katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

かぐやが来て、キウイと3人で・・

2016-10-21 06:30:37 | 休み?
今日は俺とは別件でかぐやがやって来て、キウイと合流して3人でアトリエでお話する・・・そんな1日。これが何とも贅沢な話で、いつもなら、かぐやとは電話で話すにしても、確かに声はするけれど、どんな反応か?は声の質からの判断となり、読み取る力が無いと中々読み取る事は出来ない。

しかし、かぐやとて毎日話しているのだから、そうして聞かれている事が判っているから、読み取らせないなんて事をしようとも出来るようになっただろうし・・・・。でもこうして丸々1日一緒となると、もはや逃げ道無し・・・・目は口程に物を言うからね。

ただ、お互いそんな事は判っているので、とは言うものの、折角来たのに仕事の話だけ・・・って言うのもなんなんで・・・と言う中のキウイって言うのは、絶対に仕事だけにはならない存在であって、お笑いの人達が良く言う、緊張と緩和なんて関係が大事であるのなら、確実に緩和になる。

そんな中で、仕事の話を多く出来たのは俺に取っては収穫だったのね・・・・ただあっちを立てれば、こっちが立たず・・・で、キウイには退屈な時間を多めにさせちゃったな・・・とは思うので、借りちゃったかな・・・。ってな感じはあるにしても、今後って事について随分と多めに話せた。

内容は正式に決まってからにするも、体験の1回の教室では無くて、連続で数回で完成をする提案の教室なんて言う事を考えて見る・・・なんて事が重点的な内容なんだけれど、通常俺のサンプルは自由が何と無く売りではあるので、サンプル通りに・・・って訳では無いから、そこに限界があったりする。

例えばこのサンプル通りに・・・って場合、これを真似して・・・って事がサンプル。逆にこんな下地で中身が自由ってサンプルって言うのは、作り手の腕1つでいくらでも変わるもので・・・やり過ぎれば真似出来ないし、手加減すれば見劣りして集まらない・・・。

そこでいつもその会場の大半はそのサンプルを見て、軽くそれ超えが出来ていて、逆に思い付かない場合、そのサンプルを真似出来る範囲で・・と作るから、どうしても見栄えが素敵に見えない・・・と2人からの是正を受けて、次回からは先生のサンプルだから・・・と真似出来なくても良いとの事。

そもそも作家としての作品はこれでもか・・・と作るので、凄い・・・とお陰様で言って貰える事が多く、けれど、サンプルとなるとどうしてもそれは・・・とこれなら出来るかな・・・?と抑え気味にする事が抑え過ぎてしまって、良さが伝わらない・・・って。

ただ根本的に違うのは、どんなものが?となった時に、大抵は自分の欲しいものなんて言う提案が出来るんだろうね・・・何せ女性の先生が多いからね。でも俺の場合、男の独り者では自宅の潤いにモザイクって言う選択は無いから、そう言う観点からでは何も見付らない・・・・。

そこで楽しい・・・なんてテーマで作ろうとすると、今度は動物なんてもんに手を出して、キャラとまでは行かないものの、何と無く位な事をやると、年齢層が幼くなり・・・なんて事もあったし、中身はお好きに・・・と丸だのの縁取りだけを仕込んだ下地やら、何しろ色々やって来たのね。

ただ一番苦手なのはいつになっても、1回完結でお洒落・・・と言われると、しっかり仕込んで凄いもの・・・って言うのは何とか良くは見えても、お手軽簡単って言うお洒落が見付らない・・・・。正直、言いたくは無いがお手上げって感じ・・・・。

じゃ何が上手く行ったように見えるか?となると、しっかり作りたいと短期集中で目的意識がはっきりしていた労作展の子供達や、アクアリウムバスのようなはっきりとした趣味趣向が見えた場所では受けは良かったと思う・・・って。

要するに誰がとか、何が・・・がみたいにはっきりした方が良さそうなのね。つまり学校では無く塾だったり、ペット屋さんじゃなくて、金魚屋さんや爬虫類屋さんって感じであって、万人受けのような手広く考えると、上手く行ってない気がするのね。

そんな事を3人で考えてたのね・・・・ほぼ半日。何とも贅沢な話である・・・だからこそ・・・・なのね。そんなこんなでお開き。








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高洲公民館のサークル活動と家族の紋章

2016-10-20 07:03:22 | モザイク教室
今日は朝から高洲公民館でのサークル活動でいつもの5人。特に新しい展開も無く、みんなあんまり進まなかったぁ・・・と言っていたので、結果報告のみとして・・・


まぁ1つだけ共通の話としては、葉っぱについてなんだけれど、要するに葉っぱは緑って思うと、緑にしか意識が行かないのね。これが天才バカボンの歌詞に繋がるんだけれど、西から上ったお日様が東へ沈む・・・それで良いのだ・・・・ってあれね。

馬鹿じゃん、東から西に決まってんじゃん・・・・そうね、そう習ったもんね・・・学校で。でももし解釈として、個性的とはみんなと違ってても良いのだ・・・思い込まないって事なのだ・・・だからそれで良いのだ・・・って意味だとしたら?・・・何しろあの赤塚不二夫さんだからね・・・。

