katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

クリスマス用の下地作りと・・・

2019-09-27 01:03:29 | モザイク教室
今日は日常に戻った初日・・・難しい事は考えずに単純に作業って感じの時間が元に戻るには良いだろう・・・と考えていたのね。そうね、作業って言うのは毎日の繰り返しで上手くなったり、早くなったりもする。しかも考えずに単調に進んで行くから、気分に左右されないものでね・・

これがいきなり作品作りとなると、色んな事を考えないとならないし、頭を使う事になる。あれもこれもと感情移入したり、正直楽じゃないのね・・・それを今の生活の中でも、先生katsuと作家katsuの切り替えでも中々大変なのに、ここの所の切り替えは中々忙しかった・・・。

労作展で5人受賞って言うと、大抵おめでとうございます・・・って嬉しい事だけで考えられたりするんだけれど、感受性豊かって言うのは、良い事が多いのなら、悪い事もそれなりにあるって事なのね・・・つまり貰った事は嬉しく思うしホッともする。仮に1人受賞なら4人が落ちた・・・

これなら仕方無い・・・で済む。けれど、2人、3人、4人・・・となれば、1人だけ落ちた・・・みたいな事になれば、取れる取れない?は純粋に俺のせいでは無いし、そこまで考える必要も無いんだろうが、考えようとしなくても考えてしまうし、逆に考えてしまう前提で、考えないようにと

考えてしまったり、いずれにせよ、はらはらドキドキした分、疲れてしまったのね。勿論、それは子供のいない俺には、まるで自分の子の親の気分にさせて頂いたような話で光栄なんだけれど、親なら親として何年も携わった分、慣れても来るんだろうしこの先も続くんだろう・・・。

がしかし、俺の場合は毎年、そんな気分を違う子で味わう訳で・・・結果が良ければ安心もするが、結果が悪ければ気にしない・・・なんて単純なものでは無くて、それなりのダメージも受けたりもする。逆に全員受賞は嬉しいが、また来るのならそれ相応の結果も欲しい気持ちで来るかも

知れないし、逆にこれで完結として来ないかも知れない・・・。そんな気持ちも持って、少しずつ忘れて行くもので、一旦リセットのような気持ちになって行き、また来た時には、新鮮な気持ちで会えたら良いね・・・そんな事を毎年繰り返すのね。そんな最中、今年はいきなりリバティ。

そんな余韻も無く、バッサリ建築に切り替えられたら、手慣れない気持ちの緊張感の方が勝ってしまうから、何しろそれだけになる。余裕は一切無いし、他の事を考える脳の時間は全く無いし、朝は早いし、洗濯とお風呂に入るとすぐに朝が来るだけの生活・・・そんな1週間が終わった。

本当はそっちはそっちでまた考えてしまう事はあったのだけれど、あえてここでは広げず、結局その場所に身を置いたらそっちだけに専念みたいに切り替えているだけで、じゃ終わったからどうする?ってなった時、労作展、リバティさん、じゃ作品作り・・・と横並びにはならないのね。

正直、作品作りって言うのは身の削り方が尋常じゃ無いから・・・これで生きたいのにつまづく訳には行かないから・・・と気持ちが重くなる。一切楽しい気持ちでは作れないし、でも楽しく作ってみたいとは思うが、そこでベストを考えると、出来ればダメージの少ない時に・・・って、

気持ちになるのね。別に楽しい気持ちになる事は無いとしても、責めてダメージの少ない日に・・・って。しかも残りもわずかであり、単純に進められるのならあっという間に終わりそうな量なのに、最後にやれる事は無いのか?・・・って考えるに決まっているしね・・・俺の事だから。

仮に何も浮かばず、このままですんなり終わったとしても、最後に向き合った時に、色々遠回りしたけれど何も浮かばずにごめん・・・と終わったとしても、毎日作品とは目が合う訳で・・・気にはしているし、けれどここまでだった・・・かも知れないし、何か浮かぶかも知れない。

そんな事を出来るのも、昔とは違ってそれだけの仕事しか無かった頃とは違って、色々とやる事がある・・・そんな話。それが良くも悪くもね。それは作品作りの方から見れば、作家katsuの時間が少ないじゃんだし、お教室やイベント、販売用の小物など先生katsuからすれば、色々

