katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

昨日に引き続きわんちゃん教室

2016-12-30 06:43:11 | モザイク教室
今日も昨日に引き続きわんちゃん教室。ただ昨日はお帰りぃぃ・・・・って感じもありなんで、突っ込んだ指導と言うよりも、大まかに全体についての話だったけれど、今日はかなり1つの事に特化したような話になったのね。まっ昔、ブログでも誰の時だったかな?使った話だと思うんだけれど・・・。



物事を考える時に、こんな例があると思う・・・って話。考え方として図1は平等の考え方。一応平面的なんで自分の立ち位置を何処に置いても、上下関係は生まれていないし、何を選んでも一見平和に見える。ただ図2になった時、急に違和感を感じはしないかな?・・・・

これは数字として判りやすくしたからであって、もしこれが色だったとしたら?・・・赤だの青だのオレンジだのってね・・・。もはや図1で好みで選んだとして、その選んだ色がどれ程の威力があるのか?・・・とか、太って見える順だったり、必ず物事って言うのはこんな事がある・・・って話。

例えば信号。同じ大きさの丸が3つで、どうして赤が止まれなのか?となった時、赤の威力が強いって理由だったら?・・・当然横並びであっても、目立つ順となったら、図2のように立体的な考え方になる。つまりもし理由があっての順番があったとしたら?図1の平面的考え方と図2の立体的考え方とでは、

全く意味の違う事になる。更にこれをモザイクに当てはめると、もし自分の考えた色って言うのがあって、花は何色、葉っぱは?とかもう決めてあったとするでしょ?それが色を混ぜられる絵画のようなものなら、自分の好きに作りゃ良いじゃん・・・それがテクニックなのだから。

じゃモザイクでは?となると、売っているタイルの色の中での制作になる。この時にもし葉っぱは緑、花は赤みたいに単純な話であったのなら、割と融通が利くような話なので、許容範囲が広い分、左程困らない話なのね。ただもし何とかレッドとか、エメラルド何とかとか、素敵な名前を言い出すと・・・

そんなものがタイルに存在するか?となると、ほぼ壊滅的であるって事。つまりモノの考え方1つで大きく変わって来る。しかもこう聞くと、私は許容範囲が狭いと言われたく無ければ、流動的に決められる・・・・なんて簡単に曲げたとしよう・・・けれど、そんなに甘くないのね・・・物事ってのは。

本当にそう思わないと、物事には順位があるって事なのね。図1のような時に自由に自分が選んだものが、図2では目立つ順位だったり、太って見えたりね・・・しかも自分がそう思っても、図2になった時、人がどう感じるか?であって、絶対数そう多く見て貰えないと、自分の意見は通らない。

こんな事を踏まえて考えた時に、春夏秋冬の4つを図1に当てはめた時に、どの季節が一番目立つと思う?となった時に、自分のモチーフうんぬんの前に、イメージって言うものがある。例えば決定的なのは、冬を連想した時に寒い・・・とか、雪とか、白とか銀世界とか、冬眠とか・・・って。

こんな事をイメージしないかな?イメージって言うのはこうした大まかな事であって、良く間違えているのは、イメージと言いつつもう決定事項ばかりの人。こんな人は図2になった時に絶望的なのね。だって何も曲げられないし、曲げているって意識の段階で気持ちが崩壊して行くから・・・。

だからまずモザイクは自分に合わせてよ・・・では無くて、私が合わせに行くものくらいで考えると良いと思うのね。だって最初から自分に合った色なんて何にも無いのだから。話を戻して、冬を白ってイメージしたとする。白は純白なんて結婚式のドレスに使われるように、色が付いていない・・

そんな従順って感じだから、威力的には、より強い色が側に無いと主張しない。では同じように夏は?秋は?春は?となった時に、恐らく冬よりも主張するだろうね・・・その時に、もし平等に・・・なんて図1の段階で4分の1に区切って考えていたとしたら?・・・・

果たして本当に平等に見えるのだろうか?となった時に、図2の展開では、春夏秋冬に目立つ順番があったとしたら?どうなるのかな?・・・・。その時に図2ありきで考えられたのなら、白は主張しないから・・・少しスペースを大きく取ろうかな?なんて考え方にも繋がるよね?

ただもし白では無くて銀世界なんて浮かんだとしたら?・・・・白ならそうだけれど、銀なんて使って置いて、白の時のままのスペースならバランスを悪くするだろうし、白金なんてタイルもあったりするから、今度は金なんて事になれば、当然今度はかなり主張して来るはず。

まっ構想なんてもんはこうやって組み立てて行くって話。つまりアトリエに来るって事は、本気でやると作家katsuと同じような色数の中からの選択になるから色数は出張の時よりも増えたりするけれど、逆に多過ぎて迷う事も人もいれば、何とかレッドやエメラルド何とかって人は無いわっになる。

ってそんな中、みどりと棟梁がやって来たのね・・・・まっ当然、みどりは何度もこんな事は言われているだろうから、知ってはいるだろうけれど・・・棟梁は随分とビックリしていたんだけれど・・・まっ使える人は使って見て・・・って話。

単なるものの考え方だから、そんなのいらない・・・って人に押し付けるつもりは無いからスルーして貰えば良いのね。ただ必要って人は、人間関係にも十分当てはまる事で、会社なら図1なんて話は絶対に無いから、きちんと役職の札を見れば偉い順番は判る。

つまり図2の立ち位置をしっかり判れば、どんな話し方をすべきか?なんて簡単に判るが、それも思い込んだりすると間違えたりもする。何故なら自分を1番下に置けば、全部尊敬語で通せる。しかし、もし一番上でざっくばらん・・・って感じだとして、あぁ上下の無い人だ・・と思われる事もあるし

