katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

お教室とモンステラの玄関ポーチ

2021-05-23 08:12:08 | モザイク教室

今日は午後から中学生の相談日。これね、相談って何?って良く聞かれたりするんだけれど、誰でもそうなんだけれど、こんなのが作りたい・・・って決まっている人や、次は何にしようかな?とまだ具体的に決まっていない人がいたりする。

こんな例をあげた時、一見、決まっている人と決まっていない人の両極端な2例って思ったりする。でも、勘違いすると、決まっている人が良くて、決まっていない人が悪いみたいな感じに思えたりするものなのね。そもそもそれが勘違いなのね。

全てが良い事と悪い事は背中合わせ・・・例えば1つの例として、決まっている人の場合でも、お花が作りたい・・・こんな選択肢がいっぱいの場合、相談相手として、じゃこんな花は作りやすいですよ・・・と2.3個提案出来たりする。

そして、その中のどれか?選べば間違いは起こらない。そこに過去の実績があるから。では逆に例えば胡蝶蘭と決めて来た。こんな場合、モチーフが決まっているのだから、次の話として大きさになる。どんな大きさが理想ですか?と。

その時に、出来るだけ大き目な寸法が聞きたいのね。つまり自分のmax。これ以上は無理って寸法がね。これがそれを言えた時は、では次へと進められるが、良くある話は、自分の欲しい大きさの寸法を言ってしまうのね。

つまりやりたい事を続けて2つ言った事になる。モチーフを決めた、大きさも決めた、こうなるときっと色も決まっているし、では予定したい日数に、掛かる費用は?と理想を聞くと、既に聞く前から判っているが、既に自分の中で全て決まっていて・・・。

これでは相談にはならないのね。もしこれがモザイク初日だったとしたら?・・・つまりこの時点でほぼ無理な事であって、本来初日なんて体験みたいな話だと、普通はサンプルがあるような教室であって、出来たぁ・・・って感じになる。

ただ俺んとこは、割と自由にしてあるから、一応要望は聞いて出来るようならOKだし、それはその時間や金額では出来ないって事や、根本的に無理なら何とかそれをご理解して貰うようにお話はするが、全てがほぼ決まっている場合は、

簡単にじゃ他のにする・・・って変わってしまう。この時点で泥沼化してしまうのね。何故なら出来ると判断しているから。そして決まり過ぎていたから。まずこの例が決まっている側の2例。お花なら何でも・・・って受け入れ態勢がある。

そんな場合と、なら良いわ・・・のダメなら次の場合。では今度は逆に何をしようかで悩んでいる。こんな場合。こんな人は、例えば、初めてだから難しいのは大変で出来ないだろうし・・・作りたいものって言われても?・・・どうしよう。

こんな感じ。正直初めてなんで思い浮かばない・・・とか、2作目の場合なら、絵を作ったのか?模様なのか?使えるクラフトのような鍋敷きとかなのか?飾るものなのか?みたいな、1作目とは違うモノを選べば、気分も心機一転になるし、逆に

同じモチーフで大きさを大きくして、もっと長い時間を掛けるとか、提案はいくらでも出来るし、更に1度作っているから本人が大変さも良く知っているはずなのね。つまりこっち側の人の場合は、実は消極的過ぎるのね。

初めてなのに、これは難しいかな・・・と自分で決めてしまう。更に経験者だとしたら、経験した事で先人の凄さを理解してしまったが故に、そんなの無理・・とストッパーを掛けてしまう。堅実と言えば良い言い方になるが・・・。

つまり前半の決め打ちの場合は、大きい許容範囲でのお花の場合なら出来る方向にあった。でも全部決めの胡蝶蘭の場合、自分の理想に1つでも欠けたら無理って場合は、リセットになるから、今日は白紙のままになる。

つまりモチーフ1つで後はノープラン。そこから全てが相談のお花ならどんどん進めるのだけれど、何もかも決まっている場合、リセットしてしまう場合が多い。ではリセットしたらどうなるか?つまり後者の思い浮かばない側になるのね。

もっと言えば、最初から後者の人の場合、数字で例えると、思い浮かばない・・・とうしたら良いんだろう?ってマイナス5点とか、10点とかになっていると思うのね。こうした時、決めている側は決めて来ているからプラスに見える。

こんな差がある。ではお花だけ決めて来た・・・さっきの結末で言えば、どんどんとそこから進んで行くのだから、決めて来たのはお花・・・ってだけだから、プラスでも5点位?それなら全て決めて来た人は100点なのかな?