何度も言っている事なんだけれど、絵画と違って色が作れない。つまりメーカーが作った色の中での選択になる。じゃ緑って何色ある?って単純に考えてもごくわずかだと思うのね。その時にそれ以上深く考える事無く、葉っぱは緑でね緑はこれだけだから・・・ってやれば、どの人も条件は一緒なのね。

つまり、配色が良いとか、切り方が綺麗だとか・・・もしそれしか無かったのなら、この先の技術ってなんだろうか?ってならないかな?って話。
まずここにいる人達はみんな切るって事には問題が無くなっているから、次のステップとしては、思い込みで色選びをしない事なのね。

こんな事を踏まえて、まず葉っぱを作る意識をする。その時に大事なのは、どんな葉っぱを作りたいのか?となった時に、大抵資料を横に置いて、最初は真似をする・・・が一番基本となる。何しろ良く見る・・・が一番大切なんだけれど、1つ葉っぱを満足に仕上げると、ついつい慣れる。

そこで段々と資料は見ずに、何と無く進もうとする。で何が起こるか?となると、慣れた分だけ思い込みで進もうとすると、慣れたなら進む速度は速くなったりする。これは良い事。ただ悪い事は意識が薄れて、資料を確認も1つ目より甘くなった分、もし見当違いな事になったとしても気が付かない・・・

もしそんな事になったとしたら、切る事が上手くなっている分、見当違いのまま速度が手慣れている分、進んでしまう・・・。ってこんな事が起こる。
当然な事なんだけれど、何でも最初は緊張する。ほら新入学のご挨拶だったり・・・見知らぬ人だから、まごまごしたりしてね・・・。

それが慣れると、よっ・・・なんて若干雑目な挨拶も出来るようになったりしてね・・・・まっ意識とはそんなもんなのね。それがもし最初と同じ気持ちで、資料を見ていたとしたら、そんなに日によって進んだり、進まなかったりなんて事はそうそう無いのね。

つまり最初のように、これかな?これかぁ?・・・・とやれば、ほぼ何ら変わりの無い状況の結果になると思うのね。そうね、そんな事に慣れたら、意識わ持ってバカボンの歌詞をやりに行くのね・・・それで良いのだ・・・・は東からじゃなくて西から・・・。

つまり常識をくつがえす・・・葉っぱは本当に緑って決まっているのか?・・・ってね。きちんと何枚か基本に忠実にやったから、資料に近い方向の葉っぱがある。それを踏まえて、そこから変化をさせる・・・そこで必要なのは意識。どんな葉っぱが作りたいか?なのね・・・。

葉っぱは葉っぱじゃん。だから緑・・・って人には関係の無い話だけれど、もし枯れて来ているとしたら?もし若葉だったとしたら?全部同じ緑で表現するのかな?・・・・恐らく違う色を使うと思うんだけれど・・・・。こんな意識を持つと、そんな考え方も出来る。

更にそれが出来るようになったのなら、お爺さんの葉っぱとお婆さんの葉っぱを作って見て・・・はぁ?そんなのは・・・って思う人には関係無い話だけれど、実際、おしべとめしべなんてものがあるのだから、花なら普通だよね?じゃ、考え方をちょつとひねって変えて見ると・・・・。

ファンタジーってなんだ?花に顔なんか無いし・・・ほら判ったでしょ?つまりおとぎ話的なファンタジーに作るのなら、そうした意識1つで、どうしたらそう見えるだろうか?・・・・お爺さん色って何を使えば良いだろうか?でも葉っぱに見えないとならないし・・・って考えるのね。

それが見栄えと機能性みたいな話で、折り合いを付けるって言うのはこうした繰り返しなのね。まっクリエーターってのは、常にこんな事を考えているのね・・・恐らく。例えば、車を作るとする。風の抵抗だの燃費だの・・・ってものを気にすれば、そう言う形ってどんなボディだろう?

でも、当然ゴツゴツしたものは避けたくなる。逆にスタイリングから入れば、見栄えから入るから余分な形のものを付けたくなれば、風の抵抗も受け燃費も悪くなったりする・・・・じゃその間ってどんなものになるのかな?・・・・あっちを立てればこっちが立たず・・・・。

何でもそうだけれど、考え方とは1つでは無いけれど、こっちか、あっちかだけでは無くて、何か他には無いか?・・・って話。ただね、数字にすると簡単だけれど、物事はそんなに簡単には割り切れたりしないもんでね・・・・。

例えば0点と100点。間は何点?って50点ってこんな簡単な話も、葉っぱをお爺さんにするには・・・なんて中間って何よ?って事になったりするし、もっと言えば、想像力って言うのは、カレーを作るのに、ニンジンと玉ねぎを入れるんだから、それを合体した野菜を新種として作る・・・みたいな、

もはや何言ってんだか?・・・みたいな事になるのね。それが素敵になれば、ファンタジーや童話、おとぎ話みたいな事になる。こうして単なる切る事から、似せるに変わり、自分ならではの独特な表現だったり、って変化して行くから、学校のような決まりや単位は無いけれど、進歩して行くのね。

