こんな感じって見せたとすると、それを真似するのね。
だからサンプルがある。まぁ当たり前の話ね。所がオリジナルをするって言うのは、サンプルは無いから、大変ではあるものの、それに慣れると自由に進める事になる。しかし、その自由は常に
自分の作品だからであって、基本通りにサンプル通りにって回数の少ないウチの生徒には、むしろ大変な事で・・・だからさっきの話になるのね。んでここは、個人作品だから好きに出来るのね。
ただもう既にここまで上手い。そこに教える事はある?って事になると、そこでテクニックになる。これだけ出来るのだから・・・つまり何がテクニックか?って言うのは、きちんと切らないで。
一見乱暴に聞こえるが、ごぼうの皮剥きの話。丁度良いくらいに、しっかり手を抜いて・・・なのね。じゃがいもの芽を摘むのは、毒があるからしっかり取る。しっかりね。でもごぼうの皮は、
毒じゃないし、しかも栄養価がある。じゃ適当なの?じゃ無くて、丁度良く・・・つまりこんなに上手い人が100本気でバックをやると100やるでしょ?でも落としてね・・・って言っても、90に
しかならないと、まだまだ・・・って言っても、結構落としたって思っているのね。まだまだ。そこでもっとユルユルって気持ちで、80になったとする。すると、こんなんで良いですか?って、
もはや乱雑にも程がある・・・って気分になるのね。80程度で。でもね、例えば70以下くらいに・・・と見せたとしても、えっ・・・って言う人は、中々出来ないし、判りましたって、
簡単に言う人は50とかに落として来るのね。だから丁度良いなのねー。ってその人の丁度良いだから、何度やってもそれなら、きっとその人の丁度良いはそれになる。でも俺の言った言葉の受取り
方1つなんで、そこはかなり性格が加味されるのね。そしてその丁度良いが決まれば、それがサンプルになり、後は繰り返しとになるから、理解出来れば後は時間が解決に向かうのね。
ただ何しろ月に1回では、えっと・・・って事も起きるし、都合で来られないと、数カ月後になったりもする。そうなると、思い出すのも一苦労なんて事も多々あるが、のぶ先生上手いわ。
丁度良いを理解しているのね。そんな中、妹から連絡が来て・・・もう大体こんな電話に良い事は無く・・・母が病院に運ばれたらしい。じゃ教室終わったら行くから、病院決まったら連絡して。
後は保険証とお金・・・って何度か経験しているから、大体判るし、落ち着いてもいる。何故ならもう少しずつ毎回さよならをしているから・・・またねって帰る時に、心の中でこれが最後かも・・
ってね。いつもさよならだから・・・ただ病院は近く、会話も出来た。意識を無くしたらしいから検査入院。今日の最後はこんな感じ・・・。
そもそもなるべく切らないって事は、切る事が上手い人に技術封印って事になるから、結構なストレスになる。じゃ一体何処の何に差を付ける?となると、一定の目地幅だったり、同じタイルを
繰り返さないとか、田んぼのた、みたいに目地をバッテンみたいにしないとか、何しろ何でも良い・・・じゃ無く、ルールの中でやるって感じにね。そんな中、棟梁が始めると、
凄い考えないとならず・・・難しいって。そうね、何が正しくて何が間違っているか?の判断が出来ないと、何か入ったぁ・・・って呑気な心構えになるのね。だからこうしたルールを作る。
そうした意識があるか無いか?で仕上がりが違って来るのね。そんな中、棟梁が終わると、何か上手く行ってない・・・とか、100点を狙う気なのね。でも現実的には100点は無理なのね。
その時に、一体何点で作れる?となった時に、初めてやる事を最高点の100点を目指そうとするって、随分と傲慢な感じとは思えないかな?だって初めてだよ・・・初めて。つまり謙虚と言うなら、
最高では無くて、最低は・・・って言う考え方もあって、これ以下にはしない・・・つまり目指すのが最高点では無くて、最低ラインをキープって考えられたとしたら?これをもう少し掘り下げると、
棟梁のような実力者の人が、初めてなんで最低ラインのキープって言い方にしたとする。そんな点数だとすると、次にそれを見たりょうさんが、それを真似してやったとする。その時にもし、
