katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

闘牛士の背中のリピーターさん教室

2023-09-26 07:23:41 | モザイクタイル教室
今日は朝から闘牛士のリピーターさん教室。中々思うように時間が取れなかったらしく、その分を・・って感じに丸々1日だったのね。昔は重なるなんて事も少なかった時代は、良くそんな事が

あって、じゃそろそろ俺も勝手にやるね・・・って感じに放置したりして、どちらも自由気ままだったりもしたのね。それが当たり前になると、勝手に休んだりして、自分のペースで進められたのね。

別に大した事は無い話に聞こえるんだけど、これがかなり大事になるのね。例えば通常3時間となると、これをどう考えるか?なのね。それをたった3時間しか無いから・・・って思う人は、休まず

ずっと切ったり張ったりし続けるのね。それとは逆に、ハァ〜って伸びしたり、お茶飲んだり、場合に寄っては、手を止めて話をしたり・・・って言う間の時間があったりするのね。

この全く違うスタイルの人を第三者として、こっちからあっちを見て・・・比較すると、特訓のようにやる人は、休んでばっかりじゃん・・・って思うだろうし、逆に休む方からは、何か特訓の

ようで、疲れないのかな?・・・って全く違う意見になると思うのね。この考え方って、スポーツでも、勉強でも、生き方でも、何でも良いけれど、必ずこんな事にぶつかる事なのね。

自分の方が正しい・・・ってね。ただそれって、新しい事は取り入れないって考え方で、保守とか、伝統、格式・・・こんな感じの言葉に当てはまる感じになり、逆に何でも良い方を取り入れる

って感じになると、革新とか、思いつき、ひらめき、フィーリング・・・みたいに気ままって感じに見える。こうした違いがあったとして、前者の特訓みたいな場合、良く集中力はどれくらい?

ってテレビなどで紹介されている話では、恐らく3時間なんて無理だと思うのね。つまり休まないって人は自分では大丈夫って思っているだけで、始めたばかりの時間帯と最後の時間帯では、

蓄積疲労なんて事を考えれば、同じはずは無いのね。ただ精神論的な根性って感じね。勿論、これをずっと繰り返せば、そこにも慣れってものがあって、ある程度平気ではいられるとは思うのね。

ではグレードは?・・・進む事だけなら、何とかなっても、グレードが最初のパーツの同じなら問題は無いが、ただ進んだだけでは、例えば最初は90点パーツだったものが、最後60点のパーツと

したら、質を大きく落とす事になる。こうした数字で考えれば、そりゃ駄目だろっ・・・ってすぐに判るが、どうして判るのか?って言うのは、数字があるからなのね。つまりそれを見抜く目が

必要になるのね。それはみかんの仕分けの人は、L.M.Sを一瞬で仕分ける。そうかと思うと、中島誠之助さんなら、骨董品を見て本物か偽物か?だけで無く、誰が作ったか?いつの時代か?まで、

判ってしまう。ただ両者共に、みかんは作れないし、名のある陶芸師でも無い。目が一流なのね。
話を戻して、その見極めの目を持ってぶっ続けでやっても大丈夫?って話なのね。

つまりただ頑張って耐えただけでは質を大きく落とす事になるし、それは今進んだだけになる。そこに休む余裕も無いのだから。逆に何度も休んだり、大きく休んだりすると進まないのね。

でも疲れないし、急に上手くもならないから、恐らく最初も最後もずっと同じパーツだろうね。つまり数字にするのなら、ずっと60点。これは安定感がある。だから質は落ちない。ただ元々が

低い・・・。でもね、仮に90点で出来るのに、60点でも気が付かない目で進むなら、ずっと60点は安定していて、アップダウンが無い分、良く見えるかもね。つまりこんな人がいたとしたら、

前者の人には休んでね・・・になり、後者はもう少しやって見れば・・・と逆になる。そして大きく変わるのは、前者は何しろ今日を進む、先生がいるから失敗は無く進める・・・って気持ち。

後者は、今日の分進んだぁ・・・って、大体自分が進むのはこの位って決めた、少しな分を進めば満足・・・って感じだと思うのね。これが今日、今の出来事だとする。それが学生なら授業中。

これがもし、もし自宅でやったとする。それが復習って事になる。これなのね・・・これを俺は学生ん時に、やってればなぁ・・・なのね。その大事さと、そのやり方みたいなもんを具体的に、

教えてくれる人はいなかったなぁ・・・。実はこの復習ってのが、極めるには大事なのね。極めるにはね・・・つまり趣味なら必要は無いのね。極めたい人だから、受験をするって学生さんには