こんな意識がモザイクに限らず、創作って言うものの考え方だと思うのだけれど・・・・。あらっ、長くなっちゃった。じゃ俺の作品は結果のみ。

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DIY教室と家族の紋章

2016-10-19 03:54:08 | モザイク教室
今日は朝から自宅の棚作り。昨日、かぐやに葉っぱ掛けられて・・・夜もかなり無理してやった事もあって、そのかいあって10時には無事終わり片付けはともかく、何とか生活圏内は確保となり、しかも軒下もいくらか片付き一石二鳥。どちらも後もう一息となったのね。

昨日、かぐやに葉っぱ掛けられなかったら、明日で良いかっ・・・と先延ばししただろうから、こんな時間には終わらなかっただろう。
何か凄く得した感じなのね。そんな訳で午前中に通常営業となったのね。

さてそれでは家族の紋章となるのだけれど、作品とは自分自身と言うけれど、だとすると・・・迷いに迷って昨日までやって来た中、今までには無い形を探している自分の生き方みたいなものがあって、お教室サンプルにしても、午後からのDIY教室にせよ、勿論作品作りにせよ、人と違うとは?

と悩んだ結果に出た答えがタイルを切らない・・・これがシンプルで普通。要するに色々やって来た上で、切らない事が残っていた感じって事と、曲線が多い中、直線はまだやっていなかった・・・ってまるで青い鳥のお話みたいなもので、幸せは目の前にあるみたいな・・・・。

そうね、これは一つの考え方として常に思っているのだけれど、要するに普通は普通成功を手に入れる事を目標にやっているだろうが、実はそこじゃなくて、いかに人よりも失敗の事例を手に入れるか?だと思っているのね・・・何か変な話に聞こえるだろうけれど・・・。

多分なんだけれど、常に同じ失敗をせず違う失敗を手に入れると、失敗の比較が出来たりする。これがダメだった、あれがダメだった・・と、その都度何処が?何が?と探して、予測をし、そしてまた・・・と次々と・・・。それによって色々試すから、また新しい失敗をする・・・。

その都度振り返るから、あっちが良かったな・・・いやこっちだ・・・となり、自分で言うのも何だが、その繰り返しで今があるんだけれど、ここも1つ大事なのは身の回りの人達の意見・・・ここも大きくそれもとても重要で・・・何しろ応援をしてくれる人達なのだから、良く知った上で・・・。

ただ1つこれも大事で簡単には鵜呑みに出来ないのは、俺よりの意見に偏ってしまう事もあり、それも考慮した上での意見かも・・・って判断も必要でね・・・そんなこんなでありとあらゆる事を考慮に入れて・・・となり、やり尽した・・・って所まで行ってしまったりする。

そんなこんなで、今回もそんな感じでここまで来た・・・そんな事も踏まえて、かぐやに色々と質問をしたのね・・・まずは日高氏の例の店舗、まだやる?・・・何か・・・?すると、数日後にモザイクには関係無く来る事があって・・・その時に出来るのなら何かやって見たいとの事。

それなら日高氏に連絡してみ・・・となり、返答が帰って来ると、その日は無理があるらしいのね・・・そこで連絡する前に良い返事が来ると思った?と聞くと、正直難しいかと・・・って言ったが、俺も同感だった。つまりやる前から2人共に意見は一致していた事になる。

それについては広げないが、これにも理由としてあって、そう言う事では無いか?と言う事の根拠の元にそう言う答えが出て来るって話で意見が一致した。更に次は鉄は熱いうちに・・・って言うのなら、ハロウィンは時期が遅れたが、クリスマスならまだ充分間に合うが、どうか?

これについては、もうすでに色んなサンプルも作ってあるのだが・・・それでもかぐやの意見はやらなくて良い・・・って。なるほどね・・・そう来たかっ・・・って話で。引っ越しが終わってひと段落してって頃にサンプルを作った頃は、新アトリエの宣伝も踏まえて・・・と、俺も考えた。

がしかし、あれから随分と時間も経ち、状況も変わったような気もする・・・・って感じに色んな事例について、お互いに意見を出し合ったりして・・・そんな中、季節モノの小物よりもウエルカムボードのような教室だったり、定番の教室の下地が欲しい・・・との事。

そんな話を聞いている最中に、思い浮かぶ事があって・・・・それが直線ラインだったのね・・・。そもそも原点は黒や白が好きなお客さんで・・・
そんな事がよぎって、白と黒は何にでも似合って・・・とか、けれど正反対にあるような色合いで・・・何か混じり合う事が無さそうで・・・。

更によぎったのは、法律かなんかのオブジェに天秤なんてもんがあるって見た事があって・・・あんなのと一緒で交差させるとそれに近い感じになるかな?・・・と思ったのね。つまりこの白黒のラインはお父さんとお母さんのルールみたいな線で、交差する・・・。

子供を思う親の気持ちはある意味、白い巨塔の財前先生と里見先生のように食い違う事もあったりするかも知れないが、患者の為に・・・と言う信念はお互いに同じであって・・・それと同じに子供を思う気持ちは白と黒のように正反対なやり方であったにせよ、趣旨は一緒・・・・。

そんな事を直線のラインで表せないか?・・・・みたいなね。どうしてかぐやとの話には全く関係の無い話から、ここへ繋がるか?って話は流石にこの時間ではもう無理だけれど、これも俺の中では全てに繋がっているのだけれどね・・・・。