棟梁が実力者の実力を持って90点以上を出ていたとする。じゃ真似出来る?となると、無理だと思うのね。それじゃへこたれる可能性が出るかも・・・それを棟梁が実力を発揮出来ずに60点とする。
それなら何とか真似出来る感じしない?・・・ただその理屈、変じゃない?・・・それって実力を抑えて、まるで全力禁止みたい・・・ってね。ただもっと言えば、そもそもの考え方なのね。
例えば100点と0点は誰もが共有出来る事なのね。例えば凄い上手いと、凄い下手って話だから。でもその極端な事って、こうも言えるのね。やるか?やらないか?ってね。もう根本的な話。
つまりやれば100点で、やらないと0点。そして更にこうも言えるのね。やったもやらされたもやるのだから100点と、でもやらないとやれないのいずれでも0点。ただね、やったもやらされたも、
自分の意志でやるもやらないも決められるが、やらされるって気持ちでもやると、やった実績になる。でもやらないややれないも自分の意志なのね。自分の意志で0点って・・・。
ここで0点側を掘り下げては長くなるので、やる側を説明すると、どんな形でもやる方を取ると、やった実績になる。そしてやるから挑戦になる。実は大作の人達って言うのは、人が見て大作でも
それが普通になるのね。それが慣れ。最初は出来るかな?とか、不安でも繰り返す事で、いつしか普通になるのね。実はそれはとても良い事なんだけれど、良い事と悪い事は背中合わせ。
つまり普通になり緊張感が少なくなる。これが例えば緊張しているなら緩和だから、コースターでもやる?ってお楽しみを入れるのも良いと思うのね。ただその逆で、久しぶりの緊張感って言う
考え方もある。そもそも大作に慣れるって、第三者から見たら、こっちはただ張るだけじゃんって見えるのね。でもやると判るのは、色違いとは言え、比較されるし、外壁に付くから見られる。
自分の作品は見せない事が出来ても、外壁は全ての人が自由に見れるのね・・・人に見られる緊張感の体験はそう出来るものでは無いのね。そんな実績を自分の作品で作って庭に置くのとでは、
全く意味が違うのね。その時に普通はりょうさんの方が棟梁より未熟なんで不利と考えるのが普通なんだけれど、実は緊張が増すのは上手い方で、いつもの大作なら全力な技術を出せる。
しかし余り切らないってルールは、良さを発揮出来ないから、誰も権利のあるように思えるのね。ただ実はこれが楽譜やレシピや図面と行ったルールの中での差を見せる基本中の基本なのね。
同じ条件なのに差を付けるね。ただそもそもそう思えないと、切れないのかぁ・・・って、気持ちになり、得意なものを封印された気になる。しかしながら、どんなに上手く出来たとしても、
例えば楽譜通りに弾いたのを、スタジオミュージシャンと葉加瀬太郎さんの違いを聞き分けられるか?となれば、相当な聞き分けを出来ないと無理だろうね。それを道場六三郎さんとお母さんの
肉じゃが対決なら、きっと見つけられるかも知れないがね。要するに上手くなればなるほど、当たり前の基本って事をおろそかにするものなのね。水平垂直に張る。目地幅の均一化。
ボンドで汚さないとか、きちんと押すとか、当たり前の事ばかり。ただそれだけで絶対的に上に見せるって言うのは、とても地味な事なのね。まっもっと簡単に言えば、俺と棟梁では、比較しても
絶対にこっちが俺って判らないと思うのね。間違える割合が増えるってね。つまりりょうさんは、棟梁に見間違えるように意識すれば良く、その為には棟梁を良く見て真似る。しかも棟梁は先に
やって貰うから、緊張はあるし、戸惑いながらやる事になる。しかも終わってからの説明や検証をすると、あっここ剥がしたいとか、あれこれ気付く。しかしながら、それがりょうさんに取っての
勉強になる。まぁ少しモヤモヤが残るのね。まぁそんな事があって、じゃもうひとマスね・・・と、棟梁には後で取りに来るから・・・って宿題。今度のリベンジは俺無しの単独・・・。
当然、夜には終わりそうな連絡が来た。つまり独りで出来るって事。これが職人と一緒なら出来る小僧さんと、独りで出来る職人との違いなのね。つまり最初の一歩目のやるって方を選択しないと
いつになっても独りで出来ない・・・そのきっかけにもなるって事なのね。でもそれを自分の作品でしか出来ないと、これからいつか押し寄せるみんなで・・・に参加出来なくなるのね。
