katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

中学生教室と父の日

2023-06-19 00:21:07 | 労作展

今日は午後から中学生教室。って事で、午前中は父の日って事なんで、さてどうしようかな?と浮かんだのは、泉銀さんに顔も出せるし、美味しい魚も買って父の日にもなるし、作品を置かせて頂いているから、わずかな貢献も出来るし、報告も出来る。決定だな・・・と言う事で・・・。

割と早めに出たんだけれど、何だか浦安近辺が賑やかだな・・・と思っていると、どうやら泉銀さんの通り道の清瀧神社でお祭りがあるようで・・・こんな時に思うのは、以前地元の神社をモチーフにして、公民館の事業の一環でみんなで作る壁画なんてものを作ったのね。

しかもこの話のメインは、単なる一過性のイベントでは無くて、公民館に寄贈し、公民館がある限り展示されるって言う作品なのね。恐らくそんな企画の作品はそうは無いだろうね。ただそれでは、そんな作品がある・・・って事をこのお祭りに来ている人が何人知っているか?となると、ほぼ全員

知らないだろうな・・・って言うのが正しいのね。きっと。ただ作品自体が悪い訳じゃ無いのね。つまり宣伝が足りないからであるのなら、知られる事のきっかけさえあれば、見つかれば簡単に広がるはずなのね。良いとなれば、あっと言う間に広がるものだからね。

まっそれもこれも時間の問題だと思っているんだけれどね・・・そもそも結果報告にしても寄付寄贈って事もあり、その年に表彰されたりもしたのね。ただその当時の市長さんには左程届いていなかったと思うのね・・ってよりも、恐らく結果報告の冊子すら届いて無くて、途中で潰されていても

不思議じゃ無いような話なんだけれどね。まぁ結果として寄贈されて残りさえすれば、見つかる可能性が無くなった訳じゃ無いのね。幸い市長も変われば下に付くものも変わる。その時に興味があれば、何かがその時とは変わる事だってあるのね。まぁこんな話は果報は寝て待てなのね。

そんなこんなものを横目で見つつ、伸びしろ伸びしろって事で到着。するといつものように暖かく迎えて貰えて・・・最近、色んな人にこの作品の事を聞かれるんですよ・・・って言うのね。そうね、そもそも魚屋さんだから、お客さんは良い魚を吟味している訳で・・・。

でも、もし仕入れの魚が手薄な日だったり、売れてしまったような時、吟味するものが無かったら、そもそも泉銀さん好きが集まる場所なんだから、お話をしたりする時間になる。その余裕の時間になった時、チラッと目に入れば、魚好きに魚を見せるのだから、そりゃ話の種になる。

しかも、一人が気が付いてくれれば、何となく釣られて見てくれれば、興味を持ってくれる可能性はある。そんな中、今日のお客さんにも泉銀さんが積極的に宣伝してくれるから、クローズアップされる事になるのね。有り難い話なのね。まぁ一通り近況報告は出来たし、魚も買ったし・・・。

そんなこんなで途中ケーキも買って、実家に顔を出して・・・安否確認もしてアトリエへ。そんな訳で中学生教室。そうね、簡単な話で、自分が大変だな・・・って思えば、恐らくその大変な事は、見知らぬ人にも伝わるのね。しかも受賞者となれば、タイルを切る事は下手では無いって表現で無く

どちらかと言うと、上手いって方にいるのね。まっそう言う事になると、タイルを切る張るが上手いって表現になる。それは料理なら包丁使いが上手いとか、絵なら筆使いが上手いとかの表現になるのね。ただって事は、ここまでの表現では、図面、レシピ、楽譜があればね・・・って話ね。

つまり考えなくて良い側の人ね。って事は、考えなくても良い事に出来れば悩まない分、進み具合が良くなるけれど、ひとたびうーんとなれば、時間だけが経って行くって事になるのね。そしてそれに加えて、その人の性格って話になるのね。ここが大きく左右するのね。

例えばきちんと・・・こんな性格の人は、丸の切り方を教えそこでコツなんて事を教えると、後は反復する事で、きちんとした滑らかな面を作り、大きさを揃え、手際も良くなり、失敗の数が少なくて済む分、失敗のダメージを最小限に抑えられるのね。ここに悪い事は一切無いのね。

これが若干ルーズな人だったとする。同じようにコツなんて教えると、ここまではほぼ一緒なのに、明らかに差が出て来るのね。何故?それはルーズだから・・・その分、別にそれ程きちんとじゃ無くても良いんでしょ・・・って具合に、質より量を意識せずに選択をしてしまう癖があるのね。

そうなると、さっきのような表現をすると、それ程きちんとしなくても、そこそこ滑らかな面で、大体こんな感じ・・・って甘めな質で、次に進みたい・・・そんな気分だから、大きさも、うどんでもきしめんでも、そんなに変わらないじゃ無いの・・・って気分で、大きさも大体で、手際が良く、

失敗って何?って感じになると思うのね。つまり失敗のダメージでは無くて、進むか?進まないか?の悩みになるのね。それは美から大きく離れるのね。まぁこれが一番単純な話で、本来はもっと複雑なのね。ではこれは丸の話であって、これを切って・・・つまり楽譜通りみたいな話になるのね。

それを今度はランダムって好きな形・・・自由って事になると、縛りを自分で作らないと、上手く切れる人になったのに、それが活かせない。そこでランダムとは・・・みたいな表現を、いびつ角形って命名すると、丸だの楕円は角形じゃ無いから、消去出来るのね。こうやってルールを作って

絞って行けば、このルールに当てはまった形とか、大きさとか決まりが出来た分、丸を切っている感覚に近くなるのね。こうすれば、悩む時間が減るのね。でもきちんと切れるし、性格の問題も踏まえると、いびつ自体が許せない・・・。丸の正解は判っても、いびつの正解が判らない・・・。

しかも出来たとしても、丸のような納得なパーツじゃ無いのね。何故なら、丸の場合は、誰もが共通の正解を知っているのね。それを更に性格できちんとした意識で整わせるのだから、手慣れれば人一倍の意識で、きちんと量産まで悩まずに出来たりするのね。所がいびつ角形なんて表現は、

この世に無い言葉で、ただ言葉の意味通りなら、何も手かがりが無いよりマシなんて事になるから、きちんと正解に迎えない分、ストレスにもなる。しかもこれだ・・・って切れた感覚さえも無い。これがさっきとはうって変わる理由なのね。常に良い事と悪い事は背中合わせなのね。

って事は、逆に意識の薄い人は、常に大体ってやるから、今度はランダムって言う規則正しいから大きく外れる場合、揃えなくて良い事が、意識もせず出来たりするからノーストレスで、しかも出来栄えの質も良く見えるのね。いずれにせよ、どっちの側の人か?で教え方は大きく変わるのね。

そんな後は、明日のデイ・サービスの準備と、下地を見ていてもっとパーツの仕込みが必要かな・・・と更に追加となり、いつもの時間になっちゃったのね。


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