必要でも、卒業するだけなら、無理する事は無いのね。そこは遊んだり、クラブ活動重視なら、勉強よりも素振りだろうからね。でももし、生き甲斐・・・なんて言う人がいたのなら、復習つまり

自宅でやりたくなる。じゃ今日アトリエで教わったんだから、やって見れば・・・ここなのね。全てが良い事と悪い事は背中合わせであり、逆も真なりなのね。前者は特訓スタイルだった。

そして先生がいる間では失敗が無いのだから、今進めないと・・・って考え方だったとしたら。その人は、きっと自宅でやった事があるんだろうね・・・そして上手く行かなかった事がある。

だから、そうならないように・・・と、今を大切にするスタイル。だとするのなら、常に正しい目を俺の目としていれば、自宅で進められるのはパーツ切り。それなら張っていないから、安心して

切れる。しかも進められるから、そのパーツを俺に見せて、みかん農家のアルバイトのように、これはL、これは小さいからS・・・みたいにふるいに掛けて、後は張るだけ・・・。

こんな事が初期段階になる。これを出来ると、自宅でパーツ切りの特訓をしていた事になるのね。つまり打撃重視みたいに。でも守りも必要となると、打撃ばかりをしていた人が、後は張るだけ。

なんて思っていたら、そもそもが後は張るだけ・・・なら自宅でも進められたはずなのね。つまり張るって行為は、これでファイナルアンサー?って感じにプレッシャーが掛かるのね。実は。

そこをアトリエでやれば、失敗は無いだろうね。これなら安心して進められる。それをワンステップ上げるには、自宅で張りたくなる・・・つまりその見極めの目が必要になるのね。

じゃその目って何・・・?アトリエで習った?・・・ここなのね。だって前者は何しろ進むを重視。つまり休む事無く、余裕無く進んでいたのなら、手を止めて見る・・・って事はしていないのね。

そもそも修行の職人なんて、やるよりも見て覚えるってもんなのね。目なのね。正解は何か?なんだろうね。それを見続けて、それを脳に叩き込み、後は反復してそこにたどり着くようにする。

だから一人前になるまで時間が掛かる。それは、あれこれと工程が多いし、室内、室外でも違うし、想定外の事も起こるからね。話を戻して、つまり今を重視では無く、やり方、考え方を

アトリエで手を止めて聞く時間の余裕があれば、その人は自宅でも困らない為の時間として、聞くってスタイルが必要になるのね。今の為の時間では無く、自宅で進める為の時間ってね・・・。

つまり自宅でやる人は、自宅の時間の方が、アトリエの時間よりも長いのね。この方法を把握した人達が労作展の子達なのね。例えば10回アトリエに来たとすると、それはたった30時間・・・。

でも恐らく彼らは100時間近くはやっていると思うのね。だとしたら、倍以上、自宅でやっているのね。流石にこうなると、自宅でも張らないとね。つまり目が必要になる。でも教えないと、

何が正解か判らない。しかもそれは自宅でやる前提での指導であり、アトリエだけなら、今を進めなくちゃいつ進むのよ・・・今でしょって事になるから、今を進む事が正解になる。

明らかに指導が変わるのね。つまり今日の方は、今を進むで正解なのね。となると、休まない方が良いんだけれど、今日は朝から晩まで・・・持つかな?と思ったら、お見事だったのね。

昔はずっと・・・なんて時間の決まりも無いままなんて事だった時は、みんな自由に特訓みたいな感じだから、長時間の使い方が上手い人がいたのね。適当に休む、適当に話すみたいにね。

それが余裕でもあったのね。自宅でやるかやらないか?にはこんな差が生まれるのね。ただそれじゃアトリエだけでは上手くならないか?となると、そうでも無くて、究極なら、くじらね。

何年も掛かっているし、数枚しか切ったり張ったりしないけど、時間が掛かっているだけで、出来ない訳では無いし、いつか終わるし、終わると小物作品では無いから評価も高いのね。しかも、

完全なるオリジナルだしね。そんなくじらスタイルの特訓版がきっとこの方なんだろうね。来た分やる・・・しかも焦りも一切無いし、そうね、楽しい修行僧って感じで、好きな80年代洋楽を

聴きながら、話も出来るから、趣味趣向も聞け、自分発信の話って言うのも聞けるから、物の考え方の傾向も聞ける。こちらとしては、それが聞けると、それならこんなのは?って提案もしやすいのね。

そう言う点では、いつかその内にオリジナルが始まった時の、手掛かりをいっぱい頂いているって感じでもあったりするのね。まぁそう言う点では、コンスタントに進んでいると思うのね。

そんな中、頼まれていたカワウソのペンキ塗り。

完成したんで次回以降って事で・・・。そんな後は、プチッと金魚の壁画。

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