いずれにせよ、単なる白黒の直線・・・しかも太いラインは張っただけ・・・今までの俺には無いもの・・・十分に理由付けになる。
ってそんなこんなでDIY教室。その2回目。ひとまず前進したのはさくらの花びらをコロで切る・・・ここ。

どうやらあるタイルのショールームを見て来たらしいんだけれど、色々と判った事もあるらしく、前回では若干決め兼ねていたコロに今日は決定したのね。そこで決定した事で1歩前進。



そんな中、葉っぱも作って見たい・・・となって、1つ目の画像はお客さんが初めて切った葉っぱ。それを並べ替えただけの2つ目は俺がやったもの。
違いは2色をはっきり区別しただけ・・・どっちが葉っぱっぽい?って話で、要するに違いは輪郭を合わせただけと、葉っぱに見せようとした俺。

意識の違いだけなのね・・・切ったパーツはお客さんなのだから。単に並べ替えただけなのだから。こんな事を意識するだけですぐに質は上がって見えるだろうから、まずはメインの桜のタイルが決まった事が全て。これでかなり前進したのね。後は量産する事。

どれ位出来るんだろうか?まずは1か月様子を見るって感じになる。こっちはタイルが決まれば先に進む準備になるのね。おっとこんな時間・・・寝なきゃ。

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家族の紋章の制作と棚作りとキウイのハロウィンの仕上げ

2016-10-18 07:40:33 | モザイク作家
今日は朝から雨が降ってて・・・・それがアトリエは落ち着いたんだけど、まだ自宅はほぼ何も片付いていなくて、そんな中、本来はアトリエで使い切るはずだった木が余ってて、軒下に置かせて貰っていたのだけれど、いつまでもこのままって訳にも行かないので、自宅用の棚を作る事にしてたのね。

でも、雨。ただそんな事も天気予報で知っていたので、前日少し段取りしていて、雨でもすーさんの倉庫でやろうと思っていたんだけれど、続きをやって見ると、出来ない事は無いんだけれど、ぶきっちょな木工を手狭な中でやるから、こっちを作って、こっちを片付けて・・・って。

すると逆向きになったりして、あっこっちだ・・・って何か思うように進まないのね。そんな中、弟さんがやって来て、かっちゃん何やってんの?って。
そんなこんなでちょっとアドバイスを貰って・・・・でも流石に手慣れない事をやっているので疲れちゃったのね・・・。

それで休憩がてら甥っ子のウエルカムボードの手直しとキウイのハロウィンの小物作品の目地とペンキ塗りをやる事にしたのね。


小物とは言うものの、これでもかなり難しい事が入っているんだけれど・・・・随分と

そんなこんなで作品作りに戻って・・・・どれもこれも気分転換なんだろうけれど・・・・。そんな中、かぐやが仕事から帰って来て、棚作り終わった?って言うので、まだ途中なんだけれど・・・と言うと、また先延ばしになるので、明日は3時からのお教室なんでその前に完成しましょう・・・って。

確かに軒下を片付ける為に始めたのに、今度はすーさんの倉庫に置きっ放しでは本末転倒。そこで夕方また棚作りの続きをして、組み立てるだけにして、車に積み込み、明日自宅で組み立て・・・・。そんな予定になった。

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リピーターさん教室と家族の紋章

2016-10-17 02:41:36 | モザイク教室
今日は朝からリピーターさん教室。見えるなり、宿題を昨日30分程度やったんだけれど・・・って気まずそうに言うので、強制ではありませんから、特に問題は無いのですが、大事なのはそう言う気持ちになったか?ならないか?だと思うのね。最初からやらないって言うのもスタイルだし、やるのもスタイル

ただやるにして、ここでやった事の復習を2週間後までにやってくれると、モザイクを月に2回やって、尚且つ忘れる前の2週間以内にやる事で、月に1回のすっかり忘れちゃった状況よりも良くなるって話で、それが昨日の今日となると、やり方を思い出すのを昨日って話で、今日は思い出しているって話。

良い事は連続でやっている事、悪い事は蓄積疲労になる可能性がある事なんだけれど、30分なら蓄積疲労は無いので、要するに前日に30分思い出す為の時間を過ごした・・・って事で、悪い事は1つも無し。そうね、感じとしてはリハビリって感じかな?

これがもっと大事な事があって、気持ちの問題で、やるって決めた時にやってないって意識があるから、例え30分でもやろう・・・って前日。
そもそも学生じゃあるまいし、宿題なんてお母さんにある?・・・・そこなのね。その気持ちはとても大事なのね。

ここをやるか?やらないか?で前進する分は大きく変わるんだけれど、ここも大事でそれが適度なプレッシャーなら程良く良いが、やらなかった・・・って落ち込むようでは悪影響になる。今は1作目なんだから、やれたらやれば良いし、やれなかったやれなくて良い。それより月に1回だけキープ出来れば。

さてそれでは、何しろノ―プランなんだから・・・・何しろその日の気分でどうするか?を決める。ただ全てそれでは好き勝手になってしまうので、それを防ぐ為にも1つだけは約束事のような決まりを作る・・・それがこのテーブルの完成した時に何色のテーブル?って第三者に聞いた時は紺って言って貰えるようにする・・・。その為には随時意識して入れる。ただこれだけ・・・それだけは守る。

そんな中、また二回り位やったかな?・・・・そんなこんなで少し延長していた頃に、トントンって・・・はいどうぞ・・・って言ったものの、入って来る気配が無い・・・・そもそもここへ上がって来る人は普通はすーさんと弟さん・・・でも二人なら入って来る・・・じゃ誰?