不慣れで経験値が無いとなると、内弁慶的になるから。何しろ最初の一歩は勇気で、後は慣れ。これが基本。そしてこれがkameya教室は近いうちに、作業場と変わって行く一歩になるかもね。
そんなこんなでアトリエに戻ってのぶさん教室。
料理の先生だから自分の看板なんだけれど、いよいよバックに入ったのね。ここでもさっきの続きで、これは独りで作っているけれど、例えばバックの他の部分、とても初めてとは思えない、
几帳面で丁寧に切ってあるのね。それをバックでやったら、とても几帳面で丁寧になる。同じスタイルだね。何か果てしなさそうだし、いつも同じなんだね。それをメインキャラを引き立たせたい
のなら、今までよりも出しゃばらずに、でもどーでも良い訳で無く、丁度良いように切って・・・なのね。そこで料理の先生だから、比喩はごぼうの皮向き。例えば俺にごぼうの皮付近には、
栄養たっぷりなんで、剥き過ぎ無いようにね・・・ってアドバイスをしたとする。そもそもが未熟な人に、剥くと剥かないなら0か100で判り易い。でもね、剥き過ぎってどの位?何とも曖昧な表現
なのね。そこにその人の性格が加わるのね。いつものイケイケドンドンのフォワードなら、剥きゃ良いんでしょ・・・ってガンガン行くのと、慎重に慎重を重ねるディフェンダーでは、えっとえっとと・・・
余りにゆっくり過ぎて、皮を剥いている側から茶色く変色して来る感じ・・・って性格も左右するのね。そこで百聞は一見にしかずって、こんな感じって見せたとすると、それを真似するのね。
だからサンプルがある。まぁ当たり前の話ね。所がオリジナルをするって言うのは、サンプルは無いから、大変ではあるものの、それに慣れると自由に進める事になる。しかし、その自由は常に
自分の作品だからであって、基本通りにサンプル通りにって回数の少ないウチの生徒には、むしろ大変な事で・・・だからさっきの話になるのね。んでここは、個人作品だから好きに出来るのね。
ただもう既にここまで上手い。そこに教える事はある?って事になると、そこでテクニックになる。これだけ出来るのだから・・・つまり何がテクニックか?って言うのは、きちんと切らないで。
一見乱暴に聞こえるが、ごぼうの皮剥きの話。丁度良いくらいに、しっかり手を抜いて・・・なのね。じゃがいもの芽を摘むのは、毒があるからしっかり取る。しっかりね。でもごぼうの皮は、
毒じゃないし、しかも栄養価がある。じゃ適当なの?じゃ無くて、丁度良く・・・つまりこんなに上手い人が100本気でバックをやると100やるでしょ?でも落としてね・・・って言っても、90に
しかならないと、まだまだ・・・って言っても、結構落としたって思っているのね。まだまだ。そこでもっとユルユルって気持ちで、80になったとする。すると、こんなんで良いですか?って、
もはや乱雑にも程がある・・・って気分になるのね。80程度で。でもね、例えば70以下くらいに・・・と見せたとしても、えっ・・・って言う人は、中々出来ないし、判りましたって、
簡単に言う人は50とかに落として来るのね。だから丁度良いなのねー。ってその人の丁度良いだから、何度やってもそれなら、きっとその人の丁度良いはそれになる。でも俺の言った言葉の受取り
方1つなんで、そこはかなり性格が加味されるのね。そしてその丁度良いが決まれば、それがサンプルになり、後は繰り返しとになるから、理解出来れば後は時間が解決に向かうのね。
ただ何しろ月に1回では、えっと・・・って事も起きるし、都合で来られないと、数カ月後になったりもする。そうなると、思い出すのも一苦労なんて事も多々あるが、のぶ先生上手いわ。
丁度良いを理解しているのね。そんな中、妹から連絡が来て・・・もう大体こんな電話に良い事は無く・・・母が病院に運ばれたらしい。じゃ教室終わったら行くから、病院決まったら連絡して。
後は保険証とお金・・・って何度か経験しているから、大体判るし、落ち着いてもいる。何故ならもう少しずつ毎回さよならをしているから・・・またねって帰る時に、心の中でこれが最後かも・・
ってね。いつもさよならだから・・・ただ病院は近く、会話も出来た。意識を無くしたらしいから検査入院。今日の最後はこんな感じ・・・。