katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

オ-ドリ-教室

2010-05-23 01:51:27 | モザイク教室
まずは恒例のメジャ-。不協和音にも思えるバッテリ-。
練習したフォ-クは使い物にはならない・・・苦肉の策で捕手が考えたのは、

相手を威嚇するブラッシュボ-ル・・・しかし主人公はその玉の手違いで父を亡くしている・・・その為にトラウマで投げられない・・・・

そこに野手がやって来て一喝。そして帰り際に、捕手にお前が諦めたらすべてが終わりだ・・・そもそも奴の事が誰よりも判るはずだろっ・・・その後、配球が変わる・・・

すると捕手の要求はストレ-トのみ。ひたすらストレ-ト。ただ気分良く投げられるだけ
しかも相手はバリバリのメジャ-リ-ガ-。

それがすでにヒットを打ってランナ-に出ているメジャ-リ-ガ-の回想シ-ンの中で、
どうして主人公がその場所に立っているか?の理由を語っている・・・

一度対戦した時には確かにメジャ-リ-ガ-はメッタ打ちにした。がしかし準備不足だった
事、コントロ-ルのみに頼った単調な配球・・・そんな事のみで勝ったと感じている

玉の威力を脅威と感じ、監督に推薦をしていた・・・そしてもう一人のメジャ-リ-ガ-は
バットを3本折られ、ジャストミ-トしたはずだったが外野フライに打ち取られる。

ここが重要な部分。打ち取った主人公は打たれたと思い、打ち取れなかった・・・と
流石にメジャ-なだけはある。まだまだ自分は力不足と判断しシ-ズンを目指す・・・

反対に打ち取られたメジャ-リ-ガ-は主人公はマイナ-とは言え、荒削りではあるが
これから強敵になると判断し実力を認めて脅威と感じる・・・・

一体何が真実なのか?冷静に考えればとても簡単・・・なのに気が付く者と気が付かない者。打ち取って気づかず、打ち取られて気付く。器の違いが判る。

一体己を知っているのは誰か?しかしこうも言えよう。勝手に負けたと思い、己を
知らないのに、更なる努力をする・・・・こりゃ負けた奴は脅威だわっ。

もっと実力を付けてメジャ-に上がって来るのだから。
今日はとても勉強になった。

まっ俺はマイナ-だけれど、主人公のように若造じゃない。完全で無いフォ-クなんか
使わないし・・・ただ通用するかしないかでは無く、メドが立つか立たないか?を

考えて使うだろうし、打たれたのは外野フライで三振させられなかった事が、駄目とは
思わない。自信のある玉をそこまで運ばれたショックと思う考え方もあるだろうが

逆に言えばメジャ-の選手をアウトにしたんだ・・・マイナ-の俺が・・・と取れば
更なる努力でチャンスはある。と判断すれば何でも無いはず。

己の立場を理解すれば、コツコツ上がる選択になる。がしかし主人公のように
相手はメジャ-である、自分はマイナ-であるの判断無しに勝つ・・・と戦い、

負けたら素直に認め出直す・・・ってやり方でも素直である事が前に向かせる。
俺とはプロセスは違えど結論は一緒になるだろう。結局素直だけは一緒だから。

人には進む道がある。やり方もある。ただプロセスは違えど目指す場所さえしっかり
していれば出会う場所は一緒になる。別に不思議な事じゃない。

今日のメジャ-はとても良い教訓になった。

さてオ-ドリ-教室。俺の見る限りこの2回の教室のオ-ドリ-は安定感がある。
どっしり構えるって姿勢がある気がした。話をしていてもとても冷静だし、

自分も判っている様子も伺える。根拠もあるし、笑っていた。これなら少し小難しい
質問にも答えられるだろうと判断して、こんな話をした。

この作品の意図ってどんな感じ?何を表現しようとしている?どう見せたい?って質問
すると・・・オ-ドリ-は一体どう答えるか?おそらくそこまで考えていない・・・と

言うだろうが・・・・ねぇ?どうなの?と一応尋ねた。するとやはりそこまで・・・と
答えた。そう今はそれで良い。しかし、次回作からは、それを徹底的に考えて作る事。

今はそれで良いのは、まだこの作品を始めた時は、1cmタイルを必死に切る事がすべてだった・・・それがコロも使って、細かくも細くも、自由自在とまでは行かないが

そこそこ切れるようになって来た。素材に慣れて来た・・・しかもこだわりを持って
切ろうとする姿勢もある。そこでただやみくもにこだわるのではなく、こだわるって

コツを伝授した。それは至って当たり前の至って簡単な事だったが理解は出来たみたい
更に、そこが是正出来たとして、次は前フリについての確認と、いきなりの登場って

アイテムの使い方の確認をした。真ん中に1cmタイルの青で流れを作っていたが、
前フリが無いといきなり登場となる。それを特に目立たせたいのなら特に問題無いが、

もし混ざったように見せたいのなら前フリを少し作って、真ん中をメインにして、
最後に繋げるようにすれば、波が1つに混ざったように見えるはずである・・・と。

そうするには左に細く前フリを作り、右に流す・・・これがテクニック。
ただこんな事は目の前のテクニックに過ぎず大事なのは何故そうするべきか?である。

そこでこのモザイクを第三者として観た時に感じた俺の感じを俺なりに伝えて見た。
例えばこの女の人は、くじらにチャンスをあげて、さぁ私が欲しければ泳いでおいで。

と言うモザイクに見えるとね。このくじらはこの女の人の難題の海を泳ぎ切って
たどり着くと本来はこの女の人にふさわしい男の人になるのである。

優しい髪にも見える黄色にも見えるし、危険な色の黄色にも見える。黒や紺の暗い
波にも見える。嫌、もしかすると本来黒い髪なのに黄色に輝かせて、導いているようにも

見える。そしてこれから作る黒のバックは闇夜になるのだから、女の人が華やかな月にも見える。それを目指して泳いで行けばたどり着けると。

それを上部を泳げば明るいコロの上を泳げるのに明るさはあっても荒波になっている。
敵にもくじらの大きさでは人間に襲われる事もある。

それを知った上で導いているのか?くじらはそれを知って深い海を近道をせず泳いで
いるのか?は定かでないが・・・・こんな風に見えると・・・

そしてもしこれを俺っぽくアレンジしたのなら、女の人の袖下からすでに男の人になりつつある腕だけを中に通す表現をして、もうすでに到着しているよ・・・そんな少し

エロ的表現をするねって。そこをやり過ぎなければ美しい状況になるはず。
芸術とエロの境目はとても微妙なさじ加減が必要だから・・・・

美に色気はあって悪い事では無いからね・・・・ただオ-ドリ-作品に色気は必要で
あってもエロは必要が無い。だからそこまではいらない。

例えばフィギュアの浅田さんとキムヨナさんの違いなんかの表現で言えば、同じ実力なら
キムヨナさんの方が女の人として数段上に見えた・・・素人ながら。

しかし技術は専門で無くても、美としては俺は専門である。美しさとは技術だけでは無い

つまりオ-ドリ-が作品を作るにあたってどんな設定でどう見せたいか?の構想を立てて
作るように心掛ければそれはもう工芸のような作品では無く芸術作品にも思える作品の

作り方になる・・・・そんな説明をした。そしてそれに移行するだけの技術力は
少しずつではあるが出来る器になりつつあると・・・・

いずれにせよかなり完成度の良い作品になりつつある。
そんな中、軽く俺もパ-ツ切り。





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