そうそう、1度郵便屋さんがあった・・・そっか郵便屋さんかぁ・・・と思ってドアを開けると・・・・あっ、ゆずじゃん。貸してたイーゼルを持って来てくれたのね・・・・ただアポ無しだったからビックリ・・・何しろここへ来るのは初めてだし・・・。

まっ受賞のねぎらいもして、来年も頼まれて・・・いずれにせよ、本人と直接話せて良かったのね。そんなこんな後は、しばらく振りに家族の紋章の作品作り・・・正直、手が止まってしまうのだけれど、10時まではここにいよう・・・とまずはこの作品と向き合う時間に慣れる・・・そこから。


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班長教室と甥っ子のウエルカムボード完成

2016-10-16 00:56:15 | モザイク教室
今日は午後から班長教室って事で、それまでは甥っ子の美女と野獣風味のウエルカムボード。ただね、昨日は後は時間が解決と言いつつ、終わりの1手が打てない・・・何かきっかけがあれば繰り返しが出来るのに・・・・残りのスペースから言ったら、正直わけ無いはずなのに・・・・。



正直、ここに来てステンドに見せたいのに・・・と思えば思う程、スペースが狭いのね。そもそもステンドとは、1パーツづつ黒い縁取りのようにくくられているのね。そうなると長く黒い縁取りをしたいのに、幅が狭く、しかも直線ラインが使いたいのに、すぐにぶつかってしまう。

ただそもそもが、お祝いの場所と言う事で使い過ぎはどうなのかな?とか、夜の雰囲気はどちらにしても黒を使いたくなるし、必要最低限に抑えないと、真っ黒なんて事も控えたいし・・・趣旨はステンドにしないと・・・では無いし、ステンド定義の黒い縁取りと夜がかぶってしまっているし・・・。

こんな事も踏まえて、黒い縁取りを茶にしたのね。そう言う事を考えて始めたのに、最後の最後に来てそこを悩んでしまったのね・・・。
そんな事を考えてしまった理由の1つは、上の方にお屋敷で踊った部屋の窓のような場所をステンドのような仕上げをしたのね。

単なるデザインなら、同じデザインを下にも付ければ左右対称みたいな事で済んだのかも知れないが、窓に見せたかったのだから、下の方にはいらない。それならいっそ、全く違うデザインで・・・と考えたら、黒い三角みたいな形が気に入ったのね。でもうかつに黒なんて使ってしまったら、

そりゃ何にでも会う黒だし、多様しても困る事は無いし、色んな事が都合良かった。でもそうなると、ステンドの定義みたいな考えが浮かんでしまって、黒い縁取りみたいな事がしたくなる・・・・しかも曲線では無く、直線で・・・ただ残りのスペースはアイテムが丸い場所が多く・・・。

折角、着地が見えて来たのに、また手が止まった・・・・。そんなこんなで、午前中は終わる事無く、終わろうとしたんだけれど、班長から連絡が来ないので、どうしようかな?・・・って時に、遅れるって事になり、それなら続行する事にして、続けてやったのね。

じゃどうするか?・・・上はクラッシュで黒、そしてステンド風味の窓・・・・これとは別のものにしたい訳で。だから色は同じようにするにも、考え方は対比みたいにしたくて、そこでクラッシュの黒には、ちゃんとした形の三角・・・じゃ窓は?となった時に、ガラスの部分もクラッシュになっていたので、それならきちんと四角で・・・と対応したのね。そこまで来ると、もはや残りのスペースって自然とこうなった。

そんなこんなで班長が来る前に張り終わったのね。さてそれではお教室。そうね安定感があるのね。特に困る事は無い感じだし、やればやる程に形に見えるようになる・・・ただここからなのね・・・どうするそれで?・・・。つまり何も言わなくてもこのまま終わって行くと思うのね・・・。

恐らくバックまではね。ただ問題はそんな事じゃなくて、例えばスポーツだとして、誰かの代わりに入った選手の気持ちってお題としよう。
怪我で代わりなら何もしなくても良いから、そこにいて事が起きてから次の展開に合わせる事でも良いと思うのね。

でももし期待をされての交代なら、何かやってくれる期待を背負っての交代になる。それが代走なのか、はたまた代打としてヒットなのか?送りバントなのか?・・・・つまり班長がこのままで・・・と言うのなら、そのままでも十分だと思うのね。ただ、自分の期待値が何処か?で変わるでしょ?

ただ目指す何か?で変わって来るのね。送りバントをしたいのなら手堅く何処にどの強さで転がすか?みたいな指導になるが、ヒットを打つとなると、この場面で何処に打つ事が正しいか?どう可能性が広げるか?場合に寄っては最低の仕事とは何か?とか、チャレンジみたいな事になる。

つまり安定なら、そのままで・・・とキープを進めるが、もっと・・・と言うのなら、もっとの指導はある。でも、当然難しい事を言わないとならないし、それは安定を壊す事になるかも知れない・・・・。中学から高校へ上がれば、当然難しくなるでしょ?

