katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

中学生教室とリピータ―さん教室

2020-08-26 00:14:33 | モザイク教室

今日は午前はご新規中学生、午後からは外用流しのリピータ―さん教室。ではまずはご新規中学生から。一応、今日を含めて3回位で完成って事で進める事になってて、その為には、下地を・・・って事で、事前に作成していたのね。

それを見るなり、おぉ・・・って良い反応で、まずは滑り出しとしては良かったのね。そんな中、今日の子はスポーツマンらしく、遠浅の知識でそのスポーツの分野も全く知らないでは無くて、むかし小学生の時に手を出した分野で・・・。

それならいつもの比喩も、それ使おう・・・って事で、専門用語をいくつか使ったり、プロのチーム名を何個か言ったり、昔、学生の試合と、プロの試合を2回見た事がある・・・なんて話をして、話すきっかけをゲットしたのね。

そもそもが、モザイクを習いに来て、モザイクの用語を使って説明する事自体がナンセンスだと思っているのね。そうじゃ無くて、そもそもが俺のアトリエなのだから、彼はアウエィになる。しかも子供、少し俺有利で始まる訳で・・・。

それなのに、いきなり専門用語・・・飲まれちゃうのね・・それじゃ。だからこそ、比喩はその子に有利な用語を使って、ニュアンスだけは伝わる様に・・・と心掛け、伝わるものがあれば、進むはずなのね・・・と思っているのね。

例えば、これが野球なら・・・まずはどんな仕上がりにしたいか?ってイメージをして貰うのに、例えばGのマークのチームが好きだとするじゃん。そしたらあそこはオレンジじゃん。例えばTのチームだとするじゃん。そしたら黄色じゃん。

こんなチームカラーってあるのね。ただ例外として今は同じチームでも、色んな色のユニホーム出しているから、知らない人だと迷っちゃうかも知れないけれど。話を戻して、こんな感じに自分のチームカラーを何にする?

そしたら青っぽく・・・って言うのね。ここでもし、色を混ぜられる絵画のような分野なら、自分の気に入った青を作ろう・・・って事になるのね。けれどモザイクって不便の中でやるものなのね。これしか無いの?ってね。

じゃ今使うタイルの青の仲間と思われるものを出すね。じゃこの中で一番気に入った色を1つ選んで。と、1つ選んで貰うのね。じゃそれが自分のチームカラーね。ルールはそいつが必ず多く見えて、途中で変更しない事ね。

これは自分のチームが勝たなきゃいけないゲームなのね。でも勝てば何でも良いのね。でも1人ゲームだから、一体どの位の差で勝つか?のさじ加減をしないといけないゲームなのね。例えば大人げなく圧勝って言うのなら、敵の色を小さく

10枚入れれば、プロ選手と小学生の戦いになる。いやもっと接戦にしたいなら、倍の大きさにして数を増やせば、中学生、もっとなら大学生、もっと・・・となると、接戦どころか采配ミスは命取りになる。

これは形や大きさの話で、大きければ4番の大砲。それを沢山使えば、4番だらけのチームになるし、1番は脚が早いって言うのならナイキのようにシュッとした形になるし、4番はデブ・・・みたいな。こうして選手に特徴を付ける。

そして今度は誰と戦う?って話になると、青っぽいものだけ使えば、仲間なのだから、1軍と2軍と3軍みたいな感じになり、自分の決めた色の1軍対1.2年の混成チームでの紅白戦になる。先輩が後輩なんかに負けるなよ・・・となる。

いや、色んな色が使いたい・・・となるのなら、今度は小さめに色んな色って言うのなら、リトル選抜対自分のチームになるし、倍にすれば中学選抜、もっとにすれば大学選抜・・・もうそれ以上だと社会人選抜・・・采配1つで負けるね

って話になる。じゃ始めて・・・もうこれで野球の人はある程度、理解が出来たと思うのね。後は切り方。考え方は教えたから、バットの振り方、玉に当てるコツ。グリップ確認、飛距離・・・その人その人違うから・・・の指導。

後は3時間、どう乗り切るか?のメンタル。どう飽きないように繰り広げるか?がカギ。そうね、子供の頃、説明ばっか、ノート取らせるばっか、個性の無い話・・・苦手だった。声も張らずにボソボソ話す先生は、後に座ると聞こえないし

