子ども達 8 タイの働く子ども

子ども達 8 タイの働く子ども   金森正臣(2006.7.19.)

写真:タイのアユタヤの古い寺院遺跡で、物売りをする子ども。まだ小学校に上がる年齢には満たない。小さな子どもが、日傘の下でお客を待っている。お金の計算が出来るであろうかと心配するぐらいの年齢。近くに母親らしい人も商いをしているが、この小さな彼女は、一人で独立して商いをしている。猛暑の中でじっと客を待ち続ける。その辛抱強さに感嘆。

 途上国では、子どもが働くのは当たり前のこと。タイはもう途上国とはいえないかもしれないが、格差は大きく、大きな利益を得ているのは一部の国民に過ぎない。多くの貧しい国民は、終日働かざるを得ない。当然のことながら、子どもも働く。ユニセフなどは、キャンペーンで「働かなければならない子ども達がいる」と言った新聞広告を出していたことがある。

 このキャンペーンは、日本の子どもの現状を正確に認識していないと思われる。確かに途上国の子ども達は、働かなければならないために、学校への行けない子ども達がいる。それはそれで、何とか援助が出来ればすばらしいことだ。

しかし、日本人は、身近な問題から目を逸らしているように思われる。日本の子ども達は、働かないために、生きる力が付かない。自由が無く、親の管理下に置かれて、本来持っている遺伝子の能力が、十分に成長せず、体だけ大きくなっている。社会性の成長が遅れ、心は子どものまま体だけ大きくなる。この様な状態が、親殺しや子殺しを生み出していることを、どの程度認識しているのだろうか。話題になっている不登校やニートも、一連の問題の上に生じてくる。

日本人は、西洋文化を取り入れたことによって、日本文化を低いと認識している人が多い。単純に分かりやすく説明する西洋文化の特徴は、それはそれで良いところもあるのだが、世界は4次元どころかもっと複雑なものであろう。肉眼では見えない世界は、心を澄ませて見ないと見えないものがある。日本の文化は、この見えない世界を見ることに優れた文化であると思われる。「以心伝心」、「不立文字」、「無言説法」などと言われる世界である。これ等のことを失くしても、幸せになれれば問題ないのだが、多くの人が追われるような気持ちで、苛立っているのが現状ではないであろうか。自殺者の多いことは、そのことを端的に表している。

このタイの子どもの後ろには、立派なお母さんが、子どもが生きて行けるように育てている姿が見て取れる。教養や学問とは別次元の、太古以来の当たり前の人の営みである。
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コメント
 
 
 
親の人生・子どもの人生 (小鹿 亨)
2006-07-20 23:07:46
これは日本においてしばしばありがちなことと思いますが、学校などで子ども同士でトラブルが怒ると、その問題を本人たちが解決する前に、親が出てきて話し合いを「解決しよう」としてしまいます。問題を当人たちが考え、それなりのやり方で解決することが大切なのだが、そうやって子どもが学ぶ機会を奪っている大人たちは、自らを「教育熱心」などと思っているのかもしれません。多くの場合、親は問題を「自分の問題」としてとらえていないか、と思われるふしがあります。子どもの人生をそうやって「乗っ取ってしまう親」は、子どもが自分の人生に取り組むことを結果的に妨げていることに気づけないでいるのかもしれません。あるいはどこかではわかっても、途中では止められないのかもしれません。
 
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