そんな事を踏まえての指導となると、最初は輪郭だけをキープする・・・そうすれば形には見える。しかも自由な形でクラッシュってね。それが決まった形で・・・に変わり、今度は流れで・・・となったりして。そうやって段々と上手くなった訳で。でも、それ以上いる?

安定してここまで出来るのに、もっとって困る事がしたい?・・・って事を選ぶも選ばないも班長なのね・・・・上手くなるってこう言う事の繰り返しなのね。ただ切る、ただ張るでは無く、今の班長なら髪の毛のどの部分を作っているのか?それによって長さや幅、向き色々と変わって来る。

それがどうなっているか?は下絵には描かれてはいない訳で・・・つまりそれこそが想像力、観察力、洞察力だったりする。考えるとは、答えがありきでは無くて、見えないながら自分なりの根拠を持って迷いつつ進むもんで・・・・。当然そんな事をすれば大変なんだけれど・・・。

それは単なる看板と思いの丈を入れる作品とは背負う重みが違う・・・って最近の出来事を見て貰えば簡単だと思うんだけれど。
そんなこんな教室の後は、ペンキだの目地だの・・・それで何とか完成。

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さくら教室と甥っ子のウエルカムボード

2016-10-14 23:36:31 | モザイク教室
今日は午後からさくら教室だったんで、それまでの間は甥っ子のウエルカムボード作り。


いよいよ後1日って位にはなって来たのね。特にこれからは時間だけで解決するような事だろうから、すんなり終わると思うんだけれど。
そんなこんなでさくらの小物が目地して完成。

ついでに俺のサンタの箱も目地して完成。


そうね、広げるような話もあったけれど、何だかなぁ・・・って感じでもあるので辞めとくのね。今日はおとなしく作品の画像のみで・・・。

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甥っ子の美女と野獣風味のウエルカムボード

2016-10-13 23:20:53 | モザイク作家
今日もウエルカムボード作り。そうね、結果的にはほぼアイテムは全て作り終わりいよいよバックのみ・・・みたいになったのね。それを踏まえてね終わりが近づいてた事もあってナーバスだったのもある・・・それが昨日のキウイにタピオカに日高氏の3人の話に繋がっていたのね・・・。

そもそも一体いつ結婚式なんて出るのだろうか?・・・そんな話の前フリに先日の亀有カルチャーでの話がある。何人かブログを見てくれていて、ウエルカムボードの話から、出席の話に広がって、白いネクタイなんて話になったら、オードリーが今、あんまり純粋な白いネクタイを見掛けない・・・。

って恐ろしい事を言うのよ・・・えっ?そんなぁ・・・・じゃ何すんの?って話なんだけれど、そもそも出席率としては今の現状を良く知っているだろうが、年齢からすると20以上も違うのだから、若い人の話かな?・・・とスルーしようとすると、おかみさんまでもが、そうですよね・・・と。

げっ・・・現実味あんじゃん。に変わって来た。・・・そんな話を3人に振ると、そう言えば、そうかも知れないけれど別に問題無いし。って言われて、ひとまず落ち着くんだけれど、そんなのは俺に取っては序曲みたいな話で、そもそもが冠婚葬祭のような儀式にとても弱くなったのね・・・。

立場って言うか、状況がね・・・。例えばお通夜だったとする。まっ、1万入れてご霊前の袋に薄目の筆で名前を書き、袋の中身の後ろに1万と書き、更に後ろ向きに入れたりして・・・更にふくさなんかに入れればかなりカッコは付く・・・そんな感じで良いでしょ?

じゃお祝いなら?・・・ってこう言うのは単なる知識で、何年経っても1度覚えればずっと使えるけれど、さっきのネクタイの話どころか、スーツにしても黒って言うのすら変わって来ていると・・・もはや音楽を聴くのにCDって言っているようなもんで、それが時代遅れなんだろうね・・・今は。

ならば、やっぱりもう一度確認の為に聞きたくなるのね・・・3人にも。セーフか、アウトか?みたいにね・・・書き換えしないと、最新情報が古過ぎるのね・・・俺のは。それ位、日常がみんなと違い過ぎるのね・・・。実はここがスタートになったのね・・・。

要するにみんな親だから、子供が受験だったり、成人式だったり、結婚だったり出産だったり・・・って色んな事を経験する。すでに日高氏は4人も孫がいる。でもキウイもタピオカもまだそこまででは無い。いつかそうなるだろうけれど・・・でもまだ。つまり途中までは一緒でも親繋がりはあっても、

少し話が食い違う。でも、親である事は変わりないから、ほぼあるあるネタみたいになる事が、全て俺には無い・・・。そうね、それが普段なら流せたんだろうね・・・でも、今、何年も会っていない甥っ子のウエルカムボードを作っている・・・しかも、お祝いのお金を出せずに・・・。

普通にまともな事が出来ない・・・いつもとは状況が変わっていたんだろうね・・・俺の気持ちも。勿論更に言えば、家族の紋章の作品もまだ途中・・・こちらも家族って話で・・・ん・・・中々の追い込まれ感があったのね・・・きっと。