やる事が多いんだよ・・・とも言えるし、そこにリバティさんとかも入ると、中々バランスって言うのもね、難しかったりする。ただどれもkatsuなのね・・・全てモザイクに関係する事ばかりで、アルバイトしている訳じゃ無いのね。全て血肉になる事ばかり・・・。

何1つ無駄な事はしていないのね。だから余裕が無いんだろうけれど。ただそれが一番俺らしいとも思うんで、何にも言う事は無いのね。昔と違ってやれる事があるのだから。何も無かった頃を考えると、有難いな・・・に尽きる。まぁ姿勢としては特に変わってはいないのだけれど。

ただやる事が多くなって順番となっただけで、それしか無い時はそれだけに専念出来たし、すぐに出来ただけで、専念をするって言う事に関しては結局あれもこれもでは無くて、これが終わってから・・・みたいになっているだけで、ただ逆に言えばその期間も考えている時間・・・。

構想って言うのは、来る日も来る日もずっと考えている訳じゃ無くて、あっ・・・って発見の繰り返し。それをヒントにストックしていて、それを制作時間内に作るって話なんだけれど。つまり昔は構想と制作を一緒にやっていたのだから、早く終わりが来たんだろうね・・・。

おっと随分と長い枕になっちゃったんで、って訳でコーナンでクリスマス用の下地作りをしたのね・・・今頼まれている段階で11枚なんで、暫定で20個くらいかな?・・・と。アトリエ用としても良いしね。そんな中、親父に連絡を取ったのね・・・実は昔タイル屋の頃に、親父と共通の

タイル屋さんがいて、その人の奥さんが亡くなったって連絡が来た・・・と。時間が経っているらしく、顔位出さないか?って話で、リバティさんが終わってなら・・・って事で、明日空いたよ・・・って話すと、親父が無理って言うので、だったら今日って連絡してみって言ったのね。

勿論、普通の大人なら今日の今日は無いだろうが、大人が都合を合わせるなんてやっていたらいつになっても行けないし、相手との関係性も考えると、いちいち気にする間柄でも無い。ただ大事なのは、きっとこれが最後になるかも知れない・・・ただそれだけ。

確かに昔は世話になった。でもお互いに合わなくなって20年近くになる・・・正直遠い人になった。枕に使った話はそう言う事なのね・・・今の状況でも疎遠なら、今後暇になる事は無いだろうし、順番と言うのなら、これが最後なのだから・・・と順番を入れ替えたようなもの・・・

そんなこんなで顔を出すと、あれだけ行き慣れた場所なのに道は間違えたし、でも家の中は見慣れた雰囲気で、あの頃と変わり無かった。60年連れ添った・・・って言ってた。俺はほぼ何も話す事無く、ただ2人の話を聞いて終わった・・・。帰りの車の中で、親父に俺さ連れ沿いが、

いないんだよね・・・だから今後も60年なんて話は出て来ない。でもね、仮に弟子だの常連さんだのって長く付き合った人達が亡くなったとするじゃない?・・・確かに大きくダメージを受けるだろうけれど、そんなにはアピール出来ない。だってみんな俺の奥さんじゃないし・・・。

変だろ?一番悲しんでいたら・・・結局、凄く仲が良かったら、凄く悲しみが付いて来て、思い出と共に生きないといけない・・・そんな話で、いる人にはいる人の人生があって、いない人にはいない人の人生があるだけ。親父にはお袋がいるんだから、いつかあぁなる。でも、俺はそう

言う事は無い。俺はそうでは無い人生を送るよ・・・親父はお袋との時間を楽しめよ・・・まぁ出来れば生きている間に結果を出したいんだけれど、中々な・・・ただ見せられるように長生きしてくれよ・・・そんな話で帰った。そんな後、かぐやと話す事になって、こんな話をしたと

伝えて、いつか良くも悪くもそんな日を迎えた時まで続いていたのなら、やっぱ泣くかっ・・・だよな・・・じゃ、笑える事も無いと、泣けないよなぁ・・・って話しをして、希望だの夢の話を何も語らずにお互いが、そんなとかあんなとか思い浮かべる理想を感じただろうな・・・。

出来ればこんな日は、何も考えずにサッカーだのラクビーだの観戦したかったな・・・。

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