もうお気づきな人はいるだろうけれど、その100点だと思われた人は急にマイナスと思われる側になったのね。つまり辞めてしまった時点でマイナス105点とか、ただ100落ちただけで無く、最初からマイナスだった人達の所まで落ちた事になる。

判るでしょ?こんな所が這い上がれる訳が無いのね。心ボッキリだから。こういうのが三者三様みたいな話で、それにしたって仮に胡蝶蘭だとしても、初めてだったとしても、大きさを大きくして時間を掛ければ出来ますよ・・・になる。

ただどれもこれもが譲れないし、そんな大きさならいらない・・・って場合、そもそも一番大事なのは、飾る場所の大きさの中で出来る事を探すべきであって、モチーフから考える事が間違っていた事になるのね。

これが相談。でももし何も決まらない時間を過ごしたら?・・・そしてやりたい事が出来なかったら?ご縁が無い場合、やらせて貰えなかった・・・とか、反対されたとか却下にあったとかになる。場合に寄っては、何も教えてくれなかった。

何て事もある。ただここが難しい話で、そこが先生katsuと作家katsu、レシピ、図面、楽譜とオリジナルの違いなのね。つまり先生katsuが必要な場合、レシピ、図面、楽譜のように、決まり事を教える。そしてそれには切る張る技術が必要。

だから、やりたい事が出来るように教えて・・・の要求なのね。だから技術のみになる。切り方、張り方って目に見えるものだけが習いたい事。これが作家katsuが必要な場合、オリジナル作品の作り方を習いたい。となるから、考え方になる。

だから、1日目なんて道具は一切要らない。考える・・・つまり頭と口しか要らないのね。しかもその場合、タイルを切らないし張らないのだから、腕前、技術一切関係無し。単なる質問攻めになるだけ。

まぁ簡単に言えば、作詞と作曲みたいな話。曲ならギター、ピアノ、今風ならパソコンなんでも良いから技術が必要。だからその使い方を習う事になる。これが普通のレッスン。じゃ作詞は?別に紙と鉛筆あれば良いでしょ?何も要らない。

つまり作詞なら上手い下手は問わずなら、何も習っていなくても誰でも書ける。そうそれが感性。曲の場合、ただ鳴らしただけでは、雑音だったり、不快になる。だから技術が必要なのね。でも作詞は自由。つまりオリジナルの場合、その作詞にあたるものを教える事になる。

じゃその時に、作品は自分自身だったりする。こんな言葉が本当なら、初めて会った人の自分自身を教えて・・・こんな理不尽な話は無いでしょ?つまり趣味趣向が知りたいのね。何が好きで何が嫌いで、要するにその人自身の話。

その中にその人が気が付かなかったその人自身を俺が気が付けたのなら、それ良いじゃ無いですか・・・になるのね。その人の話の中にヒントがあるのだから。それをモチーフに広げれば・・・ってな具合にね。

まぁ単純に言えば、昔歌ってた、金平糖は甘い、甘いはお砂糖、お砂糖は白い、白いうさぎ、ウサギは跳ねる・・・ってこんな連想ゲームみたいな事が、想像力になる。見えないモノを教えるって言うのは、教える側も教わる側も想像してないと、画像が全く浮かばないと、白ヤギさんと黒ヤギさんの歌になっちゃうのね。読まずに食べられちゃうから。

オリジナルって言うのは、想像力、洞察力、観察力みたいに目に見えない力なんで、指導っぽく見えないのね。悲しいかな・・・まぁ自分で言うのも何だけれど、かぐややさくらを教えていた頃からしたら、相当上手くなったとは思うけど。

そんなこんなでそんな合間に、モンステラの玄関ポーチ。それが大家さんの奥さんに途中経過見せられたのね。問題無かったんで、このままキープ。

 


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