そしてそんな気持ちのままで終わりを迎えようとしていたんだろうね・・・これで・・・これしか・・・って気持ちの中、結局答えなんか出ないのに、いずれにせよ、これで解決するしか無く・・・納得するしか無く・・・でも、満足な事が出来ず・・・。

これが大巨匠なら作品だけでも十分なんだろうが・・・俺と親戚な事が迷惑にならないのだろうか?・・・とそこまで考える・・・。
出だしの気持ちとは大きく違っている・・・もはや気楽では無く、大作のような気持ちだし、甥っ子の・・・も家族の紋章ももはや一緒でね・・・。

手の届かない果てしない遠いものである。ただ、美女と野獣を見た事な無い俺が作ったウエルカムボードが、家族のいない俺の作った家族の紋章がもし気に入って貰えたのなら・・・・本当に幸いである・・・そう思いたい・・・。その最後に出来る何か?・・・それを考えつつ着地へ・・・。


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キウイとタピオカの相席教室と甥っ子のウエルカムボード

2016-10-13 00:04:10 | モザイク教室
今日はキウイとしばらく振りのタピオカ教室。高洲では会うけれど、アトリエとなるといつだったかな?って感じだったけれど、新しくなったアトリエって事もあったのかな?・・・ただ何か新鮮なのね。そうね、同じ教えるにしても、楽しみの量が多い場所と技術を中心にでは、教え方も変わって来る。

そうね、楽しむならここだけは教えないと・・・と最低限これだけはみたいになる。けれど、アトリエではここも教えないと・・・となり、質の向上みたいな話にもなる。それが出来るのもアトリエならこっちとこっちはどっち?みたいな微妙な色合いの見比べなんかも出来るから、より好みに近づける。

それがぺきぺきならクラッシュの箱を持って行けば、結構楽しめるが、それをこだわれば、全ての色を持って行くのは無理・・・。更に1cmタイルになると、益々無理になる・・・。それがアトリエならかなりの融通が利く・・・。ってな話。

しかもタピオカくらいになると、切る事に何ら教える事が無くなった今、いかなる指導が必要か?となると、グレードアップに繋がる事なんだけれど、じゃどうしたらそこにたどり着くか?となると、輪郭の線だけで作らないとか、花びらや葉っぱは模様では無く、良く見て・・・って基本は本物に似せる。

その時に資料を常に見て、特徴をとらえる事。その時に自分の作っている大きさによって、繊細な線を増やすか?減らすか?になったりするのね。
それをむやみに繊細な線を増やして、結局出来ないようなチャレンジは無謀に繋がるし・・・逆に簡素化し過ぎて、質の向上には繋がらなかったり・・・

そんな話が出来るのがアトリエで・・・それが出張の場合だと、持って行ったタイルしか無いのだから、限界はあったりする。そんな話。


まっキウイにしても同様でここでやると、より繊細な事が出来る・・・ただね、って事は時間も掛かるし大変さは増すんだけれどね。
そんな中、日高氏がやって来て・・・・タピオカといつ会ったっけ・・・?みたいな話になったのね・・・・。

そうだなぁアトレ依頼なのかな?・・・・あれから会って無いのかな?・・・・いずれにせよ、久しぶりだったのね。ただ昔から知っているから、話は簡単に広がったのね・・・2人共に日高氏と仲も良いしね。そんなこんなお教室が終わった後は、ウエルカムボード作り。


色々と話はあったんだけれど、明日もこの続きなんで、それについては明日・・・。

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甥っ子の美女と野獣風味のウエルカムボード

2016-10-12 00:38:38 | モザイク作家
今日も甥っ子のウエルカムボード作り。そもそも美女と野獣を見た事が無いんだけれど、かぐやの話からのいつもながらの自分なりの解釈で・・・。
解釈って言えば昔、シュールにファンがいた歌の歌詞を自分なりの解釈をするって言うのがあったんだけれど・・・・まっそんな感じ。

そもそもお金持ちと貧乏人とか、美人とそうじゃないとか、大抵比較対象があって、どちらにも良い事と悪い事があるんだけれど・・・。そもそも聞かなくても人が野獣に変えられるって状況は、貧乏人とは思えないのね。つまりお金持ちが調子に乗って・・・って話だと思うのね。

何故ならそもそも生活が苦しいから貧乏なのに、そんな人が引っ掛け問題されちゃね・・・更に苦しくなっちゃうでしょ?ねっ。

ここが微妙に引っ掛かるんだけれど、見かけの悪い人を断ったからバチが当たったみたいに野獣にされちゃったとするとね、最初から美人でやってくればそんな事は起きなかったと思うのね・・・つまり見掛けで判断したから・・・ってお灸みたいな話なんだろうが、最初から原付の試験みたいに、

引っ掛け問題みたいなもんで・・・引っ掛ける前提の話なのね。結構それも罪深い感じもするのね・・・わざわざ条件の酷い状況で試さなくても・・・って言いたいが、よりドラマチックにするには、そうした方が良いのは、千と千尋のオクサレ様も同様で、みんなが汚いぃぃって言ってたのに、

千尋はきちんと湯屋のお客として接した事で人を見掛けで判断せずお手柄って事になった。勿論、方や仕事として接客で方や単なる見知らぬ来客。
そもそも見知らぬ来客にそんなに手厚い事が出来るだろうか?・・・つまり丁寧にお断りすれば野獣にならずに済んだのか?お金持ちなんだから手厚くしろとでも?

