katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

棟梁とお姉ちゃんとみどりの相席教室

2018-06-28 23:55:47 | モザイク教室
今日はタイトル通りじゃなくてkameyaさんのメンバーが相席だったんだけれど、朝、棟梁から連絡があって、まだ来ないんだけれど・・・って。そこで棟梁が連絡すると、どうやら勘違いしたらしいのね・・・。それが来月の予約の日に自動更新されてしまった関係でダブルブッキングしてしまい・・・

その連絡をlineで報告して、午後からにして貰えますか?・・・とって打診するも、行けません・・・なんてやり取りをしたんだけれど、間が悪くその日にちが今日だったのね・・・つまり今月の話と来月の話を勘違いしたらしいのね・・・。そんなバタバタ感ありいの・・・そんなこんなスタート。

それでまずは棟梁ともう一人のリピーターさんが例の温度計をやるって事で、タイルだったり下地の準備から。


ただまだペンキを塗っていなかった事もあって、2人共に茶色って話だったけれど、急きょ棟梁はピンクに変更って事で・・・まぁアトリエでの変更なら、ペンキさえあれば別に何の問題も無いんだけれどね。そんな訳でこうなって・・・次回以降に。それと額縁の話。


ここは彫刻をやっている棟梁ならでは・・・で、額縁を彫るスタイルにするんだけれど、モチーフは向日葵とカスミソウだったかな?いずれにせよ、その花は2人の娘さんって事なのね・・・ほら、始まったでしょ?この時点で、モチーフのこだわりが感じられるでしょ?つまり情緒を出そうとしているのね。

けれどね、ただ2人の好きな花だから・・・ってだけだと、労作展の子供以下になるのね。だって、モチーフの決め方がただ好きな花とかって、だからどうした?・・・って見る人が感情移入出来ないのね。そこに何で?どうして?みたいな理由付けみたいなものが無いと、花が綺麗に彫れたね・・・って話。

つまりその花がどうだった言うのよ・・・って事なのね。そこで額縁って言うのなら四角く角張ったきちんとしたモノ・・・って事になる。それを単なる額にしないって事になるんだけれど、単に普通と違うって考え方では無くて、何が何処がなのね。例えば素材が木って言うのはどちらも一緒。

ただ普通の額は普通の額だけれど、花が入るから花を彫った額になるんでしょ?これなら花が入っているだけで良いのね。けれど更にここに文字を入れると一味も二味も変わって来るのね。例えば彫刻って木を彫るじゃない?じゃ特徴って何?単純に色が無い・・・木の色なのね。

じゃ木の色って?どんな感じ?って話を掘り下げるのね。そうね、子供の頃の、こ、こ、金平糖、金平糖は白いぃぃ、白いぃぃはウサギ、ウサギは跳ねる・・みたいに連想して広げるのね。じゃ木の色は?・・・セピア・・・みたいにね。そうすると、セピアなんて言うと写真なんかを思い出したりする。

そうなると、白黒なんてもんもあったりする。では比較して見ると、白黒の写真ってどんな感じ?何か古臭い感じしないかな?どちらかと言うと、セピア色の写真って言うと、お洒落な思い出な感じしない?・・・・思い出したりして・・・・つまり木の色がセピアな感じだったりするのなら、思い出なんて

キーワードが出て来たりして・・・つまり2人の花がセピア色で彫れる事になる。そしてそれは思い出の・・・って比喩が成立するのなら、向日葵って季節は何?・・・・って考えると、初夏なんて言うのなら、花びらをピーンと張って彫ると良いし、枯れて秋なんて言うのも彫れそうなのね。

もし秋ならトンボなんて言うアイテムを増やすのも良いよね?・・・もしそこが昔の思い出みたいに見えたとしたら?色褪せて行くのね・・・思い出なんだから。つまりモザイク部分の華やかな色の部分が現在であって、額縁が昔の思い出に見えたのなら?ほら、そんな額縁になれば情緒が必要でしょ?

つまり単なる花がちゃんと彫れました・・・では全くそう言う風には見えないのね。いかにそう見えるには?・・・なのね。そうすると、昨日のみどりと同じで、もはやデジャブ・・・・こんな事をやろうとすると、あぁだの、こうだの、それで・・・って一体その説明に何文字使うつもりなの?

って事になる。作文みたいな長い説明をして、そんな額縁・・・って言って、じゃそれを作って・・・・って果たして作れるんだろうか?あははは、まず無理だわっ。ここで大事なのはくじらなのね。くじらは俳句の人。俳句は17文字で全てを語らないとならない。つまりその程度の文字で考える。

そうなると、例えば単純に思い出の額。とすれば、たった7文字。じゃその花のモチーフを使って、どうやって思い出を描くか?になるのね。それをただ彫れました・・・・なら、2つの花が入った額って事になるけれど、情緒の部分が、思い出の・・・・って部分だから、思い出を描かないとね。

こんな事が、モチーフとして使っただけの花と、情緒を踏まえて使う花では、ただそっくり、ただ似ているってだけの話とは違うのね。勿論、彫る行為だけでも難しいだろうけれど、情緒とは更に上の話。例えば音楽だって、楽譜の音通りと、強弱を付けて切なさや喜びなどを表現する・・・。

みたいにね。そんな違いがあるって説明ね。それをモザイクの経験が浅いお姉ちゃんなら、似ているね、硬いタイルが切れたね、良くここまで頑張ったね・・・となり、最後までたどり着けば、良いのが出来るのね。・・・って話で十分なのね。これが初めての大作なのだから。


逆に弟子のみどりとなれば、当然情緒の話は普通だし、きちんと似せるって事でも、当たり前だと思うのね。それが出来るかどうか?では無く、理屈は判って、やっている・・・じゃないと、偶然では結果は出ないのね。上手い人は必然なのだから。それを感だったり、作文のように長々言っても、

そんなの作れる?って一言で撃沈するのは見えているのね。だから、まずは俳句のような方式。短く簡単に判りやすい言葉を使って、誰にでも判るようにして、まずはそこをクリアーして、あぁそう見えるぅぅって言われてから、足し算みたいに増やして行くように作るのね。

これが俳句だと難しくて読めない言葉が沢山出て来たりするし、その言葉は季節を語っています・・・って季語なんてルールがあったりして、補う形もあるけれど、モザイクでの表現って絵画とは違って、不器用な絵になる訳で・・・もどかしさって言う点では、言葉足らずみたいな感覚では、

何か似ている感じもするのね。話は戻して、つまり上手くなりたい・・・の向上心はいつか切る張るを超越すると、結局オリジナルの部分になると、情緒なんて言葉は欠かせない気がするのね。昨日に引き続き、目に見える指導じゃなくて、目に見えない指導って話なのね。

きっとお姉ちゃんには、何の事かいなっ?・・・・って感じだったと思うが、こんな話がいつか判る日が来るのね・・・そう、いつかね。

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