逆に、横柄だって思われる事もある。そうやって考えて行くと、いかに中間管理職って言うのは難しいか?良く判るのね。話し方1つでも変えないとならないだろうからね。そうなるといかに図1の世界は平等かって話。所が図1なんてそうそう無くて、立ち位置を間違えると痛い思いをするって話。

モノ作りとしてのオリジナルが自分自身と言うのなら、生き様としての考え方を問われているようなものなのかもね・・・もしかしたら?
さて難しい話はここまでとして、白い花、ピンクの花となった時に、色合いだけ見る人は今の表現で十分だけれど、ここでは色より形って指導。

白い花は大きさを変えてあって、しかも形もかなりいびつなのも入っていて、花びらの表現が繊細。それに比べるとピンクはどうだろうか?同じ大きさに揃えてしまっていて、棒状に見えたりもする。ただこれが一人でやった事なのだから、こうした違いになっても仕方無い事なのね。

違いが比較出来るのは、チャレンジしているから。同じ事を色違いでやるだけなら、同じ失敗しか手に入らない。そこで3つ目も違う失敗を手に入れる・・・って考え方で、じゃ何をどう?って考えると、色が白もピンクも薄味である事。そこでピンクはピンクでも思い切ってエンジを使って見る。



かなり尖がったピンクになったでしょ?けれど引きの画像はどうだっただろうか?・・・・アップにするときついエンジも、引きの画像は左の花の濃さが目に入ると、全然違和感が無くなって見える人もいるはずなのね・・・・じゃわんちゃんには?って事。全然平気って・・・。

じゃ色はエンジを入れるとして、形ね。形は絶対に白い花の方が花っぽい。つまり大きく切ったり、細かったりって切り方を変える。もし更に出来るのなら、右か左かを大きい形を少しどっちかよりにする事で、同じ色であっても大きい方が重く見えると思うのね。

そんな事も意識して、3つ目は1つ目でも2つ目でも無く違うものに見えるように・・・良くも悪くも。あくまで個人の見解でね、例えば何かを研究していて見つけた・・・発見したって言うじゃない?じゃ2つ目も3つ目も発見すりゃ良いじゃん。凄いんだから・・・。単純な話。

でもそうは同じ人が何個も発見出来ない・・・何故なんだろうか?・・・これが何年も同じ事を研究するって事はいくつもの失敗を重ねているって事。
人一倍ね・・・またこれも違う、またこれも違うってね。当然実験なんだから、こうなるんじゃないか?と探している訳じゃない?

所が思うような結果が出ない・・・所がある日、有り得ない失敗をする・・・落としちゃって割れたとか、滑った転んだとか、野球、サッカー、絵、何でも人のやる事はほぼ一緒だから、そんな毎日の繰り返しの中での偶然を見逃さなかった・・・そんな人が発見するものだと思うのね。

そもそも失敗番長は色んな失敗事例を知っている。なのに偶然のたまものは偶然なのね。だって作れるのならとっくに作れるでしょ?要するに今までの失敗事例に当てはまらなかった事に気が付いたって事だと思うのね。昔、親父が犬のブリーダーみたいな事をしていた時に、あれとあれを掛けて・・

とか、仲間とやってたのね。けど思い通りになんてならないもので・・・ただそれは犬の場合、何頭も飼えないし、しかも敷地や労力も掛かる。絶対数トーナメントの図のように底辺のすそ野の部分が多く無いと、良い物が出る確率が低くなる。比較するものが少ないと何処が悪いか?良いか?

って判断がしにくい。そんな中、大抵は良い物と良い物を掛け続けようとしてしまう。つまり血が偏る。そもそも良いのと良いのが良ければ、お金で解決になるでしょ?じゃお金持ちには勝てないのね。勿論そっち側の人は、そっち側の成功があるだろうから、別次元の話。

こっちは絵と違ってサクサク描く事は出来ないのね。とんでも無い時間が掛かるから。それなのに失敗事例を手に入れる・・・って。まっぴらごめんって話。だからこそ人の失敗も自分のモノにしないと・・・。ただ何の何処が?って目利きが無いと、わー綺麗ぃぃ、可愛いぃぃでは見つけられない。

何処が可愛いのか?何処が綺麗なのか?何処が失敗なのか?・・・みたいに自分なりの答えを持ってして、人と意見の交換を出来るとね、さっきの図2になるのだけれど、常に図1ならカルチャーのようなみんな一緒って場所は居心地が良いだろうね・・・きっと。

そんな事も踏まえると、わんちゃんの場合、一人海外での制作。キウイにしろみどりにしろ棟梁にしろ、みんな大作をやっている人達なんで、大作の大変さも知った上での意見交換も出来る訳で。ブログで見ているのとはちょいと違う。本当に良い物は画像よりも生なのね。

それが画像通りだったぁ・・・ではその程度。けれど本物は大きさの迫力やら、繊細さやら、何しろひととなりまで見られる。あぁこの人が作っているのかぁ・・・ってね。もしこの先、付き合って行く上で、やり取りがあった時、こんな風に思う・・・って意見を貰える関係になったら?

1人で作っている不安もいくらか解消したりもするかも知れない。ただ沢山になると色んな意見も出て来るから、悩み事も増えるけれどね・・・。
いずれにせよ、生の批評は一人作っているわんちゃんには励みになったと思われるのね。そんな中、ちょこっとさくらもやって来たのね。

でも調子が悪くすぐに帰っちゃったのね。まっそれでも年度末らしく、みんなで良いお年を・・・って言えたんで良いっか。そんなこんな後は、少しだけ・・・昨日の続き。

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