それとも最初から引っ掛けるつもりだったから、念には念で見掛けの悪るさで、間違いなく引っ掛けたのか?いずれにせよ、引っ掛かるべくして、引っ掛かったようにも思える。ではお金持ちにはそんな事を教訓にしたと言うのなら、貧乏人には何を教訓にしろと言うのか?となると、

やはり千尋の時と同じで、千尋の両親は欲望に任せて喰らうだけ喰らって、お金を払えば良かろう・・・って態度で豚になった。ではこの話では、主人公のお父さんは変わり者で、自分の興味のみで人の城に勝手に入る・・・・もはや盗人扱いされても仕方無い・・・変わり者なのだから・・・。人は見掛けで判断なのだから。

確かに千尋の両親はお金は払うつもりだったが、神様の料理なのだから、人なんて下々の者になる。つまり心が貧しい・・・貧乏だったり、変わり者と言われているのは、自分の事しか考えないからであって、これもまた人と比較されると何か劣っている者に見えたりする・・・。

ただ大抵何かに突出している者って言うのは、普通の生き方では無いからであって、紙一重とはこう言う生き様になるとは思うが・・・・。

こんな事から物語は始まると、カエルの子はカエルみたいなもんで、親を奪還って悪い子では無いが、方やお花を貰っても、車の後ろの座席で寝っ転がり、そんな態度の奴が接客業なんて出来るはずも無く、世話になっても挨拶1つも出来やしない。まっ、逆に言えば期待をされていない分、伸びしろはあるって事にもなるかも知れないが・・・・。

方や、ここが大きく違うのだけれど、まぁ可愛いのね。顔が。千尋は宮崎作品では珍しい主人公には見えない顔なんだけれど、もし見掛けで判断と言うのなら、この話の場合なら、いらっしゃいぃぃって受け入れれば良い訳で。ただ野獣は変わり者だろうが、可愛かろうが、勝手に忍び込んだような者には同じ態度。

つまりこの時点では一貫して、無断な侵入者に厳しい・・・って当たり前じゃん。って話で、しかもお父さんはすぐに捕まるが、主人公は大事なバラまで触ろうとする・・・非常識にも程があるのだが・・・。ただこれも例外はあるのだけれど・・・。

そんなこんなで物語が進むと、野獣は心を開いて行く・・・心を開けばきっと後悔をする。あんな事をしなければこんな野獣にはならずに済んだのに・・・これは完全に物語に出て来るって事では無く、あくまで個人の見解ね・・・。そんな気持ちにはならないかな?ってね。

更に進めると根本的には方や湯屋での丁稚。働きを認められる事で信用を得て、親の奪還。方やどうなのかな?心を奪って親を奪還?・・・・
微妙な立場の違いがあるのだけれど・・・・。でも、結局純粋に恋に落ちるのだから、ミイラ取りがミイラみたいな話で・・・。

方や湯屋での働きにより、好きな男とは別れ親を奪還、方や好きな男も、親も、そして財産も・・・全てを手に入れる・・・。結果から言えばね。違うのかな?
そうね、自分に当てはめると、手越君みたいにカッコ良ければ、王子様に感情移入も出来ようが、まずそんなの無理だから・・・。

身の程を考えた時に・・・と自分を配役にあてはめると・・・そうね、千尋の方なら先日のすーさんのセリフから言えば、かつは心開かないからって言われてんだから、完全に顔無しだろうし、じゃ美女と野獣なら?いたいたみっけ・・・それはポット夫人。

本当に断片的だが、城にいたらからのとばっちりでポットになっちゃった・・・ってどうやら子供までカップにされる。そんな中、美女と野獣がダンスをする時に、母として寝なさい・・・って大人の時間を邪魔させない気配りをして、演出として歌まで歌う・・・。

これは母性なんだろうなぁ・・・それが証拠に男達は自分の欲望のみで、人間に戻りたい・・・って気持ちが大きい。勿論、悪い人達では無いが、母性とは全く違うもので、この物語で感情移入出来るのはポット夫人なのね・・・・俺はね。あはははは。

千尋の方は何度も見たから色々広げられるが、美女と野獣は見た事が無いので、かぐやの話とセリーヌディオンの歌のシーンのみ。ただね、一人一人の配役になった時にどんな気持ちになるか?・・・・は作者に聞かないと判らないもので、それでも感情移入をするって言うのは、いちいちこんな事を考えて行く訳で・・・もし作り手だったら、こうした配役の人柄設定を考えないとならない訳で・・・・。見る側とは常に違うのね。  

大作のオリジナルって言うのは、こうした事を考えるって事で、タイルを上手く切るだけでは無いと思うのね。そう言う点では、真のオリジナルでは無いから、いくらか大作とは違うんだけど、いつもと違うのは、親戚と言えど疎遠の関係。

どうすれば良いものになるか?の打ち合わせ無しで、何処までの理想像に近づけるものか?かなり難題である。しかし、時間とは残酷なもので例えどうであっても終わりが来る。

出来る事は最善を尽くすだけとはね。もっと何とかなるまいか?と思うのね。

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