・・・字が汚いのも読みづらいし、知識のひけらかしだけは詰まらなかった。って感じたのなら?今度は俺がそう言われる番だ・・・と思っているのね。当然の話。あの頃の俺のように、えぐって来ると良い・・・そこでえぐられたままで

終ればその程度の先生。また・・・って機会があるのなら、それだけの価値を見出して貰えたんだろうし、これが労作展なら、技術論も必要になるけれど、そうじゃ無くて、楽しみ部分を多めにしないとならないし、無理やりにならない

ように・・・って、中学生は全員一緒なんて考えは、全く無いのね。楽しみは楽しみ、宿題なら宿題、本気なら本気ってだけで、全部一緒の訳が無いのね。ただ、説明する時の比喩が大きく変わって行くだけだと思うのね。

内容は全てモザイクの話なのだから・・・。そんなこんなで後2回。いつものように時間は無いのだから、落語じゃ無くて、漫才やコント。軽快に、スピーディに・・・立って動いて、オーバーアクション・・・ってね。

そんなこんなのリピーターさん教室。

結果から言えば、とうとう側面終了。ただ焦ってたのかな?外用のボンドはいつものボンドと違って、水では落ちないのね。手ならアルコールだし、時間が経てばタイル部分はシンナーなんて事になるのね。

そんな事を踏まえて、今までの所と比較して見て・・・手慣れたはずなのに、ボンドが結構付いちゃっているよね?それは、きっと慌てているからなのね・・・汚れた手のまま次へ行っちゃうから。だからいつも通りで・・・。

こう言うのは技術じゃ無くてメンタルの話。今までの繰返しは新しい事では無いのだから、経験値の中で解決出来る話なのね。ただ、側面が終わったって事は、段落変えになる。つまり、新しい事がまた始まる事になる。

当然、一から考えないとならないのね。これが例えば音楽なら、今までやって来た事を引き続きなら、仮にAとするのなら、Aのままになる。例えば色の話なら、側面と同じ色を上部に使うと良いのね。でも形として、もし変えるのなら、

色は同じでも形を変えるのなら、AがA'みたいな話になるのね。ちょこっと変えたってね。それを今までに無い色や形になれば、転調って事になるし、マイナーとかメジャーって音色があるから、暖色寒色なんて変える事も出来るだろうし

・・・そもそもが人のやる事は、どう感じさせるか?であって、心地良く見えたとか、心地良い音色みたいに、ただ耳なのか?眼なのか?って違いだけで、大抵は考え方としては、ほぼ一緒なのね。ある程度、決まり事なのね。

その決まり事を破りたいのが作り手だったりするんだけれど、自分だけ満足なら、自己満足だから、好きにやれば良いんだけれど、自分勝手に進めたものが良い出来になるのなら、先生要らずなのね。逆なのね、取っ掛かりは必要なのね

・・・だって何も知らないから不利だしね。その時に知識が必要なのか?知恵が必要なのか?になった時、その先生の得意なものが違って来ると思うのね・・・そもそも学校でもそうだけれど、俺の子供の頃は小学生なら音楽とか美術は別

だけれど、ほとんどは担任の先生で、段々大人になると、各分野のスペシャリストの先生に変わって行く。だからそう考えるとモザイク先生なんだろうけれど、それだって例えば野球なら、走塁コーチ、打撃コーチ、守備コーチ、ヘッド

監督・・・トレーニングコーチなんかに分かれていたりするのなら、本気でやればやるほど、更に細分化するもんなのね。更に2軍や3軍があって、育成なんて言うのもある。これを俺だけでやるには限界があるんだけれどね・・・。

勿論、本気な人が増えれば・・・の話だけれどね。まぁ何よりもこうして色んな事をする人達が来るから、それに対応するって言うのは、技術は当たり前だけれど、次から次と新しい事を頼まれるから、中々勉強になるのね。

その経験は次に繋がるし、新しい技術や経験値も増えるし、毎回毎回試されている気にもなるのね・・・良く毎回逃げ切っているなぁ・・・とも思うのね。技術だって、自分は出来ても伝えるって言うのは中々難しいし、それが果たして

その人に出来るかどうか?の見極めだって、何年も見た人なら大体・・・って目安はあっても、始まったばかりの人では、果たして出来るだろうか?・・・になると、見余らない様に・・・と慎重になるし、とは言っても時間が掛かり過ぎ

では、へこたれてしまうだろうし・・・でも質を落としては本末転倒。いずれにせよ、こうして対応している事が、何より有難いのね・・・こんな状況の中なのだから、特に・・・。


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